心が織りなす仮面の軌跡(閃の軌跡×ペルソナ)   作:十束

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※注意:今回の特別実習は現時点(閃の軌跡2発売時)の情報を元にしています。故に実習地における地形および人物像がほぼオリジナルで構成されていますのでご注意下さい。


45話「暗雲の孤島」

 ――帝都ヘイムダルの中央駅、数多くの路線が集合する巨大な駅のホームにVII組の面々は降り立った。遥か高くに渡された天井と、それを支える何十本もの柱。まるで競技場のような広大な空間には幾つもの路線が並列し、多くの人々が慌ただしく歩いている。

 

「っと、済みません!」

 

 すれ違う成人女性にぶつかったエマが身を翻し、反射的に謝った。

 早朝であるにも関わらず多くの人々が行き交うこの状況は、エレボニア帝国において帝都ヘイムダルしかないらしい。だからまぁ、慣れていないと言うのも無理ない話だろうと、元々帝都に住んでいたエリオットとマキアスは慣れた様子で話していた。

 しかし、何気なく進んでいたライは、他にもこの光景を気にしていない人物、フィーがいる事に気づく。

 

「ここに来た事が多いのか?」

「あんまり。ここはオズボーン宰相の監視がキツくて下手に動けないから」

 

 ……この話題は不味かった。

 猟兵を意識させる内容であった為か、後方のラウラから冷たい視線が突き刺さる。

 

 それに、よく見ればフィーの目線もちらりとラウラを見ていた。

 どうやらフィーが気にしていない様子だったのは、単にラウラへと意識を集中させていたからかも知れない。が、今は考察をするよりも先に、話題を変えねばならないだろう。

 

「実習先のブリオニア島だが」

「大丈夫。用意した火薬は湿気に強いから、海辺でも使えるよ」

 

 ……いや、そう言う話を聞きたかった訳ではないのだが。

 まぁ、気を取り直して、

 

「今日は天気が悪いな」

「気配が雨に隠れるから、隠密行動にはうってつけ」

「……話は変わるが、昼食はサンドイッチみたいだ」

「栄養バランスに特化した具材。まるでレーションみたい」

「……ご機嫌いかが?」

「微妙。でも戦闘には影響を与えないから心配しないで」

「…………」

 

 鉄壁だ。鉄壁過ぎる。

 これは故意にやっていると見てほぼ間違いない。ラウラへの挑発か、はたまた中間試験に対する不満か。どちらにせよ、流石は歴戦の猟兵だとライは内心戦慄する。が、「別に猟兵関係ない」とツッコミを入れる読心術の使い手は、生憎このVII組にはいなかった。

 

『――ラマール州都オルディス行きの列車が2番乗り場に到着しました。ご乗車の方はお急ぎ下さい』

 

 と、そんな敗北感の中、B班が乗る列車のアナウンスが鳴る。

 つまりは終了のゴングが鳴らされてしまったという訳だ。

 

「ま、まぁその、なんだ。……頑張れ」

「……ああ」

 

 リィンの歯切れの悪い声援を背中に受け、ライ達は2番ホームへ続く階段を降りて行った。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 豪雨に打たれながら西へ西へと走る列車の中では、外の天気に負けず劣らずの暗雲立ち込める空気が渦巻いていた。

 

「…………」

「…………」

 

 その原因は言わずもがな、重苦しい面持ちをしたラウラとフィーの2名である。

 

 先の連撃が影響したのか、木製の列車内はまさに氷点下。物理的な肌寒さすら感じ始めた現状を打開すべく、マキアスが唐突に声を張り上げた。

 

「そ、そういえば! この雨も明日には晴れるらしいぞ! ブリオニア島は透き通った海に遺跡で観光としても有名だから、何とも楽しみじゃないか! はははは!」

 

 何とかして場を盛り上げようと立ち上がったマキアスは、演技臭い高笑いを続けてエリオットとライの視線を釘付けにする。

 

 が、しかし、

 

「…………」

「…………」

 

 肝心の2人は一切の興味を示さなかった。

 

「はは、は、……はぁ…………」

「どんまい」

 

 力なく座り込むマキアスの肩にエリオットが手を置く。

 ライ自身も既に何度も敗退しているのだ。そう簡単に彼女らの冷戦が終わらない事くらい、誰の目からも明らかだった。

 

(さて、どうしたものか)

 

 ライはカタンコトンと揺れを感じる中、静かに窓の外を眺めて思考する。

 今にして思えば、正面からぶつかってくるマキアスの態度はまだ単純な方だったのかも知れない。直接対立せずに冷戦を続ける彼女らの関係は、まるで迷宮が如く複雑怪奇でややこしい。

 

 解決の糸口があるとするならば、打ち上げの時に自ら動こうとしたラウラの方だろうか。ライが見つめる列車の窓は、横殴りの雨と雷鳴のせいで一切の見通しが効かなかった。

 

 

 ……

 

 …………

 

 

 途中、もう一度乗り換えをしたライ達を出迎えたのは、灰色の海が延々と広がる薄暗い石造りの港だ。普段は美しい光景であろう導力灯の明かりも、雨に覆われた今となっては何処となくおどろおどろしい。傘をさしたB班は、ひとまずびしょ濡れの階段を下り、ブリオニア島へ行く筈の連絡船を目指す。

 

「ね、ねぇ、これ本当に連絡船出るのかなぁ?」

「見たところ波はそれ程高くないが……、そう言えば、確かアルゼイド家の治めるレグラムも水辺の町だった筈だが、船が出るか推測できるか?」

「……ボートでなければ問題あるまい」

「そ、そうか」

 

 雨が傘を打つ音が木霊する状況下、マキアス達は不安げにそんな話をしていた。

 

 ぴしゃり、ぴしゃりと、ライ達は港町を横断する。

 ……しかし、それにしても、

 

「なにかおかしい」

「フィーもそう思うか?」

「ん、人の気配が少なすぎる」

 

 フィーは私情を捨て、兵士としての表情を見せた。

 

 そう、雨である事を差し引いても人が少なすぎるのだ。マキアスの話によれば、曲がりなりにもブリオニア島は遺跡で有名な場所の筈。しかしながら、この港に点在する宿にはほとんど明かりが灯っていない。街路脇にある公園は綺麗に整えられている事から、別に寂れた港と言う訳ではない筈なのだが、逆にそのギャップが不気味な不自然さを醸し出していた。

 

「と、とにかく、早く連絡船の場所に行こうよ!」

「……そうだな」

 

 嫌な予感に恐怖するエリオットに押される形で、ライ達は雨の中、船着場へと歩いて行く。雨粒が路面を跳ねる音だけが、彼らを見送っていた。

 

 

 …………

 

 

 ――ブリオニア島へと続く連絡船。

 側面に見える大きな導力装置はスクリューの役割をしているのだろうか。そんな意味のない疑問を抱きながらも、ライは事前に渡されていたチケットを見せ、そこそこ大きな船内に足を踏み入れる。

 

 僅かに揺れる船特有の浮遊感。船内に入ったライ達を待っていたのは、小さいながらも上品な船の内装だった。幾つも設置された座り心地の良さそうな椅子に腰を下ろすB班一同。まだまだ席は空いていたが、何時まで経っても他に搭乗客はなく、遂にはライ達だけを載せてゆっくりと動き出す。

 

 何故、客がいないのか。

 雨のせいで客足が遠のいている可能性もあるだろう。しかし、操舵手の思い詰めた表情を見ていると、とてもそうは思えない。

 

 ライが操舵席近くの壁に腰掛けてそう分析していると、曇天を見る操舵手がふと話しかけてきた。

 

「お客さん、今日はどういった御用件で?」

 

 近場に他の人がいないが故に気が緩んだのだろうか。

 だが、これは好機だ。何故そんなに暗い表情をしているのか理由を聞けるかも知れない。一瞬で思考を纏めたライは素直に答える。

 

「学院の実習で」

「実習ねぇ。そりゃあ、難儀なこって」

「……難儀?」

 

 何とも不可思議な感想だ、とライは聞き返す。すると一層雨が強くなる中、操舵手が意外そうに声をあげた。

 

「なんだ、お前さん知らねぇで来たのか? 最近あの島じゃ失踪者が多発してんのよ。ったく、海が人を誘っちまうせいで、こちとら商売あがったりさ」

 

 海が人を誘う? 攫うではなく?

 

「妙な言い回しですね」

「まるで海が生きてるみたい、だろ? ――かかっ! 不思議に思うのも無理はねぇな。こちらも最初はふざけた与太話だと思ってたさ」

 

 思ってた、……過去形。

 ドロリとした何かが心に落ちる。

 

「……あんなもん見ちまったら、な」

「見たとは、何を?」

 

 操舵手の様子がおかしい。

 狂ったような空笑いを浮かべ、震える手を無理やり舵に押しつけ、そして、血走ったその目を見開いて、

 

「――血のように、真っ赤な海」

 

 独り、呟いた。

 

「あれは夢なんかじゃない。気づいたら緑色の空になっていて、恐ろしい咆哮が聴こえて、客が誘われたように歩いて行って、そして……」

「そして、何があったんですか?」

「何も出来なかった。そのせいで彼女は、あの、あの赤い海に……、……い、いや、違ぇ。そのおかげで、かか、彼女は救われたんだ。そう、救われたんだ! ははははは! 間違ったこの世界から! はは! はははははははは!!!!」

 

 最早、彼は正気とは言えなかった。

 故障した機械のように、何かが這い寄っているが如きおぞましい声で、意味もない叫びを繰り返している。

 

 ……しかし、

 

「おっと、もうすぐ到着するよ」

 

 薄っすらとブリオニア島が見え始めた途端、操舵手の様子が元に戻った。会話をする前の、いや、暗い表情すら消え去った彼の瞳は、硬直するライを不思議そうに見つめてくる。

 

「どうしたんだい? お客さん」

「……いえ」

 

 今のは幻だったのか?

 そう錯覚してしまいそうになるライは、先の記憶を思い返して事実であったと確かめる。

 

 段々と近づいてくる大きな島影に、集落と思しき明かりの数々。蠢くような正体不明の異常が、少しずつライ達に迫ろうとしていた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

「そんじゃ、お客さんも救われる事を祈っとくよ」

「それはどうも」

 

 ブリオニア島唯一の船橋に辿り着いたライ達は、不気味な程に陽気な操舵手と別れを告げた。雨が生み出す霞の向こうへと消えていく連絡船。その影がぼやけ始めた時、水色の傘を差したエリオットが不安げに近寄ってきた。

 

「ねぇ、さっき凄い声が聞こえたんだけど、何かあったの?」

 

 操舵手の声は後方にも届いていたらしい。

 やはり、あれは夢でも幻でもなかったのだ。

 

「ああ、実は――」

「待ちたまえ、それは時間が掛かりそうか?」

 

 ライの言葉をマキアスが遮った。彼が気にしているのは空から降り注ぐ大粒のシャワー。雨はどんどんその勢いを増している。気温も少しづつ下がっている事も考えれば、長々と話をしている場合ではないだろう。

 

「……そうだな。先ずは宿に行くか」

 

 家も疎ら、青々とした草が道端に生い茂っているこの島に、雨宿り出来る場所などありはしない。唯一の明かりは魔獣よけの導力灯。事前に渡された資料を頼りに、B班は土砂降りの田舎道を歩き始めた。

 

 

 …………

 

 

 真っ黒な雲の下、目的の場所に辿り着いたライ達を出迎えたのは、手入れの行き届いていない古びた宿であった。一階の窓から漏れる明かりはゆらゆらと不安定、背景に落ちる雷が、憎い演出をしてくれる。

 

「指定された宿って、ここで良いんだよね?」

「その筈だ」

 

 ミリアムがA班で良かったと思える程にホラーな光景だった。エリオットの背中に雨じゃない雫が滴るのを尻目に、マキアスがごくりと息を飲んで扉を叩く。

 

 ……やがて、古めかしい扉がギィッと動き出した。薄暗い向こうから顔を出したのは、2桁にもいかない小さな少女。それを見たB班の緊張の糸が一気に緩む。

 

「はは、脅かさないでくれ給え。――君はここの娘かな? 済まないが両親を呼んで欲しいのだが」

「……いないよ?」

「あぁ、今は留守なのか。では他に大人は?」

「…………」

 

 髪を短く切った少女は、半開き扉の向こうに身を隠してマキアスをちらちらと見ていた。明らかに警戒している様子だ。

 

「こわがってる」

「なっ!? 別に僕は何も!?」

「変わって、私がやってみる」

 

 マキアスを押しのけフィーが前に出る。セントアークでのアリサのようにしゃがみ込み、目線の高さを合わせるフィー。案外、彼女もお世話好きなのかと思ったが、

 

「…………」

「えっ、と?」

 

 別にそんな事はなかった。

 

 どう話したものかと無表情で考え込んでいる様子だ。少女が目の前で座ったフィーに戸惑う時間が数瞬。やがて、フィーは伝えるべき事を思いついたかのように、薄い唇が動き始めた。

 

「……私たち、お客」

「あっ! そうなんだ! 今、村長のおじさんを呼んでくるから待ってて!」

 

 その短い単語は的確に少女の警戒心を解きほぐす。雷雨の中訪れた者達であっても、素性不明と客とでは天と地の差があるだろう。ワンピースを着た少女は、戸を閉めるのも忘れて家内へ入っていった。

 

 残されたフィーはおもむろに立ち上がる。

 彼女はいつも通りの表情の乏しい面持ちだったが、どこか嬉しそうに見えた。

 

 ……複雑な感情が篭ったラウラの視線に気づく事もなく。

 

 

 …………

 

 

「ようこそ」

「うむ、お世話になる」

 

 宿に到着したライ達は、少女の先導でびしょ濡れの傘を傘立てに置き、小さな木製のラウンジに座るブリオニア島の村長に会った。疲れた表情をした年配の男性。その深い目皺からは、相当な苦労が滲み出ている。

 

「この大雨の中、良くいらっしゃいました。実習は明日からですので、今日はゆっくりと休むといい」

「ええ、それは有り難いのですが、村長が宿をしているのですか?」

「……いえ、私は代理です」

 

 マキアスの問いに、村長は暗い目つきで先ほどの少女へと視線を移す。

 彼女は暖かな紅茶を出そうとしているらしく、高い位置の茶葉を取ろうと背を伸ばしていた。

 

 そんな危なっかしい様子を見かねてか、手伝いに向かう割と長身のラウラ。あちらは彼女に任せよう。それよりも、村長には色々と聞きたい事がある。

 

「代理とは?」

「今、この宿を仕切っているのはあの子だけですから。数年前にご両親がお亡くなりになり、それ以降姉妹2人で切り盛りしておりました」

「……なら、さっきあの子が言ってた事は」

 

 両親はいない、それは言葉通りの意味だったのだ。無神経な事を言ってしまったとマキアスが自責の念に駆られる。

 

 だが、本題はその先だ。

 ライはマキアスには申し訳なく思いつつも、話題を進める事にした。

 

「彼女の姉は?」

「それは……」

 

 言葉に詰まる村長。十中八九、操舵手が言っていた内容と見て間違いない。ゆらゆらと不安定な光を放つ導力灯の下、ライは村長の代わりに答えを述べる。

 

「連続失踪事件、ですか」

「……えっ?」

「それが、先ほど伝えようとしていた内容か」

 

 紅茶をトレイに乗せて持ってきたラウラが真剣な声で呟いた。

 流石は武術家と言う事もあって、僅かな揺れもない運び方。しかし、誰もそれに気をかける余裕などない。――連続失踪事件。誰かがゴクリと息を飲む音は、強烈な雷の音にかき消された。

 

「ご存知でしたか。その通り、あの子の姉は失踪事件の最初の犠牲者です。本土からの帰路の最中に突然、連絡船ごと消息不明となりました」

「連絡船ごと?」

「ええ、連絡船が発見されたのはその2日後。操舵手含め、誰一人残ってはいませんでした。あの時は何らかの事故に巻き込まれたと考えていたのですが……」

 

 村長は遥々訪れた5人の少年少女達に深刻な話題を伝えねばならない事に、重苦しいため息を零す。そして、

 

「その時から島は狂い始めていったのです。赤く染まる海、島周辺にいる人間が何人も何人も消えていき、5日前にも1人、島の若い者が消息を絶ちました。……これで28人目。誰1人帰って来たものはおりません」

 

 その内容は彼の深皺に寸分違わず深刻なものであった。

 

 正体不明で薄気味悪い事件が、今もこの周辺で続いている。

 エリオットは薄暗いラウンジの死角にすら感じる恐怖を拭うため、身を乗り出して村長に問いかけた。

 

「な、何か思い当たることってありますか?」

「1つだけ心当たりが……っと、そうだ。伝え忘れた事がありました」

 

 と、突然村長は傍に置いてあった荷物を漁り始めた。

 やがて、ラウンジのテーブルに置かれたのは5つの導力仕掛けのランタン。わざわざ人数分用意して来たのだろうか。

 

「今回、特別実習を行うにあたって、1つだけ決まり事を定めさせて貰います」

 

 そう言いながら、村長は1個1個B班にの手元に配る。

 

「この島にいる間、常に導力灯の明かりを灯しておいてください」

「……先の事件と関係が?」

「ええ、明かりと言うより導力そのものですが。――もし、導力灯の明かりが一斉に消え、海が赤く染まったら特別実習は中止です。例え如何なる状況であろうとも即座にここの部屋に戻り、絶対に外には出ない事。これだけはお守りください」

 

 ……つまり、彼はこう言っているのだ。

 導力が消え、海が赤く染まった時、原因不明の失踪事件が発生する、と。

 

 それこそが彼の言う心当たりであり、このランタンは失踪事件に巻き込まれないための命綱。

 

 ライ達はお互いの顔を見合わせてそれを確認しあい、薄暗いラウンジの中心でランタンの明かりを付けた。が、

 

「……つかない」

「おや、1つ壊れてましたか」

 

 フィーのランタンだけ明かりのない真っ暗なガラスのまま。 これでは縁起が悪い、いや、実害すら出る可能性があるだろう。

 

「その導力灯、他のものでも代用できますか」

「え? ええ、導力の稼働を常時確認できるものでしたら」

 

 だったら丁度良いものがある。

 ライは自身のランタンをフィーに渡し、懐から今朝方使った導力ラジオを取り出して音を鳴らした。

 

「俺はこれを」

「携帯サイズの導力ラジオとは、また珍しい」

 

 村長はその見慣れない形に興味深げな声をあげていたが、気を取り直してライに許可を出す。そして、「今日はもう遅いから、明日詳細を伝えましょう」と、1人雨が降り注ぐ宿の外へと消えていった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 2階の客室に案内されたライ達は、それぞれ個室が割り当てられた。例の事件が原因で、他に利用客がいないと言うのが理由らしい。

 

『――……西部の明日は、雨も…がり雲1つない晴天が広……と思われ…す』

 

(導力の停止に赤い海、か)

 

 部屋に荷物を下ろしたライは、ベット脇の窓際に導力ラジオを置き、椅子に腰掛ける。

 

 気味が悪いオカルト話と言えばそれまでだ。

 しかし、どうにも内容が具体的である上に、操舵手の言葉とも合致する。それに、オカルト話に繋がってもおかしくない奴らの存在なら――

 

 と、そこまで思考を進めた時、唐突に扉からトントンと音が鳴り響いた。

 

「誰だ?」

「……済まない、少し良いだろうか」

 

 それは凛とした女性の声、ラウラのものだった。ライは短く「ああ」と答え、ラウラを室内に招く。

 

 力なく揺れる藍色のポニーテール。仮に第3者がいたとしたら、男性の部屋に女性が訪ねる状況に不審な目を向けることだろう。しかし、浮ついた様子の欠片もないラウラの瞳を見れば、恋愛とは縁遠い理由であることは言うまでもない。

 

「紅茶でも入れてくるか?」

「いや、その必要はない」

「そうか」

 

 ラウラはそれ以降無言となり、ライの対面に座った。

 

 彼女が何を目的にここへ来たのかは何となく推測できる。しかし、彼女の気質を考えれば、下手な手助けは逆効果にしかならないだろう。

 

 ライが静かにラウラの顔を見つめること数分。遂に彼女は決心を固め、その細い口元を開けた。

 

「そなたはハーメルの悲劇と言う言葉を知っているか?」

「いや、初耳だ」

「そうであったか。いや、そうだろうな」

 

 つくづくそなたが記憶喪失であると忘れてしまう、と、ラウラは懐かしげに微笑む。

 

 それは久方ぶりに見た光景。ライの鋭い瞳がやや丸くなるのを他所に、ラウラは説明を続けた。

 

「ハーメルの悲劇とは、今から12年ほど前に帝国南部の村ハーメルが一夜にして滅んだ事件の事だ。その原因は自然災害、と言う事に表向きはなっている」

 

 表向き、つまりは裏があると言う事。

 部屋内の空気がピンと張り詰めていくのをライは肌で感じた。

 

 事実、ラウラは話すべきか迷っている様子だ。

 それでも、ここで止める事など真っ直ぐな彼女はしないだろう。

 

「自然災害などとんでもない。ハーメルは人為的に壊滅させられたのだ。――女子供関係なく、猟兵の手によって虐殺された」

「……何故、ラウラがそれを?」

「我がアルゼイド流は帝国軍兵士の中でも主流な流派でな。私が小さい頃から多くの兵士と出会う機会があった。……その中に、ハーメルの惨状を直接見た者たちもいた」

 

 恐らくは酒にも酔っていて口を滑らせたのだろう。衝撃的な光景であればある程、閉ざされた場で話題に出たとしても何らおかしな話ではない。

 

「幼い私には、その意味が良く分かっていなかった。ただ1つ、猟兵は邪道の存在だと言う事だけは、心に強く焼きついていた」

「だからフィーを認められない、と?」

「全ては私の心の弱さが原因だ。どうしてもフィーを受け入れることができない。――だからこそ、私はここに来た」

 

 ラウラの期待する視線がライを貫く。

 わざわざライが1人になったタイミングで訪れた理由。今までの経験から考えれば答えは自ずと導き出せる。

 

「戦術リンク、だな」

「そうだ。セントアークの地ではアリサがそれで壁を乗り越えたと聞いている。私も自身の壁を越えられれば、前に進めるかも知れないのだ。だから頼む! 私と今一度、リンクして欲しい!」

 

 ラウラはラウラなりに前に進もうとしていた。ならば、ライに取れる道など1つしかない。

 

「協力は惜しまない」

「そ、そうか! では行くぞ!」

 

 雨夜の宿の一室で、今、2つのARCUSが光を発した。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ――気がつけば、ラウラは真っ白な空間に1人立っていた。

 

 目の前にはあまりにも巨大な格式ある青色の壁。ひとりでに開く両開きの扉を前にして、ラウラは心臓の鼓動が痛いほど高まっていくのを感じていた。

 

 ……記憶にはなくとも心が理解しているのだ。この扉の先にいる存在を。

 

『ようこそお越し下さいました』

 

 そこには美しいドレスを身に纏い、藍色の髪を艶やかにおろした、もう1人のラウラと呼べる存在が。彼女はスカートの裾を持ち上げ、ぺこりと礼をする。

 

 気品の良い姿ではあったものの、口角を異様なまでに持ち上げ、両目を不気味な程に歪めた表情は、生理的な嫌悪感を感じてもおかしくないレベルだ。……それに、

 

『何かおかしいですか? 私は貴族の子女、煌びやかな衣装に身を包んでも自然ではありませんか』

「いや、しかし、それではまるで」

『――まるで、騎士を諦めた姿、であろう?』

 

 口調が変わったもう1人のラウラ。

 あまりの落差に、ラウラの目が見開いた。

 

『……あら、口調が戻ってしまいました。やはり上っ面のキャラ作りではこの程度ですね』

「何が言いたい」

 

 先の言葉の真偽を問うため、ラウラは手を固く握り締めて問いかける。もう1人のラウラは待ってましたと言わんばかりに、皮肉めいた笑みを浮かべ、

 

『ふふ、くくく、自明の理であろう。そなたの主張する騎士道も、薄っぺらな欺瞞だと諭しているのだ』

 

 ラウラの顔と声で、ラウラ自身の主義を完膚なきまでに否定する一言を言い放った。

 

「欺瞞などではない! 私は私の信ずる道を進むために、再びこの場所に赴いた!」

『信ずる道を? それはどうでしょうか』

「何が、言いたい……!」

 

 もう1人のラウラはか弱く、曖昧な言い方で言葉を濁すばかり。段々とラウラの心から余裕が削ぎ落とされていく。

 

『ならはっきり申し上げましょう。そなたはただ、欺瞞を剥がされかねない矛盾から抜け出したいだけ。自身が正道でない事から目を逸らしたいが故に、藁でも掴む気持ちで戦術リンクにすがった。ねぇ、そうでしょう? そうだろう?』

 

 ゆらり、

 ゆらりともう1人のラウラが歩み寄る。

 

 その醜い声は潔い武人とは縁遠い、嘲笑う邪道の権化だ。

 

『そなたはフィーと仲直りする事なんて望んでいない。何故なら嫌っている今の状況こそが、そなたの望んでいる最善なのだから』

「馬鹿な。そんな訳なかろう!」

『"正道に準じる者ならば、猟兵である彼女を拒絶しなければおかしい"、でしょう? ハーメルの悲劇なんて単なる建前。そなたにとってフィーは、自分が正道をまっとうしていると言う陶酔に浸るための、ただの小道具に過ぎない』

「わ、私は……」

 

 怒涛のように責め立てる言葉の嵐に思考が追いつかない。

 否定の言葉が見つからない。

 

 だが違う。

 それじゃまるで、自身が目の前の存在と同じ、感情の赴くままに横暴を振りまく邪道そのものではないか。

 

『嗚呼、そなたはひどく醜い女だ。仲良くしていた少女を、ただ自分の主義主張を守るためだけに嫌悪するなどとは』

「違う! 私は決してそんな邪道では……!」

『えぇ分かります。そなたは仮初めの正道を守るために私を否定したい。否定したくて仕方ない。それがラウラ・S・アルゼイド』

「私の歩む道は決して仮初めなどではない!」

『――そうか? ならば、しかと見よ』

 

 いつの間にか背後に回っていたもう1人のラウラが、音もなくラウラの頭を鷲掴みにしていた。万力のような力で無理矢理に頭を動かされる。その先にあったのは凛と立つラウラの姿、……ラウラの形をした、薄っぺらい木のハリボテだった。

 

 ――パタン。

 ハリボテは所詮ハリボテ、風に煽られ崩れ落ちる。

 

 その木の板が仮初めと言うのなら、板の先にあるのは本物の答えであろう。……ヴィクター・S・アルゼイド。悠然たるラウラの父親こそが、ラウラの目指す道の正体だった。

 

『そなたは騎士道に準じているんじゃない。ただ、父上の背中にすがっているだけ。……そんなちっぽけな意志なのだから、自身の軸をぶらしかねないものを否定する。自身の理想に沿わないものは、どんな些細なものでも悪となる』

 

 段々と思考が曖昧になっていく。

 もう1人のラウラが囁く言葉が真実かどうかなど、既に無意味な思考だ。ここに来た意志も、信じてきた己の正道も、全て折られてしまったと感じている事こそが、この場における唯一の真実。

 

 残されたのはただ、……否定のみ。

 

『そなたの騎士道は上っ面、揺るぎない武の心など初めからないのです。自身が悪と断定したものを嫌って、自身も正道だと思い込んでいるだけ。優柔不断で横暴で傲慢な私こそが、そなたの本当の姿だ』

「ちが、う……」

『違わない。私はそなた、そなたは私。私はそなたの本当の在り方。ほら、認めなさい。さあ、認めろ。そなたは決して正道ではないのだと』

「――っ! 止めろっ! そなたなど……、そなたなど、私ではないっ!」

 

 ラウラは完全にもう1人の自分を否定した。

 ……してしまった。

 

 それを聞いたもう1人のラウラは、歪な笑みを浮かべ、周囲に不気味な風が舞い上がる。まるで、ラウラから解放されたかの如き、独りよがりな笑い声。

 

 だが、もう1人のラウラを取り巻く力が膨れ上がる"寸前"、パリンと、戦術リンクが砕ける音が鳴り響いた。

 強制的に暗くなる視界。ラウラはそれに抗う術もなく、強制的にもう1人のラウラと引き離される。

 

 

 

 ――暗転。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 微かな雨音が木霊するブリオニア島の一室。動きを止めたラウラを静かに見守るライだったが、戦術リンクが途切れた事に気づき顔をあげた。

 

 戦術リンクが割れたのならば、導き出せる結果は1つ。

 その解は肩で息をしながら項垂れるラウラの様子からも明らかだ。

 

 つまり、ラウラは戦術リンクに、もう1人の自分自身を受け入れる事に失敗してしまったのである。

 

「……すまない。少し、1人にさせて貰えぬか」

 

 儚げに立ち上がり、ふらふらと部屋の外へと足を向けた少女の背中は、何故だかとても小さく見えた。

 

 失敗した場合、戦術リンク中にあった出来事が記憶に残る事はなく、心に刻まれた傷が残るのみ。故にライはラウラの体験した出来事を知る方法など皆無なのだが、以前ラウラが言っていた”邪道”と言う単語から推測した一言で、消えそうな彼女を繋ぎとめようとする。

 

「ラウラ、人は誰しも正と負の感情を持っている。それで良いんじゃないか?」

「……そう断言できるのは、きっとそなたが強いからなのだろうな」

 

 私には真似できそうにはない、とラウラは自傷的な笑みを携え振り返った。彼女の言い分も最もだ。そう簡単に割り切れているのであれば、初めからこんな状況になってはいない。

 

「だったら、俺がフィーの本心を引き出す。ラウラが心から信じられるような正の面を。それで何とかならないか?」

「あ、ああ。……だが、何故そなたはそこまで」

「今の状況が最善だとは思えない。理由なんてそれで十分だ」

 

 迷いなくライは言い放つ。

 その言葉は以前フィーにも伝えたものだった。そこまで深い理由などない。目指すべき未来があるのならば、前に進み続ける事だけがライに唯一とれる手段なのだから。

 

 しかし、

 

「さい、ぜん……ではない?」

 

 ラウラにとって今の単語は別の意味を持っていた。記憶にない戦術リンク中にその言葉を聞いていたのか、明らかに動揺した様子で数歩下がり、部屋を飛び出す。

 

 

 反動でガチャンと閉まる古ぼけた宿の一室。

 

 人1人がいなくなった空間にいると、雨窓を叩く音や付けっ放しの導力ラジオの音声が心なしか大きく聞こえる。

 

(……またか)

 

 事今回の軋みに関しては、妙に運が悪いと言うか、巡りが悪いと言うか。もしや旧校舎で見た友原翔が乗り移っているのかと危惧する程の地雷踏みっぷりだった。

 

 ――しかしまぁ、何も悪い事ばかりではない。相手の心を揺さぶっているという事は、彼女らの本質に関係しているという事でもあるのだ。

 

 就寝用のTシャツに袖を通したライは、独得な柄のベットに腰を下ろし、手に入れた情報を取り纏める。

 

 前回のフィーと今の動揺したラウラ、その双方に共通した特徴は2つ。ライの言葉そのものに否定的な反応を示していた点と、己がシャドウに関わっているであろう雰囲気を漂わせていた点だ。

 

 旧校舎内で得た状況が正しければ、シャドウとは抑圧した己の心。即ち潜在的な悩みである可能性が高い。ならば、2人の悩みは"前進を望んでいない"と言う1点に限って相似しているのでは、とライは天井を仰ぎ見て思い至る。

 

(――だとしたら、今の硬直状態も、空回りしてしまう原因にも説明がつく)

 

 フィーとラウラは無意識の内に現状で良いと思っている。つまり、彼女らの思考は恐ろしい程に合致してしまっていたのだ。

 一度噛み合った歯車を外すのは容易ではない。ライが空回りするのも、まま当然の流れであった。

 

 ……ならば、その解決策は。

 ライが思考を一段階進めたその時、

 

『……――…ザザ、ザ――……』

 

 唐突なノイズ音がライの思考を遮った。

 

 気がつくと、ベット脇の導力ラジオから聞くに堪えない雑音が。そう言えば、さっきから音声の受信が悪かったと思い、ライは周波数の摘みをいじる。

 

『トリ…タでは、今日も……、……』

『……クロ…ベル放送が深夜0時を…………』

 

 しかし、どうにもチューニングが上手く行かなかった。幾つかのラジオ放送を拾ったものの、全てノイズ混じりの声が流れるばかり。

 

 しかし、辛うじて聞こえた深夜0時と言う放送が、ライの方針を決定づけた。

 

(……今日はもう休もう)

 

 特別実習は明日と明後日の2日間。フィーとラウラ、それに謎の失踪事件を相手取る可能性もある。今、最もすべき事は万全の状況で明日に望む事だ。

 

 柔らかな毛布に包まれ、ライの意識は深いまどろみへと沈んでいった。

 

 

 

 


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