今日は4月17日、教官達と話し合いをした日から9日が経過した。あれから3日に1回のペースで旧校舎に入っているが、未だに魔物やペルソナについてはほとんどが謎のままだった。
特に構造の変化する空間がネックだ。誰かが見ればいいと言うことは簡単だが、長時間変わらない道を見続けるのは難しい上に、見れる範囲にも限りがある。そのためあまり奥には行けず、短期間で戻らなければならなかった。
行く回数を増やそうにも、あの空間は中にいるだけで疲れが溜まっていく。正に八方ふさがりな状況となっていた。
旧校舎から戻ってきたライは今、自室で休憩していた。勉学に励む気力などあまり残されていなかったが、ある程度はやっておかないと授業に支障をきたしてしまう。ライは限りある余暇を休憩に当てていた。
そう言う訳で椅子の上で休憩していると、個室のドアからノックの音が聞こえてくる。どうやら誰かが来たようだ。
「ライ、渡したい物があるんだけど、今大丈夫か?」
「リィンか、丁度休憩に入ったとこだ」
鍵は元々掛けていないため、そのままリィンに入ってもらう事にした。
遠慮なく中に入ってくるリィン。その手には一冊の手帳が握られていた。
「それは……」
「VII組の生徒手帳。トワ会長から皆に渡すよう頼まれたんだ」
「ハーシェル先輩に?」
手帳をリィンから受け取り、中を確認する。1ページ目にはライの顔写真や心得が、その後には規則や校舎案内、長めのメモ欄に、VII組の戦術オーブメント《ARCUS》についての説明も書かれていた。
(ARCUSには通信機能もあったのか。後で詳しく確認しよう)
「それにしても、……部屋に物が無いんだな」
「……ん? ああ、買い物をする暇も無かったからな」
リィンはライの部屋を見渡している。部屋に置かれているのは机とベット、クローゼットのみだった。全て元々あった備品である。今のライの私物は鞄などを除けば制服と、この町で購入した私服数着のみであった。
「買う暇もないって、そんなに忙しいのか? 最近妙に人付き合いが悪いというか……」
「悪い、今は言えない」
「……事情があるんだな。それなら今は聞かない。——でも、何時かは俺たちに教えて欲しい。俺たちはVII組の仲間なんだから」
「ああ、必ず」
リィンの顔がトワと重なる。つまりは彼もライを心配していると言う事だろうか。
そのことにライは申し訳なく思うが、今の状況を変える気はない。教官達も解明に向けて努力をしているのだ。ライだけが休むつもりは毛頭なかった。
リィンもライの言葉からその意志を感じ取ったのか、別の提案を持ちかけてくる。
「それで、明日買い出しに行かないか。もちろんライの予定が空いてたらだけど」
「予定は無いが、リィンは大丈夫なのか?」
明日は初めての自由行動日、いわば休日だ。多くの生徒はその機会に部活動を決め、2年間の青春の場を見つけるらしい。
だが、ライは半ば部活動への参加を諦めていた。理由は言わずもがな、旧校舎の調査である。せめてもう1人ペルソナを使える者がいればライの負担は減るのだが……。
けれどもリィンは別にライの様な面倒ごとを抱えている訳ではないはずだ。ならば部活動を探さなくてもいいのか、ライの目はそう言っていた。
「……俺も明日は大丈夫、だな」
「そちらも事情あり、か」
部活動にあえて触れないリィンの言動に、先ほどと真逆の状況だと思ったライは僅かに微笑む。
ライの場合はその先は言わなかったが、リィンにはライの瞳が『それなら今は聞かない、だが何時かは教えてくれ』と言っている気がした。それにリィンはライと手の甲をぶつけ合う事で答える。『必ず』……ライにも確かに伝わった。
◇◇◇
そして明くる日の4月18日。
ライとリィンの2人はトリスタで雑貨の売られているブランドン商店の元に訪れていた。
「日用雑貨に食料品、アクセサリーもあるのか」
「本当は家具とかも見たかったんだけど、そういうのは帝都まで行かないとないからな」
「いや、これだけあれば十分だ」
とりあえずライは部屋に飾る小物類を探し始める。
リィンと相談しながら1つ1つ買い物かごの中に入れていく。
「なんや? あんたら、部活動見に行かへんでええんか?」
そうしていると、背後から甲高い声が聞こえてきた。
振り返ると1人の女子生徒が立っていた。緑の制服、平民クラスの生徒だろうか。
「そう言う君こそ」
「ウチの夢は商売人やさかい。一銭の儲けもない部活動なんか興味あらへん! ……ハッ、もしやあんたも商売人志望なんか!?」
何だかよく分からない勘違いをされてしまった。
こちらに敵対心をむき出しにしてくる金髪の少女。その背後からもう1人、緑の制服を着た男子生徒が近寄ってきた。茶髪を左右に分けたその姿、この少女よりは話が通じそうだ。
「なあベッキー。普通商店に来るとしたら買い物だろ?」
「甘いで、ヒューゴ。こういった所から商売敵は生まれてくるんや!」
「……いや、普通に買い物なんだが」
彼女の誤解を解くためにリィンも巻き込んで3人掛かりで説得する事になった。
でも、もしや、と中々納得しない彼女に根気よく伝えていく。そしてようやく納得してもらえたときには半刻が経過していた。
……これでだいぶ根気が身に付いたのではないだろうか。
「すまんなー、疑ってしまって。ウチはV組のベッキーや。よろしゅうなー」
「俺はヒューゴ、III組だ。すまない、こいつが色々と迷惑を」
「ハハハ、それだけ本気だって事なんだろうな。俺はリィン、VII組で学ばせてもらっている」
「同じくVII組のライだ。よろしく」
ここで会ったのも何かの縁。そう言う訳で4人で買い物をすることになった。
「ふぅん、部屋に飾るもん探してるんか。ならここはウチに任せときー! めっさええもん見つけたる!」
「ああ、商売人志望の実力、見せて貰おうか」
「望むところや!」
店の奥へと乗り込むライとベッキー。それをリィンとヒューゴ、それに会話が気になった店主のブランドンが見守っていた。
「本日のおすすめはコレや! クライスト商会の新商品、今ならお手頃価格やで!」
「ふむ、少々高いな」
「ムッ、なら1割引きでどうや!」
「もう一声」
「ムムム、ならさらに、これもオマケして据え置き価格で販売したる!」
「お買い得な……!!」
「……あいつら、俺の店の商品で何やってんだ?」
「ははは……」
ブランドンの言葉にリィンは乾いた笑いしか出なかった。
それからも変わらずベッキーの声が店内に響きながら、ゆっくりと時間は過ぎて行った。
…………
「それにしても、結構買ったんだな」
買い物の帰り道、夕日を浴びながらリィンが話しかけてくる。その視線はライの持つ袋に向いていた。
「ああ、なかなかの駆け引きだった」
彼女の言葉に乗せられない様に必要なものを選んでいくのは一種の戦いだった。
相手の真意や価値観を読みあう壮絶な駆け引き、ライの手にあるのはその成果だと言えよう。
……ちなみに全て標準価格での購入である。
「……いい気分転換になったみたいだな。最近のライは疲れている様子だったから」
「分かるのか?」
「仲間だからな。まだ2週間くらいしか経ってないけど、信頼する仲間のことなら何となく分かるさ」
演劇のような台詞を何でもないように言うリィン。
「……言ってて恥ずかしくないのか?」
「何が?」
「いや、何でもない」
どうやら真性らしい。悪い事でもないので指摘する必要も無いだろう。……それに言うべき言葉は別にある。
「今日は助かった。ありがとう」
リィンに向かって笑いかける。するとリィンは目を丸くして驚いた。
「……どうした?」
「いや、ライが笑ったところは初めて見たからな」
「そうか? ……いや、そうか、練習の成果だな」
「……何をしてたんだ」
エリオットに驚かれてから密かに練習していたライ。ようやくその努力が実ったようだ。
小さくガッツポーズをしているライを見てリィンは、実はしょうもない事で苦労しているんじゃないかと思い始めていた。
「……そうだ。リィンに渡したいものがある」
ライは思い出したかのように袋から1つの包みを出すと、それをリィンに渡した。
「これは?」
「それを使ってアリサと和解しておけ」
「アリサに? ……でも結局はまた逃げられるんじゃ」
「何、向こうもきっかけが掴めていないだけだ」
初日から続いているリィンとアリサの不仲。2週間も続いた現在、アリサの方も仲直りしたいと考えている様だった。なのに未だに不仲なのは、一重にきっかけを掴めていないからだ。
だからライは包みを渡した。仲直りのプレゼントではなく、きっかけをつくる道具として。
「そうか、助かるよ」
「お互い様だ」
2人の影は夕焼けの中に消えて行った……。
◇◇◇
——4月21日。
ライ達VII組のメンバーは士官学院のグラウンドに集められていた。
皆の手にはそれぞれの得物が、ライの手には真新しい長剣が握られている。
実技テスト、それが集められている理由だった。
「それじゃ予告通り実技テストを始めるとしましょう」
目の前にいるサラはVII組の面々を確認すると、話を切り出した。
「前もって言っておくけど、これは単純に戦闘力を計るテストじゃないわ。戦闘で適切な行動が出来るかを確認するものよ。だから身体能力を上げてごり押しする、とかの方法で勝ったとしても評価は辛くなるから気をつけなさい」
皆に実技テストの目的を説明するサラ。だがその内容には1名に対しての明らかな忠告が含まれていた。ライに対するサラの目も『分かってるわね?』と念押ししている。
ライは頷くと、ヘイムダルを心の奥へと沈めた。これでヘイムダルのブーストもなくなる。
「皆分かったみたいね。まずは……、リィン、エリオット、ガイウス、ライ。前に出なさい!」
サラに名前を挙げられた4人が武器を手に前に並ぶ。
ARCUSにもクォーツはセットされている。実技の準備は万全だ。
「準備はいいみたいね。それじゃ相手を呼びましょうか」
パチン、とサラは手を鳴らす。誰を呼ぶのかという生徒達の疑問はすぐに驚愕へと変わった。
突如目の前の虚空から出現する金属質の生命体。ライの身長くらいあるその姿に、思わずライは剣を構える。
(例の魔物か? ……いや、違うな)
「フフッ、そんなに身構えないでも大丈夫よ。これは大きな動くかかし、とでも思ってちょうだい。……まあ、ちょっと強く設定してるけど、ARCUSの戦術リンクを使えば問題なく倒せる筈よ」
戦術リンク。生徒手帳にあった説明書によれば、ARCUSの持ち主同士を繋ぎ、より高度な連携を可能とする機能だった筈だ。
未だに他のVII組と戦いを共にした事のないライにとって、それがどういう感覚なのかが今一掴めなかった。ヘイムダルとの感覚に似た様なものなのだろうか……。
「適切な行動に戦術リンク。なるほど、それが狙いですか。……ライ、行けるか?」
「ああ」
リィンと一度顔を見合わせ、ARCUSの戦術リンクを起動させる。共鳴するARCUS、確かにリィンと繋がった。だが——
「………………」
「……どうした、リィン」
戦術リンクをした途端、リィンが動かなくなる。これにはライだけでなく、共に前に出たエリオットとガイウスも心配そうな顔をする。
「何があ「違うっ!!!!」……何?」
突然、叫び声を上げるリィン。同時にリンクがパリンと音を立てて途切れた。
一体何があったのか。ライは心配になってリィンに近づくが、リィンはライから距離をとってしまう。そのことにアリサとリィンのやり取りを思い出したライは、思わず足を止めてしまった。
「——これはどういう事なの。……ライ、試しにエリオットとリンクしてみてくれないかしら」
「分かりました。……大丈夫か、エリオット」
「うん、やってみよう」
今度はエリオットとリンクする。だがまたしても、
「……うわぁっ!!!!」
——リンクが途切れた。サラと顔を見合わせるライ。サラは頭痛でもあるかのように頭を抱えていた。また1つサラの心配事が増えた瞬間である。
その後、他のVII組とも試したが、全員同じ様な形でリンクが途切れてしまうのだった。
…………
「ねぇライ〜。もしかしてワザとやってるんじゃないでしょうね……」
「そんな訳ないでしょう」
仕方なしに実技テストを辞退し、元の位置に戻るライ。
だがライの周囲には誰もいない。皆ライの元から離れ、ぽっかりと穴の空いた様な状態になっていた。
「ガイウス、何が起こったか分かるか?」
「……すまない。今は心の整理をさせてくれぬか」
ガイウスでダメなら、他の人に聞いても答えは返ってこないだろう。だが全員が同じ反応をした以上、十中八九ライ自身に問題があるはずだ。ライは唯一まともに話ができるサラに質問した。
「……サラ教官。戦術リンクには途切れる事が?」
「参考になるか分からないけど、本人達の人間関係によって途切れる事が確認されているわ」
「……そうですか」
ライは自身の心に問いかける。もしかして自分は心のどこかで彼らを拒否しているのではないかと。その問いに答えが出せぬまま、実技テストは終わりを告げるのだった……。
◇◇◇
4月24日の早朝、ライは机の上で悩んでいた。
目の前には一枚の書類、そこにはこう書かれている。
【4月特別実習】
A班リィン、アリサ、ラウラ、エリオット、ライ(実習地:交易地ケルディック)
B班エマ、マキアス、ユーシス、ガイウス、フィー(実習地:紡績町パルム)
そう、VII組に入る際にサラが言っていた特別なカリキュラム。それがこの特別実習だったのだ。
士官学院を離れ別の地に実習に行くのならば、確かに記憶を取り戻す手がかりを得られるかも知れない。
だが今のライにとっての最大の悩みは人間関係である。
あれから3日、顔を合わせると気分が悪そうに走り去ってしまうので、ライは可能な限りVII組と会わない様にしていた。
だがこの特別実習では嫌でも2日間共に過ごす事になる。
(早く原因を見つけないとな……)
ライは決意を新たに固め、寮の個室を後にする。
今は集合時間の1時間前、ライは一足先に駅へと向かった。
◇◇◇
ライ達の住んでいる第3学生寮は駅のすぐ横に位置している。そのためライが駅に着くまでほとんど時間はかからなかった。
駅の中にはほとんど人気は無く、閑散としていた。まあ今は午前の6時だ。まだ多くの人は眠りについている事だろう。とりあえず駅内の休憩スペースに足を運ぶライ。そこに見知った顔があることに気づく。
「サラ教官? 何故ここに」
「あら、早いわねぇ〜。理由なんて決まってるじゃない。愛する生徒達を見送るためよ♡」
サラは休憩スペースの椅子から勢いよく立ち上がる。
何とも胡散臭い。ライの瞳が疑わしい者を見る目に変わる。
「それで、人間関係の方は進展があったかしら」
「3日前から変わらず」
「あら残念ね〜。でもこの2日間で何とか仲良くなるのよ♡」
軽い口調でライに近づくサラ。
そのままライの肩に手を置き慰めのポーズをとる。さらにもう片手をライの頭に、必然的にサラの顔がライに近づいた。
サラはそれを利用し、ライの耳元で伝言を伝える。
「少々厄介なことになったわ。もしもの時は仲間の前でも構わずペルソナを使いなさい。……それと、あなたの持つペルソナは強力な力よ。この実習でその意味をしっかり考えること。分かったわね?」
その内容にライが小さく頷くと、サラは何も無かったかの様にライから離れた。
「それじゃあ私は帰るわね〜。他の皆にもよろしく言っておいてちょうだい」
ライは手を振りながら駅を出るサラを静かに見送る。
その心の内では、この実習で何かが起こりそうな、そんな嫌な予感を感じていた。
……そして1時間後、時間通りにきたVII組のメンバーと気まずくなりながらも合流し、交易地ケルディックに向けた列車に乗り込むのだった。
◆◆◆
ケルディックへ向かう列車の中、リィン、アリサ、ラウラ、エリオットの4人はライについて話し合っていた。
ライは今リィン達とは通路の反対側に座り、疲れのせいかぐっすりと眠っていた。A班の中に漂っていたどうしようもない気まずさを察したライは、わざと反対側に座ったのである。
「……そなたら、ライについてどう思う?」
「どうって、別に悪い人じゃないと思うわ。ただ……」
「あの時のリンク、だよね。正直今でも思い出したくないよ……」
エリオットはリンクのときに感じたことを思い出す。悪魔に出会ったかの様なおぞましい感覚。もしかしたらあれこそがライの本性なのかも知れないと、ラウラ達は心のどこかで思ってしまっていた。
「そもそも、私たちって彼について何にも知らないのよね」
「なんだか最近、夜遅くに帰ってくることが多くなってきたよね」
「ふむ、それについて前にサラ教官に確認してみたのだが、曖昧な返事しか返って来なかった。彼は一体何を……」
ライに関する情報を出し合う3人。3人の情報を持ち寄ってもライのことはほとんど何も分からない。正に謎のクラスメイトだった。
「……リィン? 何か気になる事でもあるのかしら」
一言も喋っていないリィンにアリサが問いかける。彼らの間にあった問題は18日に無事解消していた。
「いや、今まで話していたライと、ARCUSを通して感じたライ。どちらが本物なのかと思ったんだ」
リィンの頭に残るのは買い物帰りに見た静かな笑顔。リィンとしてはあの時のライが偽物だとは思いたくなかった。だが、戦術リンクをしたときに感じた凶悪な気配。あれを思い出すたびに手が震えてしまう。その強烈な記憶が、リィンの判断を迷わせていた。
「ライ、お前は一体……」
何者なんだ。という言葉が口から出るのをリィンはぐっと堪えた。それを言ってしまったら、リィンの中の疑惑の念が抑えられなくなるような気がしたから。
肥大する疑惑と混乱が、ライの知らないところで着実に彼らを蝕んでいた……。
1番台詞回しに困るのが主人公という罠。
だれだ口数少ないとか設定した奴。……自分でした。
リアルが立て込んでいるので次話は少々遅れるかも知れませんが、気長にお待ちいただければ幸いです。