紆余曲折を経て、クロスベルに潜む神ヌース=アレーテイアに致命傷を与える事に成功したライ達は、息を整えながら神の最後を看取る。
崩壊を始めた純白の神体。
男性的な側面ヌースが燃え尽きる中、女性的な側面アレーテイアの崩壊は緩やかなものであった。
『我は感嘆する。小さき子らが、か細い勝利の糸を手繰り寄せた事実を。汝らは見事、我らが試練を乗り越えたのだ』
アレーテイアは自身の消滅には意を介さず、神としてライ達の健闘を称える。
「潔いんだな」
『我らが本質は《無》である。死は生と共にある1要素に過ぎず、この体は不完全な依代に他ならない。我が内にあるのは、汝らに対する称賛のみである』
人にとって絶対の死も、彼らにとっては1つの形態に過ぎないらしい。
思えばロゴス=ゾーエーも似たような事を言っていた。
話を聞けば聞くほど本質的に概念の異なる存在なのだと、ライは思わざるを得なかった。
『故にこそ我は伝えよう』
「伝えるって、何をですか?」
『汝らは静かに耳を傾けよ。これは、真理を司るものより、汝らに授ける予言である……』
炎に包まれたアレーテイアは学者のローブを広げてライ達に告げる。
『フィンブルの冬、終わりの冬、黄昏の時は訪れる』
『この地は既に巨悪の盤上。破滅は人々の言葉より生まれ、この大地より、全ての生命は消えうせるだろう』
『秩序、混沌、そして第三の道ですら例外ではなく。いかなる道を進もうと、いかなる奇跡を産もうとも、終末から逃れる術はない』
『……心せよ。この地は既に巨悪の盤上。全ての行いは、嘲笑の声に呑まれるだろう』
真理を司るものからの予言。
それは一重に、ライ達の未来が絶対に破滅すると断言するものだった。
その意図を読み取ったロイドは、神に反論する。
「本当にそれは避けられないものなのか? 今回みたいに皆の力を合わせれば、きっと新しい未来だって……!」
『汝らは力を示した。だが、巨悪は万物を嘲笑する。絆の力も、奴にとっては《自らの限界から目を逸らす愚かな行い》に過ぎない』
「一体何なんだ、その巨悪ってのは」
『巨悪とは、かの世界より来訪した悪意である。巨悪とは、人類が生み出した破滅の試練である。その名を──』
巨悪の名を呟こうとしたその瞬間、空を切る音が世界を満たす。
どこからともなく現れた何本もの黒い影。
それが、神の身体をあらゆる方向から串刺しにしたのだ。
『──ッッ…………、……まだ、その名を明かす事は……許さぬか…………』
崩壊が早まるアレーテイアの身体。
唐突に表れた謎の攻撃を目にしたランディ達は、慌てて武器を構え、周囲を見渡す。
「どこだ! 今、どこから攻撃が来やがった!!」
「分かりません! 周囲に生命反応なし。周りには炎しかないのに、何で……!?」
炎の向こうから何処からともなく現れた無数の棘。
今まで影も形もなかった筈の脅威を前に、焦りを隠せないティオ達。
だが、結局何の情報を掴む事も出来ず、棘は黒い靄となって消え始めた。
強度を失い形を崩す影の棘。
その形を凝視していたライは、ある可能性に気がつく。
(あの棘、もしかして触手、なのか……?)
消えるほんの一瞬。
真っ黒な棘はまるで海洋生物の触手が如くのたうち回っていた。
その意味は分からない。けど、ライはその冒涜的な光景を脳裏に焼き付ける。
『…………最後に、道標を残そう』
一方、妨害を受けた神は消滅までの僅かな時間を使って、ライ達に語り掛けつづけた。
『9月の終わり。ここより西の大国にて、巨悪の種が芽吹こうとしている……』
試練を乗り越えた者達への報酬として。
アレーテイアは最後の言葉を告げる。
『噂を辿れ……。全ての因果は、そこに……ある…………』
白い光となって形がなくなる巨大な神。
残されたのは痕跡となる玉座と、炎が燃え盛る混沌のクロスベルだけとなった。
「……反応、消失しました」
導力杖を構えて周囲の索敵を行うティオ。
先ほどの棘が攻めて来る予兆もない。ロイド達は周りの廃墟に警戒を続けたまま、今の遺言について言葉を交わす。
「ロイド。さっきの言葉って、エレボニア帝国の事よね?」
「そうだな。──ライ、噂について何か心当たりはあるか?」
「ええ。それなら、1つだ、け…………」
ライはロイドの問いに答えようとした。
けれど、口が途中から動かなくなり、吐く息は声にならず消えていく。
(……なん、だ? 身体が、動かな…………)
2重にぶれる視界。ロイド達が何か叫んでいるが聞こえない。
急速に遠くなる意識の中、ライは足の力も失って地面に倒れる。
ぼんやりとした地面と、炎の廃墟。虚ろな瞳でそんな光景を見たライは、次第にまぶたも閉じていって……。
……暗転。
◆◆◆
────
──暖かな太陽の日差しが、まぶたを通して視界に降り注ぐ。
意識を取り戻したライが初めに感じたのは、爆炎の未来では失われた筈のぬくもりだった。
鉛のように重たい右手に力を籠め、手の平で目にかかる日差しを遮る。
そうして目を開けたライの視界に入って来たのは、隅に置かれた観葉植物と、真っ白なタイルの壁だった。
「ここは、病院……?」
ライは体の上に乗っていた毛布を手にして、そう呟く。
備え付けの固めな枕。壁に立てかけられた緊急用の通信端末。
窓の外に見える光景は、深い緑の自然に囲まれた広大な敷地だ。その先に見える湖を見る限りクロスベルの近くではあるだろうが、草木の多さから察するに、郊外に建てられた大病院っと言ったところだろうか。
(爆炎の未来で倒れた後の記憶がない。その後、ここに運ばれたのか?)
より詳細な情報を集める為、ライはベッドの上で上半身を持ち上げる。
恐らくは数日寝ていたのだろう。体が思う様に動かない。……のだが、ライは特に気にする事もなく、ペルソナで身体強化をして立ち上がり、平然とした様子で病室の入り口方向へと歩き出す。
「あっ! 駄目ですよ! 起きてすぐに動いたら!」
「はい」
そして案の定、タイミング良く入室した看護師の女性によって止められてしまうのだった。
……
…………
ライの行動を抑えた看護師の名はセシル・ノイエスと言うらしい。
茶髪のウェーブヘアーを整えた彼女は見たところ20代前半くらいだが、ナース服の着こなしには貫禄があり、年齢以上の経験を積んでいそうな雰囲気を漂わせている。
そんな彼女ならライの質問に答えてくれるかも知れない。
ベットの上でそう考えるライの元へ、セシルは病院食を乗せたトレイを持ってきた。
「もし食欲がありましたら、この食事をゆっくりと食べてくださいね」
「ゆっくりと?」
「かれこれ4日間眠っていたんです。胃腸も弱まってますから、急いで食べると体調を崩してしまいますよ」
セシルの言葉を受けたライは、自身の腕に残された注射跡に視線を向ける。
恐らく静脈に直接栄養を入れていたのだろう。
ライの認識では爆炎の未来から地続きだったものの、実際はそれだけの時間が経っていたと言う事か。
ならば猶更、情報を聞かねばならないと、ライはスプーンを置いてセシルに問いかけた。
「クロスベルに来たばかりでして、この場所を含め、一通りの情報をお聞きしても?」
「まぁ……そうですね。それじゃあ、私が知っている範囲でお話ししますので、ライさんはお食事でもしながらお聞きください」
セシルに促されるまま、ライは流動食をスプーンですくって口元へと運ぶ。
……味がうすい。
が、まあ、体に良いのは確かだろう。
無表情で食べ始めるライを確認したセシルは、安心した様子で説明を始めた。
「ここはクロスベル最大の医療機関である《聖ウルスラ医科大学病院》です。あなたは4日前……8月16日の夜、特務支援課の皆さんに運ばれる形でこの病院に搬送されました」
8月16日は異世界に突入した日付だ。
セシルの話を聞いた限りでは、あの後ロイド達は無事、異世界を脱出できたらしい。
それは喜ばしい情報だと、ライは僅かに口角を緩める。
「それで、俺の症状は?」
「精密検査はしたんですけど、原因の特定までは至りませんでした。──あ、でも、ロイドにその話をしたとき、一緒にいたあの子が心配ないって言ってたのよね。何か知っていたのかしら……?」
ライに対する説明の後、気がかりな記憶を思い出したセシルが独り言を漏らす。
あの子とは、恐らくキーアの事だろう。
確かに彼女なら何か知っている可能性は高い。
何とかして話を聞けないものか。
そう考えるライに向けて、セシルはとある提案をした。
「お話を聞きたいなら、私がロイドに取り次ぎましょうか?」
「ノイエスさんが?」
「ええ。何せロイドは私の可愛い弟……みたいなものですから」
僅かな憂いを覗かせるセシル。
彼女の視線は遥か遠く、クロスベル警察の方向を向いていた。
◇◇◇
──セシルが病室を後にして暫しの時が経ち、太陽が傾き始めた頃。
本を読んで時間を潰していたライの耳に、ふと、壁越しの話し声が聞こえて来た。
「遅くなってごめん、セシル姉」
「いえいえ。忙しい中で来てくれてありがとう、ロイド。そして特務支援課の皆さん」
「私達だって彼に話を聞きたかったものですから。それより、起きた彼の様子はどうでしたか?」
「う~ん、そうねぇ。寝たきりだったのがウソみたいに平然としてたわ。ああいうのがポーカーフェイスって言うのかしら」
「ははは……。相変わらずみたいっスね」
通路の方向から、こちらに歩いて来る多人数の足音。
足音から人数を割り出す、と言った高等技術は持たないが、今の会話を聞く限りロイド達が到着したのだろう。
パタンと本を閉じるライ。
そのタイミングと合わせて、病室の扉がガチャリと開かれる。
「失礼します」
ロイドが礼儀正しく入室し、続いて他の特務支援課とセシルが入って来る。
共に戦ったエリィ、ティオ、ランディ。
正確には特務支援課ではないキーアの姿は見えないが、代わりに2人、見覚えのない男女の姿がそこにあった。
「は、初めまして! 私はノエル・シーカー。先日、警備隊より特務支援課に出向させていただきました。ライさんのご活躍は、皆さんからお聞きしております!」
ビシッと敬礼して自己紹介する軍服に似た服装のノエル。
年齢はロイドと同じくらいか。まだ学生でも不思議じゃない若さだが、規律正しい姿勢を見るに警備隊の訓練をしっかりと積んだ人物なのだろう。
そんな彼女の元へと歩いていくのは、もう1人の追加メンバー。
中性的な容姿とへそ出しファッションが特徴的の、ミステリアスな雰囲気を纏う青年だ。
「フフ……。いくら相手が帝国政府の関係者だからって、そこまで畏まる必要はないのに」
「へっ!? い、いえ! 別にそんな意図は──」
「冗談だよ」
慌ててノエルは釈明するが、元々単なる冗談だったらしく、青年はそのまま己の自己紹介に移った。
「僕の名はワジ・ヘミスフィア。タイミング悪く大きなイベントに乗り遅れてしまったみたいだけど、ま、よろしく頼むよ」
ワジはそっけないゼスチャーを交えて名前を告げる。
彼らはライが意識を失っていた4日間の間に加わった新メンバーと見て間違いない。
あの戦いに参加しなかったのは幸運だったのか、不幸だったのか。……まぁ、考える意味はないだろう。
(ノエルとワジ……。爆炎の未来で手帳に書かれていた名と同じか)
ライ自身は手帳を見ていないが、特務支援課の会話から察するに、2人が追加メンバーになる事が書かれていたらしい。
その記述をなぞる様に現実となっている様子は、分かっていたとしても気味が悪い状況だ。
「ええ、今後ともよろしく」
ライは複雑な心境を抱えつつ、2人の自己紹介に答えるのだった。
◇◇◇
……
…………
「なるほど。オリヴァルト皇子が噂の調査を……」
新メンバーとの顔合わせを終えたライは、意識を失う寸前に話そうとしていた内容をロイド達に伝えた。
エレボニア帝国内で密かに、出所の分からない噂が広まっている事。
噂がシャドウに影響を与えてノルド高原などで異変が起きている事。
そして、その事実に気づいたオリヴァルトが既に調査を始めている事。
ロイド達がオリヴァルトを知っている様子だったのは想定外だったが、今は説明を省略できるのを素直に喜ぶべきだろう。
「……この件に関して、俺達が手を出すのは難しそうだな」
「そうね。既に動いているみたいだし、巨悪の芽については任せるしかなさそう」
クロスベル自治州に身を置く特務支援課では関与できないと、ロイド達は結論づけた。
「なら、次の話題に移るべきですね! あっ、でもこの話は……」
ノエルは気まずそうな顔でセシルの方を向く。
これから話す内容は、外部の人間がいると不味いものなのだろうか。
セシルもそれを察したらしく、率先して入り口の方へと歩いて行く。
「それじゃ、私は廊下の方で待ってるから、何かあったら呼んでね」
「ありがとう、セシル姉」
礼を言うロイドに対して軽く手を振って、セシルは部屋の外へと出ていった。
静まり返る病室。
周囲の人目を確認したライは、初めに口を開く。
「ご配慮感謝します」
「良いって事よ。俺達だってお前さんの立場をいたずらに悪くしたい訳じゃねぇからな」
帝都での騒動もあって一般人にも広まりつつあるが、ペルソナに関する不要な情報漏洩を禁ずると言う帝国政府のスタンスは今だ変わっていない。別に強制力のある指令ではないが、あまり無視すべき事でもないだろう。
……要するに、これから話す事はペルソナが関わっていると言う事だ。
「まず初めに、ライ、君が意識を失った原因に関して、キーアから言伝を頼まれてる」
「意識不明の原因……ノイエスさんの話では原因不明のようでしたが」
「まあ検査じゃ分からないだろうな。──意識を失った原因は、たぶん実力以上のペルソナを多用したからだ、ってキーアは言ってたよ。ライが使っていたペルソナはなまじ強大だった分、使用した
覚醒時の負荷か……そう言えば、ヘイムダルに覚醒した時も気絶していたなと、ライは数ヵ月前の記憶を思い返す。
それと同じような状況だったのだろう。精密検査では分からない筈だ。
「……それで、ですね。少し言いづらいのですが、高い負荷の影響を受けたものがライさんの他にもう1つあります」
ティオはそう言って、布で包まれた機械をライの前に差し出した。
それは爆炎の未来で手に入れたもう1つのARCUSだ。
しかし、そのカバーは開けられており、内側がどろどろのチーズの様に金属が熔けて固まっていた。
「内部が、融解している?」
「一応修復できないか知り合いの技師に確認してみたのですが、融解した金属のせいで絶望的との事です」
ライは壊れたARCUSを手に取って確かめる。
負荷によって破損したと言うよりは、最後に召喚したペルソナ──スルトの劫火によって焼き尽くされたと考えた方が正しそうだ。
神と対峙した際に感じられた絆は欠片も残っていない。
もう、このARCUSを介して未来の力を得る事は難しいだろう。
(ハイパーモードは期間限定って訳か……)
口惜しいけれど諦めるしかない。
この未来からの手土産は、己が役割を果たし終えたと言う事なのだろう。
無表情のまま感傷に浸るライ。
そんな彼に向け、ワジがある問いかけをする。
「──それで、君はこれからどうするつもりだい?」
彼の疑問は最もだろう。
ライがクロスベルに来た目的はクロスベルに潜む神を倒す事だ。
その目的を達成した以上、本来この魔都に留まる必要はない……のだが。
(帝国政府から提供された帰路は31日の夕方。通商会議でシャドウ襲撃が発生した際の保険として、この日付が設定された可能性がある以上、下手に帰る訳にはいかない、か)
帝国政府が直接協力を依頼してこない事が気がかりだが、このクロスベルがシャドウ事件に襲われる可能性は見逃せない。
出発日を早めた事で他の可能性を探る時間も確保できた。
ならば、ライが取るべき道はただ1つ。
「調べたい事もありますので、通商会議が終わるまではクロスベルにいるつもりです」
通商会議が終わる31日までの約10日間、ここで情報収集に当たる事だ。
「……ふぅん、なるほどね。これはちょっと都合が良すぎる展開かな」
「都合が良い?」
「こっちの話さ。だろ? ボス」
「ワジ、あのなぁ……」
ワジは茶化した様子でロイドの事をボスと呼び、発言の説明を全部ロイドに丸投げする。
代わりに会話の中心となったロイドは、しぶしぶライに1つの提案を切り出した。
「もし、このまま順調に退院できたらだけどさ。良ければ俺達と一緒にクロスベルを見て回らないか?」
意外な提案を受け、ライは無表情のまま面を食らう。
彼らはクロスベルの為に活躍する特務支援課だ。
通商会議の前で忙しいこの時期に、いったい何の動機があってガイド紛いの提案を?
「そう深く考える必要はありませんよ。これはみんなで話し合って決めた事ですから」
その疑問を感じ取ったのだろう。
ティオが補足の説明を付け足した。
「ライさんが見てきたクロスベルは自殺現場を始めとして、砂漠に埋まってたり、爆炎に包まれたり、悲惨なものばかりだったと思います」
「まあ、確かに」
「流石にその認識のまま帝国に帰らせる訳にはいきません。クロスベルは確かに魔都と呼ぶにふさわしい場所ですが、素晴らしい場所だっていっぱいいっぱいあるんです」
クロスベルを守り支援する立場として、神との戦いで協力した関係として、ライがこのままエレボニア帝国に帰ってしまうのは忍びないと考えたのだろうか。
確かにライはクロスベルを知ってるとは言い難い。
思えば先の戦いだって、ライはロイド達と比べれば傍観者的な立ち位置だった。
自身が守った場所を知る事も大切、か。
ライは考えを纏め、答えを口にする。
「分かりました」
かくして、戦いを終えたライは、空いた時間でクロスベル観光と言う名の報酬を得るのだった。