ヤマブキシティの入り口の関所、レッドはそこに向かう途中、多くの通行人にそこが通行止めになっていることを聞いていた。
しかしどうしても諦めきれず、またそれでも駄目なら、せめていつ開通になるのか直接聞きたいがために関所まで訪れていた。
レッドが関所まで入ると、やる気のなさそうな警備員が肘をついてこちらを見ている。
「ダメダメ。今はここは通行止め……あれ、君は……」
「?」
警備員がレッドの顔をまじまじと見る。
「……いや、失礼。今開通になった。通っていいよ」
「え、本当ですか!?」
「嘘言ってどうする。早くとおりな!」
警備員が笑顔でレッドを手招きする。
「は、はい!」
レッドもそう言うならばと足早に関所を通り抜ける。
「……すまねえな。坊主」
レッドが通り抜けた後の警備員のつぶやきと、すぐさま通行止めになった関所にレッドは気づかなかった。
ヤマブキシティ。そこは多くの企業オフィスを内包した高層ビルが立ち並ぶ、カントー地方の中心地。
(……これは、一体? 経済の中心地って聞いてたけど……、こんなに人通りがないものなのかな……?)
街の大通りはレッド以外人っ子一人いなかった。しかしこの街を初めて訪れたレッドからすれば、今のこの状態が異常なのか正常なのか判断しかねるところだった。
(……とりあえず、ポケモンセンターとジムに向かおう。そこに人がいないことはないだろう)
が、レッドの思惑は外れた。ポケモンセンターは臨時休業。その後に向かったヤマブキジムもまた、臨時休業。
「嘘だろ……」
レッドは呆然とジムの前で立ち尽くすしかない。
「おっ! 少年。そこのジムは今日は休みだぞ!」
「!?」
突如レッドは後ろから話しかけられた。振り向くと道着を着たガタイのいい男性がいる。
「えっと……」
「ふむ、見たところ君はヤマブキジムへの挑戦者だな! しかし休業と知ってどうすればいいか悩んでいると見える」
「え、ええ、その通りですが……」
「ならば腕試しに、隣のこちらの施設はいかがかな!? かつて現在のヤマブキジムと覇権を争った格闘道場だ! 旅のトレーナー達を格闘ポケモンのエキスパート達が出迎えるぞ!」
そう言って道着の男性は誇らしく格闘道場を見上げる。レッドも閑散とした街中で明るく話しかけてくれた男性に対して安心したのだろう。
「そうですか。それじゃあ、胸を借りたいと思います!」
トレーナーとして断る理由もない。それに、ポケモンセンターが休業だというならこの街の宿についても誰かに聞かなくてはならないだろう。バトルの後にここの人たちに情報を貰えばいい。
「それではご案内だ!」
レッドが入ると、そこには同じく道着を着た格闘ポケモン使い、俗に空手王と呼ばれるポケモントレーナー4人が出迎えた。
そして外からレッドを案内した空手王も入れて5人。
さっそくレッドもモンスターボールを構える。
「押忍! よく来たぞ挑戦者! 俺達空手王5人衆を見事突破してみよ!」
「わかった。行け、バタフリー!」
「まずは俺だ。行け、ワンリキー!」
「バタフリー、サイケこうせん!」
「ぬお!? 一撃で!?」
レッドの采配は冴えていた。時に引き、時に怒涛のように攻めるポケモン達は空手王の扱うポケモンを次々に撃破していく。
「いいぞピジョン! その調子だ。つばさでうつ!」
「お、オコリザル!? つ……強い……!」
気づけばレッドのポケモンは一匹も力尽きることなく4人の空手王のポケモンを撃破した。
「む……! それでは最後は俺だ! 行けエビワラー!」
最後の空手王が扱うのはパンチのエビワラーとキックのサワムラー。しかし、ジムを4つ突破しサカキとの激戦をくぐり抜けたレッドの敵ではなかった。
「フシギソウ! はっぱかったー!」
「……ぐっサワムラー戻れ……。見事だ少年」
「こちらこそバトルありがとうございました。その、一つ聞きたい事があるんですが、いいですか?」
「む、なにかな?」
「この辺で安く泊まれる宿はないでしょうか? ポケモンセンターが臨時休業しててどうしようかと……」
ポケモンセンターはポケモントレーナーに対して無料で宿を貸している。しかし休業中ならば他に泊まるしかない。
「……そのことか……」
「?」
レッドの言葉に空手王達が皆一様に顔を暗くした。レッドが不安げに問う。
「ポケモンセンターに、なにかあったのですか?」
「実はセンターだけではないのだ……。君、この街をおかしく思わなかったかい?」
「街……? 確かに人がいないなあとは思ってたけど……」
「本当は昼間もっと賑やかな街なんだ。だけど、ロケット団の奴らが来てから……」
「ロケット団!?」
レッドは声を上げる。脳裏に浮かぶは大地のサカキ。あの男のロケット団が、この街にも……。
「ロケット団が、一体この街に何を!?」
「この街にあるカントーいちのポケモンアイテム開発企業、シルフカンパニーを占拠したのだ。そこからこの街はロケット団のいいなりになって、街の皆は外に出ないよう戒厳令がしかれてしまったんだ……」
「なんでそんなことを……!?」
「おそらくシルフカンパニーの機能を麻痺させ、ポケモンアイテムを独占するのが目的だろう。そうなればトレーナーがアイテムを買えなくなるのはもちろん、センターでの回復も滞ってしまう……」
「そんな……!? どこまで卑劣な手を……!!」
レッドは目に見えて怒りを滾らせる。
「格闘道場の我らとヤマブキジムのトレーナー達もシルフカンパニーの開放のため、奴らに戦いをしかけた。戦いは熾烈を極めたが、ロケット団のある一人の男によって均衡は崩れた……恐ろしい地面ポケモン使いの男だった……」
(……サカキだ)
「じゃあ、ヤマブキジムが閉鎖しているのは……!?」
「ヤマブキジムリーダーナツメは、奴らに人質に取られたのだ」
「!?」
「それだけじゃない。我らと共に戦ったポケモンの一部も、奴らに人質に……」
(なんてことだ……!)
タマムシでのことなど、まだまだ序の口だったというのか。ロケット団のとどまることを知らない外道ぶりに、レッドの感情が悲しみと怒りに支配されていく。
しかし、傍らにいたフシギソウはすぐに主の危うい感情を察し、声を上げた。
「フシ!!」
「! ありがとうな、フシギソウ」
(……いや落ち着け俺。感情はあくまで行動の理由でいい。為すべきことを為す時は、頭は冷静でなければ)
そうレッドが自分を戒めている内に、空手王の面々が一斉にレッドへ頭を下げる。
「すまない少年! その強さを見込んで、どうかシルフカンパニーのロケット団を倒すのに協力してくれないか!?」
「み、皆さん……! それを聞いて、断れるはずなんてありません。俺も奴らとは因縁があります。是非こちらこそ協力させてください!」
「なんと……ありがとう少年。それではさっそく、我らの反攻作戦を聞いてくれ!」
「はい!」
作戦は単純な陽動作戦だった。レッドがシルフカンパニーの正面から突入し、ロケット団を引きつける。
その隙に空手王とジムのトレーナーが裏口から侵入し、捕らわれたポケモンとナツメを救出する。
「危険な役目だが……頼めるか?」
「任せて下さい!」
(エリカさんが受けた傷、そしてサカキとの決着。こんなにも早く精算できる機会が訪れるなんて、願ってもないことだ!)
レッドがサカキに勝てるかどうかはわからない。しかし、また何時戦えるかもわからない相手だ。
(今の俺達で、勝つんだ。勝たなくちゃいけない)
レッドがフシギソウを見つめると、フシギソウも頷いた。
「それじゃあ、時刻通りに。少年、頼んだぞ!」
「はい、皆さんも、シルフカンパニーで!」
レッドは格闘道場を後にする。そのあと、罪悪感に満ちた顔をした空手王達の背後の物陰から、赤いRの文字が書かれた黒い制服を着た男があらわれる。
「はは、お前ら役者になれるぜ。よくやった」
「……これでいいんだろう。早く俺達のポケモンを解放してくれ!」
「ああ。全てが終わったら無事に解放してやるよ」
「なっ!? 約束が違う!!」
「おいおい、こっちは作戦の途中でこれは作戦の一部だ。約束が違うなんて場違いな事言わないでくれよ。……人質を取っているのを忘れるな」
「くっ……」
空手王の言っていることはほぼほぼ真実だった。彼らが敗北した後、人質によってロケット団の言いなりになっていることを除けば……。
(すまない……少年!……どうか無事で……)
しかしレッドはそんなこと知るよしもなく、シルフカンパニーの前まで来た。
遠慮の必要はない。レッドは初めて6体全てのポケモンを出現させ、突撃体勢をとる。
レッドを中心に囲むのはフシギソウ、バタフリー、ギャラドス、ピジョン、ラッタ、カラカラ。
「行くぞ皆。……ポケモントレーナーとポケモンの絆にかけて、ロケット団を倒す!」
レッドのポケモン達が一斉に雄叫びを上げ駆け出す。それを見たシルフカンパニー入り口にいた多くのロケット団が驚愕する。
(エリカさんの想いを受け取った今の俺が、負ける訳にはいかない! この街とナツメさんを救い、サカキを倒す!)
レッド達のやる気と正義が全て筋書きであることは、彼らはまだ知らない。
シルフカンパニービル前は荒れに荒れていた。
「ラッタ、でんこうせっか! カラカラ、ホネブーメラン! バタフリー、サイケこうせん!」
「うわあ!? なんだこいつは!?」
「援軍だ! 人をこっちに回せ! 止まんねえぞ!」
水流とサイケこうせんが相手を押し流し、ホネブーメランが飛んでは相手のポケモンを撃ち落とし、つるが地面を砕き葉っぱが敵を切り裂いていく。
1階ロビーから出てきたロケット団員達が次々にポケモンを繰り出すが、レッドはお構いなしに攻撃を続ける。
「くそ! 俺のポケモンがぁ!」
「引け! 引けぇ!」
(よし、ポケモンが倒れたら引いてくれる……)
人に攻撃を向ける気がないレッドからすればありがたい。しかし、逆に言えば彼らにとっては戦いにおいて人にポケモン技を向けるのが当然ということでもある。
(サカキもエリカさんを……! いや、その怒りは後だ)
「ピジョン、ふきとばし!、ギャラドスたたきつける!」
二匹のポケモンが一気に敵をなぎ払う。ロケット団員達の気勢が削がれた。
「屋外じゃ不利だ! 一旦引くぞ!」
(む、仕方ない。中に入って戦うか)
「いくぞ、皆!」
レッドは小回りが効かないギャラドスを一旦引っ込めて1階ロビーに突入する。
1階ロビーの戦いは長引かなかった。ロケット団員達のポケモンを数匹撃破すると、
「くそ! 上で態勢を立て直すぞ!」
「いや待て! おい小僧! こっちには人質が……」
(人質!? いやこの距離なら!)
ロケット団員の一人が縄で縛られた黒い長髪の女性を盾に取ろうとする。レッドの判断は早かった。
「ラッタ! ひっさつまえば! ピジョン! 空をとぶ!」
ラッタが地上から跳ね上がって縄を前歯で切り裂き、ピジョンがロケット団員の顔に急接近する。
「うわ!?」
ロケット団員がひるんだところでピジョンは女性の肩を掴んで舞い上がり、そのままレッドの所へ運んだ。
「しまった! くそ、二階に引くぞ!」
「よくやったラッタ、ピジョン。お姉さん、大丈夫ですか?」
ピジョンから降ろされた女性はバランス感覚が取れないのか、その場で前かがみになって地面に手をつく。
近くで見ると、凛とした顔立ちの女性だった。長い黒髪の艶からか、神秘的な雰囲気がある。
そして、たゆんとしたリッチな胸。
「ん……」
(…………………………いやいやいや。それどころじゃないだろ俺!……そうだ、確かヤマブキジムのリーダーは、神秘的な女性のエスパータイプ使いと聞いている。もしかしたら)
「……まったく、あの男覚えてなさい。ありがとう、きみ。助けられたわね」
女性はレッドの顔を一瞥してすぐに立ち上がり、黒髪を翻しながら向き直った。
「あなたはもしかして、ナツメさんですか?」
「ええその通りよ。私がこの街のジムリーダーのナツメ……情けないことにね。見たところ、あなたは私を助けに来てくれた、でいいのかしら?」
長い髪をかきあげながら極めて静かな口調、感情の起伏の乏しい女性だった。しかし、その瞳にはしっかりとした闘志と意思が感じられる。クールビューティとはこのことだろう。
レッドはエリカとベクトルの違う女性の魅力に少し見とれていた。だがすぐに頭を切り替える。
「ええ。格闘道場とジムのトレーナーとの協同で、あなたと捕らわれたポケモンを救いにきました。とりあえずナツメさん、一緒に外に……」
「待って、私はポケモンが捕らえられている場所を知っているわ」
「! 本当ですか! それじゃあすぐに他の人に連絡をとって……」
ナツメは首を振った。
「ダメよ。時間をかければ奴らに場所を移されてしまうかも。時は一刻を争うわ」
「……確かに。じゃあ教えてください。俺が先に助けに行きます。バタフリーをつけますから、ナツメさんは他の方と合流して」
「ダメよ」
「え」
「説明しにくい場所なの。私が案内するわ」
そう言いながらナツメは自身の服を首からボタンを外していき胸元を開く。レッドは突然のナツメの行動に軽く悲鳴を上げ目を背ける。
「なっなにを!?」
ナツメはすぐに胸元を直す。その手には2つのモンスターボールが握られていた。
「さすがにここまでは奴らも調べなかったわ。足手まといにはならない、いいでしょ?」
「え、ええ」
(そういうことか……………………)
リッチがリーズナブルになっている。
「どこを見てものを言っているのかしら?」
「はっ!?」
ナツメがビキビキとこめかみを痙攣させている。
「い、いえ! なんでもないですよ。……俺はレッド」
「レッド……。トレーナーとしての腕は信用して良さそうね。それじゃあ行くわよ。こっち」
ナツメは即座に階段への道を早歩きで行く。レッドも慌ててナツメについていき、徐々に速度をあげるナツメにならって上階へと駈け出した。
人質に取られたポケモンの救出、その道程には多くのロケット団員達がレッドとナツメを出迎えた。
「一気に行くわ、フーディン!」
「はい、ラッタ!」
四方から襲い来るロケット団員のポケモン達。しかしフーディンのサイコキネシスで動きがピタリと止まると、階段への道に近いポケモンをレッドのラッタが速撃して道を開ける。
強行突破のための戦術はピタリとハマり、ナツメとレッドは数分もしない内に二階フロアを踏破し上階へと進む。
「戻ってフーディン。行ってバリヤード、バリアー! これで階段はしばらくシャットアウトできるわ」
「なるほど……。でもエレベーターは?」
登り切った所でナツメがバリヤードのバリアーで下からの階段口を塞ぐ。
「誰かがエレベーターを壊したみたいね。意図はわからないけど……とりあえず階段で先を急ぎましょう」
「ええ。幸いここはロケット団員が少ないみたいですし……」
「……そうね」
ナツメが訝しげな顔をする。
(おかしいわね……。1階にいた人数を考えればまだまだ先にいるはず。なにかあったのかしら?)
1階と2階の戦いが嘘のように、3階は誰一人としてレッドとナツメの行く手を阻まなかった。
「この階は誰もいないみたいですね……。ナツメさん、ポケモンたちは何階に?」
「5階よ、油断しないで行きましょう。シルフカンパニーを占拠した時の人数を考えれば、まだまだ奴らが来るはずよ」
「わかりました。……格闘道場の人たちは大丈夫だろうか……」
「……」
レッドの呟きにナツメは答えず、足早に次への階段を登る。
そして4階。
「なっ……!?」
一足先に到着したナツメが4階フロアの光景を見て立ち尽くしている。レッドも後れて見て、驚愕した。
「ロケット団員のポケモンが……全滅!?」
ポケモンがそこかしこに倒れ、そのトレーナーであったロケット団員達はエレベーターに押し固められている。ロケット団員達は皆一様に怯えた表情、無理やり押し込められたのだろう、道理でエレベーターが動かないわけだった。
そんな中4階フロア中央に佇むは一匹のポケモン、そしてトレーナー。
赤き竜リザードン。そして。
「そっちは……ジムリーダーのナツメか。お、レッドじゃねえか!」
「……グリーン!?」
「よう奇遇だな。こんなところでなにやってんだ?」
ニヒルなにやつき顔は見間違いようがない。しかしレッドは敏感に感じていた。
確かな力に裏打ちされた畏怖。サカキにも似たそのプレッシャーを、あのグリーンが放っている。
「グリーンこそ……! ここは今ロケット団に占拠されてる場所だ!」
「ああ、そんなことは聞いたな。俺はただ、フレンドリィショップの在庫がここで抑えられてるって言われてな。買い物でサービスしてもらうかわりに取りに来ただけだぜ」
「あなた、どうやってここに……って聞いた私が馬鹿だったわね」
ナツメの言葉通りだった。4階の窓が盛大に割れている。レッドとナツメが2階で戦っている間にリザードンで突っ込んできたのだろう。
「さて、トレーナーとトレーナーが出会ったらって言いたいところだが、連中のポケモンを始末している間に俺のポケモンも消耗してな。リザードンも在庫持ってひとっ飛びしないと行けないから、勝負はおあずけだ。突っ込んだ場所にものがあって助かったぜ。他のロケット団も倒そうかと思ったが、レッドとジムリーダーがいるなら任せても良さそうだな。じゃあ後頑張れよ、バイビー」
そう言うとグリーンはリザードンに飛び乗り疾風のように割れた窓から去って行った。レッドとナツメは呆然と見送るしかない。
「お……俺達はもう、戦えるポケモン持ってねえ! 勘弁してくれ!」
エレベーターのロケット団員達はよっぽど怖い目にあったのか、動こうとしない。中には腰が抜けて立てないものもいるようだ。
(グリーン、一体何やったんだ……)
「……上に行きましょう、レッド」
「……はい。あの、ナツメさんもグリーンと面識が?」
「シルフカンパニーが占拠される前にジムで挑戦を受けたわ。結果は彼の勝ち。あの実力を持ったトレーナーは中々いないわね。ここまでとは思わなかったけど……」
(というかまだ街にいたのね……予知で見えなかったなんて)
「さあ、この階段を昇った先よ。……途中にまだトレーナーがいるわね。ここまで来たら、一気に突破しましょう」
「ですね」
レッドがフシギソウを出し、ナツメもフーディンを繰り出す。
「む、侵入者だな! 行けゴルバット!!」
階段の途中にいたロケット団員が気づきゴルバットを繰り出す。
「ここは任せて、毒タイプは相手じゃないわ」
ナツメが一歩出てフーディンに指示を送る。ロケット団員はにやりと笑った。
「!? 後ろだ! つるのムチ!」
「!?」
レッドの叫びにナツメが振り返る。背後から襲いかかろうとしていたのはもう一匹のゴルバット。天井に付いて待ち伏せていたのだろう。
「ちい。だがそんなつるじゃ、ゴルバットは止まらないぜ!」
ゴルバットはフシギソウのつるを切り裂き、今度はフシギソウ本体へと標的を変える。フシギソウのいる場所はどういうことか、階段下と防火扉に挟まれた袋小路。
しかし、今まさにゴルバットの牙が迫る所でレッドはフシギソウを引っ込めた。
「ナツメさん、走って!」
「!? ちょっと!」
フーディンが最初のゴルバットをサイコキネシスで止めている間に、レッドはロケット団員とナツメの横をすり抜ける。慌ててナツメもレッドを追った。
「なっ! 貴様ら勝負から逃げる気か!」
「地の利を得ただけだ! 行けピジョン! ふきとばし!」
「! フーディン、テレポート!」
ピジョンの突風はテレポートで避けたフーディンを除き、2体のゴルバットを階段下へと吹き飛ばす。
「ぬう! だがそれしきの突風で!」
「ゴ……ゴル……!」
「な!?」
ロケット団員の言葉とは逆に、ゴルバットは吹き飛ばされて着地した場所から動けない。
「どうした!? 動けゴルバット!」
ナツメも訳が分からなかったが、すぐにその場所が先ほどまでフシギソウがいた袋小路だと気づく。
「しびれごなを散布させていたのね……ゴルバットを追い込んだ風は袋小路で巻き上がり、とどまった敵にしびれごなが振りかかる……」
「ある人の受け売りの技なんですけどね」
(エリカさんなら、草ポケモンへの指示一つで散布場所を点在させられる)
「ふふ、やるじゃない。あなたはどうする? 2体とも動けないようだし、フーディンでまとめでトドメをさしてもいいけれど」
「くっくそ! 戻れゴルバット! 覚えてろ!」
ロケット団員はゴルバット2体を回収し、下階と逃げて行く。
「もう、敵はいないようね。行きましょう。すぐそこよ」
「はい!」
5階フロア、そこにはシルフカンパニーの重役室と会議室がある。
廊下も今までの場所とは違い小奇麗で、あまり人が出入りしたような形跡がない。
(こんなところにポケモンが……?)
「ここよ」
レッドの疑問をよそに、ナツメは社長室と書かれた部屋の前でとまる。
「……よし、それじゃあさっそく」
「レッド君」
「?」
「さっきはありがとう。後ろの敵から守ってくれて」
「…………ナツメさん?」
ナツメはレッドの方を向かず、扉を開けてレッドを誘う。レッドも入るしかない。
「そして」
レッドとナツメが部屋に入ると、ナツメは後ろ手にドアの鍵を閉めた。
「ごめんなさい」
「え」
レッドが声を上げると、部屋の奥、社長席の椅子が回転し、座っている人物が露わになった。
鷹の眼光、紳士服の胸のRに強大な悪意を集約させた冷徹なる首領(ドン)。
「ナツメ殿、ご苦労だった。タマムシ以来だな少年。いや、マサラタウンのレッド」
「!?!?………サカ、キ………!!」
「少々予定外の事が4階で起きてしまったようだが、大勢に影響はない。よくここまで来てくれた、レッド君」
サカキはゆっくりと立ち上がり、社長机に片手をつきながら机を軽やかに飛び越える。そしてレッドと距離を保ったまま仁王立ちした。
「なっ……どうしてお前が! それにナツメさん……!?」
「……」
レッドは部屋の隅へと引いたナツメを見るが、ナツメは顔をうつむかせたまま反応しない。
「借りたポケモンとはいえ、久方ぶりに私に土をつけたトレーナーだ。君のことは調べさせてもらった。是非もう一度会いたくてね。ああそれと、彼女は我がロケット団の一員だ」
「なんだって!?」
「我らロケット団の意思に彼女も同調してくれてね、はは、とういうのは冗談だが。彼女にも色々あるのだよ。まずは君のことだレッド君」
サカキよりも背の低いレッドをあからさまに見下す視線。完全に子供を見る目だった。
「レッド君。君は私が仕掛けたテストに見事合格してくれた。格闘道場の空手王、シルフカンパニーの我が部下、人質の救出、そして階段にいたゴルバット使いはロケット団の中でもそれなりの使い手だったが、君はナツメ殿を援護しながら見事に突破した。その腕は見事、私の片腕となる素質がある」
「どうしてお前が格闘道場のことを……!? まさか!」
「もう一度わかりやすく言おうか。関所から格闘道場、そしてここに到達するのが私が君に仕掛けたテストだ。まあ、及第点を上げるとしよう。ナツメ殿も名演技だっただろう」
「なん……だと……?」
愕然とする思いだった。格闘道場の空手王もナツメも、レッドは微塵も疑いはしなかった。
「及第点と言うのがそこだ。君はバトルの素質はあるが、人を疑う事を知らなすぎる。人は自らの利益のためなら他者にたやすく嘘をつく。いい教訓になっただろう」
「……どうせ、お前がポケモンを人質にとるなりして無理やり従わせたんだろう!」
「まあそうだが。しかしそこのナツメ殿は例外だぞ。彼女のポケモンを私は捕らえていない。彼女は彼女の意思で従っている」
「……そうなんですか?」
レッドの再度の問いかけにもナツメは無反応だった。ただ、拳をいたく握りしめている。
「なんだ、ナツメ殿の事を知らないのか。彼女はエスパータイプのエキスパートというだけでなく、彼女自身がエスパー少女なのだよ。幼少の頃からその筋では有名だった」
「!?」
「彼女のエスパー能力はテレポート、テレパシー、サイコキネシス、そして未来視。彼女は未来視によって、自ら我らに身を捧げた。街の人々に手を出さないことを条件にではあったが、私にとっては些細な事だ」
「未来視……?」
「教えてやろう、彼女が見た未来視、それは」
サカキが自信たっぷりに微笑む。
「我がロケット団のカントー制覇、ジムリーダー共々全てのトレーナーがロケット団に膝をつく未来だ!」
「!?」
ナツメがサカキの言葉を聞くと、顔をそむけて目尻から雫を飛ばす。それだけでサカキの言葉が事実だと告げていた。
「当の本人もそれなりに考え、先んじてロケット団に入ることで中から暴力の抑止力になろうとしたのだろう。あくまで傷つく人間が少なくなるようにな。はは、殊勝なことだ」
「……ごめんなさい」
ナツメの謝罪は消え入るような声だった。
レッドの握られた拳は震えている。
「さて、ここまで来たらナツメが君をロケット団に入るよう説得しそうなものだが、それも無駄だと未来視で見えているようだな。ナツメの顔を見る限りは、結果ももうわかっているのかな。どうする少年? それでもバトルをしたいというのなら」
「ナツメさん、質問があります」
「え?」
レッドはサカキを黙殺した。虚をつかれたナツメがつい声を上げる。
「あなたの未来視は、百発百中なんですか?」
「……そうよ。生まれてきてから今まで、外れたことはないわ。レッド君は、負ける」
ナツメが顔を上げる。レッドを見つめるその表情は、レッドを心底心配している、優しい女性のものだった。
「お願い。いたずらに傷つく必要はないわ。私がサカキに口利きするから、どうかレッド君も……」
「ナツメさん。あなたは優しい人だ。フーディンとバリヤードを見ていればわかります。俺がこの旅で学んだことは、ポケモンと硬い絆を結んでいる人に悪い人はいないということ。そしてもう一つは」
レッドが帽子をかぶり直し、モンスターボールを手に取る。
「ポケモントレーナー、それはポケモンと人との絆で、不可能を可能にする人を言うこと。あなたが自分の中の未来視に屈したというのなら、俺が代わりに証明します。超えられない壁はないということを!」
「レッド! 駄目!」
「止めるなよナツメ殿。この少年には私も借りがあってね。どの道バトルは避けられん」
レッドとサカキ、対峙した二人モンスターボールを構えて睨み合う。
「エリカ嬢は息災かな? もうショックから立ち直っているといいが」
「あんたは人もポケモンも見くびりすぎだ。あんたの言うとおり、俺は人を疑うことを知らなかった。だが、あんたが知らない価値あることを俺は知っている」
「ほう? なんだね? 絆とでも言うつもりか?」
「言うつもりさ。わかっていながら見下して笑うのなら、俺が今一度気づかせてやる。俺と、俺の仲間と! このポケモンバトルで!」
「相変わらず口だけは一丁前だ。面白い! ロケット団リーダー、サカキ!」
「…………ポケモントレーナー、レッド!」
二人の声が重なった。
「バトル開始!!」
「行けえ! ピジョン!!」
「行け、ニドリーノ」
お互いに繰り出したポケモンは共に最終進化を残したポケモン。レッドのピジョンはまだレベルが足りないにしても、ポケモントレーナーとしてキャリアが段違いのサカキが使うにしては、ニドリーノは小粒に見える。
事実、サカキがレッドを見る目は変わらない。あくまで生意気な子供を見る余裕の笑み。
レッドはサカキのその顔を歪ませると誓う。
(サカキ! お前がその気なら、俺は全力でお前を倒す!)
「ピジョン! つばさでうつ!」
「ニドリーノ、どくばり」
ピジョンの翼とニドリーノの角が激突する。吹き飛んだのはニドリーノだった。
「いいぞ! ピジョン!」
「充分だ、もどれニドリーノ。行け、サイホーン」
「……ピジョン! すなかけ」
「ほう? さすがに以前とは違うアプローチでくるか。つのでつく」
「くっ!?」
(あたったか。ピジョンの消耗がやけに激しい……? ニドリーノの毒針か!)
「戻れ、ピジョン。行け!」
「ポケモンが出た所は大きな隙となる。サイホーン、ふみつけ」
モンスターボールが割れ、光輝くところにサイホーンが先手を打って踏み潰しにかかる。
しかし、躍り出た青き龍によって逆にサイホーンがひっくり返る。
「これは不利だな。戻れサイホーン。行け」
「今だギャラドス! バブルこうせん!」
負けじとレッドもサカキの交代の隙を狙う。
(大地のサカキ。異名通りならこれでまず一匹……!)
しかしサカキの繰り出したポケモンはバブルこうせんを耐えた。現れたのは……
「……ガルーラ!」
「さて、今度はどうさばく?」
「サカキ……お前、また部下のポケモンか」
「ジムリーダーと同じさ。君のバッジの個数に合わせて戦力を整えた。だが今回は特別に、部下のポケモンを突破した後、私の本気の一匹が控えている。言い訳はしないさ。私の今の手持ちを倒すことができれば、ヤマブキシティからロケット団は撤退しよう」
「その言葉、忘れるな! ギャラドス、かみつく!」
「ガルーラ、かみつく」
タマムシと同じ。ギャラドスがガルーラの肩、ガルーラがギャラドスの首にかみつきあう。
「ギャラドス、バブルこうせん!」
「ほう?」
ギャラドスはそのままかみついたままうなり、口内からバブルこうせんを発射する。ガルーラは肩に痛撃をくらい思わず口を離し、バブルこうせんによって壁にたたきつけられた。
社長室の壁が崩れ、廊下があらわになる。
(思い切りがいいな。読みも悪くない。短い間でいい経験をしたようだ)
「ギャラドス、たたきつける!」
「ガルーラ、れんぞくパンチ」
しかしガルーラの猛攻は激しく、レッドはギャラドスが不利と見るやすぐにフシギソウに切り替え、しびれごなでガルーラの足を止めにかかる。
今度はサカキがすぐにガルーラを引っ込めて、ニドリーノでフシギソウを相手に時間を稼ぐ。
一進一退の攻防。プロリーグと比べ扱っているポケモンのレベルは双方少し足りないが、ポケモンとの連携、戦術、思考スピードは遜色ない程であることを、ナツメはひしひしと感じていた。
(あのサカキと戦術で渡り合ってる……!? レッドのポケモンの扱い方は、既に全国のトレーナーと比べても一線を画している。だけど……私の予知は……)
ナツメの脳裏に写る予知の光景、レッドとその配下のポケモン達が倒れ、サカキが無感動にそれを眺めている。レッドがどれだけ素晴らしい戦いを見せようとも、ナツメがどんな行動を取ろうとも、変わらない未来。
(私に……なにができるの……?)
「フシギソウ、つるのむち!」
戦いつづけるレッドとサカキ。そして見守るナツメ。そんな三人は、5階に上がってきたもう一人の男に気が付かなかった。
「くそ! あの二人め。どこに行った!」
現れたのは一般的なロケット団員制服を着る男。レッドとナツメに対し、ゴルバット2体を伴って立ちはだかった男だった。
ナツメがロケット団に与した事をサカキは一般団員に伏せていたため、ゴルバットを麻痺から回復させた男は血眼になって二人を探していた。
男は5階に上がると、すぐに社長室から響く轟音に気づいた。廊下には先ほどガルーラによって壊された社長室の壁の残骸が散らばっており、壁の穴から中の様子が伺える。
「あれは……サカキ様とあの小僧! 戦っているのか……まてよ」
(あの小僧。サカキ様に夢中だ)
「先ほどの礼だ。行け、ゴルバット!」
ロケット団員の男は壁の穴からモンスターボールを投げ入れる。まもなく社長室にゴルバットが出現する。
「ゴルバット、切り裂く!」
「え」
ゴルバットは風を切りながらレッドに急接近し、その凶刃によってレッドの体を切り裂きながら吹き飛ばした。
レッドは壁にぶち当たったあと、地面に倒れ伏す。
「……え」
ナツメがかすれた声を出しながら目を見開く。サカキのニドリーノとレッドのフシギソウの戦いも止まった。
ロケット団員の男ははしゃぎながら社長室に飛び込む。
「やりましたよサカキ様! 侵入者を一人排除しました。あとはお前だけだ! ジムリーダーナツメ!」
サカキから笑みは消えていた。サカキは心底つまらなそうにため息を吐いたあと、
「……よくやった。ナツメはもう戦う意志はない」
ロケット団員に声をかけた。興が削がれたと、全身で語りながら。
「む! そうなのですか。ならば……」
「ちょ、ちょっと! なにをする気? 早く手当を!」
「動くなナツメ」
いつの間に出したのか、サカキのポケモンであろうニドキングの爪がナツメの首筋でとまる。
ロケット団員の男は動かないレッドに近づく。途中でフシギソウがレッドに駆け寄ろうとしたが、すぐにゴルバットに行く手を阻まれた。
「意識はあるようだな。サカキ様、こいつのポケモントレーナーとしての実力は脅威です」
「いいだろう。心を折ってやれ」
サカキは社長机に体重を軽くあずけ、ロケット団員を顎でしゃくった。
ロケット団員はにやつきながら、
「起きろ坊主。ポケモンを借りるぞ」
「う……ぐ……」
ロケット団員はレッドの腰からモンスターボールを取り出し、残りの5体のポケモンを出現させる。空になったボールは全て踏み潰された。
皆サカキのポケモンとの戦いで傷ついている。
「な……なにを……!?」
レッドが辛うじて意識を覚醒させたが、状況が掴めず混乱している自分の仲間たちを見ることしかできない。
「こうするのさ。お前ら、動けばご主人様が傷つくぞ!」
ロケット団員はレッドの首にゴルバットの羽の切っ先を押し付ける。
その光景を見て、気性の荒いギャラドスですら愕然として動きを止めた。他のポケモンは言うまでもない。
そしてロケット団員はもう一匹のゴルバットを出現させる。
「ゴルバット、奴らを切り裂け!」
「や……やめろ!!」
レッドの叫びは無意味だった。ゴルバットが飛び回ってレッドのポケモンを攻撃する。レッドを人質に取られたフシギソウ達は、攻撃を受け続けるしかない。
「……こんな、こんなの無意味よ! やめさせて!」
ナツメもたまらず叫ぶ。しかしサカキは、あい変わらず無感動に見ながら、非情な要求をする。
「レッド君。君がロケット団員に入るのなら、すぐさま攻撃を中止しよう」
「ぐ……!!」
レッドのポケモン達のくぐもった声が響き、また一匹、また一匹と倒れていく。レッドは苦悶の表情。
「おっと動くなよ坊主。ゴルバットが力の加減を間違えちゃうといけねえ」
「さあ、どうするレッド君」
しかし、サカキとロケット団員の言葉はレッドに届いていなかった。レッドの心にあるのは、ただひとつ。
(皆が……傷ついている。俺が……俺が……守って……守らなければ……!!)
「くっうおおおお!!」
レッドは駆け出す。ゴルバットの羽がレッドの首を浅く切ったが関係ない。
「無駄だ、ゴルバット!」
レッドに羽を突きつけていたゴルバットがレッドの背後に迫る。しかし、
「フシ!!」
「フリー!!」
フシギソウのはっぱかったーとバタフリーのサイケこうせんがレッドの背後のゴルバットをとらえ、吹き飛ばした。
「しまった!? くそ、だがもう一匹を忘れるな!」
しかし、フシギソウとバタフリーは直後にもう一匹のゴルバットに攻撃をくらい倒れ伏してしまう。
これ以上攻撃を受けたら、死んでしまう。ゴルバットの攻撃がレッドのポケモン達に迫る。
「やめろお!!」
レッドは今まさに攻撃を受けようとしていたギャラドスの首に覆いかぶさる。そして、レッドの背中に激痛が走り、また吹き飛ばされる。
「ぐあっ……!!」
「レッド!!」
「この小僧、馬鹿か?」
「……」
しかし、レッドの起き上がりは早かった。動けないバタフリーを襲おうとしていたゴルバットの攻撃を、またしても庇う。
今度は、踏みとどまる。
「ぐっ……!!」
「なっ……お前……なんで」
レッドの全身が焼けるように痛い。しかし、レッドの足は止まらない。またしてもゴルバットの攻撃を、動けないラッタに覆いかぶさって庇う。
「……ぐ……はは……」
(この坊主……いっちまったのか?)
「レッド……?」
ナツメもレッドが分からない。そんなことはやめて逃げろといいたいが、レッドの突拍子もない行動に驚きの度合いの方強くなってしまった。
サカキは、先程から動かない。
レッドは、笑っていた。
「痛い……痛いな……。こんな痛い思いをしながら、皆は今まで、俺の指示で戦ってくれてたんだな……。凄いよ……」
(レッド……! あなた……!)
ナツメの心が一気に締め付けられる。レッドの意図にやっと気づいた。レッドが袖に懸命に隠して使っている、キズぐすりに気づいた。レッドは勝負を諦めて自暴自棄になっているのではない。
レッドは一瞬足りとも、目指す道から外れていない。
(レッド……あなたは本当に……どんな状況でも、あきらめないのね……。私は……)
なんて情けないことかと、ナツメの頬に涙が伝う。自分よりも年下の少年が、圧倒的な暴力の前でも膝を屈さない。
(それに比べて私は……ロクに戦いもせず、敗北が決定した未来を受け入れて……このざま。ロケット団の内部に入って彼らを軟化させるなんて、なんて甘いことを……!)
ナツメが見た予知が、目の前で完成しようとしている。
(だけど……、その先はせめて……、レッドとレッドのポケモン達を……救うことだけでも……)
ナツメの首には相変わらずサカキのニドキングの爪。モンスターボールを投げた瞬間、その爪はナツメを襲うだろう。
しかし、ナツメは覚悟を決めた。未来は変わらないかもしれない。抗うことはできないのかもしれない。
だが、真のポケモントレーナーを見殺しになんて出来はしない。
(……レッド、あなたを救う。ジムリーダーが膝を屈しても、あなたなら……。私の命に代えても、あなたを救う!)
ナツメは自身のエスパー能力、テレパシーを使いボールの中のフーディンとバリヤードに命令を先送りする。
あとは、ボールを投げるだけ。
(レッド……。どうか、生きて!)
ナツメは自身の首に食い込む爪を無視して、両手から2つのモンスターボールを投合した。現れたバリヤードとフーディンがレッドへと向かう。
ナツメは瞼を強く絞り、最後の時を待つ。が、
「え……?」
いつまでも来ないニドキングの爪。ナツメが目を開けると、ニドキングは腕をおろしており、サカキは腕を組んだままレッドを眺めている。まるでそれ以外なんの興味もないように。
(……今はレッドの方が先!)
ナツメはレッドの元へ駆け出す。
「レッド!!」
ナツメのバリヤードがレッドたちの前に躍り出て、バリアーを展開する。フーディンはゴルバットをサイコキネシスで弾き返す。
「なっ、ゴルバットかみつく!」
「フーディン、サイコキネシス! レッド、返事をして! レッド!」
ラッタを守るようにして抱きしめていたレッドへ、ナツメが懸命に語りかける。
「ナツメ……さん」
「!! 良かった……!! ……フーディンと私の力を合わせてテレポートを使うわ。すぐにビルの外へ行くわよ」
ナツメのテレポートは最終手段だった。これだけのポケモン達と共にテレポートを使えば、ナツメも消耗してろくに動けなくなるだろう。
(だけど、今は逃げるしかない! サカキが動かないうちに!)
それはごもっともだがレッドの考えは違った。
「待って……ください。俺と、サカキのバトルは、決着が、ついてない……」
「……っ!? 馬鹿な事を言わないで! 今そんな場合じゃ……」
「……決着が、ついてないんです! 俺とポケモン達のバトルが……!」
「!?」
レッドの闘志に満ちた瞳に、ナツメは吸い込まれた。
「お願いがあります、ナツメさん。俺の、ポケモンたちに……この薬を……」
「…………」
ナツメは迷った。だが、ここで彼の戦いを否定したら、いけないような気がする。
「……わかったわ。任せて」
バリヤードとフーディンが時間を稼いでいる間、ナツメはレッドのポケモン達に回復を施していく。ナツメが緊急用に取っておいた最高級品、かいふくのくすりも惜しみなく使った。
(この子たちも、レッドと同じ……。どうして、こんな瞳ができるの?)
レッドとそのポケモン達の、魂が燃えている。
「くそ、サカキ様! どうか援護を! 俺だけのポケモンでは……うわ!?」
バリヤードがバリアーを解除し、攻撃態勢に写る。
「いい加減に、しなさい! フーディン、バリヤード! サイコキネシス!」
「ぐわああああああ!?」
一点集中させた念力がゴルバットを吹き飛ばし、ロケット団員の男もそのゴルバットに巻き込まれて社長室の扉を壊しながら彼方に飛んでいった。
ナツメはすぐさまサカキに向き直る。奴がその力をこちらに向ければ、ナツメも全力で反抗しなければならない。
(レッドと私で勝てるかどうか……。いえ、今のレッドにやっぱり無理は……)
ナツメのそんな思惑は、なんとか立ち上がったレッドの一言で却下される。
「仕切りなおしだサカキ。お前もポケモンを回復させろ」
「!?!?」
「……本気かね。レッド君」
「ああ……本気だ」
レッドだけじゃない。先ほどまで倒れ伏していたフシギソウ、ピジョン、ギャラドス、カラカラ、ラッタ、バタフリーが、傷こそ治療されたものの疲労困憊の体で立ち上がる。
そして、例外なく戦意で満ちている。
「レッド……」
ナツメは呆然と眺める。
(なぜこんな瞳ができるの? 人も、ポケモンも!)
サカキが組んでいた腕をとき、自身のポケモンたちを全て出して懐からかいふくのくすりを取り出す。
「レッド君、どうしてそこまで君はポケモンバトルにこだわる。君自身骨が折れているかもしれない体で、どうして中断されたバトルにこだわる?」
レッドとレッドのポケモン達の眼光は、全てを圧倒していた。
「俺がポケモントレーナーだからだ。信頼できる仲間たちと共に、正々堂々と戦った先にこそ、本当の勝利を得る事ができるからだ。俺の魂に刻まれた想いだけは、例えどんな状況であろうと、例え相手が悪の根源であろうと、変わりはしない」
ふらつくレッドの体を、ナツメが慌てて支える。レッドはありがとうとナツメへ微笑む。
「レッド……、せめて、あなたをこのまま支えさせて。倒れないように……」
ナツメの涙が被った願いを、レッドは優しく受け入れた。
サカキがポケモンの回復を完了させる。
そして初めて、笑顔をなくしてレッドに対峙する。
「……レッド君。私は君を見誤っていた。君は私の片腕候補では決してない。今持てる私の全てを持って君を敗者に落としめなくてはならない、私の敵だ」
レッドは笑った。その敵意、バトルでもってサカキの全力を後押しするならばこれ以上のことはない。
最後に、レッドは振り返って自らのポケモン達を見渡した。
「皆、行けるか?」
「グオオオオオオオオオ!!!」
一際声量があるギャラドスの雄叫びが響いたが、レッドの全てのポケモンが沸騰する激情で叫んでいる。
皆思いは同じ、正々堂々と戦い、勝つ。
「レッドのポケモンが戦闘不能と判断したら、私のバリヤードがバリアーを張って、フーディンで回収するわ。両者異論はないわね」
「いいだろう」
「ありがとうナツメさん。バトル再開だ。行け! バタフリー!」
「行け、ニドリーノ」
「バタフリー。っ……サイケっこうせん!!」
声と共にレッドの全身に激痛が走る。しかし倒れる訳にはいかない。
「ニドリーノ、きあいだめ」
「バタフリー、もう一度だ!」
(すごいなバタフリー。キャタピーの時はあんなにちっちゃかったのに……本当に強くなったな)
「ニドリーノ! つのでつく!」
サカキの采配は全く曇らない。ニドリーノがサイケこうせんを耐え、バタフリーが息をついた瞬間渾身の一撃を与える。
バタフリーの急所にあたり、バタフリーは一気に吹き飛んで地面を転がる。ナツメがすぐさま判断する。
「バタフリー、戦闘不能」
レッドには見えた。バタフリーが最後、確かに笑った。
(お前の想い、無駄にはしない!!)
「行け! ピジョン! 空をとぶ!」
ピジョンの突撃をニドリーノが迎撃する。ニドリーノの角がピジョンに迫るが、ピジョンはすんでの所で体をずらし、ニドリーノを弾きとばして戦闘不能に追い込む。
「戻れニドリーノ。む」
サカキの手が止まる。レッドのピジョンが光り輝いている。
現れたのはポッポの最終進化系、ピジョット。優雅な羽ばたきとともに、高らかに叫ぶ。
(なんだポッポ。そんなに綺麗だったのか……)
「行け! サイホーン」
サカキは動じない。岩タイプとひこうタイプの激突、その相性を遺憾なく発揮してサカキは肉弾戦をものにした。
サイホーンとピジョンとのお互い渾身の力込めた正面衝突は、サイホーンの硬い体にヒビが入ったものの、ピジョットは力を使い果たして倒れる。
「ピジョット、戦闘不能」
「行け、カラカラ。ホネこんぼう!」
カラカラはサイホーンの突進を読んでかわし、ピジョットがヒビを入れた場所を正確に打ち砕く。サイホーンは唸り声を上げて倒れた。
サカキがサイホーンを戻す。そして、カラカラの体が光り輝く。
(悲しみを乗り越えたお前は、冷静に状況が見る事ができる勇者だ。お前の力、存分に見せてくれ! ガラガラ!!)
勇敢に自身を守った母と同じ姿、ガラガラは溢れ出る闘気を雄叫びに変える。
「行け! ガルーラ!」
「ガラガラ、ホネブーメラン!」
ガラガラがガルーラへホネーブーメランを投合する。
「二度同じ手は通用しないぞ。……なに?」
サカキの予想に反し、ガラガラは投げたあとすぐにガルーラへ走る。ガルーラはホネーブーメランをかわし、ガラガラに肉迫する。
「よけろ! ガルーラ!」
カーブして後ろから戻ってきたホネブーメランをガルーラが身を捩ってかわす。しかし、ガルーラが避けた所でガラガラが飛び上がり、ホネブーメランを片手で受け取る。
「ホネこんぼう!」
そのままガラガラはガルーラへの脳天へと振り下ろす。しかし、サカキのガルーラは真剣白刃取りでホネこんぼうを受け止める。
「れんぞくパンチ!」
ガルーラが手を離し、中空のガラガラにパンチのラッシュを浴びせた。
「ガラガラ、戦闘不能」
「行け、ギャラドス!」
(ガラガラのホネこんぼうと今のラッシュで、ガルーラの拳はもう使えんな。だがガルーラにはまだ牙がある。そして!)
「ギャラドス! 噛み付く!」
「ガルーラ! 噛み付く!」
(ギャラドス! お前は進化する前から勇敢な戦士だった! お前の勇猛な姿は、俺をいつだって勇気づけてくれた!)
三度のかみつきあい。顎の力はギャラドスに分があり、今ガルーラは拳を封じられている。
「そのまま押し切れるぞ! ギャラドス!」
いや、ガルーラに拳はあった。ガルーラの腹袋の中に。
「ガルーラ……れんぞくパンチ!」
腹袋の中の子ガルーラが雄叫びを上げる。そして母に変わりギャラドスへ、拳、拳、拳、拳のラッシュ。
「ガルガルガルガルガルガルガルガル!!」
マシンガンのような子ガルーラのラッシュがギャラドスの首裏を殴り続ける。ギャラドスの顎が、開いた。
「トドメだ。ガルーラ、そのままかみ砕け!」
「ギャラドス! バブルこうせん!」
ギャラドスが倒れ伏す直前、バブルこうせんでガルーラの脚をすくった。
ガルーラの戦意はまだ途切れていないが、膝が震えている。
「ギャラドス、戦闘不能!」
「行け、フシギソウ!」
フシギソウとガルーラは一切の迷いなく駈け出し、お互いの距離を詰めていく。
しかしガルーラは途中で脚がおぼつかなくなり、バランスを崩す。
「フシギソウ! つるのムチ!」
「ガルーラ! かみつく!」
口を開けて前傾姿勢になったガルーラの足を、フシギソウはつるで正確に掴んだ。そして自身はサイドステップしてガルーラの牙を避ける。
ガルーラは前のめりになったまま転ぶ。
「フシギソウ、しびれごな!」
「ガルーラ!」
(しびれて動けんか……)
「フシギソウ! ソーラービーム!!」
ガルーラが動けないところを、フシギソウは蕾をガルーラの顔の前へと持って行き、0距離でソーラービームを炸裂させた。
「戻れ、ガルーラ。……久々だよ。私の本当の手持ちを使うのは、行けニドキング!」
悠然と立つニドキング。
対して、ポケモンとして最後のピースを得たフシギソウが光り輝きながら、背の花を開かせる。
(これが……ポケモンとトレーナーの持つ力……)
ナツメは手が震えていた。恐怖ではない、魂を震わせる何かによって。
(行こう、相棒。どこまでも!)
「フシギバナ、勝つぞ!」
「バナアアアアアア!!」
お互い最後のポケモン。奇しくもレッドとサカキの考えは一致していた。
小細工一切なし、今自分の相棒が放てる最高の技で相手を葬り去る。
フシギバナの花の中心に光が集中する。ニドキングの角が緩やかに回転し始め空間を振動させる。
二匹とも、主の考えとシンクロしていた。
「フシギバナ!!」
「ニドキング!!」
お互いに手をかざす。勝利を信じて。
「ソーラー! ビームウウウ!!」
「つのドリル!」
フシギバナの大輪から放たれた煌々と輝く太陽の光。ニドキングは一歩も引かず、その光を超速回転する角で受け止める。
「行けええええ!!!」
「くっ!!」
ニドキングが角でソーラービームを受け止めながら、ゆっくりと一歩ずつ地面にヒビを作りながらフシギバナに近づいていく。その角でフシギバナを貫くために。
対して、フシギバナのソーラービームは輝きを増すばかりだった。ニドキングの角へと放たれるビームが時をおう毎に太さを増していく。
しかしニドキングもひるまない。角をさらに高速回転させて、放たれるソーラービームを拡散させる。拡散したビームが放射状に広がって部屋の壁、天井、窓、床を破壊していく。
「レッド!!」
ナツメがたまらず叫ぶ。このままではビルが持たない。
だが、遅かった。
「!?」
すさまじい轟音と共に、レッド達が立っていた床が大きく波打ち、ひび割れる間もなく完全に崩れ去る。天井も落ちてきた。
ニドキングへと向かっていたソーラービームの軌道が逸れてビルに風穴を開ける。
「サカキ!!」
レッドは中空に放り出されながら、瓦礫に消えていくサカキとニドキングに叫ぶ。
「勝負はおあずけだな。待っているぞ!」
サカキはそうレッドに叫んだ後、崩れ落ちる瓦礫で見えなくなった。
レッドはその一言を聞いて、緊張の糸が切れた。
(皆……今度は絶対に、勝とう……)
レッドは浮遊感を気にする間もなく、意識を闇に沈ませていく。
しかし、最後に頼りがいのある綺麗な声を聞いた。
「レッド!! フーディン力を貸して……! テレポート!!」
ヤマブキシティ。ロケット団によって封鎖されていたこの街は、一人のリザードン使いの通報によって、各地のジュンサーとジムリーダーが包囲していた。
タケシとカスミもヤマブキシティの北から進入し、逃げ出してきたロケット団達を捕らえるのに協力している。
しかし、突然シルフカンパニーから光の筋が天に伸び、轟音ともに崩れ去っていくのを二人は目撃する。
「なにが起こっているんだ……!?」
「早く! タケシ! あそこに向かうわよ!」
「待てカスミ危険だ! おい!」
シルフカンパニーへと走りだすカスミ。タケシも追うしかない。
「あれは……」
西から駆けつけたジムリーダーエリカも、シルフカンパニーから伸びる光を目撃していた。草ポケモン使いの彼女は、あれがなんの光がすぐにわかった。
(レッドさん……!!)
彼女は走る。胸に宿るは確信と焦り。なにか、いやな予感がする。
(ここは……一体……)
ナツメは目を覚ます。体の節々が痛いが、動けない程ではない。また、やけに回りが暗いことに気づいた。
(どこかの……洞穴? レッドたちは!?)
無我夢中で行った最後のテレポート。ここがどこかもわからないが、レッドたちのテレポートがうまく行ったかも確信が持てなかった。
だが、ナツメは気がついた。やけに体が重いと思ったら、レッドがナツメの上にのしかかって気絶している。レッドとナツメのポケモンたちも傍らにいるようだ。
「レッド……息、あるわね。よかった……」
ナツメがレッドの口に手を当てて確認し、安心する。また、少し離れた場所に光があるのにも気づいた。外は遠くないようだ。
(でも動ける状態じゃないわね。なんとかして外に助けを……)
「ラッタ!」
「! あなた……」
ナツメが鳴き声の方を振り向くと、レッドのラッタが光がある方角から駆けて来た。サカキとのバトルでは出番が来なかったために、余った力で回りを偵察してきてくれたようだ。
そして、ラッタの背後に迫る黒い影。
「ゴルバッ!!」
「!?」
突如としてゴルバットがナツメ達の前で羽ばたく。ナツメは戦慄した。まさか、あのロケット団員が……!
「あれ……このゴルバット……」
「レッド! 気がついたのね!」
レッドはナツメに支えられながら体を起き上がらせる。レッドはゴルバットの頭を軽く撫でる。
「オツキミ山の時の……。助けに来てくれたんだ」
レッドは微笑む。そして、光の方から声がした。
「おーい! ジュンサーさん来てくれ! 俺のゴルバットが見つけた。おーい!」
徐々に声の主の顔が鮮明になる。
「オツキミ山の時ぶりだな少年! まさかとは思ってロケット団用の秘密通路をあたってみたが、大当たりだ!」
「いい、ゴルバットですね。あの時のズバット……」
「ああ。俺もロケット団から足を洗って、今回ジュンサーに協力してたんだ。ロケット団員だけが知ってる秘密通路はいくつもあるからな!」
そして多くのジュンサー達がレッド達の元に駆けつける。レッドもナツメも、やっと本当の意味で安心した。体から力がどっと抜ける。
「ラッタ、よくやってくれたな……」
レッドがラッタを撫でると、ラッタも心からホッとした顔でレッドに身を任せる。
「ナツメさん、ありがとう。あなたがいてくれて、本当によかった」
レッドも気を失う前の脱力感に身を任せ、ナツメにもたれかかって顔を寄せた。
ナツメはそんなレッドに、微笑みながら涙を流す。
「バカ。私にお礼なんて言っちゃ駄目よ……でも、お疲れ様。格好良かったわ」
ナツメは自身の予知を初めて覆した存在をそっと抱き寄せ、腕の中のレッドの頬に口付ける。
少年はポケモンたちと共にやっと、休息を得た。
レッドが目を覚ましたのは、白い病室。
体がひどくだるい。しかしポケモン達の事が頭に浮かび、ゆっくりと体を起こそうとする。
「おはようレッド。無理しない方がいいわ」
「! ナツメさん……」
レッドが病室のドアへ顔を向けると、ちょうどナツメが入ってきたところだった。
「あなたのポケモンは皆無事よ。安心して」
「!……よかった。そうだ! 人質に取られていたポケモンは!?」
「私も気になってたんだけど、前にグリーンがフレンドリィショップの在庫を回収しに来てたでしょ? あそこに混ざってたみたいなの。持ち主への返却は昨日までに終わったわ」
「……そうなんですか。グリーンが……あれ?」
椅子に座りながらレッドのベッドへ突っ伏している誰かがいる。レッドが起き上がった際に毛布が被ってしまったのだろう。
(誰だ……?)
レッドはゆっくりと毛布をめくる。すると現れたのは、タマムシの淑女。
「エ……エリ……!?」
驚きの声を喉で飲み込む。エリカは眠りが深いのか、規則正しい静かな寝息を立てながら安らかな寝顔をレッドに晒していた。
「あなたが入院してから一時もここを離れなかったのよ。あとでお礼を言っておきなさい」
「……ええ」
レッドの手がエリカの頭を優しく撫でる。エリカが少し微笑んだ気がした。ナツメが茶化すように笑う。
「レッドも今は体をゆっくり休めて。あなたに面会したい人が大勢いるわ」
「わかりました。ナツメさん、俺のポケモン達は……」
「すぐ持ってくるわ。あなたの新しいモンスターボールに入れてね。……どうしたの?」
「いや……」
レッドはベッドに体を預けて天井を見る。
(グリーンにも助けられちゃったな。それに、あの時のリザードン……。それに、サカキ)
脳裏に浮かぶは果てしなき強者。
もっと強くなりたい。レッドは決意を新たにしながら、来てくれたエリカにお礼を言おうと彼女の覚醒を待つ。
その時は程なく訪れた。
「ん……あれ……私……」
「おはよ、エリカさん」
「レッ……!?」
レッドの声掛けと同時にエリカがすぐさま顔を上げる。
エリカは涙を耐えている顔で、ゆっくりレッドの顔へと両手を伸ばして頬を包む。
そして顔を近づけていき、頭を前に倒してレッドと額を合わせて目を瞑り、微笑んだ。
「本当に……もう……。心配したんですから……」
「ごめんなさい……。ありがとうエリカさん。看病してくれて……」
レッドもエリカの頬へ手を伸ばし、エリカの瞳からこぼれた涙を指で拭う。
エリカも耐え切れなくなったのか、レッドが怪我をしている部分を刺激しないように、ゆっくりと抱きしめる。
「あなたが目を覚まさなかったら……! こんな再会、もう二度とごめんですよ……」
エリカがレッドの肩へ顔をのせ、レッドに頬ずりするように首を傾ける。
「うん。……約束します」
レッドもエリカの背へ片腕を回す。
ちなみにナツメが部屋の隅にいた。
(…………むう)
「ごほんっ」
「はっ!?」
ナツメの咳払いで二人が顔を赤くしながら素早く離れる。
「そろそろ皆を呼んできてもいいかしら?」
「は、はい。よろしくナツメさん」
「ええ、私も後で来るから。またね。そうだレッド」
「はい?」
「レッドが気を失う前にしたあれ。私のファーストキスだから。んっ」
ナツメはウインクしながらレッドへ投げキッスして退室した。
レッドが呆然と見送る。エリカの顔が見えない。
「……事情を聞かせていただいても? レッドさん?」
「い、いや待って!? 一体何のことだか……!?」
「女性の唇を奪っておいて、知らぬふりをするのですか?」
「エ、エリカさん! 本当になんのことだかわからないんだ! 信じて!」
「つーん」
閑話休題。レッドの面会者は多種多様だった。
「レッド君、少し無茶をしすぎだぞ」
「そうよ! もう、心配させないでよ……バカ」
「ありがとう、タケシさん、カスミ」
「ミーもいるよ! ボーイは本当にデンジャラスね!」
「はは、すみませんマチスさん」
ジムリーダー達。彼らが集まったのはヤマブキシティを包囲してロケット団を捕らえるためだったが、奇しくも全員レッドが戦ってきた者達だった。
タケシが安心したように微笑み、カスミはレッドを心底心配している顔でレッドの手を握る。マチスだけはレッドの勇気をたたえているようだった。
そして次に訪れたのは、ヤマブキの空手王達。
「すまなかったあああ!!!」
見事な五連土下座だった。レッドも乾いた笑いをするしかない。お礼にと格闘道場免許皆伝の証であるポケモン、サワムラーかエビワラーを受け取ってくれとせがまれたが、レッドはそのポケモンを使ってヤマブキシティを守ってほしいとやんわりと断った。空手王達はレッドの一言で男泣きし、医者と看護婦によって強制退場させられた。
そして次に訪れたのは、シルフカンパニーの社長と社員達だった。
「ご、ごめんなさい! 俺のせいで、ビルがあんなことに……!!」
「いやいや。君の活躍のおかげで、ヤマブキにいるロケット団が壊滅したとグリーン君から聞いたよ。ビルはまた立て直せばいい」
「グリーン!? どうしてグリーンのことを社長は……」
「在庫をとりかえしてくれるように頼んだのは私なんだよ。ビルが占拠されたとき、ナツメさんとジムトレーナー達、そして空手王達が社員の逃げる時間を稼いでくれてね。私もその隙にフレンドリィショップに避難して、店員に身をやつしてロケット団の目をくらませていたんだ」
「成る程……」
「これは心ばかりのお礼だ。是非受け取ってくれ」
「……マスターボール! こんな貴重なものを……!!」
「ポケモンアイテムはトレーナーに使われてこそだ。君のこれからの良き旅路を祈っているよ」
レッドは深々と頭を下げると、社長は朗らかに笑いながら去って行った。
「さて、皆さん出て行かれましたね。とりあえず今日は私達が最後です」
「そうね」
今部屋にいるのはエリカとナツメ。しかし甘ったるい雰囲気は一切ない。
真面目な顔をしたエリカが話を切り出す。
「レッドさん。怪我をしている所恐縮ですが、正直に言いますね。私は……あなたを病院で見た時、身も心も凍る想いでした。あの時別れてから、こんなにも早く、こんな形で再会することになるなんて……」
レッドもエリカの気持ちがわかる。故に、彼女を心配させてしまって申し訳ない気持ちがあり、また自分の実力のなさが情けなかった。
「心配かけて、本当にごめんなさい……」
レッドも頭を下げて謝罪する。そんなレッドに、ナツメが助け舟を出す。
「エリカ、レッドがこんなことになったのは、私が……」
「そのことについては、特に怒りはありません。ただ一つ別に、私がナツメさんに怒っていることがあります」
「? それは……?」
ナツメには予想がつかない。
「ナツメさん。ポケモン協会に辞表を出しましたね」
「!」
レッドが目を見開いてナツメを見つめる。
「……当然よ。私は街のジムリーダーでありながら、誰よりも早くロケット団に膝を屈した。それだけでなく、レッドを、こんな目に合わせてしまった……!」
「そんな、ナツメさん!! 俺は!」
「レッドさん?」
エリカの笑顔でありながら語気のこもった声にレッドが押し黙る。
しかし、エリカはふっと表情を柔らかくして言葉を続けた。
「その辞表は私がポケモン協会に言って握りつぶしてもらいました。ナツメさんには追って数日の謹慎処分がくだるでしょう」
「エリカ!? 私はもうジムリーダーにふさわしくなんてっ」
「少し黙ってください。レッドさん、ナツメさんはレッドさんに対して罪の意識を感じています。レッドさんはどんな償いをしてほしいですか?」
「償いなんて……あ」
(そういうことか……)
レッドはエリカの考えを理解した。
「それじゃあナツメさん、俺と今度ジム戦してください。全力でポケモンを操る元気な姿を見せるのが、俺にとっては最大の償いになります」
「……馬鹿。いえ、本当の馬鹿は、私ね……。わかったわ、レッド。ありがとう……」
今までで一番の綺麗なナツメの微笑みをレッドは見た気がした。レッドもつられて微笑む。
「……レッドさん、私からは最後に一言」
「は、はい!」
急にまたエリカの語気が強くなった。レッドは思わず背筋を伸ばす。
しかし、エリカは目を閉じてレッドの手を両手で包むように握り、自身の顔まで持ってきて鼻と唇を軽くレッドの手の甲につける。
「……どんなときでも、無事に帰ってきて。元気でいてください。あなたの体は、決して一人のものではないのです」
「……はい……!」
「……はい、終わり。レッドさん。それじゃあ私はタマムシジムに戻ります。いつまでも空けてはいられないですから」
「はい、また」
「ええ、また。……ナツメさん」
エリカは去り際、ナツメの耳元でつぶやく。
「譲る気は毛頭ありませんので」
「!?」
ナツメが驚いて振り返るが、エリカは気にした風もなく病室を去って行った。
「どうしたのナツメさん」
「……いえ、なんでもないわ。レッド、私の謹慎が終わる頃には、体治っているといいわね」
「もちろん! ナツメさんとのバトル、楽しみですから!」
「ええ! 私も、とっても楽しみ……」
レッドとナツメが二人で笑いあう。ナツメは一つ、心に決めた事がある。
(楽しい未来は、予測できないからこそ、ね)
数週間後、レッドが退院と共に向かった先は……。
「おーす! 未来のチャンピオン! ここのジムリーダーは……っていう必要はなさそうだな! 奥で待ってるぞ!」
ヤマブキジムの受付兼案内人が笑顔でレッドを見送る。
レッドがワープゾーンに翻弄されながらもたどり着いた先、そこには……。
「ようこそ。私はジムリーダーのナツメ。あなたが来ることは既にわかっていたわ……なんてね?」
ナツメが首を傾げながらレッドに微笑む。レッドは帽子をかぶり直し、好戦的な笑みをナツメに向ける。
「それじゃあ、俺が今から何をするかもわかりますか?」
「ええ、もちろんわかるわ。でもそれは、私がエスパー少女だからじゃない。私が、ポケモントレーナーだから」
「……行きます!、マサラタウンのレッド!」
「エスパータイプを司るジムリーダー、ナツメ!」
『バトル開始ィ!』
「行け、ラッタ!」
「行きなさい、ユンゲラー!」
心地良い高揚感で体が軽く感じ、自然と声がはずむ。レッドとナツメから溢れ出る熱くて楽しい感情が、二人のポケモンにも伝染する。
「ユンゲラー、サイケこうせん!」
「ラッタ、でんこうせっか!」
ユンゲラーがテレポートで移動しながらサイケ光線を放つと、ラッタも負けじと高速移動してかわしていく。
(レッド……。サカキと戦うあなたは、逞しくも危うく見えた。そして、対峙して初めてわかる事が一つある。あなたの純粋な魂は、戦っている相手ですら熱くさせる)
「負けるなラッタ! ひっさつまえば!」
「ユンゲラー、サイコキネシス!」
ラッタのひっさつまえばがユンゲラーにクリーンヒットするが、ユンゲラーも苦い顔しながら最後の力を振り絞りサイコキネシスをラッタに当てた。
『ラッタ、ユンゲラー、戦闘不能!』
「戻れラッタ。行け! ガラガラ!」
「行って、バリヤード! さすがねレッド」
「ナツメさんこそ! でも俺も負けません!」
(私、笑ってる。ポケモンバトルを笑いながらできるなんて、思っても見なかった……)
ナツメにとって、未来予知は絶対だった。しかしもう違う。予測できない勝負がこんなに楽しいなんて知らなかった。
そして、それを教えてくれたのは目の前の少年。
「ガラガラ、ホネこんぼう!」
「バリヤード、バリアー!」
(バリヤードの考えていることが伝わってくる。エスパーじゃない、今まで共に過ごしてきたからこそわかる。心の繋がり……)
「バリヤード、サイコキネシス!」
「今だ、ホネブーメラン!」
バリヤードが攻勢に移ったのを見計らい、ガラガラはバリアーを迂回するようにカーブをかけてホネブーメランを投合する。
しかし、投げた時にはバリヤードのサイコキネシスがガラガラに届いていた。
「ガラ!?」
しかし、ホネブーメランもすぐにバリヤードの後頭部に直撃する。
「バリ!?」
『ガラガラ、バリヤード、戦闘不能!』
(羨ましいな……。レッドはこんなバトルを、ずっと前から知っていたのね)
「さあ、これが最後よレッド。用意はいい?」
「もちろん! 行けギャラドス!」
「行きなさい! フーディン! サイコキネシス!」
「ギャラドス、バブルこうせん!」
フーディンが速攻でギャラドスを削っていくが、ギャラドスは持ち前の体力で耐える。ギャラドスの攻撃は当たれば、防御の低いフーディンを一撃で倒せる威力がある。
ナツメはそれがわかっているから、万全の策を取る。
「テレポート。そう、その調子よ」
「くっ! ギャラドス、バブルこうせん!」
ヒットアンドアウェイのフーディンを、ギャラドスのバブルこうせんが追う形。
(このまま行けば、ギャラドスを削りきれ……あっ!)
ナツメがレッドの策に気づいた時にはもう遅かった。バブルこうせんの泡がバトルフィールドにとどまり、フーディンの動けるスペースがなくなってきている。
テレポートとはいえ、泡がまとわりつけば行動が遅くなるのは必定。
「ギャラドス、かみつく!」
「!? テレポート!」
フーディンの動きが遅くなり、すんでのところでギャラドスのかみつきをかわす。しかし、慌てたフーディンはテレポートする場所を誤った。
「フッ!? フー……!!」
フーディンがテレポートしてしまったのはフィールドの泡溜まり。体にまとわりついて次の行動が遅れる。
「たたきつける!」
レッドのギャラドスも、今度は外さなかった。
『フーディン、戦闘不能! 挑戦者レッドの勝利!』
バトルが終わり、お互いのポケモンを手元に戻す。
(負けちゃった……)
しかし、ナツメの心には涼やかな風が吹いている。一度目をつむって感慨にふけった後、レッドへと近づいてく。
「バトルありがとうございました」
「ええ。私も楽しかったわ。それじゃあ、はい。ゴールデンバッジ。つけてあげるわ」
「わっ」
ナツメがレッドの上着を軽く持ち上げ、ゴールデンバッジをつける。
つけ終わると、また二人向い合って微笑みあう。
「ねえレッド。もし助けが欲しかったら、なんでも言って。レッドのためなら、どこへだってすぐに駆けつけるわ」
「ありがとう、ナツメさん。それじゃあもしものときは、頼りにさせてもらいます」
残念ながらレッドは女性の魅力についてはわかっても、自分自身が色恋に積極的になるにはあと少し年齢が足りないようだった。
(あら。でもこれなら、私にも……。ファッションとか気をつけた方がいいわよね……)
「そういえば、あなた本当に覚えてないの?」
「? なにをですか?」
「……シルフカンパニーの時、ロケット団の秘密通路であなたが気を失う前の事……」
「……?」
レッドはキョトンとしている。本当に覚えてないようだった。
(レッドって天然ジゴロ……? まあ、いいわ)
「そう、じゃあ今度は忘れないでね。私の、感謝の証なんだからっ」
「え、わっ!?」
ナツメがレッドを抱き寄せ、レッドの頬には……。
「へくちゅっ。あら……風邪かしら?」
タマムシの淑女も、ただ想い人を待つだけではまずいかもしれない。