「全く、貴様の行動にはつくづく予定を狂わされる」
セントアーク外れの鍾乳洞内、バグベアーのリーダーがライ達に導力ライフルを向けながら、忌々しく吐き捨てた。
「俺達が伝える前に場所を突き詰める。唯一の道を塞げばペルソナを使える者だけが追ってくるだろうとの依頼主の作戦だってのに、ペルソナも使わずに乗り込んでくる。……まぁ、結果として同じだったのだから良しとして置くか」
言葉と共に、男は懐に手を入れて何やらボタンらしきものを押す。
すると、鍾乳洞全体が揺れた。
……何だ今の行動は。
ライはそれを問うものの、男は自身の話で頭が一杯なのか聞こうともしない。
「だが、貴様の持つペルソナ能力とやらが、どうしても気に食わない。単なる学生の分際で常識外れの力を持つなど、断じて認められるものかッ!」
銃口をライの頭部へと突き付け、理不尽に対する怒りを吐き出した。
ライは何時でも対処出来る様に、引き金にかけられた指に神経を集中する。だが、そんなライの緊張感を読み取ったのか、男は気分を良くして導力銃を下ろした。
「……フッ、撃つと思ったか? 案じるな、撃ちはしない。依頼主は"アレ"での戦闘をお望みだからな。俺達は戦場の死神"猟兵団"だ。報酬さえ支払えばどんな依頼だってこなして見せる。──例えそれがどんな犠牲を生もうとも」
自己に対する絶対的な自信を示すバグベアーの男。
同時にポケットから、勢い良く何か小さいものを取り出す。
導力灯に照らされる結晶状の物体。それは──
「──青い、石?」
「さぁ、おいで下さい"シャドウ様"。猟兵団として名を馳せる為、依頼を成功させる事こそ我が願い。今こそ、聞き届けたまえ!」
男はそう高々に宣言しながら、青い輝きを放つ石を飲み込んだ。
刹那、男を中心に青白い風が巻き起こる。
男の体から止めどなく溢れ出る力の奔流に、男は痛快な笑みを浮かべた。
「クッ、ハハッ! これだ、これでいい! 俺はやれる。失敗した奴とは違う。リーダーである俺なら……、オ……レ…………ガ、……グ、ア〝ァァアアアアアアアアアッ!!」
だが、その様子は唐突に変化した。男は両手で頭を抱え、もがき苦しむ様に大声で叫ぶ。
「違う! 俺、は……、そんなんじゃない! 貴様なんか、俺じゃないッ!!」
いったい何が起こっているのかは分からない。しかし、男だけが見える何かを男自身が否定した時、周囲に吹き荒れる光が赤く変化して爆発的に膨れ上がった。鍾乳洞を覆い尽くす赤い光、それと同時に男の頭から黒い水が止めどなく溢れ出す。
やがて、漆黒の水は倒れて動かなくなる男とは反対に集まりだし、1つの像を形成していく。
『我は影、真なる我……』
それは巨大な
腐りかけのものに集る矮小な蝿、男が目を逸らし、心の奥底に抑え込んだ存在がそこにいた。
『全く滑稽だなァ、俺は。猟兵団という栄誉に酔って、自分の身の程を弁えないとは』
蝿は男の声で、男の口調で醜い言葉を公然と発する。ライはこの状況に覚えがあった。かつてケルディックで遭遇したマルコの影、それと重なる光景に、今の男の行動が何であったのかを理解する。
「これが、噂の"シャドウ様"?」
「──っ! ライ、来るよ!」
巨大な蝿の姿をした影、バグベアーの影とも言うべき存在は、その4枚の羽根を羽ばたかせ、ライに一息で接近してきた。
ライは反射的に剣を抜き、高速で羽ばたく羽根と火花を散らす。
見た目より遥かに強靭だ。
ガリガリと音を立てる刀身を見て、ライは斜めに力を逸らし、辛うじて弾き飛ばした。
しかし、上方にズレたバグベアーの影は、上空をUターンして口元から緑色のガスを吐き出す。恐ろしい速度で鍾乳洞内に充実する禍々しいガス。ライとエリオットは即座に自身の口を腕で覆う。
「──これは毒、か?」
「ううん、違うみたい。けど、……ごほ……何なの、この"淀んだ空気"は……」
まるで吸っているだけで病気になりそうな空気に、ライは吐き気を催す。この行為が何の意味を持つのか分からないが、悪影響を及ぼす事だけは確かだ。
ならば今は、
「チェン『その力が気に入らない!』──ッ!?」
召喚の直前、バグベアーの影から紫の光球が放たれる。円を描くようにして迫り来る幾多の光球。ライはとっさに空中に跳ぶが、光はライを追尾してその身体に纏わりついた。
紫光に包まれるライ。
だが、まるでダメージはない。不気味な感覚だけを残し、光は音もなく消えてしまった。……一体、何をされた?
ライは空中で体勢を立て直し、エリオットの近くに着地する。
「大丈夫っ!?」
「ああ、怪我はない。──チェンジ、ティターニア!」
再度、淀んだ空気をガルで吹き飛ばそうと拳銃の引き金を引く。だが、
カチッ、と虚しい音だけが鳴り響いた。
「……召喚が、出来ない!?」
ライはその事実に動揺が隠せず、致命的な隙を晒してしまう。
その刹那、バグベアーの影が低空を滑空して胸部に突撃した。
メキメキと肋骨が悲鳴をあげ、ライの身体は鍾乳洞の天井に叩きつけられる。
「──ッ、カハッ……!!」
衝撃で肺の空気が全て吐き出される。
だが、影は今もなお突撃を続け、ライの体を潰そうとしていた。
歯を食いしばるライ。剣を握る手に力を込め直し、影目掛けて全力で剣を叩きつけた。
狙いが逸れていく影に弾き出されたライの身体が、重力に引かれ地面に落下していく。眼前に迫る岩肌の地面、ライは痛む身体を押して片手を伸ばし、辛うじて受け身を取ることに成功する。
そして、そのまま体を転がし、反転して剣を構えた。
飛来する影、重い衝撃が両手に伝わる。
「──ッ!!」
だがライは、先の痛みが原因で力を一瞬緩めてしまった。片手剣が弧を描き飛んでいく。
そして次の瞬間、影が放つ刃がごとき羽根の追撃を、ライは反射的に左腕を犠牲にして受け止めた。飛び散る血潮、鋭い痛みがライの脳髄を駆け抜ける。
『なぁ、落ちこぼれに、それも卑怯なやり方で殺られる気持ちはどうだ?』
「……何故、俺、を狙う」
『ああそれか。悪いがそれは本体が唱えた願いだ。忌々しいが、あの薬のせいで従わざるを得ないんだよ。……糞ッ、ああそうだ! そうだよな? 所詮俺は猟兵に見限られた存在だ! 落ちこぼれが力に逆らう事など始めから不可能だろ!?』
突如言葉を荒げ、落ち着きのない様子となったバグベアーの影が、鬱憤を放つ様に暴風を生み出した。
だが、直撃するその寸前、
「──眠って!」
青い水球がバグベアーの影に側面からぶち当たり、弾けた。
『なん、だ……と……?』
急速に動きが鈍るバグベアーの影。疾風は統制を失い四散した。
ライは急ぎ羽根を引き抜いて、水球が飛んできた方向、導力杖を持つエリオットがいる場所へと走る。
「はぁ、はぁ、……何とか、間に合ったぁ」
エリオットは誘拐の際に奪われた導力杖を探し求めて走り回ったのだろう。肩で息をして、疲れた顔をしていた。
「エリオット、今のは?」
「ブルーララバイ、敵の精神に干渉して強制的に眠らせる
「いや、そうじゃなく──」
ライは、動きが極度に遅くなったバグベアーの影へと視線を移す。この不可解な状況はいったい……。
「それよりもライ! 今のうちに早く逃げよう!」
「あ、ああ」
エリオットの言葉に動かされる形でライは剣を回収し、動かない影を置いて鍾乳洞の細道へと走って行った。
◇◇◇
──数分後。
「……ここも、道が塞がってるね」
「先に押されたボタンは、どうやら退路を塞ぐ爆弾の起爆装置だった様だな」
何度目かの崩れた道を確認したライ達は、その物影に隠れて休憩していた。ライはシャツの一部を切り裂き、ばっくりと割れた左腕の止血を行う。
「今、治療を行うよ」
「ああ、助かる」
そして、即席の包帯の上から導力杖で治療を行うエリオット。
暫くの間、導力杖から漏れる淡い光がライを照らし、痛みが段々と和らいでいく。
これで、外傷の応急措置はある程度出来ただろう。そう、あくまで外傷は。
「……まだ、ペルソナ使えないの?」
「ああ、まだ呪縛が解ける様子はない」
ライは自身の内に感覚を研ぎ澄ませた。バグベアーの影が放った紫光の魔法《マカジャマ》。その力によって、ライの心が鎖の様なものでがんじ絡めに縛り付けられていた。
これは、"魔封"と呼ばれる状態異常だ。心の力を封じ、ペルソナの召喚と使役を封じる魔法。それが原因で、今のライはペルソナと言う超常的能力を一切使う事が出来なかった。
ならば、魔封が解けるまで逃げ続ければいいのだが、そうも行かない理由が1つある。
「恐らく、この空気の中での回復は難しいな」
落ち着ける時間を得て漸く分かったが、どうやらバグベアーの影が広めたこの《淀んだ空気》は、中にいる者の抵抗力を著しく下げる効果があるらしい。だからこそ、魔封などの身体の異常を引き起こす魔法を受け易くなり、同時に治りも遅くなる。
「で、でも、ここが鍾乳洞のせいで全然換気されないじゃないかっ! このままじゃ!」
「ああ、ペルソナが使えない戦いになる」
ライは剣の柄を固く握りしめた。
旧校舎でも、ケルディックでもライの決定的戦力となっていたペルソナが使えない。それはライがやや身体能力の高い一般人程度の力しか発揮出来ない事を意味していた。
──けれど、それで臆する訳にはいかない。
暗がりから外を探るライを見て、エリオットはライの意図を察する。
「……ライは、それでも戦うつもりなんだね」
「当然だ」
ライは応急措置をされた左腕を見つめながらそう答えた。はっきり言って、怪我を負った現状での勝率はほとんどない。それでも、逃げるつもりは全くなかった。
「…………」
しかし、その返答を聞いたエリオットは口を閉じ、静かにライに背を向けてしまう。
何かを我慢するかの様にきつく握られている拳。ライに見えるのはそう言った断片的な情報だけだったが、エリオットが今の話に賛同していない事だけは容易に理解出来た。
「……本当に、分かってないよ」
エリオットの震えた声が漏れる。
その声に込められた不満や怒りが、音となってライの鼓膜を震わす。
そして、ついに──
「ライは何で皆に心配されてるのか、全然分かってない!」
エリオットの感情が爆発した。
鍾乳洞に響き渡る声と共に振り返り、ライの肩を全力で握りしめる。
だが、ライはそんなエリオットの剣幕に対し、問題があるだろうか、と一瞬考えてしまった。そして、疑問に感じてしまう自分に気づき、この問題の根深さを改めて思い知らされてしまった。
自身の問題を感じ、思わず視線を落とすライ。けれど、何時までも黙っている訳にもいかない。
「……原因は理解してる。俺の普通が普通じゃない事くらい」
「だったら、行動で示さなきゃ駄目じゃないか! ケルディックの時だって1人でシャドウと戦うし。……そりゃ、あのときは僕達もライを信じてなかったけど、だからって無謀な戦いをしていい訳じゃない。そんな生き方じゃ、何時死んでもおかしくないよ!」
ライの身を気遣っているからこそ、今エリオットは怒っているのだろう。その事をライも理解している。だからこの叫びが最もな内容だと思うし、申し訳なくも感じる。しかし──
「それでも、俺は全力で前へと進む道を選びたい。前に進まなけらば、何も得られない」
「……ライ、それ、もしかして記憶喪失、だから?」
「さあ、な」
今となっては何故そう考えるようになったか分からない。だが、この考えは常にライの根底にあった。サラの言う無茶を"生む"原因が常識のズレにあるのなら、理解しても無茶を"止められない"原因はこのスタンスにあると言えるだろう。
何度考えてもこの立場だけは変えられないのだ。
道理じゃない、心の底で"誰か"が叫んでいる。進まねばならないと。これこそがライの道なのだと。
これが我儘だとライ自身も分かっている。だからこそライは探さねばならない。夢の中でイゴールが言っていた様に、これらの矛盾を解く納得のいく回答を。
(何時死んでもおかしくない、か)
ライは先のエリオットの言葉を思い出す。
そもそも、何故ライは今まで生き延びてきた?
……明確だ。ペルソナがあったからだろう。この矛盾を生んだ原因でもあるが、ペルソナを使えたが故に、武術の心得を持たないライでもシャドウと互角に渡り合えていた。
(──ん? いや待て)
本当に、渡り合えたのはペルソナがあったからか?
引っかかりを覚えたライは、再び深く考える。
1つ目の試練、旧校舎では確かにペルソナが逆転のきっかけとなった。自身を助けようとした先輩達を守るため、銃の引き金を引いた記憶は今も鮮明に思い出せる。
では、2つ目のケルティックは? そこまで思考を進めた時、遂にライは1つの答えへと辿り着いた。
「……そうか」
「ライ?」
不思議そうなエリオットを他所に、ライはおもむろに立ち上がる。
「サラ教官の出した課題の答え、ようやく分かった」
思い返すはマルコの影と戦っていた時の記憶。
あの時、ライはペルソナを使っていたが、それでも負ける寸前まで追い詰められていた。──限界だった。それでも、ライはマルコの影相手に勝利を掴んでいた。
「思えば簡単な事だ。俺の限界が認識よりも低く、結果として無茶に繋がるからと言って、諦めるだけが答えじゃない。──
「……ぼ、暴論だよ。人がそう簡単に強くなれる訳がない」
「確かに、1人ならな」
戸惑うエリオットにライはそう笑いかける。
"何故、マルコの影に勝てたのか"、そこにヒントがあった。
最初、ラウラが炎を防いでくれた。
エリオットが治療をしてくれた。
アリサが矢で炎を逸らしてくれた。
最後はリィンと共に戦った。
──それが、ライの限界を超えて勝利へと結びつけた。1人での限界も、仲間がいれば限界じゃなくなる。そんな在り来りで子供っぽい考えが、ライの答えだ。
「力を貸してくれ、エリオット。その力の分だけ、俺は限界を越えられる」
そう力強く語りかける。
エリオットに向け差し出される右手。エリオットを見るライの瞳は、どこまでも淀みのない青色であった。
◇◇◇
程よい広さの鍾乳洞に、ライとエリオットの2人が静かに立っていた。
その手にはそれぞれ武器を持っており、その意識を鍾乳洞の奥へと集中させている。
肌を撫でる冷気、お互いの呼吸音と水滴の音だけが聞こえる静寂の中、例の影が飛んで来る瞬間を待ち続ける。
と、その時、
『──そこにいたか!』
奥の曲がり角から、淀んだ風を携えて巨大な蝿が飛んできた。
「……き、来た。大丈夫なの!? 僕はリィンみたいに前線で戦ったりは出来ないのに!」
「リィン達の代わりはしなくていい。エリオットはエリオットのやれる事をやってくれ」
そう一言残し、ライは前に駆け出す。
防戦一方を回避するためには、ライ自身が積極的に攻める姿勢が効果的だからだ。
蝿の硬質な体とライの剣が衝突し、金属の摩擦が引き起こす火花が鍾乳洞を照らす。
反動で引き離される両者。先に動いたのは空中で動くバグベアーの影であった。……が、
「──ゴルドスフィア!」
エリオットが空属性の導力魔法《ゴルドスフィア》を発動させた。
エリオットの正面に浮かぶ金色の
やがて、影の視界が元に戻った時には、既にライの姿はどこにも存在しなかった。
『なっ、奴はどこへいった!?』
バグベアーの影は慌てて左右、後方と周囲を見渡す。
だがその瞬間、頭上の天井を蹴る音を影は聞いた。
そう、ライは壁を駆け上がっていたのだ。
天井を蹴り飛ばした反動を利用し、落下の勢いとともに剣で叩き落とした。その衝撃で辺りの水滴が飛び散る。
「やった!?」
「いや、刃が通らない」
影の外殻で止まっている剣の刃を見て、ライは苦々しくそう言った。
何て防御だ。いや、もしかすると耐性か? どちらにせよ、剣が効かないのでは倒し様がない。
とその時、地面と剣でサンドイッチにされた影が動き出した。
『俺1人に2人がかりとは、貴様らも中々に卑怯だ。……OK、だったら見せてやる。真の落ちこぼれの戦い方って奴をなァ!』
地面に押しつぶされたシャドウが叫ぶ。
それを聞いたライは反射的に距離をとった。マルコの影の反撃を経験したが故の行動、しかし今回それは悪手となる。
バグベアーの影が
その狙いは防御するライやエリオットではなく、その後方にあった幾つもの導力灯だった。
(まさか光源を!?)
光を全て絶たれたライ達の視界が真っ黒に染まる。
バグベアーの影が全く見えない。手元さえ見えない完全な闇。いったい何処から攻めてくる?
そんな闇雲に防御を固めるライを嘲笑うかのように、バグベアーの影が大きく宙を迂回しながら突撃してきた。だが──
「──ライ! 右側だよ!」
エリオットの叫びを聞いたライは寸前でそれを剣で受け流し、さらに上半身を逸らして羽根の刃を寸前で躱す。
頬に刻まれる赤い鮮血の切り傷。その勢いのままエリオットの声がした方向に跳び下がり、今の言葉の意味を聞いた。
「見えるのか!?」
「ううん、何となく音が聞こえたんだ」
「……音?」
耳を澄ますが、ライには全く聞こえない。
もしや吹奏楽部であるエリオットにしか聞こえない僅かな音を、影は発しているのだろうか。
……どうでもいい。一寸先も見えないこの状況下では、エリオットの聴覚に頼るしかないのだから。ライは頬の傷を手の甲で拭い呼吸を整える。
「エリオット、来る方向を教えてくれ」
「う、うん!」
目の前の物すら見えない暗闇の中で、ライとエリオットは武器を握りしめた。
◆◆◆
エリオットの手は緊張の汗でベトベトだった。
ライを執拗に攻撃するバグベアーの影から守るには、その僅かな音を位置も含めて聞き取らなければならない。もし失敗したらライが死んでしまうかも知れない。そんな極度の緊張がエリオットの心拍数を高めていた。
そして、今の作戦にはもう1つ問題があったのだ。
「左の足元!」
「──ッ!」
剣を地面に突き刺した音、そして寸前で影の攻撃を防御した剣の擦れる音が聞こえてくる。……そう、聞いたとしても、伝えるために叫ばなければならないのだ。これでは何時か間に合わなくなってしまう。そんな不吉な予測を回避するため、エリオットは必死で考える。
どうにかして、ライにこの音を伝える方法はないか。
そんな都合のいいものがある筈ないと諦めかける自分を押して、全力で考え続ける。そして──
1つだけあった。
一瞬のタイムロスもなくライに音の位置を伝える方法が。
戦術リンクという、互いの感覚を共有するARCUSの機能が!
それに気付いたエリオットの手が震えた。確かに戦術リンクを使えば感覚の共有によってライに音を直接伝えられる。例えリンクが切れても再び繋ぎ直せばいい。……けれど、本当に自分に出来るのか? とエリオットの思考がぐちゃぐちゃになる。
「どうした、エリオット!」
そんなエリオットを心配するライの声を聞いて、エリオットは手を痛いほど握りしめた。
もう、考えてる時間はない。──進むしか、道はない!
「ライ、戦術リンクだ!」
「戦術リンク?」
「いいから早くっ!」
「あ、ああ!」
──リンク──
真っ暗闇な鍾乳洞の中、灯る2つの光。
今ここにライとエリオットはARCUSを通して、"繋がった"。
◆◆◆
……気が付くと、エリオットは白い空間に立っていた。
先の戦いが嘘のような静寂に包まれた空間。
我を取り戻したエリオットは、急ぎ大きな扉へと駆け寄って、何度も両手で強く叩いた。
「ねぇ、早く戻してよ! 早くしないと、ライが……!」
エリオットの心に焦りだけが募っていく。
すると、その感情に呼応する様に扉がゆっくりと開き、その中からエリオットと瓜二つの少年が姿を現した。
『何だよ。そんなに熱くなっちゃってさ……』
もう1人のエリオットと言える少年は、地面にだらんと手足を投げ出してエリオットを見つめていた。まるで覇気が感じられない。諦めや怠惰を体全体で表現してるかの様に無気力なもう1人のエリオット。そのあまりにも冷静な表情にエリオットは思わず言葉を荒らげる。
「焦りもするよ! 今現実じゃ友達が死んじゃうかも知れなのに! なんで君は──」
『何でそんなに冷たいのか、だよね。よーく分かるよ。だって僕は君なんだから』
「だったら!」
この焦りも分かる筈だろ、と言うエリオットの剣幕も何処吹く風。
逆にもう1人のエリオットは半開きの瞳をエリオットに向け、単調な声で問いかけた。
『むしろ、なんで頑張ろうとしてるの? 頑張ったところで欲しい結果は手に入らないのに』
「……え?」
言葉に詰まるエリオット。この少年は何を言っているのか、とエリオットの思考が追いつかなかったからだ。
『ホントに出来るとでも思ってるの? 小さい頃からの夢すら突き通せない軟弱な僕が? あはは、面白いや』
もう1人のエリオットは単調に笑うふりをした。
焦るエリオットの感情は全て徒労であると言いたげに。
『だからさ、諦めちゃおうよ。出来もしない事で苦労するくらいならその方が楽じゃない? 戦ってるライも、音楽の夢も、みーんな諦めちゃえば苦しむ必要もないんだよ?』
「い、嫌だ。例え出来なくても、僕はまだ全てを諦めたくない!」
悪魔のような誘惑をするもう1人のエリオット。
夢も希望も諦めて、ただ楽に流される生活をしようと説く彼の言葉は、エリオットにとって受け入れがたい提案であった。
だが、否定するエリオットの足元が、不意にずぶりと沈み始める。
「な、なんだよこれ……」
段々地面に飲み込まれていく。
抗えば抗うほど底なしの沼に嵌っていく状況に、エリオットは本能的な恐怖を感じた。
『いくら頑張ったところで深みにハマるだけなんだ。上手くいく事なんて何もない』
「みんなも頑張ってるのに、僕だけ諦めるなんて出来ないよ!」
『音楽の道を目指しても、力を身に付けようとしても、友を守ろうとしても、全部無駄さ。どうせ失敗するに決まってる』
「違う! 僕にだって出来ることは──」
いくら無力感を感じていても、全てを諦める事だけはしたくないとエリオットは叫ぶ。
しかし──
『何もないよ』
「…………っ!!!!」
目の前の少年は、そんなエリオットの希望を切り捨てた。
硬直するエリオット。そのまま胸近くまで沈んしまう。
だが、そんなエリオットの思考は、もう1人の自分に対する否定の言葉で埋め尽くされていた。
(僕はあんなんじゃない。僕はまだ諦めたくない。僕はまだ──)
夢に希望を抱いている程に、抜け出せない行き詰まりへと沈んでいく。遂に全身沈みかけたエリオットの脳裏に、過去の思い出が走馬灯のように蘇った。
"音楽って楽しい?"
"うん!"
母と過ごした音楽の時間。
これを捨てたいと思う自分なんてあり得ない。『でも、結局は父さんに否定された』
"士官学院に行っても音楽頑張れよな!"
"……そのつもりだよ"
共に音楽院に行く約束をしていた友人達。
音楽院には行けなかったけど、音楽は諦められなかった。『遊びの音楽に何の価値があるの?』
"俺はリィン。よろしくなエリオット"
"うん、よろしくねリィン"
入学式の日、新しく出来た友達。
ここでもやっていけるんじゃないかって、そう思った。『軟弱な僕に出来ることなど何もない』
"力を貸してくれ、エリオット。その力の分だけ、俺は限界を超えられる"
そう言ってくれたライ。
自分を信頼してくれる存在を、見捨てたくはない。『助けることなんて出来やしない』
ぐるぐると思い出すエリオット。
そして最後に──
"──帝国男児たるもの、自らの弱きを受け入れ、強く在れ!"
父の言葉を思い出した。
それが直前の走馬灯、ライの言葉と結びついた時、エリオットの中で何かが噛み合う音がした。
…………
「……そう言う、事だったんだね」
体の沈下が止まったエリオットが小さくそう呟く。
それを不審そうに見るもう1人のエリオットに向けて、一歩前に踏み出した。
「僕はもう、自分の弱さを分かっているつもりだった。無力感なんて痛いほど感じているから」
『そうだよ。だから諦めようよ。だって凄く痛いんだから』
沈んだエリオットの体が、踏み出す度に段々と浮き上がる。
「でも、そうじゃなかったんだ。父さんが言いたかった事は、無力な自分を悲しんで心の奥に封じ込めることじゃない。自分の中に無力な部分があっても良いんだと、僕自身が認めて受け入れることだったんだ」
父の言葉を思い出し、自らの踏み出す道を見出したエリオット。
その一歩一歩は力強く、そして確かなものだ。
「そうすれば僕は弱さを、限界を補って強くなれる。ライが言ってたように仲間と欠けた部分を補い合ったりして」
人は1人で完全にはなり得ない。自身の弱点をいくら悲観し、消し去ろうとしても決して無くなる事はない。しかし、他者と欠けた部分を補い合う事は出来る。前に進むことは出来る。自身の弱さを受け入れる事は、エリオットにとってその第一歩なのだ。
「僕が今することは諦めることでも、まして君を否定することでもない。──今僕がすべきことは、君を受け入れること。諦めたいと思う
認めよう。全てを投げ捨てたいと思う弱い自分が内にいる事を。
そして──
「一緒にいこう」
弱さを身に宿したまま、前に進んでいこう。
父があの時言った強さとは、多分そう言う事なのだから。
エリオットは矛盾を抱えたまま生きていく事を宣言し、もう1人のエリオットの手を両手で掴んだ。地面にだらりと倒れたもう1人のエリオットは、握られたその手をじっと見る。
『……それが
すると彼は淡い光となって、エリオットの中に消えていく。
──自分自身と向き合える強い心が、"力"へと変わる…………。
◆◆◆
一方その頃、鍾乳洞にいたライは意識を失ったエリオットの感覚を頼りにバグベアーの影と戦っていた。
「ARCUS駆動……。ファイアボルト!」
導力魔法を発動し、音の方向へと火炎の弾を放った。
一切の光が存在しない鍾乳洞を奔る一線の赤光。それが空中にいる影に衝突し、一際大きな爆発へと変わる。
次はどこから来る? 右か、左か、それとも上か。
ライはARCUSから伝わってくる僅かな感覚へと意識を集中させる。
と、その時、
《2時の方角から、3秒後に来るよ!》
先を思い出されるエリオットの声が、直接ライの脳内に響き渡った。
「──ッ、了解!」
ライはその言葉を一瞬も疑うことなく、ピンポイントで剣を振り抜いた。
剣を通して伝わる痺れる様な衝撃。全体重を掛けた渾身の一撃は、一瞬の均衡の後、バグベアーの影を周囲の空気もろとも弾き飛ばす。
「助かった、エリオット」
その反動で数m後ずさりをしたライは、剣を構え直して視線をエリオットへと向ける。
──そこには、青く輝く焔を携えたエリオットが立っていた。
エリオットの頭上には彼のペルソナが佇んでいる。吟遊詩人の格好をしたマント姿の男、その両手にはバイオリンを持ち、体のないマントの中にエリオットがすっぽりと入っている。
どうやらエリオットもペルソナ使いになった様だと、ライは僅かに微笑んだ。
封魔でペルソナを召喚出来ない現状、あのペルソナが唯一の突破口であるからだ。
「決め手を任せられるか?」
「ううん、それは無理そう。僕の"ブラギ"は戦闘向けじゃないみたいだから」
だが、その考えは早急であった。
戦闘向けじゃないペルソナ。アリサの事例を思い出したライはエリオットも補助系なのかと考える。
……けど、エリオットの話には続きがあった。
「でも大丈夫だよ。今の僕には全てが聞こえる。──あの影の場所も、この鍾乳洞の形も、その先の何もかも」
エリオットは己のペルソナ、ブラギを通して周囲のあらゆる事象を感知していた。
そう、これは戦闘特化でも、まして補助系のペルソナでもない。……これは、周囲の状況を探知し分析する、
「行くよ、ライ! 僕達でこの戦いを突破するんだ!」
「ああ、元からそのつもりだ」
最早、この暗闇はライ達の障害になり得ない。
それぞれの問いに答えを見出した2人の反撃は、今この瞬間から始まるのだった。
隠者:バグベアーの影
耐性:斬撃耐性、???
スキル:淀んだ空気、マカジャマ、パワースラッシュ、マハガル、バステ成功率UP、???
男はかつて夢見た猟兵団になれなかった。その身を蝕む劣等感、突き付けられた"落ちこぼれ"と言うレッテル。しかし、男は諦めなかった。猟兵団くずれの男達を集め、バグベアーと言う傭兵集団を結成した。だからこそ心の底に封じてしまったのだろう。自分が落ちこぼれだと言う自虐的な感情を……。
法王:ブラギ
耐性:―
スキル:ハイアナライズ
北欧神話における詩と音楽の神。オーディンの息子で、英雄の武勲を歌う役目を担っていた。彼の歌は花を咲かせ木の芽を芽吹かせる力があり、春を到来させる豊穣的性質を持つとされる。
法王(エリオット)
信頼や社会性、優しさを示すアルカナ。逆位置では怠惰や逃避を表している。慈悲の象徴である教皇と双子の聖職者がモチーフにされており、この構図は悪魔のタロットと対になっている。エリオットがもう1人の自分の誘惑を"悪魔"と称したのも、この様な関係性が関わっているのかも知れない。