心が織りなす仮面の軌跡(閃の軌跡×ペルソナ)   作:十束

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49話「救済の囁き」改定版

 永遠と6月28日を繰り返ていた無人島に突如として現れた変化。

 2人しかいなかった筈の砂浜に立ち並ぶ大勢の人影を見て、ライは一瞬時間が止まってしまったかの様な錯覚を覚えた。

 

 リィン、アリサ、エリオット、ラウラ、ガイウス、マキアス、ユーシス、エマ、それとミリアム。服装から髪の長さに至るまでライの記憶に相違ない、まるで写真から切り取ったかのような光景だ。

 

「皆、どうしてここに……?」

「どうしてって、随分な言い草だな」

 

 青空の下に広がる砂浜のど真ん中、リィンが頭を掻きながら感想を漏らす。

 そう言うリィンこそ随分と呑気な仕草だ。ライが不審げな視線を向けると、その間を仲介するかのようにアリサが割り込んできた。

 

「あなた達がいつまで経っても戻ってこないから、探しに来たんじゃない」

「探しに? けど時間が……」

「島の外と中の時間が同じって、ライは実際に体験したわけ?」

 

 ああ、確かにその可能性もあった。

 

 ライが外部を知覚出来ているのは唯一”導力ラジオの放送”だけ。

 孤島に飛んできた導力波ごと時間が巻き戻っていたとするならば、外部と関係なく同じ放送が流れていたとしても不思議じゃない。

 

「それより、何でそれをアリサが──」

「どうでもいいじゃない。ほら、今は久方ぶりの再会を喜びましょう?」

「そーだよ! こんなキレイな海に来たんだから楽しまなきゃ!」

 

 戸惑うライを他所に、いつの間にか、素足になったミリアムが真っ白な砂浜ではしゃぎ回っていた。

 

 浅瀬の中でホップステップ。気分はまさに南国バカンスと言ったところ。冷たい塩水を心行くまで楽しんでいるミリアムを見ていると、疲れ切っていた精神がゆっくりと解きほぐされてしまう。……場違いな事この上ないが。

 

「あ〜あ、あんなに動き回ったらずぶ濡れじゃない」

 

 その証拠にアリサも呆れた様子で己の金髪を撫でている。けれど、今のライにとっては、アリサの態度ですら悠長なものに映ってしまう。

 

「どうしたの? やけに疲れているみたいだけど」

 

 と、そんな時、エリオットがライの肩に手を置いて顔を覗き込んできた。

 

「……そんなに疲れている様に見えるか?」

「見えるかって、そりゃもう死人みたいに酷い顔だよ?」

 

 普段、表情に乏しいと揶揄されるライがそこまで断言されたとなると、相当に酷い表情をしているのだろう。ライは己を顧みて、そっと意識を入れ替えた。

 

「いや、大丈夫だ。それよりエリオットに頼みたい事がある」

「……へっ? 頼みごと?」

「ああ、この周囲一帯のアナライズを頼む」

 

 エリオットのブラギさえいれば、この異常事態の根本を分析する事も可能な筈だ。空回りする島を攻略する道を見出したライ。

 

 ……しかし、エリオットの反応は予想外に冷淡なものであった。

 

「えぇっと、何で探らなきゃいけないの? 別にここってそんな悪い場所には見えないけど」

 

 う〜ん、と困惑した様子のエリオット。

 彼との温度差の原因は、実際に時間の空回りを体験していないからだろうか。ならば、まずはその説明からだ。

 

「この島には言葉通り明日がない。だから──」

「僕には別に、それが悪い事だとは思えないんだよねぇ」

「──? それはどう言う……」

 

 何かが噛み合っていない。ライはそう感じた。けれども、ライがエリオットの真意を確かめるよりも先に、エマの手が行く手を遮る。

 

「まぁまぁ、良いじゃないですか。せっかくこんなに綺麗な場所なんですし」

「それもそうね。ここでじっとしてるのも勿体ないし、私たちもミリアムに習うべきよ。──ほら、ラウラとそこの男子たちも一緒に行きましょ?」

「うむ、承知した」

 

 ラウラが返答を口にしながら海へと歩き出す。後方にいたガイウスやエリオット、マキアス、ユーシス、リィンもそれに続いていった。

 

 

 ……まるで日常の一部であるかの様に。

 それが、どうしようもなく不気味に感じた。

 

 

「ライ?」

「ライさん?」

「ライよ、どうかしたか?」

 

 何かが違う。まるで別世界に迷い込んだみたいだ。砂浜で遊んでいる面々はいつも通りの日常で、だからこそ不自然極まりない。

 

「……これも、夢なのか?」

 

 この繰り返される島の中で、視界が夢と重なる事は現にあった。しかし、彼等が立っているのは間違いなく島の上だ。

 

 視界が重なっているどころの話じゃない。

 夢と現実そのものが重なり合ったが如き異変。……そう、異変だ。今までと異なる異変が起きた。これはそう言う事なのだろう。

 

『──拒む必要などない。ここは汝が求めた現実であり、彼らは汝が望む世界の在り方だ』

 

 頭に鳴り響く、何かの声。

 

「……っ」

『悩む必要はない。思考する必要もない。──あるがままを受け入れよ。さすれば悲しみに満ちた世界から解放され、真の幸福なる世界へと併合される』

 

 それは勢いを増してライの意識を侵食する。

 拒もうをする意志すらも嘲笑い、"声"が心を埋め尽くしていく。

 

「ライ、どうしたの? 早くこっちに来なよー!」

 

 薄れゆく視界の中、ミリアムが大きく手を振っていた。

 

「……ほう、ただの塩混じりの湖と思っていたが、存外心地よいじゃないか」

 

 体の感覚が失われる中で見たユーシスも、どこか楽しげだ。

 

「ユーシス! そんな浅瀬で満足していないで、沖まで競争でもしようじゃはないか! 庶民として育った者の実力を見せてやる」

 

 そんなユーシスに理由もなく対抗意識を燃やすマキアス。

 

 ……いつも通りの、日常の光景が手の届く場所に広がっている。

 あの声の言葉が正しければ、この現状を受け入れさえすればライもあそこに行けるのだろうか。

 

「なぁライ」

 

 ほとんど見えなくなった視界の先に、ふとリィンの顔が映る。

 

「ここは本当に間違った場所なのか? 俺たちは学生だ。いつかは卒業することになるだろうし、みんなの立場を考えると一緒になるのも難しい。だったら、明日がこないここに留まるのが最善の道なんじゃないか?」

 

 確かにそうかも知れない。

 出会いがあれば別れも必然。その未来を覆したいのであれば、この島はひどく都合の良い場所に思えてくる。

 

(けど……、俺は…………)

 

 薄れゆく意識の中、ライは遠方に見えるフィーの方を見た。

 何人もの人物に囲まれながら、安らかな眠りについているフィー。

 彼女の寝顔は幸せそのものと言った感じだが、何故だかそれを見ていると、とてつもない危機感がライの心を駆け巡る。

 

『さあ、享受せよ。永遠の今が続く世界で、永遠の幸福を胸に秘めて、暖かな微睡(まどろみ)へと身を委ねるのだ……』

 

 視界が白に染まる。

 

 意識が混濁する。

 

 もう既に言葉すらも紡げない程に朦朧としたライは、声に導かれるがままに砂浜へと崩れ落ちた。

 

 

 …………

 ……………………

 

 

 ……ライは真っ白な光が満ち溢れる世界に浮かんでいた。

 

 全身に染み込むような暖かい幸福感。

 光のベールが幾重にも織りなす向こう側に見えるのは、安らかな笑みを浮かべた仲間の姿だった。

 

 誰1人として仲違いする事もなく、誰1人として己が影に悩まされる事もない。

 何1つの悲しみもない、……理想郷。

 

『喜べ、虚ろの世に囚われた人の子よ……。汝は今、不安に満ちた未来からも、後悔と喪失に満ちた過去からも解放される。汝が魂は永遠の命を得て、遂に救済されるのだ』

 

 このまま瞳を閉じれば、きっとそれは現実になるのだろう。

 

 しかし、

 

「……違う」

 

 ライは無意識にその言葉を否定していた。

 血がにじむ程に強く手を握りしめ、渾身の力を込めて両眼を開ける。

 

「未来にあるのは不安だけじゃない。俺の過去を、悲観的な言葉だけで片づけるな」

 

 確かにラウラとフィーに関しては失敗だらけで、不条理に嫌われる事もあった。

 けれど、それで歩んでいく事を諦めはしない。未来には可能性があり、過去には尊いと思えた記憶もある。その全てを否定してしまう選択など選べようものか。

 

「フィー……」

 

 ライは気がつくとARCUSをその手に握っていた。

 意識を失う寸前に見た彼女の状況から察するに、彼女もまたライと同じ状況に陥ってるのだろう。

 ならば、このまま眠っている訳にはいかない。ライはたゆたう光の中、ARCUSを前方に構える。

 

『──何故、我らの言葉を拒む。永遠への回帰にこそ救いがある。変化こそ苦痛、生きるなど辛いだけだ。時間とは即ち、虚ろなる神が作り出した悪しき虚構に過ぎない』

 

「けど、変化にだって価値はある筈だ」

 

『無知なる者よ。幸福を感じ、それを失いたくないと願う事は罪ではないのだ。人々に喪失を強いる"この世界"こそが悪なのだと、何故気づかない』

 

「幸福か決めるのは俺でも、ましてお前でもない。……決めるのはフィー自身だ」

 

 この世界で永遠に生きることが本当にフィーの救いと決まった訳ではない。

 だからこそライは、どこかから響いてくる言葉を切り捨て、その手に持ったAECUSを起動する。

 

 ──リンク──

 

 ライのARCUSが輝きを放ち、2人の心は再び"繋がった"。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 フィーは光に満ちた世界に浮かんでいた。

 

 安らかな温もりに包まれて、久方ぶりに感じる深い眠気に身をゆだねる。

 朧げな視線の先には懐かしの顔ぶれ。西風の旅団の皆がフィーを見守っていた。

 

「安心しぃや。ワイらはここにおる」

 

 ゼノが何時になく優しげな声でフィーに語り掛ける。

 その言葉にフィーは「……ん」と短く返すが、少しして、彼女はふと我に返った。

 

「わたし……は……」

 

 どうしてここにいるのだろう。

 

 繰り返す島で目覚めたときに他者の気配を感じて、ナイフを片手にその場所を偵察に行って、それで──

 

「考えなくていい。ただこの場所にいれば、誰もフィーを置いていかないのだからな」

「だれも……?」

「ああ、我ら西風の全員だ」

 

 体格の良いレオニダスの言葉を聞いて辺りを見渡すと、本当に誰1人として欠ける事なくその場に集まっていた。……その中には、死んだはずの団長の姿さえあった。

 

「ここにいれば、みぃんな一緒や。フィーを置いていく事なんてもうない。……フィーの幸せはここにある」

 

 言葉が麻薬のようにフィーの思考を飲み込んでいく。感じた疑問や思考すらも洗い流されて、再び深い微睡がフィーを襲う。彼らの言葉が真実のように感じられる。

 

 けれども、

 

 ”──決めるのはフィー自身だ”

 

 誰かの声を聴いて、朧げな少女の意識は僅かながら覚醒した。

 

「……今、のは」

「フィー! あの声に耳を傾けるな」

 

 突如としてレオニダスの声が荒立つ。

 

 まるで、悪魔の声だと糾弾するかの如く。

 だが、フィーは彼の態度を問いただす事は出来なかった。

 

 懐に入れたARCUSから光が漏れ、急速に光のベールが遠のく。懐かしい顔も一瞬で彼方へと消え失せて……。

 

 

 ――

 ――――

 

 

 ……気がつくと、フィーは真っ白な空間に1人佇んでいた。

 

 音も温度もない世界にただ1つ、巨大な青い扉が高々と座している。どう見ても人が通るには大きすぎる異様な扉。正体不明の建造物に手を当てたフィーは、ぼんやりと思考を巡らせてようやく状況を悟る。

 

「ここって……、もしかして例の?」

 

 世界を隔てているような扉の話は、ペルソナに覚醒した面々からフィーも聞いていた。ならば、ここはもう1人の自分と対面する空間であり、何時の間にかライと戦術リンクをしていたのだろう。

 

 懐のARCUSを取り出すフィー。

 手のひらに収まっている導力器からは淡い光が漏れている。

 

(なぜ?)

 

 普段、ライの方から勝手に戦術リンクを行う事はない。彼は直に体験した訳ではないけれども、戦術リンクに失敗した皆の姿を間近で見てきたのだから。”余程”の事がないと承諾なしにリンクを試みたりはしない、とフィーは思う。

 

 ……思い当たる節はただ1つ。さっきまでいた甘くて不気味な──

 

『意外、私がまた来るなんて』

 

 唐突に、いつの間にか開いていた扉の向こう側から声が聞こえてきた。

 フィーが顔を上げて見つけたのは乱雑な銀髪をした小柄な少女。それは鏡で見たフィー自身の姿と瓜二つなものであったが、彼女の表情は嫌気がさすくらいに根暗で歪で、ぎらぎらと輝く黄金の瞳はフィーの心を見透かしている様だ。

 

「……もしかして、もう1人の私?」

『分かってる事を聞かないで。私はフィー、フィーは私。そんなこと知ってたくせに』

 

 もう1人のフィーは詰まらない物でも見たみたいに真っ白な地面を蹴り上げる。

 耳障りな声。理由は分からないけれど、その言葉を聴いているだけで鳥肌が増すばかり。

 

 生理的な嫌悪感に襲われるフィーであったが、ふと、とある事実に気づく。

 

(今、受け入れなくたって……)

 

 そう、ライの意図があの奇妙な空間からフィーを脱出させる事であるのなら、もう既に目的は達成されている。無理に彼女を受け入れようとしなくとも何ら問題はなく、むしろ合理的とすら言えるだろう。

 

 けれども、そんな容易な道を選べるほど影は生易しくない。

 

『そうやって、また目を逸らすんだ』

 

 もう1人のフィーが目を見開いて、フィーを虫けらのようにあざけ笑う。

 無視すればいい。合理的に目的を果たすためなら個人の感情をも殺し、戦場の死神とすら謳われる者達こそが”猟兵”なのだから。

 

「……また?」

 

 しかし、フィーは問わざるを得なかった。

 心の奥がざわめく。この胸が締め付けられるような憤りを無視することなど、至難の技であった。

 

『怖いんでしょ? 私と面を向かって言葉を交わすのが』

「そんな訳ない。私がそんなことを思うなんて」

『それって猟兵だから? ……つまんない、また目を逸らしてる』

 

 一歩、一歩、音もなく近づいてくる。

 その全く隙のない足運びと、苦々しく睨み付けてくる敵意の塊を見たフィーは、反射的にナイフを取り出し素早く構えた。

 

「目を逸らしてなんかない。さっきから何を言ってるの?」

『……何って、どうしようもない現実のこと』

 

 それでも、もう1人のフィーは近づいてくる。

 まるでナイフなど目に入ってないように、フィーの戸惑う顔を見てその目を見開いて、……そのまま刃にずぶりと突き刺さった。

 

「……えっ?」

 

 もう1人のフィーの凶行を目の当たりにしたフィーは、思わずナイフを持つ手を引いてしまう。

 だが、そこには誰もいなかった。まるで、フィー自身が目を逸らしてしまったかの如く何もない。何も見えない。辺りは霧に包まれる。

 

『猟兵になって人一倍経験してるって思ってる? でも残念。フィーはただ目を逸らしていただけのちっぽけな人間。猟兵猟兵ってばかみたい』

 

 どこからともなく声が聞こえてきた。

 孤島で聞こえた声と違って、敵意に満ちた音が世界に響く。

 

「猟兵を、旅団のみんなを馬鹿にしないで」

 

 ナイフを固く握ったフィーが眉をしかめる。

 だが、その行為ももう1人のフィーはあざけ笑っていた。滑稽なものでも見ているように。

 

『だったら、何でラウラにあんなこと言ってるの? わざと物騒な言葉をいい続けるなんて』

「……それは、その方がお互いのため、だから」

 

 フィーは思わず言いよどんでしまった。

 心に感じた引っかかり。それを見逃す影ではなかった。

 

 ──刹那、霧が晴れ、もう1人のフィーの恐ろしげな瞳が視界全体を覆う。

 

『お互いのため? フィーのため、の間違いだね』

「…………」

『フィーにとってラウラは眩しかった。自分の正義に準じることができて、まっすぐで。こんな血と埃で汚れた私とは大違い。……だから、きっとラウラは受け入れられない。旅団のみんなに置いてかれて裏切られたみたいに、私自身が傷つくくらいなら、いっそのこと自分から傷つけて離れた方が気も楽。そうだよね?』

 

 目と鼻の先に立っているもう1人のフィーが糾弾した。

 ここ一か月続けていた行動は、その実自分自身が助かるためだけにしていた行為なのだと。それをお互いのためと言って目を逸らしていた事こそが、フィーの罪なのだと。

 

 けれど、そんなこと簡単に受け入れられる訳がない。

 

「そんなのデタラメ。そんな理由じゃないし、それに、みんなは私を裏切ってもない」

『大切な家族だと思ってたのは私だけだった。みんなは私を裏切った』

「そんなこと思ってない」

『私なんかが家族を持つなんて、初めから間違ってたんだ』

「……違う」

 

 ナイフを素早く引き裂いての威嚇。

 すると、もう1人のフィーはまた霧へと姿を変え、気がつくと青い扉の前にいて、煉瓦でできた縁石の上に座っていた。

 

『目を逸らしてばっかり。ホントは猟兵なんてどうでもいいくせに』

「違う。だって猟兵は……」

『家族の居場所、でしょ? たまたま西風の旅団が猟兵だったってだけ。その証拠だってある』

 

 もう1人のフィーは立ち上がって足元を見た。

 そこでようやくフィーは気づく。影が座っていた縁石は、フィーが花を育てていた花壇である事を。

 

『ホントは猟兵じゃない生活にも憧れてた。壊すんじゃなく、何かを育んでいく生活を。……だから園芸部に入った。ラウラが眩しくみえたのもそのせい』

 

 丁度、旅団にいたときに貰った花の種もあった。

 フィーにとってそれが目的だったはずだが、もう何が本心だか分からない。

 

 ……だが、もう1人のフィーの主張はそれで終わりじゃない。

 

『──でも、目を逸らしちゃだめ』

 

 その細い足を持ち上げ、ぐしゃりと、芽の出ていない花壇を踏みにじる。

 

『私にそんな生活できっこない。命を育むなんておこがましい。いつまでたっても芽を出さないのも当然』

「……それは」

『そんな手で、ホントに育てられるって思ってる?』

 

 指を差されたフィーはつられて、ナイフを持つ自身の手へと視線を移す。

 

(……ぁ)

 

 その両腕は血に濡れていて、砂漠のように乾燥していて、そして、ところどころに骨が見えてしまっていた。まるで死神のように禍々しく穢れきった指先だ。その手で植物に触ろうものなら、植物は腐り枯れ果ててしまうだろう。そう感じてしまう程に、この幻覚は強烈なものであった。

 

 思わずフィーはナイフと取りこぼす。

 カラリと真っ白な地面に落ちた音にも気づかず、後ろに一歩後ずさってしまう。

 

 もう何も分からない。

 自身の本心とは何なのか。何を思っていたのか。

 

 するとそんな時、一歩後ろの下がったフィーの背中に、なじみの声が投げかけられた。

 

「──そうや。分からんでええ。目を逸らしたままでええんや」

 

 フィーが振り向くと、真っ白な世界とは別に7色の光に満ちた世界が見えた。

 この世界に来る前にフィーがいた世界。そこにはゼノ、レオニダス、団長、懐かしの面々が笑顔で佇んでいる。

 

「辛いもんからは逃げたらええ。嫌な過去も、不安しかない未来もぜぇんぶ捨てたらええ。ここならそれができる。……さぁ、この手を取るんや」

 

 光の世界から手を指し伸ばすゼノ。

 この世界に入ってこれないのか、彼の指は世界の境界線で止まっていた。

 

(あの手をとれば、もう悩まなくていい?)

 

 それは何て素晴らしい事なのだろうか。もう、どうしようもない現実に悩まされることもない。見たいものを見て、見たくないものから目を逸らせる。フィーの小さな手は無意識にその手を取ろうと伸ばされていく。

 

 届くまで、後僅か。

 フィーもそれを望んでいる。

 

 

 ……だが、その手は寸前のところで止まっていた。

 

 

「むっ、どうしたんだ、フィー?」

 

 ゼノの隣にいたレオニダスが疑問の声を上げる。

 だが、戸惑っていたのはフィー自身も同じだった。

 

「……なんで?」

 

 その手を取れば、また旅団との生活に戻る事ができる。

 明日がこない世界の中ならば、離れ離れになることも2度とないだろう。

 

 しかし、フィーの白い指先が動くことはない。

 

 まるで、まだ何かやり残していることがあるみたいに。

 まだ未来に期待でもしているみたいに、フィーの無意識は受け入れる事を拒んでいる。

 

(期待……?)

 

 何に期待しているとでも言うのだろうか。

 ラウラとの改善など望めないし、団長が死んで、家族のみんながフィーを置いて消えてしまった事実も変わらない。

 

 けれど、フィーは気づいてしまった。相反する感情も確かにフィーの内に存在しているのだと。何とか受け入れようとしてくれたラウラの姿。どんな状況でも変わらず前を向いて全力を尽くそうとするライの姿。そんな儚い可能性に動かされた自分もまたフィー自身なのだと、フィーはようやく理解した。

 

 ……だから、もうその手を取ることは出来ない。

 

「ゼノ、1つだけ聞かせて」

「なんや突然」

「私を置いていった理由ってなに?」

「……そんなの、どーでもええやないか」

 

 違う。

 どうでもいいのではなく、知らないのだ。

 

 あのゼノは偽物だとフィーは直感で理解した。フィーが知る由もない事を聞いたって、答えなど返ってくる筈もない。目の前にいる面々はフィーの知る姿そのままであり、つまりはフィーの記憶が元になった虚像でしかないだから。

 

『その手、取らないんだ』

「ん、──私にはまだ、あっちの世界に未練があるみたい」

 

 背中から問いかけてくるもう1人の自分に向けて、フィーは振り返る事なく静かに答えた。

 伸ばしていた手をそっと下ろし、思い出すはライから聞いた”胡蝶の夢”の話。夢と現実のどちらが本当か分からないように、フィーの心にもまた、悲観的な感情と相反する心が眠っていた。

 

 それなら、と、フィーは静かに振り返る。

 悪意に満ちた瞳で睨んでくる少女。その視線を受けたフィーが感じたものは、言いようのない不快感と、……僅かばかりの納得であった。

 

(そっか)

 

 今まで対峙していたもう1人のフィーとは、言うなれば選択の過程で抑え込まれてしまった感情だ。団長の反対を押し切ってまで猟兵になって、そこで2つ名がつく程に活躍をしてたりもした。……けれど、みんなに置いて行かれ、最近ではラウラとの軋みもあって。

 それら多くの出来事の中で捨て去られたフィー自身の心。選ばれなかった想いがそこにいた。

 

「私は猟兵。だけど、それが私のすべてじゃない」

 

 フィーはまた手を伸ばす。

 

 今度はもう1人の自分に向けて。

 救いを求めるのではなく、共に歩んでいく為に。

 

「行こ? 今度はちゃんと、目を逸らさず頑張ってみる」

 

 すると、もう1人のフィーは瞳を閉じて淡く青い光となった。

 元いた場所へと還るように、フィーの手から心の奥へと溶けて消えていく。

 

 

 ──自分自身と向き合える強い心が、”力"へと変わる…………。

 

 

 体の芯が暖かい。

 

 自身に芽生えた新たな”力”を感じたフィーは、決意を込めた視線で西風の旅団であった偽物へと意識を移した。

 

『どうしたんや? フィー』

 

 もう、彼らはフィーの知る姿ではなかった。

 目も鼻も口もなく、黒いもやに覆われた人形が懐かしの声で語り掛けてくる。

 

 彼らには甘い夢を見せてくれた。けれど、それはもう終わりにしよう。覚悟を決めたフィーはその手を握りしめ、確たる声で宣言する。

 

「──ペルソナっ!」

 

 刹那、フィーの周囲に青い光が膨れ上がる。

 先程もう1人のフィーが変貌した淡い光が強烈な質量となって流動し、何もない空間に1つの像として収束する。

 

 現れたのは、黒きベールと迷彩服を身にまとった女性型のペルソナ、ディース。その両手に赤白い熱が宿り、ディースは両腕を左右に広げる。

 

 ──瞬間、腕は刹那の速さで熱風を伴い薙ぎ払われた。

 

 ヒートウェイブ。

 ディースの両手から放たれた熱風が影もろとも光の世界を蹂躙し、甘い虚構を粉々に叩き割る。

 

『……なぜ、だ』

「ごめん、私にはまだやりたい事が残ってるから」

 

 そう一言呟いて、フィーはゆっくりと瞳を閉じた。

 次瞳を開けた時にはもう、あの孤島に戻っている事だろう。その時にしっかりと見定める事が出来るように。深く、心に刻んで。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ──空回る孤島の砂浜。

 ライとフィーは孤島の砂浜に佇んでいた。

 

 何回も眺めた空の景色に、途方もなく聞いた海のせせらぎ。……そして、顔のない人影。

 

『──ライよ、具合でも悪いのか?』

『ガイウスの言う通りよ。その日陰で休んだ方が良いんじゃない?』

 

『なぁフィー考え直そうや。まだ間に合う。すっとここにいたらええ』

 

 真っ黒な影は聴きなれた声でライ達に接してくる。

 そう、この影こそライやフィーの前に現れた者たちの正体。恐らくはライ達の見た夢の光景から作り上げたのだろう。依然として仲間の声で話しかけてくる顔なしの人形を無視し、ライは隣に立つフィーへと視線を向ける。

 

 こくり、とフィーは頷く。

 それを確認したライは、手に舞い降りたカードをその手で握りつぶした。

 

「……すまない」

 

 ──轟音。

 

 ライの頭上に現れたヘイムダルが大槌で影を叩き潰し、砂浜に巨大なクレーターが形成される。

 残されたのはライとフィーの2人のみ。消えゆく影を見届けたフィーは、両手を後ろで組んでライの元へと近寄って来る。

 

「おはよ」

 

 ……ここ最近は毎朝聞いていた挨拶。

 そう言えば今日はまだ聞いていなかったなと思い出し、ライもまた「おはよう」と返す。

 

「大丈夫か?」

「問題ない。でも」

 

 でも? 

 

「……でも、了承なしにリンクするのはちょっと強引すぎ。心構えもできてなかったのに」

 

 フィーの視線がじとーっとした不満げなものへと移行する。

 ……確かに仕方ないとは言え、フィーに困難を強いたのはライ自身だ。ライはそっと頭を下げた。

 

「悪い」

「ん、許した」

 

 けれど、フィーは別に怒ってなかったようで。からかわれたと気づいた時にはもうフィーは背を向けて、一歩前に進んでいた。

 

「それじゃ、行こっか。この島を出てラウラと話し合わないとね」

 

 その一言でライは戦術リンクの向こう側で何が起きたのか悟った。

 強引な手段ではあったものの、フィーは1つ壁を超える事が出来たのだ。ライも「ああ」と力強く返事を返し、フィーの後に続く。

 

 2人が向かう先にいるのは、かろうじて消滅を免れた、かつてリィンであった黒い影だ。

 影は顔のない頭を揺らしてライ達2人に問いかけてくる。

 

『なぜ、自ら永遠の幸福を放棄する。元の世界は、何もかも失う宿命を背負っていると言うのに。汝らもそれを重々知っている筈だ』

 

 知っている。そう、経験している。

 フィーは手にした家族が皆いなくなり、ライに至っては記憶までも失っている。

 

 しかし、それでも──

 

「それでも俺は、いや、俺達は前に進む」

「ん、いくら時間を繰り返したって無駄だよ」

 

 2人の道はここに定まった。例え世界が何千何万と繰り返そうとも、意識がある限り考えを変えるつもりはない。心の救済を謳う"声"の目的は、このままでは達成不可能となった訳だ。

 

『……仕方あるまい。愚かなる者達よ。汝らが魂、我らが言霊を持って救済してみせよう』

 

 その言葉を最後に、影は空に溶けて消えていった。

 

 海のさざ波だけが聞こえる砂浜。

 フィーはナイフを構え、周囲を念入りに見渡す。

 

「逃げたの?」

「……いや、違う」

 

 この静寂とは裏腹に、ライの無意識は恐ろしい程の危険信号を放っていた。

 

 油断するな。

 奴らが現れる。

 

 正体不明の危機感が最高潮に高まったその時、

 

 

 ──世界が軋み、悲鳴を上げた。

 

 

「そ、空が……!」

 

 青い空に幾何学状の亀裂が走る。

 亀裂の奥からは眩い程の光が漏れ、遂には空が粉々に砕け散った。

 

 大空に出現した穴から降り注ぐ強烈な光。

 思わず手で影を作ったライとフィーは、光の中から降臨する何かを視界に捉える。

 

 10体の天使像。

 

 あれが敵か? 

 ……違う。その更に奥に、もっと強大な何かが! 

 

 

『──我らが、名を求めよ』

 

 

 最後に現れたのは、途方もなく巨大な顔。

 

 男性と女性が混じり合ったような形だったが、不思議と歪さは感じられない。……今までのシャドウとは違う。純白の仮面は無機質で、神々しく、完成された美しさを放っている。

 

『我らが、至高の光に満ちた、我らが名を求めよ』

 

 芯に響く声が世界を震わせる。

 

 ──同時に、巨大な顔から純白の雫がこぼれ落ち、それは巨大化して球体の体へと変化した。側面からは非生物的な腕が伸び、下半身にあたる部分は島と融合する。

 

 降臨したのは、島そのものと化した、陶器のように白く歪みなき神像であった。球体の上に浮かぶ男女の顔がライ達へと向き、純白の両腕が翼のように広けられる。

 

 その姿は影と呼ぶには余りに神々しく、強大で、言うなればそれは、

 

 

『──我らは神』

 

 

 そう、形容する他なかった。

 

 

『我らが”言葉"を持って、汝らに永遠の”生命"を与えん。……我らが名はロゴス=ゾーエー。この世の悲しみを否定し、幸福なる世界を求めし者達の”総意”なり!』

 

 

 神の言葉が世界に轟き、穢れなき光が世界を覆う。

 

 嘗てなく強大な敵との戦いが今、始まろうとしていた。

 

 

 

 

 




女帝:ディース
耐性:氷結弱点、疾風耐性
スキル:ヒートウェイブ、シールズボム、マハガル、スクカジャ
 北欧神話における農耕牧畜を守護する女神の総称。しかし、同時に戦いの運命を司る存在ともされ、ヴァルキューレと同一視される事もある。

女帝(フィー)
 実りや未知なるものを司るアルカナ。正位置では豊穣や家庭の形成を表すが、逆位置では挫折や嫉妬を示してしまう。マルセイユ版タロットに描かれた女性が抱える鷲や若草は”生命力”の暗示とされる事から、実りを司る大地母神の象徴としてみなされるカードでもある。今はまだ芽を出したばかりだが、フィーもいずれそのような女性になっていくのだろうか。


■■:ロゴス=ゾーエー
耐性:???
スキル:???
 その名が示すは言葉、そして生命。男女同体である事は即ち完全性の象徴である。3、4世紀の地中海周辺に広まった思想の中でその名を見る事が出来るが……?


――――――――――

今後のプロットと相談した結果、フィーのアルカナを女教皇から女帝に変更しております。
本小説投稿から長い間を空けての変更で誠に申し訳ありませんが、何卒ご理解のほど、よろしくお願いいたします。

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