巨大な眼が発する光に飲み込まれたライは、気がつくと何時もの辰巳ポートアイランドとは少し異なる市街の中に立っていた。
ライは警戒しながらも周囲に視線を送る。
巨大な甲冑の姿はない。他のシャドウがいるような気配もなく、代わりに黒い人影のようなものが街中を歩いていた。
(直近の危機はない、か?)
あの眼がないなら目を合わせる危険性もない。
警戒を1段階下げたライは、改めて周りの光景を確認する。
紅葉になりかけの木々を見るに季節は恐らく秋ごろだろう。
先ほどまでいた辰巳ポートアイランドよりもやや古く、アスファルトのひび割れや錆が目に付く。
そして、遠景に見える巨大な橋。あれは確か、辰巳ポートアイランドと本土を繋ぐムーンライトブリッジと言ったか。
(だとしたら、ここは巌戸台港区か?)
パンフレットの内容によれば、辰巳ポートアイランドは元々巌戸台の港区洋上に建造された人工島だ。
それならば少々古いのも納得がいくと言うものだ。
現状を把握したライは、自らの装備を確認する。
武器、召喚器はある。しかし、次いで取り出したARCUSは動作せず、エリオットとの戦術リンクも出来ない状態となっていた。彼らとの連絡は困難。物理的に合流しようにも、やみくもに歩いてたどり着けるような場所でもないだろう。
(いや、そもそもここが現実かも分からないか)
もしかしたら、今のライは夢や幻覚を見せられているのかも知れない。
全ては胡蝶の夢。証明する手段などない。ならば、今はやれる事をやるべきか。
「……あの3人組を探そう」
周囲を歩く人影を見るに、少なくともルールは旧校舎の異世界と同じらしい。
ならば、この影が出現しているエリアの中心付近に、あの3人組がいるのだろう。
そう結論づけたライは、昼間の太陽が照り付けるアスファルトの上を走り出した。
◆◆◆
――ライが想定していた通り、影達の中心付近で、他の人影よりも鮮明な影を2人見つけた。
昼下がりの歩道を歩く友原翔と葵莉子。彼らは両手に買い物袋をぶら下げて、どこかに向かっている様に見受けられる。
『いやぁ悪いねぇ~。料理の練習がてら台所を貸して貰うことになっちまってよ』
『ううん大丈夫大丈夫。でも、ほんとうに私の家なんかでよかったの?』
『まぁな〜。オレん家は人呼んで料理できるほどの広さねぇし、ライは寮暮らしだからそもそもリコを呼べねぇし。文化祭で出す前に練習したかったから、ぶっちゃけ大助かりだよ。……むしろ、オレ達の方こそ頭下げなきゃいけないレベル』
『それこそ気にしないで! 人生初の友達ご招待でテンション上がってるくらいだから!!』
『そ、そか……』
やけに食い気味な葵を前に若干引き気味な友原であった。
彼女のボッチ話題は尽きる事がない。……だが、それも仕方のない事で。友原は手にもった袋を持ち上げて少し前の出来事を思い出す。
『けど、しっかしリコの体質も困ったもんだよなぁ。ほら、さっきの買い出しだって、店員さんの対応リコに対してだけ露骨に悪かったじゃん』
『……うん。本当にどうしてなんだろうね。身だしなみだって頑張ってるつもりなのに』
『第一印象って人間関係にめっちゃ関係するからなぁ。……いやでも、逆にギャップで戦うって手もあるんじゃね? ほら、不良が優しい事をするとすっげぇ良い奴にみえるってやつ』
『ギャップって例えば?』
『そうだなぁ。ふつうに良い事するだけじゃ意味ないレベルだし。こりゃもう義賊路線のインパクト重視で美少女怪盗にでもなるしか?』
『流石にそんなことする人はいないと思うよ?』
『だよなぁ……』
適当に思い付きで喋っている友原と、小さな声で「自分で美少女とか恥ずかしいし……」と付け加える葵。
そうこうしている内に、2人は人気のない交差点に辿り着いた。
信号機もなく、一時停止の標識があるだけの、何の変哲もない交差点。だが、友原はその交差点に差し掛かるとその足を止めた。
『おっと、ここでライと待ち合わせの予定だったっけ』
『うん。月光館学園から備品を運んできてくれるんだよね。歩いてくるのかな?』
『いや実はあいつ最近――』
友原が何かを伝えようとしたまさにその瞬間、彼らの前を1陣の風が通り過ぎた。
その風の正体とは鈍色に輝く原付バイク。両輪を横に滑らせ停止したそれを運転していた男は、驚く友原達の前でヘルメットを脱ぎ、ニヤリとした笑みを浮かべる。
『――待たせたな』
そう、彼こそ備品を運んできた頼城葛葉その人であった。
『いやほとんど待ってねぇし! つか、なんで原付でドリフトしてんだよお前っ!?』
『ウィリーの方が良かったか?』
『そういう意味じゃねぇっての!』
『へぇ~、原付免許取ったんだライくん』
言い争いという名の漫才をやってる横で、葵がぺたぺたと原付を触っていた。
原付免許の年齢制限は16歳未満。高校1年生である彼も、誕生日さえ過ぎていれば取得は可能なのである。
ひとまず原付から降りる頼城。彼は原付のハンドルを手で押し、葵たちの横に並び立った。
『リコ、家までの案内頼めるか?』
『そうだね! すぐそこだから2人もついてきて!』
かくして彼女を先頭に、いつもの3人組は葵の家に向かうのであった。
◇◇◇
……数分後。
葵の家に到着した友原の頼城の2人は、眼前の建物を呆然と見上げていた。
『え、なにこれ、えっ、マジ?』
『豪邸だな』
ここが私の家だよと紹介された場所にあったのは、まさかの豪邸。
庭付きの塀に囲まれ、古めかしい装飾が施された2階建ての大きな一軒家だった。
入口で驚く2人を他所に、葵は正面の門をくぐって玄関の鍵を開ける。
『ささ、あがってあがって』
『いやいやいやいや! え、なに? リコって実はいいとこのお嬢様だったりするのか!?』
『あはは、そうじゃないって。お父さんがそこそこの研究者だからお金があるってだけだよ』
そこそこのレベルじゃこの豪邸は建てられない気がするが、まぁそういう事もあるだろう。
普通に納得し自然体で足を踏み入れる頼城の後ろを、友原がぎくしゃくした足取りでついて行く。
重々しい扉を抜けて屋内へ。家の内側もアンティーク調の落ち着いた雰囲気で纏められており、見かけだけでない事は誰の目から見ても明らかだった。
『お、おじゃましまぁす……』
『大丈夫大丈夫、今は親もいないし緊張する必要なんてないよ』
『へ、そうなんか? ちなみにご両親はどちらに?』
『お父さんは仕事が忙しくてずっと家を空けてるんだ。お母さんは……覚えてないけど、小さいころに事故で亡くなっちゃったみたい』
すこし遠い目をするリコを見て「しまった」と口を塞ぐ友原。
気まずい空気が流れているのを察知した頼城は、手に持った調理器具をわざと揺らし、注意を引いて話題を変える事にした。
『リコ、台所は?』
『あ、うん。ダイニングはこっち』
いつもの表情を取り戻した葵は頼城達を家の奥へと案内する。
友原は状況を変えた頼城に小さく『サンキューな』と言い、急いで靴を脱ぎ始めるのであった。
◇◇◇
『――器具はここに置いていいか?』
『うん。包丁とかも自由に使っていいから』
『助かる』
ダイニングに到着した頼城達は、早速キッチンに移って調理の準備に取り掛かる。
広い台所に所狭しと並べられた食材と調理器具。準備は万端だ。
『そんじゃ、オレ達の実力って奴を見せつけるとしますかね』
『ああ』
『がんばろ!』
気分はまさにシャドウと対峙する直前だ。
適度な緊張感とともに体の底から熱意が湧いてくる。
こうして、ダイニングテーブルを料理いっぱいで埋めるべく、頼城達の調理訓練が始まるのであった。
……
…………
……数十分後。
和気あいあいとしていた筈のキッチンは、いつの間にか重い沈黙で満たされていた。
『マジかよ……。3人揃って料理下手とか、そんな展開ある?』
テーブルの上に並べられたのは、モザイクをかけたくなる程に凄惨たる残骸の数々だ。
1品目は友原が作ったぐっちゃぐちゃに崩れて焦げだらけの塊。卵らしき殻が見え隠れしている。
2品目は葵が作った未知の色合いをしたデザート風の何か。なお、予定にデザートは1品も存在しない。
3品目の頼城の制作物に至っては、完全に炭化した上に化学変化と思しき変化を起こしており、そもそも食べ物とすら呼べなかった。
あまりに酷い。と言うかむごい。
これを自分たちが作り上げたのかと、友原は自らの目を疑った。
『いや確かに、現代社会はインスタントや出来合い弁当が溢れてるし、正直オレもインスタントを作るくらいしかやった事なかったけどさぁ! 1人くらい出来てもいいじゃん!! さっきのはそういう流れだったじゃん!?』
普通にド下手な自分のことを棚に上げて悲しむ友原。
そんな彼に対し、残りの2人が反発する。
『失礼な。私の料理はちゃんと形になってるよ!』
『失礼な。インスタントラーメンなら前に爆発したぞ』
『リコのはゲテモノ創作料理になってんだよ! 見た目どころか料理の分類すら変わってんだよ! ライに関しては料理以前の問題だっつーの!!』
ってか爆発ってなんだよ! と、友原は頭を抱えて崩れ落ちた。
しかし問題の2人はと言うと、『レシピ通りとかつまらないし』と開き直っていたり、『ちゃんと3分に設定したんだがな……』と不思議そうにするばかりで反省の色はない。
なんか根本的に駄目なんじゃないかと思う友原であったが、当の本人も普通に失敗している以上説得力は皆無。彼に止める術はなく、2人の会話はそのまま進行していく。
『現状一番成功しているのはリコか。教えてもらっても良いか?』
『任せて! レシピなんか見てても無意識に手が動いちゃうくらい、徹底的に葵流の料理術を教えてあげるよ!』
『頼もしいな』
『……なんかもう疲れた』
とんでもない化物が生まれそうな気がしたが、見なかった事にする友原であった。
――と、その時。
何の前触れもなくチャイムの音が家中に鳴り響く。
『あれ? お客さんかな?』
『誰か来る予定が?』
『ううん。特に予定はないよ』
なら、新聞販売か何かか?と推測する頼城。
とりあえず3人は料理を中断して玄関へと向かう。
1度きりのチャイムの後、静まり返った玄関。葵は何げなくその扉を開けたのだが……、
『はい、どちら様です……か?』
訪問者の姿を見た瞬間、彼女の動作は途中で止まってしまった。
何故ならば、その訪問者とは想定外のビッグネーム。
『突然の訪問失礼します。少しお聞きしたい事がございまして。……おや?』
『た、探偵、王子……?』
『ええ。そうですが』
中性的な服装を着た超有名な高校生探偵。
探偵王子こと白鐘直斗、その人だったのだから。
◇◇◇
『ど、どうぞ、粗茶ですが……』
『ああいえお気遣いなく。事前のアポイントメントもなしに訪れた僕が悪いんですから』
ガチガチに固まった葵にも動じずに対応する女性、白鐘直斗。
彼女は今、葵の案内でダイニングにある客用のソファに座らされていた。
そんな2人の様子を、やや遠くから眺める男が2人。
『なあライ。あの人ってあれだよな。髪とかは伸びてるけど、2年前に八十稲葉市の事件を追ってたってあの……』
『ああ。本人で間違いない』
かつて八十稲葉市で起きた怪死事件に関わり、貢献したと言う高校生探偵。彼女は今回の事件についても、シャドウワーカーの依頼で調査に加わっている。
頼城達はレポートを介してでしか知らないが、その詳細な報告書を見るだけでも、相当な切れ者であることは間違いないだろう。
そんな彼女が遠路はるばる葵の家を訪れた理由。当然、それは葵も疑問に思っていた。
『それで、白鐘さんはどうして私の家に?』
『ええ実は、貴女のお父上――葵
『え、父の? でも父は最近ずっと家に帰ってなくて。連絡取ろうにも仕事の話はしてくれないですし』
『……そうでしたか』
どうやら白鐘は研究者である葵の父親に用事があったらしい。
『それなら、葵博士の研究について分かる書類などはありますか?』
『あっ、それなら父の書斎を見てみます?』
『書斎ですか。――ええ、是非ともお願いしたいですね』
『分かりました! 鍵を探してきますのですこし待っててください!』
お役に立てる! と、葵は嬉しそうに小走りでダイニングを後にした。
残された白鐘は無駄のない動作で粗茶を口にする。
そしてカップを受け皿に乗せると、部屋の隅にいた頼城達に顔を向けた。
『貴方がたは、頼城葛葉さんと友原翔さんですね』
『へ? なんでオレ達の事を』
『貴方がたの話はシャドウワーカーから常々伺ってますよ。何でも高校1年の身でありながら、各地のシャドウ襲撃事件に尽力しているとか。僕も”このような”事件に関わり始めたのは高校1年だったので、何だか親近感が湧きます』
『このような……もしかしてあなたも?』
『ええ。ペルソナ使いです。――アマツミカボシ』
白鐘がそう呟くと、彼女の眼前に現れたカードが砕かれ、背後にどこか虫を連想させる小柄なペルソナが出現した。
そのペルソナは頼城達の前で軽く一回転して存在を示すと、そのまま何もせず消えていく。
唐突な召喚であったが、そんな光景を目の当たりにしたら、ペルソナ使いである事に疑問を挟む余地などないだろう。頼城達は白鐘もまたペルソナ使いである事を理解した。
『それより、作業の途中に割り込んでしまい済みませんでした。見たところ文化祭の準備中でしたよね』
『あっ、いえ大丈夫っす。料理は一通り完成してたんで』
『え、料理?』
どうやら彼女はテーブルの上に並べられた多種多様の劇物を見て、アート作品の製作途中だと思っていたらしい。
ここに来て初めて表情を崩した白鐘は改めてテーブルを見る。
料理と聞いてから見てみると確かに料理に見えなくもない。が、紫色の煙が立ち上るあれを食すのは、かなりの勇気が必要になるだろう。
『あの頃を思い出しますね……。僕の時は未然に防げましたが』
『何か?』
『ああいえ! なんでもありません』
友の尊厳を守る為かは知らないが、慌てて否定する白鐘直斗。
頼城と友原の2人はそんな彼女を不思議そうに見つめるのだった。
◇◇◇
……そうこうしている内に、時計の分針が90度近く移動していた。
鍵を探しに行ったはずの葵はまだ帰ってこない。どうやら、捜索が難航しているようだ。
『――1つ、質問をしてもいいですか』
今までの会話を区切り、頼城が白鐘に問いかける。
『ええ、僕に答えられる事なら』
『白鐘探偵は何故この家に来たんですか?』
『先ほど申した通り、葵博士の研究に興味があったからですが』
『本当に?』
『……』
重ねて問いかける頼城の言葉に、白鐘は口をとじた。
まるで疑惑の目を向けるような行動。それを隣にいた友原が慌てて諫める。
『お、おい、何言ってんだよライ』
『少し気になったんだ。アポイントなしに直接訪れた理由。それは恐らく、聞き込みのついでに”この家”を確認しておきたかったからだ。探偵がそこまでする理由なんて1つしかない』
探偵が本腰をいれるなら、そこに事件があってしかるべきだろう。
『そりゃそうだけどさ、白鐘さんにだって言えない機密の1つや2つは抱えてるだろ? そこは踏み込まない方が良いんじゃねぇ?』
『けど、それに葵が関係しているなら、無視はできない』
『それは……まぁ』
頼城の意見を前に友原は押し黙った。
彼の言い分も間違っていない。けれど、友が関わってるのなら話は別だ。
己が意志を通した頼城は、再び白鐘に問いかける。
『白鐘探偵、俺達も関係者です。可能であれば本当の理由を教えてくれませんか?』
頼城は鋼のように強固な視線を送って白鐘に懇願した。
ここからは彼女の判断に委ねるしかない。
真剣な表情でそれを聞いていた白鐘は、何かを思い出した様に口元を緩めると、
『"真実を追い求める意志"ですか。……分かりました。少し場所を変えましょう』
そう言って、頼城達を家の外――ひとけのない塀に囲まれた庭の一角に案内するのだった。
……
…………
――木の葉が舞い落ちる芝生に覆われた庭の一角にて。
周囲に人がいないことを確認した白鐘は、頼城と友原を相手に話し始める。
『まず確認ですが、お2人は桐条グループ本社で起きた襲撃事件の事は覚えておりますか?』
『え? ああ、あのでっかい4本腕のシャドウが現れた奴っすか?』
『ええ、その事件です』
頼城達が初めて桐条グループ本社に訪れたときに起こった襲撃事件。
あの時、葵を攫ったシャドウは屋上で殲滅する事には成功したが、それで万事解決とはならなかった。
『あの日、桐条グループに保管されていた"黄昏の羽根"が何者かに強奪されました』
『そういや結局あの犯人って見つからなかったんでしたっけ』
『はい。個人を特定するような手がかりは何も。――ですが、黄昏の羽根の保管場所について、知る者は限られています』
シャドウワーカー。対シャドウを目的とした組織だが、世間一般には公表されていない。
ペルソナやシャドウ等の技術に関するものについても同様だ。社外はおろか、桐条グループの社員であっても、その存在を知る者は少ない。
『なので僕は、これまで羽根の保管場所について知る者について調査してきました。当時のアリバイ、そしてシャドウ襲撃事件の分布。それらを総合的に分析した結果、浮かび上がってきた人物がいます』
『っておい、それってまさか、ここに来た理由って……!』
ここまで言えば、友原も彼女が何を言おうとしているのか理解できた。
今回のシャドウ事件における最重要容疑者。
まだ黒幕かは不明だが、深くかかわっている可能性が高い人物。それ即ち――。
『ええ、そうです。万能細胞を用いたバイオノイド研究の第一人者にして、かつて桐条グループが抱えていたシャドウ研究施設エルゴノミクス研究所――通称《エルゴ研》の元研究者。……”葵希人”その人です』
運命;アマツミカボシ
耐性:???
スキル:???
八十稲羽市の事件から1年後、とある事件調査の折に覚醒した白鐘 直斗のペルソナ。日本神話に登場する星を司る神であるものの、その記述は少なく謎に満ちている。