クロスベルのパン屋にて謎の少女アルティナとの再会を果たしたライ。
抑揚のない声で「久しぶりですね」と告げる彼女。確かに以前会ったのは2度目の特別実習だったから、おおよそ3か月ぶりと言ったところか。
前は色々と助言をしてくれたが、相手は明らかに一般の女の子とは言えない風貌だ。
こちらをじっと見つめて来る不可思議な相手に対し、ライは、
「久しぶり」
と、呑気に挨拶を返すのだった。
……
…………
その後、挨拶を終えたライとアルティナは揃って会計へと向かい、2セットの皿とコーヒー、カプチーノを受け取る。
向かう先は店の外にあるオープンテラス席だ。
サンサンと降り注ぐ太陽光を遮るパラソルの下、木製のテーブルにアルティナ分のセットを置いて、反対側の席に自身の皿を置く。
対面に座る灰髪の青年と銀髪の少女。
他所から見ると無表情な2人が向き合う張り詰めた空間に見える事だろう。
しかし一方で、ライの内心は緊張感とは無縁なものであった。
(もしかしてカップケーキは苦手だったか?)
彼の意識が向いているのはアルティナの手前に置いたカップケーキだ。
それは先の会計でライが購入したもの。
ライ自身もよく理解できていないのだが、パンのラインナップを見た瞬間に《彼女の好みはこれだ》と、直感めいた感覚と共に手が伸びていた。
しかし今、アルティナは手元のケーキには目もくれず、ただひたすらにライの顔を見続けている。
そんなに興味がなかったのだろうか。
「……別のパンの方が良かったか?」
「? いえ、私もちょうどこれが食べたかったところですが」
ライの悩みをキッパリと否定するアルティナ。
お世辞……と言う訳ではなさそうだ。
単純にライの思い過ごしだったらしい。
(そう言えば、彼女と腰を据えて話し合うのはこれが初めてか……)
セントアークでは助言を2度もしてくれた謎のお助けキャラと言った感じだった。
幸い嫌悪感は抱いていない様子なので、これを機にコミュニケーションを図るのも良いだろう。
方針を定めたライは意識をアルティナへと戻す。
微動だにしない細い体と無表情。しかし、尻尾のように伸びているケーブルだけは、どこか楽しげに揺れている。
さて、そんな彼女に投げかけるべき話題は何か。
ライは脳内にいくつかの選択肢を思い浮かべ、そして内1つを選んで口にする。
「──ご趣味は?」
「もう少しまともなアプローチはなかったんですか?」
が、速攻でツッコミを食らった。
「お見合いじゃないんですから。逆に聞きますが、あなたのご趣味は?」
「……、…………チェンジと合体?」
「聞きようによっては最低ですね」
何がとは言いませんが、とジト目で睨みつけて来るアルティナ。
ただ、そんな言葉とは裏腹に、彼女の口元はやや楽しげだ。
頭上に音符が浮かび上がるような雰囲気纏っているように感じたのは、果たしてライの気のせいだろうか。
「まったく……、私にこのような回りくどいやり取りは不要です。聞きたい事とかあるなら普通に質問して良いんですよ」
「いいのか?」
「ええ、今回は少し懐かしい気分になれましたので」
懐かしい気分、か。
今のようなやり取りを以前、誰かとやってたりしたのだろうかと、密かに考察するライ。
まあ、今はそれより質問だ。
正直に答えてくれる……とは言っていないけれども、質問できるチャンスは逃せない。
聞きたいところは色々とあるが、今この場で聞くべき内容は……これか。
「何故アルティナはクロスベルに?」
「…………観光で訪れた。と言っても納得しては貰えなさそうですね」
「ああ」
「その理由をお聞きしても?」
ライの質問に対して更なる質問で返すアルティナ。
あまり回答したくない内容だったのだろうか。
けれど、しらばっくれない辺り、絶対に答えられないと言う程でもない様子。彼女の問いかけにうまく答えられたら明かしてくれるかも知れない。
(彼女が観光でクロスベルに訪れない理由、か……)
ライが「ああ」と答えたのは何もあてずっぽうではない。
アルティナに関する情報を考えれば、何の思惑もなしに動くとは考えにくいからだ。
彼女に関する数少ない情報。
ライはそれをアルティナに提示すべく、過去の記憶を脳内で回想し始めた。
◆◆◆
──時は戻り8月上旬、トリスタにて。
クロスベルに向かう日に備えつつ、パトリックから紹介された貴族生徒の依頼をこなしていたライは、時間の隙間を見つけて寮の3階へと足を伸ばしていた。
向かう先はミリアムの部屋だ。
以前、帝都にてクレアと電話した際、ミリアムの身の上に関して言葉を濁していた。
オライオン姓を持つ幼くも不可思議な2人の少女。
彼女らの身の上が気になっていたライは、それを訪ねる為にミリアムの部屋へと向かう事にしたのだ。
3階の隅にある扉前に到着したライは、右手でトントンとノックする。
「ミリアム。聞きたい事があるんだが、今大丈夫か?」
『──ほへっ? その声はライだよね? うん、今入って来て良いよ~』
部屋の主から許可を貰い、ライは1度周囲を確認した後に少女の部屋へとお邪魔する。
何せ話がミリアムの内情に切り込むものだ。
無用な配慮かも知れないが、外部に話が漏れるのは避けたいところ。
手短に質問を投げかけ、拒むようなら素直に引き下がるべきか。
そんな思考を巡らせていたライであったが、ミリアムの姿を見た途端、全ての予定は一旦白紙となった。
「むぐ、もぐ……。あれ、ライ? どうしたの?」
「…………」
きょとんとした顔でこちらを見ながらも、お菓子をほおばるミリアム。
問題は彼女の姿だ。
ベッドの上にてだらんと足を広げ、菓子の袋に囲まれた水色の少女。
夏場の暑さで汗でもかいたのだろうか。彼女は上着を脱いで薄いキャミソール姿となっていた。
(本当に入っても良かったのか?)
世間一般の感覚で言えば、女性が他者を入れて良い状況とは言えないだろう。
だと言うのに気にする素振りすらないとは……。
ミリアムらしいと言うべきか、それとも年相応の情緒が育っていないと見るべきか。
判断に困ったライは、ひとまず本来の目的を果たす事にした。
「……いや、何でもない。それよりミリアム、お前に齢の近い姉妹はいるのか?」
「しまい? どしたの、急に?」
「実は──」
ライはセントアークで会った少女の話、そしてクレアから複雑な身の上だと聞いた事を素直に話した。
「なるほどね~。あの町でそんな事があったんだ」
「話しにくいなら無理に答えなくていい」
「えっとね、う~ん。……ま、オジサンにも止められてないし、別にいっか」
ミリアムは思っていたよりもあっさり了承する。
話したくないと言うよりは、単純に禁止されているのか思い出していた様子だ。
本人の感覚ではあまり重要な話じゃない……と、言う事なのだろうか。
……だが、彼女の話す言葉は想定以上に重いものだった。
「姉妹がいるかって話だけど、たぶんいると思うよ? ボクは出荷された時に記憶消されてるから、そのアルティナって子が姉なのか妹なのかは断定できないけどね~」
出荷。
ミリアムは自身の事をまるで物のようにそう言ったのだ。
「……出荷、とは?」
「まあほら、ボクってホムンクルスだから。──って言ってなかったっけ?」
「1度も」
「そっかー」
この少女、日常会話のような口調で唐突に、とんでもない新情報をぶっ放してきた。
(ホムンクルス……。確か、中世の錬金術師が作ったという人造人間の事だったか?)
要するにミリアムは誰かによって製造され、文字通りの商品として出荷された存在らしい。
オライオンとはそんな商品たちが名乗る姓であり、彼女らが幼い容姿でありながら高度な技術を身につけている理由でもある、と。
確かに、クレアが複雑な身の上と語るのも納得の情報だ。
しかし、色々な意味で物議を醸しそうな事実を前にして、ライはそれほどの衝撃を感じなかった。
理由は恐らく、似たような情報を旧校舎で耳にしていたからだろう。
(人造人間、か……)
偶然か、ライはバイオノイドと言う技術を耳にしていた。
確かバイオニクスとアンドロイド技術を組み合わせたものだったか。
万能細胞から人を生み出す技術があるのだから、身近に似た事例があったとしても不思議じゃない。
ライはミリアムの来歴に対し、そう結論づける。
「あっ、そだ!」
──と、その時。
唐突にミリアムの明るい声が室内に響いた。
「どうした?」
「そのアルティナって子がボクの妹なのか、それともお姉ちゃんなのかって話なんだけど、1つ確認するいい方法を思いついたんだ」
ミリアム本人の身の上は分かったが、アルティナも同様の事情かは分からない。
その問題を解決する妙案を彼女は思いついたとの事。その案とは、
「もしその子にまた会ったら僕の識別名を伝えてみて。──形式番号Oz73、そういったら分かる筈だから」
自らの商品としての名を伝えるものだった。
◆◆◆
「──Oz73、ですか」
ライの言葉を静聴していたアルティナが、ようやく声を発する。
「分かるか?」
「ええ。私はOz74ですので、そのミリアムという方とは1個違いになりますね。……姉と呼ぶのは断固として拒否しますが」
1個違いのOz74……、つまりはミリアムの次に製造されたホムンクルスと言う事なのだろう。
「私たちが造られた存在という事に拒否感がありますか?」
「いや、それはない。むしろその技術に欠陥がないか気がかりだ」
「欠陥、ですか……」
「寿命が短かったりだとか、そう言ったリスクを抱えてたりはしないのか?」
アルティナに対して技術的な質問をするライ。
脳裏に浮かぶのは、あの異世界で聞いたバイオノイドに関する情報だ。
”人工的な手が加えられている為か、耐用年数、つまり寿命に課題が残されているようですね”
旧校舎の異界で聞いた技術では寿命が人より短いと言う問題があったらしい。
アルティナ達に使われている技術が同じとは限らないが、何らかの問題を抱えていたりはするのだろうか。
ライはそんな漠然とした懸念を拭えずにいた。
一方、そんな質問を受けたアルティナは視線を逸らし、しばらく考え込み始める。
「…………、……私も記憶が消去されているので、技術的な欠陥があるかは分かりません」
「そうか。答えにくい質問をして悪かった」
「お気遣いは不要です。それより今は、私の来歴が確定した事の方が重要かと」
やや強引に話を戻すアルティナ。
あまり続けたくない話題なのだろうか。
まあ、自身の寿命はかなりセンシティブな内容だ。彼女の要望通り、話題を元に戻した方が良いだろう。
(アルティナの来歴はホムンクルス……。ミリアムと同じ場所に引き渡されたとは限らないが、判明した事もある)
「……君はミリアム同様のスペシャリストだ。それが通商会議の時期に現地へ赴いた理由として、観光である可能性は──」
「まあ、言うまでもなく0に近いかと。──ですが、そこまで言うのなら、私がここに来た目的も推測できるのではないですか?」
まるで探偵に証拠を求める犯人の様な返しをしてくるアルティナ。
それを聞きたかったのだが……と、答えるのは簡単だが、何故だかライはこの会話を続けたいような気分になっていた。
(それに、ヒントもくれたしな……)
推測できるのでは?と言ったのならば、少なくとも彼女にとって推測できるだけの情報は渡したという認識なのだろう。
つまり、ライの状況と全く関係ない理由によってクロスベルに来た訳ではないという事だ。
それだけ分かればある程度範囲を絞る事ができる。
「そろそろ答えは出ましたか?」
「可能性の話でよければ」
「それで充分です」
審判役のアルティナから許可を貰い、ライは脳裏に浮かんだ仮説を言葉にする。
「目的は、俺の監視……じゃないか?」
ライが推測したのは自身の監視だった。
これはクロスベルに来る前からいるだろうと考えられていた役割だ。
通商会議におけるシャドウ襲撃の危険性。帝都での騒動でも証明したペルソナ使いの戦略的重要性。
それらを加味して考えれば、ライが1人で誰の監視も受けずに動くことは出来ないだろうと、サラはそう言っていた。
「改めて考えれば、先の趣味に関する反応も不自然だ。俺の事情に詳しくなかったら、チェンジと合体の意味は分からなかったんじゃないか?」
「……まあ、そうですね」
肯定するアルティナ。
恐らく彼女の背後にいる組織からペルソナに関する情報を得ていたのだろう。
そうでなければ、ライが持つペルソナ合体とペルソナチェンジについて思い当たる可能性はない。
そこも含め、彼女がライに開示した情報なのだろう。
ライはそんな推測も重ねつつ、自身の監視役であるアルティナに問いかける。
「君の背後組織は?」
「済みませんが、私にそれを答える権限はありません」
素直に考えればライをクロスベルに行くよう促した帝国正規軍だが、逆にペルソナ使いを敵視するテロリスト側の可能性も高い。
いや、他にも帝都の事件でペルソナを知った何らかの組織が送り込んだと言う線もあるか。
何にせよ、アルティナの立場を探るのは難しそうだ。
「…………ごちそうさまでした」
唐突に、考え込んでいたライの耳にそんな言葉が届く。
いつの間にかアルティナはカップケーキを食べていたらしい。
彼女の前に置かれていた皿とカップは空になっていた。
「では、私は監視任務に戻りますので、これで失礼します。今の情報でカップケーキの対価にはなったでしょうか」
「ああ」
「それは良かったです」
アルティナは監視対象にぺこりと頭を下げて席を立つ。
思えばこの構図も奇妙なものだ。
今まで影すら見せなかった凄腕の監視役が、突如として監視対象に接触してきたのだから。
(もしかして、パンの匂いに誘われたのか?)
自然と足が運ばれるくらいに香ばしい匂いが漂っていたからなぁ。と、ある意味失礼な想像をするライ。
そんな彼の内心を察してか、歩き出したアルティナが足を止め、自身の有能性をアピールするが如く最後の言葉を残す。
「……そうでした。あなた方が探していたクロスベル警備隊の者達ですが、あの服装は偽物ではありませんでしたよ」
「警備隊が、偽物じゃない?」
「そこから先はご自身でお考えください。それでは」
ライに有用な情報を伝えたアルティナは、無表情の中にフフンと満足げな色を浮かべ、そのまま通りの角へと消えていった。
残されたのは、1人でテラス席に座るライと、まだ温かさの残るパンとコーヒー。
向かい席の皿がなければ、もう1人ここにいたなど誰も思わない事だろう。
とりあえず皿に残された自分の食事に手を伸ばしつつ、ライは先ほどまでいた少女の姿を思い返す。
(……結局、今回も助けてくれたな)
身の上は分かったけれど、依然として謎の多い少女。
彼女の事を考えながら食べた食事は、どこか懐かしい味がした。
◆◆◆
──
────
ライの元から離れたアルティナは、黒い傀儡に乗ってビルの屋上に降り立った。
髪飾りで纏めた銀髪を撫でる高所の風。
遥か下方ではパンを無表情でパンを食べてるであろう青年の背中が見える。
アルティナはその姿を視界に収めると、手すりにぴょんと腰かけた。
「ふぅ……、それにしても、また、寿命について聞いてくるなんて……」
彼女が思い浮かべていたのは先ほどライから受けた質問の内容だった。
ホムンクルスの技術で寿命に問題がないかと言う質問。彼にとっては何気ない疑問だったのかも知れないが、アルティナにとってはとある可能性を示すものだったのだ。
「全てなくなってしまった訳ではないのでしょうか。……だとしたら、私は──…………」
遠い目をするアルティナは、何気なく懐にしまっていたカップケーキを取り出す。
あの場で食べきるのがもったいないと感じたからか、こうして密かに持ち出していたのだ。
甘い香りのするケーキを小さな口元へと運ぶ少女。
美味しかった筈のその菓子は、どこか悲しい味がするのだった……。