「──ここは異界、なのか?」
肩に乗っていた砂をはたき落としつつ、ライは周囲を確認する。
意識を失う前に覚えている最後の記憶は急上昇する昇降機だ。
その後、いつの間にか砂漠に移動していた事を考えると、空回る島と同じく神が支配する領域に入り込んだという事か。
(まずは探索だな)
第1目標は離れ離れになったロイド達との合流。
第2目標はこの異界に潜む神の討伐だ。
もし以前と同じく異なる世界に飛ばされているのなら、鍵の力を用いて強引に移動すれば良いだろう。
故に厄介なのは異界の構造よりも、この世界そのものと言って良さそうだ。
(何なんだこの世界は……。まるで全てが終わったみたいだ)
上着の袖で口元を覆いながら、荒れ果てた砂漠を睨むライ。
地上の楽園とも呼べた空回る島とは対照的な世界だ。
口にできると思しき物体は草1本見つからず、水場は全て枯れ果ててしまっている。
生命維持に役立つものなど砂混じりの空気くらいなもの。こんな場所じゃ、そう長い時間生きている事は難しい。
ロイド達とは早く合流した方が良いだろう。
特に、幼いキーアの体調が心配だ。
かくして、ライは深い砂漠の奥地へと足を踏み入れるのだった。
……
…………
広大な砂丘に足を取られながらもライは進む。
目的地は建物が密集しているエリアだ。
砂漠に半ば埋まっているような形でビルの廃墟が群生している場所があった。
他の場所は比較的視界が開けているので、もしロイド達がいるならそこだと考えたのだ。
ビルの間に足跡を残し、周りの細かな痕跡も見逃さぬよう注意を払い、どこか見覚えのある街並みを歩く。
そうして10分ほど経った頃だろうか。
代り映えのない廃墟を移動し続けたライは、そこで特徴的なモニュメントを発見した。
「この鐘は……」
広場と思しき空間の中央に埋まっている巨大な鐘。
その周囲に建てられた建造物を含め、ライはこの場所に見覚えがあった。
──クロスベル市、中央広場。
ジオフロントに行く前にいた広場と比べると酷く荒廃していたが、間違いない。
だとしたらここは、この崩壊した世界は──!
「クロスベル……なのか?」
「……信じたくねぇが、そうみたいだな」
独り言に対する返答がビルの物陰から聞こえてくる。
そちらの方向を見てみると、瓦礫に足をかけたランディを始めとして、砂まみれとなったロイド、ティオ、エリィの4人がばらけて見えた。
「無事でしたか」
「そーいうお前さんもな。ところで、ここに来る途中キー坊は見なかったか?」
「いえ、周囲に注意を払ってましたが、手がかりは何も」
「そうかい……」
この場にいないキーアの安否を心配するランディは、やや落胆したように背中を掻く。
少し遅れて合流する残りの3人。
見たところロイド達も周囲の確認をしつつ来たようで、ランディと合流次第、急ぎ情報共有を始めた。
「──ランディ、どうだった?」
「歓楽街方面から来たライも見てねぇみてぇだ」
「そうなのか……。キーア、いったい何処にいるんだ」
「早く見つけねぇとな。こんな砂塵の中じゃ、9歳の体力なんてすぐに奪われちまうぞ」
「そうだな」
話を終えたロイドはライの方へと視線を向ける。
キーアの捜索について説明したい様子。
けれど、幸い今の会話は聞いていたので説明は不要だ。逆にライの方から提案した方が良いだろう。
「俺もキーアの捜索に協力します」
「ありがとう。助かるよ」
ロイドに協力を申し出たライ。
しかし、今まで通って来た道がクロスベルの北西方面にある《歓楽街》だとすら分からなかったように、土地勘がないのは明らかだ。
ならば帝都でやったのと同じように、エリオットのアナライズに頼らせてもらうべきか。
そう考え、ライは懐のARCUSを取り出した。……のだが、
(──戦術リンクが繋がらない!?)
以前は異世界であろうと結び付けた長距離リンクに失敗してしまう。
直した筈のARCUSの不調か?
……いや、戦術リンクの機能自体は正常に稼働している。
この失敗はむしろ、そもそも”接続先が存在していない”かのような──。
「ねぇ! 今、あの窓の向こうで何か動かなかった!?」
ライの思考を遮るタイミングでエリィが何やら発見したらしい。
彼女が指差す先にあったのは1棟のビル。
この広場よりも1段下がった場所に建てられたあの場所は、ライの記憶にもはっきりと残っている場所。即ち、特務支援課のビルだった。
「あれって俺達のビルじゃねぇか」
「もしキーアが近場に飛ばされていたのなら、あそこに避難している可能性は高いか」
「だったら早く向かいましょう!」
砂を蹴り飛ばしながら駆け足で走り出す特務支援課の面々。
かくして、砂漠のクロスベルに飛ばされたロイド達は、廃墟となった特務支援課のビルへと向かい始めるのだった。
◇◇◇
ビルの入り口は階段下に位置している。
元々中央広場にあった階段は砂に埋もれ、今はやや急な砂の坂道。
故にロイド達は、この坂道を滑り落ちるようにして下る事を余儀なくされていた。
「わっ!」
「──っと、大丈夫か? ティオ」
「は。はい、ありがとうございます。ロイドさん」
バランスを崩したティオの体をロイドがとっさに支える。
やはりこの砂漠はただの移動すら困難だ。
ライは2人の様子から改めてこの世界の過酷さを感じつつ、斜面を難なく滑り降りた。
5人全員の安全を確認した特務支援課はビルの前にたどり着く。
彼らのホームとも呼べるその建物は、扉がなく、窓も割れ、見るも無残な状態となっていた。
「自称神が作り出した世界だと分かってても、正直、辛いもんがあんな……」
ビル1階に入ったランディが砂まみれのテーブルを撫でて呟く。
砂が盛大に入り込んだ1階は物悲しい空気に満ちていた。
食事を交わしたであろうテーブルも、仕事に使っていた導力端末も、既に廃墟の一部として砂を被っている。
ライもまた、自身が座っていたソファに手を触れる。
するとその時、ライは1つの違和感に気がついた。
(……素材が劣化していない?)
砂に覆われたソファはしっかりとした繊維を残していたのだ。
比較的劣化が早い筈の布が劣化していない理由。
もしかしたら、この廃墟は見た目に反し、崩壊してからまだあまり時間が経っていないのかも知れない。
そんな考察をするライを他所に、ロイドは影を見たというエリィに問いかける。
「動く影を見た窓はどの辺りだった?」
「私の見間違いじゃなければだけど、3階にあるキーアの部屋だったわ」
「キーアの部屋か! なら、部屋を出ている可能性もあるし、声をかけながらそこに向かおう」
「そうね」
影がいた場所がキーアの部屋という事で、やや希望の色を見せ始めるロイド達。
けれど、その希望はキーアの名を呼びながら階段を上っていくごとに段々と陰りを見せ始めた。
それほど広いとは言えないビルの内部。もしここにキーアがいるのなら、今すぐにでも向こうから反応がある筈だ。
もしかしたら返事も出来ないような状況になっているんじゃないか。
そんな不安を抱えたまま、ロイド達は3階に到着してしまう。
3階廊下は窓割れも少なく、比較的まともな内装を残していた。
どうやらキーアの部屋はこの通路の最奥にあるらしい。
ロイドは部屋のドアノブに手をかけ、鈍い音を出しながら扉を開いた。
──9歳の少女らしい、人形が置かれたかわいらしい室内。
その奥に置かれた勉強机の椅子に座り、入り口とは反対の方向をぼんやりと見つめる少女が1人。
「な、なんだ、いるじゃねぇかキー坊。体調も崩してないみたいで良かっ──」
「いや、少し待ってくれ、ランディ」
部屋内にいる少女の元へと向かおうとするランディ達をロイドが留める。
無論、ロイドとてキーアの姿を見れて安堵はしているのだろう。
しかし、同時に彼は、椅子に座る少女の雰囲気に対し、何か違和感を感じずにはいられなかった。
「本当に、キーア……なのか?」
静かに問いかけるロイド。
その声でようやく振り返った少女の口元には、不可思議な笑みが浮かべられていた。
「……やっぱり、ロイドには分かっちゃうんだね」
自嘲気味に言葉を漏らすキーアと瓜二つな少女。
その言葉を肯定と受け取ったロイドは、続いてその少女に問いかけた。
「君はいったい……」
「わたしもキーアだよ? ただ、ロイド達の探しているキーアじゃないってだけ」
キーアよりもどこか大人びた雰囲気を身に纏う”もう1人のキーア”とも呼ぶべき少女。
彼女は困惑するロイド達に向け、彼女は今1番欲しいであろう情報を伝える。
「安心していいよ。ロイド達のキーアはちゃんと無事だから」
キーアは無事だという、何の根拠もない言葉。
しかしロイドは何故だか素直にその言葉を信じられるような気がした。
そして次に感じたのはどうしようもない罪悪感。
この寂しげな部屋に彼女が1人でいる事自体がとても恐ろしい事のように思えてきて。
ロイドは無意識にもう1人のキーアへと3度目の質問を行っていた。
「君はどうしてこんな場所にいるんだ?」
「こんな場所、かぁ。ほんとにひどい光景だよね。……少し前まで人が普通に暮らしてたなんて、嘘みたいだよね」
もう1人のキーアは椅子から飛び降りて、黒い空と砂漠に覆われた窓の元へと歩いていく。
そして、この終末めいた光景について、ゆっくりと話し始めた。
「ここはね。12月31日の世界なんだよ。ロイド達にとっては4ヵ月後の世界。……そして、わたしにとっては、遥か昔の世界」
彼女が言うに、ここは未来であり過去であるらしい。
一体どういう意味なのか。
混乱する5人に対し、もう1人のキーアは遠い目をしながら振り返る。
「ライなら分かるよね? キーアと似たような経験をしてる筈だから」
「……空回る島の事を言ってるのか?」
「うん。それが世界規模で起こったって考えれば、理解しやすいとおもうよ」
時間の空回り。
いや、正確には時間の逆行か。
ライの脳裏に浮かぶ1つの解。
それを肯定するかのように、もう1人のキーアは言葉を紡ぐ。
「ここは神が作り出した偽物でも、可能性としてあるIFの未来でもない。──これは実際にあった景色。ロイド達がいる世界はね。世界が滅びて、時間が巻き戻った後の世界なんだよ」
それは、あまりに衝撃的な事実だった。
◇◇◇
「…………え? ど、どういう事なんですか? 時間が巻き戻ったなんて」
「そんなの、伝承にある時の至宝でもないと……」
戸惑いの声を発するティオやエリィ。
確かにライとて、空回る島での経験がなければ信じられなかったかも知れない。
「零の至宝の力……といっても、今のみんなには伝わらないよね」
未来の証明って難しいと言わんばかりに肩を落とすもう1人のキーア。
代わりに彼女は、ロイドに1冊の手帳を手渡した。
「これは……俺の警察手帳?」
「わたしにできる証明はこれくらい。信じてくれるかはロイドにまかせる」
「あ、ああ……」
両手を後ろに組んで1歩下がるもう1人のキーア。
左右からエリィ、ティオ、ランディの3名が覗き見る中、ロイドはボロボロになった警察手帳を開く。
「これは……確かに俺の文字だ。けど、ここから書かれている情報は……」
「特務支援課の新メンバーについて書かれてますね。ノエル・シーカーとワジ・ヘミスフィア……。ノエルさんは警備隊所属なので分かりますが、ワジさんは……」
「え? おじさまが通商会議でクロスベル独立宣言を!? 何なの、この情報は!?」
「おいおい、帝国の内乱とか、やべぇ内容ばっかじゃねぇか」
手帳の中には、今より未来の情報がロイドの文字と文体で書き綴られていた。
これが事実なのかは現状分からない。
けれど、もしそれが実際に起きたとしたら、同じ文章を書くであろう事をロイドは直感で理解する。
「──分かった。これが事実かは分からないけど、今は君の、キーアの言葉を信じるよ」
「ありがとう、ロイド!」
現実のキーアと全く同じ表情で礼を言う少女。
その顔にやや複雑な引っかかりを感じながらも、ロイドは確信に迫る問いかけをした。
「それで、ここが4ヵ月後の世界だというなら、一体何が起こったんだ? 警察手帳には12月初めまでの情報が書かれているけど、この砂漠に繋がる内容は一切なかった。たった1ヵ月で世界はこんな状況になるものなのか?」
「たった1ヵ月じゃなくて、たった1晩で、だよ。1204年が終わろうとしていたあの日、たった1日で世界は終わったの」
彼女が言うに、この世界はたった1日で変貌を遂げたらしい。
室内でライが見つけた違和感とも合致する情報だが、本当なのだろうか。
何が起これば、広大な世界がたった1日で砂漠の世界に?
「原因はそこにいるライだよ」
「俺が?」
もう1人のキーアが大きな瞳で精いっぱいの睨みをきかせて来た。
「そう、ライが悪いんだよ。ライが神の秩序を受け入れたから、彼らが掲げる《救済》が成し遂げられてしまった」
身に覚えのない罪状で咎められるライ。
いや、そもそもライからして見れば未来の話なのだから当然と言えば当然か。
もう1人のキーアは、続いて窓の外を指差した。
「空に見える真っ黒の空間が見えるよね? ロイドたちの、ううん、この世界に住むほぼ全ての魂は、あの空間に取り込まれてしまったの」
「やはりあれは空じゃなかったのか。あの真っ黒な領域は何なんだ?」
「宙に浮かぶ神々はあれを
肉体からの解放。
つまりこの世界は、救済から取り残された物質という名の抜け殻だとでも言うのだろうか。
いや、それよりも……。
「前に進むんじゃなく、原初に戻る? 何故、俺はそんな選択を……」
「あの時のライは、今よりもっと《秩序》よりなスタンスだった。前に進むことよりも、尊いと思ったものを守りたい。みんなの幸福を願う。……そんな、人間だった」
その結果が外宇宙による全生命体の救済とは。
ある意味、世界が変わっても行動力は変わらないのだと思いつつ、ライは1つの矛盾について指摘する。
「──だったら、この未来は変えられる」
この世界のライは神による救済など受け入れる事はない。
彼女の言い方に即するなら”スタンスが違う”とでも言うべきか。
秩序に寄ってさえいなければ、後は記憶喪失前の方針通り神を倒すだけで回避できる筈だ。
そう断言するライの言葉に、ロイド達も同じく同調した。
「ああ。俺達ならきっと壁を越えられる。この結末にならない未来だってきっと掴める筈だ!」
「ま、言い方はちと青臭いが、そういうこったな」
「それがロイドさんの魅力かと」
「ええ、そうね」
砂漠の未来を見せられたところで諦める筈はない。
今までだって何度も壁を乗り越えて来たんだと、ロイド達特務支援課はもう1人のキーアを説得する。
彼女が未来のキーアだと言うのなら、彼女ごと救ってみせると言う宣言だ。
時を隔てても断つ事の出来ない絆の繋がり。
それを見せられたもう1人のキーアは、
「あは、は……」
懐かしいようで、悲し気な笑みを浮かべていた。
「……キーア、ちゃん?」
そんな彼女を心配そうに見つめるエリィ。
もう1人のキーアはその心配を嬉しそうに受け入れる。
「そうだね。未来はきっと変えられる」
「だったら!」
そんな悲しい顔をせずにみんなで頑張っていこう。
そう言おうとするロイドだったのだが……。
「……そう。みんなで頑張って、”未来は変わったの”」
彼女がそんな言葉を紡いだ刹那、世界が大きく揺れた。
ガタンと揺れる特務支援課のビル。
ライ達は地面に倒れこみ、再び全身に強烈なGを受け始めた。
(──ッ!? これ、は……。世界そのものが上昇している!?)
まるでこの砂漠の世界そのものが昇降機になったかの如き状況。
それと同時に、周囲の世界が動画を早回しするように変化し始めた。
砂漠の終末を超えて、人の賑わう1204年の1月へ。
その後、結成したばかりのロイド達の姿も見え始め、そのまま春、夏へと時が急速に移り変わっていく。
「今と同じようにロイド達は宣言してくれた。神という脅威を全員で倒そうって頑張って、頑張って。……そして、遂に神は倒された」
景色は8月を経ても止まることなく変わり続ける。
9月。10月と。
そんな光景を見て、ロイドはある事実に気がついた。
「……そういう、事か」
「おいロイド! こいつは何なんだよ!!」
「彼女は、もう1人のキーアは、世界が巻き戻ったのが1度なんて言っていない! きっと彼女は、既に何度も……!」
Gに抗いながら推理を口にするロイド。
彼の目の前で、特に影響を受けずに立っているもう1人のキーアは、その推理に答え合わせをする。
「──そう。もう、何度も頑張ったの」
窓の外を見る幼い少女。
彼女が見る先で、世界は砂漠とも異なる、真っ赤な色を放ち始めた。
「これを見て、みんな。これが神を討伐した後の世界。神の《秩序》を否定して勝ち取った《混沌》の世界」
やがて12月31日になって制止する世界。
窓の外にあったのは、真っ黒な雲の空。
そして天に届きそうな程燃え盛る、炎に包まれた世界だ。
「爆炎の、未来だよ……」
まるで終末戦争でもあったかの如き瓦礫の世界。
もう1つの地獄が、今、ロイド達の網膜に強く焼き付けられるのだった。