34話「マキアスの顛末」
ぷしゅーと音を立てて列車がトリスタ駅のホームに停車する。
そのドアから出てきたのは疲れ果てたB班一同。2回目の特別実習が終わり、いよいよホームタウンのトリスタに戻ると言う頃合いになって、シャドウとの戦闘や旧都内を走り回った疲れが段々と蘇ってきたのである。
「ねぇ、みんなどうしたの?」
例外は不思議そうな顔をするミリアムのみ。その小さな体にどれ程の元気を有しているのか、見ているこっちが不思議になる。
「あ~もう、今日はゆっくりと休みたいわ」
「そうだねぇ。あ、でも僕は久々に楽器を触りたいかも」
「うむ、2人は特に難儀であったからな。帰ったら休息や趣味など時間を好きに使うといい。現に私も、帰宅後は剣の鍛錬に励むつもりだ」
訂正、もう1人いた。やはり武術の心得がある人は違うらしい。アリサやエリオットと言った非武術家の面々は、ラウラとの地力の差を痛感していた。
――それにしても、
「趣味の時間か」
「む、ライは何をする予定だ?」
「趣味、余暇にする事……。……資料整理、だな」
「……いや、それは趣味ではないぞ」
「――!?」
ガイウスのツッコミで衝撃の事実が発覚しつつも、ライ達は1人づつ切符を駅員に見せて改札を抜けて行く。駅の外は心地の良い晴天だ。普段よりも重く感じる手荷物を片手に、皆は2日ぶりのトリスタへと歩いて行った。
◇◇◇
――第三学生寮。
「たっだいまー!」
正面玄関の扉を開け放ち、ミリアムが堂々と帰宅した。その後に続くライ、エリオット、ガイウス、アリサ、ラウラの5人。2日ぶりに吸う空気や見慣れた石煉瓦の内装が皆の疲れを癒してくれる。
しんと静まり返った寮のロビー。とりあえず荷物を部屋に置いてこようかとライ達は話し合い、奥の階段へと歩き出す。
だが丁度その時、横の食堂へ続く扉から、聞き慣れた2人の声が響いてきた。
「――何とか言ったらどうだ!」
「フン、何故そこまで拘るか理解出来んな」
もう日常となりつつあるマキアスとユーシスの衝突だ。
それを聞いたロビーの6人はお互いの顔を見合わせ、そっとため息をついた。
「……やっぱり、マキアスの壁を超えるのって難しいのかしら」
皆の意見を代表してアリサがぼやく。あの怒号を聞くに、クロウの提案した仲直り作戦も失敗に終わったのだろう。ライは去る日の苦労を思い少々落胆し、そして早くも次の手について考え始めていた。
と、そんな中、突然扉が開いて中から妙齢の女性が顔を出す。
「あら、あなた達も帰ってきたのね」
どうやらあの2人だけでなく、サラも食堂にいたらしい。少し戸惑うB班に向けて、サラは笑顔で話を続ける。
「だったら早くこっちにいらっしゃいな。今から特別実習について報告して貰う予定なんだから」
「えっ、それはレポートじゃ駄目なんですか? 部屋に荷物を降ろしたいですし、ちょっと休憩してからでも……」
「そんなの後回し後回し。さ、荷物はそこのテーブルに置いてさっさと食堂に入ってちょうだい」
サラは短く手招きをすると、そのまま扉の奥へと消えていく。その行動は正に傍若無人。だがライ達もそれに慣れつつある為、一度肩をすくめると、ロビーのテーブルに荷物を置いて食堂へと進んでいく。
夢にまで見た癒しの時間は、どうやら儚くも消えてしまった様だ。
…………
寮一階の食堂に入ったライ達は、そこでA班5人がサラと共に座っている光景を目にした。
外で聞こえた声に違わず、いがみ合いを続けるマキアスとユーシス。それを困った様子で見るリィンに、諌めようとする委員長のエマ。そして、全く興味なさげに眠るフィーの計5名。見事にVII組の縮図となっているA班の隣にライ達も座っていく。
「これで全員揃ったわね。それじゃ早速、特別実習に関する報告をして貰いましょうか」
11名の生徒を前に話を切り出すサラ。いがみ合っていたマキアスとユーシスも、その言葉を前に一旦喧嘩を止めた。
「あの、一つ質問してもいいですか?」
「何かしら、エマ」
「帰還早々に皆を集めた理由って何でしょうか。皆さん疲れているみたいですし、報告はまた今度でも良いのでは?」
「まぁ、それもそうなんだけどね。でも、今回はA班B班ともにお互いに話しておかなきゃいけない事柄を抱えているみたいだから。折角だしこの場で情報共有をしておきたかったの」
サラの回答を横で聞いたライは懐のグノーシスを取り出した。確かにシャドウ様に繋がる手がかりは、直ぐにでも全体で共有した方がいい事柄だろう。
「なら、まず俺が」
「あ、B班は後で。シャドウ関連は話がややこしくなりそうだから。……出来れば聞きたくないくらいに」
それでいいのか教官職。
……まあ、確かにややこしい出来事であったのは間違いないので、ライも素直に引く。
「てな訳でまずはA班から。リィン、お願いね」
「分かりました」
恐らく事前に察していたであろうリィンが、サラの一方的な押し付けにも戸惑う事なく話を切り出す。
「――俺達はユーシスの父親が治める州都、バリアハートで貴族派の問題に巻き込まれたんだ」
「貴族派の問題。……革新派との対立か」
「それについてはレポートに纏めておく。それよりもこの場で伝えておかなきゃいけないのは、むしろ俺達A班内で起こった出来事についてかな」
リィンはそう前置きし、ライ達B班に向けてバリアハートで起きた出来事について話し始めた。
◆◆◆
――話は5月29日、ライとアリサが鍾乳洞に隠れていた日の夕方に遡る。
リィン達はユーシスの兄、ルーファスから渡された手配魔獣の討伐依頼をこなし、バリアハート中央広場にあるホテルに帰ってきていた。
最後に終わらせたのは甲殻類と爬虫類を混ぜたような大型魔獣を討伐する依頼。しかし、その結果はとてもじゃないが"無事に"と言う枕詞を付けられないものだった。実技テストの際にサラが指摘したように、ユーシスとマキアスの共闘はまたもや失敗。その2人を庇う形でリィンが肩に怪我を負ってしまったのである。
「痛ッ!」
「リィンさん、安静にしてて下さい。応急措置をしたとは言え、まだ傷口が閉じてないんですから」
「ああ。分かってるさ、委員長」
「今、改めて怪我の治療をしますから、じっとしてて下さいね」
エマは今、上半身裸のリィンの包帯を解いていた。折角清潔なホテルに帰ってきたのだ。応急手当では不十分だった消毒や薬での治療を行うべきだと、先ほどエマがリィンに提案したのである。
側に置かれているのは消毒用の薬と治癒促進の薬。フィーが何処かから調達したそれらの薬をエマは慎重に塗っていった。痺れるような痛みとひんやりする感触がリィンの体に染み込んでいく。テーブルに全身を預け眠っているフィーの吐息がよく聞こえる中、着々と士官学院仕込みの処置をこなしていった。
「……
治療が終わりを迎えようとした時、不意にリィンの背後から不思議なワードが聞こえて来る。何の脈絡もないその言葉が気になったリィンは、顔だけを後ろに向かせた。
「委員長、今のは?」
「あ、済みません。ちょっと独り言していました。――はい、これで大丈夫です。無理をしなければ直ぐに治ると思いますよ」
さも何もなかったかのように包帯を巻き終えるエマ。リィンはその様子が気がかりだったが、本人が隠しているなら無理には聞くまいと口を閉ざす。
そんな微妙な空気になってしまった流れを変えたのは、ゆっくりと開けられた部屋の扉だった。その音にフィーが目を覚ます中、金髪の青年ユーシスが静かに入ってくる。その顔は暗く、リィンに怪我を負わせたことを悔いている様子だ。
「……傷は大丈夫か」
「ああ、今委員長が手当をしてくれたから、痛みも殆どなくなった」
リィンは心配をかけないように明るく返答する。
事実、肩の痛みは不思議と消えていた。まるで始めから傷を負っていないと勘違いしかねない程、綺麗さっぱりと。
だが、それを知る由もないユーシスには、リィンの言葉が気配りから出た空元気にしか聞こえない。故にユーシスはリィンに「今晩はあまり動かすな」と伝え、近くの椅子に腰を下ろした。
「それにしても、お前も大概無茶をする男だな。他者の為に己の身を無意識に投げ捨てられるその性格。――これでは、あの全力男を馬鹿に出来ないんじゃないか?」
「……ああ、その事は俺も分かってる。以前、老師にも散々注意されたからな」
リィンは己の師に"自分の身も省みないで何が人助けじゃ!"と叱られた過去をしみじみと思い出す。リィンが他者を庇うのは反射的なものなので今だ治ってはいないが、それでも自身の行いが傲慢なものであると言う自覚はあるのだ。
……もしかしたら、ライをこれ程までに気にかけるのは、自身も師のように伝えたかったからなのかも知れないと、リィンは心の片隅でそう思った。
「でも、私はリィンさんとライさんではちょっと毛色が違うと思いますよ。ライさんは何と言うか……どんな事にも全力を出しているから結果として無茶に繋がってるような、そんな気がします」
「暴走特急?」
「暴走って、フィー……。ああでも、確かにそんな感じかも知れない」
「ライさんって冷静な顔に似合わず、変に行動力がありますからね」
「ああ。あのライの事だから、今頃セントアークの崖から飛び降りてても不思議じゃない」
「――え? リ、リィンさん。流石にそれはないんじゃないですか? …………えと、ない、ですよね?」
尋ねるエマが段々と自信をなくしていく。
何か理由があれば130アージュもある崖に飛び込む姿が容易に想像出来るからだ。
4人もいる広いホテルの一室が、途端に静寂に包まれる。
「え、えぇっと……。それじゃあ、そろそろ私達も自分の部屋に戻ります。このままじゃマキアスさんも部屋に戻ってきにくいでしょうし。――行きましょう、フィーちゃん」
「らじゃ」
「フン、どちらにせよあの男は夜まで戻ってこないと思うがな」
自身もリィンに負い目を感じているからこそユーシスは断言した。
すると、その何時もの険悪な関係とのギャップにエマは思わず笑いをこぼし、フィーを連れて自身の部屋へと戻っていく。
紅い日も沈みかけた静かな夕方。
こうして広く豪華なホテルの一室に、リィンとユーシスの2人が残される事となった。
◇◇◇
3つのベットが置かれた大部屋に座る2人の青年。リィンはこれをチャンスだと思い、テーブル近くの椅子に座っていたユーシスに話しかける。
「――なぁ、ユーシス。1つ頼みたいことがあるんだ」
「お前が頼み事? ……大方、マキアスの態度をどうにかしたいと言ったところか」
「え? あ、ああ、正解だ」
「やはりな」
ユーシスがハーブティーをすすりながらそう答える。
クロウやライとマキアスについて調べて回ったあの日、ユーシスも心当たりがないか話を聞かれていた。そこから推理することはユーシスの頭脳を持ってすれば余裕な事だ。
「全てお見通しか。――だったら、下手な言い訳は意味がなさそうだな」
覚悟を決めたリィンがユーシスに歩み寄る。
そして、彼の正面に立ち、確たる声でこう言った。
「ユーシス。マキアスの問題を解決する為に俺に協力してほしい」
眉をひそめ、リィンの揺るぎない瞳を見るユーシス。
「……異論はない。が、その前に1つ聞かせて貰おうか」
「えっと、俺に答えられることなら」
「フッ、ただ個人的に少し気になっただけだ。――リィン、お前は何故俺に協力を求める?」
「え、何故?」
何故って、それはマキアスの問題を解決する為、それは今言った筈だ。
他になんと答えればいいのかと悩むリィンに対し、ユーシスはカップを置いて続きを話し始めた。
「これは俺の見解だが、お前は率先して解決を目指すのではなく、どちらかと言うと周りの流れを見極めて仲を取り持つタイプだ。だが、決して自ら事を荒立てようとはしない筈のお前が今、率先して動こうとしている。それは何故だ?」
「……ああ、なるほどそういう事か」
頼み事の理由ではなく、何故リィンが行動を起こそうとしているのか。ユーシスが聞きたかった事はつまりそういう事だった。……確かにユーシスの言う通りだ。何時ものリィンならこんな直接的なアプローチはせず、あくまで良き方向へと進むよう考える《重心》の役割を担う筈。
その変化の原因、当然リィンには心当たりがあった。
「これは、俺1人の問題じゃないからな」
「……それは俺の事を言ってるのか?」
「それだけじゃないさ。ライとクロウ先輩、2人の意志も背負っている」
リィンは胸の前で拳を握り、ここに誓う。
「この機会はライがつくり、クロウ先輩が繋いでくれた道なんだ。俺はそれを無駄にしたくない。――絶対に、成功させたいんだ」
そう断言するリィンに迷いはない。
ただマキアスの問題を憂いているだけじゃないのだ。今のリィンは2人の思いに背を押されているからこそ、この特別実習に賭けたいと言う熱意が心の底から沸き上がっていた。
「……あ、悪い。少し熱くなっちゃったかな」
「いや、お前の思いは十分に伝わった」
ユーシスは納得したように、深々と椅子の背もたれに体を預ける。
そしてしばし真剣な表情で何やら考えこみ、やがて方策を纏めたユーシスは、
「良いだろう。だが、奴には俺も言いたい事が溜まっている。悪いが勝手にやらせてもらうぞ」
と、不敵に微笑んだ。
◇◇◇
――そして時は流れ、月も上り始めたバリアハートの夜。
テーブルで夕食のスープをすする2人の元に3人目のルームメイトが入ってくる。覇気のない眼鏡の青年。やや下を向いたマキアスは、2人を避けるようにして自身のベットへと歩いて行く。
「帰ってきたか」
「……ああ、遅くなった」
ユーシスに目を向けるマキアスの瞳は、何時もながらの敵対的なものだ。
けれども、今のマキアスは隣に座るリィンの顔が見れなかった。
以前ライに言われた"リィンをどう思っているのか"と言う疑問と、ユーシスとの不仲のせいで怪我を負わせてしまったと言う自責の念。その2つの思いが、貴族への敵対心に染まるマキアスの心をひどく揺れ動かしていたからだ。
そんなマキアスの感情を、ユーシスは見逃さない。
「怖いのか?」
「――何?」
「己の憎む貴族像が壊されることが、それほどまでに怖いのかと聞いている」
分かりやすい煽り文句。だが、同時に核心に迫る問いかけでもあった。
それを聞いたマキアスの脳裏に一瞬、"戦術リンク時に感じた嫌悪感"がフラッシュバックする。故にマキアスの心がかき乱され、思わず声を荒らげてしまった。
「相変わらず上から物を言うのだな。貴族の御曹司様は!」
敵意丸出しの言葉を浴びるユーシス。
ここで冷静沈着に切り返した場合、いつも通りの喧騒に発展してしまうだろう。
だが、今のユーシスの目的はリィンと同じマキアスの問題を取り除くこと。だからこそユーシスは一旦瞳を閉じ、
「――ああ、それが貴族だろう」
あえて、
刹那、マキアスの思考にスイッチが入る。
今まで内に貯めていた貴族に対する怒りや憤りが、まるでダムの決壊のように溢れだし、まるでコントロールが効かない。
意識が真っ赤に染まる。思考がグチャグチャになる。その激昂する感情に突き動かされ、マキアスがユーシスの胸ぐらを唸るように掴みあげた。
「お前達貴族は何時もそうだ! 地位や名誉に固執する。それを守るためなら平然と庶民を追い詰める! どんな陰湿な手が使われたとしても、それが曲がり通ってしまう! ――だからこそ姉さんは、姉さんはッ……!!」
ユーシスの制服を掴み上げる手が激しく震え、指先が真っ青になる程に固く握りしめられている。今のマキアスにはユーシスなど見えてはいない。ただ、目の前の"貴族"に対して怒りをぶつけていく。だが、
「……、…………ぁ……」
マキアスはふと、我に返った。
自身が抱えている憎悪を無関係の人間に直接ぶつけてしまった事に気付き、急いでユーシスの胸元から手を離す。そして、後悔による暗い顔で下を向き、腕をだらりとぶら下げて謝罪の言葉を口にした。
「……済まない」
「いや、今のは俺が故意に仕向けた事だ。それにお前の考える通り、多くの貴族が
今のやり取りで、ユーシスはマキアスの確執を薄々察し始めていた。
ユーシスの推測通りなら、マキアスが貴族そのものを毛嫌いするのも無理はない話だ。同情することも容易いだろう。……しかし、それで全てを水に流すわけにはいかない。
今度はユーシスがマキアスに迫る。
「だが、これだけは言わせて貰うぞ」
胸ぐらこそ掴まないが、その整った鋭い瞳がマキアスを睨みつける。
そして、
「俺は、お前の簡易な尺で計れる程、単純な人生など送ってはいない!」
確固たる声で言い放った。
「――――っ!?」
「……それだけだ」
啖呵を切ったユーシスはマキアスから視線を外し、1人外へと向かう。
これで自分の役割は全うしたとでも言いたげな規則正しい足取り。そのままリィンを横切ったその時、ユーシスは足も止めず小声でリィンに呟いた。
「リィン、後はお前の役目だ」
「……ああ」
バタンと閉じる扉。
静かになった夜の一室で、リィンはマキアスの背中をじっと見つめた。ユーシスの啖呵を浴びたマキアスはまるで金縛りにでもあったかの様に1リジュも動いていない。だからこそ、リィンは覚悟を決め、一歩前に踏み出す。
「マキアス、夕食は食べたか?」
「…………いや、これからだ」
宙を見ながらも呟いたマキアスの返答を聞き、リィンは一旦テーブルへと足を運ぶ。そして、まだ手をつけていないスープとスプーンを手にとってマキアスへと差し出した。
「それは?」
「特製のチャウダーだ。宿の向かいにあるレストランで特別に作ってもらった」
まだ僅かに湯気が立ち上る淡いクリーム色のスープ。
散りばめられた緑の葉が美しい彩りを演出しており、その暖かな香りがマキアスの食欲を刺激してやまない。
「早くしないと冷めるぞ」
「あ、ああ、頂こう」
リィンに促されるまま、マキアスはスプーンを手に取った。
掬い上げた濃厚なスープが舌に乗る。クリームの味と共に感じる爽やかな風味、マキアスは体が暖かくなるその味に、このチャウダーが何であるか理解した。
「これはキュアハーブか?」
「ああ、よく分かったな」
「……確か、昼間レストランに訪れた時、この様なメニューなかった筈だが」
何度もスプーンを口元に運びながら不思議に思うマキアス。
リィンはそれを確認し、1つの真実を伝えることにした。
「それは、ユーシスの好物らしい」
スプーンが止まる。
「ユーシスの?」
「あのレストランのオーナーがユーシスの叔父らしくて、色々と話を聞かせてもらった」
「そ、そうなのか」
マキアスは少々戸惑いながらも納得する。だが、今の話には決定的な矛盾が存在していた。
「……ん? 待ってくれ、ユーシスの叔父だと? そんな馬鹿な。ユーシスと血縁関係なら」
「貴族じゃなきゃおかしい、だろ?」
「そ、そうだ」
「どうやら、ユーシスの母親は貴族じゃないらしい」
「――え?」
ぽかんと口を開けるマキアスを前にして、リィンは話を続ける。
「ユーシスは確かに四大名門の子息だけど、同時に平民の子でもあったんだ」
リィンがレストランのオーナーから聞いたユーシスの立場は相当危ういものだった。
四大名門という貴族社会の帝国の中でも頂点に立つ貴族の息子。けれど、平民の娘が産んだ子であるが故に父には冷遇され、頼るべき母も8年前に亡くなっている。
ユーシスの兄ルーファス・アルバレアとの関係は良好のようだが、それでもユーシスの生活は、心休まる場のない過酷なものであった。
「オーナーの話だと、そのチャウダーはユーシスの母親が風邪気味のユーシスを想って考案したものらしい。体に良いキュアハーブを食べてくれるよう、何度も試行錯誤を重ねて」
マキアスはスープを覗きこむ。
底が見えないクリームベースのハーブチェンダー。それを見ていると先ほどユーシスに言われた『単純な人生など送ってはいない』と言う言葉が浮かんできた。
……確かにその言葉通りだ。このスープはユーシスとその母親の思いが詰まった大切なもの。貴族と言う単語で括ってはいけないと、マキアスは心の底から感じていた。
そして、次にマキアスは隣に立つリィンの顔へと視線を移す。
彼もマキアスの知る貴族像とはかけ離れた真面目な人物だ。ライが言った"本当にリィンがそんな人物だと思っているのか"と言う問いにも、今なら"違う"と素直に答えられるだろう。
「……全く、完敗だよ」
静かな室内に溶けていく小さな呟き。全く嬉しくもないのにも関わらず、何故かマキアスの頬は上がっていた。
貴族はまだ憎い。だが、結局は人間の性格によるものなのだと感じ、どこか心が晴れ渡るような気分であったからだ。
ならまずは、不可抗力で否定してしまった隣のリィンに謝ろうと、マキアスは口を開く。
……こうして、ライからクロウへ、そしてリィンやユーシスへと繋げられたこの作戦は、無事、マキアスの心を解かす事に成功したのだった。
◆◆◆
「待て」
「ん? どうしたんだ、ライ?」
マキアスとの和解話をしていたリィンの言葉をライは遮る。
「マキアスの問題、解決したのか?」
「まあ、全てとは言えないけど。少なくとも、貴族だからと無条件に決めつけはしないと言ってくれたよ」
「いや、そうではなく……」
ライはマキアスの方へと目を向ける。
「む? 勘違いしないよう言っておくが、僕はまだアレがもう1人の自分だと認めていないからな!」
「いや、そうでもなく」
今、戦術リンクの話はどうでもいい。……いや、どうでもよくないが、ライが聞きたかったことは、先程まで2人が行っていた喧騒である。あれを聞いて問題が解決したと思う人間は1人もいないだろう。現にアリサもライに同意し、うんうんと頷いている。
「何だそんな事か。――実は君達を待っている最中、寮に備蓄されたコーヒーの豆が切らした事に気がついてね」
「……は? コーヒー?」
予想外すぎる展開にライは思わず聞き返した。
「そこで直ぐにでも購入しようとしたのだが……」
「お前達B班を待っている状況だったからな。紅茶の備蓄がある以上、そこまで急ぐ必要はないと俺が止めた」
「コーヒーと紅茶とでは全くの別物じゃないか!」
要はこんな単純な事で喧嘩していたらしい。
最早、確執とは完全に無縁。マキアスとユーシスが犬猿の仲だと言う事実を、ここにいる皆が理解する。
「……はぁ、心配した私が馬鹿みたい」
ため息を溢すアリサの言葉が、ライの心情を物語っていた。
◇◇◇
「それでは、次は我々の番だな」
一旦区切りがついた食堂の報告会。
リィンの話が終わったと判断したラウラが言葉を発する。
「いや、俺達が話すことはもう1つあるんだ」
「もう1つ?」
ラウラは首を傾げる。
特別実習が始まる際にあったA班の問題はマキアスの件のみ。他に何かあっただろうかと、B班の面々は不思議に思う。
「ああ、それは――」
「待ってリィン。ここからはわたしが言う」
リィンの説明を遮ったのは、普段気だるそうにしているフィーだった。
「皆にはまだ、わたしが何なのか言ってなかったよね」
フィーは普段の眠たげな黄色い目をぱっちりと開け、ショートカットの銀髪を揺らしながらB班の顔を確認する。
そうだ。ライはまだフィーについて何も知らない。何故15歳くらいの若さで士官学院に通っているのか。入学の前は何をしていたのか。その答えが今、明かされようとしていた。
「わたしは元《西風の旅団》所属。要するに"猟兵"だよ」
突如、バンと机が叩かれた。
皆の視線が反射的に音の発生源であるラウラへと集中する。
その瞳を驚愕に染まらせるラウラ。彼女は信じられないものでも見るような目で、ただフィーを見つめていた。
「…………馬鹿な、そなたが猟兵だと……!?」
そう、今ここに新たな人間関係の軋みが生まれようとしていたのだ。
一難去ってまた一難。
良好なクラスを目指すライ達の苦労は、まだまだ続く……。
原作2章を改変して1話に圧縮圧縮ゥ!
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