1.滑出し
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世の中はこんなはずじゃなかったことばかりさ。
『人遣いの荒い某シスコン艦長との会話記録』より抜粋。
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「…?」
目が覚めたら白い天井が迎えてくれた。汚れの見えない白に、爛々とした蛍光灯が目に痛い。
横に顔を背けると、清潔感はあるが、どことなく物寂しいカーテンが閉め切られている。
そして鼻をつく独特な薬品の臭い。
(なんだ、病院か)
左腕に刺さった点滴の針を外し、身を起こす。
(損傷は…右半身の打撲に左足の大腿骨にヒビありっと。……うわ、肋骨も折れてるよ)
傷に触らない程度に身体を動かし、痛みにより症状を確認していく。これぐらい慣れたものだ。
危険な仕事をしている友人たちに付き合い、病院送りにされた回数は挙げたら切りがない。
そのため、いつしか骨折くらいの痛みでは呻くこともなくなり、医者にも太鼓判を押されるほどの腕になった。
こっちは命がかかっているんだから当然なんだけど。
あるときは対人威力を計測したいとピンク色の魔力に呑み込まれ――
またあるときは怪我人を背負って移動する練習として黄色の魔力雲をつくり――
…思い出すだけで胃がひっくり返りそうだ。
(…僕の交友関係って)
よそう。その先を考えたら生きる希望がなくなる。
囁きを思考の外に追い出し、自己検診の結果をもとに重傷度の高い順に治癒促進魔法をかけていく。
普段ならなんてことない作業なのだが、今回の怪我は重傷だったようだ。
胸が痛み、魔法がうまく展開できない。治りも遅い。
(困ったな。リンカーコアまでは手が出せないんだけど)
声高々に魔法"少”女と言いづらくなってきた友人に引きずられて行った任務先で、好奇心に負けて遺跡内に積み上げられていたキューブに触れただけなんだけど。
現場責任者である友人にはめちゃくちゃ怒られた。
全力全開でお仕置きなのっとか言って杖を構えるその姿に、三十路手前で「なのっ」とかねーだろとか人の呟きを耳ざとく聞き取る地獄耳が老化の始まりとか色々伝えたのだが、取りあってもらえなかった。
次の瞬間には視界がブラックアウトし――現在に至る。
医療費は彼女の給料から出るのだろうし、寝ている間に行われているだろうスキャン検査の結果を聞いてから考えればいい。
蒐集された後の痛みに似ていた。時間が経てば自然治癒するレベルであることを願うのみだ。
否、そうでなければ困る。
それを理由に休暇申請ができない。もう300日も休みなく働いているのだ。
これもそれも「怪我をしていても内務はできるだろ」と仕事を押し付けてくるシスコン執務官のせいだ。
身体的な負傷では、傷口に塩を塗りつけられるように労働させられてきたが、リンカーコアとなればさすがの彼も黙るだろう。
魔法が使えなければ、仕事にはならない。
「――っし!」
小さくガッツポーズ。
そうとなれば善は急げ。ナースコールを押す。
すぐに廊下を慌しく動く気配がして、病室の扉が開いた。
「キャーーーっ!?」
看護師に死者を見るよう目を向けられた。
真に迫った悪くないリアクションだ。
昔は重傷患者が病室で見舞い人と魔法バトルをしていたり、バインドで簀巻きにされ連行されたりする現場をよく見られてはこの手の反応をされたが、二桁を超えるころには一瞥で済まされるようになった。
そして、数えることが億劫になった頃、なかったことのように扱われ始めた。
そうして常連患者の僕とベテラン看護師さんたちはいつしか友情を築き、協力して新人の肝試しをするようになったのだった。
新人にワザと僕の担当をさせれば、仕事関係で頭の痛いことは8割笑い飛ばせるようになると婦長のお墨付き。
そんなわけで、この後の展開も体験済み。
悲鳴を聞きつけた先輩看護師が演技がかった調子で――
「何事かね!」
――眼鏡をかけた中年の
(――え?)
医者?看護師じゃなくて?
ま、ナースセンターも手が空いていないときもあるし、この医者がたまたま通りかかったのか。
「た、高田先生っ、患者さんが…患者さんが…」
新米看護師の震える指先がこちらを指す。
骨折している人間が不自由なく着替えている姿を見たショックは大きかったようだ。
あと一ヶ月もすれば、初々しい彼女も、
気を紛らわせるために医者に目を向ける。見たことのない顔だ。
とりあえず笑っておいた。僕の担当医だとしたら第一印象が大切だからね。
「中谷くん、すぐにクロルプロマジンを!私は彼をベッドに運ぶ」
血相を変えた彼に抱えあげられ、寝かされる。
「いやいやいや。自分で戻れますから!僕これでもダンディ目指す独身男なんですけどっ!?」
「っ!?――くっ」
抵抗むなしく、軽々と持ち上げられた。
(この歳になってお姫様抱っことか男にされるとかなんて羞恥プレイっ!ひぃ――お姫様だっこで速度テストなんてこの位置風もろなんですけどって声でないし息苦しいしむしろ息してないし音速目指すとかあほか当初の目的どこいきやがったスピード狂っ)
脳内を駆け巡るトラウマ。腕に痛みが走った。
いつの間にか戻っていた看護師が空になった注射器を回収していた。
指示を出されてすぐに動けるところは新米といえど、流石というべきか。
(鎮静剤、か。精神異常を心配されたのか……)
とはいえ、騒ぎすぎて屋上から吊るされることはあっても、薬での強行手段を取られたことはない。
一つの可能性が浮かび上がるのは、この病院に搬送されるのが初めてということ。
他人事のように考えているうちに視界が回ってきた。目を開けていられない。
「……すまない、平介」
「ふぇー、すけ…?」
って誰さ?
泣きそうな中年男に看取られ、僕は意識を手放した。
◆◆◆
「…?」
目が覚めたら白い天井が迎えてくれた。汚れの見えない白に、爛々とした蛍光灯が目に痛い。
横に顔を背けると、清潔感はあるが、どことなく物寂しいカーテンが――開いていた。
瞬時に先刻の記憶が甦る。
(……って、二度目だし)
薬のせいか、朦朧としている頭をしゃっきりさせるため左右にシェイク。
「ぎもぢわる…」
すぐにやめた。
ついでに点滴の針を外す。
「――さて、どうしたものか」
どうやら思っている事態と差異がある。それを一度整理する必要があった。
まず、一つ目。名前が変わっていた。
『高田平介』。ベッドに備え付けられているプレートの患者氏名欄に書かれている名前だ。
二つ目。身体が若返っていた。なぜ今まで気づかなかったし、自分。
視線の高さや手足の長さから推定9歳。……散々観察して捻り出したものの、よく見たら名前の横に年齢が記載されていた。
顔がどうなっているかは鏡を見ないと精確ではないが、触ってで確かめた感じでは僕が幼くなった類ではないことが想像できた。
(……鏡を見てもいいんだけど、出歩いて見つかっても面倒だし。えいっ)
一本引っこ抜いてみた。漆黒のような黒い短髪だ。
高田平介、9歳。黒髪、短髪。それが、この
「つまるところ別人だね」
意識というか、魂だけがこの平介少年に入り込んでしまっているようだ。
治癒魔法が利きにくかったのは
そこから導かれる結論は『習得し直さなければ、使用できない』。
(凹むっ……)
幸い、この
本来のこの身体の持ち主である平介の魂の行方とか、吹っ飛んだ僕の身体の安否とか、気になることが山ほどある。
入れ替わった原因を調べる必要もある。魔法なしでこなすには時間が足りない。
(…これは長期戦かな)
せっかく休めると思ったらこれだ。砲撃魔やシスコン艦長になんて言われることやら。
(いや待てよ…)
今の僕の外見は平介少年だ。たとえ、知人とすれ違っても僕だと気づかれないのではないか。
連絡さえしなければ、このままバックレルことも――。
「うん、これは僕の問題だ。僕が解決しなければいけないんだ、そう僕だけで」
マイペースに調査すること決定。
平介少年には悪いが、これも運命として我慢してもらおう。こうなっては一蓮托生だ。
方針が決まったら、眠くなった。慣れない
(これも少しずつ慣らしていかないと)
うとうとしているところに、カーテンに人影が映りこむ。
「……目が覚めたかい」
いえ、眠ろうとしてました。
影の正体は僕に注射した医者だった。確か、新米さんに『高田先生』とか呼ばれていた。
(――たかだ?)
「私は高田雅信。キミの父親だ」
やっぱり。
彼の息子さんを無断拝借している上、これからも滞在しようと目論みを立てた手前、罪悪感という石が沈殿したように下腹が重くなる。
ここで下手なことを言って不信感を抱かせるわけにいかない。少なくても生活に支障をきたさない程度には。
「どうしてここに運ばれたか覚えているかい?」
「……わからない」
高田医師の顔が疲れた笑みに形作られる。わかっていたけれど、信じたくないそんな顔だ。
腹の重みが増えた。力を込めて押し込める。屁が出た。失敬。
彼が言うには、平介少年が事故にあったのは一週間前だという。
猫を助けようとして車に轢かれたらしい。子供ながらに男気のある少年だ。
頭と右半身を打ちつけ、意識不明の重体で運ばれてきたそうだ。
「これから簡単な質問をする。頭の怪我があるから、わからないことは答えなくていい」
これは好都合だ。記憶喪失でも疑われることはない。
日常生活に関することは覚えている設定にして自分のことだけを思い出せないことにすれば、口調が違っていても納得はしてもらえる。
平介を知る人に会ったとしても「…記憶喪失なんだ」と困ったように微笑むだけで、詳しくは詮索されない。
「キミの名前は?」
「高田平介」
形式的な質問なのだろう。
脇に抱えていたファイルのようなものを高田医師が開く。
「この病院の名前は?」
「ええっと…カイメイ、病院?」
外れたようだ。
カルテのようなものに、高田医師の書き込みが加えられる。
「今年は何年だ?」
「新暦85年」
ペンの動きが一瞬止まる。が、再開。
「キミの年齢は?」
「に――9歳」
危ない危ない。十の位は消しておかなければ。
「さっき私に言ったことは?」
「……?」
「いや、なんでもない」
……言いました、すみません。
とは、口が裂けても言えないので、とぼけた演技を続けながら心の内で謝罪するに留める。
「最後に、起きてから怪我が治っていることに心当たりは?」
「え、魔法でしょ」
ため息をつかれた。いくら身内だからといって患者の前でする医者の態度としていかがなものか。
というより寝てるだけで自然治癒したなら、白い防護服を着た人たちに地下へと連れていかれてしまう。解剖必須。UMA扱いされる僕の人権は剥奪されるに違いない。僕の存在は否定されるどころか抹殺される。
ただでさえ、ミッドチルダの郊外にはそれ系の施設があると噂されていた。病院と提携しているとも聞いた。
変な誤解をかけられて、隔離されるのはごめんだ。
「あのな、平介」
嫌な間だ。
眼鏡を外し、眉間を揉み解す高田医師。
「魔法は現実に存在しない。それは夢の世界だけの話なんだよ」
否定されたのは世界の方だった。