心が織りなす仮面の軌跡(閃の軌跡×ペルソナ)   作:十束

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48話「6がつ28にち」

「エリオット! 2人はまだ見つからないかっ!?」

 

 海洋に浮かぶ船の上、身を乗り出したラウラがエリオットに叫ぶ。

 

「う、ううん、まだ反応がない……」

 

 対するエリオットはブラギを携え、ただひたすらに周囲の海へと意識を向けていた。

 

 今日は6月28日、ライとフィーの2人が赤い海に飲み込まれた日から一夜明け、ラウラ達3人は村長の手助けで海洋に繰り出していたのだ。

 揺れる舟の中央に立つエリオットの片手には、銀色の召喚器。ライとの戦術リンクが使えない以上、残されたこれが唯一の召喚手段である。

 

「……それにしても、銃での召喚がこんな怖かったなんて」

 

 召喚器を握るエリオットの手は震えていた。召喚器の引き金を引くと言う事は即ち自殺の追体験。例え空砲だと分かっていても、エリオットは自身が氷になったような錯覚に囚われる。

 

 ペルソナの糧となる精神力が持つのも、後どれくらいなのだろうか。

 

 依然としてライとフィーの反応は見つからない。瞳を必死に閉じるエリオットが感じ取れるのは海洋の生物と延々と広がる海底だけ。彼の表情に少しずつ焦りと疲労が積み重なっていく。

 

 それを見たラウラは瞳を固く閉じ、意を決して舟から身を乗り出した。

 

「……もういい、後は私が探す」

「ま、待ちたまえ!」

 

 マキアスが海に飛び込もうとするラウラを慌てて止める。

 

「エリオットのペルソナならまだしも、君が探したところで見つかる訳ないじゃないか! この海がどれほどの広さだと思ってるんだ!」

「だが、ここでただ待ち続ける事など……!」

「君の気持ちも分かる! だが、まずは落ち着いて座りたまえ! 今の君は相当ひどい顔をしているぞ!」

 

 大きく揺れた導力舟。波の飛沫を頬に浴びたラウラは水面に顔を向けると、そこには普段の凛々しさも隠れた暗い少女の顔が映っていた。

 

(……なんて、顔だ)

 

 マキアスが止めるのも無理はない程に思い詰めた表情。ラウラは頭に冷水を浴びたように勢いが削がれ、すとん、と舟のへりに座り込んだ。

 

「全く、君らしくもない」

 

 しゅんとしたラウラの様子を見てマキアスは深く安堵した。それはエリオットも同様だ。僅かな笑みを浮かべてブラギに意識を集中する。

 

 ……けれど、実のところ、この中でラウラの悩みを完全に理解している者はいなかった。

 

 ラウラが悔いているのはフィーやライを助けられなかった事。それは間違いない。しかし、ラウラの脳裏に浮かぶのはそれより前、戦術リンクに失敗してしまった時の光景であったのだ。

 

(私が2日前、戦術リンクを成功さえしていれば……)

 

 ライがそうだったように、ラウラもペルソナの力さえ使えたならフィーの手を掴んでいた筈だ。あの時、ラウラとフィーの距離はほんの指先程度。何らかの要因さえあれば容易に届いていたのは言うまでもない。

 

(……いや、それは妄言か)

 

 虚ろなラウラが見つめたのは、手に握られたもう1つのクロノバースト。瞬間的に時を引き延ばすそれもまた、フィーに辿り着けていたであろう可能性の1つ。

 

 そう、助けられるチャンスは幾つもあったのだ。この事実が自責の念となって、ラウラの心に容赦なく突き刺さってゆく。

 

 ……だからこそ、ラウラは気づいていなかった。この場で最もフィーの安全を願っているのが、他でもないラウラ自身であると言う事を。

 

 自身の悩みに対する答えがそこにあるとも知らず、ただ真っ青な海の上で、時間だけが過ぎていった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 舞台は変わり、大海原にぽつんと浮かんだ孤島の中心地。ざわめく木々の下に立つライとフィーの2人もまた、銅像のように呆然と立ち竦んでいた。

 

 芯に響く滝の轟音も耳を素通りし、葉の隙間から差し込む朝日にすら反応を示さない。例え唐突に天地がひっくり返ったとしても驚きはしないだろう。……現に今、同等の異常事態に陥っているのだから。

 

 ついさっき、導力ラジオから聞こえてきたのは6月28日の時報。

 昨日は28日だった。今日もまた28日だ。ただの1度でも起こる筈のない矛盾を理解するために、2人は暫しの時間を要していた。

 

「……ライ、この導力ラジオって録音機能つき?」

「そんな機能はない筈だ」

 

 放送が間違えた? いや、スピーカーは今も昨日と同じ放送を流し続けている。

 

 導力波はラジオのものではなかった? いや、トリスタ放送と確かに言っていたではないか。

 

 ……本当は、もう答えには辿り着いていた。

 旧校舎の異変と同じ前兆。即ちシャドウと関わるであろうこの島では、最もシンプルで突飛な可能性が真相であると言う事を。

 

「──時間が、空回った?」

 

 まるで日時計の歯車が狂ったように、この島の日付そのものが巻き戻った。そう考えれば全てに説明がつく。そう考えなければ説明がつかない。

 

「そんなことって……。そんなの、時の至宝でもないと」

「いや、シャドウの可能性もある」

「……シャドウ? そんな力あったっけ」

「分からない。けど、関わっている事だけは確かなんだ」

 

 ライはフィーに先ほど思い出した全てを伝えた。旧校舎の異変と酷似した特徴に、エリオットが感知したシャドウの反応。これで無関係なら詐欺もいいところだ。

 

「もう一度、島を調べ直すぞ」

「その理由は……?」

「以前エマも言ってただろ? 異変には必ず原因がある。時の至宝だろうとシャドウだろうと、必ず痕跡がある筈だ」

 

 もしかしたら、また光のベールを見つけて脱出が出来るかも知れない。その可能性を聞いたフィーの瞳に希望が宿り、2人して自然溢れる滝壺を後にした。

 

 

 …………

 

 

 ……けれど、全ては無意味だった。

 2人でこの島をしらみ潰しに探しても出口らしき光のベールは見つからない。死角の地形が変化しているという事もなく、ただ不自然なほど静かな自然が続くだけだ。

 

 シャドウもいない。

 手がかりもない。

 一歩も前に進む事が出来ず、ただ時間を浪費するばかり。

 

 遂には日も傾き、フィーが作った松明を片手にひたすら島の中を歩き続ける。足取りは重く、満天の星空とは対照的に心はどんどん暗くなっていた。

 

「こんなとき、エリオットがいたら……」

「言うな。虚しくなる」

 

 脳裏に中性的な少年の顔が思い浮かぶ。エリオットの力があれば、一発で出口など見つけ出してくれる事だろう。けれど、救世主たり得る彼は今もブリオニア島におり、1日を巻き戻された今、ライ達を見つけ出せる可能性など0に等しい。

 

 外部からの助けは望めない。アナライズを行える特異なペルソナなど、いかにワイルド能力者と言えども持ち合わせていない。まさに万事休すと言った状況だが、ライ達は足を止めようとしなかった。

 

 砂浜を、草木の中を、岩の上を歩み続けた。

 

 

 ……けれど、タイムリミットの合図は無情にもやってくる。

 

『トリスタ放送が、午前0時をお知らせします』

 

 午前0時の放送とともに島がガクンと脈動し、またライ達の意識は闇へと沈んでいった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

『おはようございます。トリスタ放送が6月28日、午前8時をお知らせします』

 

 3回目の6月28日。これで2回目が偶然だったと言う可能性も消えてしまった事になる。穏やかに揺らめく波間を眺めながら、ライは深く肩を落とした。

 

「……落ち込んでいても始まらないか。フィー、記憶は思い出したか?」

「ん、まだぼんやりとしてるけど」

「十分だ」

 

 前回もそうだったが、時間が巻き戻った際は一時的にライ達の記憶も過去に戻る。所持品なども全て復活している事から、恐らく2人の意識だけが過去に戻されているのだろう。怪我をしてもなかった事になり、年老いる事もない。最悪死んだとしても無意味かも知れない。正に永遠の牢獄だ。

 

「……今日は海に出るべきかも」

 

 フィーが思い詰めた顔でそう呟く。

 

「まだ、この島が異空間と決まったわけじゃないし、島から離れれば巻き戻らないかもしれない。失敗すると何が起こるか分からないけど……、……どうする?」

「可能性があるなら進むべきだ」

「ん、分かってた」

 

 ライの返事を初めから予想していたフィーは、既に脱出の準備を始めていた。

 何せライ達には午前0時と言うタイムリミットが定められているのだ。海に出ると言うのなら時間を無駄にする猶予などない。

 

「ライは食料と飲料水を用意して」

「それだと、フィーがイカダを作る事にならないか?」

「大丈夫、爆薬を使うから」

 

 フィーは粘土状の爆薬を木の側面に貼り付け、信管を固定していた。

 ざらざらとした木面に巻きつく灰色の塊。根元と上部だけを吹き飛ばすよう調整された粘土を確認したフィーは信管の安全装置を外し、猫のように素早く木の根元から離れる。

 

 ──炸裂、強烈な閃光。

 

 爆風の衝撃波によって周囲の木々が揺れ地面の土がめくれ上がる。そして、大きく抉られた木はバランスを崩し、メキメキと音を立てて砂浜に倒れてきた。

 砂埃が舞う横倒れの樹木。フィーはポーチから予備のナイフを取り出して丸太へと形を整えていく。

 

(任せても問題なさそうだ)

 

 と、言うより彼女の動きがあまりに手慣れているが故に、ライに手伝える要素がほとんどなかった。刃物はフィーの持つ予備しかない事もある。今は大人しく食料と飲料水を集めて来た方が良いだろう。

 

 負けていられない。

 ライは両足に力を込め、森の中へと走って行った。

 

 

 …………

 

 

 ……数刻の時が流れた後。

 ライ達はフィーの作ったイカダに物資を括り付け、すぐさま大海原へと繰り出していた。

 

 陸地に辿り着けるかも分からない無謀な船出だが、2人にはそんな事を考えている余裕もない。28日が繰り返す前に島から脱出する。それが何よりの優先事項なのだから。

 

 即席のオールを漕いで沖へと向かい、海流に乗ると、島はすぐに遠ざかり小さくなってゆく。

 

 そうして、ただひたすらに東を目指す事、数時間。

 

 空も茜色に染まり、前後左右ぐるりと水平線が続く中、フィーはイカダの点検をするために下を向いていた。固定に使った蔓の強度を確かめながら、オールを漕ぐライに質問を投げかける。

 

「陸地は見つかった?」

「いや、何も」

 

 このやり取りも、既に幾度となく繰り返されていた。

 

 イカダの上の持久戦。

 食料は目減りし、体力は奪われ、向かう先は海流次第。

 

 精神も次第に追い詰められていくが、これも覚悟の上で2人は海へと飛び出したのだ。ライは気を引き締めてオールを海面に入れ、──その先が、ざくりと海底の砂に突き刺さった。

 

「は?」

 

 唐突な変化に下を向くライ。

 浅い場所に出たのか。いや、違う。陸地に着いたような異様な浅さだ。

 

「ライ、前を見て!」

 

 フィーの焦った声を合図に、ライは急いで前へと向き直る。広大な海のど真ん中で陸に乗り上げてしまったイカダ。そんな不自然かつ矛盾した事柄も、目の前に広がる光景を見れば納得せざるを得まい。

 

 純白で見慣れた海岸。

 焼け焦げた木々の切り株。

 

 ……ここまで言えば分かるだろう。

 位置や方向、あらゆる法則は捻じ曲げられ、ライ達は再び28日を繰り返す孤島へと戻されてしまったのだ。

 

「逃げる事も、出来ないのか」

「……そうみたい」

 

 まさしくここは空回る島。

 かくして失意に苛まれたまま、3度目の28日が終わりを告げた。

 

『トリスタ放送が、午前0時をお知らせします』

 

 

 

 ──暗転。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ………―……

 

 …………────…──…………──……

 

 

 

 ……28日と28日の合間、ライはツギハギだらけの夢を見る。

 

 辰巳ポートアイランドと巌戸台を結ぶモノレールの中、授業を終えて帰宅する頼城達の姿があった。窓の外は綺麗な夕日に染まった海がきらめき、その照り返しが映り込んだモノレールの天井に波の模様が揺らぐ。

 

『──ねぇ、アスガードって知ってる?』

 

 そんな光景を眺めていた葵は、横に座る頼城と友原に向けてそう呟いた。

 

『アスガード? なんだそれ』

『私たちの使うペルソナの出典元、北欧神話に出てくる神様が住んでる世界のこと』

『あ、あぁ〜、前にゲームで見たっけなぁ。たしか世界樹イグドラシルに支えられた世界の1つって……あれ? それアースガルズじゃなかったっけ?』

 

 記憶との齟齬に首を傾げる友原翔。些細な違いではあるものの彼にとっては相当に気がかりな矛盾であったらしい。うんうんと唸る友人のために、頼城は思いついた推測を述べる。

 

『単に読み方の違いじゃないか?』

『ん? んん? ま〜、たしかにアスとアース、ガードとガルズって似てるっちゃ似てるけど』

『今はそれで納得しておけ。それよりリコ、アスガードがどうかしたか?』

 

 頼城に本題を聞かれ、葵は嬉しいように話を続けた。

 

『うん。もしそんな世界があったなら、そこってどんな世界なのかな。ほら、ペルソナやシャドウって不思議な存在もいたわけだし、もしかしたら神様の世界も本当にあるかもしれないでしょ?』

『ま、まぁ、ありえなくはない、のか?』

 

 頭をひねる友原。少々突飛な理論展開だが、頭ごなしに否定することも出来ないと言った様子だ。日常と非日常、その狭間にいる3人の常識はやや移ろいつつあるのもまた事実。

 

 ……けれど、葵の話はそんなシリアスなものではなかった。

 

『どんな世界なんだろ。もしかしたら船とか飛んでるのかな? ペルソナを使わなくても魔法とか使える世界だったりして。そしてそして、人でも動物でもない生き物とかいたりして!』

『……リコ?』

『個人的には丸くてふわふわだったら良いかなぁ。あっ、でもでも──』

 

 怒涛の勢いで繰り出される葵の妄想空間(ファンタジックワールド)。幼さの残る瞳をキラキラと輝かせ、アクセル全開に語彙を並べ立てる彼女の姿はまさにギャップそのものだ。

 しかし、そんな彼女は心の底から楽しそうで、とてもじゃないが止めようとは思えなかった。……ただ1人、友原翔を除いては。

 

『リコって案外ファンタジー好きなのな』

『──えっ?』

 

 石のように硬直する葵莉子。ギギギと油の入っていない機械の如く横を向き、慌てた様子で弁明し始める。

 

『そ、そんなことないよっ!? ちゃんと現実的に考えられるし! ほら、魔法を動力源にした機械が作られていたりだとか、魔法で電球とか灯していたりだとか』

『……それ、電力を魔法に置き換えただけじゃね?』

 

 泥沼にはまっていた。

 まさに自爆系。見ているこっちが居たたまれなくなる。わたわたと言葉を並べ立てる彼女を救うために、頼城は話を纏める方向で口を開いた。

 

『現実的かはともかく、あったら面白そうだ』

 

 ファンタジックな異世界。確かにそんな場所があったとしたら行ってみるのも悪くない。そう葵に伝えると、恥ずかしさで高揚した頬に満天の笑みを重ね、何度も大きく頷いた。

 

『うん! だったらまずは、ライくんに行けるようお願いしきゃね』

『へ? 何でこいつなんだよ』

『知らない? ライくんのリーグは別名ヘイムダルって呼ばれてて、人の住む世界と神様の住む世界を隔てる門の番人なんだよ。だから、まずは門を通っていいように話をつけないと!』

 

 何処かから仕入れた情報を得意げに伝える灰髪の少女。その柔らかくも可愛らしい笑みに夕日が映り、まるで絵画のように完成された光景のように2人は感じた。

 

『なんちゃって』

 

 葵が小さく舌を出して空気を壊す。

 そして再度、波の光が映る天井をゆっくりと見上げて呟いた。

 

『……本当にあったらいいのになぁ。こんな世界とは違った、夢のような世界』

 

 意図せずに漏れた独り言。

 葵の真っ青な瞳は、どこか遠くを見つめていた。

 

 

 

 …………────…──…………──……

 

 ………―……

 

 

 

『時間とは残酷だ。個々の意思など関係なく万物は変化し、いずれは無へと帰す。……求めよ、時間からの解放を』

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「……また、彼らの夢か」

 

 砂浜に転がったライは、ぼんやりとした意識のままそう呟いた。これで3度目。28日と28日の合間に捻じ込まれてくる幻影は、ライの心を毒のように侵していた。

 

 夢の方向性も毎回同じだ。日常を絵に描いたかのように平和な時間がながれ、理由もなく懐かしさを感じてしまう。そんな夢。

 最後で聞こえてくる声は自分の声のようで、全くの別人のようで、人であるかすらも不確かで、ライは薄気味悪い何かを感じずにはいられなかった。

 

『──おはようございます。トリスタ放送が6月28に……』

 

 もう分かっている。

 疲れた指で、導力ラジオのスイッチを切った。

 

 

 

 ──6月28日。

 

 ライとフィーの2人は今、以前キャンプ地としていた河原の上で昼食を取っていた。整えた拠点はもうなくなってしまったけれど、ここには豊富な果実と湧き水がある。例え1日が繰り返されようと、ライ達の生活基盤は変わらない。

 

「今日は、どうする?」

「…………」

 

 フィーの返事はなく、ゆっくりと果実を頬張っていた。

 

 ライもやがて待つ事を止めて食事に戻る。

 甘い匂いが口内に広がるが、甘さは感じない。味を感じない。昨日、いや前回の食事よりも心なしか果肉が硬く感じた。

 

 まだ1週間分も過ごしてない。なのに、何でこんなにも衰弱しているのだろうか。体力ではなく精神が削られている。目の前で重々しく果実を食べるフィーも、まるで覇気が感じられなかった。

 

「……ライ」

 

 と、その時。

 唐突にフィーの声が聞こえてきた。

 

「ライって、家族のこと覚えてる?」

「何だ突然」

「いいから答えて」

 

 有無を言わせぬストレートな口調。

 どうやら、応じないと言う選択肢はないらしい。

 

「何も。率直に言うと、例の2人すらほとんど思い出せてない」

「そうなんだ……」

 

 ライの言葉を聞いたフィーは消化不良な様子で食事に戻る。だが、消化不良なのはむしろ質問された方だ。ライは頭を抱えたい衝動を内に抑え、目の前にちょこんと座る少女をじっと見つめた。

 

「何だったんだ? 今の問いは」

「なんとなく」

 

 いや、それはないと断言する。

 

 視線を逸らしたフィーの様子からしてバレバレだが、そもそも気力を奪われたこの状況で意味のない雑談が出来る筈もない。さて、何故フィーは家族の話題を口にしたのか。ライは食べかけの果実を岩に置いて思考の海へと沈んでいく。

 

「──夢、か?」

 

 ピクリとフィーの肩が跳ねた。

 

「もしかして、ライも見てるの?」

「俺の場合はあの2人だけどな」

「そうなんだ……」

 

 フィーは真っ赤な果実を両手で掴んでぼんやりと下を向く。その熱の篭らない顔の下で、色々と考えを巡らせているのは間違いない。その証拠に、フィーはライの顔を見て、下を向いて、と言った行動を何度か繰り返していた。

 

 迷い、悩み、諦めと期待のせめぎ合い。そんな感情が渦を巻いているのだろうか。まあ、フィーもライと同様に表情が乏しいため、過去の情報を元に考察するしかないのだが。

 

 ぼーっとした視線を動かす少女と、鋼のような瞳で見つめる青年。

 危機的な現状とは思えない程に静かな時間が流れる中、フィーが雰囲気を変えてライに向き直る。その小さな口が紡いだのは、

 

「……聞いてくれる?」

 

 たった一言のお願いだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 穏やかな森林のざわめく音。もう何回も聞き、そしてこれからも耳にするであろう響きを耳にしながら、フィーは夢の内容を呟き始める。

 

「私が見てるのは、ずっとずっと平穏な日常が続いてる夢。そして、最後には私みたいで、でも私じゃない声が聞こえてくる。……これって、ライも同じ?」

 

 ライは静かに頷いた。今の言葉を聞く限りでは、夢に出てくる登場人物以外はほぼ同じと考えて間違いないだろう。だがしかし、そう決めつけるのも早計だ。

 

「夢の内容はご両親との記憶か?」

「ううん、両親の事なんて覚えてないから。家族って言うのは別の意味」

「そう、なのか……」

 

 迂闊だった。家族の話題には慎重になれと、前回の実習であれほど考えたではないか。ライはバツの悪い気まずさに苛まれるが、ここまで来たのなら皿まで喰らえと意識を切り替える。

 

「それなら、その家族と言うのは」

「……ちょっと強引」

「っと、悪い」

「大丈夫、たぶんライなら言わなくても辿り着いちゃうと思うし」

 

 困ったように眉を下げるフィー。そこまで断言するのならヒントは出尽くしているのだろうか。過去に知ったフィーの情報を脳内で検索すると、1つのキーワードが浮かび上がってくる。

 

「もしかすると、フィーがいたと言う《西風の旅団》の事か?」

「ほら、やっぱり辿り着いちゃった」

「……やるからには全力だ」

 

 久々にこの台詞を使った気もするが、今はそんな事どうでもいい。

 

 今、ライのすべき行動とは即ちフィーの過去話を聞く事だ。それが不可思議な夢に対するヒントでもあり、何よりフィー自身の問題にも繋がっている筈なのだから。

 

 ライのそんな意志を感じ取ったフィーは青空を仰ぎ見て、自身の過去を綴り始めた。

 

 

 …………

 

 

「──私は、もともと紛争地帯の孤児だった」

 

 疲れた様子のまま、けれど、どこか懐かしげに語る小柄な少女。

 

 その話によれば、物心がついた時から銃声と爆発の音を耳にしていたらしい。当然の事ながら教育など学べる筈もなく、この無人島と同じように何処の国であるのかさえ分からない。ただ1つの寄る辺もなく、ただ戦火の中を彷徨い続ける日々。それがフィーの始まりだった。

 

「もちろん、普通の人なら近寄りたくもない環境だろうけど、逆に紛争と聞いて集まってくる人たちも大勢いた」

「それが猟兵か」

「ん、人間同士の戦いには兵士が必要不可欠。需要が山のようにあった事もあって、ミラを求めてやってきた猟兵団が毎日のように火花を散らしてた。……私を拾った西風の旅団もその1つ」

 

 フィーが西風の旅団に入る事となったのはささいな偶然であった。

 ボロボロの服を着た幼い少女がある日出会った男は、猟兵王と謳われた団長のルトガー・クラウゼル。彼は戦争孤児であったフィーを何を思ってか連れて帰り、西風の旅団の皆に紹介した。

 一度戦場に出れば死神と恐れられる者達も、ホームでは人当たりの良い何処にでもいる人間だ。幼く何の取り柄もないフィーであろうとすぐに受け入れられた。

 

「洗濯とかなんにも知らなかったけど、生まれて初めて楽しいって思えた。小さかった私にも分かるようにやり方を教えてくれたし、団長の目を盗んで戦いの技術も教えてもらってて。……例え人を殺す事もいとわない穢れた仕事だったとしても、私にとっては大切な家族」

 

 確かフィーに爆発物を教えたのはゼノと言ったか。旅団での生活をフィーの口元はかつてない程に緩んでいるように見える。家族と形容するのも自然に感じるくらいに柔らかく、そして暖かな雰囲気。

 

 ……けれど、当然の事ながら、過去話は"めでたしめでたし"では終われない。フィーの言葉が心なしか震えている事にライは気づいた。

 

「でも、1年前に団長が決闘で相打ちになった後、気づいたら他のみんなも私を置いていなくなってた」

「……その理由に心当たりは?」

「なにも。手がかりを残す失敗なんて、皆がする訳ないし」

 

 フィーは膝を抱えて淡々と話していたが、当時は相当に混乱した筈だ。一瞬で崩壊した家族と言うぬくもり。昨日まで普通に聞いていた筈の声が突然失われ、どこを探しても痕跡すら見つからない。それは戦争孤児だった頃よりも辛い状況だろう。

 

「そんな私を見つけたのがサラ。団長が亡くなった西風の旅団について調べてたみたい」

「だからトールズ士官学院に来た、と言う訳か」

 

 一通り話し終えたフィーはふぅと小さく力を抜いた。実際は今の話の何倍も波乱万丈な生活を行っていたのだろうが、今のフィーにはこれが限界らしい。

 

「やっぱり、VII組のみんなとは住んでる世界が違うのかな」

「俺にはそうは感じなかったが」

「それは偏った視点。どんなに言い繕っても、猟兵が金で人殺しもするってことは本当だから。……だから、団長も私が猟兵になるのを反対してたし」

 

 その言葉を聞いてライは、ハーメルであったと言う集落全員の皆殺しを思い出す。

 

「けど、ラウラにだって今の話をすれば」

「たぶん無理。ラウラってまっすぐだから」

 

 受け入れられない事を恐れているのか、フィーの身体は縮こまっていた。小さく、弱々しい少女の姿。何と声をかければ良いか悩む暇もなく、フィーは話を切り返してくる。

 

「それよりも、これで何かわかった?」

「……そうだな」

 

 そう、話の本題はむしろこちらだった。

 ライは再び果実をかじって、深々と思考の海に飛び込む。

 

 かつては苦楽を共にし、今はどこかに消えてしまったフィーの家族。そして、どこにいるのかも不明なライの過去に関わる2人組。これだけでは漠然としすぎて何も判断できない。

 

 なら、範囲を広げて考えてみてはどうか?

 失踪したのは宿屋の少女の姉、そして島の住民が何人も。彼女らもライ達と同じ状況だと仮定すれば何かが見えてこないだろうか。

 

 ライの脳裏にブリオニア島での記憶が蘇る。

 

 "──数年前にご両親がお亡くなりになり、それ以降姉妹2人で切り盛りしておりました"

 "──こいつらはもう8年も使ってねぇ漁船、過去の残りカスみてぇなもんだ”

 

「全員、何かを失っている……?」

 

 いや、待て。

 失ったものなど、誰が持っていたとしても不思議じゃない。普遍的な共通項を答えにするなど暴論にも程がある。それに、もし仮に条件がそうだとしても、何の解決にも繋がらないじゃないか。

 

 ライは混迷する思考を振り払い、ちょこんと座り込むフィーへと視線を戻した。

 

 小さく体育座りをして、身を縮こませている制服姿の少女。その乱雑な銀髪には生気もなく、百戦錬磨の猟兵だとは誰も思うまい。ここにいるのは、単なる15歳の女の子にしか見えなかった。

 

(この姿をラウラに見せれば一発で解決するだろうに)

 

「ん、なにか分かった?」

「ああいや、脱出に結びつくような事は何も」

「……そっか」

 

 下を向き、顔を暗くするフィー。

 手がかりが無為に終わった状況に疲弊していのだろうか。しかし、折角フィーが話してくれた内容が無駄などと、ライは決して思ってはいなかった。

 

「けど、これで1つだけは分かった」

「……何が?」

「フィーは家族にもう一度会うべきだ。こんな島に留まっていい筈がない」

 

 覚悟は決まった。

 離れ離れになったフィーの家族を会わせる為に、そして、ラウラの悩みを解く為にも脱出を諦める訳にはいかない。

 

 ライは立ち上がって最後の一口を食べきる。

 飲み込んだ果実からは、確かな味が伝わってきた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ──6月28日。

 

 今日もまた島の内部を探し続ける。

 諦めてなるものか。身軽なフィーは木の上を、ライは地表を調べ周り時間が過ぎていく。

 

 ……しかし結局は今回も、何の成果もなく午前0時に到達してしまった。

 

 

 

 ──6月28日。

 

 今日はフィーとVII組の事について話し合った。

 

 エマがタロットの占いをしていたと言う話。日曜になるとリィンの部屋からアーベントタイムのラジオ放送が聴こえてくると言う話。……もう遠い世界のようにすら感じてしまう士官学院の思い出を、2人は静かに語り合いながら海岸を歩く。

 

 単なる息抜きの意味合いもあったが、本当の目的は果てしなく平和で底がなく不気味な夢から意識をそらす事だ。

 ここのところ、気を抜くと夢の光景が脳裏にチラつくようになってきた。「精神攻撃でも受けているみたい」と言うのがフィーの談。ライも全くの同意見だ。

 

 心を侵食していく夢から逃れる為、ライとフィーは探索を続ける。

 

 

 

 ──6月28日。

 

 今日は例の2人組でなく、VII組の皆と暮らす第3学生寮の夢を見た。今までとは打って変わって鮮明な夢で、リィンやアリサ、ミリアムと言った面々が顔を覗かせる。

 

 前の話題で意識してしまったのが原因なのだろう。久しぶりの声を聞いて、心のどこかが欠けそうになる。これが単なる夢ならばどんなに良かった事か。どれほどに気楽だった事か。

 

 前に進む為に、ライはひたすら歩き続けた。

 脱出の手がかりは見つからない。

 

 

 

 ──6月28日。

 

『ライさん、勉強の最中ですよ?』

 

 海底を潜って探している最中に、ふと、エマの幻聴が聞こえてきた。

 

 ライはエメラルド色の水中を見渡すが、周囲は透き通った海水が広がるばかり……、いや、周囲には寮の食堂が広がっていた。

 

「……っ!?」

 

 肺から漏れた叫びは泡となり、水面へと上っていく。

 

 ライは今、上下左右を水に覆われている筈だ。ならば何故、この両眼は大きなテーブルと並べられた椅子を捉えてしまっているのだろうか。

 

 視界が2重に重なっている。

 ──幻覚か? だとすれば、この場所は不味すぎる。

 

 ライは反射的に海面へと浮上した。

 仰ぎ見る大空。肺に入り込む潮の香り。そのどれもがライに現実を示しているが、視界に重なる石作りの部屋が消える事はない。混乱する意識を無理やり制してフィーの待つ砂浜へと泳いでいく。

 

 そこではフィーもまた、頭を抑えてふらついていた。

 この異変はライだけに起こっているものではなかったのだ。やがて幻覚が収まった後も、2人の心に苦々しい焦燥感が残されていた。

 

 

『世界とは観測によって成り立っている。汝らが現実だと感じたものこそが即ち現実なのだ。抗う必要など何もない。その夢もまた、汝の住む世界に違いないのだから』

 

 

 

 ──6月28日。

 

 

 ──6月28日。

 

 

 ……6月28日。

 

 

 …………

 

 ……

 

 

 ──6月28日。

 

 今日は無人島に流れ着いた夢を見た。同じ日をずっと繰り返す不可思議な夢。

 目を覚ますと、ライは居心地の良い学生寮のロビーで座っていて──

 

「──ッ! ペル、ソナッッ!!!!」

 

 自らの異変に気づき、ライは全力で叫びを上げた。

 同時に手のひらに現れる魔術師のタロットカード。それを無意識に砕くと青白い光が巻き上がり、ジャックフロストの姿へと変貌する。

 

 砂浜に全く似つかわしくない雪だるまは白く短い手を振り上げる。すると虚空に巨大な氷塊が生まれ、ライの頭上に降り注いだ。

 

 舞い上がった砂埃に包まれる中、下敷きとなったライは氷を払い起き上がる。

 

「……召喚器なしに、ペルソナを呼び出したのか?」

 

 そんな事など出来ただろうか。度重なる異常事態に頭が痛くなるが、今はそんな事を考えている場合ではない。

 

 肝心なのは先ほどライが置かれていた状況だ。まるでこの島が夢で、夢が現実のように感じてしまっていた。

 

 やはり何かがおかしい。今こうしている間もどんどん現実味が失われていく。

 繰り返される非現実的な1日と、曖昧で安らかな夢。その境界線がだんだんと混ざり合い、溶けて、分からなくなってしまう。

 

 何だこれは。

 全身に嫌な汗が流れ出す。

 

 それよりもフィーはどうした? ライは片手で頭を抑えながら後ろを振り返ると、彼女は虚ろな瞳で空を見上げて何やら呟いていた。

 

「レオ? 今日は私の当番だっけ」

 

 フィーの顔は以前西風の旅団について話していた時と同じように、柔らかな雰囲気を醸し出しながら虚空と話を続けている。

 

 ──不味い。

 そう直感したライは急いでフィーに駆け寄り、その両肩を揺らして意識を覚醒させる。

 

「らい……?」

「フィー、大丈夫か?」

「……なん、とか」

 

 少し呂律が回っていないものの、フィーの瞳は確かにライを映していた。

 

 けれど安心など出来る状況などではない。また何時異変に襲われるかも分からないのだ。止めどなく溢れる焦燥感に駆られ、ライ達は限られた時間の中で言葉を交わす。

 

「さっきまで私、西風の旅団にいた……。目も耳も肌も匂いも全てあの時のままだった。まるで、あっちが現実みたいに……」

「どちらが現実なのか、か。そう聞くと胡蝶の夢みたいだ」

「胡蝶の夢?」

 

 透明な黄色い瞳が問いかけてくる。しかし、ライ自身も無意識で口にしていた為か、自身の知識に対して思考を巡らせる必要があった。……確か、以前誰かにその言葉を聞かされた、ような気がする。

 

「”その昔、夢の中で蝶になった”で始まる説話だった……筈だ。自分が蝶になった夢を見ていたのか、それとも蝶が自分になった夢を見ているのか。どちらが本当かは分からない、と言う話だったかな」

 

 本当はもっと先に説話の主が言いたい教訓があった筈なのだが、今のライには思い出せなかったし、思い出す必要もなかった。重要なのはそれよりも前、夢と現実の関係性に関してだ。

 

「それなら、私にとっての現実はどっち?」

「少なくとも俺にとっての現実はここだ。どんな辛い状況だろうと関係ない。──フィーはどう思う?」

「……わかんない」

 

 フィーは深く思い悩んでいる様子だった。

 無理もない。この疑問に本来答えなど存在しないのだ。決められるものがあるとするならば、それは自分自身の認識を置いて他にない。

 

 けれど、自身の認識でさえこの果てしなく停滞した孤島では不確かだ。どこからが夢でどこからが現実なのか。変化のない時間が流れるほどに脳が麻痺していくのをライは感じていた。

 

 

『辛き道が美徳だと誰が決めた? 悲しみのない世界こそが理想であろう。……受け入れよ。さすれば永遠の幸福が訪れん』

 

 

 ……耳障りな幻聴もまた、日に日に増していく。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「また、6月28日か」

 

 砂浜のベッドに寝っ転がったライは、ぼんやりと青い空を見上げていた。もう空に浮かぶ雲がどう変わっていくかも分かってしまう。葉のざわめきも波の音色も全てが不快に感じてしまうのも、もう無理はない話だ。

 

「……フィー?」

 

 気がつくとフィーの姿が消えていた。まだ意識もはっきりとしていない筈の時間にどこへ行ったのだろうか。ライは石像のような足に力を込めてゆっくりと歩き始めた。

 

 また島中を探すことになるかも知れないと考えていたライだったが、案外、フィーは割と近くに立っていた。ライに背を向けて佇む小柄な少女。だが、ライはそんな背中に声をかける事が躊躇われる。

 

(他の人影……?)

 

 そう、フィーの周りには様々な人の影が囲っていたからだ。

 人影のほとんどが成人の男性女性と言った風貌。他の失踪者かとも思ったが、それにしては物騒な武具を彼らは身にまとっていた。

 

 彼らは一体誰なのか。

 フィーに問いかけようとライは再び歩き始める。

 

 が、しかし、

 

「──やっとみつけたぞ」

 

 そんなライの背後から、落ち着いた青年の声が聞こえてきた。

 長らく聞く機会のなかった第3者が突如後方に現れたため、ライは反射的に片足を軸にして回転し、両拳を構えて声の主を探す。

 

 そこにいたのは9人の少年少女の姿だった。

 赤い制服を着込んだ懐かしくもある級友の面影。誰もがライの顔を見て笑顔を浮かべている。

 

 

 ……そう、夢で見ている姿と何も変わらない、リィン達VII組の姿がそこにあった。

 

 

 

 

 




閃の軌跡3発売決定っ!
まだ情報も何もないですが、どうなるのか今後の動向が楽しみです。

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