――ピアノの音が聞こえる。
……気がつけば、ライは青い空間に座っていた。
細長い部屋、中央のテーブル。確かここはベルベットルームと言ったか。約3週間ぶりに訪れたこの場所は、まるで時間が止まっているかの様に以前のままの姿だった。変わらないと言えば目の前にいるイゴールも同様である。以前と同じ位置に座り、以前と同じ姿で、以前と同じく口も動かさずに話しかけてくる。
「再びお目にかかりましたな。……どうやら無事にお力に目覚めたご様子。それでこそ我がベルベットルームのお客人だ」
ペルソナについて知っているのか、とライはイゴールに向かって問いかける。
「貴方が手になされたペルソナ能力とは心を制する力。外側の物事と向き合った際に現れるもう1つの人格でございます。……ですが、貴方が手にした力は"ワイルド”。これは他者とは異なる特別なものだ」
イゴールはテーブルの上に1枚のタロットカードを浮かべた。描かれているのは愚者の絵柄。だがイゴールがその上に手をかざすと、絵柄がヘイムダルへと変わった。そう、タロットカードの0に位置する愚者こそがライの持つ力を表しているのである。
「ワイルドとは数字の0の様なものだ。そのままではからっぽに過ぎないが無限の可能性も宿る。……道を開きたくば絆を育むのです。心とは絆によって満ちるもの。絆が貴方を無限の可能性へと導く道筋となりましょう」
絆、それを聞いたライの頭にはVII組の面々の顔が浮かぶ。彼らとの絆は今、崩れかけようとしていた。
「ご心配召されるな。絆とは時に儚く、時に強く結びつくもの。より固く結び直すことも出来ましょう。……選択を誤らぬ事だ。さすれば望む未来へと運んでくれるやも知れません」
ライはイゴールの言葉を胸に刻む。彼らとの絆のため、悔いの無い選択を。その様子を見ていたイゴールはライのもとへと光を飛ばす。それはライの手元で鍵に変わった。
「それはこの部屋へと繋ぐ鍵、契約の証でございます」
「契約?」
「なに、契約とは自身の選択に責任を持つこと、ただそれだけでございます。……そろそろお目覚めの時間の様だ。それではまた、ごきげんよう……」
突然部屋が歪みだし、黒く塗りつぶされていく。イゴールの言う通り目覚めの時間なのだろう。2回目にして既にライはこの感覚に慣れてきていた。
(そういえば、前はここで音を聞いていたな)
前回の様にライは耳を澄ませる。
歪む景色の向こうから微かに聞こえてくるカタンコトンという音、ライはそれをここに来る前も聞いていた。それに細長い部屋の形も合わせて考えると1つの解にたどり着く。そう、このベルベットルームは列車の中だったのだ。
(まあ、だからどうしたと言う話だが……)
次に来たときにでもイゴールに聞いてみるかと考える。一体それが何を意味しているのか今のライには分からなかったが、この部屋はライを乗せてどこかへ進んでいる様な、そんな気がした。
――暗転。
◆◆◆
『本日はクロスベル方面行き大陸横断鉄道をご利用いただき、ありがとうございます。次はケルディック、ケルディックーー』
列車のアナウンスを耳にしながら、ライはゆっくりと目を覚ました。そろそろ目的地であるケルディックに到着するみたいだ。窓から差し込む晴天の光にライは思わず目を細める。だが徐々に目が慣れてきたのか、外の光景が目に入ってきた。窓の外には黄金の麦畑が遥か遠くまで広がっており、点々と佇む風車の回転が自然を感じさせる。……ここがケルディック、まるで絵に描いた様な光景だ。
「……お、起きたんだな。そろそろケルディックに着くけど大丈夫か?」
通路越しに話しかけてくるリィン、その内容とは裏腹に言葉や態度はギクシャクとしていた。相当無理している様である。当然ではあるが、いつの間にか解決していた……なんて事は無かったようだ。ライは内心ため息をつく。
「ああ、大丈夫だ」
しかし、表面上は何も無かったかの様に接した方がいいだろう。これ以上空気を悪化させたら、かろうじて保てている関係すらも崩壊しかねない。そうなれば今度こそ修復は難しくなってしまう。リィンが話しかけてきたのも、それを危惧しての事だと容易に想像出来た。
ライは他の3人にも目を向けた。視線をそらすエリオット、気まずそうな顔をしているアリサ、そしてこちらを睨みつけてくるラウラ。三者三様であるが、等しくライに好印象を持っていない事だけは共通していた。
(……どうしたものかな)
原因は間違いなくあの時の戦術リンクだ。だがライは何故悪印象を持たれているのか、その理由がまるで分からなかった。理由が分からなければ改善のしようもない。故に今の課題は、彼らからその情報をうまく聞き出す事だろう。表面上の会話すら危うい現状を思い出し、ライは憂鬱な気分になった。
結局、何の改善も見られないまま列車はケルディックに到着する。ライ達の特別実習は始まる前から前途多難な状況になってしまっていた……。
◇◇◇
交易地ケルディック、駅を出たライ達を待っていたのは、ゆったりとした木製の家が建ち並び、それでいて人々の賑わう町だった。広場を挟んで反対側には軽快な弦楽器の音が鳴り響く市場が広がっている。あれが交易地という名の由来だろう。様々な服装の観光客や商人たちが行き交っている。
「…………」
「…………」
……本来ならばここで感慨にでも浸るのだろうが、今のライ達は一言も発さない。4人と1人、2つに分かれたA班はお互いに注意を向けており、初めて訪れた町を楽しむ余裕が無いのだ。場に似つかわしくない雰囲気に他の観光客も疑問を持ったのか、こちらをちらちらと見てくる。
(明らかに悪化している。……まずは会話が出来るまで持ち直さなければ)
「……確か、サラ教官の話だと風見亭に行くんだったな」
場の空気に悩んでいるのはライだけではない。リィンが重い口を開いて話題を切り出した。それに続いてラウラも口を開く。
「フム、まずは場所を探さなくてはな」
「いや、地図なら用意している。……風見亭は北東のあの建物か」
「じゅ、準備がいいのね……」
ギクシャクしながらも何とか会話が成立するライ達。ライは地図を見ながら横目で4人の様子を確認する。彼らから感じるのは懐疑心や苦手意識などがごちゃごちゃに混ざった感情だ。そして、どうやら彼ら自身もその感情を持て余している様だった。
(今、彼らといるのは逆効果かも知れないな)
未だに知らされていない特別実習の内容によっては難しいかも知れないが、出来る限り離れて行動しよう。そうライは心に決めて、右前方に見える2階建ての宿屋、風見亭へと足を運ぶのだった。
◇◇◇
「ええっ!? 男子と女子が一緒って、どういうことですか!?」
風見亭の2階、宿泊する部屋へと案内されたライ達はその光景に固まってしまっていた。広めの部屋に置かれた5つのベット、女将であるマゴットに抗議するアリサの言葉が全てを物語っていた。普通は男女別の部屋を取るものではないのか。ライの頭に親指を立てるサラの姿が浮かぶ。……彼女ならやりかねない。
「うーん、私もどうかと思ったんだけど、サラちゃんが構わないって強く言ってきてねぇ」
「……ええっと、今からでも分ける事ってできないんですか?」
「あいにく部屋はもう埋まっちゃってるわ。ごめんなさいね」
エリオットの提案もあえなく却下される。ここに5人そろって宿泊する事はもう決定らしい。ライ達の間に先ほどとは違う微妙な空気が流れる。幸い男女のベットは離されているため、女性2人が納得すればどうにかなるだろう。――だとすれば残る問題は、ライ自身か。
「俺はソファで寝る。間に空いたベットを挟めばアリサやラウラも安心だろう」
「ラ、ライ。あなたはそれでいいの?」
「無理はするな。1泊くらい問題ない」
むしろ今の状況で近くに寝た方が問題だ。そう判断したライは、アリサの言葉を押しのけソファの上に荷物を降ろす。今日はここで寝る事にしよう。
「あら、ちょっと複雑な関係なのかしら」
「……そんなところですね」
心配そうな女将マゴットに何とか一言返すリィン。その2人のやり取りから目を離したライは、ソファ近くの窓から外を眺める。そこからは駅で見かけた大市が俯瞰出来た。草原の上に色とりどりの露店が並び、観光客や住民がゆったりと見て回っている。
(……ん?)
と、大市の入り口辺りに人だかりが出来ている事に気づく。どうやら2人の男性が言い争いをしている様だ。男性達の声は聞こえないが、2人の態度は時間が経つにつれ悪化して行っている。そして人だかりは野次馬か、集団心理でも働いているのか誰も止めようとしていない。あれは不味いかも知れない。そう感じたライは急ぎ大市へと向かう事にした。
「……何処に行く気だ?」
「大市で何かあったらしい。直に戻る」
ライはラウラの返事も聞かずに1人で宿を出る。……この行動は、リィン達から離れるためなのかも知れない。だが、時間が惜しいのもまた事実だ。あの様子ではそろそろ殴り合いまで発展してもおかしくない。ライは複雑な心境のまま隣の大市へと走って行った。
…………
「――ここは俺の場所だ! さっさといなくなれよおっさん!」
「私はここの許可証を持っている! 消え去るのはお前の方であろう!」
「許可証なら俺だって持ってる! どうせおっさんのは偽もんなんだろ!」
「お前の許可証こそが偽物じゃないのかね? 騙されたとも知らずに粋がりおって」
「何ぃ!?」
「ふんっ!」
茶髪の青年と身なりのいい男性が延々といがみ合っている。2人の奥には使われていない露店の設備、どうやら露店のスペースを巡っての争いなのだろう。だが、空いているスペースなら他にもある。彼らを止めるにはもう少し正確な情報が必要だ。ライは近くにいた住民と思われる主婦に話しかける。
「……何があったんですか?」
「あら、あなた学生さん? 珍しいわね。……見ての通りよ。2人の商人が店の場所を巡ってトラブルを起こしてるの。どうやら両方ともあの場所の許可書を持っている見たいでね。若い方は時々見かけるけど、もう片方は……帝都の商人かしら?」
ヒートアップしていく2人の商人。最早その言葉は理性的なものでは無くなっており、何時爆発してもおかしくない状況だった。2枚の許可証に1つの場所、自分が本物だから相手のは偽物だ、と言うのが2人の主張だった。
「本来なら兵士さん達が止めに来て下さるのだけど、やっぱりこの前の陳情が……」
「その話は後で。この大市の管理者はご存知で?」
「え、ええ。オットーさんなら……」
「ではその人への連絡をお願いします」
「いいけど、あなたは?」
一歩前に歩き出すライに主婦が尋ねる。なに、やることは決まっている。彼らを仲裁出来るのは公平な立場で、かつそれなりの力を持つ人物だ。まだその条件に当てはまる人がいない以上、ライの出来る事は1つしか無い。
「とりあえず、時間を稼ぎます」
ライは野次馬の間を通り抜け、今にも殴り合いそうな2人のもとへと歩いて行った。この程度のいざこざも収められないならば、リィン達との関係修復は難しいだろうという思いを胸に抱いて。
◆◆◆
いがみ合う2人、地元の商人である青年マルコと帝都から来た男性ハインツの怒りは頂点に達しようとしていた。そもそも2人が手に入れた筈の場所は大市の入り口正面。要するに最も倍率の高い出店場所なのである。2人は内容は違えどその場所を獲得するために多くの苦労を掛けて来た。そうしてやっと手に入れた許可証。
だが、いざ商売を始めようと大市に赴くと何故か同じ許可証を持った商人がもう1人。これまでの苦労を考えると後に引けなくなった2人は、次第に過激な口論へと発展してしまったのだ。そしてついに実力行使に出ようとハインツに近づくマルコ。しかし――
「そこまで」
2人の間に手が差し込まれ、マルコの動きが止まる。そして2人の視線は止めた1人の青年へと向けられる。そこにいたのは1人の男子生徒だった。赤い制服を身に纏い、熱のこもらない青い瞳がマルコを見つめている。その顔はよく言えば端正、悪く言えば人形の様な無表情だ。
そんな第三者の登場にマルコは一瞬戸惑うが、すぐに怒りの熱を取り戻し、邪魔をした学生に食って掛かる。
「おい、そこの小僧! 大人の話に水を差すんじゃねぇ!」
「そうだ、これは私たちの問題だ! 君は下がっていたまえ!」
怒濤の勢いで捲し立てる2人に対し学生は、実は相性がいいんじゃないか、という2人にとって不愉快極まりない独り言を呟くと、意識を切り替えた様に冷静に2人の顔を見渡した。
「どうしたんですか」
「どうしたもこうしたもねぇよ! このおっさんが俺の場所を奪おうとしてんだ!」
「何を言っている! 盗人はお前の方ではないか!」
再び言い争いを2人。だが学生はマイペースに考えるポーズをとった後、何かを思いついたかの様なゼスチャーをして2人の喧噪を止めた。
「なるほど。──なら、第三者に判断してもらっては?」
「……それはつまり、小僧が決めるってことか?」
「ふざけるな! こんな大事な事を赤の他人に決められてたまるか!」
2人の怒りの矛先は学生に向く。だが、今にも胸倉を掴まれそうな学生は、まるで他人事のように平然としながら話を続ける。
「なら、ここの管理者に決めてもらいましょう」
「は? ……も、元締めに? どうしてそうなんだよ。元締めに迷惑をかける訳には……」
「既に迷惑はかけてます。それに、許可証の真偽で争っている以上、これ以上の適任はいないかと」
大市の管理者ならば、許可証の偽造を見分ける事は出来るだろう。そうでなければ大市の元締めは勤まらない。それが分かっている2人も思わず口を閉じてしまう。
学生はそこで一旦話を区切った。そして、学生は2人の中央を、正確に言えば2人にとって自分に向いていると思わせる絶妙な角度を向いて、励ます様な口調でゆっくりと語りかける。
「大丈夫です。あなたの許可証は本物ですから」
この言葉は一見彼らを勇気づけるもの。だがもし反論をしてしまったら、それは自身の許可証に自信が持てないという事になってしまう。そうなれば圧倒的に不利な立場になってしまうだろう。
2人は元締めであるオットーが到着するまで、ただ静かに待つしか道は残されていなかった。
◆◆◆
(──何とかなったか)
怒りを内に収めた2人を見て、ライは内心安堵した。2人の意識をこちらに向けさせて争いを止めるという作戦は成功したらしい。ライがこの考えに至ったのは、普段いがみ合うマキアスとユーシスがライを前にするといがみ合いを止めた事を思い出したからだ。要するにより強い関心を持たせれば時間を稼げると考えたのである。
(それにしても何だったんだ? まるで湧き出る様に言葉が浮かんだ)
まるで場慣れしているかの様に言葉が出て来た事に1番驚いたのは他でもないライ自身だった。相手のペースを崩すための言い回し、相手の心理を誘導するための言動、どれも今のライには持ち得ないものだ。……もしこれが記憶の無くす前のライなのだとすると、一体どんな生活をしていたのか。
(……まあいい、これなら原因を探れるかも知れない)
もちろんリィン達に今のようなやり方をする気はないが、不仲の原因を探る必要がある以上何らかの役に立つかも知れない。ライはそう楽観的に捉える事にした。……そう考えないとやってられない程に、ライ自身の謎が多すぎるのだ。複雑な顔をするライのもとにポニーテールの少女が近づく。
「……どうやら、終わったようだな」
「ラウラ? ……それにリィンか」
ライはそこで初めてリィンとラウラが待機していた事に気がついた。どうやらもみ合いになった時の事も考えて控えていてくれたらしい。未だに余所余所しいが、リィンとラウラもこの争いを止めようと動いていたのだ。そのことにライの心が少し軽くなる。
「いや、私達だけではない」
そう言って大市の入り口の方向を向くラウラ。そこには1人の老人を挟んでこちらに向かってくる2人の学生、アリサとエリオットの姿があった。
「ここの元締めが家にいなかった様なのでな。2人に探してもらったのだ」
「そうか……」
だとすれば、あの老人が管理者のオットーなのだろう。奇しくも成立した仲間との行動に、ライはどこか懐かしさを感じた。
◇◇◇
――その後、既にアリサとエリオットから事情を聞いていた元締めのオットーはライ達に一言礼を言うと、マルコとハインツの2人を連れて彼の家の方へと向かっていった。それを見届けたライ達は、本来の目的である特別実習に戻る事にした。実習の内容はライが出て行った後に女将のマゴットから貰ったらしく、とりあえずライ達は町を西に抜け、西ケルディック街道へと向かう事にした。
町を離れ、のどかな道を歩くA班一行。ライはその後方で実習の依頼が書かれた紙を読んでいた。
「壊れた街道灯の修理に魔獣の討伐か。軍事訓練というより便利屋に近い内容だが……」
「……どうやら、サラ教官は俺たちにその土地についての知見を深めて欲しいみたいだな」
「そう言う事か」
リィン達との関係は未だ平行線。リィンとは話が成立するもののどこか壁を感じ、アリサとエリオットは距離感が掴めないのか前を歩き、ラウラはこちらを探るように見て……いや、先ほどまでとは雰囲気が違う。より緊迫した様な、そんなピリピリした雰囲気がラウラの周りに漂っていた。
「ラウラ、どうかしたのか?」
「……いや、何でもない。そろそろ問題の街道灯だ。急ぐとしよう」
ライから目を離し、明かりのついていない街道灯へと向かうラウラ。あの様子では心の内を話してはくれないだろう。何か知らないかとリィンへと顔を向けるが、どうやら彼も心当たりが無いらしい。ライはひとまず究明を諦めると、リィンとともに壊れた街道灯へと向かうのだった。
…………
西ケルディック街道の端に設置された1つの街道灯のもとにライ達は集まった。街道灯はドラム缶の様な重厚な形をしており、ライの視線の辺りに明かりが灯るであろうガラスがはめ込まれていた。一体何処が壊れているのかと、ライは点々としている他の街道灯と見比べる。違いは直に分かった。他の街道灯には明かりがついていたのである。
「街道灯は昼間でも明かりをつけているのか」
「え、えと、確か魔獣除けの効果もあるんだっけ……」
「なるほど。よく知ってるな」
「あ、あはは……。交換の導力灯を貰ったときに教えてもらったんだ」
エリオットはそう言いながら懐から1つの導力灯を取り出す。この部品を街道灯の整備パネルのものと交換すれば修理完了という訳だ。
「修理なら私に任せて。ある程度の知識はあるから」
「そうなの? ならアリサにお願いしようかな」
エリオットから交換の部品を受け取ったアリサは整備パネルに近づく。そして慣れた手つきでパネルを操作し始めた。
「では私達はアリサの護衛をするとしよう。魔獣除けの明かりが消えているという事は、魔獣の危険性があると言う事でもあるからな」
「ああ、そうだな」
ラウラとリィンが武器を構え周囲を警戒し始める。ライとエリオットもそれに習い、武器を持ち周囲に意識を研ぎすませた。しばらくの静寂、草を撫でる風の音と、アリサの作業音だけが聞こえてくる。と、そのとき――
「――フム、やはり魔獣が集まって来たか」
魔獣の気配を察知したラウラとリィンがある方向に武器を向けた。その剣先には腰くらいの大きさの狸を連想させる魔獣が群れをなして迫って来ていた。やや可愛らしい風貌だがその足には鋭い爪が伸びており、危険な存在であることを主張している。
「行くぞ、リィン!」
「ああ!」
先手を切ったのは武術を嗜むラウラとリィンだ。ラウラはその身長程もある巨大な剣を豪快に薙ぎ払い魔獣を切り伏せる。そしてラウラの側を走り抜けたリィンの手に持つのは一本の太刀。一閃、細く長い刃の生み出した鋭い斬撃が魔獣を切り裂いた。
「……あの2人がいたら大丈夫そうだね」
気の抜けた様に導力杖を降ろすエリオット。全く持って同意だが、やれる事はあると考えたライは2人からやや離れた魔獣を対処する事にした。エリオットはその導力杖で遠距離攻撃を行い3人をサポートする。リィンとラウラ、ライ、エリオットと3手に分かれた戦況、問題なく殲滅出来るかと思われた。だが――
「――! エリオット、後ろだ!」
「……え?」
突如、エリオットの背後に躍り出る1匹の魔獣、草木に紛れていたのだ。気配に気づいたリィンが叫ぶ。
対応が遅れたエリオットの体に魔獣の鋭い爪が迫っていた。しかし前衛にいた3人ではエリオットを助けるには遠すぎた。すぐ側まで迫った魔獣の爪に思わず目を瞑るエリオット。
……だが、その攻撃はエリオットのもとには届かなかった。
「え,剣……?」
魔獣の頭に生えた長剣にエリオットは素っ頓狂な声を上げた。遅れて魔獣へと駆け出す影、ライだ。
ライは魔獣へと投げた長剣を再び掴むと、そのまま切り払い魔獣を両断した。
「大丈夫か」
「あ。う、うん。……ありがとう」
その言葉を聞いたライは何事も無かったかの様に前線に戻る。そうして無事に魔獣は殲滅させるのだった。
…………
「――街道灯の修理、終わったわよ」
「ああ、ありがとう。アリサ」
「これくらいどうって事はないわ」
明かりのつく街道灯、もうここは安全だろう。ライはアリサとリィンの話を耳にしながら武器を収める。ライ自身があそこに言っても気まずくなるだけだろう。あえて離れたところに立つライのもとに、真剣な顔をしたラウラが近寄って来た。
「どうかしたのか」
先ほどとほぼ同じ台詞をラウラに投げかける。だがラウラは先ほどとは異なり、真剣な目つきでライを見続けていた。
「……そなたに1つ尋ねたい」
この雰囲気に気がついたのか他の3人も集まってくる。ラウラは覚悟を決めたのだろう。ならばライも覚悟を決めなくてはなるまい。ここが正念場なのだと。
ライが聞く体勢をとった事を確認したラウラは、ポツリポツリと話し始めた。
「――初めの内は、そなたは無口だが年相応の無邪気さを持った青年だと思っていた」
ラウラの頭に浮かんだのは突発的な歓迎会の記憶。無表情ながらも全力で飾り付けをし、よく分からない料理を作った事はラウラもよく覚えていた。
「だが、先の戦術リンクで私はそなたが分からなくなった。リンク時に感じた邪道の気配、よく覚えてはいないがその感覚だけは残っている」
ラウラの手が震える程に握りしめられていた。リンク時の感覚を思い出し、まるで許せない怨敵を見たかの様な気迫を放つ。
「それからだ。私がそなたに疑問を抱いたのは。……白紙の過去、誰も知らない行動、リンク時に感じた邪気。さらには先の喧噪を収めた言動にその戦闘能力。……どれも初めに抱いた人物像からはかけ離れていた」
ラウラも分からなくなっていたのだ。知れば知る程ちぐはぐなライという存在に。ラウラはそれを信頼する事は出来なかった、許容する事が出来なかったのだ。
「――だから問いたい。そなたは、一体何者なのだ?」
そのまっすぐな言葉にライの目は見開いた。
そうか、そういう事だったのか。ライは胸にストンと落ちる様な感覚を抱いた。
なんて事は無い。問題は戦術リンクだけでは無かったのである。
ラウラは今、ライに何者かと問いかけている。これは出来ればライを信じたいという事だ。
その事にライは嬉しく感じた。真剣に答えたいとも思った。だが――
「俺はライ・アスガードだ。それ以上は何も言えない」
ライにはその問いに対する答えは持っていない。何者かはライ自身にも分からない。
「…………もうよい」
ラウラは軽蔑したように話を切り上げ、町の方に歩き出してしまった。
街道灯のもとに残された4人。ライは混乱している3人にラウラを追う様に促すと、1人その場に残った。
…………
……ライはただ1人、晴れ渡った空を見上げる。
耳に届くのは先と変わらない風の声。しかし、今のライにはどこか寂しさを感じる音だった。
「何者か、か。……そんなの、俺が聞きたいくらいだ……」
小さく呟いた言葉は青い空に溶けて消えていく。
目覚めてすぐに手に入れたペルソナ。ライ自身ですら信用出来ない過去。考えれば考える程、それらはライを蝕んでいく。
1人で呟いたその言葉は、初めて口にしたライの弱音だったのかもしれない……。
問題、未だ継続中。