──帝都ヘイムダル某所。
月が高くのぼる深夜、暖かな導力灯の明かりがついたとある執務室で金髪の男性が座っていた。その手には何枚もの報告書が握られており、時折、パサリと紙をめくる音が室内に響き渡る。そうした静かな時間が何分と、何十分と過ぎていく中。唐突に執務室の扉が開かれ、真面目そうな黒髪の男が入って来た。
「おや、ミュラーじゃないか。いつ帰って来たんだい?」
「つい先ほどな。……それより、またその報告書を読んでいたのか」
「あー、うん。明日の会議が始まる前にボクの考えをまとめておきたくてね」
そう言って金髪の男は手にしていた報告書を机の上に放り投げた。
黒髪の男──ミュラーは散らばった報告書の内1枚を拾い上げ、その内容を目に収める。
《ノルド高原にて発生した事件に関する緊急報告》
タイトルにそう書かれたこの書類は、ゼンダー門の第三機甲師団が作成した報告書だ。共和国軍の失踪、帝国軍の対応、……そして、事情聴取を行なった"VII組の言葉"が記されていた。
「
「いやあ思い出すねぇ。リベールの異変が終わった後に起きた、あの《
そう、ミュラーと金髪の男性にとって、この記述は無視できないものであったのだ。
この2人はかつて、とある異変に身を投じていた。
空の至宝──
「……全く、だからこそ俺をクロスベルにいる《外法狩り》──いや《千の護り手》の元に行かせたのだろう?」
「まあそういう事さ。あの世界について聞くなら彼以上の適任はいないからね」
"千の護り手"とは影の国事件の中心人物とも呼べる青年の二つ名だ。
七耀教会に所属し、危険な古代文明の遺物──アーティファクトを回収するエキスパート。
そんな身の上が彼を事件へと導いたのだが、……それは今この場で語るべき内容ではないだろう。
「それで結果は?」
「残念ながら、お前の推測は的外れだった。今回の件には影の国が関わっている可能性は限りなく0に近い。表面が似ているだけの全くの別物、と言うのが専門家の結論だ」
「表面が似ているだけ、か……」
「不満か?」
「んー、まぁ、そりゃそうさ。偶然で片づけてしまうにはちょっとばかし似すぎてるからねぇ」
「事情は分かるが、考え事はそれくらいにして休むべきだ。明日の会議、招集者が寝坊となると流石に不味いだろ」
「ああ、そうするよ」
絶対だぞ、と念押ししてミュラーは執務室を後にした。
……
…………
壁にかけた時計の針は既に午前3時を回っている。
金髪の男はティーカップへと手を伸ばして、冷めてしまった紅茶を口に入れた。
「日が真上に昇ったらもう会議か。例の青年も来るみたいだけど、……さて、どうしようかな?」
まるで悪戯を考える子供のように口角を上げる男。
彼が視線を向ける先には使い古された弦楽器。リュートが立てかけられている。
……こうして、帝都の夜はゆっくりと過ぎ去っていった。
◆◆◆
「──え? 招集者のオリヴァルト殿下はどんな人物なのか、ですって?」
「ええ」
──7月1日。
ライとサラ、そしてナイトハルトの3名は朝早くに列車へと乗り込み、黒銀の鋼都ルーレに向かっていた。
帝都ヘイムダルで乗りかえて北東に向かう路線へ。ナイトハルトは帝都で少し用事があると言って別れたため、今はサラとの二人旅だ。
「ま、ルーレに着くまで少し時間はあるし別にいいけど。……それで、オリヴァルト殿下の人物像だったわね? ちょっと待ってて」
そう言ってライの対面に座るサラは、懐から士官学院のものとは異なる、無地のカバーを被せた手帳を取り出した。
「その手帳は?」
「ああ、気にしないで。前の仕事で使ってた仕事道具だから」
ぺらぺらとページをめくるサラ。
(以前の仕事、か……)
考えて見れば、サラの経歴に関してもライはほとんど知らない。唯一知っている事と言えば、バーベキューの夜に見かけた金髪の男が知り合いであると言う情報くらいだ。そう思ったライは、サラの手元にある手帳を注視した。
カバーの隙間から、ちらりと本来の背表紙が見える。
──あれは、籠手の紋章だろうか?
「? どうしたの?」
「いえ。それより──」
「はいはい殿下の情報でしょ? 今見つけたから、しっかり頭に叩き込んでおきなさい」
ライは先ほどの紋章を心に留めつつ話を先に進めた。
手帳の1ページに視線を落としたサラは、そこに記述された内容を読み上げる。
「オリヴァルト・ライゼ・アルノール。27歳。現皇帝ユーゲント3世の長子……なんだけど、母親の関係で皇位継承権は放棄済み。趣味はリュートでの演奏と自由気ままな遊び生活。誰が言い出したのかは知らないけど、世間じゃ”放蕩皇子”なんて呼ばれているわね」
放蕩──やることもやらず、自分の思うままに振る舞う事。
確かに皇子の趣味とは噛み合っているが……どうも不自然だ。ライが持つ前情報とは明らかにかけ離れている。
「放蕩皇子がシャドウ会議の招集を……?」
「まあ、放蕩ってのも半分は昔のイメージなのよ。1年前のリベールの異変……だったかしら。それに関わった頃から割と真面目に活動することも多くなってきてね。むしろ最近じゃ、皇族の中でも1番露出が多いんじゃないかしら」
「リベールの異変。──七の至宝によって導力が停止した事件でしたか」
「あら、知ってたの?」
「例の島でフィーから聞きました」
それなら話は早いわね、とサラは微笑んで、過去の記憶を思い出すように窓から見える空を眺めた。
「リベールで起きた導力停止事件。私が知ってるのはツテから情報くらいだけど、至宝の異変は帝国の南部まで届いていたそうよ。で、エレボニア帝国は"リベールの攻撃だ"と言い出してあわや戦争直前に。何だか色々と裏でキナ臭い動きがあったみたいだけど、オリヴァルト殿下の活躍もあって戦争は回避されたと聞いているわ」
つまり、オリヴァルトはその戦争を回避する為の騒動で成長、もしくは方針を変えたと言う事なのだろう。しかし、ライにとって今の情報は別の意味で無視できないものであった。
「戦争を回避した方法について何か知ってますか?」
「残念がながら当事者じゃないからそこまでは知らないわよ。……って、よく考えたらこの事件、今のエレボニア帝国とカルバード共和国の関係に似てるわね。帝国の立場が正反対だけど」
どうやらサラも気づいたらしい。
そう、ノルドの事件とリベールの異変は、どちらも謎の現象が原因となって戦争の危機に陥ってしまっている。
全く同じとは言えないが、何か解決に繋がる手がかりがそこにある可能性は高いだろう。
(……機会があれば聞くべきか)
これでまた1つ、会議に行く理由が増えた。
サラにお礼の言葉を述べたライは、窓の外へと視線を移す。
──黒銀の鋼都ルーレ。
アリサの故郷にして、様々な導力機器の開発から製造、今では正規軍の依頼でシャドウの研究まで行われている重要拠点だ。そこで行われる身体検査と皇子主催の会議。だんだんと近づいてくる鈍色の街並みを見て、ライは静かに意志を固めた。
◇◇◇
「会議まで後1時間とすこし……ちょっと早く着いちゃったわね」
黒銀の鋼都ルーレに到着してすぐ、サラは時計を取り出して現在時刻を確認する。
辺りには工場に向かう社員の姿。彼らが眠たげな顔をしている事を見れば、まだ早朝の時間であるのは間違いないだろう。
「会議室で待ってるのも暇だし、一旦ここで解散しましょうか」
「サラ教官はどちらへ?」
「え~っと、ルーレにはちょっといいダイニングバーがあるって噂なのよねぇ……」
重要な会議前にバーで酒でも飲むつもりなのだろうか。
「景気づけよ♡」とのサラの言い分を華麗にスルーしたライは、ひとまず周りを見渡した。
周囲には黒い鋼で補強された立体的な外壁、そしてやや近代的な建物群。今までエレボニア帝国で見たどの景色とも異なる街並みを見渡したライは、最後に地図上におけるルーレの位置を思い返す。
エレボニア帝国の北東。
このルーレを超えた先には確か、例のノルド高原があった筈だ。
「ノルドの情報を集めます」
「あ~、そう言えばここはノルドに通じる路線もあったわね。……分かったわ。なら後でここで合流しましょう」
「了解です」
「後、今回の会議は内密のものだから、赤の他人に言わないようにね」
そうライに念を押して、サラはルーレの上層へと通じる階段に乗った。
すると、彼女の体はゆっくりと上へと運ばれていく。──導力により動く階段。ルーレらしい先進的な設備である。
(エスカレーターか)
だが、何故だろう。ライは昔それをよく見ていた気がした。
「やあ、そこの麗しき月光の瞳をたずさえた青年よ。見たところルーレは初めてみたいだけど、そんなに導力エスカレーターが物珍しいのかな?」
「物珍しい? いえ、むしろ懐かしいような」
「おや、それはまた不思議な話だ。何せこれはラインフォルト社が実用化したばかりの新技術だからね。まさかキミは未来からやってきた旅人なのかい?」
その発想は新しい。
日本は未来国家だったのか?と新説が浮かび上がった段階で、ライはふと気がついた。
──今、いったい誰と話をしているのだろうか?
ライは声の方向である頭上、街の上段に設置されている連絡通路を見上げる。
逆光のためやや見えにくいが、金髪の男性が優々と通路の手すりに腰を掛けていた。彼は品位のある白いコートを身にまとい、弦楽器のリュートを片手に抱えている。
「おっと、漸く気づいてくれたみたいだね」
「貴方は?」
「人の名を聞くにはまず自分から──と、いつもなら言ってるんだけど、今回ばかりは話しかけたボクから名乗るべきかな。……ボクの名はオリビエ・レンハイム。風来の演奏家にして、美の真髄を追い求めし愛の狩人さ!」
陽気な青年──オリビエは懐から真っ赤な一輪のバラを取り出して高らかに宣言した。
キラキラとした笑顔を振りまき、妙に堂々としたポージング。……なるほど、大道芸の類か。
「そこに座ると危ないのでは?」
「フッ、心配は無用さ。ボクは高いところにいるのも大の得意だからね」
「いえ、そうではなく」
ライはオリビエの座る手すりに視線を移す。
急いで張られたと見える白い紙。風にでも煽られたのか反転してしまっていた紙には、こう書かれていた。
”固定具が一部壊れています。危険なので寄りかからないでください”
「その手すりは「それよりキミは長旅で疲れているだろう? どうかな? 1つ、ボクの唄で癒されてみては」……」
オリビエはそのまま優雅に演奏を始めてしまった。
リュートの弦から奏でられる心地よい旋律がルーレの駅周辺に響き渡る。その音によってオリビエの存在に気づいたのか、他の旅行客、レストランに向かう最中の親子、仕入れ用の車を動かしていた運転手に至るまで、この周辺にいた人々は揃ってオリビエをあおぎ見た。
……その大半が、あんな場所で何やってるんだ?と言う呆れ顔だったのは言うまでもない。
「おいそこのあんた。そんな場所で何やってんじゃ」
と、ここで新たな登場人物。スキンヘッドとゴーグルが特徴的な男だ。
工具と固定具のスペアを持っているところを見るに、手すりを直しに来た整備員だろうか。
「申し訳ない匠の職人よ。今ボクは荒波に飲まれる若人のために、即興の演奏会を開いているところで──」
「んなもん関係ないじゃろうが! そこに張ってる張り紙も読めんのか!?」
「張り紙?」
ようやく張り紙の存在に気づいたオリビエは、体を傾けて張り紙を覗き込もうとする。
だが、その行為がいけなかった。
ガコンと外れる固定具。手すり自体はセーフティのワイヤーで止まったものの、その上に座っていたオリビエは手すりの外へと投げ出されてしまう。
「「あ」」
間の抜けたその声は一体誰のものだったか。
いや、それはこの場にいる全員の総意だったのかも知れない。
8mはありそうな高所から落下するオリビエの体。
それを見たライは予め手を置いていた剣を反射的に抜き、オリビエのコートに目がけて投げ飛ばした。
「お?」
コートを貫通した剣の刃が壁に突き刺さり、彼の体は一瞬支えられる。
助かった?と言う表情をするオリビエ。
しかし次の瞬間、貫かれたコートがびりっと破れ、オリビエの体は再び落下した。
その先には商品を積んだ導力車。彼は「ぎゃふん」と声をあげてその荷台に墜落する。
荷台には小麦粉が積まれていたのだろうか、辺りには白い煙が舞い上がっている。
((…………))
しーんと静まりかえるルーレ市のホーム前広場。
まるでどこかの三流喜劇でも見ているかのような展開であった。
呆気にとられる周囲の人々。それら全ての視線が集中する中、車の荷台から真っ白な人影が姿を現した。
「けほ、けほっ」
服どころか顔や髪まで真っ白になってしまったオリビエは、痛みに体を震わせながらも笑顔を崩さず歩み寄ってくる。
「やあ、旅の青年。心の疲れは癒されたかな」
「癒すべきは貴方の体では?」
何だろう、この大道芸の男は。
自らの主張を曲げない性格には妙な共感を覚えるが、無茶をするような場面でもないだろうに。
と、盛大に"お前が言うな"と言われかねない思考をするライであった。
────
──
あれから十分後、ライとオリビエは上段にあるルーレ大聖堂に訪れていた。
周囲の人に病院の場所を聞いたところ、簡単な診断ならまずは七耀教会で聞いた方が早い。との助言を受けたからだ。未だに少し慣れない価値観だが、教会は教えを説く場所であるだけでなく、子供に知識を学ばせる学校であり、集会場であり、そして、薬の知識に長けた診断所でもある。このような案件は"まずは教会へ"と言うのが常識らしかった。
「背中に若干の打撲がありますが、他には怪我らしい怪我はありません。上手に受け身をとってたみたいですね」
ルーレ大聖堂のシスターはオリビエの体を検診してそう答える。
「フフッ、レディに体を見られるなんて、なんだか気恥ずかしいね♡」
「……そう言えるならもう大丈夫でしょう。打撲用の塗り薬を調合しますから、少し待っててくださいね」
シスターは呆れた様子で立ち上がり、奥の部屋へと歩いていく。
音を鳴らして閉められた木製の扉。オリビエはこの部屋にライ以外の人物がいない事を確かめると、顔についた小麦粉の粉をタオルで拭い去った。
(顔を隠していた、のか?)
そう言えば、手すりに座っていた際も丁度逆光だったとライは思い返す。
もしやこの男、意外と顔の知れた有名人なのではないか? と、思い至るライに対し、金髪に戻ったオリビエは問いかけてくる。
「さて、命の恩人クン。キミには少々借りが出来てしまったね。お詫びと言ってはなんだけど、ボクに何かできる事はないかな?」
お詫びと言いつつも、既定路線のような違和感を醸し出すオリビエの言葉。
だが、ライ自身も"風来の演奏家"を自称するオリビエに聞きたいことがある為、あえてそれに乗る事にした。
「……ノルドについて聞きたい、か。申し訳ないけど、ボクは今日帝都から来たばかりでね」
「そうですか」
「あーでも、1つだけ話せることがあったかな。──キミは鉄道憲兵隊って知ってるかい?」
鉄道憲兵隊。ケルディックで会った帝国正規軍の部隊だ。ライは静かに頷いた。
「鉄血宰相ギリアス・オズボーンが創設した鉄道憲兵隊。その車両がつい先日ノルド高原に向かったらしい」
「それはノルドの第三機甲師団を応援しに向かったのでは?」
「名目上はね。けど、ノルドに向かった鉄道憲兵隊は独自に動いて、その日のうちに戻ってきたらしいんだ。……どうだい? 変な話だろう?」
確かに不自然な話だ。帝国の鉄道網を守護する鉄道憲兵隊が、いったい何の理由で辺境のノルド高原に向かったのか。オリビエの話を信じるならば、別の目的があるのは間違いないのだが、決定的に情報が不足しているライでは結論を導くことが出来ない。
(帝国正規軍の不自然な動き。……調べてみる必要があるか)
とりあえずミリアムあたりにでも聞いてみるか、と考えこむライ。
そんな学生の姿を眺めるオリビエの目つきは、何かを見定めるような鋭さを帯びていた。
「それにしても、キミは何で──」
オリビエはその何かを確認するため、問いかけようとする。
だが、しかし、
『この写真の男が教会に入ったのだな? ご協力に感謝する。ご婦人』
窓の外から聞こえてきた屈強な男性の声を聴いたとたん、不味いと言った表情で硬直してしまった。
「どうかしましたか?」
「……すまない。どうやら迎えが来てしまったようだ。あのシスターにはキミの方から礼の言葉を伝えてくれるかな?」
「? ええ」
ライが状況を把握するよりも早く、オリビエは懐からバラを取り出してライに向けて放り投げる。
「それではアディオ~ス! キミの未来に女神の加護があらんことを」
最後にそんな捨て台詞を呟いて、オリビエはキメ顔で教会の外へと消えていった。
(結局、何だったんだろうか)
ライは何気なくキャッチした、白い粉にまみれたバラを見て首をかしげる。
嵐のように騒がしく、かつてない程にぶっ飛んだ変人であった。
ライはそんな感想を抱きつつ、シスターに礼をして、サラの待つ集合場所に向かうのであった。
◇◇◇
──ラインフォルト本社ビル。
駅前広場でサラと合流したライは、会議があるというラインフォルト社のビルに訪れていた。
モノトーンな色調のエントランスで手続きを済まし、社員の先導のもと、導力エレベーターに乗って会議室の前に到着するライとサラ。そして、開かれた扉の先に待っていたものは、
「ハハハ、また会ったね!」
オリビエとの速攻の再会であった。
「どうも」
「う~ん、キミの驚く顔を期待してたんだけど、恐ろしいまでに冷静だねぇ」
「これでも驚いていますが」
まさか演奏家もこの会議の参加者だったとは。
どう言った経緯で参加することになったか聞こうとするライであったが、それは、サラにがっしりと肩を捕まれたため中断させられた。
「サラ教官?」
「ライ、あなた、いったいどこで、いつの間に知り合ったの?」
「先ほど駅前の広場で」
「……嘘でしょ」
頭を抱えるサラ。彼女は「偶然? ……いえ、もしかすると意図的に」とぶつぶつ自問自答繰り返している。
そんな異常な反応を示すサラの様子を見て、ライはようやくある事実に気がついた。
風来の演奏家。手にしている弦楽器。そして、わざわざ顔を隠す必要があり、サラがうろたえる程の有名人。
それら全ての情報が、ルーレに着く前の"とある人物"と完全に一致していた事に──!
「フッ、気づいてしまった様だね。──そう、何を隠そう愛の探究者オリビエ・レンハイムとは仮の姿。その正体とはエレボニア帝国の皇子、オリヴァルト・ライゼ・アルノール。つまりはこの会議の招集者さっ!」
そう、彼がこの会議にいる事は意外でも何でもない。
今、目の前で高々と宣言するオリビエ──いや、オリヴァルト。
ルーレの駅前で死にかけた彼こそ、この会議を行おうと決めた皇子その人であったのだから。
「なるほど」
「本当に、恐ろしい程に冷静だね。ああ、エステル君の反応が懐かしいよ……」
渾身のネタ晴らしをたった4文字で返されたオリヴァルトは、どこか遠くを見て誰かの名を思い出していた。
◇◇◇
「さて、少し遅くなってしまった事だし、早速会議を始めようか」
オリビエ、いや、オリヴァルトが自らの正体を明かしてから数分後、新たに3名の人物が会議室に入り、広いテーブルの席についたタイミングで、オリヴァルトは堂々とそう宣言した。
「お前が無断で脱走しなければ、もう少し早く始められたんだがな……」
「ハハハ、それは言わないお約束さ。ミュラー」
「ナイトハルトを呼んでまでの大捜索だったんだぞ。少しは反省しろ」
オリヴァルトの隣で苦言をこぼす護衛のミュラー。彼もライ達の後から会議室に入ってきた1人である。
何故、護衛である彼がオリヴァルトから離れていたのか?と言う疑問は今の会話で分かるだろう。全てはオリヴァルトの突飛な行動が原因である。
それに巻き込まれたらしいナイトハルトも心なしか疲れた様子だ。それを見たサラはにやける口元を手で隠して「ご愁傷様」と声をかけていた。
「──差し出がましい発言ですが、本題に移っていただけますか?」
と、ここで、今まで沈黙を守っていた最後の1人が口を開いた。
発言の主は遠くに座る金髪の女性。やや暗い眼鏡をつけ、白の藍色のタイトなスーツを身にまとった彼女は、この少人数の中でも異質な雰囲気を放っていた。
「これは失礼、イリーナ会長。ご多忙の中、時間と場所を設けてくれて感謝するよ」
そう、彼女はラインフォルト社の会長にして、アリサの母親。イリーナ・ラインフォルト。
以前にインタビュー記事の写真でその姿を確認していたライは、イリーナの顔を見て目を細めた。
「謝辞は結構です。いくら皇子のお頼みとはいえ、時間が無限にある訳ではありませんので」
「ハハッ、これは手厳しい」
イリーナの酷く冷淡な眼差しを一身に浴びるオリヴァルト。
けれど、会議室の議長席に座る彼は冷たい視線にも慣れた様子だ。
特に気分を害することもなく笑い飛ばすと、表情をどこか鋭さを併せ持ったものに変え、ライ達参加者を一望する。
「今回、私があなた方をお呼びしたのは他でもない。──このエレボニア帝国で広まっている"謎の噂"に関して、シャドウ事件の最前線に立つ者達と直に意見を交わしたかったからなのさ」
一人称を私に変え、宣言する帝国皇子。
──かくして、オリヴァルトの主催の会議が始まった。
議題は謎の噂について。ライ達が耳にした中で最も新しい噂と言えば、リィン達が聞いたノルド高原のものだろうか。
「そう言えば、リィン達が報告を聞いた限りじゃ、噂の原因ってはっきりしていなかったわね……」
そんな、サラの呟きを聞いたライは、ノルド高原の噂について改めて考えてみた。
思えば、その噂だけはノルドの事件において異質なものであった。
不特定多数を巻き込みかねない噂は、ギデオンの目的から明らかにかけ離れている。
もしあの状況で帝国軍も異世界に引きずり込まれていた場合、2国間の衝突という目論見は失敗してもおかしくなかったからだ。
だとすれば、あの噂はギデオンが流したものではなかったと言う事か?
「フッ、その報告なら私も拝見させて貰ったよ。その噂も関係している話だが、あなた方に共有して貰いたい情報がある。……ミュラー。例の調査結果を配ってくれないかな?」
「承知した」
オリヴァルトの指示を受けたミュラーは、無駄のない動きでライ達に数枚の資料を配り始めた。
資料の表題は≪帝国内の噂について≫だ。
中には噂の一覧と、その時期。加えて分布を記した地図も印刷されている。
「これは帝国内でささやかれている噂を集計したものだ。これを見て、是非とも貴殿らの意見を聞きたい」
ミュラーの説明を聞いたライは資料を手に取り、一通り内容に目を通した。
1203年の8月、"銀髪の兄妹が夜な夜な人影を殺害して回っている"という猟奇的な噂を始めとして、1204年の4月には"シャドウ様が願いを代わりに叶えてくれる"という噂。そして1204年の6月始め頃、リィン達が聞いた"午前零時に水面を見ると、異世界が映る"という噂などが記載されている。
問題なのはその数と内容だ。
ここ数か月の表記が、ずらっと複数ページに渡って縦に並んでいる。一目で分かるほどに異様な数の噂、それも都市伝説の様なオカルト的な噂ばかりである。
「私も結果を見て驚いたものさ。いつの間に帝国の国民性が質実剛健から噂好きに変わってしまったんだとね」
シャドウ事件や貴族派と革新派の確執という問題の裏に隠れ、じわじわと広がっていた奇妙な噂。この資料を読んでると、まるで病原菌のように広がる異変の過程を見ているようだ。
「つまり、ノルド高原の噂は、この異変の一部だったってこと?」
「ふむ。シャドウの作る異世界は人の精神が反映される。子供達が巻き込まれたのも、噂によって異世界が変質したからかも知れないな」
「ちょっと待ってくださいナイトハルト教官。その理論が本当なら、他の噂もシャドウの異世界で実現されかねないと言う事では?」
「……そう言う事になる」
ナイトハルトは苦い顔をして結論を口にした。
シャドウの異世界は少なくとも街を生み出したり、巨像を動かしたり、想像上の人間を実体化させたりする程の無茶苦茶を実現させているのだ。旧校舎の異世界を調べていたサラ達としては、仮説だと切り捨てられるものではなかった。
そんなサラ達の結論を、笑みのない真剣な表情で耳にするオリヴァルト。
彼はわずかに眉をひそめると、静かに資料を読んでいたイリーナの方へと話題を振った。
「イリーナ会長。シャドウ研究に携わる者として確認したいのだけど、今の仮説をどう思うだろうか?」
「ふざけた理論、……と言いたいところですが、否定も肯定も難しいでしょう。今までの研究結果を纏めると、シャドウは至宝の卵と言ってもいい異常性を有しています。特に空間や時間・因果への干渉は無視できないレベルですので」
「──ありがとう。これで、私の方針も固まったよ」
イリーナの返答を聞いたオリヴァルトは、一瞬目を閉じて呼吸を整える。そして、再び眉を上げたその時、彼は──
「オリヴァルト・ライゼ・アルノールとしてここに宣言しよう。事件の影で動いている妙な"動き"を、身勝手にでも追って行くとね」
エレボニア帝国の皇子として言葉を口にしていた。
「オリヴァルト殿下、もしかして私達に協力をしろと?」
「ハハハハッ。いや何、宣言を聞いて貰いたかっただけさ。……革新派でも貴族派でもないあなた方にね」
含みを持った言い方をするオリヴァルト。
その言い方から察するに、彼は革新派でも貴族派でもない独自の勢力なのだろう。
「正直なところ、この動きが貴族派の仕業か、革新派の仕業か、それとも別の"何か"なのか分からない状況だ。シャドウの特性を活用できれば帝国内のパワーバランスを容易に変えられるからね。どこが裏工作をしていたとしても不思議ではない」
だからこそ、オリヴァルトはこのメンバーを招集したのだろう。
貴族派も、一見シャドウ討伐を主導している革新派も、疑う意識を持っているようにと。
……だが、それも杞憂と言うものだ。
「革新派も貴族派も関係ありません。俺はただ、全力で前に進むだけです」
初めから敵は正体不明だったのだ。
例え黒幕が帝国を支配する立場の者だとしても、例え国そのものが敵だったとしても、ライのやる事は何も変わらない。
「フフッ、なるほど。それがキミの本性か」
ライの言葉を聞いたオリヴァルトは、まるで同士を見つけたかのように口角を上げる。そして、ならば話は早いと、オリヴァルトの指先がライの突き付けられた。
「なら、遠慮なく聞くとしよう。シャドウを倒すための手段について、キミなら何か答えを見つけられるんじゃないかな?」
まるで推理でもしたかの如きポーズ。
自信満々に問いかけるオリヴァルトの姿は、まるで状況を一変させる
お久しぶりです。
非常に長いこと待たせてしまいました。まさか夏に投稿して以降、閃の軌跡3が発売されるまで更新できないとは……。
完全に不定期な更新となってしまっておりますが、どうか気長に待っていただければと。
ああ、閃の軌跡3をプレイする時間が欲しい……。