心が織りなす仮面の軌跡(閃の軌跡×ペルソナ)   作:十束

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63話「対怪盗包囲網」

 ――ワーカーホリック。

 それは日常生活に支障がきたす程に多量の仕事を行う者達の総称である。

 

 あるいはそれは、トールズ士官学院の生徒会長であるトワ・ハーシェルの様に、心優しい性格であるが故に多くの仕事を引き受けてしまった結果か。

 あるいはそれは、経歴不明の青年ライ・アスガードの様に、己の信じる道をただひたすらに突き進んだ結果か。

 

 他にも仕事が趣味だとかいろいろと理由はあるだろうが、まぁ、いずれにせよ限界を無視した場合の結果は明らかだ。いずれその無茶は手痛いしっぺ返しとなって本人に返ってしまう。……最悪の場合、命の危険すらある程に。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ――7月16日放課後のVII組教室。

 窓の外から部活動の掛け声が聞こえる静けさの中、誰もいなくなった夕暮れの教室にて2人の生徒が座っていた。

 その生徒の名はリィンとクロウ。ワーカーホリックとなってしまったライとトワを止める為、この2人はあれやこれやと意見を出し合っていたのだ。

 

「……つまり、ARCUSでライの奴を説得する作戦は無理って事か?」

 

 クロウはライの席を雑に引っ張り出して、リィンの机の反対側からそう質問した。

 対するリィンはペンを持ってノートとにらめっこ。メモを書き連ねながらもクロウの問いに答える。

 

「概ねそんな状況です……だな。理由は知らないけど、ライのARCUSは5日前から音信不通になってるんだ」

 

 リィンは敬語をわざわざため口に直しつつ、ノートに書かれた”導力通信”に×印を書いた。

 敬語を止めた理由は率直に言うとクロウの提言だ。今回の話し合いを始めるにあたってクロウが初めに言ったのは「俺たちゃもう対等な関係なんだから敬語を止めようぜ」と言う一言。

 わざわざ理由づけしてはいたが、単純に柄じゃないだけなのだろうとリィンは推測していた。

 

「導力通信と、ついでエリオットのペルソナを使った通信も駄目と来たか。……っはは、あいつ本気で怪盗にでもなるつもりなんかね?」

「……それ、笑い事じゃないぞ」

「あー悪ぃ悪ぃ。理由があったらマジでやりそうだわアイツ」

 

 項垂れるリィンにクロウは軽く謝って、机のノートを改めて見返す。

 

「しっかし、どうしたもんかねぇ……。説得するにしたって、会えないんじゃスタートラインにすら立てないっつーか」

「それならトワ会長の方はどうなんだ?」

「あ~、言っとくがそっちも難易度くっそたけぇぞ。俺だって無理やりにでも止めさせようともしたんだが、気づいたらどっかから仕事貰ってきてたし」

 

 渋るクロウの顔を見て、リィンは分かりやすく驚いた。

 ライならまだしも、トワがそこまで厄介だとは思っていなかったからだ。

 

「言っとくが、トワを見た目通りに判断するのは早計だぞ。無駄に有能なのもそうだが、意外に強情っつーか、”これ”と決めたら折れねぇ意志も持ってるからなぁ。それに――……」

 

 トワの様子を思い浮かべていたクロウは、会話の途中で口を閉ざした。

 

 会話を急に止められたリィンは密かにクロウの様子を伺う。

 腕を組んで天井を仰ぎ見て「ん~?」っと悩みこんでいる姿。

 見たところ、自らが言おうとした内容に自信が持てない、と言った様子だ。

 

「それに?」

「……何つーか、アイツの事になるとやや過保護になってる気がしてな」

「単純に見逃せないんじゃないか? ライは傍から見てて色々危うい所があるから」

「まぁ、それもそうなんだが……」

 

 何か違和感を感じたクロウは少し良い淀む。

 けれど、その理由も分からず、そもそも何時からそうなったかも定かではない以上、結論は出る筈もない。

 結局、2人は曖昧にしたまま元の話し合いに戻るのであった。

 

 

 ……

 …………

 

 

 ……カチ、カチ、カチと、回り続ける時計の針。

 それからどのくらい経っただろうか。

 

 リィンとクロウの話し合いは暗礁に乗り上げてしまっていた。

 2人で出来る事を色々と考えてみたのだが、どれもこれも失敗が目に見えていたり、既に片方が似たような事をやっていたり。机上の空論――と言われればそれまでだが、この5日間で失敗し続けた経験は、足踏みさせるのに十分な影響力を与えていたのだ。

 

「「はぁ……」」

 

 夕日は既に地平線に落ちて、空は藍色に染まり始めている。

 ここまで長引いてしまっては、フラストレーションが溜まってしまうのは避けられないだろう。

 居ても立っても居られず、クロウはペンを放り投げた。

 

「ったくよぉ、何やってんだろうな俺ら」

「言わないでくれ……」

 

 リィンは机に頭を預けたまま返答した。

 放物線を描いたペンが後頭部にぶつかっても気にしない。

 カランと床に落ちる音だけが教室内に響き渡る。

 

「――っだぁぁもう! やってられっかぁ!!」

 

 そんな中、ダンッ、とクロウが音をたてて立ち上がった。

 

「クロウ、流石に自暴自棄はどうかと思うぞ」

「いやいや、そんなんじゃねぇって! このまま続けたって意味がねぇって事だよ!」

 

 勢いで吹っ切れたクロウの頭には、とある天啓が浮かびつつあった。

 ……それはある種リィンの言う様に、自棄(やけ)になったとでも言えるものであったが。

 

「まず現状を再確認すっぞ。俺達はそれぞれ手を尽くしてきたが、全て無駄に終わっちまった訳だ」

 

 その案を明確な形にする為、クロウはあえて過去の筋書きをなぞり始める。

 

「それで、次に取った手はと言うと、――ハイ、リィン君」

「……はぁ、お互いに協力を仰ぐことにしたんだろ?」

「その通り! ぶっちゃけ今でもその方針自体は間違ってねぇと思ってる。問題なのは、俺達”2人だけ”で対処しようとした事だ」

「だけって、他に誰が……。……あっ」

 

 2人だけ、と言う単語が強調されたことによって、リィンはようやくその意図を理解した。

 クロウが己の懐に手を伸ばし、ARCUSを取り出した、――その意図を。

 

「クロウ、まさかお前……!」

「フッ、漸く分かったみてぇだな」

 

 ククク、とまるで悪役の様に笑うクロウ。

 

 そう、彼の思いついた手は単純にして明快。

 1人で駄目なら2人。2人ですら捕らえられないならば、数の暴力で無理やりねじ伏せる。

 前回のバーベキューでライが使った手段を、今度は彼を追い詰める為に使うのだ。

 

「やるなら全力で、か。……上等じゃねぇか。やってやろうぜリィン! 俺達が集められる”最大戦力”で、あのバカをとっ捕まえるぞ!!」

 

 かくして、近郊都市トリスタに現れた怪盗をとらえる為、学生たちの共同戦線が築かれたつつあった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

『……そう言う事ね。話は分かったわ』

「悪いなアリサ、こんな事を頼んでしまった詫びは今度するよ」

『そんなの別にいいわよ。私もあいつの暴走っぷりがちょっと気になってたところだったし』

 

 真っ暗な窓の外を眺めながら、リィンはARCUSでアリサに連絡をしていた。

 VII組への協力要請。それこそがクロウから頼まれた最初のミッションだったからだ。

 既にエリオット達男性陣への連絡は済ませたリィン。今は5回目の状況説明を行ったところである。

 

『――うんうん! 怪盗を捕まえるならボクも協力するよ!』

 

 そんな中、突如、ARCUSからアリサ以外の元気な声が聞こえて来た。

 アリサと1対1で会話していたと思っていたリィンは一瞬固まる。

 

「……えっと、その声はミリアムか?」

『あ、ごめんなさい。何度も説明させるのも大変だと思って、途中からスピーカーの設定を変えてたの。ちょうど寮には他の女性陣(みんな)もいたし』

『まったくライもひどいよねー! 怪盗なんてオモシロそーな事するなら、まずはボクを通すのが筋ってものじゃない?』

 

 状況説明をするアリサの後ろで憤るミリアムの声。

 どうやら今は誘ってもらえなかった事を不満に思っている様子だ。

 正直、ミリアムを誘わなかった事だけはライに感謝しておきたいと思うリィンであった。

 

『えぇっと、ミリアムの話はともかくとして、私たちは情報を集めてくればいいのよね?』

「ああ。そうしてくれると助かる」

『任せて。……あ、それとシャロンから伝言。”冷めてもおいしい夜食を用意しておきますので、時間は気にせずお挑みください”って』

「ははは、は……。そっか、なら頑張らないとな」

 

 深夜までかかるのが前提か、とリィンは密かにツッコミをいれたものの、表面上は無難に礼を言ってアリサとの通話を切った。

 すると、タイミングを見計らっていたかの様に近づく足音が聞こえてくる。

 別の面々に連絡を取っていたクロウが、トリスタの地図を片手に近寄って来たのだ。

 

「どーやらそっちも話がついたみてぇだな」

「予定通り、VIIの皆には町中を偵察して貰える形になった。……別件の用事があるとかで、何人かには断られたけど」

「ま、こんな時間だしな。そりゃ仕方ねぇか」

 

 窓の外を見てクロウは肩をすくめる。

 時すでに夜の7時を回っている。いくら昼が長くなってきた初夏と言えど、とっくに月が昇る時間帯だ。

 

「でもまぁ、これでトリスタ全体はカバーできた訳だし、情報を集約すりゃ”星”の動向も分かるってもんだ」

 

 うしし、と悪い笑みを浮かべながら地図にペンを走らせるクロウ。

 

 ――そう、リィン達が行っているのは正しく包囲網の形成だ。

 導力通信が安定しているトリスタ内であれば、複数の情報をARCUSで受け取るのは容易。

 そして、怪盗などと言う目立つ行為を行っている限り、痕跡は必ずどこかに残っているものだ。

 リィンとクロウはそれらを集約し、トールズ士官学院で学んだ技術を活用して地図上にリアルタイムの状況を反映させていく。

 

「トリスタ市内で夏風邪が流行っている模様、と。これは関係ねぇか?」

「クロウ、ミリアムから情報が入ったんだけど、路地裏の木箱や屋根にライらしき足跡が残ってたみたいだ」

「――ッチ、あの野郎、やっぱ人目を避けて動いてた訳か」

 

 少しずつ、だが着実と集まっていくライの痕跡。

 それらが数十を超える量になった段階で、リィンは一旦情報の位置を地図上に纏め上げる。

 ……どうやら真新しいライの痕跡は、士官学院よりも駅側――つまりは市街地側に集中しているようだ。

 

(これは、捜索範囲を市街地周辺に絞った方が良いかも知れないな)

 

 と、そんな折、また1つ教室内に着信音が鳴り響く。

 音の発生源は机の上に置かれたリィンのARCUSであったが、生憎リィンは少し離れた場所で作業中だ。

 代わりにクロウがそれを拾い上げ、慣れた手つきでスピーカーを周りに聞こえるよう設定して通話のボタンを押した。

 

「――へい、こちら対怪盗対策本部」

『あれ? もしかして番号を間違えました?』

「おうその声は委員長か? 悪ぃ、今リィンは手が離せねぇんだわ」

 

 どうやらリィンのARCUSにかかって来たのはエマからの通信だったらしい。

 エマはクロウのクラスの委員長ではないのだが……まぁ、ツッコむのも野暮な話だろう。

 リィンは手作業を進めたまま、耳に意識を集中して2人の会話を伺った。

 

「そんで、委員長は何か手がかりを掴んだのか?」

『はい。……ただそれより、まずは聞いておきたい事がありまして』

「ん? どういう事だ?」

『セリ――私の友人が見かけたみたいなんですけど……、今回の捜索って”1年I組やII組の皆さん”も参加しているんですか?』

 

 …………I組やII組って事は貴族クラス? それも複数人?

 

 たっぷり間を置いた後、リィンはクロウの顔を見る。

 アンゼリカと言う貴族の友人がいるのは知っていたけれど、まさか他にも協力を頼んでいたの?と言う視線の問いかけ。

 しかし、クロウも身に覚え無いらしく、手を横に振っていた。

 

「……いや、俺達の方から頼んではいねぇぞ?」

『そうでしたか。それなら急がないと』

「あー急いでるとこ悪ぃんだが、せめて詳細を教えてくれねぇか?」

『あ、はい。友人の話ですと、貴族クラスの多くが、町中を走っていたみたいでして、それで――』

 

 エマは走っているのか、飛び飛びの言葉がARCUSから聞こえてくる。

 

『――それで、”怪盗をトリスタ駅に追い詰めた”と、言っていたそうなんです』

 

 ……え?

 

 リィンとクロウの時間が止まった。

 怪盗、つまりはライが、貴族クラスの生徒に、トリスタ駅に追い詰められた?

 それらの言葉の意味を把握した次の瞬間、

 

「「はぁ!?」」

 

 驚きの叫びが教室内に木霊した。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 エマとの通話が切れてすぐ、リィン達は士官学院を跳び出した。

 目指すはトリスタ駅。2人はまっすぐ続くレンガの道を駆け抜ける。

 

「どーなってんだよ! 貴族クラスまで怪盗探しなんて! これじゃあ生徒の殆どが怪盗を追ってる事になるじゃねぇか!!」

「多分理由は、”権力側である貴族生徒にとって怪盗は悪そのもの”、だからじゃないか? 前にユーシスが言ってたんだ」

「あーなるほど。ピカレスクも貴族にとっちゃただのコソ泥って訳か。――ってこんな話してる場合はねぇな! 急ぐぞリィン!」

「ああ!」

 

 2人は更にペースを上げた。

 遠くに見えるのは白服の生徒達がトリスタ駅を包囲する姿。更に包囲網の外側には、クロウが駆り出した庶民クラスの生徒達が野次馬の様に集まりつつあった。

 

 そしてもう視界に入ったのは闇夜を照らすスポットライトだ。どこから取り寄せたのかは知らないが、複数個用意されたスポット式の導力灯が、トリスタ駅の屋根――背を向けて立っている灰髪の男子生徒を照らしていた。着ている服はVII組の制服ではなかったが、その白と黒の中間の様な髪色は見間違う筈もない。

 

(間違いない。あれはライだ)

 

『――怪盗に告げる。貴様は我々が完全に包囲した。大人しく投降したまえ』

 

 取り囲む集団の中心に立つ生徒が、拡声器を通してライの背中に問いかける。

 まるで追い詰めた罪人に対し、チェックメイトをかけたかの如き堂々とした声だ。

 

『此度の怪盗まがいの行為の数々、我ら貴族に対する挑発と見て間違いないな? 大方、先月の実技テストに対する報復だろう。実に庶民らしい姑息な手と言ったところか。……しかしここは歴史あるトールズ士官学院の地だ。怪盗などと言う蛮行を見逃していては、貴族として、歴史を築いてきた先代に顔向けできまい』

 

(ああなるほど、彼らはライの行動を”そう”受け取ったのか。いや、もしかしたら例の嫌悪感によってそう思い込まされている可能性も……?)

 

 リィンはそんな推察を重ねつつも、ようやく野次馬の近場まで到着する。

 しかし、着いたは良いが、リィンにはこの状況をどう収集つけたらいいかまるで分からない。

 そう簡単に説得できるなら、I組とVII組の衝突も始めからなかったと言う話だ。

 

 何か糸口はないかと、リィンは包囲する貴族クラスの面々を後ろから見渡した。

 すると、その面々の中にいる筈の人物がいない事に気づく。

 

(ん? パトリックはいないのか?)

 

 実技テストの報復、と言う話ならば、いなければならない中心人物だ。

 それなのに、何故この包囲網の中にいないのか? リィンはその理由について考え始めたその時、

 

「リィンさん! それにクロウさんも!」

 

 後ろからエマの声が投げかけられた。

 リィンとクロウが振り返ると、そこにはエマを初めとして、アリサやエリオットと言った、リィンの捜索に協力してくれた面々が揃っていた。

 

「委員長、それに皆も……」

「私が皆を集めたんです。さすがにこの状況は1人でどうにもできませんから」

「まあ、そうだよな」

 

 改めて、リィンはトリスタ駅の屋根を見上げた。

 

 状況は刻一刻と変わっている。

 今は駅の2階バルコニーから梯子がかけられ、3人の屈強な男達が屋上に上りつつあった。

 一方屋上にいたライは、距離をと取るためかスポットライトの当たらない奥の方へと移動する。

 

『ふん、逃げようなどと思わぬ事だな。駅の周囲は我々に加え、我々が手配した者達が配備されている。――これが最終通告だ。大人しく投降したまえ』

 

 定型句の様な言葉で投降を促す貴族生徒であったが、その言葉に嘘はない。

 気配の読めるリィンには、この駅周囲に普段以上の人数が集まっている事が手に取るように分かった。

 

 建物の裏路地を塞ぐようにして待機している雇われ。

 他の逃げ場がないか入念に探索を続けている男子生徒。

 そして彼らをまとめる為に慌ただしく連絡を取り合う女子生徒。

 

 彼らのそんな姿を見たリィンは、まるで自分達を見ているようだと言う事に気がついた。

 

(ああ、そうだったんだな。彼らも怪盗を捕まえたい一心で……)

 

 普段はお高くとまっている貴族生徒。

 だが、今この瞬間は怪盗を捕まえるため、全身全霊をかけて動いていた。

 

 これだけの人員を集めるため、いったいどれだけの労力をかけたのだろうか。

 四大名門であるパトリックがいない以上、それまで多くの人を動かせる権限を持った者はいないだろう。

 それでも彼ら貴族生徒は、個人で動かせるできる限りの人員をかき集め、こうして怪盗活動を辞めさせる為にライを追い詰めたのだ。

 

 そう、これは最早リィン達だけの騒動ではない。

 リィン達VII組、クロウが集めた庶民クラス、そして貴族クラスまでもが《依頼怪盗》の為に動いていたのである。

 これではまるで士官学院全体が一丸となって挑む一大イベントである。

 

(いやいや、流石に大規模過ぎないか?)

 

 想定以上の規模のデカさにおののくリィン。

 だが次の瞬間、――事態は動き出した。

 

「……歴史に泥を塗ったのは詫びる」

 

 ここで初めて、ライが口を開いたのだ。

 背を向けているため表情は分からないが、言葉は素直にこの状況を生み出した非礼を詫びている様子だ。

 

 しかし、

 

「けど今は、ここで止まる訳にはいかない」

 

 捕まるつもりなど、あの男には毛頭なかった。

 

 屋上に上った者達の手が届く数歩前、ライは目元を手で薙ぎ払い、素早く振り返った。

 僅かに見える青い瞳、刹那、迫っていた3人の身体が硬直する。

 

(まさか、あの”嫌悪感”を利用した、のか?)

 

 例え武術の心得があろうと防ぎきれない嫌悪感。

 ライはそれを一瞬の隙を作り上げるのに利用したのだ。

 リィンがその行為を理解したのと同時に、ライは煙玉を服の裾から取り出し、地面に叩きつけた。

 屋根を覆い隠すように広がる白煙。スポットライトの明かりも完全に遮られる。

 

 だが、いくら視界を奪おうと、広く開けた屋根の上では隠れる場所はない。

 屋根の上には3人の確保要員。駅の2階も地面には取り囲む様にして目を光らせる貴族クラスの面々。

 変装技術でもなければ抜け出せないだろうと、中心となっていた貴族生徒は笑う。

 

 けれどそんな状況下、リィンの耳に微かに、”線路を走る車輪”の音が聞こえて来た。

 

(こ、この音ってまさか……)

 

 リィンの脳裏に1つの逃走経路がよぎる。――それは次の瞬間、現実となった。

 トリスタ駅を通過し帝都へと向かう回送列車。高速で走る鉄の塊が駅に差し掛かったその刹那、煙の中から1つの人影が跳び出したのだ。

 

 リィンはまるでスローモーションのように、背中から線路上空に躍り出るライを見た。

 

 月明かりを背にして浮かぶ、不敵な笑みを携えたライの姿。

 一瞬遅れてスポットライトが彼を照らし出す。

 

 それはまるで演劇のような光景であった。

 スポットライトの中、空中を華麗に回転しつつライは落下していく。

 そして落下する先には高速で走る回送列車。見事その上に着地したライは、多くの者の視線を独占する中、手をまっすぐ伸ばしたスタイリッシュなポーズを決めて帝都の方へと消えていった。

 

 ……一瞬の出来事であった。

 小さくなっていく列車を見送った者達の耳に、夏の虫が鳴く声がやけに大きく聞こえてくる。

 皆、帝都へと続く線路を見たまま、しばらく呆然としていた。

 

「……嘘だろ。そこまでやんのかよ」

 

 クロウの一言を皮切りにして、数々の混沌とした言葉が駅前に溢れかえる。

 

「い、今何が起こったんだ?」と状況が呑み込めない者。

「移動中の列車に乗るんじゃない!」と常識的な憤りを漏らすも者。

「そもそも最後のポーズは一体何なの?」と首を傾げる者。などなど。

 

 そんな喧噪の中、ふと夜空を見上げたリィンは、ゆらゆらと舞い降りる1枚のカードを見つけた。

 まるでリィンの元に狙いを定めたかのように降りてくる小さな紙。

 それをキャッチして見てみると、カードにはこう書かれていた。

 

 ”ちょっと帝都まで行ってくる”

 

 リィンは、魂が抜けていくような徒労感に襲われた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ――7月16日、午後10時。

 第3学生寮の食堂に座るリィンとクロウは、ぐったりとテーブルに身を預けていた。

 何と言うか、絆の力でも越えられないものもあると言う現実を教えられたみたいな気分だ。

 

「はあ……、なあリィン、これからどうすっかな」

「そうだな。帰りを待ってそこで捕まえるとかか?」

「いや無理じゃね? あいつの行動が読めねぇっつーか、次は路上でスケートやり始めてても不思議じゃねぇっつーか」

「ごめん、その例えはちょっと理解が追い付かない」

「……わりぃ、我ながらどうかしてたわ」

「…………」

 

 燃え尽き症候群、とでも言うのだろうか。

 止める方法を考え抜いた末に辿り着いたヤケクソの策すら失敗した。数日前から動いていたであろう貴族クラスですらあの様だったのだから、数で追い詰める方法は根本から見直す必要があるだろう。

 

 無論、諦めた訳はない……のだが、あの2人が止まるビジョンがまるで見えてこない。

 

(とりあえず、シャロンさんの作った夜食でも食べるかな)

 

 まずは気を落ち着かせよう。と、リィンは作り置きのサンドイッチに手を伸ばす。

 リィン達の内には未だ焦燥感がくすぶっていた。今はまだ大丈夫だが、何時ライやトワの限界が訪れるかも分からない。

 タイムリミットに追われる恐怖をサンドイッチと共に飲み込むリィン。

 

 ――と、そんな時、静かに食堂の扉が前触れなく開かれた。

 

「む、その声はリィンか?」

 

 食堂に入って来たのは、何冊もの本を抱えたガイウスであった。

 

「リィン、先ほどは断ってしまって済まなかったな」

「別にいいさ。また図書館で調べものをしていたんだろ?」

「……ああ」

 

 ガイウスは手に持った本を見つめ、表情を暗くする。

 

 そう、ノルド高原が緊迫状態になってから早半月。

 ガイウスはこうして学院の書物を読み漁り、ノルド高原の緊張状態を解くためのヒントを探し続けていた。

 何もせずにはいられないのだろう。リィンも偶に手伝っていたが、ガイウスの表情から察するに、未だヒントらしいヒントは見つかっていないらしい。

 

 けれど、ガイウスはすぐに表情を戻し、リィン、そしてクロウへと視線を動かした。

 今はその話をするべきじゃない。と言った真剣な表情だ。

 

「しかし、丁度良かった。2人に伝えておきたい事がある」

 

 これは図書館から出る際に聞いた話なんだが――と言う前置きを添えて、ガイウスは言葉を紡ぐ。

 

 

「――先ほど、生徒会室で会長が倒れたらしい」

 

 

 ガタッと、クロウが跳ねる様に立ち上がる。

 

「おい。それ本当か?」

 

 何時になく真面目な口調で問いかけるクロウ。

 それに対し、ガイウスは頷く事で答えた。

 

「小耳に聞いた話では、高熱を出して保健室に運ばれたそうだ」

「熱……ああ今流行ってるっていう夏風邪かよ」

 

 過労で免疫力でも落ちていたのだろうか。

 遂に恐れていた状況になってしまった。クロウは脱力するように椅子に座り込んだ。

 

「やっぱこうなっちまったか。だから休むよう言ったってのに……」

 

 はぁ、と深いため息をこぼすクロウ。

 そして共同戦線を張っていたリィンもまた、再びどっと疲れが押し寄せて来た。

 

(こうなったらもう、俺達が怪盗に頼みたいくらいだ)

 

 と、投げやりの感想を抱いたその時、リィンはハッとした表情になる。

 

「……あっ」

 

 もう1つ、見逃していた手段があった。

 ライを止めようとしていたからこそ気づけなかった、ある意味最も簡単な解決策。

 今なら間違いなく成功するであろう、逆転の一手。

 

 リィンは身体に力を入れなおし、クロウの元へと歩き始めた――。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ――7月17日、午前2時。真っ暗になった生徒会室。

 日も跨ぎ、静まり返った室内に、1組の足音が響き渡る。

 

 やや疲れた目をした灰髪の青年。

 彼はいつも通りの足運びで、依頼を纏められたバインダーを開く。

 すると、バインダーの間から1枚の紙が滑り落ち、青年の足元にパサリと落ちた。

 

「……これは?」

 

 青年は地面に落ちた紙を拾い上げる。

 折りたたまれた真っ白な紙。それは依頼が書かれたものの様だ。

 昼間はそんな依頼はなかった筈、と、青年は疑問に思いつつもそれを開く。

 

 ――――――――

 件名:医務室にて病人の看病

 依頼者:クロウ・アームブラスト、リィン・シュバルツァー

 ――――――――

 

 ……かくして、ワーカーホリックを心配する友人たちの願いは、1人の怪盗へと届けられた。

 

 

 


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