心が織りなす仮面の軌跡(閃の軌跡×ペルソナ)   作:十束

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57話「ウラ・ノルド(4)」

 ――かつて、とある日の夕方。

 緋色の煉瓦に染まった大都市の宿に1人の男が泊まっていた。

 

 彼は茜色の夕焼けが差し込む薄暗い部屋に座り込み、何十枚もの地図を古い木製のテーブルに広げている。その地図に引かれているのは何十何百もの線。余白を埋めるかの如く書き込まれた文字には、線を補足するかの様に時間が書かれていた。

 

「……深夜の交代を狙って……。……いや駄目だ。すぐに別地点の警備に囲まれてしまう」

 

 そう、男は都市の警備を何日もかけて調べつくしていた。目的は警備の穴を見つける事。しかし、何十時間、考えに考えを重ねていても答えは見つからなかった。

 カリカリと鉛筆の走る音だけが室内に響きわたる。……だが、しばらくするとその音は不安定になり、終いには鉛筆をへし折ってしまう。その心中にあるのは底のない焦りだ。いくら考えても答えが出ない。どれほど策を巡らせても力が足りない現状に、男は心底苛立っていた。

 

 窓の外からは何も知らぬ人々の声が聞こえてくる。

 平凡な生活を暮らしている誰かの声。男は集中したいのに、雑音が耳を騒がせて落ち着かない。苛立っていた男は歯を食いしばって耳を塞ぐ。

 

 

 ――だが、その騒音は唐突に消え失せた。

 

 

「……む?」

 

 しんと静まり返った室内。

 もしや、外で何かが起こったのか? 男は不審に思いつつも窓へと向かい――そして、我が目を疑った。

 

 帰りの最中だと思われる親子。

 導力自動車の仕分けをしている警備の男。

 

 それら全てが、時間でも止まっているかの如く静止していたからだ。

 

「な、なんだ、これは……!」

 

 男は2度3度と窓の外を見渡す。

 見間違いじゃない。確かに時間が止まっている。

 

 今日は何事もない普通の日だったはずだ。ならば今目の前にある光景は一体何なのか? 時間などそう簡単に止まっていいものではない。

 

 ……今は原因を探らねば。そう考えた男は急ぎ宿を飛び出す。

 ねっとりと重い空気を掻き分けて、静止した煉瓦の道路へと辿り着いた男は周囲を注意深く見渡した。

 

 街並み――変化なし。

 人々――まるで写真の様に静止している。

 空――夜空に染まり欠けた夕空に、1本の黒い線が伸びている。

 

 ……黒い線?

 それは、明らかに不自然な光景だ。

 

 男は目を凝らして上空を見つめる。

 空を両断し左右に広がっていく黒い線。男はある時、それが線ではない事に気がついた。

 

「……あれは、扉、なのか?」

 

 そう、黒い線、いや暗い線とは即ち扉の隙間。蜃気楼のように不確かな青い扉が、遥か上空に浮かんでいる。

 

 全容を把握した男はそれでも、眼前に広がる光景を疑った。

 無理もないだろう。雲より遥か上空――音もなく開かれていく青い扉は、空を覆い尽くすほどに大きく、まるで”世界”を隔てているかの如き威圧を放っていたのだから。

 

 

 …………

 

 ……

 

 

 彼にとって、それが全ての始まりだった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ――ノルド高原の異世界、石切り場最深部。

 ドーム状にぽっかりと空いた遺跡の奥地で、何体ものシャドウを従えたギデオンがリィン達に向け1つの問いかけを投げかけた。

 

「……かの、世界?」

 

 しかし、その問いはリィン達に答えられるものではなかった。

 "かの世界"とはいったい何なのか。それは全く身の覚えのない単語であったが故に、思わず口から反芻の言葉が漏れてしまう。

 

「おや、私が何かおかしな事でも言ったかね?」

「……ええそうね。平然と"かの世界"なんて言うなんて、小説の読みすぎなんじゃないかしら?」

「何を言う、シャドウとは即ちニュクスの断片。なれば、シャドウと性質を同じくするペルソナもまた、かの世界の力に他ならな――」

 

 ギデオンは何かに気づいたのかハッとした顔で言葉を止めた。そして少しの間考え込んでいたかと思うと、今度は嘲るような表情へと変貌する。

 

「ほう……そうか、これは実に愉快だ! まさか、かの世界に最も近い場所にいる者達が、自らの力の根源すら気づいていないとはな!」

 

 武器を構えたリィン達を前にして、尚も不用心に嘲笑うギデオン。その余裕はリィン達がシャドウを突破できないと踏んでのものか。その傲慢さはチャンスでもあったが、今は少しでも情報を引き出さなければならない状況であった。

 

「根源とは、集合的無意識のことか?」

「クク、それではせいぜい50点と言ったところだ」

 

 ギデオンは興に乗ったのか、まるで教鞭でも振るうかの如く言葉を続ける。

 

「我々の世界にも当然集合的無意識は存在している。だが、こことは別の世界に存在する集合的無意識は少々特別でね」

「特別? ……まさか、さっき呟いた”ニュクスの断片”とやらが?」

「ほう、よく聞いていたな。――ご想像の通り、かの集合的無意識には世界の死とも言える存在、ニュクスが封じられている。それこそがシャドウの根源。抑圧された感情が力を持つに至った原因だ。故にその因子を無意識に持たぬ我々がシャドウを生み出すには、少々面倒な手順が必要なのだよ」

 

 やれやれと、ギデオンは自身の苦労を伝えたいのか大げさに首を振る。そして、

 

「考えうる手順は2通りしかない。私の様に人為的にシャドウ因子を取り込ませるか、……もしくは、”直接かの世界の無意識に繋がる”かだ」

 

 暗く鋭い視線で、ギデオンはそう締めくくった。

 

 ――心当たりはないのか。

 彼がそう問いかけて来ているのは明白なのだが、生憎リィンには心当たりなどない。

 

 

 ……ない、筈なのだが、

 

(何で、何でここでライの姿が浮かぶんだ)

 

 いや、理由など分かっている。

 ペルソナの根源、繋がると言うキーワード。そのどれもが1人の人物に結びついてしまっている事にリィンは既に気づいていた。

 

 しかし、だからと言って素直に話す必要もない。

 

「……悪いが、俺は何も知らないな」

「そうか。――ならば、検証を次の段階へと移させて貰うとしよう」

 

 ギデオンは、予想していた回答だと言わんばかりにその手を振るう。それは合図だったのだろう。ギデオンの周囲に集まっていたシャドウが弾けるように動き出し、リィン達へと襲い掛かる。

 数は10、いや20を超えるくらいか。鎖をつけた獅子型のシャドウに、ランタンをぶら下げた鳥型のシャドウ。それら全てが弧を描き攻めてくる中、ユーシス達は即座に距離を取り陣形を組み直した。

 

「――ちっ! 話は終わりと言う事か!」

「ユーシス、戦術リンクを!」

「ああ、言われるまでもない!」

 

 リィンとユーシスの間に結ばれる戦術リンクの光。と、ほぼ同時に、獅子型のシャドウが大きな口を開け跳びかかって来た。

 

 迫り来る鋭い牙、ユーシスが咄嗟に直剣を構えて受け止める。

 ギリギリと火花を散らす刃と牙。だが次の瞬間、獅子の頭を一閃の斬撃が斬り飛ばした。そう、戦術リンクによって正確に状況を掴んでいたリィンの斬撃である。

 

 宙を舞い地に落ちる獅子の頭。黒い霞となったその向こうから、今度は羽根を羽ばたかせた2体のシャドウが飛来する。洞窟の暗がりに乗じた奇襲は前衛を突破し、向かう先には後方で守られていたリリの姿があった。

 

「……ぇ」

 

 状況に追いつけずうろたえるばかりの少女。今この場において、反射的に動けた人物は1人しかいなかった。

 

「――ぐっ……!」

「あんちゃん!」

 

 リリをかばう形で前に出たガイウスの腹部にシャドウの鋭いくちばしが突き刺さる。静止するシャドウ、だが、足にぶら下げたランタンに魔法の光が灯った事に気づいたガイウスは、シャドウを強引に掴み無理やり引き離した。

 

「……っ、アリサ!」

「ええ!」

 

 ガイウスの合図に合わせ、アリサは矢を解き放つ。シャドウの胴体を貫通する導力の矢。発動寸前に狙いをそらされたシャドウの火炎魔法(アギラオ)は、血を流すガイウスの数歩右側の空間を焼き尽くした。

 

 ……戦局は防戦一方だ。リィン達がシャドウを倒した今もシャドウは増え続け、ギデオンへの道は遠のいていく。多勢に無勢とはまさにこの事か。四苦八苦するリィン達を見て、ギデオンは満足そうに問いかけてきた。

 

「どうした、ペルソナとやらを使わないのか?」

「誘導しようたって無駄よ! この程度の数なんてペルソナを使うまでもないわ!」

「――ふむ、使えないのか? いや私の推察が正しければ……」

 

 そう、彼にとってこの戦いは実験と検証でしかない。戦いを長引かせる事すら悪手。その事に気づいたアリサは、弓を引きながらもリィンの元へと駆け寄る。

 

「リィン、不味いわよこのままじゃ」

「ああ。……こうなったらもう、ギデオンを直接叩くしかないかも知れない」

「で、でも、その為にはこのシャドウの群れを何とかしないと」

 

 津波が如く迫りくるシャドウの群れ。奴らを何とかする為には元凶であるギデオンを止める必要があり、ギデオンを叩くには間にいるシャドウを倒さなければならない。加えて、ギデオンは導力魔法の展開範囲をぎりぎり超える距離を維持している。矛盾する勝利条件。しかし、リィンの手の内には1つだけ可能性が残されていた。

 

(八葉一刀流、二の型を使えばシャドウを抜けられる。……けど)

 

 しかし、リィンには全力を出せない理由があった。

 リィン内に秘められた正体不明のなにか。己がシャドウを生み出したきっかけでもある制御不能の暴力。もし、二の型を使って暴走してしまった場合、何が起こるか分かったものじゃない。

 

 太刀を握る手に汗が滴る。何時からか胸にある傷跡が痛む。

 ……それでも、リィンの選択は決まっていた。

 

「方法は、……ある」

「本当?」

「ああ。でも、それには後少しだけ近づく必要がある」

 

 歯を食いしばって太刀を構えたリィンの姿を見て、アリサも覚悟を固めた。

 

「分かったわ。――エマ! 前方に導力魔法(目くらまし)をお願い!」

「はい、分かりました!」

 

 エマの周囲に展開される導力魔法の陣。その赤色の導力はシャドウ達の足元へと展開され、強烈な熱量へと変換される。――フレイムタン。地面から噴き出す灼熱の炎がシャドウを覆い尽くし、一時的ではあるがシャドウの視界を覆い尽くす。

 

 その炎の障壁を突き破ったのは一筋の矢であった。

 アリサの放った導力の矢はシャドウに当たり四散する。しかし、矢の軌跡をなぞる様に駆け抜けるリィンが、そのシャドウを斬り分け更に前へと躍り出た。

 

「ほう、防衛を金髪の青年に任せ、自身は決死の突撃か」

 

 ギデオンまで距離はまだ遠い。――だが、 八葉一刀流を修めているリィンにとっては、こんな距離0に等しかった。

 

(ここだっ!)

 

 ――二の型、疾風。

 

 ギデオンまで後10歩強の距離に迫った瞬間、リィンの像がぶれる。

 文字通り風を一体となったかの如き急加速を行ったリィンが、対処すら許さない速度でギデオンへと接敵した。暴走の気配はない。文字通り疾風と一体になったリィンの斬撃がギデオンへと迫る。

 

 ……しかし、リィン達は気づいていなかった。

 ギデオンにとってこの戦闘は、最早戦いですらなかった事に。

 

「――駄目! 罠だよリィン!」

 

 突如、ギデオンの上方にある天井が粉々に吹き飛んだ。

 現れたのは全長数アージュもあるかの如き巨大な石造の腕。明らかに人工物なその拳は、ギデオンへと接敵していたリィンへと振り落とされた。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「……リィンっ!」

 

 地面が砕かれ土埃に覆われる中、アリサは大声で叫ぶ。

 クレーターの様になってしまった地面を見てもリィンの無事は確認できない。それに加え、先ほど聞こえてきた声がアリサの思考をかき乱していた。

 

「あっちゃー、ちょっと遅かったかぁ」

 

 上空に浮かぶアガ―トラムから飛び降りた幼き少女、ミリアム。昨日から姿を見せなかったクラスメイトが前触れもなく現れたのだから。

 

「ミ、ミリアム!? いったいどこから――」

「へへっ、強いて言うなら空かな? ほんとはもうちょっと早く合流したかったんだけど、途中で”あんなもの”をみつけちゃってさ」

 

 言動はいつも通りの明るさだが、ミリアムはいつになく真剣な表情で前を見据えていた。油断をしている場合じゃないのだろう。そうである事は、崩れた天井の向こう側に存在する”あんなもの”を見れば一目瞭然であった。

 

 岩で出来た巨大な腕。人を思わせるシルエット。

 そう、リィンを押しつぶした腕の正体とは即ち、表のノルド高原で見たあの巨像であったのだ。

 

 アリサ、エマ、ガイウス、あのユーシスでさえ言葉を失った。あれはシャドウではなく、まして人でもない。正体不明、異形の”何か”がアリサ達を見下ろしている。その威圧感たるや、時間が止まったのではないかと錯覚するほどだ。

 

「クク、ハハハハ! 嗚呼、何とも愚かな結末だ。あと一歩のところまで来ておきながら、まさか自らの認知によって殺されるとはな!」

 

 しかし、ギデオンだけはそうでなかった。その言動はまるで喜劇を見た観客の様。リィンを罠にはめた当人としては、いささか他人事過ぎるのではないだろうか。

 

「何よ、その言い方……!」

「違うよアリサ。彼はなにも嘘は言ってない。あれはまちがいなく”ボクたちの心”が生み出したバケモノなんだよ」

 

 だが、そうではないのだとミリアムは告げる。

 その言葉にピクリと反応したのは、楽し気に嘲笑っていたギデオンであった。

 

「……ほう、昨日からこそこそ嗅ぎまわっていた様だが、どうやら確信に辿り着いたと見える」

「まぁ、このボクにかかればどうってことはないよ。――この世界ってさ。”共和国軍から見たノルド高原”と”リリやトーマにとってのノルド高原”。そして”ボクらやキミが経験したノルド高原”が混ざった世界なんでしょ?」

 

 正解だ、とギデオンはメガネに指をかけて答える。

 

「どういう事なの? ミリアム」

「えっとね、単純に言っちゃえば、ここは中に入った人たちの心によって形が変わる世界なんだ」

「……心?」

「うん。心の存在であるシャドウが生み出した心の世界。だから、ボクらが巨像を見て”動きそうだ”と感じちゃったから実際に巨像も動き出すし、共和国軍のひとが”ここは帝国軍の作った罠なんだ”と思っていると、ホントに”逃げられない罠”になっちゃう」

 

 心によって性質が変わる世界。それは耳当たりの良い言葉に聞こえるものの、実際のところ酷く理不尽な世界であった。罠だという認識と不安が脱出を不可能なものとし、恐れが敵となって現れる。現に昨日、目的を見失ったリィン達はどこにも辿り着けない状況へと陥ってしまっていた。

 

「つまり彼らは、自らの思い込みによって囚われてしまっていたのですか?」

「さっすがエマ! 話が早いね!」

「いえそんな。……でも、これで1つ分かりました」

 

 エマは確信を持った表情で、ギデオンに向けて導力杖を構える。

 

「旧校舎の様に脱出の道がなかったのは、共和国軍の方々がそう認識してしまっていたから。つまり、彼を捕まえ共和国軍の誤解さえ解ければ脱出も可能なはずです」

 

 そう、状況は至ってシンプルに纏まった。ギデオンを黒幕として突き出せば共和国軍の認識だって変わる。未知のアーティファクトで捕らえられたと考えるよりも、直接誘導されていたと考えるほうがよっぽど現実的だからだ。

 

「クク、全く持ってその通りだが、果たしてお前達にそれが可能か? 今しがた同胞が潰されたのを忘れた訳ではあるまい」

 

 しかし、解が分かったところでギデオンの余裕を崩すまでには至らない。

 依然として状況は劣勢。今だってリィンの安否を確認しに向かう事すら出来ていないのだから。

 

「ふざけないで! まだやられたと決まった訳じゃないわ!」

「まさか腕の向こう側に逃げ延びたとでも思っているのか? 残念ながら、私の側から確認しても彼の姿は――、――ッ!?」

 

 だが、状況は突如一転した。

 

 そのきっかけは、ギデオンが 地面へと突き刺さっている巨像の腕を視界に入れた事。

 今の今まで余裕の態度を突き通していた表情が崩れ、細い目を見開いて巨像の指先を確認している。

 

 アリサ達が見えない拳の反対側。

 ギデオンだけが見える指の一本が、刃で斬られたかの如き鋭さで両断されていたからだ。

 

「――馬鹿な」

 

 ギデオンは我が目を疑った。

 

 巨像の拳に人一人が入れる程の安全地帯が存在している。

 まさかあの学生!とギデオンが察したその瞬間。今度はギデオンの前に佇んでいたシャドウが真っ二つになった。

 

「何だ、何が起きている……!?」

 

 一閃。十閃。

 ギデオンの前後左右、様々な場所にいたシャドウが次々と両断されていく。

 余りの速さに姿が見えない。何かが動く暴風と、無差別に切り裂いていく斬撃だけが残されていた。

 

「――アアアアアアアアアアアアアッ!!」

 

 どこからともなく正気を失った青年の叫びが響き渡る。

 同時に斬り飛ばされる幾体ものシャドウ。最早、数の理など何の意味もなさない。

 

 間違いなくあの学生だとギデオンは即座に理解した。

 が、それでも既に状況は手遅れだ。

 

 視界に捉えられない程の速度。圧倒的な暴力。

 気が付けば、ギデオンの周囲にいた筈のシャドウは数えるまでに減っていた。

 

「クッ、失策だ! あの男だけでなく、貴様も”特別”だったと言う事か! ――だがっ!」

 

 斬撃の大嵐。その中心で恐ろしいまでの殺気を感じたギデオンは、とっさに懐へと手を伸ばす。

 漸く視界に捉えたリィンの姿。何故か白い髪へと変貌し、長い太刀を我が物として振るう彼に対し、ギデオンは寸前のタイミングで懐から”古い鏡”を取り出した。

 

「私とて、備えの1つぐらい用意している!」

 

 音すらも置き去りにして振るわれたリィンの太刀筋。

 それはギデオンの胸元、鏡に映った”リィン自身”を切り裂いた。

 

 ――血しぶきが舞い上がる。

 ただし、切り裂かれたのはギデオンでなく、斬りかかったリィンの方であった。

 

「リィンさん!」

 

 肩がぱっくりと割れ、リィンはエマ達の元へと吹き飛ばされる。数度バウンドして静止するリィンの体。真っ赤な血が流れる傷口を確認したエマは、大慌てで導力杖による応急処置を試みた。

 

「い、委員長……、俺は……」

「安静にして下さい! いま治療しますから!」

 

 柔らかな光がリィンへと降り注ぐ中、アリサやユーシスは2人を守る様に前に出る。

 先ほどまでのリィンはまるで別人の様に荒々しいものであった。しかし、アリサ達は既にリィンから”制御できない力”について聞いているのだ。今はもう普段通りの黒髪に戻っている事もあり、迷う事なくリィンをカバーする形になった。

 

 むしろ、この暴走に一番動揺していたのはギデオンの方だ。

 

「……正直、瀬戸際だった。まさか対共和国軍を想定し用意していた”物反鏡”が役に立つとはな」

「フン、反省したか? 他者を侮るからこう事になる」

「ああ、ああ反省した。お前達は研究対象として、いささか危険すぎる存在だとな……!」

 

 イレギュラーの存在。学生の身でありながら、この状況を逆転させかねない力。

 それらの要素から導き出せる要素はただ1つ。

 

「検証の続行はもはや望めまい。ならばせめて、苦痛なき世界へとお前達を送り届けよう」

 

 今までリィン達が無事だったのは一重にギデオンの目的が検証だったからだ。シャドウが一斉にかかってこなかったのも、認知の巨像をギリギリまで使わなかったのも、全ては適切な負荷をかけようとしていたからに他ならない。

 

 だが、それももう終わりだ。ギデオンは諦めた。

 

「――さあ、死出の旅へと向かうがいい!」

 

 天井に空いた穴の先から覗き込む巨像に向け、ギデオンは再び動けと命じる。今のリィン達を相手取るならばその一言だけで十分だ。

 苔の生えた巨像が、曲がる筈のない関節を動かして歩き始める。

 一歩。単に足を踏み出しただけで地は揺れ、天井の岩盤も粉々に崩れ落ちてくる。

 

 限られたスペースであるこの再奥地において、もはやリィン達に逃げ場はなかった。

 周囲に落ちる瓦礫の山。前方からは身長以上もある巨大な手が迫ってくる。虫を潰すような無造作な動きで、しかし確実にリィン達を殺さんとする無機質な手のひら。

 

 エマに治療されていたリィンは、朦朧とする意識の中でその光景を目にしていた。

 

 どうしようもないのか? と、リィンは血の足りない体に力を入れる。

 しかし、今の状態ではどうしようもない、とリィンの経験は答えを導き出してしまっていた。

 

 後できる事と言えば、止まってくれと女神に祈るくらいしかない。

 

 

 ――そう結論づけたからこそ、次の瞬間リィンは驚いた。

 

 

 後2秒と経たず襲い掛かってきたであろう巨像の手が、文字通り途中で静止していたからだ。

 

 周囲に落ちてきた岩盤も宙で止まっている。

 ギデオンも、リィンを治療していたエマも、ユーシスもミリアムもガイウスもリリもトーマも、全て動かない。

 

「……え? な、なにが起こってるの?」

 

 唯一リィン以外で動いていたのは弓を構えたアリサのみ。

 静止した世界で戸惑う2人であったが、更なる異変がすぐに起こった。

 

 ――真っ白にくらむ視界。その奥にそびえ立つ、世界を隔てる様に巨大な青い扉。

 

「あれ……は……」

 

 リィンはあの扉に見覚えがあった。

 かつてライと戦術リンクをした際に現れた扉。自身のシャドウが現れたあの建造物だ。

 

 しかし、扉の向こう側にいたのはリィンのシャドウではなかった。扉の向こう側に広がっていたのは無数の星々が浮かぶ空間。その中央には見慣れた灰髪の青年――ライが静かに浮かんでいた。

 

(……何なんだ)

 

 リィンはギデオンの言葉を思い出す。

 あれは、間違いなくライの事を言っていた。

 

(ライ……、お前はいったい……!)

 

 星々の海に浮かぶライはリィン達に向け右手を掲げた。

 その手には月の様な輝きを放つARCUS。傍には黄金の蝶を侍らせ、ライは共鳴の光を解き放つ。

 

 

 ――繋がれ(リンク)――

 

 

 突如、リィンとアリサの周囲に青い光が迸る。

 体の内側から溢れ出たそれは人の形となり、リィン達の背後に顕現する。

 

 訳が分からない。

 理解不能な状況だが、1つだけ確かな事もあった。

 

「……打ち破れ」

 

 そう、起死回生の一手はまだ、この手の中に。

 

 

 ――ペルソナ……!

 

 

 青い焔を伴ったリィンのペルソナが懐の剣を抜き放つ。

 

 一瞬、世界が切り裂かれたかの様な錯覚。

 単純に人体の数倍もある刃に裂かれ、リィン達を襲うはずだった巨像の腕は肘の辺りから分断される。

 

 と、同時に静止していた時が動き出した。

 

「みんな、ボクの後ろに――って、えっ!?」

「ペルソナ!? そんな、ど、どうして戦術リンクが!?」

 

 巨像の腕が吹き飛び、石切り場の壁に突き刺さる。

 今のは本当に時が止まっていたのか。それとも極限状態でそう感じたのかは定かではない。

 しかし、時が止まる瞬間に何かが起こったのは明白であった。

 

 突如としてリィン達全員のARCUSが共鳴の光を発している。

 時の静止を知覚しなかった他の面々も、その光を見て何かが起こったことを理解した。

 

「今よ、ソール!」

 

 腕が吹き飛ばされた巨像に向け、純白のドレスを身にまとったソールが太陽光の弓を引いた。

 その弓に矢はない。しかし、キィンと弦を鳴らしたその直後、巨像の頭上から何十もの矢が降り注いだ。

 

 豪雨の様な矢が巨像の肩、膝、ありとあらゆる部位に突き刺さり、その岩肌を容赦なく削り落としていく。

 頭がえぐれ、体中に穴が空いたとしても、巨像は逃れることが出来ない。

 リィン達を追い詰めたその巨体が仇となり、やがて岩の塊となってばらばらに崩れ落ちた。

 

「……空間、いや世界を超えて結びつける力。やはり私の推測は間違っていなかったか」

 

 残されたのは埃にまみれたギデオンただ1人。

 もう守りとなる戦力は残されていない。

 天井の穴から差し込む明かりの中佇むギデオンの肩に向けて、ユーシスが直剣を突き立てる。

 

「動くな。貴様には共和国軍の誤解を解くための材料になってもらう」

 

 共和国軍と再度話をつける為にはギデオンと言う黒幕の存在が必要不可欠。

 ギデオンは降参とばかりに両手を上げた。だが、その口は降参とは程遠いものだ。

 

「此度の検証は無事終了した。ややイレギュラーはあったものの大筋は予定通り。両国軍の関係は悪化し、あの男も国外に意識を向けざるを得なくなる。……これでまた一歩、盤上の駒が揃ったと言う訳だ」

 

 淡々と結果を述べるギデオンに対し、ユーシスの直感が何かあると叫ぶ。

 

 だが、全ては遅かった。

 ギデオンの手から零れ落ちる茜色の宝石。それは火炎魔法(アギラオ)を思わせる炎へと変わり、ギデオンの姿を丸ごと飲み込んだ。

 

「僭越ながらこの舞台からは退場させて貰うとしよう。ペルソナの仕組みを解明でき、同時にお前達を”共和国軍から引き離す”事にも成功した。危険分子を倒すまでには至らなかったが、ここまでの成果を得られれば前哨戦としては十分だ」

 

 炎の向こう側、ギデオンは懐から白い糸のようなものを取り出す。

 すると彼は光に包まれ、溶けるようにどこかへと消え去った。

 

 赤色の炎が消える。

 残されたのは、瓦礫がパラパラと降り落ちる石切り場。

 シャドウも消え巨像も崩れ落ち、ギデオンは捕らえられずとも脅威はなくなった。

 

 しかし、リィン達の心には渇きに似た危機感が渦巻いていた。

 

「……俺達を、引き離す?」

 

 もしかしたら、もう既に手遅れだったのではないか?

 そんな不安を抱えたまま、ノルドでの戦いが終わりを告げる。

 

 以上が、リィン達A班における”6月28日早朝”の出来事であった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「――共和国軍から引き離す? ギデオンと言う人物が本当にそう言ってたのか!?」

 

 近郊都市トリスタ、寮のロビーでリィン達の話を聞いていたマキアスが身を乗り出した。

 それによりリィン達の話も中断されてしまったが、マキアスの立場を考えれば無視のできない内容だ。特に諌める事もなく、ライ達もユーシスの返答に耳を傾ける。

 

「口惜しい事だが、奴の言葉は真実だ」

「いや待て、待て待て待て! 彼の目的は両国の軍を対立させる事だろう? だとしたらノルド高原は――!」

「あははは! マキアスってば心配しすぎ。ちゃんとボクの同僚が手を打ったから最悪の状況は回避できたよ」

 

 ミリアムが足をぶらぶらとさせながら気楽にのたまった。……しかし、他の面々は妙に沈み込んだ表情をしている。それを確認したライは、鋼の視線を動かしてリィンに続きを促した。

 

「ああ、そうだな。まずは続きを話さないと。――あの後俺達は、急いで共和国軍のキャンプ地に向かったんだ。けど、全てはもう遅かった」

「共和国軍は既に異界を脱出していたのよ」

 

 はぁ、と今朝の出来事を思い出して、ため息をつくアリサ。

 

「む、どう言う事だ。彼は共和国軍を閉じ込めようとしていたのであろう?」

「ラウラ、それは第一段階だったんだ」

「……第一段階、だと?」

 

 湖に辿り着いたリィン達が知ったのはギデオンが目論んだ本当の計画であった。

 彼は誰よりもあの世界の理について精通していた。中に入った者の心が影響する異世界。……そこに、"帝国軍が黒幕だ"と信じる共和国軍がいたらどうなってしまうだろうか。

 

「まさか、共和国軍の意識を誘導した理由は――」

「……ライも気がついたみたいだな」

「え、え? どう言う事?」

 

 エリオットが戸惑っている様だが答えは簡単だ。ギデオンの目的は先ほどマキアスが言っていた様に両国の対立。それを実現させるためにギデオンは”黒幕としての帝国軍”を直接作り出したのである。

 理屈はリィン達が出会った巨像と同じだ。変装などしなくとも、共和国軍の間に生じた認知――噂が偽物の帝国軍を生み出してしまう。

 後は共和国軍が想像したように帝国軍が襲い掛かり、共和国軍はそれを撃退した。そして、共和国軍が「黒幕ならば持っているであろう」と想像した通りに、追っていった先で異世界からの脱出装置を発見したのだろう。

 

「なるほどね。もし黒幕としての帝国軍を直接見たなら、これ以上の状況的証拠はないかも」

 

 フィーの言う通り、共和国軍は帝国軍への疑いを確信へと変えた筈だ。加えて異世界のものを現実世界に持ち帰れることを考えると、恐らく共和国軍は帝国軍の関与を示す物的証拠を持ち出したと見て間違いない。だからこそ、リィン達が湖の奥に隠された機械を通じて現実世界に戻ったとき、ノルド高原はいつ戦争が起こってもおかしくない程に危うい状況となってしまっていた。

 

「でもまぁそんな時にレクターがやってきてね~。共和国の上の方と交渉して衝突を抑え込んだんだ」

「えと、補足しておくけど、レクターって言うのはミリアムと同じく情報局の人間よ。赤い髪をしたちょっと年上の男の人なんだけど、共和国の人とパイプを持ってるみたい。それで、ひとまず通商会議の話を持ち出して衝突回避の方向に持っていくって言ってたわ」

 

 結果として問題は西ゼムリア通商会議の後まで持ち越し。

 ノルド高原は少なくとも2ヶ月の間、平穏な時間が約束されたのであった。

 

 ……そう、たったの2ヶ月。

 ギデオンの策が成功してしまった以上、ガイウスの故郷が戦火に飲まれる可能性も大いに残されている。

 

(……そういう事か)

 

 ライはリィン達から視線を外し、今はもう暗くなった寮入り口の扉を見つめた。――今この場にガイウスの姿はない。リィン達が2日目の話をし始めた頃、ガイウスはやや思いつめた様子で寮を出て行ったのだ。普段の落ち着いた様子との落差が引っ掛かったが、今ならばその訳も理解できる。

 

 以前、七耀教会で会った時の事を考えるに、恐らくガイウスが向かったのは教会だろうか。

 今までとは比較にならないほど深刻な問題だが、今出来る事は――

 

 

「――ねぇ? ねぇったら! 聞いてるのライ?」

 

 と、そこでライの思考は止められた。

 視線を元に戻すと、そこには不満げなアリサの瞳が。

 

「悪い」

「謝ったって事は聞いてなかったのね? ――っもう、何のために帰って早々話したと思っているのよ」

 

 困った表情でアリサは髪をいじっていた。……そう言えば、この話は”ライが何をしでかしたのか?”で始まったのだったか。ノルドの異界にギデオン、それに別世界の集合的無意識とまで話が膨らんでいたのですっかり忘れていた。

 

「ははは、は……。でも流石に心当たりはなさそうだな」

「それは最後のペルソナ召喚の事か?」

「ああ。帝国を挟んで反対側にいたのに戦術リンクしたり、果ては夜空の中を浮かんでいたり、どう考えても突飛な事だしな」

 

 やっぱりあれは夢や幻だったのかとリィンは自己完結していたが、改めて聞かされたライは内心固まった。

 

 宇宙に浮かぶライ。

 黄金の蝶。

 巨大な青い扉。

 距離どころか空間の壁すら越えた戦術リンク。

 

 ――そして、6月28日の朝と言う時間帯。

 

「……あ」

 

 すべてライの記憶と合致していた。あの空回る島で一度殺された後、気づいたら浮かんでいた宇宙。黄金の蝶から姿を変えたフィレモン。そのフィレモンが作り出した12の青い扉。そして逆転の戦術リンク。

 ……そう言えば、エリオット達に向け戦術リンクをしようとした時、他の扉も同時に開いてなかったか。まさかあの瞬間、ノルド高原の異界にいたリィン達にも戦術リンクは繋がっていた? それが偶然にもA班の危機を救ったと?

 

「ねぇ、今”あ”って言わなかった?」

「今日の朝に戦術リンク……ライよ、もしやそれは――!」

 

 じと~と睨み付けてくるアリサに、答えに辿り着いた様子のラウラ。

 B班の他の面々も次々と気づいた様子であり、加えてA班もまさかまさかと言った感じに見つめてくる。

 

「仕方ない。少し長い話になるが」

 

 話すとしよう。

 繰り返す6月28日。一度殺されてしまった事。ブリオニア島に現れた神と言う存在も含めて。

 

 それがリィン達を驚かせてしまった事は言うまでもあるまい。

 

 ――こうして寮の夜は更けてゆき、ロビーに明かりがついたまま日付が29日へと切り替わる。

 辛く困難だった3回目の特別実習は、かくして本当の意味で終わるのであった。

 

 

 




剛毅:スレイブアニマル
耐性:電撃耐性、疾風弱点
スキル:アサルトダイブ、電光石火
 リィン達が対峙した獅子型のシャドウ。タロットカードの剛毅に描かれている獅子が、鎖に繋がれた姿をしている。

隠者:ブラックレイヴン
耐性:火炎・疾風耐性、電撃弱点
スキル:タルカジャ、アギラオ
 リィン達が対峙した鳥型のシャドウ。足にカンテラをぶら下げたカラスの姿をしている。

-:認知存在 イニシエノ キョゾウ
耐性:-
スキル:-
 ノルド高原において守護者と呼ばれる巨大な人型の像。エレボニア帝国には『巨いなる騎士』と呼ばれる言い伝えがあり、焔を纏った巨大な騎士が戦を収めたとされているが……? なお、この巨像はあくまでリィン達の認知が実体化した存在であり、それ以上の力は持っていない。

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