ーー真っ青な大海原にポツンと浮かぶ船上で、空回りし続けるエリオット達を変えたのは細やかな光であった。
独りでに輝きを放ち始めたエリオット、ラウラ、マキアスのARCUS。無論、今この場にいる3人が使ったと言う事実はない。
「こ、これはっ!?」
「待って! 今調べてみるから!」
狼狽えるマキアスに向けてエリオットが叫ぶ。突然の異変。何が起こっているのか分からないと言った不安と、何か変えられるかも知れないと言う期待感。心臓を鷲掴みにされたかの様な感覚に襲われながらも、エリオットはARCUSの繋がりを辿り、向こう側の光景へと意識を集中させた。
ノイズの向こう、小さな孤島がぼんやりと聴こえてくる。そこは現実の様で夢の様で、別次元に存在していると言われても不思議じゃない程に曖昧だ。
そして、エリオット達のARCUSに接触した"何か"は、そんな孤島の砂浜に倒れていた。
「……え、ライ?」
「何っ!?」
ガタンと立ち上がるラウラ。
対面のエリオットは驚き慌てて、通信能力をラウラやマキアスに繋ぐ。
《――無事か!? 今どこにいる? それに、フィーは……!?》
《ま、待ちたまえ! それでは向こうも困るじゃないか。まずは周囲の状況を、……っと、そもそも聞こえているのか?》
マキアスは半信半疑と言った様子でエリオットの顔を見る。この時、ライは声が聞こえたのか丁度目を覚ましていた。それを唯一観測していたエリオットは「多分」とあいまいに頷く。
……しかし、ライの様子はどうも変だった。
戸惑う様子もなく、慣れた態度で体の確認をしている。見たところ漂流して目を覚ました状況だと言うのに、だ。
そして今度はフィーがライに駆け寄って来た時、エリオットの混乱は頂点に達した。
(え? 普通に接してる?)
ライとフィーは確か、赤い海に飲み込まれる前には接触が困難な関係であった筈だ。なのに今は倒れ込んでいも気にせず親身に話している。――まるでそう、既に何日も生活を共にした様な近さだ。
声だけを聞いていたマキアス達も疑問には思ったが、それでも今は聞いている場合じゃないと通信を続けた。
《聞こえているのなら返事をしたまえ! そこはいったい何処なんだ!?》
『話は後だ。奴が現れる前に作戦会議をしよう』
ライの鋭い声がタイミング良く投げ返される。フィーとの会話に偽装しつつも、マキアスの声に答えたかの様な強い声色。……もしや、何者かに監視されているのか? その考えが過ぎったエリオット達は、静かに2人の作戦会議を耳にする。
――状況は、エリオット達の想像していたより何倍も逼迫していた。
繰り返す1日。
元凶たる神の存在。
特にその状況に追いやってしまったラウラは固く拳を握りしめた。
何故、あの時手を伸ばせなかったのかと。何故、ラウラ自身がその孤島にいないのかと。身を焦がす程の後悔と無力感がラウラを責め立てる。自身が立っているのか座っているのかすら分からない。
何が騎士だ。何が正道だ。
虚しさと自己嫌悪でメチャクチャになりそうだった。
……しかしそんな彼女の耳に、とある少女の声が届く。
『猟兵なんて関係ない。私は何でもないフィー・クラウゼルとして島の外に出るつもり』
”何でもないフィー・クラウゼル”
その一言を聞いたラウラの瞳が、はっと見開かれる。
『家族のみんながいなくなったなら探せばいい。仲直りできないなんて決まった訳じゃない。――そんな未来に私も賭けたい』
それは、少女としてのフィーの願いであった。
戦場の死神とすら呼ばれる猟兵には似つかわしくない言葉。それはすぅっとラウラの内に染みわたり、ラウラの心を縛っていた何かを少しずつ溶かしていく。
今、向こう側にいる少女はいったい何なのか。
(私は……、私は……――!!)
ラウラはいつの間にかARCUSを握りしめていた。
心の迷いが消えていく。
猟兵と言う名の虚飾がなくなった今、答えだって見つけられそうだ。
「……全く、融通が利かないな。私は」
軽く自嘲の言葉を漏らすラウラ。結局のところ、この様なきっかけがなければ折り合いをつける事すらままならない。思えばケルディックの時も似たような理由だったか。後悔の念はいくらしても足りない程だ。
――だが、これで覚悟は決まった。
悩み続ける時間はもう終わり。
ラウラはARCUSを構え、自らの心の内へと意識を向けた。
「ARCUSよ。繋がっていると言うのなら、……導いてくれ、あの島へ!!」
広大な海がしだいに滲み、ラウラは真っ白な世界を幻視する。
いや、最早それは幻視などではない。
気がつけば周囲にエリオット達の姿は消え、眼前には世界を隔てるような青き扉と、きらびやかなドレスを纏ったもう1人のラウラの姿が現れていた。
「……久しいな」
『ふふふっ。性懲りもなくまた来るなんて、何とも滑稽でみっともない方なのでしょうか』
ラウラの感情を逆なでする様に嘲笑うもう1人のラウラ。その上品な言葉は所詮ハリボテだ。すぐさま崩れ去り、醜悪な素顔をラウラに晒す。
『ーー嗚呼っ! 見れば見るほどうんざりする程に滑稽だな。そなたは』
「…………」
『薄氷のような主義を振りかざし、自らの心を律することすら出来ていない。”ラウラは正義を全うする騎士であり悪を許さない”、か? …… そんな体たらくで恥ずかしいとは思わないのか? ねぇ思いませんか、私?』
思い出したように取り付くろう影を見れば嫌でも実感させられる。
上辺だけの正義。独りよがりな在り方。……自らのアイデンティティすら崩しかねないシャドウを前にしながらも、ラウラは表情を崩しはしない。
「ああ、私は未熟だった。猟兵という飾り文句に目を奪われ、フィーから目を逸らし続けていた」
『”だった?” ふふ、ふふふふ。そなたは何も成長してないな。その気取った態度、その騎士と言う”仮面”を外す勇気すらない! 怖いんでしょう? せっかく築いた建前が壊れてしまうのが!』
「……かも、知れないな。だが、1つだけ気づけた事がある」
ラウラはARCUSを握りしめた手を胸に当て、もう1人の自分に向き直る。
「私はとうの昔にフィーを認めていたのだ。1人の友人として接していたいと、そう願っていた」
『何を言うつもり? その為ならば、正道をも捨てると?』
違う、とラウラは髪を左右に揺らす。
「私はフィーを助けたいと思った。歩み続ける友に答えたいと思った。――この思いは決して
そう、正道である事を目的にしていた事が間違いであった。
ラウラが被っていた騎士と言う名の
……ならば、もうこんな茶番はお終いだ。
「行くぞ、私よ! ――仮初の正道などではない、私だけの道を歩むために」
ラウラは大剣を構え、もう1人のラウラに相対する。
最早、彼女を拒絶する必要もない。己の影からも目を逸らさない覚悟を感じ取ったもう1人のラウラは、仮初の笑顔を消し去った。
『……ならば、見せてみよ』
そう言ってもう1人のラウラは光へと還り、ラウラの胸の中へと溶けて消えていった。
芯の底から湧き上がる力を肌で感じたラウラは大剣を握りしめた。
「ああ、己が意志に準じて見せよう」
ラウラの両眼が見定めるは世界を隔てるような青き扉。己のシャドウが現れたその先には、青い鍵を手に掴んだ灰髪の青年が佇んでいた。
和解を願い歩み続けていたクラスメイト。
淀みなく立つライの背中は羨ましくもあり、同時に頼もしくも感じる。
《――聞いたかラウラ。約束は確かに守ったぞ》
「……ああ、しかと聞かせて貰った!」
ラウラは駆けだした。
世界を隔てる扉の”反対側”へ。
光のベールへと飛び込んだラウラの周囲に群青の焔が溢れ出す。
「――ヴァルキュリア!」
現れたるは光沢を放つ鎧姿の戦乙女。
ラウラの意志を代弁するが如く出現したペルソナと共に、ラウラは空回る孤島へと降り立った。
◆◆◆
「ラウラ、なんでここに……?」
「そなたと同じだ。私は何でもない私として、そなたと共に在りたいと思った。理由などそれで十分だ」
「……ん、そうだね」
フィーはまだ混乱しながらも、ラウラの隣に並び立つ。
それとは逆に、ロゴス=ゾーエーは全てを理解したかの如くライを、正確にはライの持つARCUSの放つ”青い光”を見定めていた。
『異なる世界をも繋ぐ力。……汝、再び鍵の力を使ったのか』
何故、この神がフィレモンに渡された鍵の存在を知っているかは関係ない。意識を逸らしていられる程、生温い相手ではない。
ライは拳を強く握りしめ、鋭い瞳でロゴス=ゾーエーを射抜いた。
「これまで通りに行くと思うな」
『……思い上がりも甚だしい。例え
遺憾だと、ロゴス=ゾーエーは無機質な声で呟いた。ただそれだけで空気が凍りつき、周囲の樹木が根こそぎ捻じ曲がる。
常識外れな力。それを改めて肌で感じたライ達は急ぎ、全神経を一挙一動へと集中させた。
どんな攻撃が来ても反応できる様に。1mmの変化すら見逃さない様に。……だが、神のスケールはライ達の想像を遥かに上回っていた。
『――人々は願った。天に瞬く星々、超常の神がもたらす救済を……!』
突如、重い振動が地表を揺らす。
地響きなどではなく、大気そのものが押し潰されたと錯覚してしまう程の悪寒。しかし、ロゴス=ゾーエーの周囲には何もない。頬に滴る冷や汗、強烈な危機感に苛まれる3人の意識にエリオットの叫びが木霊する。
《み、みんな! 空を、空を見てっ!!》
焦るエリオットの声を聞いた3人は、反射的に上空を仰ぎ見る。
そこには昼間にも関わらず何十もの星々が煌めいていた。段々と規模を増していく白い輝き。目を凝らしたライ達3人は、直ぐにそれが山の様に巨大な岩石である事に気がつく。
「い、隕石だと!?」
《馬鹿な! 滅茶苦茶にも程があるだろうっ!?》
まるで終末の様な光景であった。ただの1つでさえ町を蹂躙しかねないメテオが何十も落ちてこようとしている。この孤島など、チリ1つ残れば幸運だと思える程だ。
『――アグネヤストラ。火神アグニの力を持って示されたと言う炎の矢だ。この試練、乗り越えられるものならば見せてみよ』
圧倒的な光景を持って意志を挫くつもりなのか。全長数十mもの岩石が大気との摩擦熱で白熱し、チリチリと肌を焦がす熱量が危機感を煽る。
「エリオット、落下する時間は分かるか?」
《え、えと……、後90秒くらい、だと思う。ーーでもどうするのっ!? 逃げ場なんてどこにも!》
「落下前に本体を倒す」
逃げる事も防ぐ事も出来ないのならば、それしか道はない。例え再び腕の攻撃圏内に入ってしまうとしても、臆する訳にはいかないのだ。
「待て!」
だが、進もうとするライの背中を、ラウラの凛々しい声が呼び止めた。
引き止めようとでも言うのか?
疑惑の念を持って振り返ったライが目にしたのは2つのARCUSが奏でる詠唱の陣。ラウラとフィーが駆動させた導力魔法が3人を包み込み、身体の中へと染み込んでいく。
(
それら2種の魔法は共に行動面に影響を与える導力魔法だ。体が羽の様に軽い。手を握り開くと言った単純な動きですら変化を実感できる。
何故?と困惑の視線を送るライ。そんな彼に向けてラウラは手を差し出した。
「そなた1人に危険を背負わせる訳なかろう。私はこの剣に、私自身の心に誓った。そなたの命だって必ずや護りきってみせる。……だから、共に行こう」
その姿はかつてケルディックで見た背中と同じ、凛々しくも勇ましい騎士の佇まいであった。
そしてもう1人。フィーも真剣な面持ちでラウラの手に自身の手を重ねる。
「私たちは一緒にこの世界を脱出する。そう決めた筈だよね」
ライをじっと見つめてくる黄色の瞳。
……そうだ。何を恐れる必要がある。己の影を乗り越えた2人の少女。彼女らと一緒ならば、どんな壁だろうと不可能じゃない。
「ああ、行くぞ」
ライも自身の手を2人の上に重ね、戦いの幕が切って落とされた。
◇◇◇
地響きが如くうなる孤島の中、ライ達3人は森林を全速力で駆け抜ける。
空からは燃え盛る巨大な岩石の球体、前方には無差別に広がる氷結魔法の前兆。
3人はそれぞれ弾ける様に分散し、襲い掛かる氷刃を紙一重で回避する。
神の座する島の中央まで、ギリギリだが辿り着ける。
土を蹴り飛ばしながら3方から突撃するライ達。
だが、その刹那、彼らの眼前に氷柱が降り注いだ。
「なっ! ブフダインで壁を!?」
行く手を阻むように偏差的に展開された
目の前に現れた絶対零度の塊を目にしたライ達は、即座に方向を反転し、可能な限り隕石から距離を取った。
――ほぼ同時に、1発目の隕石が着弾。
衝撃波がライ達の体を吹き飛ばす。
「ぐっ」
「あぁっ!!」
島が丸ごと爆ぜたかと錯覚するほどの衝撃がライ達を襲った。
土煙が遥か上空まで立ち上り、青空を茶色に染め上げる。
轟音が辺りに響き渡ること数秒。地面に積もった土山の中から、ゆっくりと3人の人間が上半身を起こす。
「大、丈夫か……?」
「……うん」
「かろうじて、だがな……」
満身創痍で無事を確認し合うライ達。
そんな彼らの耳に、エリオットの悲鳴に似た声が木霊する。
《みんな! もう次の隕石がっ!!》
そう、既に次の隕石がだんだんと近づいていたのだ。
この島に逃げ場などない。
道は氷山で塞がれており、神を倒すには策も時間も足りていない。
この絶体絶命の状況下で取り得る可能性を模索するライ。
……そんな彼の眼前に、ラウラの大剣が突き立てられた。
「ラウラ?」
「悪いが、ここから先は我らに任せて貰えないか」
いつの間にか立ち上がっていたラウラが、フィーと視線を交しながらそう言った。
フィーもまたライの横を通り過ぎ、迫りくる天災へと歩を進める。
「ライ。あの神に立ち向かうなら、ただ万全でいるだけじゃ足りない。……”万全を超えた状態”じゃないと立ち向かえない。だから――」
2人は確信していた。
このまま3人で戦っても辿り着くことさえ出来ない。だからこそ、
「その役目は任せたよ。この中で一番多くの手札を持ってるのはライ。私たちがその道をつくってみせる」
ライに全てを賭けようと決めたのだ。
その為の道を2人でつくるのだと。絶対にライを神の元へと送り届けると。
フィー達の背中を見たライは、彼女らの覚悟を理解する。
ならば、伝えるべき言葉はこれしかないだろう。
「頼む」
「ん、任された」
フィーは僅かに口角を緩め、ラウラと共に天から落ちてくる数十mもの隕石に歩んでいく。
ライはその背中を信じ、己に出来る準備へと意識を集中した。
「……ARCUS、駆動」
必要なのは治療と強化。
天から落ちてくる星々を目にしながら、ただひたすらに魔法を重ねていく。
それだけがライに出来る全てであった。
◆◆◆
地に落ちようとしている巨大な隕石の数々を前にして、ラウラとフィーは力強く地に足をつけて空を見上げていた。
今まで一体誰が天災に正面から立ち向かおうと考えたのだろうか。周囲の葉や氷片が余波で吹き飛び、青かった空も熱波で赤く染まっている。全く正気の沙汰ではないと、不思議と笑いがこみ上げてくる程だ。
「……済まなかったな、フィー」
そんな馬鹿げた状況だからか、ラウラの口から自然と言葉が漏れた。
「どうしたの? 突然」
「私はそなたを嫌うふりをしてしまっていた。騎士は猟兵の所業を許せないものだと、自身の在り方を肯定する為の道具にしてしまっていたのだ。本心ではそれが独善だと分かっていた筈なのにな」
隕石が落下するまで後、数十秒。
身体には先のダメージがまだ残っている。
まさに危機的状況であるにも関わらず、ラウラの心は落ち着いていた。
そして、隣に立つフィーも同じ様子だ。
「それは私もおんなじ。猟兵だからって心に蓋をして、初めから諦めてた」
そう、2人の在り方は真逆でありながらも、その本質はとても似通っていた。
騎士の仮面を被っていたラウラと猟兵の仮面を被っていたフィー。お互いがそれぞれの仮面に囚われて、今のままでいいのだと思い込んでいた。
「フッ、似たもの同士と言う訳か。――ならば話は簡単だ。まずは共に、あの飛来する巨岩を叩き割ろう!」
「ん。私たちならそれくらい訳ないね」
大剣とナイフを構え、自らの心を奮い立たせる2人。
ペルソナとは即ち精神の力。
心の在り様が、その力にも影響を与えていく!
「「――ペルソナ!」」
幾つかの隕石が地上に落下し爆風が孤島の森林を蹂躙する中、ラウラ達は正面から落ちてくる隕石に狙いを定める。
「フィー! 勢いを削いでくれ!!」
「
力を溜めるヴァルキュリアを背にディースが隕石へと疾走する。
その両手に込められた熱波を振るい、放たれたヒートウェイブが隕石の表面に激突。
……だが、落下する質量が余りに大きすぎた。
落下速度は変わらず、視界全体に隕石が迫ってくる。
「だったら!」
フィーは粘土状の爆薬を全て取り出して放り投げる。
同時にディースの巻き起こしたマハガルが爆薬を吹き飛ばし、隕石の表面へと容赦なく叩きつけた。爆薬を起爆させる条件は強い熱と衝撃だ。本来ならば雷管が担うべき役割を、フィーは無理矢理ここに再現した。
オレンジ色の閃光。
連鎖的な爆発が隕石の下方を覆いつくし、マハガルの暴風と合わせて僅かだが勢いを緩める。
「フィー、下がれ!」
そして、フィーが生み出した僅かな時間によって漸くラウラの準備が完了した。
ヴァルキュリアの構えた大剣に渦巻く溢れんばかりの奔流。その力を無意識に感じたラウラは、コンマ数秒で着弾する隕石をその双眸に捕らえる。
――刹那、つんざく様な衝撃が周囲に弾け飛んだ。
チャージされ、倍以上の威力を発揮したヴァルキュリアの一撃と、巨大な隕石の質量とが拮抗する。岩肌に走る亀裂。ピシリ、またピシリと広がっていく一瞬が、やけに長く感じてしまう。
「これでも、まだ足りないのか……!?」
刃の勢いが圧されていく。
脳裏によぎる悪い予感。敗北の光景。
心に芽生えた迷いが刃を曇らせ、隕石の熱波がラウラの身体を浮かす。
「――ラウラっ!」
その背中をフィーが寸前のところで支えた。同時にディースが突撃し、ヴァルキュリアの援護をする。
「まだ何も終わってない。私たちは、まだ終われない」
「フィー。……ああ、そうだな」
赤熱に染まった地獄絵図の中、2体のペルソナが神の矢に抗い続ける。
こうなっては策など無用だ。意志と力の比べ合い。ならば、隕石なぞに負けてやる道理はない。
フィーは諦めていた願いを求める為に。
ラウラは果たせなかった意志を貫き通す為に。
2人の信念を一点に、亀裂の入った中心へと叩き込む。それは一瞬だったか、それとも数秒だったかは分からない。ただ、拮抗する両者が対峙する中で、岩が崩壊する音をラウラ達は確かに聞いた。
真っ二つに割れた十数mの破片が地表に突き刺さり、辺り一帯が砂煙に包まれる。その衝撃で吹き飛ばされたラウラとフィーは、上下左右も分からぬ中ロゴス=ゾーエーの言葉を耳にした。
『我らが裁きの1つを打ち破るとは……。だが、悲しきかな。汝らが力を合わせようと、その1つが汝らの限界である事に変わりない』
天に浮かぶは何十もの隕石の大群。ラウラとフィーが打ち破った一撃は結局のところ、大海の中の一滴に過ぎない。
けれども、2人の心は晴れやかだった。
ラウラ達の目的は時間稼ぎと、神に続く最短経路を切り開く事。
これで、ラウラ達の役目は達成したのだ。
「道は開いたぞ!」
「行って、ライっ!!」
その瞬間、2人の間から弾丸の如き速度でライが飛び出した。
幾重にも折り重なる魔法の光を身に纏い、宙に浮くラウラとフィーの武器を瞬きの合間に受け取って、両断された隕石の断面へと跳んでいく。
残されたラウラとフィーの上空には、今まさに落下しようとしている多数の隕石群。
かくして、少女達の意志は1人の背中にゆだねられた。
◆◆◆
全力を出し尽くして崩れ行くラウラとフィー。
それでもライは決して振り返らず、彼女らが作り上げた隕石の坂を駆け上がる。
これこそ彼女らが作り上げた突破口。
この坂を使えば、氷山など簡単に跳び越えられる。
ペルソナによる強化魔法と、ARCUSによる身体強化。
2人の少女が稼いだ時間を用い、出来うる全てのドーピングをその身に叩き込んだライの身体能力は、既に常人の域を遥かに超えていた。
勢いのまま十数m上空へと跳躍。
遥か下方に乱立した氷山には目もくれず、上空に浮かぶ天使像へとラウラの大剣を突き立てた。その直後、周囲に浮遊する天使像が一斉にライを狙う。
”汝が心に芽生えしは剛毅のアルカナ。名は――”
「ラクシャーサ!」
青空に走る3本の斬光。
ライの背後の現れた赤色の幽鬼が2刀を振るい、目にも留まらぬ速度で天使像を両断した。
(全て倒す必要はない。道さえ開ければ――!)
崩れ落ちる天使像を足場にして更に跳躍。
遠方にいた像の眉間へとフィーのナイフを投擲し、バランスを崩した天使像の頭上に着地する。
狙うはロゴス=ゾーエーただ1柱。その巨体へと跳び立とうとした瞬間、神の真っ白な瞳がライの姿を映しだした。
――奴の攻撃が来る。
ライの直感がそう叫ぶ。
何か方法はないのか?
目視も困難な攻撃を躱す方法が!
その時、ライの脳裏に隕石に立ち向かうラウラとフィーの姿が浮かび上がった。
2つの力を重ね合わせ、壁を乗り越えた彼女らの雄姿。その在り方がライに可能性を与える。
(――力を、重ね合わせて……?)
ドクン、と心臓が強く脈打った。
スローに感じられる視界の中、無意識に応じるが如く唐突にベルベットルームを幻視する。
幻の中で両手を広げ3枚のタロットカードを宙に浮かべているイゴール。その姿を模倣する様に、ライは即座に両手を左右へと広げた。
ライの眼前に3枚のタロットカードが浮かび上がる。
強烈な雷光、後方に八芒星の陣が生まれ、3枚のカードがトライアングルを描く。
これこそ、フィレモンも言っていたワイルドの真の力。幾つものペルソナを重ね合わせ、新たなペルソナを作り出す。
そう、真の力とは即ち――
「――合体!」
恋愛、法王、魔術師。
3枚のアルカナが1つに合わさったその瞬間、ライのいた空間は天使像ごと抉り取られた。
現れたのは純白の槍。挙動すらも把握できない速度で、ロゴス=ゾーエーの腕が貫いたのだ。
《ライ! 大丈夫っ!?》
「……ああ」
しかし、ライは寸前で躱していた。
風圧で制服は破れ、肌はボロボロの血まみれになってしまっていたが、それでも五体満足だ。
ライはロゴス=ゾーエーの腕を道にして、神の元へと駆けだす。
追撃と言わんばかりに2本目の腕で突き穿つ神。
しかし、その攻撃が放たれる”寸前”にライの体がヒトデの様な影に突き飛ばされ、結果としてロゴス=ゾーエーの攻撃はまた空振りとなった。
『……デカラビア。ソロモンの従える72柱の1つをその身に宿したか』
青色の焔の中、高速で旋回しながら飛翔する1つ目の悪魔。
3身合体により生まれたデカラビアの眼が、ロゴス=ゾーエーの物理的な攻撃を未来予知に等しい精度で見切ったのだ。
――真・物理見切り。
そのスキルによって更なる攻撃を感知したライは即座に回転。
危険範囲から脱した次の瞬間、2本の腕がライの左右を突き抜ける。
ロゴス=ゾーエーまで後、数十m。
神へと届く、その刹那。
『――人々は願った。終わりへと向かう”時間”からの脱却を』
神の言霊が世界を従え、時計の針が再び歩を遅めた。
空気や音、ロゴス=ゾーエーとライ達の意識を除く全ての動きがスローモーションの世界へと変貌する。神を両断せんと振り上げていた右手の大剣も同様に勢いを失う。
まさにライ達の心を挫かんとするが如く、最後の最後でひっくり返される盤面。
……だが、しかし、
「ここ、で……、止めてく、ると、……思った」
ライはこの行動を予測していた。
ロゴス=ゾーエーの行動は決して慢心だけではない。ロゴス=ゾーエーは戦局を圧倒する筈の時間操作をあまり使おうとはしなかった。そして、以前ライ達を両腕で吹き飛ばした際、神の近くにいた天使像の動きは遅いままだったのだ。
――この2点から考えられる答えは1つ。神の時間操作には距離の限界と言う不完全さが隠されている。時間を巻き戻した存在を失踪者だと否定した事も、その証拠と言えるだろう。
さらに言えば、果たしてこの神は気づいているのだろうか。
何故、ここまでペルソナではなくライ自身が突撃してきたのか、その答えを――!
(――これが、最後の一手!)
ライの左手に握られているARCUSから黒色の光が放たれる。
直後、重なる様に時計の文様が浮かび上がり、体や大剣の動きが一瞬にして元の動きを始めた。
神の力を打ち消した訳じゃない。
導力魔法の力によって時間を瞬間的に引き延ばし、低下した時間を相殺したのだ。
絆の力、ペルソナの力、……そして、ARCUSの力。
これこそライの持ちうる全ての力。文字通りの全力を尽くしたからこそ遂に、全身全霊の刃が神へと届く!
――――轟音。
――勝敗を分かつ斬撃は一瞬だった。
ロゴス=ゾーエーが対処するよりも一拍早く、強化した力を乗せて純白の体を縦に両断した。
少しずつ崩れ落ち、光へと還っていく神像。
大剣を振り下し地面に着地したライはふらりとバランスを崩した。失血に加え、強化魔法の効力が遂に尽きたのだろう。妙に重く感じてしまう体のまま振り返ったライは、そこで信じられない光景を目の当たりにする。
『時間を瞬間的に引き延ばし、我らが力を打ち消すか』
(――っ!?)
崩れ去った筈の神はまだ生きていた。
体躯の半分を失いつつも、平然とした様子でライに語り掛けてくる。
『その力、クロノバーストであろう。汝が手に戻っていようとは』
「……これは、ラウラの分だ」
ライがこの孤島に流れ着いた際に失ったクォーツ。今、ライのARCUSに入れてあるものはラウラの持っていたクロノバーストである。恐らくはロゴス=ゾーエーが危険と判断して奪い取ったのだろう。だからこそ、この導力魔法が有効であると思い至り、突撃の際に受け取る事が出来た。
『人の身でありながら時の速度をも操る奇跡……。実に、”この世界”に流れる力は不可思議なものだ』
神の言葉を聞きつつも、ライはその状況を見極める。
男女の内、女性的な面だけが消えさった姿。4本腕の内2本が消えている光景を見れば、理由など明白だろう。
(……我”ら”、か)
ロゴス=ゾーエー。ロゴスと、ゾーエー。始めからあの神は2柱が融合した存在だったのだ。半身を失った神は、消えゆく光を拾い上げライに見せつける。
『汝は
光の中には幸せそうな光景が広がっていた。
ブリオニア島の宿屋に住んでいた少女と笑い合いながら料理を作る女性の姿。彼女はどこかで見たエプロンを着こなして、左右に立つ両親と一緒にただただ幸せそうにしていた。……そんな光景も、霞となって崩れ落ちる。
「罪なら背負ってやる。それでも、前に進むと決めたんだ」
『何故汝は未来に希望を抱く。未来が汝に何をもたらしたと言うのか』
ゾーエーを失った半身であるロゴスは、ライの身体強化が切れていると知りつつも言葉を綴り続ける。……いや、知っているからこそ、か。ロゴスとは文字通り”言葉”を意味する名だ。伝え、説き、語る事こそがロゴスの存在理由なのだろう。
『汝が抱える悩みは全て、前に進もうとしたが故に生じたものだ。友も、故郷も、その記憶さえも! 明日さえ諦めれば手放さずに済んでいた。――考え直せ。未来とは決して汝の味方ではない』
前に進むと言う事は終わりへと向かう事。家族を失ったフィーからも分かる様に、ロゴスの言葉は決して間違ってはいないのだろう。現に今、命すら失いかねない局面に立たされている。しかし、
「それでも……、前に進んだ事で手に入れたモノなら、ここにある」
ライの意志は変わらない。
対話が終わり、振り下されようとしたロゴスの両腕。
だが、決してそれがライを貫くことはなかった。
「――ディース!」
「――ヴァルキュリア!」
ライの左右に降り立った少女たちのペルソナが、ロゴスの体に1撃を食らわせたからだ。
遠方にはクレーターの中、ボロボロの制服を身に纏って立ち上がるフィーとラウラの姿。共に佇むその光景こそが、ライの求めていた未来そのものであった。向き合いたくもない影と向き合って、これでいいと思っていた現状を壊して、彼女ら自身が変化を求めたからこそ辿り着けた光景。
だからこそ、ここで終わらせる訳にはいかないのだ。
「「ライ!」」
「ああ! ――ヘイムダル!!」
カードを砕き、ヘイムダルが青い焔を靡かせながらも飛翔する。
ロゴスが腕を振るいディースとヴァルキュリアを粉砕する中、巨大な角笛を叩き込むヘイムダル。大槌は反響と共に弾け飛んだが、ヘイムダルは反射的に得物を手放し、僅かに出来た体の亀裂へと腕を潜り込ませた。
――アギラオ。
ライの全精神力を用い、零距離火炎魔法をロゴスの内部へと放つ。もう一撃。さらに一撃。力を使い果たす勢いで放たれた炎が内部で暴れまわり、純白の体に幾つもの亀裂が走る。
亀裂からは炎が溢れだし、内側から崩れ始めるロゴス。
もう崩壊は全身まで広がっている。
……これで、勝敗は決した。
『やはり、不完全な
己が敗北を見つめたロゴスは、変わらぬ表情のまま静かに呟く。
その心にあるのは諦めか。それとも別の何かか。
『だが、元来我らには生も死も存在しない。必ずや人々の魂を救済し、 肉体に囚われない
最後まで言霊を呟き続けたロゴスは光へと還り、辺りは平和な静寂へと戻っていく。
ゆったりとした雲の流れに、風に揺れる草木のざわめき。
長い長い1日の終わりを感じ取ったライ達は、静かに肩の力を抜いて座り込むのであった。
剛毅:ヴァルキュリア
耐性:氷結耐性、疾風弱点
スキル:チャージ、剛殺斬、タルカジャ、カウンタ
ヴァルキリー・ワルキューレとも呼ばれる戦場の勝敗や死を決める女性的な半神たちの総称。オーディンの命により、死者の中から勇敢な者を選び取り、天上のヴァルハラへと迎え入れる役割を担っている。
剛毅(ラウラ)
そのアルカナが示すは力や勇気。正位置では強固な意志を示しているものの、逆位置になると優柔不断を意味してしまう。絵柄にはライオンの口を押さえる女性が描かれているが、ライオンの暗示とは即ち”本能”。無視できない程の存在となった無意識の暗示であり、それを押さえる女性も含め、ラウラの精神的な葛藤に通じるところがあるだろう。
剛毅:ラクシャーサ
耐性:物理耐性、氷結弱点
スキル:キルラッシュ、攻撃の心得、疾風斬
インド神話の叙事詩「ラーマーヤナ」に登場する悪鬼の一族。以前は精霊として崇められていたが、人を惑わし血肉を食らう魔物として描かれる事が多い。仏教において破壊と滅亡を司る神である羅刹は、ラクシャーサが中国に渡った際につけられた訳語である。
愚者:デカラビア
耐性:電撃・光無効、疾風耐性、物理弱点
スキル:メギド、真・物理見切り、淀んだ空気、メパトラ、バルザック、小気功
ソロモンが封じた72柱の序列69位。30の軍勢を統べる地獄の大侯爵とも、王にして伯爵とも言われている。召喚された際は五芒星の姿をしているが人の姿に変化する事も可能であり、薬草や鉱物の効能に精通している。
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カジャ積み込みは基本。これアトラスゲーの常識だから。
まぁ軌跡シリーズも割とそうなんですけどね。倍率ドンです。