「っ………………ずいぶんと衰えたもんだな。参ったよ、不甲斐ない」
「切嗣、もう少しでマダムが到着します」
冬木市郊外にある広大な森、鬱蒼と生い茂る木々の奥地にアインツベルンの城は存在している。たった四人が過ごすには不要なくらいに巨大な建築物、自らの威光を他に知らしめることを好むアインツベルンらしい派手な本拠だった。
その城の一室にて『魔術師殺し』、衛宮切嗣は痛々しい姿で座り込んでいた。ボロボロに焦げたコート、そこから覗く腕から流れ落ちる血液は床を染めている。空気を汚す、肉の焼けた匂いはとても不快だった。リーゼロッテの起こした爆発にやられたのだ。
「まさかあの決闘が僕を誘きだすためのモノなんて想像もできなかった。若い魔術師のくせに油断ならないな、いや助言者がいると考えるのが自然か」
派手にやられたものだと自笑する。全身の火傷と加速魔術の反動、特に左腕は骨だけで繋がっているような状態だ。治療の宛てはあるものの決して安いダメージではなかった。
それでも死ぬような傷ではないし、このぐらいで取り乱す切嗣ではない。とりあえず一服しようかと残った右手でタバコを口へと運ぶ。舞弥に呆れた顔をされたがクセなのだから仕方ない。しかし、その試みは乱入者によって中断されることになる。
「切嗣っ、怪我をしたと聞いたのだけど大丈夫なの!?」
「やあ、アイリ。あんまり大丈夫じゃあないかな、だから君に知らせたんだよ」
ドアを蹴破らん勢いで入ってきたアイリスフィールに苦笑しながら、切嗣はタバコをポケットへと戻した。
「ひ、酷い怪我じゃない…………やっぱりあの爆発に巻き込まれたのね」
「うーん、巻き込まれたというより僕を狙ったものだったからね。どうもリーゼロッテ・ロストノートを見くびり過ぎたらしい、おかげでこの様さ」
「あ、あの爆発の中心にいたの!?」
子供のようにコロコロと顔色を変える彼女に切嗣は優しく微笑んだ。そこそこの魔術師である自分はこの程度で命を落とすなどありえない、それを理解しているのにアイリスフィールは切嗣の傷を本気で心配してくれているのだ。
「セイバーはどうしたんだい?」
「席を外してもらっているわ、きっと『アレ』が治療に必要だと思ったから」
「上出来だ、アイリ」
今から行う光景をセイバーに見せるわけにはいかない。
アイリスフィールはゆっくりと身体から『何か』を取り出そうと魔力を流す。黄金の光が彼女から漏れだしてくる、それは神聖な魔力の奔流だった。そしてバラバラだった欠片が集まるように切嗣の目の前に『黄金の鞘』が姿を現した。妖精文字が刻まれた伝説の宝具、この世界において最高の護りを誇る彼女の切り札。
「『
「そうね…………セイバーには悪いけど、まだ彼女には返せない宝具。最高の治癒力を持ったエクスカリバーの鞘、これなら貴方の傷も簡単に治せるはずよ」
黄金の鞘が身体へと同化していく、それと同時に傷が完治していくのを切嗣は感じていた。すでに軽い火傷は消えている。凄まじいまでの治癒力、まさに伝説の騎士王アーサー・ペンドラゴンの常勝を支え続けた最強の宝具に間違いない。
「ねえ、セイバーも貴方を心配していたわよ」
「…………そうか」
「切嗣はセイバーと仲良くするつもりがないのは理解したけど、このままで私たちは戦えるのかしら?」
「問題ないさ、君たちはあくまでも囮だ。本命は僕と舞弥による奇襲と狙撃、アレとは今の距離感がちょうどいい」
戦場にて味方との信頼とコミュニケーションを捨て去る行為。それが如何に愚かなのか切嗣は理解している。しかし英雄という概念への憎しみ、確かなモノを後世に託した彼らへの羨望、決して折れない信念への恐れ。様々な要素がセイバーから切嗣を遠ざける。
何よりも薄汚い暗殺者と高潔な騎士王がうまくいく訳もない。そう結論付けることで逃げているのだ。本当に自分は弱くなってしまったと切嗣は心の中で笑う、独りで戦う方が遥かに楽なのだ。
「そういえば、アイリ。なんでセイバーを始めから伴っていなかったんだい?」
とりあえずセイバーとの仲についての話は終わらせたかったのだが、話題の微妙な転換だった。どうもアイリスフィールを前にしていると調子が狂う。
しかし目をぱちくりとした後、そっと指を唇に当てるアイリの姿で切嗣は更に心乱されることになる。
「だって、私はあなたの奥さんですもの」
「…………あははっ、そうだったね。君は僕の大切な奥さんだったよ」
銀色の髪を靡かせて、真紅の瞳で微笑むアイリスフィール。自分に向けられる混じり気のない純粋な好意、妖精のように無垢な姿に切嗣の心は締め付けられる。この妻を犠牲にして、最愛の娘から母を奪ってまで朽ちかけた『理想』を追い求める自分。切嗣は間違いなく最悪の選択をしようとしている。
「ありがとう、アイリ」
「どういたしまして、切嗣」
だが衛宮切嗣は止まらない。
今までに背負った罪を精算するために走り続けなければならない。例え心がどれだけ壊れようとも『世界平和』を聖杯によって実現しなければならないのだ。誰よりも人間らしい心を持った彼は、壊れかれた機械のように銃を握り締め魔術を使う。父へ母へ、そして手にかけた人々のためにそうでなければならないのだ。
ーーーどんな手段に頼ろうとも必ず聖杯を。
それが衛宮切嗣の掲げる祈りの全てだった。
◇◇◇
「どうぞ、我が主」
「ありがと、ようやく落ち着けたよ。今夜は本当に色々あったからねぇ…………ふぅ」
ここはリーゼロッテが購入した屋敷。周囲に結界を張り巡らせたランサー陣営の拠点である。やたらと部屋がある豪邸であるが、実際に使用しているのは数部屋だけだったりする。その二階にある一室でリーゼロッテはベッドに座りながらランサーからカップを受け取っていた。
「うん、美味しい」
アプリコット柄の可愛らしいティーカップに注がれているのは緑茶だった。西洋カップに日本茶、この国の人間が見れば首を傾げる組み合わせも外来人である二人には無関係な話だ。先程までの戦闘が嘘であるかのようにリーゼロッテはお茶をゆっくりと口にしていた。
しかし、ここから始められるのは穏やかな会話ではないだろう。
「さて、要するに君は平行世界からやってきたサーヴァントなんだね?」
「…………はい、その通りです」
重々しい口調でランサーが頷いた。
彼が入れてくれたティーポットはミニテーブルに置かれ、ランサー自身は片膝を付いて従者としての姿で控えていた。力強く拳を握りしめ、苦悶の表情をひた隠しにしながらランサーは口を開いた。
「俺は一度この聖杯戦争に参加しました。そして破れたのです、無様に醜く最悪な形で敗北した。…………そして聖杯に吸収され、霊核が崩れ落ちる瞬間に」
「私の元に召喚されていた?」
「…………はい」
ディルムッドは一度、この聖杯戦争を経験している。曖昧な『記録』ではなく、確かな『記憶』がこの身に刻まれているのだ。しかしリーゼロッテには隠していた、平行世界などという場所を経由した経緯を説明しても信頼してくれる確証などなかったからだ。あまりにも突飛、神代を生きたランサーでさえも経験したことのない事例だったのだ。
しかし最早、秘匿すべきではない。あのアーチャーがリーゼロッテに興味を持ってしまった。正史から外れた現在、ここから先はランサーだけでは手に余る。
そして何故、アーチャーが正体を見抜けたのかの理由は恐らく『半人』という要素が共通していたからだろう。
『うーん、私の一族? フラガ家と似たようなものかなぁ、宝具なんて物騒なモノは受け継いでないけどさ。過去の遺物を伝えるってところは本質的には同じかもしれないね』
時計塔にて聞いた言葉が甦る、通常のマスターより優れた特性もアーチャーの食指を動かしたという意味ではマイナスでしかない。しかし、その不安とは真逆にリーゼロッテはのんびりした様子でお茶を啜っていた。
「なるほどねぇ、あの『偏屈爺』め。召喚の儀式中、唐突に私の術式へ干渉してきたと思ったらそういうことか。…………愉快犯としか思えないよ」
「あの、主?」
「何でもない、君の状況を招いた犯人が分かって納得しただけさ。正直に話してくれてありがとう。でも心配は無用だよ、『シュバインオーグの弟子』は常識を超越した出来事に対する耐性が高いからね。この程度は飲み干せる」
何事かを思い出して頷くリーゼロッテ。ともかく、平行世界から召喚されたことを納得してくれたらしい。この話の早さはランサーとしては予想外だった、少なからず不信を買うと覚悟していたのだから。
しかしおかげで幾分、精神の負担が軽くなった。今ならケイネスやソラウのことも話せるかもしれない。
「リーゼロッテ様、前回の聖杯戦争で俺は…………」
「ストップ、根掘り葉掘りは尋ねない。…………もう魔力が少なくて眠いんだ」
小さなマスターはベッドに転がって頭だけをこちらに向けた。ふわふわした金髪を投げ出して、ぐでっと脱力している。その様子にランサーは更に毒気を抜かれてしまう。この国に来た時、あれだけ覚悟していた自分は何だったのだろうか。
「つまり私が知りたいのは、敵マスターとサーヴァントの情報。そして今後の聖杯戦争の展開さ、それだけを朝までに纏めておいて。…………だから、そんなにツラそうな顔をしないでよ、私の騎士様」
「…………我が主、俺は貴女に会えてよかった」
「あー、私はもう寝るから!」
ランサーの声を遮るように「おやすみ!」と叫んでリーゼロッテは毛布に潜り込んでしまった。どうやら再び自爆してしまったらしい、隠された顔はゆでダコのごとく真っ赤だろう。「やれやれ」とランサーは部屋の電気を消した。サーヴァントに睡眠は必要ないのだから、今のうちに明日知らせることを纏めておくべきだろう。
物音を立てないようにランサーはリーゼロッテの寝室から退散する。そして部屋のドアを閉めた時、微かな声が鼓膜を揺らす。
「案外、このFate(運命)は私じゃなくて君のためのモノなのかもしれないね。…………きっとそうだよ、ランサー」
続けて「おやすみなさい」とリーゼロッテは呟いた。すぐに小さな寝息が部屋の中を満たすのをランサーは一歩も動かずに聞いていた。たった一筋だけ、その頬を濡らしていた光を拭い去る。
「本当に、貴女に会えてよかった。…………俺の魂は救われた」
騎士として主に忠義を捧げる、その願いは今度こそ叶ったのだろう。
聖杯戦争の全てを憎み、あまつさえ好敵手と認めたセイバーに罵声を浴びせ、英霊としての格すらも自ら傷つけ消滅の途に着いた。そんな終わりから自分を救い出してくれた彼女にはいくら感謝してもしきれない。できれば聖杯戦争から彼女を遠ざけたかった、それが怨嗟の蠢いた聖杯戦争からマスターを護る最も確実な手段だったのだから。
だが、彼女の『願い』は聖杯でなければ叶わない。ならばディルムッドがリーゼロッテの恩義に報いる方法はただ一つ。
ーーー今度こそ聖杯を主に
それがディルムッド・オディナの捧げる悲痛なまでの祈りの全てだった。