心が織りなす仮面の軌跡(閃の軌跡×ペルソナ)   作:十束

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46話「赤い海」

 ――ピアノの音が聞こえる。

 

 ……いつの間にかライはまた、真っ青な列車の一室、ベルベットルームに訪れていた。現実のようでいて、同時に夢のような不可思議で青ずくめの空間。この日もまた、大きな鼻のイゴールが変わらず対面に座っていた。

 

「ようこそ、夢と現実の狭間ベルベットルームへ。此度もまた、試練の時がやって参りましたな」

 

 イゴールはふふっと、含み笑いを漏らしていた。まるで過去現在未来、その全てを見通しているかのように、底の見えない血走った瞳がライを映す。

 

「さて、あなた様はかの異空間で、過去の真実へと続く欠片を手に入れられたご様子。お気分は如何でございましょうか」

 

 それはもしや、旧校舎で判明したアレを言っているのだろうか。だとすれば答えは簡単だ。妙な胸騒ぎを感じる現状が最高などと、一体誰が言えようか。

 

「頼城葛葉。シャドウワーカーの一員となった彼は、正しくお客人を取り巻く運命の出発点でごさいます。

 例え記憶を失われようと、その因果の糸はあなた様の周囲を取り巻いていらっしゃる。それは果たして柔らかな絹の衣か、それとも獲物を狩らんとする蜘蛛の巣か。真相が分かるのも、もうすぐかも知れませぬな」

 

 彼は何を言わんとしているのだろう。

 

 疑問に感じているライの様子を見抜いたのか、イゴールは静かに片手を撫で上げた。

 

「……窓をご覧なさい」

 

 真っ青な窓のカーテンがひとりでに開く。そこから見える光景は、地面と空の境すら見えない程に真っ白で淡い光の海。しかし、列車の行く先だけは、這い寄るようなドス黒い暗闇に覆われていた。

 

「あなた様の行く末に待つは底なしの闇。線路が続いているかどうかも定かではございません」

 

 ベルベットルームを運ぶ線路とは、イゴールの言葉が真実ならライの運命そのもの。それが途絶えるとは即ち……ライ自身の終わり、《死》に他ならない。

 

「ご心配召されるな。運命とは時に流され、時に自らの手で掴み取るもの。歩みを止めなければいずれ光明も見えましょう……」

 

 ……光明?

 

「左様。ご自身の持ちうる全てを振るってこそ、あの暗闇を照らす道標となり得る。……今はただ、この言葉を心に留めておく事だ」

 

 伝えるべき言葉を終えたイゴールはその手を降ろし、カーテンが初めから閉じたままだったように元へと戻る。

 

 と、同時にベルベットルームの境界が曖昧となり、奇妙な浮遊感がライを襲った。

 

「それではまた、ごきげんよう……」

 

 現実のライが目覚めようとしているのだろう。それを察したライはゆっくりと瞳を閉じ、消失する感覚に身を任せた。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 目を覚ましたライは、ふと、カーテンの隙間から差し込む光に気づく。

 

 一晩明けて、雨雲が去ったのだろう。

 ライは音のなる床に両足を下ろし、動きの悪い窓を強引に開けて外を確認する。

 

 ……そこには、絶景が待っていた。

 

 エメラルド色の海、海面に突き出した古い遺跡の数々。まるで絵画のように幻想的な風景だ。――これがブリオニア島。ライはようやく遺跡が眠る西海の島に来たのだと実感する。

 

 確かに遺跡で有名となるのも頷けるだろう。……しかし、こんなに美しい島であったとしても、オドロオドロしい事件が隠れている事を忘れてはならない。

 

 ライは塩っぽい風を浴びながら気を引き締め、身支度へと歩き出した。

 

 

 …………

 

 

 古めかしい宿屋の1階。

 赤い制服を身に纏ったライは、ラウンジでせっせと朝食の準備をする例の少女に遭遇した。

 

「おはよう」

「あっ、え、えと……」

 

 髪を短く切った少女は驚いた顔で手を止める。

 

「お、おお、おはよ、ごさいます! きのうは、えと、……よく、寝れました?」

「ぐっすりと」

 

 恐らくは姉か両親の真似をしたのだろう。ライの返答を聞いた少女はパァッと顔を綻ばせ、見よう見まねにしか見えない作業へと戻っていく。……何処となく危なっかしい。

 

「手伝おうか?」

「う、ううん。おきゃく様に手伝わせちゃダメって、お姉……ちゃん、が…………」

 

 少女の幼い顔が次第に暗くなる。

 一生懸命に働いているのも、この様子では1人の寂しさを紛らわせる為なのだろう。ならば尚更引く訳にはいかないと、ライは少々強引に重ねられた皿を持ち上げる。

 

「だ、だから、手伝っちゃ「依頼(クエスト)」……えっ?」

「俺達は観光客じゃなく、実習で依頼をこなしに来た学生だ。だから、この依頼もこなさなきゃいけない」

 

 まごう事なき屁理屈だ。

 特別実習の依頼はまだ受け取っていないし、少女を手伝って欲しいなどと言う依頼が来る筈もない。しかし、確かめる術のない今だけは変わらぬ真実となり得る。

 

「こなさないと、おきゃく様も困るの?」

「困る」

「……それなら、しかたない、のかな」

 

 少女は悩みこんだ結果、ライの申し出を受ける事にしたらしい。キッチンの棚から可愛らしいエプロンを取り出し、はいっ、と差し出してきた。

 男性が着るには少々ピンク色が強すぎるものだったが、ライは特に気にすることもなくエプロンを身に付け、早速朝食の準備へと動き出す。

 

 カチャカチャと忙しなく音が鳴り響く年季の入った食堂。人数が増えたこの状況に、少女は何処となくルンルン気分だ。ライは鼻歌を歌いながらスープを煮込む少女を見て、(後で依頼を出す村長と口裏を合わせておこう)と、密かに考えながら皿を机に並べた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ――朝食時。

 1階に降りてきたB班の面々と少女、朝早くから宿に訪れた村長の計7名は、料理の並べられたテーブルの前で途方に暮れていた。

 

 今この場では、フィーとラウラが一同に会しているのだが、そんな事を気にしている場合ではない。皆が意識するはテーブルの上にある料理、正確に言えばその1つであった。

 

『――ァァ、……ア゛ァァ――……』

 

「……ねぇ、この料理、ライがつくったよね」

「よく分かったな」

「見れば分かるよっ! 何がどうなったら、パンから唸り声が聞こえてくるのさ!」

 

 スライムのように崩れた形のパンを指差してエリオットが叫ぶ。香ばしい朝食の中に鎮座する異物。それはスライムのように目と口があり、スライムのように唸り声をあげ、……ぶっちゃけ外道っぽいスライムだった。

 

「恐らく、ブリオニア島の郷土料理と悪魔合体して合体事故に」

「悪魔合体ってなに!? 合体事故ってなに!?」

 

 ライ自身も何言ってるのか分からない。

 

 しかし、今目の前で声を漏らしているゲテモノは、既にライのキャパシティを越えてしまっていた。生命もどきを作りあげてしまった自身の料理テクに戦慄すら覚える程に。

 

(やはり、郷土料理のレシピを見せて貰うんじゃなかったか)

 

 と、一般の常識とは真逆な反省をするライを他所に、初老の男性の手がスライムもどきに伸ばされる。

 

「村長さん!? 下手に手を出したら一体どうなるか分からないですよ!」

「いや、しかし、どんな構造で声が出ているのか……」

「確かに気になりますけど!」

「ともかく、この魔獣を殲滅せねばなるまい」

「ラウラも食卓で剣を抜かないで!」

 

 ツッコミを一手に引き受けるエリオットは誰が見ても大変そうだった。

 

 やや離れた位置でそれを傍観していたマキアスが、疲れたように眉間を抑える。

 

「全く、朝から騒がしい……」

「同感」

「……ふふっ」

 

 呆れるフィーに、心底楽しそうな少女。

 結局、この騒動は皆のお腹が空くまで続くのだった。

 

 

 ……

 

 …………

 

 

 カチャリとスプーンが置かれ、ブリオニア島で初めての朝食が終わる。

 

 あのスライムもどきはそのまま捨てる事すら危険だったので、最終的にオーブンで焼却処分する事になった。試しに、普通のパンならこんがり焦げ目のつく温度で焼いてみると、そこには真っ黒な灰の山が。どうやらスライムは火に弱かったらしい。

 

「ご迷惑をお掛けしました」

「本当だよ」

 

 エリオットの鋭い指摘が炸裂する。

 確かに一番迷惑をかけたのは彼かも知れないと、ライは再度頭を下げた。

 

 そんな学生達のやり取りを見て口元を緩める村長。

 

「いや、楽しい時間を過ごせました。本当に、久しぶりに」

 

 そんな彼の瞳に憂いが帯びる。

 お世辞でも何でもなく、久しく楽しい時間など過ごしていなかったかのように重い瞳だ。

 

「……話は変わりますが、彼女の手伝いをしてくれたそうですね」

「ええ」

「正直に言うと、とても助かりました。あの子は唯一の肉親を失ってから、あまり笑顔を見せなくなりましたから」

 

 声の届かないキッチンの向こうにいるであろう少女を目で追いながら、壮年の村長は語る。

 

 彼女が1人で宿にいるのも、何人の島民が説得してもこの宿を離れようとしなかったかららしい。恐らくは、姉が戻って来る事を信じているのだろうと、村長は推察していた。

 だからこそ、村長は頻繁に宿を訪れており、昨日ライ達に会えたのもその一環らしい。

 

「あなたの提案通り、依頼の中に加えておきましょう。……そして、達成したのなら報酬を渡さねばなりません」

「いえ、見返りを求めた訳では」

「これは楽しませてくれたお礼です。どうぞお納め下さい」

 

 断るに断れない雰囲気に持ち込まれてしまったまま、ライの手元に2つの黒い宝石のような物が乗せられる。

 

 見た所、戦術オーブメントに搭載するクォーツだろう。同じ構造をした2個のクォーツを持ち上げ、観察していると、横からラウラが答えを示してきた。

 

「――クロノバースト、だな」

 

 昨日の件もあってか余所余所しいが、話せるだけマシと見るべきか。ライは計算する思考を内に収め、ラウラにクォーツの解説を求めた。

 

「上位属性である時の導力を瞬間的に解放させ、限定空間の時間を引き伸ばす導力魔法(アーツ)だ。その強力な特性故に希少で、私も実物は初めて見る」

 

 時を引き伸ばすとは、何とも恐ろしい程に有用な導力魔法であろうか。

 そして、その希少性も含め、こんな簡単な依頼で出して良いモノではない事は明らかだ。

 

「何、気にする事はありません。これらのクォーツは元々、この宿の夫婦のものでしたから。相続のトラブルで私の元に流れ着いて来ましたが、こんな片田舎の男が持っていても宝の持ち腐れと言うものだ。あの子の為にも貰ってやって下さい」

「そうですか。……なら、ラウラ。1つは受け取ってくれ」

「む? 私が、か?」

「ああ、昨日彼女の手伝いをしただろ? 2つ持っていても意味がないし、多分、ラウラが持つべきだと思う」

「……そうか」

 

 ある意味、形見とも言えるクロノバーストのクォーツ。ラウラも恐る恐ると言った様子でそれを受け取る。

 

「では、改めて実習の依頼をお渡ししましょう。先日の件もどうか忘れずに、気を引き締めて事に当たって下さい」

 

 村長はライ達の懐にある明かりのついた導力灯と、音の鳴る導力ラジオを確認し、深く頷いて人数分の資料を手渡す。

 

 かくして、今回の特別実習が本格的に始まるのであった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 村長から封筒を受け取ったライ達は、晴天の下、潮風を浴びながら島の西岸を歩いていた。

 

 目的はこの先にある船着場。

 そこにある故障した漁船のパーツを届ける事と、周辺にいる大型の魔獣を数体討伐する事が今日のこなすべき依頼だ。

 

 波打ち際の岩場に点在する遺跡の柱を抜け、千年近く前に舗装されたであろう苔の生えた石材の沿岸を歩く事、十数分。

 

「む、あそこじゃないか?」

 

 先頭を歩いていたマキアスが、岩の合間にある小さな船着場を見つけた。

 

 幾つもの古びた漁船が止められている中、辛うじて稼働しているであろう船が1つ。その船の導力エンジンが収められているであろう部位から、白い袖をまくった男性が顔を出し、ライ達に向けて手を振ってくる。

 

 ……間違いない。

 交換用パーツの送り先は彼だろう。B班の面々はやや駆け足で歩み寄る。

 

「おっす! 待ってたぜ!」

「どうも、パーツの宅配です」

「ははっ、料金は村長につけといてくれや!」

 

 元気の良い男性の指示に従い、漁船のパーツを導力エンジンの近くに置いた。

 そして、パーツは直ぐに男性の手へ。導力エンジンに組み込まれ、しばらくすると、ドゥンと導力エンジンが動き始めた。

 

「……ふぅ、ありがとな。最近、働き手が消えたり島を去ったりで慢性的な人手不足なんだわ。慣れねぇ修理作業なんかやるもんじゃねぇなぁ」

 

 額の汗を腕で拭い、水筒の水を飲み始める日焼け肌の男性。

 

 "消えた"、そして"去った"と、彼は何気なく口にした。考えれば分かる事だ。未解決の事件が及ぼす影響は何も少女のような直接的な被害だけではない。事件を気味悪がった人が逃げて行った事によって、この島の生活そのものが毒のようにジワジワと蝕まれているのだ。

 

 だとすれば、この使われていない漁船の数々も人手不足が原因だろうか。ライは推測を元に古びた漁船を調べるが、

 

(……ん?)

 

 微かな違和感に気づいた。

 

「どうしたの? ライ」

「いや、錆が多すぎる」

 

 まるで、既に10年近く使われていない寂れ具合。失踪事件の時期と一致しない矛盾に悩んでいると、先の男性が慌てて真相を口にした。

 

「ああいや、それは人手不足とは関係ねぇよ。こいつらはもう8年も使ってねぇ漁船、過去の残りカスみてぇなもんだ」

 

 どうやら、原因が違ったようだ。

 紛らわしい事この上ない。

 

 だが、それはつまりブリオニア島の抱える問題が1つでない事を示している。男性は残っていた水を全て飲みきり、疲れた顔でライ達に話し始めた。

 

「全ては、オズボーンって野郎の強引な政策が原因さ」

「オズボーン宰相が? だが、彼の政策に漁業の縮小などなかった筈だが」

「おっ、あんたは革新派か? もしくは帝都の住人か? どっちにせよ、意味が分かんねぇって顔をしてるぜ」

 

 帝都に住んでいたマキアスは図星を突かれ、うっ、と言葉が詰まる。「やっぱりな」と一度笑う軽快な男性。

 

「あそこに住んでちゃ、オズボーンを正しいと感じても仕方ねぇさ。何せ文化水準は上がるわ貴族が顔をきかせねぇわで、万々歳! ってな」

 

 両手を上げた男性はおちゃらけた様子でマキアスを見る。

 何を言っているのか本気で分からないと言った様子。腕を下ろした男性は、深いため息をついて本題に入った。

 

「……ブリオニア島は遺跡で有名な島だ。けど、そんだけで食いつなげる程、観光が盛んって訳でもねぇ。海産物を取って輸出するのも大事な収入源だったのさ」

 

 海を見る男性の目はどこか懐かしげ。

 そんな彼の雰囲気に飲まれ、ライ達は静かに話を聞く。

 

「その最大取引先は、帝国北西部の沿岸に位置する《ジュライ市国》って国だ。今じゃ帝国の一部になってジュライ特区と呼ばれてる」

「ジュライ特区って、ギャンブルとかで有名なあのジュライ特区ですか?」

「ああ、オズボーンの政策で合併した弱小国の1つさ。つっても、資金難のところを突かれたみてぇで暴動とかはなかったんだけどな。せいぜい元市長が病死したくらいだったかね。

 ……まぁ、けど、そんな市国とやり取りしてたこちらは正直堪ったもんじゃなかった。帝国が求めたジュライ特区の姿は経済特区。ミラ稼ぎしか頭になくなったジュライの連中にとっちゃ、俺達ゃお払い箱だったのさ」

 

 これが自然に発展していった弊害ならば納得もしただろう。しかし、この併合の裏には酷い暗躍の影が見え隠れしていたと男性は言った。

 当然、ジュライ市国の人々も勘付いてはいた筈なのだが、自身の利益の為に見て見ぬ振りをしていたらしい。その利益を持たないブリオニア島の心境は言わずもがな。理不尽、不条理、オズボーンの信用など地に落ちていたのだ。

 

「ま、眼鏡のボウズも覚えときな。無理矢理な近代化ってのは何も良いことばかりじゃねぇ。向上した分の皺寄せをどっかの誰かが受けてんだ。あのオズボーンって野郎も、いつか刺されるかもしんねぇぜ?」

 

 そう言って、男性は漁船を動かし沖合いに出て行った。

 

 残されたライ達B班。

 マキアスは下を向いて何も話さない。

 

 実技テストでのパトリックの言葉が確かなら、マキアスの父は帝都の知事をしていた筈だ。当然、オズボーン宰相とも近しい地位におり、今の話は他人事ではなかったのだろう。

 

 ……だが、昨日と同じく、ライはマキアスに配慮している場合ではなかった。

 

「行ったな」

「そろそろ頃合いだね」

 

 周囲に人影がないのを確認し合うライとエリオットに気づき、マキアスは顔を上げる。

 

「待ちたまえ、君達は何を言っているんだ?」

 

 ライとエリオットは会話を止め、マキアスに、そして後方で疑問の視線を向けてくるラウラやフィーに向かい合った。

 

「マキアス、昨日の失踪事件を聞いてどう思った?」

「どうって、……不可思議なものとしか。幻覚の類でなければ、人間業じゃないとしか思えない程に突飛な話で」

「ああ、"人間業"じゃない」

 

 人間業、ではない。ライがそう断言した事で、マキアスも漸くある可能性に気づく。

 

「ま、まさか、君達は失踪事件の原因がシャドウとでも言うのかっ!?」

「僕も一晩かけて思い至ったんだけどね。旧校舎内の事や、各地で出現するシャドウを考えれば十分あり得るんじゃないかって。……それに、もし違ったとしても、僕なら何か手がかりを掴めるかもしれないし」

 

 エリオットは懐からARCUSを取り出した。

 そう、この状況下で最も有効な力とは、

 

「――ペルソナ!」

 

 ブラギ、即ちアナライズの能力である。

 

 蒼炎の光が渦を成す中心で、エリオットの頭上に出現した吟遊詩人がバイオリンを鳴らす。同時に、エリオットの感覚が聴覚を通して一瞬で広がった。

 

 その範囲はゆうに町一つ分。時間はかかるものの、この島の半分くらいは分析が可能だ。

 

「……どうだ?」

「う〜ん、少なくとも、島の中には何もいないね。後は海なんだけど、……ちょっと広すぎて、僕の力じゃ何も」

「そうか」

 

 この西岸では収穫なし。

 いや、シャドウと言う漠然としたイメージを手掛かりにしている以上、もっと情報を集めたら結果は変わるかも知れない。

 

「結果が出たなら、討伐に行く?」

「う、うん、そうだね」

 

 フィーに促されるまま、B班は移動を始める。別の場所でまたアナライズをすれば結果が変わる可能性もあるだろう。

 ライは依頼文を見つめて大型魔獣の位置を確認するのであった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ……結局のところ、残りの地点でアナライズをしてもシャドウを見つける事は出来なかった。

 

 現在は元来た道を戻り、先ほどの船着き場に辿り着いた所だ。周囲は上下左右余す事なく茜色の光。時は既に夕方になってしまっていた。

 

「収穫なし、だったね」

 

 なだらかな海に映し出された夕日を見ながらエリオットが肩を落とす。

 

 結局は徒労、空回り。

 隣に立つマキアスもどこか気疲れが溜まっていそうだ。

 

「……まさか、この夕日に染まった海が"赤い海"とでも言うんじゃないだろうな」

「流石にない、筈だ」

 

 観光客ならまだしも、この島に住む住人が勘違いするものなのだろうか。

 

 否定材料は幾らでも考えられるが、こうまで手掛かりが皆無だと、否定する言葉にも強さがなくなってしまう。

 

 心地よい波の音。

 皆、暫くそれを聞いていたが、ラウラがおもむろに立ち上がった事で均衡が崩れた。

 

「ふむ、この場にいても意味がなかろう」

「……そうだな」

 

 まだ明日もあるし、島民から失踪に関する情報を聞けばアナライズの精度も上がるだろう。ライもゆっくりと立ち上がる。が、周囲に1人いない事に気がついて左右を見渡した。

 

「フィーは?」

「えっと、……あっ、桟橋の先に」

 

 いつの間にかフィーが海の間際で体育座りをしていた。どうやら、逆光のせいで見難くなっていたらしい。

 フィーの大きな瞳はぼんやりと海を映し、その柔らかな銀髪が夕方を反射して美しく煌めく。まるで妖精が現れたかのように神秘的な光景。

 

 ……彼女は今、何を考えているのだろうか。

 

 ライには何一つ察する事など出来ない。何故ならライはフィーの事を何も知らないのだから。その小さな背中が背負っている過去が何なのかさえ、実のところ理解出来ているとは言い難い。

 

 そんな風にセンチメンタルな思考になってしまうのも、この幻想的な夕日の魔力なのだろうか。最後の見納めとして皆の視線が海面に向かう中、

 

 夕日が、水平線と重なった。

 

「――ッッ!!!?」

 

 刹那、身の毛もよだつような咆哮が島を覆い尽くす。

 

 思わず両耳を塞ぐライ達5名。

 だが、異変はこれだけじゃなかった。

 

「ライ! 前を見て! う、海が……!」

 

 慄くエリオットの声を聴き、ライは視線を海に戻す。

 

「赤い、海……!?」

 

 そこに美しい光景など一片も残されていなかった。

 

 血の如く真紅に染まった大海原。

 どす黒い緑に覆われた不気味な空。

 

 明らかな異常事態、それだけは確かな事実。

 

(――ッ! 導力ラジオは!?)

 

 急いで腰に付けられた導力ラジオを持ち上げる。――無音、ラジオからは何の音声も流れてこない。他の面々が持っていた導力灯も全て消えてしまっている。

 

 赤い海に、導力の喪失。

 

 ライは村長の言葉を思い出す。

 この状況に直面した場合、何をするべきか。

 

「宿に戻るぞ!」

「えっ!?」

「操舵手は"赤い海に誘われた"と言っていた。この海は……!」

 

 ――危険だ。

 

 ライ達は急ぎ宿へと走り出す。

 この血の海から一刻も早く離れるために。

 

 どこまで行っても景色は変わらなかった。水たまりですら血に染まり、緑の明かりが世界を包む。

 

 異常、逃げ場などありはしない。

 

 行きの半分ほどの時間で宿へと辿り着いたライ達B班。宿の入口には、険しい表情の村長が待っていた。

 

「早くっ! 早くこの中へ!!」

 

 勢いのままに宿に駆け込む。

 全員が入った瞬間、村長は全力で扉を閉めて鍵をかけた。

 

 長い距離を走り続けたライ達は肩で息をしている。宿の中も不気味な緑色、けれど、一応の安全をライ達は手に入れたのだ。

 

 

 …………

 

 

 宿のラウンジに、ライ達B班と村長、少女が集まっていた。恐ろしい程の無音、導力が消えたが故にロウソクの火が灯る中、重苦しい時間が続く。

 

「こ、この状況は何時まで続くんですか」

「……分かりません」

 

 まるで災害時の避難者だ。

 

 誰かの息遣いだけが耳に入り、ただ災厄が過ぎ去るのを待つのみ。少女もガタガタと震え、耳を塞いでいる。

 

 無音、無言、ありとあらゆる無が支配する緑色の部屋の中、思考を纏めたライが静かに口を開いた。

 

「……エリオット、もう一度アナライズだ」

「あ、う、うん。そうだね。この状況なら何か分かる、かも」

 

 この緊急時にペルソナの秘匿など気にしている場合ではない。顔色の悪いエリオットは覚悟を決めてARCUSを取り出し、ライとリンクする。

 

 吹き荒れる光の嵐、ロウソクの火が消えかける程の暴風の中心に、突如としてブラギが出現した。

 

「なっ、こ、これはっ!?」

「後で説明します。――エリオット、何か分かるか?」

「…………な、なに、これ。沢山のシャドウが蠢いてる? あの赤い海の先に……」

 

 やはり、シャドウか。

 ライの拳が無意識に固く握られる。シャドウが関わった事件であるのなら、自然に解決する事など全く持って期待出来ないからだ。

 

 だが、アナライズを続けるエリオットの様子が変わった事で状況は一変する。

 

「それに、……えっ? この反応は、フィー?」

 

 外部に意識をエリオットが次に捉えたのは、何故かフィーの反応。

 

 ライ達は跳ねるようにフィーがいるであろうスペースを目視する。

 

 ……そこは、もぬけの殻。

 全員の意識がブラギに集中した隙を突いて、フィーは音もなく消えてしまっていた。

 

「くっ!」

 

 その事実にいち早く動いたのはラウラだった。反射的に走り出し、いつの間に開いていた扉から外へと消えていく。

 

「待ちたまえ! ――クソッ、エリオット! フィー君の位置は分かるか!?」

「う、うん。それにラウラなら気配でフィーの位置が分かる筈、だよね」

 

 つまりは、ラウラの向かった先にフィーがいるという事だ。全てを理解したライもラウラを追うようにして外へと駆け出す。が、外へと続く道は村長の体によって遮られた。

 

「待ちなさい! 二次被害が出るかも知れない外に、あなた達を出す訳には行かない!」

「もう2人外に出ています。それにこの事件にはシャドウが関わっている。俺達なら対処も可能です」

「シャドウ? あなた達は一体何を……」

 

 もう説得する時間すら惜しい。

 ライは召喚器をこめかみに押し当てる。

 

「――ペルソナッ!」

 

 現れたるは巨大な光の巨人、ヘイムダル。

 その圧倒的な威圧感を前にして、村長は無意識に数歩下がってしまった。

 

「俺達は行きます。2人を見つけ、そしてこの事件を解決する」

「あ、あなた達は……?」

 

 村長の口はパクパクと言葉にならない声を出す。辛うじて出た疑問の言葉は、「何者か」「何を知っているのか」「何故解決しようとしているのか」それら全てを凝縮したもののようにライは感じた。

 

 けれど、説明する時間はない。

 故にただ一言、感謝と謝罪の意を込めて、

 

「済みません」

 

 と呟いて村長の横を過ぎ去る。

 

 残されるは村長と少女の2人。ライ達は再び、不気味な外の世界へと飛び出していった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 フィーはぼんやりと、赤い海を目指して歩いていた。朧げな黄色い瞳の縁には赤い光が灯り、不自然に脱力した足取りで歩を進める。

 

「……呼ん、でる」

 

 ぶつぶつと呟きながら、ふらふらと。

 

 まるで操り人形のように不安定な足取りで、一歩一歩、不気味な緑色の雲の下を進み続ける。もし仮に人が見ていたら、誰かに(いざな)われているようだと口を揃えて述べるだろう。それ程までに、フィーの動きは無感情で異様だった。

 

 宿から海までの直線距離はそれほどない。

 

 間も無くして、フィーの華奢な両足は鮮血の波が打ち付ける砂浜へと辿り着く。

 

 さざ波の音が定期的に木霊する静かな海岸線。足首まで血潮の海に浸かったフィーの瞳に、ふと、明かりが戻った。

 

「……あれ?」

 

 目的地に着いた為か、彼女は意識を取り戻したのだ。

 

 何故こんな場所にいるのだろうか。

 エリオットがブラギを召喚した辺りから記憶が曖昧なフィーは、不思議そうにキョロキョロと周囲を見渡す。

 

 と、その時、

 

「……ィー……、フィー……!!」

「ラウ、ラ?」

 

 陸地の奥から、聞きなれたクラスメイトの叫び声が耳に入った。振り返ると、そこには脇目も振らずに全力で駆け寄ってくるラウラの姿が。その鬼気迫った表情を見て、フィーはようやく悟った。

 

 自身が今、危機的な状況にいる事を。

 

 ……だが、全ては遅かった。

 

 突如、フィーの背後から天高く赤い水柱が立ち上る。血の海から噴き出したのは幾千もの黒い腕。それらは弧を描き、フィーの腕を、足を、頭を、ありとあらゆる部位を掴み上げ、無理やり海に引きずり込まんと動き始めた。

 

「待っていろ! 今、私がっ!!」

 

 唯一辛うじて外に出ていたフィーの片手を目掛け、ラウラが全身全霊を込めて手を伸ばす。

 

 指先が届くまで、あと僅か。

 ラウラにはその一瞬が永遠に感じられた事だろう。

 

 ……しかし、その先に求めていた感触は、最後まで得る事が出来なかった。

 

 一度(ひとたび)、大きく波打つ赤い海。

 手を伸ばした体勢のまま固まるラウラ。

 

 やり場のない虚しさだけが、この砂浜に残された。

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ラウラの後を追っていたライ達3人は、赤い砂浜に立ちすくむラウラの姿を視認した。

 

 フィーの姿は何処にもいない。

 最悪の仮定が頭によぎるが、生憎、推論を組み立てる時間などなかった。

 

 下を向いているラウラの奥、赤い海の中から漆黒の腕が姿を見せたからだ。

 

「あ、危ないっ!」

 

 エリオットの大声と同じタイミング、ライは心の内にいるペルソナを強く意識した。

 

 速度重視のペルソナにチェンジ。急加速したライの手はラウラの肩を掴み、即座にエリオット達のいる内陸へと放り投げる。

 

 代償として赤い海の間際に残される形となったライ。当然、黒い腕の群れが見逃す筈もなかった。

 

 迫り来る脅威を肌で感じたライは、砂浜に着地するより先に召喚器を抜くが、しかし、

 

「ヘイム……ッ!」

 

 召喚するよりも先に、利き腕を黒い手に掴まれてしまった。

 

 骨が悲鳴をあげる程の力によって零れ落ちる銀色の拳銃。その小さな物でさえ黒き腕は奪いに掛かる。

 

「……させるか!」

 

 ライは、全身を黒い腕に喰い付かれながらも、迷わず召喚器を蹴り飛ばした。

 ペルソナを呼べない以上、この多数の腕から逃れる術はない。……ならば、今は可能性を繋ぐのみ!

 

 ライが召喚器を飛ばした先には、もう1人のペルソナ使い、エリオットが立っている。戦闘能力がなくとも、彼さえ残っていれば……!

 

「エリオット! ブラギで俺た――……」

 

 声すらも覆い尽くす伸縮自在な腕の群れ。

 身動きすら取れなくなったライは、抵抗虚しく赤い海の底へと沈んでいく。

 

 塩辛い海の水、荒れ狂う潮の流れ。

 

 呼吸をする事も出来ず、どんどん遠ざかっていく水面が恐怖を煽る。が、ライは最後まで諦めるつもりなど毛頭ない。

 

(まだだ、まだ……)

 

 けれど、そんな意思とは正反対に、ごぽりと肺の中身が吐き出され、ライの意識が徐々に遠のく。

 

 水面へと伸ばされた己の手。

 それが、薄れゆく視界の中で最後に見た光景だった。

 

 

 

 

 

 ――暗転。

 

 

 

 

 




外道:スライム
耐性:火炎・光弱点
スキル:-
 半液体状のドロドロとした怪物。現在は非常にメジャーなモンスターだが、その歴史は浅く、クトゥルフ神話のショゴスが直接の起源だとされている。女神転生においては、不完全に召喚された悪魔が肉体を保てずなってしまうものであり、同時に合体事故でのハズレ枠でもある。


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/ ´Д`\ <ウォレ、特別出演……


/ ´Д`\ <…………


/ ´Д`\ <ヤッタ


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