心が織りなす仮面の軌跡(閃の軌跡×ペルソナ)   作:十束

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61話「生徒会の仕事」

 ――7月6日。

 

 ルーレでの一幕を終えたライは、日に日に気温が上がる日差しの中、トールズ士官学院での生活に戻っていた。

 ライの目の発光や周囲に与える影響は何も変わらない。けれど、案外人は順応するものだ。嫌な雰囲気を醸し出す生徒がいると言うのも、少しずつトールズ士官学院における学院生活の一部となって来ていた。

 

「アスガード。この備品をグラウンドにある倉庫に運んでくれ」

「はい」

 

 生徒会の先輩から受けた指示に従い、ライはどっしりとした木箱を持ち上げた。

 そう、今は放課後。昼間も伸びてきたため空はまだ青みがかっているが、生徒会の仕事の真っ最中である。

 

 両手で何とか持てる大きさの木箱を抱えたライは、器用に人を避けながら学院反対のグラウンドへと歩いていく。

 

「あ、あれって噂の……!」

「ほんとだ。まるで噂話に狂ってる奴みたいだな」

「呆れるくらいに現実主義で冷たい奴っぽいよなぁ」

「え?」

「え?」

 

「…………」

 

 いつぞやの噂好きな2人組の傍を通り抜けてグラウンドへと続く階段を下りる。

 もはやこんな反応も日常だ。何故か嫌悪感を持たれる異変。――正確に言えば、自身の抑え込んでいた影をライに投影してしまっている状態か。……さて、どうしたものか。

 

(原因の当てはあるんだが……)

 

 フィーの話を聞く限り、この異変が起きた原因として考えられるのは2つ。ロゴス=ゾーエーによるライの死と、直後に見た夢のどちらかだろう。

 しかし、この状態を改善する方法になるとまるで八方ふさがりだ。

 シャドウ研究の最先端とも言えるルーレでも駄目だったとなると、残る手段は……。

 

 と、そんな考え事をしながらも荷物をグラウンドの倉庫に置くライ。

 すると、目の前に一瞬、不可思議な光が通り過ぎていった。

 

(――蝶?)

 

 青い光を鱗粉のように振りまく蝶は、まるでライを誘うようにして倉庫裏へと消えていく。

 

 何気なくライは蝶の後を追う。

 倉庫の角を曲がって、人気のない行き止まりへ。

 そこには蜃気楼のようにゆらめく青い扉がぽつんと佇んでいた。

 

「こんなもの、今まであったか……?」

 

 疑問の言葉を漏らすライであったが、脳内では直後に”否”と言う答えを出していた。

 家もなく扉だけが直立してるのは不自然だし、そもそも揺らめいている時点で怪しい事この上ない。

 

「……よし」

 

 とりあえず、入ってみよう。

 ライは遠慮なくドアノブに手をかける。

 

 開かれる青い幻想の扉。

 その向こう側が見えたと思った次の瞬間、ライの視界が光に包まれた。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ――ピアノの音が聞こえる。

 

 ふと気がつくと、ライは真っ青に染まるベルベットルームの中で座っていた。

 カタンコトンと揺れる列車内のような部屋。目の前にはいつも通り、イゴールが変わらぬ姿で微笑んでいる。

 

「フフ、ようこそベルベットルームへ。夢以外でこの場所に来るのは、これが初めてでございましたな」

 

 どうやら、あの不可思議な扉はベルベットルームへと繋がる道だったらしい。

 何でそんなものが士官学院の敷地内に現れたのだろうか。

 

「此度の試練を乗り越える際に、お客人の内に眠る”お力”が覚醒された様子……。それにより私めも、かの島よりお力添えをさせていただく事が可能となりました」

 

 空回る島からの力添え。……もしかしてそれは、ペルソナ合体の事を指しているのだろうか?

 

「左様。ペルソナ合体は本来ここベルベットルームにて行う事のできる行為でございます。お客人は自身に宿るお力によって、現実世界でもお使いできる様でございますな」

 

 ライは知らず知らずのうちにベルベットルームの機能を使っていたらしい。

 神を倒すために必要だったラウラとフィー、クロノバースト、それにベルベットルーム。ライは改めて、あの勝利が薄氷の上に成り立っていたのだと理解した。

 

「右手をご覧ください」

 

 イゴールの指示に従い、ライは右手を確認する。

 細長い手触り。ライの手の中にはいつの間にか、空回る島で渡された”青い輝きを放つ鍵”が握られていた。

 

「それはフィレモン様がお持ちになられていた4本の鍵の内の1つ。かつて哲学者カール・グスタフ・ユングの夢に現れる際にも使われていた、意識と無意識とを繋ぐ”鍵”でございます」

 

 ――状況把握。イゴールの言う”お力”とは、フィレモンから貰ったこの鍵の事なのだろう。

 それが”覚醒した”と言う事は、先ほど考えていた異変の原因もこの鍵と見て間違いない。

 この力を抑える事は出来ないのか?と、ライはイゴールに問いかけた。

 

「残念ながら、私めにはあずかり知らぬ事柄でございます」

 

 ならば、フィレモンと言う人物に会う事は出来ないか?

 先の言い方から察するに、イゴールはあの男の事を知っている様だが。

 

「それも出来ますまい。あのお方は私よりも遥かに高位の存在。真に必要な時になりましたら、おのずとあなた様の元に現れましょう……」

 

 そうか……。とライはしぶしぶ引き下がった。

 

「さて、このベルベットルームはお客様の運命と不可分の部屋。此度、扉を見つけられたのも偶然ではありますまい。……ペルソナ使いを手助けする役目を持つ者として、更に1つ、お力添えをさせていただきましょう」

 

 ライの前に、イゴールは1冊の本を出現させる。

 

「これはペルソナ全書。あなた様が手に入れたペルソナを記録する書物でございます」

 

 重厚な本の中身を読んでみると、ライが今まで召喚してきたペルソナが事細かに記録されていた。

 イゴールの説明によると、このペルソナ全書は対価を払う事で失ったペルソナを再度呼び出せるらしい。

 

 ――ペルソナ合体と、ペルソナの再召喚。

 幾多のペルソナを扱うライにとって、このベルベットルームは力を強化し整える場でもあったのだ。

 

「さて、如何なさいますかな?」

 

 せっかくだ。

 少し手持ちのペルソナを強化しておこう。

 

 過去2回のペルソナ合体によって手札が少なくなったライは、イゴールの持つペルソナ全書へと手を伸ばした。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ――学生会館。生徒会室前。

 再びこの場所に戻って来たライは今、無表情のまま内心反省していた。

 

(……時間をかけすぎた)

 

 そう、ペルソナ合体をやりすぎたのである。

 

 ベルベットルームでのペルソナ合体はまさに沼であった。耐性・スキルを考えつつ新しいペルソナを生み出していく行為はまるでパズルゲームだ。手持ちのペルソナを吟味して、合成して、再召喚して……。……気づいた時にはもう手遅れ。元の倉庫裏に戻ってみると、空はすっかり深紅に染まってしまっていた。

 

 今後はベルベットルームを使う時間も考えよう。と思いつつ、ライは生徒会室に入るためドアノブに手を伸ばす。……が、指が触れる直前、バタンと勢いよく扉が開かれた。

 

「――ッ?」

「っとと、すまないアスガード!」

 

 ライは条件反射で跳んで廊下の隅に退避する。

 その直後、生徒会室から1人の生徒がライに謝りつつも駆け出して行った。

 過ぎ去る彼の手元には十数枚の書類。……見たところ、彼はその資料を届けに行くようだ。

 

「あ、ライ君おかえりなさい」

 

 数秒遅れ、生徒会室の扉からちょこんとトワが顔を出す。

 

「ただ今戻りました」

「えへへ、ちょっと驚かしちゃったかな? ライ君が出ていった少し後に急な頼まれごとが来ちゃって、ついさっき一段落したところなんだ」

「またですか……」

 

 やはりベルベットルームで時間をかけたのは不味かったらしい。

 この生徒会は割と頻繁に急な案件が流れ込んでくるから、油断ならないのだ。

 

「それで、頼まれ事とは?」

「えと、それなんだけど……ライ君は夏至祭って知ってるかな?」

 

 初耳だとライは返す。

 

「そっかぁ。なら今のうちに説明したほうがいいかもね」

 

 エレボニア帝国――特に帝都の夏至祭は特別だから、とトワは1人でうんうんと頷いていた。

 特別な夏至祭。まあ、名前からして特別な点が1つある。

 

「そもそも夏至は6月下旬では?」

「あはは、国外から来た人はみんなそう言うね。……帝都ヘイムダルの夏至祭は1ヶ月遅れで開かれるの。獅子戦役の終戦記念日も兼ねてて、数日に渡って盛大に祝うことになってるんだ」

 

 要は内戦終結を盛大に祝うために、元々あった祭りの時期をずらしたと言う事なのだろう。

 トワによると、今年は7月26日から祭りが始まるそうだ。

 その間はトールズ士官学院も特別に休暇が設けられている。先の頼み事と言うのも、この休暇が関係しているらしい。

 

 ――と、こうして入口でトワと歓談をしていると、

 

「会長。新入生の夏服を支給するにあたっての書類に承認を頂きたいのですが」

「17日から始まる”軍事水練”に関しても、いくつか連絡事項があります」

 

 いつの間にか生徒会の生徒が2人、生徒会室に訪れていた。

 

「あ、うん! 書類に判子を押すからちょっと待っててね! 軍事水錬もこっちで幾つか書類を纏めてたから今準備するから! ――ごめんね、ライ君。もう仕事に戻らなきゃ」

「いえ。何か手伝える事は?」

「……ううん、これは生徒会長にしかできない仕事だから。気持ちだけ受け取っとくね」

 

 そう言い残すと、トワは生徒会の1人から判子を押す書類受け取って、ぱたぱたと生徒会室に戻っていく。

 

 ……生徒会長にしか出来ない仕事。

 確かにその通りではあるのだが、そもそも夏服の支給や軍事水錬の確認が生徒会長の仕事かと考えると微妙なところだ。

 そんなライの疑問に答えたのは、先ほどトワに書類を渡した緑制服の生徒会。1年上の平民クラスの生徒だった。

 

「あー、ほら、会長って俺らが言うのも何だけど優秀だからさ。教官方から手伝いを頼まれる事が多くって。特にサラ教官は色々と事務仕事を持ってくるみたいだね」

 

 急な案件が流れ込んでくる原因が判明した。

 

 それでいいのかサラ教官。

 いや、サラもシャドウ案件で忙しい以上、教官の業務がこなせない状況なのかも知れないが。

 

 ……まあ、そんな事より、トワの働きっぷりを改めて目にしたライの中には、1つの考えが生まれていた。

 

(俺より、ハーシェル先輩の方を心配すべきなんじゃないか?)

 

 ライが言うのも何だが、トワの仕事は少々度が越えた忙しさだ。割とハードな学業に加えて連日の生徒会業務。それを見た目10代前半の小柄な少女がこなしているというのだから、彼女の疲労は想像に難くない。

 

「会長って時々生徒会室で疲れて眠っちゃうらしいし、やっぱり心配だよなぁ」

「ええ。何か業務を減らす方法は……」

 

 ライは生徒会室の中をくまなく見渡す。

 印鑑を押すような書類業務はトワの言っていた様に生徒会長でしか出来ない仕事だ。

 生徒会としての意思決定が必要な事案もまた然り。

 かといって簡単な作業はと言うと、ライが既に2週間くらい先の分まで終わらせてしまっていた。

 

 他になにかないものか……。

 と、探すライの目に、ふと、1冊のバインダーが目に留まる。

 

「……これは?」

「ああ、それは生徒会に届けられた生徒や周辺住民の要望」

 

 要望……目安箱のようなものなのだろうか? と思いつつライは中身を確認する。

 

《珍しい香辛料の調達》

《鍛錬の相手を》

《悪質なストーカー行為を止めさせて欲しい》

《――…………》

《……》

 

 しかし、書かれていた内容は生徒会への要望ではなかった。

 

 内容は個人的な悩みが大半。

 それも手助けを頼む内容ばかりだ。

 

「まぁ、内容は遊撃士協会の依頼だね。今のトリスタには遊撃士がいないから、代わりにやる人間が必要なのさ」

 

 セントアークでは領邦軍が代わりをしていたように、トリスタでは生徒会が代行をしていたのだろう。

 こんな事までやっていては、生徒会の仕事が少なくなる筈もない。ライはこの依頼こそ忙しくなる要因の1つだと確信する。

 

「このバインダー、少し借ります」

「え? あ、ああ、分かったけど。……何をするつもりなんだい?」

 

 何やら嫌な予感を感じたのか、生徒会の先輩は恐る恐るライに問いかける。

 

 だが、もう遅い。

 ライは既に行動指針を見つけてしまったのだから。

 

「手始めに、人助けを」

 

 ……かくして、ライの《お悩み解決作戦》が開幕を告げるのであった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ――依頼(クエスト)

 それは民間の警護・調査を受け持つ遊撃士協会が行っているとされる民間支援のシステム。一言で言うなら何でも屋の仕事だ。ライ自身は遊撃士とやらをほとんど知らない状況であったが、そのシステムは特別実習の活動と似たものらしい。

 ならば、少しくらい勝手も分かるだろうとライは考えていたのだが……、

 

 ……現実問題、そう簡単にはいかなかった。

 

 ――――――――

 件名:珍しい香辛料の調達

 依頼者:学生会館の料理人ラムゼイ

 ――――――――

 

「お前みたいな輩に頼む依頼はない」

 

 開始早々バタンと閉められる調理場の扉。

 取り付く島もない。誰がどう見ても門前払いだ。

 

 そう、今のライには依頼において最も大切な事が欠けていた。

 

 即ちそれは依頼主との信頼関係。

 相手の嫌悪感を引き出してしまう今のライにとって、依頼は致命的なまでに相性が悪かったのである。

 強引に依頼を受けようとしても、更に溝を深めるだけだろう。

 開始早々、ライの作戦は崩壊寸前にまで追い詰められてしまったのである。

 

(どうしたものか……)

 

 ライは閉じられたドアの前で考え込む。

 諦めるなんて選択肢は初めからない。

 かと言って、面を合わせるとこんな状況だ。

 

 ならば、残る手段は……。

 

 

 ……

 …………

 

 

 ――第3学生寮。

 

「フィー、気配を消す方法を教えてくれないか」

 

 考え続けたライは、その晩フィーの元に訪れていた。

 

「ふぁ……、どうしたの?」

 

 彼女の部屋の入り口にて、あくびをしたフィーは問いかける。

 どうやらもう寝る予定らだったのか、彼女は私服に着替えていた。

 あまり長く引き留めるのも悪いだろうと、ライは手短に状況を説明する。

 

「そっか。例の影響で……。……治す方法は見つからないの?」

「探している途中だ。鍵の力とやらが原因らしいんだが、制御どころか実感すらない状況で」

「鍵……? ――――……」

 

 ライが鍵と言う言葉を口にした瞬間、フィーはライの身体を見つめて考え始めた。

 

「どうした?」

「……ううん。なんでもない。それより気配を消したいんだっけ?」

「ああ。顔を合わせられない以上、接触せずに依頼をこなすしかない」

 

 そう、このやり方こそライが導き出した解決法であった。

 直接接触せず、依頼人が気づいた時には既に解決した形に持ち込むと言う、もはや依頼の体をなしていないプラン。

 もしこの場にリィンやエリオットがいたならば、馬鹿げた考えだとツッコミを入れていただろう。

 

 しかし、

 

「ん、分かった。ぜったいライを一流の猟兵にしてみせる」

 

 今この場にストッパーはいなかった。

 何やらフィーの話がずれている気もするが、ライはこくりと頷く。

 

「頼んだぞ、師匠」

「任せて」

 

 お互いに親指を立てて、2人の共闘関係(coop)がここに成立した。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ――7月8日。異界、桐条グループ本社ビル。

 あれから2日間、ライは旧校舎の異界に潜りながらフィーから身のこなしのイロハを習っていた。

 

「自らの呼吸、手足の動きに注意を払って。後、相手の視線は常に確認しておくこと」

「了解」

 

 桐条グループのオフィス階層にて、ライは並べられた机の陰に隠れながらシャドウの様子をうかがった。

 

 きょろきょろと周囲を観察する手の形をした黄金のシャドウ。

 その周囲にある物陰を確認したライは、足音を出さぬよう動き出した。

 

 次の物陰。更に次の物陰へと。

 まるで音のない風にでもなったかの如く、素早い身のこなしで移動するライ。

 接敵まで後、12m、7m、6m、3m、そして――

 

 ライはシャドウの頭上へと跳躍する。

 影の特徴的な仮面を引きはがし、そのまま片手の剣で両断した。

 

「どうだ? フィー」

「60点ってところかな。動きのセンスは良いけど、ルート取りがまだまだ」

「漸く50点越えか……」

 

 先は長いと、ライは気を引き締める。

 元々の目的を忘れているのではないかと思われるくらいの本気っぷりである。

 

「待ってて。今、手本を見せるから」

 

 オフィスの端に出現した黒い影を見て、フィーもまた短剣を取り出してカバーアクションを開始した。

 しかし、彼女が向かう先はテーブルの物陰ではなく天井の梁。

 ネコの様な軽やかな身のこなしで壁を駆け上がったフィーは、そのまま梁を伝ってシャドウの頭上へと辿り着く。

 

 両手の短剣を構えるフィー。

 ――直後、急降下と共に2重の斬撃がシャドウを襲う。

 

 戦技スカッドリッパー。まさに一瞬の奇襲であった。

 両椀が切られたシャドウは何が起きたか分からず混乱している様子。

 その足元、音もなく着地したフィー周囲に、青い光の旋風が巻き起こる。

 

「これで終わり。……ディース!」

 

 ――ヒートウェイブ。

 シャドウの足元から召喚されたフィーのペルソナは、超近距離で熱波を放ち、シャドウを粉微塵に吹き飛ばした。

 

「流石だ」

「ん、もっと褒めて」

 

 変わらぬ無表情で言葉を交わすライとフィー。

 そんな2人を、共に乗り込んでいたラウラ、エリオット、リィンの3名は遠目から眺めていた。

 3人の手元にはオフィス内に置かれていた資料類の数々。何らかの情報になるかも知れないと言う事で、サラから収集を頼まれていたのだ。

 

「ふむ、中々に熱心な鍛錬だな」

「あはは、何で突然スニ―キングの練習を始めたのか分からないんだけどね」

「……なぁ2人とも。嫌な予感がするのは俺だけか?」

 

 感心している2人の後ろで、リィンだけが事の本質を捉えていたのだった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ――7月9日。

 歴史あるトールズ士官学院において、この日からとある異変が発生し始めた。

 

 ――――――――

 件名:珍しい香辛料の調達

 依頼者:学生会館の料理人ラムゼイ

 ――――――――

 

 事の始まりは学生会館1階の食堂。

 3日前にライを締め出してしまったライゼスが調理している場所だ。

 

(依頼を出した身でありながら、あの日はどうかしていた……)

 

 如何に妙な嫌悪感を感じてしまってたとは言え、道理もなく締め出してしまっていた事を、彼は少し気に病んでいた。実際のところ彼も”鍵”とやらの被害者でしかないのだが、そんな事を知る由もない。

 

 しかし、彼も料理人としての矜持がある。

 調理する料理に個人の感情は持ち込ませない。普段通りの味を生徒に振る舞うため、全ての雑念を払って料理に打ち込んでいく。そして、仕上げの一手間を加えようと調味料の棚に手をかけたその時、――ラムゼイは不自然な事実に気がついた。

 

「ん?」

 

 数分前にはなかった筈のビンが、棚のど真ん中に置かれていたのだ。

 

 気づかなかった? ――否。ど真ん中に置かれていたビンに気づかない筈がない。

 誰かが勝手に置いた? ――否。この調理場には誰も入ってきていない筈だ。

 

 ラムゼイの頬に冷たい汗が滴る。

 得体の知れない不気味なビン。

 ラムゼイはごくりと喉を鳴らし、恐る恐るそのビンを手に取った。

 

 中に入っていたのは真っ赤な粉末状の物体だ。

 それを揺らして注意深く確認したラムゼイはやがて気づく。

 

 ……これ、依頼で頼んでいた筈の香辛料だ、と。

 

「なんで、頼んでいたものがここに……?」

 

 とりあえず怪しい物体でなかった事に一息つくラムゼイであったが、今度は別の疑問が浮かび上がってきた。

 依頼で頼んでいたものとなると、ますますもって気づかなかった訳がない。不思議なものだ、とラムゼイはビンをくるくると回す。……すると、ビンの裏側に1枚のカードが貼り付けられている事に彼は気がついた。

 

《依頼の品 確かに納品しました ライ・アスガード》

 

 どこの怪盗だ、とラムゼイはカードに対して心の中で突っ込んだ。

 ”頂戴”と”納品”。意味合いはまるで逆であるものの、事態がミステリーに発展している事だけは確かだろう。

 

 

 ――そう、これが異変の始まりだ。

 結局この日、計3か所でこのカードが発見され、それぞれの依頼が音もなく達成される事となる。この事件こそ、後のトールズ士官学院7不思議の1つ、《依頼怪盗》が出現した瞬間であった。

 

 

 

 ……なお、出現した瞬間に正体が判明していたのは言うまでもない。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 一方その頃、生徒会室の方でも変化が起こっていた。

 

「あれ? 要望が減ってる?」

 

 生徒会に送られてきた要望を取りまとめていたトワは不思議そうに首をかしげる。

 仕事内容が減る事自体は別にいいのだが、依頼が突如として減ってしまっては「何か事件でもあったのかな?」と不安になってしまうのも無理はないだろう。

 

 そんなトワの疑問に答えたのは、ライに依頼の存在を教えた2年の生徒であった。

 

「あ、それ多分アスガードの仕業ですね」

「え? ライ君が?」

「はい。生徒会の業務を減らそうと頑張っているみたいです」

「……もぅ、ライ君も色々と大変なはずなのに」

 

 身に起きた異変やら、シャドウやら、トラブルに堪えないライには少しでも休んで欲しいと言うのがトワの意見である。

 けど、今回ばかりは今までと少々状況が異なっていた。

 

「でも……そっか」

 

 危険な事に関わるのではなく、限界を知らないのでもなく、ライはトワと同じく日常生活の中で頑張っているのである。

 その事自体をトワは否定しきれないし、何故だか嬉しくも感じてしまう。

 

 だからこそ、トワは決めた。

 

「それじゃ、わたしももっと頑張らないとね!」

 

 せめて、ライの負担を減らそうと、より一層の気合を入れたのである。

 

 

 

 …………

 

 ……そう、ライは1つ失念していた。

 トワは仕事が減ったからと言って、そのまま休むような人間ではなかったのだ。

 似たもの同士が引き起こす負のスパイラル。

 

 事態はライの想定とは真逆の方向へと進んでいった……。

 

 

 




魔術師:至高の手
スキル:逃走
耐性:物理耐性、火炎・氷結・疾風・電撃・光・闇無効
 黄金の手に仮面がついたシャドウ。ペルソナ使いを見るなり逃げだしてしまうが、その身には大量の経験値と、大量の金品が詰められている。……要はボーナスエネミーである。

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