時は1990年中頃、季節は冬。
場所は東洋の島国、とある空港に一組の男女が降り立った。
「…………寒い」
ヒラヒラと細かな雪が舞い散る寒々とした空気の中で金髪の少女が呟いた。年齢は十代の半ばを過ぎた程度だろうか、少しばかり華奢な脚がコンクリートを踏みしめた。
ふるり、と身体を震わせながら憂鬱そうな赤い瞳がたった今降り立った灰色の空港を見渡した。ここが目的地、とある魔術儀式が行われる血塗られた土地。故郷であるイングランドから飛行機に乗って約12時間、その間は『極めて頼りになる付き人』が話し相手及び身の回りの世話を焼いてくれたので思ったほど退屈はしなかったのだが二度は乗りたくない代物だった。何よりあまり文明の物に頼っていると魔術師として負けたような気分になる。200年以上に渡る魔導の名家たる少女ですらまともな飛行魔術など欠片も使えないのだから、ひたすらに魔術とは化石のごとく時代遅れなモノだと自覚せざるを得ない。
くしゅんっと、くしゃみをした少女。それを聞き付けて放っておかないのが彼女に仕えている青年である。端正な美貌を持つ黒髪のジェントルマンは自らのマフラーを外す。青年の等身が高すぎるため、膝をつきながら小柄な少女へとソレを優しく巻き付ける。
「主よ、お身体に障ります。よろしければこれを」
「いらないよ? そもそも私が寒いって口に出したのは条件反射みたいなものであって本当に寒さに震えたんじゃない……ちょっと、聞いてないでしょ。何故マフラーを巻くのさ?」
生前の伝説にて語られる騎士というよりは侍従のように世話を焼いてくる美男子、今は便宜上『ランサー』と呼んでいる彼にリーゼロッテはむくれた顔をした。そんな少女の豊かな金髪を持ち上げて、器用にマフラーを巻いていく青年は何処吹く風だ。
文句の一つでも言ってやりたいのだが、寒さに対して強がっていたのは事実なので口には出せない。本当に自分には過ぎた従者だと、悔しいながらも青年のことを再評価するしかなかった。カラカラとスーツケースを押しながら進む青年の後を付いていく。
スーツという現代の正装に身を包んだ青年は慣れない手続きに手間取る少女から付かず離れず絶妙な距離で入国審査を二人分クリアし、胸ポケットから取り出した黒皮の手帳に目を通しながら今後の予定を確認している。
これではどちらが現代人なのだかわからない。
「まずはチェックインを済ませましょう」
流石は心眼Bランク、戦場で鍛え上げられた戦略眼はこういった状況においても効果を発揮するのかとリーゼロッテは感心する。
「まったく、現代人の私より順応が早いってどうことなの?」
「…………我らサーヴァントは聖杯から現代に関する知識を与えられていますから、仕方ないことかと」
「はい、嘘っ! 君たちが得た知識の範囲くらいは想定済みだからね。どこの世界にサーヴァントに空港での出入国手続きやホテルのチェックインのやり方を教える聖杯があるのさ。どうせ説明書きにすら気がつかなかった私の落ち度、そんな励ましはノーセンキューだよ!」
「くくっ、そうですね」
「あーっ、今笑ったでしょ!」
賑やかな抗議の声を上げる少女の名前はリーゼロッテ・ロストノート。ここから遠く離れたイギリスに存在する魔術の総本山『時計塔』の生徒にして、名門一族の次期後継者候補。そんなリーゼロッテは基本的に陰惨な性格をしている魔術師らしからぬ陽気な気質と、なかなかに整った容姿を併せ持ち、時計塔の学生の間では有名人な少女だった。
そんな彼女に苦笑しているのは黒髪の美青年。
緒事情から『ランサー』などと呼んでいるが、彼の真名はディルムッド・オディナ。アイルランドに伝わるケルト神話、そのフィニアンサイクルにて語られるフィオナ騎士団にその名を連ねる伝説の戦士である。千年以上前の人物、それも英雄様とこうして何気ない話をしているのだからまったく人生というものは何が起こるかわからない、とリーゼロッテはポケットに入った『宝石』を弄くりながらこの奇妙な巡り合わせに思いを寄せる。
空港から一歩外に出ると、そこには不自然なまでに人が集まっていた。それは『人集めの結界』をリーゼロッテが張っているからだ。人の精神に働きかけて「ここに行きたい」という無意識を作り出す外部干渉型の結界。非道な暗殺者もまさか人混みに爆弾を放つようなマネはしまい、とリーゼロッテは身体に迷彩魔術を纏いながら人の波を掻き分けていく。
「主よ、こんな方法を取る必要があるのでしょうか。まだ聖杯戦争が始まってすらいない現状で」
「念には念を、だよ。本当にあの名高き『魔術師殺し』が参戦しているのならどんな方法を取ってくるのか想像できない。標的一人のために飛行機を撃墜する男だからね…………正直、ここに来るまでに飛行機ごと亡き者にされないか不安だったよ」
右手の甲に刻まれた令呪を見つめる。
円を描くようでいて微妙に歪んだソレはまるでメビウスの輪のような模様だった。運命から逃れようと聖杯戦争に赴いたリーゼロッテにとっては、あまり良いデザインとは思えなかった。メビウスの輪に出口はないのだから。
そうこうしている内に人の波から抜けて、通りを歩きながらリーゼロッテは真剣な眼差しで己のサーヴァントに告げる。
「…絶対に勝つよ、ランサー。君の掲げた誓いは果たしてもらう。…………必ず私に聖杯を」
「御身のままに。フィオナ随一の槍裁きをもって、俺は貴女に必ず聖杯を献上してみせましょう」
この闘いは負けられない。
普段は温厚を自負しているリーゼロッテなれど、今度ばかりは一切の容赦を捨てて戦おう。元より戦争とは始まってしまえば勝つしか道は残されていないのだから。しかしーーー。
「ウェイバー、できれば君がサーヴァントを召喚する前に会えたらいいな。そうすれば殺し合わなくてすむんだから…………うん、それがいいよね」
少女は悲しげに、しかし固い決意を秘めた声で呟いた。ぶるり、とリーゼロッテは自らの身体を掻き抱く。そして気づかれないようにランサーのコートの端っこを摘まんでいた。
母国であるイギリスよりもこの国の冬は確かに寒い。
しかしリーゼロッテは寒さに震えているわけではない、彼女は怯えていた。これから始まる戦いに、命を狙われる危険に、そして何よりも顔見知りと杖を交えなければならない未来に。
「大丈夫です、リーゼロッテ様。俺がいます」
「………な、何の話かな?」
少し前を歩くランサーは振り向くことなく、リーゼロッテへと言葉をかけた。とても落ち着いた力強い響きだった。慌てたリーゼロッテがランサーのコートから指を放す。
「いえ、独り言かもしれません」
「ふーん、真面目な君が独り言なんて珍しいけど、もう少し周囲を気合い入れて警戒してよね…………ありがと、ランサー」
聴こえないように小さな声でリーゼロッテがお礼を言った。その顔は少し赤い。
人並み外れた聴力でソレを聞き取っていたランサーは心の中で微笑んだ。良いマスターに出会えた。召喚された当初は年端もいかぬ少女を主とすることに不満がないわけではなかったが、この数ヶ月で随分とわだかまりは無くなった。魔術師としては甘い性格も、傷つき易い精神をしながらお調子者を演じる姿も、今となっては好ましい。人ならざる『赤い目』も含めて。
「『今回』の俺は随分と幸運に恵まれているらしい」
英霊ディルムッドはこれから挑む戦いに向けた闘気を燃やしていた。ちょこちょこと、彼の後ろを付いてくる金髪の少女にフィオナの英雄は忠義を捧げたのだ。その主だが、シミ一つない真っ白な頬は寒さからか仄かな赤みを帯び、長旅による疲労で足取りは重々しい。
やはり今日は早めにチェックインを進めた方がよさそうだ、ランサーはそう思った。
Fate/stay nightのアニメ放送日が迫っているということで記念に投稿させていただきました。
ずいぶん前に書いたものに手を加えて加筆修正したものになります。急いで書いたのでおかしなところがあるかもしれません。お目こぼしいただければ幸いです。
今は別の二次作品に集中したいので手元にあるものはこれだけですが、もし「続きを見てみたい」などのコメントなどありましたらゆっくり書いていきたいなぁ、と思っています。
ー追記ー
短編から通常投稿に移行しました。
のんびりと続きを書かせていただきますので、よろしくおねがいします。