心が織りなす仮面の軌跡(閃の軌跡×ペルソナ)   作:十束

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93話「クロスベル観光」

 ――ピアノの音が聞こえる。

 

 深いまどろみの中にいたライは、気がつくと青い内装1の列車内、即ちベルベットルームの椅子に座っていた。

 眼前には定位置に座るひょろりとした老人イゴール。

 やや久方ぶりとなるが、夢を介して彼に招待されたのだろう。

 

「これはこれは……、かの島に続きまた1つ、大きな試練を乗り越えられたようですな……」

 

 肘をついて座るイゴールは、まるで全てを見て来たかの如く先の戦いについて言及する。

 

「お客人が求めたものは過去へと続く手がかり。ですが、結果として得られたものは未来の情報とは……。これも因果でございましょうか」

 

 ……未来の情報。

 そう言えば時を繰り返すキーアもまた、ワイルドの能力者だった。

 イゴールは彼女の事を知っているのだろうか。

 

「ええ、存じておりますとも。彼女もまた我がベルベットルームのお客人……。最も、あなた様が列車が如き突き進む運命を背負うのと同じように、彼女もまた、時の迷宮に惑いし運命に捕らわれし御方。各々異なる物語を紡いでいる以上、このベルベットルームで出会うのは難しいでしょうな」

 

 つまり、キーアにはキーアのベルベットルームが存在しており、イゴールは彼女の手助けをしていると言う事なのだろう。

 何故彼女の事を知らせなかったのかとか、そんな野暮な事を聞くつもりはない。

 彼は客人の手助けをする存在。占いなどで道を示しはするものの、あくまで考え動くのはライ自身でしかないのだから。

 

「……この度、あなた様をお呼びしたのは他でもない。新たなる地にて得た因果により、このベルベットルームに僅かばかりの変化が起きたのでございます」

 

 そう言って、イゴールは細長い腕を宙にかざす。

 するとベルベットルームの空中に突如変化が起こり、どこからともなく現れた輝く紙切れが、空中を踊る様に舞い始めた。

 

 風のない車両内で動き回る紙は、やがてライの眼前にて静止する。

 紙に書かれていたのは日本語で書かれた文章だ。

 筆跡に見覚えがある。この紙は、異世界で度々見かける葵莉子の日記か。

 

「これは、あなた様の奥深くに眠っていたもの……。しかし、全てを失ってもなお残されている物があったとは。恐らくは、かつてのお客人にとって特別な意味を持つものだったのでしょうな」

 

 記憶を失う前のライ。

 神を討伐しようとしていたと思われるその人物にとって、特別な意味を持つ記録、か。

 

 ライはおもむろに浮かぶ紙へと手を伸ばす。

 触れる指先。その刹那、白い光がライの意識を飲み込んだ。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ――巌戸台港区。

 木枯らしが吹きすさぶ秋の昼下がり。

 私服を着た頼城はただ1人、葵の家へと続く道を歩いていた。

 

「…………」

 

 頼城は無表情と言う名の仮面を下で、近頃の葵について考える。

 

 以前、文化祭の練習で訪れた際に白鐘直斗から聞かされた事件の容疑者、葵希人。

 彼女自身も覚悟をもって聞いたとは言え、唯一の肉親が疑われているなんて平気な訳がない。

 現に学校で会った際の葵は「まだ連絡がつかないんだよね!」と普段通りを装ってはいたものの、それが空元気である事は頼城たちの目から見て明らかだった。

 

 最初、彼女に事情を明かすと決めたのは、他ならぬ頼城自身だ。

 本人からすれば余計なお世話なのだろうが、責任を感じずにはいられない。

 

(今は俺のやり方でフォローするしかない、か)

 

 頼城は大きな豪邸の敷地に足を踏み入れ、玄関の隣にあるインターホンを押す。

 ピンポーンと無機質な音が鳴り響き、しばしの静寂。やがてスピーカーの向こうから少女の声が聞こえて来た。

 

『……はい。葵……です…………』

 

 普段の彼女からは想像もつかない程に暗い声だ。

 

 これも気分が落ち込んでいる影響か。

 いや、そもそもこっちが本来で、自分達と会っている時の方が特別だったのか。

 頼城は答えのない自問をしつつも、葵の声に答える。

 

「俺だ。約束通り、料理を習いに来た」

『――えっ? あ、そう……だっけ?』

 

 事前にやり取りしていた筈が、彼女はすっかり忘れていたらしい。

 

「都合が悪かったら出直す」

『うん……あっ、ううん。だい……じょぶ、だと思う…………』

「そうか」

 

 家主の許可を貰った頼城は、重い正面玄関の扉を開ける。

 

 中にいたのは外向きの準備を全くしていない1人の少女だった。

 だぼだぼの部屋着を身に纏い、長い髪も荒れ放題。

 表情の半分は隠れてしまっており、最初に断ったのも納得の状態……いやむしろ、良く考え直してくれたなとすら思える姿だった。

 

「あ、入って?」

「……ああ」

 

 葵に促されるまま玄関に入り、外靴を脱ぐ頼城。

 以前と同じ家具の配置。床のカーペットも、天井からぶら下がる照明も変わらない。

 けれど頼城は、何か致命的な変化が起きているように思えてならなかった。

 

(リコ……なのか?)

 

 今までと大きく印象が異なる彼女を見て、頼城は思わずそんな感想を抱いてしまう。

 

 だがしかし、頼城はそこまで彼女の事を知っているかと言われると、顔を縦に振る事は難しい。

 人は様々な人格――仮面を無意識に付け替えながら生きている。

 今の葵は単に、突然訪れた事によって、別のペルソナを付けたまま変えられずにいるのだろう。

 

 頼城は自身の違和感にそう結論を付けて、俯いて前を歩く葵についていった。

 

 

 ――

 ――――

 

 

 広々としたキッチンにたどり着いた2人は、沈黙を保ったまま料理の準備を進めていく。

 

 頼城の存在が気になるのか、時折ちらりと頼城の方に視線を向けて来る葵。

 やはりと言うか、今の姿で他人と行動を共にするのは気恥ずかしいのだろうか。

 

「……あ、あの、ごめんね。私、気の利いた話、できなくて…………」

 

 ――と、頼城は考えていたのだが、どうやら違ったらしい。

 葵はこの沈黙を自分のせいと受け止めている様子だ。

 

(そう言えば、2人だけでいる機会は珍しかった、か……?)

 

 今まで頼城はあまり気にしなかったが、ムードメーカーな友原やシャドウワーカーの面々が傍にいた事が多いのは事実だ。

 彼女は彼らの代わりを努めようと意識しすぎてしまったのだろうか。

 頼城は僅かな時間でそう考察し、即座にフォローの言葉を口にした。

 

「別に、気の利いた話をしなきゃいけない訳じゃない」

「……でも私、いつも言葉が裏目に出ちゃってて」

 

 まあ、それは否定しないが。

 

「それだってリコの個性だ。下手に着飾る必要はない」

「え、えと……」

 

 キッチンの上にまな板と包丁を並べつつ、さも当然の様にそんな戯言を宣う頼城。

 一方で挙動不審な葵はオロオロと困惑するばかり。

 

 今の言葉が本心か、それとも建前なのか迷っているのだろうか。

 

「リコが口下手だって裏目に出たって関係ない。気遣いとか考えるな」

「…………」

「だってリコは俺の友人で……料理の師匠、だろ?」

 

 無表情のまま、頼城は食材を葵の手にそっと置く。

 目を丸くして野菜に視線を降ろす葵。暫くカチカチと時計の音が流れた後、彼女は表情をグッと決意に満ちたものへと変えた。

 

「…………うん、分かった。ご近所さんに現代の錬金術と呼ばれた葵家流の調理術……、レシピを見ても手が勝手に動くくらい、みっちり教えてあげるから……!」

「頼もしいな」

 

 まだ同じとは言い難いが、今までの葵に近い光が瞳に戻ったようだ。

 葵との仲が、また少し深まった気がした。

 

 

 ……

 …………

 

 

 ……これは何気ない日常の1ページ。

 大切な事は、いつも後になってから気づくものだ。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ――暖かな毛布の感触。

 まどろみの中から覚醒したライは、天井から吊るされている東方風の照明を見て、自身が眠りから目覚めた事を理解する。

 

 ここはクロスベル東通りにある宿酒場、龍老飯店。

 東方風――ライの知識で言うならば中華風の意匠で彩られたこの店は、大きな東方料理の食堂に隣接して、泊まる事の出来る部屋が用意されている。

 通商会議までクロスベルに滞在する事を決めたライは、退院後にとりあえず宿泊できる場所を探し、この場所に辿り着いたのだった。

 

(中華風の部屋。新鮮な感覚と言うべきか、懐かしいと言うべきか……)

 

 丸い窓に赤を基調とした室内は、恐らく日本という国が故郷であるライにとっては真新しい空間だ。

 しかし、入り口の上に飾られた額縁の《美食三昧⦆と漢字で書かれた文字は、日記に書かれた言語に近くて親近感を感じざるを得ない。

 

(最も、暴飲暴食はどうかと思うが)

 

 身支度して食堂にたどり着いたライは、そこにデカデカと掲げられた文字《暴飲暴食》を見て目を細めた。

 

 この食堂は見た目通り東方料理を専門に扱うところらしい。

 僅かに感じる油っぽい香り。今はまだ店の開店時間には早いのだが、料理人の人達は既に料理の仕込みを始めているようだ。

 そんな彼らと共にいる龍老飯店の看板娘が、部屋から出て来るライに気づき、パタパタと駆け寄って来た。

 

「おはよう、お客さん! 朝はここで食べてく?」

「おススメを1つ」

「なら炒飯ね! パパ~! 炒飯1人前、注文入ったよ~!」

 

 厨房の奥から「分かったよ! 少々待つよろし!」という癖のある返事が聞こえてきてから約10分。

 香ばしい湯気が立ち昇る炒飯が、正方形のクロスが敷かれたテーブルの上に置かれた。

 

 ぱらぱらとした黄金色の米をスプーンで口元へと運ぶと、口の中が油と香辛料のうま味で満たされる。

 お勧めというのも納得の美味。エレボニア帝国では味わう事の難しい中華料理、いや東方料理を一通り堪能したライの元に、再び看板娘の少女が歩み寄って来た。

 

「お客さん、これから特務支援課に行くんだよね?」

「ええ」

 

 ライの返事を聞いた看板娘は、後ろ手に持っていた包みを前に出す。

 

「それは?」

「お詫びの点心だよ。この前パパが特務支援課の皆を弟子入りの料理人と勘違いしちゃったみたいでね。よかったらだけど、これを持ってってくれない?」

「……ええ、構いませんが」

「ありがとう! お客さんも食べて良いからね!」

 

 看板娘はライの承諾を得るや否や、テーブルの隅に円柱型の包みをドスンと置いた。

 サイズから見て特務支援課の全員分、キーアも含めて量は十分にありそうだ。

 

(一般市民から物を受け取っても良いのだろうか……)

 

 ライは包みに対してそんな疑問を覚える。

 公務員が品を貰うのは賄賂に当たるのではないだろうか、という違和感。

 しかし、看板娘や料理人が何の疑問も覚えていない様子を見るに、クロスベルに賄賂罪の法律はないのかも知れない。

 

 むしろこれは、特務支援課と一般市民の近さを示すものと考えた方が良いか。

 ライはそう結論付け、ズシリと重い包みを手に、龍老飯店の店を後にするのだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ――クロスベル自治州、中央広場。

 赤を基調とした東通りを抜けたライは、朝の通勤で賑わう円形の広場に辿り着く。

 彼らが広場の周囲にある複合デパートやレストランへと足を運ぶ中、ライはすれ違うようにして階段を降り、特務支援課のビルへと向かった。

 

 行き止まりに位置する4階建ての古い建造物。

 その正面玄関を開けようとしたライの耳に、ランディの叫び声が飛び込んでくる。

 

「だ・か・ら! ライを連れてくならカジノに決まってんだろ!」

「……ランディさん。未成年をどこに連れて行こうとしてるんですか」

 

 次いでティオの呆れ声。

 

「ティオすけだってあいつの常人離れした直感とセンスは見ただろ? あーいった人種が賭け事をするとよ……でけぇのを当てるんだよ。なぁワジ?」

「フフ、ノーコメントで」

「はぁ……、それって要するに物欲じゃないですか。覚えてるんですか? 今回の案内は彼にクロスベルの魅力を伝える事ですよ?」

「いやでもティオすけの提案もどうかと思うぞ? 保養地のミシュラムに行ったって、クロスベルの事なんて分かんねぇだろ」

「でもミシュラムにはあの《みっしぃ》がいるんですよ! 魅力を伝えたいのなら、これ以上の適任はいないと思います!」

 

 どうやら彼らは白熱した会議の真っ最中らしい。

 音もなく扉を開けたライは、何気なくランディの元へと歩いていく。

 

「ところでみっしぃと言うのは?」

「ああそいつはな。猫っぽいマスコットキャラクターなんだが、鳴き声に妙な味があるって言うか、なんつーか……、――って、おい」

 

 説明を途中で止めたランディが質問者、つまるところライの方を睨みつける。

 そんな彼の手に、ライは片手の包みをぽんと置く。

 

「これは龍老飯店の看板娘から。先日のお詫びだそうです」

「あ、それはどうも。……つーか、またこのやり取りかよ。てめぇ、狙ってやったな?」

「それほどでも」

 

 やれやれと頭をかいて呆れ返るランディ。

 まぁ、それはともかくとして、会議の張本人が現れたとなれば先ほどの会議を続ける事は出来ないだろう。

 部屋の隅で静観していたノエルが、やや恥ずかしそうな様子で歩いて来る。

 

「なんだか見っともない光景を見せてしまいましたね……」

「いえ別に。今の会議は、今日の行き先を決める為のものですか?」

「あ、はい、そうです。皆でどこに行こうか話し合っていたのですが、皆さんそれぞれ別の意見を持っていて、中々これだってプランが決まらなくって……」

「なるほど。因みにシーカーさんは?」

「私ですか? 私のは趣味に走ってしまって言いずらいのですが……中央広場にあるオーバルストア《ゲンテン》です。あそこには最新の導力車や生活用の導力製品、それに導力車の部品なんかが並んでいて、見ていて飽きない場所なんです! ……まぁ、観光向けの場所じゃないとの事で、もう取り下げましたけれども」

 

 導力車に関する言及が2回あった事を鑑みるに、ノエルは導力車の事が好きなのだろうか。

 確かに彼女自身が言っていた通り、導力器専門店(オーパルストア)は観光向けの場所とは言い難い。

 しかし――、

 

(……大切な事は日常の中に、か)

 

 今朝の夢を思い出したライは、そう簡単な基準で切り捨てるべきではないと考える。

 ひとまず一通りの話を聞いてからでも問題ないだろう。ライは他の面々にも意見を聞いて回る事にした。

 

「俺はできる事なら西通りを案内したいな。俺が生まれ育ったアパートの近くなんだけど、美味しいパン屋があるんだ」

 

 ロイドはクロスベル西にあるベッドタウンの西通り。

 

「私の提案はレンゲ畑と蜂蜜で有名なアルモリカ村ね」

 

 エリィはクロスベル市街の東に位置する農村、アルモリカ村。

 

「ミシュラムは通商会議の警備人員を確保するために、近々休業する予定なんです。今を逃したら、みっしぃに会える機会は永遠にないかも知れませんよ」

 

 ティオは一見論理的な説明をしていたものの、みっしぃとやらを推したい感情が隠せていない。

 

「よぅ戦友。大人しく俺の提案に乗っとけや。そうすりゃ、大人の世界って奴を体験させてやるぜ?」

 

 ランディは怪しげな誘惑を行ってきて。

 

「僕は正直どうでも良いんだけどね。……でもまぁ、もし時間があったら、旧市街(ダウンタウン)のバーで1杯おごってあげるよ」

 

 ワジは何やら危険な香りのする場所を紹介され。

 

「そーいえばそろそろ”あれ”があったっけ。――キーアはね! アルカンシェルにいった方がいいと思う!」

 

 そしてキーアは、何やら気になる言葉とともにアルカンシェルを提案して来た。

 

(さて、どうするか)

 

 7つの選択肢が頭に浮かぶライ。

 ゲームの様にセーブなんて便利なものがない以上、選び直しなど不可能だ。

 皆の視線が集中する中、彼はやがて1つの答えに到達する。

 

「……決めました」

「へぇ、それじゃあ、今日の主役に意見を伺おうかな?」

 

 ワジの問いかけに対してライが出した答え。それは――、

 

「無論、全部です」

 

 とてつもなく強欲なものであった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ――クロスベル、歓楽街。

 特務支援課の所有する導力車に乗ったライ達は、煌びやかな建物が立ち並ぶ一角に辿り着く。

 

 ライがここに来るのは、正確にはこれで2回目だ。

 1回目は砂漠の未来。ロイド達の話し曰く、ライが目覚めたのはこの歓楽街だったらしい。

 しかし、全て砂に埋まってしまっていたあの光景とは比べるまでもなく、視界いっぱいに広がる劇場やその隣に建てられたカジノ、更には高そうなホテルまであり、歓楽街との名に違わぬ豪華絢爛なエリアとなっていた。

 

「最初は歓楽街ですか。……ランディさんの甘言に惑わされたとかじゃないですよね?」

「ええ。キーアの言葉が少し気になったもので」

「キーアの?」

 

 どうやらキーアの独り言は他の人に聞こえていなかったらしい。

 ティオは不思議そうな顔で後ろに座るキーアへと顔を向ける。

 

「もしかして、未来のお話ですか?」

「……うん。世界の危機ってほどじゃないんだけど、放っておくとアルカンシェルがちょっとたいへんな事になっちゃって…………」

 

 両手の人差し指を合わせて気まずそうに話すキーア。

 通商会議前という忙しい状況に加え、今日は貴重な時間を使って案内する予定だった為か、キーアは迷惑にならないよう密かにトラブルの種を取り除こうとしたらしい。

 

 まあ、要するにこの幼い少女は、いらぬ気遣いをしてしまったのである。

 そんな事を考えなくてもいいのにと、助手席のロイドは表情を緩めて話を取り纏める。

 

「ともかく、最初に憂いを断っておいた方が良いのは確かかな。ライもそれで良いんだよな?」

「ええ」

 

 直近の方針を決めたライ達は、街の隅に車両を止めて歓楽街の道に足をつける。

 前方に見えるのは豪華な衣装を身に纏った2人の女性が描かれたポスター。大陸中にその名を轟かせているとの噂の劇団、アルカンシェルの劇場へと向かうのであった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ゴシック調の豪勢な建物に入ったライ達の目に飛び込んできたのは、金色に彩られた吹き抜けのロビーだった。

 眩いシャンデリアが周囲を照らし、塵1つない地面には上品なカーペット。

 普段ならば高い倍率のチケットを買わねば入れない別世界だ。

 

「お待ちしておりました。特務支援課の皆様。イリヤさん達は劇場におりますのでどうぞお進みください」

 

 しかし、そこは流石の特務支援課。

 アルカンシェルのスター達とも顔なじみらしく、こうして突然のアポイントメントも喜んで受け入れてくれた。

 支配人と思しき男性に促され、正面の大きな扉を開け放つライ達。

 すると、幻想的な光景が彼らの目に飛び込んできた。

 

「ぁ……」

 

 誰かが発した感嘆の声。

 階段状の観客席、その先にある大きな舞台の上で舞う3人の舞姫達は、まるで重力から解き放たれたかのように空を滑り、流れるようなステップを踏んでいた。

 空を撫でる布を身に纏った彼女らの衣装は肌色が極めて多い。けれど、星々が如き美しさを感じてしまうこの舞は、1つの芸術として完成されていると言って良いだろう。

 

「――っと。リーシャ、シュリ、休憩にしましょう」

 

 そうして劇団のスター達が行う練習風景を眺める特務支援課であったが、踊りを止めた金髪の女性が口にした言葉によって、すぐに練習は中断されてしまった。

 

「え、もう?」

「シュリちゃん。皆さんが到着してますよ」

「……あ、ほんとだ」

 

 どうやらロイド達の到着を察して休憩に入る事にしたらしい。

 トップスターのオーラを身に纏う長身の女性に続き、豊満な肢体を持つにも関わらず影のような雰囲気を纏う黒髪の女性、そしてぶっきらぼうな表情をしたスレンダーな少女。

 彼女らは練習で汗ばんだ衣装のまま、親し気な様子で特務支援課に歩み寄る。

 

「やっほー弟君! 久しぶり――でもないわね。だいたい1週間ぶりかしら。どうしたの? ウチのリーシャに会いたくでもなっちゃった?」

「い、イリアさん!?」

「いやいや! いやいやいや! 俺は別にそんなつもりじゃ――」

 

 必死に弁明する弟君(ロイド)と黒髪の女性リーシャを見て愉しそうに微笑むトップスターのイリア。

 見たところ彼女は2人をからかって楽しんでいるだけのようだ。

 ひとしきり満喫したイリアはロイドから視線を外し、後方で傍観していたライへとその整った双眼を向ける。

 

「それで、この子が噂の協力者君って訳ね」

「ライ・アスガードです。よろしく」

「ふ~ん、なるほど……。顔は整ってるし体つきも良いけど、この雰囲気はエンターテイナーとして致命的かな~」

 

 いつの間にかアーティストとして値踏みされていたらしい。

 劇場の表にポスターが飾られる程の大女優がじろじろと眺め、鋼鉄が如く無表情な青年が堂々と佇んでいる。

 そんな様子を隣のリーシャは奇妙に感じつつも、話が先に進まないと割り込む。

 

「イリアさん、おふざけはそのくらいで……。ほ、ほら、まだ挨拶もまだですし」

「フフ、まあそうね。説明する必要はないかもだけど、あたしはイリア・プラティエ。特務支援課、特に弟君とは”とある縁”でヨロシクさせて貰ってるわ」

「私はリーシャ・マオと言います。イリアさん達と同じくアルカンシェルの劇団員です。それで、こちらの子が――」

「…………フン」

「――シュリちゃん?」

 

 リーシャがどことなくボーイッシュな見た目の少女シュリにバトンを渡そうとしたものの、シュリはツンと横を向いたまま話そうとしない。

 静まり返る劇場内。居たたまれなくなったのか、シュリは小声でリーシャに釈明をし始める。

 

「……だってさ、リーシャ姉。あいつすっごく嫌な感じするんだよ?」

「あは、は……。でもシュリちゃん、基本の礼儀ですし」

「わ、わかったよ……」

 

 リーシャに諭され、嫌々ながらもライの前に歩いて来るシュリ。

 

「……ども、シュリ・アトレイド……です」

 

 彼女はぼそっと自己紹介を済ませると、そそくさとリーシャの後ろに隠れてしまう。

 

 気まずそうにちらちらとこちらを覗き見するシュリ。

 まあ、何時もの流れだ。ここは話題を変えた方が良いだろう。

 ライは視線を横にずらすと、察してくれたロイドが軽くうなずき、1歩前に出てイリア達に話しかけた。

 

「ところで今の踊りは初めて見ましたが、新しい演目ですか?」

「ええそうなのよ! 西から面白い脚本が届いてね。《雪の女王》って言う演目なんだけど、せっかくだからシュリのデビュー作にしようと思って」

「シュリのデビュー作……」

「なんだよ。文句でもあるってのか?」

「い、いや、そういう訳じゃ……」

 

 シュリに詰められるロイドを他所に、ライは隣にいたキーアへと目くばせをする。

 このタイミングで練習し始めた新しい演目。もしかして、これがキーアの言うトラブルの種なのだろうか。そんな疑問に対し、キーアは顔をぶんぶんと縦に振る事で肯定する。

 

(なら、もう少し話を聞いた方が良さそうだ)

 

 そう考えたライは、無用な混乱を生まぬよう単純な興味を装って問いかける事にした。

 

「それで、雪の女王と言うのは? 確か、童話に同じ題名があったと記憶してますが」

「あら知ってたのね。――そう。元はどこかの国の童話みたいなんだけど、今回の劇には1つ特徴があってね。劇中に登場する雪の女王は特別な仮面を被って踊る演出があるの」

「特別な仮面……。良ければ見せて貰っても?」

「済みませんが、あれは割と貴重な品でして「別にいいわよ?」――イリアさん!?」

 

 断ろうとするリーシャの言葉を遮ってイリアが許可を出す。

 リーシャは慌てふためいているがイリアはそんな事を気にも留めず、「だいじょーぶだいじょーぶ」と手をひらひらとさせて劇団の衣装部屋へと歩き出す。

 

「まったくもう……」

「リーシャ姉、どんまい」

 

 アーティスト気質とでも言うのだろうか。

 振り回されるリーシャはやや不憫に感じつつも、今はイリアの判断に助けられた形となるロイド達は苦笑いを浮かべるしかない。

 

 かくして、シュリに慰められるリーシャに続いて、特務支援課もその後をついていくのだった。 

 

 

 ……

 …………

 

 

 ――アルカンシェル、衣装部屋。

 何十着もの衣装が所狭しとかけられたこの部屋は何も保管をする為だけの場所ではない。

 部屋の奥にはいくつものロッカーが立ち並び、その手前には視線を隠すカーテンの仕切り。つまりここは演者達が着替える更衣室でもある訳だ。

 

「えっと、どこに置いてたっけ」

「イリアさん。私も探すの手伝います」

「ったく、しゃーないなぁ」

 

 どうやら噂の仮面はこの部屋の中にあるようだ。

 3人の舞姫が揃って室内に入っていき、ライ達だけが扉の前に残された。

 今なら未来の話をしても問題ないだろう。

 

「キーア、トラブルの原因は仮面なのか?」

「う、うん。詳しくはキーアもわからないけど、仮面をかぶったらアルカンシェルが全部こおりついちゃうの」

「……文字通りの氷の女王ってか。確かに穏やかな状況じゃねぇな。キー坊、何か他に情報はないのか?」

「うぅ……、こめんなさい」

「仕方ないわ。未来の記憶があると言っても全部が全部知ってる訳じゃないんだから。今は何とか説得して仮面を回収する事を考えましょう」

「ですね」

 

 呪いなのか何なのかは不明だが、仮面を被る行為が起点であるのなら防げば良いだけの話だ。

 

 問題はどう説明したら納得してもらえるか。

 それについて話し合いを進めるロイド達であったのだが、その計画は即座にとん挫する事となる。

 

「そんなっ!?」

 

 扉越しに響くリーシャの叫び声。

 何か異変でも起こったのか?

 真っ先に反応したロイドが急ぎ扉を開け放つ。

 

「どうしたんだ!? リーシャ!」

「あ、ロイドさん……」

 

 リーシャ達は衣装部屋の奥、荷物が積み重ねて置かれている場所に固まって立っていた。

 見たところ彼女らは1つの厳重な箱を取り囲んでいるようだ。

 

 困惑したリーシャの隙間から覗く箱は開き、中にはスペースの空いた布のクッションだけが入っている。

 空いたスペースの形状はまるで顔のような形。

 しかし、入っていたであろう何かは何処にも見当たらない。

 ――ここまで来たらもう分かるだろう。

 

「まさかその箱って――」

「……見りゃわかるだろ。盗まれちまったんだよ。大事な仮面が」

 

 そう、シュリのデビュー作で使う予定の貴重品。

 そして劇場を凍り付けてしまう恐れのある危険物。

 色んな意味で決して見逃す事の出来ないアイテムが、忽然とその姿を消していたのだ。

 

 クロスベルの観光をする筈だったこの日は、思いもよらぬ方向へと進み始めていた……。

 

 

 




雪の女王(女神異聞録ペルソナ)
 ハンス・クリスチャン・アンデルセンが書いた童話であり、雪の女王に連れ去られた友を助けるために旅立つ少女ゲルダの物語。とある世界の地方都市にて、この童話の演劇が事件を引き起こした。

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