心が織りなす仮面の軌跡(閃の軌跡×ペルソナ)   作:十束

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47話「6月28日」

 ──ザザァン、ザザァンと、柔らかな波の音が頬を撫でる。

 

 

 そんな心地の良い環境音を耳にしながら、ゆっくりとライの意識は覚醒した。

 

 体の前半分は砂のようなザラザラとした感触に覆われ、海水を含んだ制服が重く肌に張り付いている。……だが、呼吸は出来た。ならば今、この顔は地上にあるのだろうか。朧げなライの思考にそんな疑問が生まれ、鉛のように重たいまぶたを開ける。

 

 強烈な光に目を眩むライ。

 

 しばらくして色を取り戻した光景は、透き通った青い空と、パールのように輝く白い砂浜だった。

 

(浜に流れ着いた、のか?)

 

 半信半疑な仮説を立てて、ライは思うように動かない指先に力を込める。なだらかな砂に掘られた数本の溝。それは幻などではなく現実味のある感触だった。

 

 記憶が確かならば、ライはシャドウの腕に捕まり海の底へと沈んでいった筈だ。……筈なのに、何で今、平穏な浜辺に流れ着いているのだろうか。

 

 不自然とも言える状況に内心戸惑いつつも、ライは浅瀬を波立てて起き上がる。

 

 酸素不足によってぐらぐらと揺れる視界。けれど、周囲の状況を確かめるくらいならこれで十分だ。波のしぶきが足を濡らす中、ライの双眸が透き通った海を見定めた。

 

 シャドウの気配など微塵もない至って普通の海。エメラルド色の海底には色彩豊かなサンゴ礁が顔を覗かせ、死角など小魚が隠れられるくらいしかない。……ひとまず、今すぐ海底に引きずり込まれると言う事はなさそうだ。

 

(なら、次は……)

 

 今度は海に背を向け、陸地に生い茂る森林へと注意を移した。背の高い木々が密集する明らかに人跡未踏の密林。そこに向かったところで、待っているのは背の高い木ばかりであろう。

 

 今、ライがすべき事は現在位置の特定だ。

 ブリオニア島は近くにあるのか、そもそもここはエレボニア帝国なのか。誰か人を見つけられれば話は早いのだが、森の中で出会えるとも思えない。

 

「沿岸を進むべき、か……。……っ」

 

 依然として体はふらつき、脳も体調不良のシグナルを発し続けている。けれどライは歯を強く噛み締め、可能性を求めて沿岸を歩いて行った。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ──1時間ほど経過した朝の晴天下、沿岸を歩き続けていたライは、気がつくと記憶に新しい砂浜へと辿り着いてしまっていた。

 

 ぐるりと一周、360度。

 要するにここは、大海原のど真ん中に位置する孤島であったのだ。

 

 島の縁は砂浜と岩場で覆われ、内陸は小高い丘と豊富な森林。後は透き通った川を想像すれば、即ちこの島の全容だと言えるだろう。

 

 また、周囲の海岸線も確認してみたが、他の陸地など影1つとして見つけられず、穏やかな水平線が続くのみ。遺跡群がない事からブリオニア島付近でない事も確かであり、人の踏み入った形跡も見当たらなかった。

 

 つまり、現在位置は全くの不明。脱出の目処など万に一つもない状況なのである。

 

 一難去ってまた一難とはまさにこの事か。ライはこの状況でどう動くか考えるため、静かに砂浜へと腰を下ろす。

 

 ブリオニア島がゼムリア大陸の西海である事から、ひたすら東に向かえば大陸に着くかも知れない。だが、潮の流れが分からない上に、どれだけ流されたかも定かではないのだ。もし仮に数日流されていたならば、東に向かったとしても大陸に着く前に力尽きてしまう事だろう。

 

(せめて、今が何時なのか分かればな……)

 

 人工物のないこの島で、そんな都合の良い物などある訳がない。

 

 ……と、この時は思っていたのだが、案外その可能性はライ自身が外から持ち込んでいた。

 

『……ザ、──ザザ──……』

 

 砂浜に埋まりかけた直方体の機械。それは、本来腰に付けていた筈の携帯型導力ラジオだ。無人島に不釣り合いなノイズを耳にしたライは、砂の中から拾い上げ、導力波のつまみを回す。

 

『──おはようございます。トリスタ放送が6月28日、午前8時をお知らせします。本日は帝国全域に渡って晴れ渡り……』

 

 流石はジョルジュ作の導力機械と言うべきか。海水に揉まれながらも、導力ラジオは正常に作動していた。

 

 それと、今が6月28日、あの赤い海から1日しか経っていない事もライにとっては朗報だった。

 潮に流された時間は最大でも半日と少し。導力ラジオの埋まり具合から逆算すれば、時間は更に縮まる。これなら東に脱出したとしても、力尽きる前に辿りつけるかも知れない。

 

 ならば、当面の目的は脱出手段の確保と、……そして、フィーの捜索だ。

 

 半日の漂流であるのなら、同じ地点で海に呑まれたであろうフィーも、この島に流れ着いている可能性が僅かだがある。

 ラジオの情報から希望を見出したライは再び島を歩き出し、そして、ばたりと砂浜に倒れた。

 

(……ん?)

 

 頬に当たる白砂のクッション。

 あまりに自然な流れだったためか、ライ自身も倒れた事実に気づくまで数秒を要した。

 

 まだ漂流の後遺症が残っていたのかと、ライは漠然と考え起き上がらんとする。──だがその行為は、突如として周囲に吹き荒れた青い強烈な光によって中断させられた。

 

 群青の光とは即ちペルソナ召喚の前兆。

 

 召喚器もなく、まして召喚の意思すらない状況で現れるなど前代未聞だ。目を見開くライの前で光が像を結び、やがて白き巨人のペルソナへと変貌した。

 

「ヘイム、ダル……?」

 

 己がペルソナに問いかけるライ。

 

 だが、上空に佇むヘイムダルは欠片も言葉を発さず。その代わりと言わんばかりに黄金のマントを靡かせ、白い片腕をゆっくりと持ち上げて前方を指し示した。

 

 釣られて前を向き直ったライは、すぐ目の前の空間に光のベールが浮いている事に気づく。

 ダイアモンドダストのように神秘的な光を漏らす、摩訶不思議な光景。ライはこのベールに1つ見覚えがあった。

 

 そう、旧校舎の異界に入る時の、あの扉だ。

 

(進めと言うのか?)

 

 再度ヘイムダルの様子を伺うが、ライ自身のペルソナは何も反応を示さない。

 

 ……決めるのは自分自身と言う事か。

 ライの無意識はそう解釈した。

 

 ならば、答えは1つ。

 

 意を決して、ライは光のベールに向け足を踏み出す。

 

 虹のような輝きが視界を覆い、平衡感覚が一瞬途切れ。……そして、景色が戻った時、ライが目にしたのは、

 

「ライ?」

 

 砂浜で海水に濡れた、フィーの姿であった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「無事だったか」

「助けにきた、って感じでもないね」

「ああ、海に引きずり込まれた。……フィーも同じか?」

「ん」

 

 やはり、フィーも海に呑み込まれていたらしい。ライ自身は呆然とするラウラしか見ていなかったが、推測は間違っていなかった。

 と、同時に深い安堵に襲われる。彼女は確かにここにいて、息をしていたのだから。

 

「ところで今まで何をしてた?」

「それはこっちのセリフ。今までどこにいたの?」

「沿岸を一周していたが」

「……私も島の調査を終えて、さっき戻ってきたとこ」

 

 無言になる2人。どうにも話が噛み合わない。

 

「偶然、すれ違っていたのか……?」

「足跡も残さずに? ちょっと現実味に欠けると思うけど」

 

 疑惑の視線を向けてくるフィーだったが、ライも嘘をついている訳でないので、いつまでも議論は並行線だ。

 

 周囲の光景も今までと何一つ変わりない。岩の形まで瓜二つな島でもない限り、ベールを超えて別の島に辿りついたと言う線は薄いだろう。だとすれば、ライとフィーはずっと同じ島にいた訳で。奇妙な偶然に引っ掛かりを覚えずにはいられない。

 

「とりあえず、情報交換する?」

「……そうだな」

 

 最終的に結論は先延ばしとなり、2人は海岸の岩場に座ってお互いの情報を共有し始めた。

 

 

 …………

 

 

「今日は6月の28日……」

 

 導力ラジオの話を聞いたフィーが興味深そうに声を漏らす。普段は勉強が苦手な彼女も、こと今回に限ってはVII組随一の優等生であろう。猟兵で培った知識や経験は、このような緊急事態において何よりの判断基準となり得るからだ。

 

「けど、脱出はもう少し先の方がいいかも。私たちが流れ着いたんだから、多分、潮の流れはブリオニア島の方向と反対に向いてる」

「……逆走しようとしても、潮に流されてしまうか」

「ん、だから食料と水とか、他にもコンパスの代わりとか余分に用意しないと」

 

 幸いな事に、果実や淡水には困らないとフィーは断言した。彼女の話によると、この島に実っている果実に毒性のものは1つとしてなく、それを食らう動物や魔獣の姿も皆無らしい。更には川の水源も湧き水であり、ろ過された淡水も見つけたとなると、まず生活には困らないだろう。

 

「ちょっと拍子抜け」

 

 フィーは細い足をぶらぶらと揺らしてそう締めくくる。細部までお膳立てされたこの状況は、猟兵ある彼女にとっては正しくイージーモードであった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ──28日の昼過ぎ。

 

 ライとフィーの2人は草木を掻き分け、島の森林の中を進んでいた。目的地は淡水の湧き出す滝近くの河原。1日中晴天と予報された今日の間に活動拠点を築いておきたいと、フィーが提案したのだ。

 

 涼しくて心地の良い草木のせせらぎ。緑の中に映える数多くの木の実は、フィーの言う果実であろうか。

 

「熟れた木の実がそのままになってる。ここに木の実を食べる動物がいない証拠」

 

 先頭で道案内するフィーが解説を述べる。その説明が妙に堂に入っていた事から察するに、恐らく誰かの受け売りなのだろう。

 

(けど、何か変だ)

 

 美味しそうに熟した果実を見て、ライは違和感を感じた。こんなにも緑豊かだと言うのに、何故鳥の1羽も見かけないのだろうか。地上の天敵がいないこの環境なら、鳥にとって楽園とも言える環境の筈だ。

 

 ……しかし、結局は小動物1匹の痕跡も見つける事なく、目的地である滝つぼ近くの開けた場所に到着してしまった。

 

 気を取り直そう。

 今はこの緑生い茂る河原の上に、寝泊まり出来る環境を作らねばならないのだから。

 

 ライは意識を切り替えて気合を入れる。

 

 だが、肝心要のフィーはと言うと、

 

「…………」

 

 滝つぼと自身の制服を見比べ、少し困ったように眉を下げていた。ライの出鼻が挫かれる。

 

 ……まぁ、それも仕方ないだろう。と、ライは1人納得した。

 何故ならライ自身も同じ心境だからだ。海水が乾いてベトベトとなった全身の服。先程は探索を優先していたものの、正直洗い流したくて仕方がない。

 

「まずは、水浴びでもするか?」

「……いいの?」

「作業の遅れなら全力で取り戻せる」

「そう。ならお言葉に甘えて」

 

 表面上は冷静に、けれど内心は喜んだ様子でフィーは波の小さな滝つぼに向かう。……さて、30分くらい離れていれば大丈夫だろうか。ちゃぷちゃぷと冷ややかな水音を背に、ライは元来た道を戻ろうとする。が、

 

「待って」

 

 そんなライの気遣いはフィーによって止められた。反射的に振り返ると、そこには水辺から見つめてくる真剣な1対の黄色い瞳。

 

「今離れるのは危険」

 

 フィーの言葉には、有無を言わせぬ重みが込められていた。

 

「危険な動植物はいないんだろ?」

「1匹もいないのが問題。私たちがいないところで何か起こってるかもしれない」

 

 やはり、フィーも異変に気がついていたらしい。

 もし仮に動物がいない理由が未知の外敵によるものだとすると、今この場で別れるのは確かに悪手だ。サスペンス小説で「こんな所にいられるか!」と単独行動をするようなものだろう。

 

 だが、ライとしても反論はある。

 男女が同伴する水浴びに警戒感を持たないのだろうか。まさかフィーもミリアムのように貞操観念が薄いのかと視線を返す。

 

「服を着たまま洗うから、大丈夫」

 

 案外、簡単な妥協点が存在していた。

 

 

 …………

 

 

 制服どころか下着や靴にまで塩が染みこんでいる現状、服を着たまま淡水に浸かるフィーの行動は、倫理観抜きに考えても合理的である。

 

 気候も温暖であるため風邪の心配もなし。

 特に欠点も見当たらない。……とライも思ったのだが、

 

「……制服の下がワイシャツなのを忘れてた」

 

 防水性のある制服の中まで洗うには、最低でも前だけは開けなければならない。当然、濡れたワイシャツは肌に張りつき透けてしまう訳で。結局は、ライ自身が自主的に視線を逸らす羽目になったのである。

 

 こちらに非がないにも関わらず、何故だか気まずくなるライ。

 そして、この行動が更なる悲劇を生んだ。

 

「ライ、気をつけて」

「ん?」

 

 フィーに背を向けながら焚き火の準備をしていたライは、フィーが何をしているのか知る由もない。だからこそ、致命的なまでに反応が遅れてしまったのだ。

 

 不意に、後方からつん裂く炸裂音。

 

 事前の構えをしていなかったライは、爆発の音によって鼓膜にダメージを負ってしまう。

 

「……ッ、それは爆薬か?」

「ん、信管も無事みたい」

 

 フィーは水に半身浸かったまま、岩の上で粘土状の爆薬を小分けにしていた。

 それは俗にプラスチック爆弾と呼ばれるものだ。粘土状の爆薬であるが故に、威力や範囲の調整も可能な優れもの。どうやら今の爆発音は、その一部を千切って使えるか試していたらしい。

 

 次にフィーが岩の上に取り出したのはスタングレネードと思わしき缶状の物体。これは試す訳にもいかないので、フィーはピン周りの状態をチェックし始めた。

 

「流石に慣れてるな」

「猟兵のときに色々教わったから。さっきの爆薬だってゼノに──」

「ゼノ?」

 

 聞き慣れない人名だ。流れから察するに、フィーのいた猟兵団の仲間と言ったところか。けれど、フィーは何も話そうとはしなかった。気まずそうに視線をそらし、透き通った水に沈みこむ銀髪の少女。

 

 梃子でも動きそうにない光景を前にライは肩を落とす。あの調子じゃ、深く踏み込んだ質問をしても無言の返答を返されるだけだろう。

 

 つまりは、マキアスの時のような揺さぶりすら通用しない鉄壁の防壁だ。さてどうしたものかと頭を抱え、同時に焚き火の枝を組む作業に戻るライ。

 

 ……そんなクラスメイトの背中を、フィーは横目で見つめていた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ──6月28日、午後11時30分。

 

 導力ラジオから聞こえてくる唯一の情報を聞きながら、ライとフィーの2人は焚き火を囲い座っていた。

 

 日も沈んで早数時間。空には満天の星々がきらめき、焚き火の届かない森の奥は漆黒の闇に覆われている。こう暗くなってしまっては下手に動く事も危険を伴う。それは重々承知しているのだが……。

 

「……今から海岸に行けないか?」

「何度も言ってるけどダメ」

「けど、海の周囲に船が来ている可能性だって」

「ん、それは一理ある。でも、周囲の森にはトラップを仕掛けておいたから、明かりないと引っかかっちゃうかも」

 

 いつもの眠たげな態度は何処へやら。真剣な瞳で暗い森林を俯瞰するフィー。恐らくは未知の敵に対する防御策であろうが、いつの間に。いや、そんなことはどうでもいいか。

 

「念のため確認しておくが、導力灯はないんだよな」

「海に流されたみたい。今持ってるのは爆薬とかグレネードとか奥に仕舞ってたものだけ。……ライも同じ?」

「ああ、剣も流された」

 

 ライは己の腰につけたポーチを漁る。

 傷を癒すティアラの薬が幾つかと、火傷を治療する冷却スプレーが1つ。後はセントアークで活躍した解毒薬と所持品を確かめていき、最後に大物であるARCUSを取り出した。

 他に武器がない以上、ARCUSで発動可能な導力魔法(アーツ)が最後の砦となる。そう考えたライは何気なくカバーを開け、そして、些細な異変を見つけた。

 

(……1つ足りない?)

 

「どうかしたの?」

「クォーツも1つ流されたみたいだ」

 

 戦術オーブメントに空いた1つの空白。そこに嵌め込まれていたのは確かクロノバーストのクォーツだったか。形見同然のものをなくしてしまった事実にライの良心が痛む。村長にどう謝ろうかと考えた数瞬後、そもそもクォーツが消失した事自体が不自然な事にライは思い至った。

 

 カバーは、確かに閉まっていた筈なのだ。

 

 まただ。

 また違和感。

 

 この島に流れ着いてから何かがおかしい。出会う筈の2人が1時間も出会わず、いる筈の生物が1匹もおらず、なくならない筈のクォーツがなくなった。

 

(もしかして俺達は、何か重大な事を見逃している?)

 

 これらの点を結びつける異変とは一体何か。直感が発する警報音に突き動かされ、その原因を探し求めるライ。

 早く答えを見つけねば、今を正確に把握せねば、きっと取り返しのつかない事態になってしまう。そんな焦りに囚われていたライは、ふと、焚き火の向こうで心配そうな眼差しをするフィーに気づき顔を上げた。

 

「悪い、1人で考えてた」

「気にしないで。それより、考察なら複数人で考えたほうがいい」

 

 フィーが火に乾いた枝をくべながら断言する。

 反論はない。それこそライがセントアークで学んだ事なのだから。

 

「そうだな。まず、この事件を纏めよう」

「事件が起き始めたのは1ヶ月くらい前だっけ?」

「ああ、あの子の姉が最初の犠牲者らしい」

「それから失踪者が増えていって28人。ライが聞いた話じゃ無理やり攫われたんじゃなく、赤い海に誘われたって話だけど」

「その件なんだが、フィーは赤い海に着くまでの行動は覚えてるか?」

「……全然。何でB班の中から私が操られたのかもわからない」

 

 手がかりはなし、か。

 揺らめく炎を眺めながら可能性を精査していると、今度はフィーから疑問を提示してきた。

 

「28人の人たちって、今もシャドウに囚われたまま?」

 

 失踪者の所在、フィーの疑問も最もだろう。

 ライ達と同様にシャドウの腕に捕まって、赤い海に引きずり込まれたであろう犠牲者達。孤島に流れ着いたライとフィーとは違って、彼女らは今もシャドウに捕まったままなのか? 

 

「……いや、今の俺逹もブリオニア島から見れば"失踪"同然だ」

「生きてても戻れなきゃ、いないも同じって事?」

 

 ライは静かに頷いた。

 他から見れば、ライとフィーは29人目と30人目の失踪者だ。未だ失踪事件のレール上、欠片も筋書きから外れちゃいない。だとすると、"ライとフィーは運良くシャドウの手から逃れ、島に流れ着いた"と言う前提すら怪しく思えてくる。

 

「もし仮に、この状況自体が他の失踪者と同じだとしたら?」

「28人全員が漂流して戻ってこれなかった? ……ん、確かにそれなら失踪事件は成立する。けど」

 

 当然ブリオニア島の人々も海を徹底的に捜索した筈だ。

 28人もの人間が流された状況で、手がかり1つ見つけられないまま1ヶ月が経過するとなると、常識的に考えれば微妙な線だと言わざるを得ない。

 

「……常識で考えてるのがそもそもの間違いかも。赤い海もそうだけど、導力が一斉に使えなくなるなんて、古代遺物(アーティファクト)でも関わってないと考えられないし」

「アーティファクト?」

 

 初耳の固有名詞にライは問いかける。

 

「古代文明が残した超常現象を起こすアイテムって噂。有名なのは、空の女神エイドスが地上にもたらしたとされる七の至宝(セプト・テリオン)かな? 帝国より南のリベールって国じゃそれが原因で導力が止まったみたい。その話は前から聞いてたし、今回は2回目だったからあんまり驚かなかったけど」

「……2回目? その言い方だとリベールとは違いそうだが」

「あ、そっか。ライはあの時旧校舎に行ってたんだっけ」

 

 すっかり忘れてたと言わんばかりに半開きの瞳を丸くするフィー。そして紡がれる説明は、ライにとってほぼ初耳とも言える内容であった。

 

「前にトリスタで導力が使えなくなった時があって、たしか入学初日だったかな。サラ含めてみんな大慌てだった」

 

 入学初日、ライがトールズ士官学院で目覚めた日。そう言えば旧校舎調査の際にナイトハルトが"導力器の停止"と口にしていた事をライはおぼろげながら思い出す。

 

 ──入学初日? 

 

 その単語が頭によぎったライは、ハッと目を見開き立ち上がる。

 

「……何故、今まで気づかなかったんだ」

 

 もっと早くに気づくべきだった。

 

 夕日が地平線に重なったタイミング、身の毛もよだつ咆哮音、光のベール、そして、導力の停止。

 それら全てが入学式のあったあの日、旧校舎の異変初日に一致すると言う事実を! 

 

「フィー、もしかしたらこの島は──!」

 

『トリスタ放送が、午前0時をお知らせします』

 

 刹那、世界は揺れた。

 まるで歯車が空回りしたかのようにガクンと地面が下がり、視界が2重にぶれる。

 

 そして、コンマ1秒の猶予もなく、2人の意識はぷっつりと途絶えた。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 …………―……

 

 …………────……──…………──……

 

 

 ……ノイズだらけの夢を見る。

 

 

 夕日が地平線に沈んだ巌戸台。人気(ひとけ)のないレインボーブリッジの上で、鳥の大群のようなシャドウの群れと4人のペルソナ使いが対峙していた。頼城と葵が両端を走り、中央で銃のセーフティーを外すアイギス。

 

 その先頭、友原が槍を両手に駆け抜ける。

 

『一番槍は貰ったァ!』

 

 物理無効の障壁を盾に、文字通りシャドウの陣形を槍の突進で引き裂いた。

 そしてシャドウの中心で銃を額に当てバルドルを召喚。現れた鋼鉄のペルソナが、群れをなす影を四方八方に吹き飛ばす。

 

『雑魚の相手は引き受けたであります!』

 

 ばらばらになった鳥型のシャドウを、今度はアイギスが幾多の銃弾で貫いた。その後を追うはアイギスのペルソナ、アテネ。ロケットが如く爆進するアテネのバーニアに火が灯り、その熱波(ヒートヴェイブ)がレインボーブリッジ上空を蹂躙する。

 

 だが、アイギスが放った鉛と炎の猛攻は、全てのシャドウを殲滅するには至らなかった。

 

 幻影のように不規則に躱す1つの影。その姿にいち早く気づいた頼城は、引き金を引いて最適のペルソナを呼び出す。

 

『チェンジ、ジャックランタン!』

 

 青い結晶を纏って召喚されたのはマント姿のカボチャお化け。片手に持ったランタンから溢れ出す光は火炎魔法ではなく、緑の閃光を伴った束縛の呪文だ。

 

 ──スクンダ。

 速度を低下させる呪縛に囚われた影は、まるで水中にいるかの如く動きを鈍らせる。

 

『リコ、あれが本体だ』

『う、うん! ──ナールっ!!』

 

 葵は上空に佇んでいた己がペルソナに指示を出す。

 既に召喚されていたナールは、戦闘が始まってからずっと集中(コンセントレイト)を行っていた。故に細い両手に渦巻いた魔法の力は異様なくらい高まっており、葵の合図をきっかけに暴虐の風となってシャドウに放たれる。

 

 ──ガルーラ。普段の倍以上に膨れ上がった疾風魔法は、レインボーブリッジを大きく揺らしながら本体のシャドウを切り刻む。

 

 本体が消えた事で連鎖的に消滅するシャドウ達。

 

 目も塞ぎたくなる程の暴風が止んだ時、そこには夕日に染まった大きな橋と、発生源と思われる気絶した女性の姿が残されていた。

 

 

 …………

 

 

『本日はお疲れさまでした』

 

 場所は巌戸台駅前商店街、ワイルダック・バーガーの店内。シャドウを討伐した頼城達は、小さな打ち上げとして夕食に来ていた。角の4人用テーブルに座り、頼城達は戦いの疲れを癒す。

 

『あの倒れてた人も病院に運んだし、無事任務達成っと! いやぁ〜、オレ達もだいぶ慣れてきたって感じかなぁ』

『ふふっ、先陣お疲れさま』

『そういや今回ライってサポートに回ってたけど、本来もっと前に出た方がいいんじゃねぇ? ほら、炎とか氷とか何でも使えるし』

『補助系の魔法は重要だ』

『……そういうもんかねぇ』

 

 友原は先に頼んでおいたドリンクを飲みながらテーブルに身を委ねる。

 

『今回は私しか同行できませんでしたが、問題なさそうですね』

『ま、桐条さん達も忙しいのは分かってますし。……それより今回は桐条さんのおごりってマジっすか?』

『マジ、であります』

 

 アイギスの了承を得た友原は飛び起きて、うしっ、とガッツポーズをとった。

 普通に奢られる者の態度ではないその行為に、葵がびっくりしたように長い灰髪を翻す。

 

『えっ? ショウくん何頼んだの?』

『こんな機会でもなければ頼めないからな』

『ライくんもっ!?』

 

 おろおろと2人を見渡す葵を頼城は落ち着かせた。注文する際に話さなかったのは悪かったが、今回、友原と頼城が頼んだのは、"量がエグい"と噂の超ボリュームセット。とてもじゃないが女子にオススメできるものではなかったからだ。

 

『ふっふっふ、オレらが頼んだのは他でもない。ワイルダック・バーガーの裏メニュー、ペタワックセット! さあ、どこからでもかかって来い!!』

 

 さて、どんなセットが出てくるか。友原は小さな冒険心を隠す事もせず、店員が噂のペタワックを持ってくるのを待ち続ける。

 

 しかし数分後。

 

『……なんだよ、これ』

 

 友原の顔は真っ青に染まっていた。

 

 2人の眼前に置かれていたのは高層タワーが如く積み重なった異様な高さのハンバーガー。3段、4段、5段……数えるのも馬鹿馬鹿しい。天井にすら届きかねない超弩級のバーガーをどう食べろと言うのか。いや、そもそもどうやって運んできた店員。

 

『ペタ、つまりは1000兆倍と言う意味ですね』

『1000兆っ!? ……いやいや、だからってタワー積みにする必要ないっしょ!? メガワックだってハンバーク2段重ねとかだったじゃん!?』

 

 以前に見た事でもあるのかアイギスはどこか他人事。

 そんな彼女に必死で疑問を放つ友原を他所に、頼城はおぞましきバンバーガーに手を伸ばす。

 

『ライくん大丈夫っ!?』

『……屍は、拾ってくれ』

『う、うん、分かったよ。私、ライくんの覚悟を無駄にはしないから!』

 

『いやいやいやいや! そこの2人もなに悲劇の物語演じちゃってんの!? そんなシリアスな場面じゃないよね、これ!?』

『もしかしたら勇気が上がるかと』

『勇気って何だよ!』

 

 友原が頭を抱え、哲学じみた叫びを上げる。2本の巨塔がそびえ立つワイルダック・バーガーの店内は、場違いな程に混沌としていた。

 

 ……けれど、その場にいた全員が心から楽しんでいたのもまた、疑いようのない事実だろう。

 ペタワックを前に項垂れる友原も、諦めず食べ始めた頼城も、それを真剣に見つめる葵も、平然と眺めているアイギスも、口元に浮かべているのは明るく柔らかな笑み。

 

 そう、あの頃は満ち足りていた。

 何の疑問も抱かずに、ただ幸せな日々を過ごしていた。

 

 

 

 …………────……──…………──……

 

 

 …………―……

 

 

 

 

 

『このような日々が永遠に続けばいい。そうは思わないか?』

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ──ザザァン、ザザァンと、柔らかな波の音が頬を撫でる。

 

 

 そんな心地の良い環境音を耳にしながら、ゆっくりとライの意識は覚醒した。

 

 体の前半分は砂のようなザラザラとした感触に覆われ、海水を含んだ制服が重く肌に張り付いている。……だが、呼吸は出来た。ならば今、この顔は地上にあるのだろうか。朧げなライの思考にそんな疑問が生まれ、鉛のように重たいまぶたを開ける。

 

 強烈な光に目を眩むライ。

 

 しばらくして色を取り戻した光景は、透き通った青い空と、パールのように輝く白い砂浜だった。

 

(浜に流れ着いた、のか?)

 

 半信半疑にライは考える。

 最後の記憶はシャドウの腕に引かれ、赤い海に呑み込まれた筈だ。もしや偶然シャドウから逃れて──

 

「……いや、違う」

 

 何を考えている。昨日もここに流れ着いて、孤島を調べていたではないか。

 

 混乱する頭を抑えながら、ライはふらふらと立ち上がった。まるで昨日と同じように、酸素不足か視界がぐらつく。

 

(それより何で、俺は海岸にいるんだ?)

 

 確か昨晩は、森林の拠点で野営をしていた筈だ。焚き火の灯りを挟んでフィーと話し合ったライは、答えに辿り着いて……答え? 

 

 思い出せない。

 この体調不良が原因か、記憶が曖昧だ。

 

 それよりも、フィーは何処に行ったのだろうか。ライはゆっくりと周囲を見渡し、すぐ近くの砂浜に倒れているフィーの小さな背中を発見した。

 

 歩み寄り、そっと抱き起こして呼吸を確認する。すぅ、すぅ、と微かに聞こえる呼吸音。口元にかざした手から感じる定期的な風を確かめて、ライは安堵の息を漏らした。

 

 すると、ライの気配に気づいたのか、フィーがゆっくりと瞳を開ける。

 

「……おはよ」

「おはよう」

「あれ、ここは……? ……そっか、流れ着いたんだっけ」

 

 フィーもまた、意識が朦朧としている様子だった。眠たげに小さなあくびをして、ぼんやりとした足取りで身を起こす。

 

「私たち、なんで浜辺で寝てたんだろ」

「フィーも覚えてないか」

「その言い方からするとライも?」

 

 ライは静かに頷く。

 

 誰も昨夜の詳細を覚えていないと言う状況に、2人は薄気味悪い寒気を感じていた。何かが起こっている。だが、その何かが分からない。まるで背中に冷水が滴っているような、まるで深海に沈んでいるような得体の知れない息苦しさ。

 

「……気がかりだけど、まずは拠点に行く? いかだも作っておきたいし」

「ああ」

 

 フィーの提案を受けて内陸へと足を向けるライ。

 だが、その歩みは途中で中断させられる。

 

 その原因は1つ、『……ザ、──ザザ──……』と言うノイズ音が耳に入って来たからだ。ライはその音の発生源に視線を移すと、砂に半分埋まった導力ラジオを発見した。

 

 いつの間にか落としていたらしい。

 ライはその直方体の導力器を拾おうとし、その寸前で指を止めた。

 

 ──あまりにも昨日と同じだったからだ。

 

 昨日と同じ場所に埋まって、昨日と同じようなノイズを放ち、昨日と同じくらい砂に埋まっている。これは一体? 

 

「何かあった?」

「……いや、何でもない」

 

 森林で待っているフィーを追うため、ライは導力ラジオを拾って歩き出した。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「……なに、これ」

 

 拠点の滝壺に辿り着いたライ達を待っていたのは、ある種、異様な光景だった。

 

 別に何か化け物がいた訳でも、まして建物が出現した訳でもない。……至って自然の光景だ。ライ達が拠点をつくる"前の”、自然溢れる滝壺の河原が目の前に広がっていた。

 

「拠点は、ここであってるよな」

「滝はこの島で1つだけ。他にあるわけない」

 

 焚き火を作るために集めた枯れ枝も、動かした石も、寝床を作るために千切った木の葉も、全てが昨日の状態に戻っている。

 

 何もかも昨日のように。

 

 何もかも、"6月28日"の頃のように。

 

「……まさ、か」

「ライ?」

 

 フィーに推測を伝える暇もなく、ライは急いで導力ラジオのつまみを回した。

 これは外界と繋がる唯一の手がかり。普通ならこのスピーカーは新たな情報、6月29日のニュースを伝えてくる筈だ。

 

 しかし、

 

『──おはようございます。トリスタ放送が"6月28日"、午前8時をお知らせします。本日は帝国全域に渡って晴れ渡り……』

 

 流れてきたのは、一言一句、昨日聞いた内容であった。

 

 ライの意識が硬直する。

 それを横で聞いていたフィーですら全身を固まらせ、瞳を大きく見開いた。

 

 ”──何故、今まで気づかなかった。この島は3月31日の異変と同じだと言う事を”

 

 ライの意識にかかっていた霧がようやく晴れ、昨夜の後悔が鮮明に蘇る。……そう、ライとフィーは偶然シャドウから逃れた訳でも、運良く島に流れ着いた訳でもなかったのだ。

 

 2人がいるのは異常なる(ことわり)の中心地。

 普遍的に来る筈の"明日"ですら、ライ達に訪れはしない。

 

 

 

 島の時間が空回り、

 今日もまた、6月28日が始まる。

 

 

 

 

 


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