「何なんだ、お前は?」
切嗣の起源である『切断』と『結合』。
その二つを内包した特殊な弾丸は魔力を介することにより、対象の魔術回路を文字通りに組み替える。すなわち魔術師によって神経にも等しい器官を一度、切り裂いた上で繋ぎ合わせるのだ。
そして起源弾の悪辣さは、この一連の過程において『元通りには回路を戻さない』ことにある。まるで医師免許のない素人がデタラメに外科手術をするように、回路を再生させるのだ。故に魔術回路は正常な流れを完全に失い、行き場を無くした魔力は暴走し、全身を自らの魔力がズタズタに引き裂くことによって魔術師を自滅させる。
命中すれば、二度と魔術回路は役に立たなくなる。つまりそれは大抵の場合、対象にとって『魔術師としての死』を意味した。だが、
「ーーーっ、が、ぁ……ッ!」
自らの腹部から生えている『透明な刃』に、切嗣は苦悶の声を上げる。最新鋭の防弾チョッキとまではいかないが、一応はそれなりの防具をスーツの下に仕込んでいたはずだ。それを易々と貫いてきたコレは尋常なモノではない。更なる出血を覚悟して刃から身体を引き抜くと、やはりおびただしい量の血液が地面に撒き散らされた。痛みとダメージで脱力した片膝が地面につく。
そんな男の様子を見て、金髪の少女は幽鬼のように笑う。
「あ、ははっ……恐らくは骨か血液、そのあたりを弾に仕込んでいたといったところだろうね。起源そのものを剥き出しで武器として使うなんて馬鹿げてる。確かに君は魔術師じゃない、正しく魔術使いだ」
「っ、それがどうした。魔術なんて所詮は単なる道具だろう。そんなことより、どうしてお前はまだ魔術を使える……ッ」
有り得ないことだった、今の一撃で確実に仕留めたはずだ。起源弾は間違いなくその効果を発揮し、全身の魔術回路を破壊している。それなのに反撃されるとは、どういうことなのか。まだ魔力が生きている、魔術師としてリーゼロッテは死んでいないということになる。
そこまで思考を及ばせて、リーゼロッテのドレスから輝く何かが零れ落ちていることに気づく。色とりどりのガラスのような欠片たちの正体にはすぐに思い至った。迂闊だったと切嗣は歯を食いしばる。
「それは宝石の欠片、か」
「ご名答、君が何らかの形で魔術回路を破壊する術を持っているのは知っていたからね。その結果さえ分かっていれば対策まではいかなくても、予防法くらいは用意できるものさ‥‥っ、げほっ‥‥ご、ほっ」
「魔力を結界に流し込む前に、宝石を介していたのか……それなら僕の起源が完全には届かない」
「決して安くはなかったが、それでも再起不能にされるよりはマシさ。この戦闘で使用した魔術において魔力をまず宝石に流し込んでから術式を発動させていたんだから」
それでも防ぎきれてはいない。
幾多の魔術師を葬り去ってきた起源弾は、少女の予測を遥かに上回り魔術回路にまで効果を及ぼしていた。それは神経を直接握られたかのような激痛と、魔術行使をしばらく鈍らせる麻痺をもたらしている。しかし本来はこの程度で済まなかったはずだ、正史のケイネスとまでは行かないまでも重傷を負うはずだったのだ。
起源弾を防げた理由は、リーゼロッテ自身にあった。
リーゼロッテの起源は『隔絶』と『同調』、奇しくも衛宮切嗣と似通ったこれらはお互いに干渉するようにして起源弾の威力を大きく減じていたのである。単なる偶然、運命のイタズラによってリーゼロッテは一命を取り留めた。
「ふふんっ、甘かったね。私はリーゼロッテ・ロストノート。こう見えて時計塔のロードの一人であるケイネス卿から直々に指南を受けた魔術師。そう簡単に君みたいな暗殺者になんて負けはしないさ………ごほっ!?」
「…………、」
満身創痍なのはお互い様だ。
激しく咳き込む少女の口元からは、少なくない血液が漏れ出している。余裕があるようには思えない、起源弾は完全に防がれたわけではないのだ。間違いなく体内に何らかのダメージを与えている。こちらの腹を抉った刃が最初の一筋だけで、追撃が来ないのもその証拠だ。
自らの全身を掻き抱くようにして、リーゼロッテは背後にあった樹木までふらつきながら後退する。そして、そのまま背中を預けて立ち竦む。饒舌なのはフェイク、あと一撃で勝負は付くのは間違いない。
「……ッ」
「僕の、勝ちだ」
リーゼロッテに刻まれたダメージは深く、もはや魔術を使った反撃は来そうもない。ならばナイフ一本で十分だ。懐に潜り込んで首筋に刃を這わせるだけで終わりである。しかし身体が重い、地面を染めていく赤い色は全て自分の血だ。リーゼロッテが放った結界魔術を応用した刃は恐ろしいほどの切れ味で、切嗣の背中から腹部をやすやすと貫通している。このままでは、勝利どころか生存すら危うい。
あと一撃で勝負は付くだろう。それはリーゼロッテに限った話ではなく、切嗣にも当てはまる話であった。しかし、だ。
アイリスフィールから預かった『全て遠き理想郷』はこうしている間にも確実に切嗣のダメージを癒やしていく。
もう少し時間があれば『固有時制御』を一度くらいなら使用可能な程度には回復できる、それまで逃げ回ることくらいは容易い。そうすれば近接戦闘で自分に負けはない。蒼白な顔色をした、目の前の少女を仕留めるくらいは造作もないことだ。それを感じ取ったのだろう、リーゼロッテが怯えるような様子で後退する。
「まだ、私はこんなところで……!」
暗い森の中へと血まみれの少女は走り出した。
◇◇◇
人として、生きてみたい
どこかの世界で孤独な王はそう願った。
よくある話だ。人間として生まれながら人間として歩めなかった者たち、或いは人間として生まれなかったが人間に憧れてしまった者たち、叶うことのない泡沫の夢がそこにある。それこそ物語のヒロインにでもなれたなら、ヒーローが解決してくれるかもしれない。きっと何処かの世界で余命幾ばくもない少女が、魔法を超えた魔法とでも言うもので今日も救われている。
だが、自分には生憎とそんな存在は現れなかったし、これからも縁のない話だろう。
親愛なる騎士は騎士でしかなく、最後まで彼は一振りの槍として振る舞うのであろう。そこに最大限の信頼はあれど、夢物語のような期待はない。自分という『人もどき』を救うのは、あくまでも自分自身であり勝ち取った聖杯でなければならない。
「回路損傷、一部に致命的な欠損。回復は不可能と判断し、損傷ルートを遮断及び放棄し、予備回路を限定起動……ははっ、本当にヒドイや」
渇いた言葉が乾いた唇から零れ落ちる。
少なくない魔力が体内のあちこちを食い破り、皮膚を裂いて外界へと噴き出ていた。一応は『保険』を用意していたというのに、ここまでダメージを負うとは予想外だ。臓器の損傷による内出血、魔術回路だけではなく運動系の神経すら幾らか欠け落ちた。アインツベルンの森の中、偶然見つけた小屋でリーゼロッテは身体を休めている。この小屋で十年後、剣の主従が契りを交わす可能性もあるのだが、それはまた別の話だ。
何をされたのかは、概ね理解した。
放たれた弾丸を結界で受け止めた瞬間、魔力を介して流れ込んできたのは衛宮切嗣の起源そのものだった。『起源』とは原初にして方向性。生まれた時から定められた自らの本能とも運命とも呼べるモノ。魔術師においては、持ちうる起源によって五大属性のどれに適正があるのかが判断されることもある。例えば水に関わる起源ならば、その者は水属性の魔術に長じる才能があるということだ。
しかし稀に、この一般的な枠に当て嵌まらない者も存在する。あの男のように。
「恐らくは骨か血液、そのあたりを弾に仕込んでいたといったところだろうね。起源そのものを剥き出しで武器として使うなんて馬鹿げてる」
波打って襲いかかってくる痛みに全身が硬直する、血流に乗って強烈な電流が走っているようだ。それでも口だけは動かしながら、リーゼロッテは激痛で震える身体を叱咤する。予めランサーから衛宮切嗣の『奥の手』らしきモノについての情報は得ていた。彼のいうことには、前のマスターは『魔力が暴走したことにより、全身の魔術回路が破壊された』らしい。ここから魔力を介して、何らかの方法で魔術回路に働きかけるチカラを切嗣が持っていると想像するのは難しくない。
ならば対抗策はすぐにでも思いつく。魔術を発動させる際に魔力の『中継地点』を作ってやればいい。
「それでも、防ぎきれなかった。ロード・エルメロイならともかく私にはコレが限界かな……ぁ、痛だだだっ!?」
あと一度、引き金を引かれれば終わっていた。
さっきのような大型の弾丸を防げるような結界を張る余力は今の自分にはない。それどころか今の状態ではもう魔術を使うこと自体が苦痛だ。キャスターと戦っているであろうランサーの実体化を維持しているだけでも、骨が焼けるような痛みが全身を蝕んでいる。一刻も早く拠点に戻って治療に専念したい。
チラリと、手の甲に残った二画の令呪を見つめる。
「ああは言ってみたけど、ランサーの性格からしたらキャスターは見逃せないだろうなぁ。きっと今頃は首級を上げるために戦っている、なら令呪は……」
令呪は、使いたくない。
出来るなら今すぐにでもランサーを転移させたいが、それは彼の戦いを邪魔することになる。この聖杯戦争においてランサーが誓約したのはマスターに勝利を捧げること、そしてリーゼロッテが誓約したのは彼の騎士としての誇りを尊重することだ。ならば、外道を討とうとしているであろう騎士の戦いに横槍は入れられない。
それに、結局は救い出せるはずだった子供たちを自分は失っている。切嗣の妨害があったとはいえ、ランサーに合わせる顔が無かった。しばらくはここで身を隠すとしよう。ちょうど身体を休められるベッドもあるのだ。
のろのろとした動きでリーゼロッテは寝具に近づき、そのまま横になる。瞼が重い、頭が鈍い。少しでいいから休まなければならない。
だからーーーー。
「くぅーっ、やっぱり俺ってばツイてるなぁ!」
ナイフの刃先が首元に突きつけられた瞬間、疲労困憊であった少女は上手く反応することが出来なかった。素人が小屋に潜んでいた気配にすら気づけなかった、そんな余裕は残っていなかった。気配を察知した時には、すでに対応は後手に回りきっていた。この距離では令呪でランサーを呼ぶより、首に刃を潜らされる方が早い。
「って、君はまさか………もがっ!?」
「まさか旦那の後を追ってきて、この小屋で休んでいたら狙っていた子が満身創痍で現れるなんてなぁ。これは神様も俺の『芸術』のために背中を押してくれてるって感じ?」
「ん、むぅぅ!!」
硝煙の匂いをさせる切嗣とは違う、血と臓物の匂いを散らかした青年が無邪気で壊れた笑みを浮かべていた。五月蝿いとばかりに口を押さえられて、リーゼロッテは言葉にならない声を上げる。ジタバタと暴れてみるが、体格が違いすぎる。男の体重でのしかかられては魔術無しでは抵抗できない、身体がマットに沈み込むばかりで動けなかった。
少女の喉元に突きつけられたナイフと、殺人鬼の笑顔が怪しげな月の光で輝いている。
「雨生龍之介っす。職業フリーター。趣味は人殺し全般。子供とか若い女とか好きです。最近は基本に戻って剃刀とかに凝ってます………なーんて、自己紹介するくらいには俺、感謝感激してるんだぜ?」
この世界は狂った神様が描いたクロニクル。
人間賛歌も絶望も何もかもクリップで留めて、天の父は真っ赤に濡れたストーリーを書き散らし続ける。遠き古の世界にて、貴き魔神たちにさえ目を背けさせた人間の醜悪な歴史。その暗黒面の一柱を担うのは、こんなヒトなのかもしれない。
この世界は神様の愛に満ちていると、そんな青年は信じている。
死の探求者、龍ちゃんのターン