あなたが勝つって、信じていますから   作:o-fan

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タマムシシティ

 マサラタウン、レッド旅立ちの日。レッドは自室で荷物をまとめ、最後にパソコンの電源を落としていた。この部屋に帰ってくることは、当分ないだろう。

(行ってきます)

 快く送り出してくれた母に感謝し、町の外へ繋がる草むらに向かう。

 レッドが現時点で知る最高のポケモントレーナーは、その場所でレッドの見送りに来ていた。

 緑と赤を基調とした袴姿の淑女。それでいて少女と言っても過言ではない艶のある黒髪のボブカットと可憐な唇と瞳。

「エリカさん、ありがとう。僕はフシギダネと一緒に……立派なポケモントレーナーを目指します」

「ええ。期待していますよ」

 穏やかな微笑みと共に可愛らしく首をかしげる。レッドはドキンとした胸の高鳴りに戸惑いながら、紅くなった顔を隠すように帽子のつばでエリカの視線をさけた。

 しかしそんなレッドをお構いなしに、エリカはレッドに数センチというところまで近づき、レッドの両肩を優しく掴んでほぐす。

「力を抜いて……。旅は長く、つらいこともあるかもしれません。それに奮起するのもよし、けれど人に頼ること、ポケモンに頼ることも忘れないで。あなたは決して、一人ではないのですから」

「……うん」

 レッドは立派な敬語を言えたものではなかったが、エリカは気にしなかった。ポケモントレーナーとして高みを目指す同士、彼とは近い関係を望んでいる。

「セキエイ高原へ行く手順は大丈夫ですか?」

「うん。各地のジムバッジを8つ集めるんだよね。エリカさんも、セキエイ高原を?」

「……いいえ」

 意外だった。彼女がレッドの指導の中で見せてくれた草ポケモンの扱い方は、初心者のレッドから見ても凄まじい練度であることが見て取れたからだ。

「各地にはポケモンと様々な付き合い方をしている方たちがいます。私もその一人……例えポケモン達と戦いに赴く身でも、目指すものがセキエイ高原とは限りません」

「……」

 レッドには想像もつかない。一体彼女は、どうしてポケモンバトルをしているのだろう。

「私はタマムシシティにいます。レッドさん、あなたがその町に来るとき、私がどこであなたを待っているのか、わかってくれるのを期待していますよ」

 彼女の声は優しさに満ち、それでいて人を発奮させる魅力と愛が込められている。レッドはその全てを飲み込んで心体に循環させ、前を向いた。

「……はい」

「それでは、行ってらっしゃい」

「行ってきます!」

 

 街を見下ろせる丘でレッドは目をつむっていた。そして今、傍らのフシギソウと共にゆっくりと目を開く。  

 眼下にあるはタマムシシティ。そこはタマムシデパートやマンションが存在感を放つ、栄えある街。

「……ついに来たな。フシギソウ」

「フシ!」

 ポケモントレーナーの最初の扉を開く、その時に背を押してくれた人がこの街で待っている。  

 レッドの心には熱い感情が二つ渦を巻いて高揚している。新しいバトルへの期待。そして大切な人に自分の成長を見せたい。

 戦力も心も整えた。あとはあの人に恥ずかしくないようなバトルをし、仲間たちと勝利を手にするだけ。

(あの人が待っている場所は、きっと……!)

 タケシ、カスミ、マチス。彼らとの熱い戦いの経験がレッドに囁いている。レッドは叫び出したい気持ちを懸命におさえながら、フシギソウと共に彼女が待つ場所へと向かって走りだした。

 タマムシシティジム。そこは草木に囲まれ、このジムがどのタイプを司るのか外観から物語っていた。

 レッドとフシギソウはそれを前にしてごくりとつばを飲む。

「……」

 レッドは扉のドアノブを掴む。逡巡する理由はない。この先であの人が……!

「あれ、挑戦者の方? エリカさんいないよー」

 と、がっくりとバランスを崩しドアに頭をぶつけた。なんて軽い声色で確信を持つことになろうとは……。

「なにやってんの?」

 レッドに話しかけたジム所属のミニスカートの少女はレッドの行動を訝しげに見つめる。

「……ええと。ジムは今日お休みですか?」

「ちょっとジム戦だけ臨時休業なのよ。エリカさん、今ロケットゲームコーナーにどうしても外せない用事があるみたいで。あっこれ言っちゃいけないんだっけ? まいいや」

「ロケットゲームコーナー……?」

 レッドは不思議がった。ロケットゲームコーナーをレッドは知らないが、名前からしてどういうところかは想像できる。

 エリカがゲームコーナーに……彼女の外見からすれば、ちょっとミスマッチに過ぎはしないか。

(ロケット……まさかね)

「わかりました。それじゃあまた出直します」

「ごめんね~」

 さて、出鼻をくじかれた形になったが仕方がない。レッドは一気に退屈そうになったフシギソウをモンスターボールに戻し、これからどうするか検討する。

(幸い時間を潰せるところは多そうだな。エリカさんが行ってるロケットゲームコーナーも気になる……)

 どこから行くか。タマムシデパートの品揃えも気になるが、特別な用事があるわけじゃない。

(やっぱり気になるな、ロケットゲームコーナー。ここから行こう)

 ジムから歩き程なく到着すると、レッドは見たことない喧騒空間に驚いた。ロケットゲームコーナーの内部に鳴り響くゲーム音とコインの音、そして人の歓声。

 ゲームを一通り見てみたが、どうやらエリカはいないようだ。次いで壁に貼られた張り紙とポップを見る。

(コインでポケモンの交換も行ってるんだ……。ストライク、ポリゴン、聞いたことないポケモンだ)

 そういえばこういったゲームはグリーンが得意だったなと、レッドは思い出してくすりと笑った。協力ゲームでは常にレッドをリードして助けてくれた……。

(あ、今俺……)

 グリーンの事を思い出して明るい気持ちになれたことなど、かつてあっただろうか。レッドは手持ちのカラカラの入ったモンスターボールに手をやる。

(早く追いこさないとな。カラカラ見たらどんな顔するだろう)

 先を行くライバルを思いながら、レッドはゲームコーナーの端にたどり着く。

(特にこれといって変なところはなかったな。エリカさんもいないし、少し遊んでくか……? あれ?)

 レッドが視界の端にとらえた、黒い制服。オツキミ山で見覚えがある。

(まさか!?)

 レッドは駆け出す。黒い制服の男は遊ぶ人とゲームの間を慣れた様子でぬって行き、ゲームが立ち並んで死角になっている場所へと進んでいった。

(あそこはポスターが貼ってあるだけでなにもない!)

 レッドはやつを追い詰めたと確信し、曲がり角を曲がってロケット団が入っていった死角を見た。

「え……!?」

 ロケット団員が消えた。そこには壁にそって貼られたゲームポスターしかない。

(馬鹿な!? 奴は一体どこへ……!?)

 驚愕しているレッドをよそに、一枚のポスターの端がペラリと剥がれる。

「……?」

 レッドは気になって、一部が剥がれたポスターに手をやった。

(裏に何かある……?)

 少し力を入れて剥がす。するとそこにあったのは一つのスイッチ。

「……」

 レッドは恐る恐る押して見る。ポチっと音がなったあと、スイッチがあった壁の一部が横にスライドしていく……。

 現れたのは下へと続く階段。

(ロケットゲームコーナー。エリカさんの臨時休業。消えたロケット団員……)

 レッドの脳裏に描かれる予想絵図。ポケモンとの絆を説いたあの人が、故郷に巣食う悪を許せるだろうか。

(……行こう)

 この先で、今何かが起こっている。

 

 階段を降りた暗闇の先。そこが悪がはびこるロケット団のアジトということは、フロアに点在する黒い団員達の姿ですぐに理解できた。

 しかしレッドは警戒よりも、戸惑いの方が大きかった。 

(皆寝てる……? 手持ちのポケモンは出してるみたいだけど……どういうことだ?)

 あるものは地ベタで、あるものは椅子に座って。ポケモンを出していても主人ポケモン共々深い眠りに落ちている。

(……)

 いつどこでなにが出てくるかわからない。レッドはフシギソウを出して周辺を警戒したが、人の話し声や動く音は聞こえず、ただ寝息しか聞こえてこない。

(あそこのエレベーターで下に行けそうだな。お)

 よく見れば先ほどレッドが追っていた男が道端で寝入っている。しかも倒れた拍子にだろうか、ポケットからエレベーターで使うであろうカードキーが覗いている。

(ラッキー)

「うわ!?」

 レッドが取りに行こうとした瞬間、フシギソウがレッドの前をつるで制する。

「どうしたフシギソウ?……!」

 これ以上進んではならないとフシギソウは暗に言っている。皆寝入っているこの状況、そして争った形跡はない。

 フシギソウはレッドを見ながら鼻を鳴らす動作をしたあと、花粉を舞い散らせるかのように背の蕾を揺らす。その動作のおかげでレッドは気づいた。

「ねむりごなが漂っている……。行け、ピジョン。ふきとばし」

 ピジョンが男の周りの空気をふきとばすと、フシギソウもつるを降ろした。レッドはピジョンとフシギソウの頭をなでカードキーを手に取る。

 エレベーターに差し込むとすぐに動き出し、レッドは乗り込んで地下へ降りていく。

(フシギソウが気づいたことから、草ポケモンによるねむりごなだろう。やはり、エリカさんか?)

 エレベーターが開くと、これまたロケット団員の二人組とニャースが寝入っている。

「なんだ……かんだと……聞かれたらぁ……むにゃ……」

「答えて……あげるが……世の情けぇ……むにゃ……」

「待ってる……むにゃむにゃ……」

(あれ今しゃべんなかったか?)

 気になったが今はそれどころじゃない。先に進むと、今度はさらに開けた場所に出た。ジムで見るバトルスペースに似ている。

 大型のポケモンが闊歩できるほどの十分な奥行きがあり、天井も高い。

(地下にこんな場所が……)

 レッドはあたりを伺いながら、バトルスペースのトレーナーゾーンに立つ。

 その瞬間、レッドと対面のトレーナーゾーンにスポットライトが集中する。

「! なんだ!?」

 突然の光にレッドは目を細めたが、懸命に対面の相手の顔を確認しようとした。そして、ゆっくりと鮮明になっていく。

「ほほう。こんなところまで、よく来た」

 壮年の男性の声。スーツを着込んだ落ち着いた佇まい。しかし、その眼光は鷹よりも鋭い。

(っ!? この圧力は!?)

 畏怖と威厳が入り混じった圧倒的な戦意が、レッド一人に向けられている。

(あいつもポケモントレーナーなのか!?)

「エリカ嬢がしかけたねむりごなの罠、ここのわたしの部下は誰一人として潜り抜けることができなかったが、君みたいな子供が踏破するとはね。中々に楽しめそうじゃないか」

「あなたは誰だ!?」

「ふむ、色々と肩書は持っているが、サービスだ。子供の君にもわかりやすく教えてあげよう」

 男は自らの顔を親指で指差し、笑った。

 レッドは生まれて初めて他人に恐怖した。

「世界中のポケモンを悪巧みに使いまくって金儲けするロケット団! 私がそのリーダー、サカキだ!」

「……サ……カキ……!」

 この男が。いや、あいつは聞き捨てならない名前を言った。

「そうだ、エリカさんはどうした!?」

「彼女ならここだ」

「!」

 スポットライトがサカキのさらに後方の壁に集中する。そこには壁に付けられた鎖で両手を吊るされたエリカの姿があった。傷は見えず、身につけている袴が乱れている様子はないが、エリカはぐったりとして動かない。

「なっ……!?」

「安心して欲しい。さすがにタマムシの名士の娘を傷つけたとあっては、この街で金を握らせている連中も黙ってはいないからね。少々実力を知ってもらいはしたが」

「実力……まさか……!?」

(エリカさんが、負けた!?)

「さて、今私の手持ちは回復をしているから、部下のポケモンを借りるが……。せめてワンサイドゲームは避けてくれよ」

 サカキがどこからともなくモンスターボールを手にする。レッドは激高した。

「おまえ、こんな状況で……! エリカさんを開放しろ!!」

「ふむ……。元々エリカ嬢や君にアジトがばれる体たらくの稼ぎ口だ。今日引き払うのが潮だろう。そうなると、どんな条件がいいか? よし、それではこうしよう。君が勝てば、エリカ嬢をこの場で開放する。しかし君が負ければ、君が持っている技能、知識、ポケモン、その全てをロケット団員として悪事に捧げるのだ」

「貴様……!! ポケモンバトルをなんだと思っている!!」

「君こそなんだと思っているのかね? まさか一トレーナーとして勝負から逃げるのか? 案外弱虫なのだな」

 ブチッ。

「お前のような人間がトレーナーを語るな! 恥を知れ!」

「難しい言い回しをよく知っている。さてはエリカ嬢の関係者かな? 男としていいところを見せるチャンスだぞ?」

 レッドの眼が血走り歯が軋む。初めて怒りのままモンスターボールを握り構えた。

 対してサカキは一貫して笑みを浮かべている。

「ロケット団リーダー、サカキ」

「貴様に名乗る名前はないっ!!」

「ふははっ、バトル開始。行け、イワーク」

「行け! フシギソウ!」

(レッド……さん……いけ……ません……。その人は……カントー最強の……)

 おぼろげな意識のエリカの声は届かない。

「イワーク、いやなおと」

「フシギソウ、つるのムチ!」

(このまま攻めきってやる!)

「いい攻めだ。思い切りがある。イワークは捨て石にするかな。いやなおと」

「捨て石だと……!?」

 タケシならば絶対に言わないし思わない。

(こんな奴に負ける訳にはいかない!)

「フシギソウ、やどり」「戻れ、イワーク。行け、ガルーラ」

「なっ!?」

「れんぞくパンチ」

「フシっ!?」

 流れるような攻撃だった。イワークの戻り際もガルーラを出すタイミングも、そして攻撃に移るタイミングも一切のムダがなく、フシギソウが乱打を浴びて一瞬で地に沈む。

 奇しくもレッドが学び信奉してきた、ポケモンとトレーナーの連携が為せる技だった。

「くっ戻れ! 行け、ギャラドス!」

「それが切り札か? 少し期待しすぎたか」

「ぬかせえ! かみつく!!」

「ガルーラ、かみつく」

「ギャ!!」

 ギャラドスがガルーラの肩にかみつき、ガルーラも負けじとギャラドスの長い首にかみつく。

(ギャラドスの方が力が上だ。このまま押し切る!)

「ポケモントレーナーとは常に、物事を大局で見なければならない。ギャラドスには手足がないが、ガルーラには4つの手が残っているぞ、少年!」

「! しまっ!?」

 ガルーラからすれば相手が至近距離で固定さえされればよかった。

「れんぞくパンチ」

「ガルゥ!」

 ガルーラの腹袋の中の子ガルーラが吠え、母親とともに痛撃のラッシュをギャラドスに浴びせる。

「ググ……グググ……!!……ギャラァ!?」

 ガルーラに痛手を負わせることには成功したが、ギャラドスは耐え切れず倒れる。

(……やけにギャラドスが耐えたな。ガルーラの消耗も激しい。……! 宿り木か。あの一瞬でよく当てたものだ)

「まだだ! 行け! ピジョン!」

「戻れガルーラ。行け、サイホーン」

(くっ……タイプ相性が……!)

 レッドの思考は狭まっていた。元々が怒りで捕らわれ、現状は二体のポケモンが倒されて不利。結局なんのきっかけも掴めないまま、ピジョンはサイホーンに競り負ける。

「……戻れ、ピジョン」

「座興としては少し足りんな。もう少し頑張ってくれたまえ」

「……っ! 行け、バタフリー!! ねんりき!」

 バタフリーの速攻はサイホーンに攻撃の隙をあたえなかった。レッドは3体を失い、やっと一匹目を撃破する。

「行け、イワーク。いやなおと」

「ねんりき!」

(……くっ、やっと意識が……。レッドさんは……!?)

 エリカは顔を上げ、なんとかレッドを視認する。なんてことか、レッドの顔は焦りで満ちている。

「グォォ……」

「やったぞ! バタフリー!」

 蝶によってその巨体が沈む。元々消耗していたイワークの犠牲、サカキにとっては予定調和だった。

「ガルーラ、れんぞくパンチ」

「ああっ!?」

 体力が満タンだったバタフリーが一瞬で沈む。

「……行け、ラッタ……!」

 もうレッドに最初の威勢はない。ガルーラだけは別格、フシギソウとバタフリーが一瞬で倒され、ギャラドスですら倒すには至らなかった。このままではラッタも……。

 しかし、ラッタは雄々しく吠える。

「ラッタ!」

(ラッタ……お前……)

 ラッタが微塵も諦めていない事はレッドにも分かった。しかしレッドは……。

(あのエリカさんですら勝てなかった相手だ。……あのサカキは戦略もポケモンとの練度も、今まで会ってきたどのトレーナーよりも上だ。……俺が、勝てるような相手では……)

 レッドはガルーラとサカキを見る。ここまで敵が大きく見えたことは今までない。後ろには、捕らわれたエリカがいるというのに……。

(ごめんなさいエリカさん……俺は……)

 最後にエリカの顔を見た。なにか薬でも打たれたのか、顔色が悪い。

 しかし、エリカの口が動いている。

(なんて……?)

 お・ち・つ・い・て。

 そしてエリカは、微笑む。頬に汗を流し、身に残る苦痛に耐えながら。レッドの勝利を、レッドの成長の成果を、期待しているかのように。

(エリカ、さん)

 そこで初めて、レッドはラッタの異変に気づいた。さっきまでガルーラを威嚇していたラッタが吠えるのをやめ、振り返ってレッドをじっと見ている。

(…………!)

 ラッタはコラッタの頃にレッドが初めてゲットしたポケモンだ。付き合いはフシギソウの次に長い。

 今、ラッタは何をしている? 焦る主人に戸惑っているのか? レッドと同じく戦意を無くしたのか?

(ラッタは待っている。俺の命令を。俺を待っているんだ。俺に信頼を寄せ、勝利を勝ち取るために、俺の命令を待っているんだ)

「ははっ」

 レッドは下を向いて吹き出す。本当にかっこ悪いところを見せてしまった。

 そしてレッドは顔を上げる。もう、恥ずかしい姿は見せてられない。あの人にも、自分を信じて待つ仲間にも。

 そしてサカキのガルーラの動きを冷静に把握し、レッドはラッタに命令を下した。

(奴の動きが鈍くなったな。万全を期させてもらおう)

「ガルーラ、回復だ」

「ガルっ」

 ガルーラがサカキの近くに寄り回復を施される。この距離ならば攻めにきたラッタを充分に迎撃できる。

 サカキからすれば、少年にさらなる絶望を与えるための示威行為も兼ねていた。

(さあ、どんな命令を下したか……ん?)

 ガルーラの回復が終わったが、ラッタが攻撃にこない。

「ラッタ、きあいだめだ」

(ほう……こちらの回復をみこし、唯一のくもの糸を見つけたか。確かにラッタの火力を考えればそれしかない。自棄にならなかったのは評価しよう)

「だが、うまいくかな。れんぞくパンチ」

「ラッタ、ひっさつまえば!!」

 ラッタは駆ける。ガルーラのパンチを四方から浴びるが、一切ひるまない。

(むっ!? このラッタ、避ける気がない!)

 ラッタのひっさつまえばは、ガルーラの脂肪が薄い首筋の急所にあたった。そしてラッタは距離を取り、なおもあきらめない。

「くっ。ガルーラ、かみつく!」

「でんこうせっか!」

 れんぞくパンチより命中率が高いかみつく、サカキがとった安全策が仇となった。ガルーラが顔を前面に出したため、ラッタのでんこうせっかがまたも首筋の急所に当たる。

 それでもなんとかガルーラはかみつくを命中させ、ラッタを仕留めた。

「よくやったラッタ。後は任せろ」

(たぐりよせた強運が戦意を呼び起こしたか。少し舐めすぎていたかな)

「ガルーラはあと一撃といったところだ。さあ少年、勝ちきれるか?」

「既に答えは俺のポケモン達に貰っている。行け、カラカラ!」

「カラァ!」

「一瞬で決める。ガルーラ、れんぞくパンチ!」

「カラカラ、ホネブーメラン!」

 ガルーラがカラカラに突進する中、カラカラが先手を打ってホネブーメランを投合する。

「カラぁ!」

「良い技を持っている。だが甘い!」

 迫り来るホネブーメランをガルーラは首を傾けて躱す。ホネブーメランは後方に吹っ飛んていく。

 しかしレッドとカラカラは微動だにしない。既に勝負は決まったとばかりに。

(……あの少年! そうか!)

「ガルーラ、かがめ!」

 ガルーラが即時に反応し、走行を中断してかがむ。その上をカーブして戻ってきたホネブーメランが通過する。

「……惜しかったな少年」

 しかしレッドは笑い、地面に消えたカラカラにサムズアップした。

「”あなをほる”。ナイスだカラカラ」

 かがんだガルーラは目の前を地面が盛り上がるのを確認した途端、現れた骨被りの小さな闘士に顎を正確に撃ちぬかれ、バトルスペースにその身を沈ませた。

「……君はとても大事にポケモンを育てているな。そんな子供に私の考えはとても理解できないだろう。……! ここは一度身を引こう」

 ガルーラを戻したサカキが奥の闇に消えていく。去り際に指をパチンと鳴らすと、エリカをつないでいた鎖が解かれた。

「君とはまた、どこかで戦いたいものだ……!」

「まて……!」

 レッドの声も空しく、サカキが暗黒に消えると同時に扉の締まる音がした。もう、追っても無駄だろう。

(サカキは本当の手持ちではなかった……。あんなに強い人がいたなんて……)

「……エリカさん!」

 レッドは鎖から解かれて地面に手をついているエリカに駆け寄る。

「レッドさん……」

「エリカさん、手を……」

「あっ……」

 エリカがバランスを崩し、レッドが抱きとめる。エリカの声は、弱々しい。

「強くなりましたね……レッドさん。それに比べて……私は……私は……!」

「いいえ……! そんなこと、そんなことないです! エリカさんがいなきゃ、僕は……」

 抱きしめられたエリカがレッドの肩に顔をうずめ、レッドもエリカを抱きしめる強さを強くする。

 カラカラが骨棍棒を首の後ろに回して回れ右し、主人の逢引を邪魔すまいと空気を呼んだ。

 

 この後通報したレッドによって、地下で睡眠をとっていたロケット団員のほとんどが御用となった。

 しかし当然、その中にサカキの姿はなかった。

 エリカが単身乗り込んだのは、突入を図る治安機構からロケット団員への密告者が出ても手遅れにするためだったらしい。ロケット団員が街で大手を振って稼ぐゲームコーナー、街の有力者に賄賂が及んでいることは想像に難くない。

 そのための草ポケモン達によるねむりごなの罠によって、エリカの思惑は8割方成功したと言えた。ただ最後、サカキに敗れるまでは……。

 エリカが受けたのはサカキが使ったニドクインからの毒針だったらしい。しかしエリカは草のエキスパート、草ポケモンは毒タイプとの複合タイプが多く、解毒は自家製漢方薬で済ませてジムに出向いた。

 レッドとタマムシジムの所属トレーナーは、まさかエリカはポケモンの技を受けた身で即日ジムを再開するのかと勘違いしエリカに思い直させようとしていたが、それは杞憂に終わった。

「皆さんありがとう。ここには今日忘れ物を取りに来ただけですから、どうか安心してください。ご心配をおかけして、申し訳ありませんでした」

 エリカは深々とジムのトレーナー達に頭を下げる。

「謝らないでくださいエリカさん!」「エリカさんが無事でよかった……!」「街では既に悪を打ち倒したエリカさんって話題が持ちきりですよ!」

 エリカの薫陶を受けてきたジムトレーナーの女性たち。皆一様にエリカの無事と功績に歓喜している。

「でもー、私達に心配かけるのはこれっきりにしてくださいね! 大事な私達のリーダーなんですから!」

 レッドにエリカの行く先をもらしたミニスカートの少女がぴしゃりとエリカに言う。エリカも申し訳無さそうに今一度謝罪した。

 そしてミニスカートの少女はレッドにウインクする。

(あの時言ったのは、わざとだったのか?)

 レッドが驚いていると、エリカが用を済ませたのかレッドのそばまで来る。

「今日は本当にありがとうございました。あなたが来なければ、私はどうなっていたか……」

「いえそんな! ぼ……俺が勝てたのは、エリカさんのアドバイスがあったからだよ。"落ち着いて"って。それがなければ、俺は大切なものを失っていた……」

「レッドさん」

 エリカはレッドにさらに近づき、レッドの手を取り両手で包む。

「そうかもしれません。しかし、一番の勝利の要因はあなたとポケモンが最後まで勝利を信じたからです。それを忘れないで」

「……はい」

 しかしレッドの心には、靄がかかっていた。

『さて、今私の手持ちは回復をしているから、部下のポケモンを借りるが……』

 おそらく、サカキの言葉はエリカとのバトルによるものだったのだろう。レッドはサカキの3体のポケモンに対し6体でやっとの勝利だった。

 別にポケモン達の頑張りを否定するつもりは全くない。

(もし、サカキが万全の手持ちだったら……)

 それが脳裏からどうしても拭えなかった。

「レッドさん。タマムシにいる間はどうか、私の家を宿として使ってください。私とタマムシを救っていただいた礼を、是非させてください」

 驚くレッド、そしてジムの女性たちが歓声を上げる。

「えっでも……」

 エリカはレッドだけに聞こえるよう耳元でつぶやく。

「サカキの事で、お話したいことがあります」

「!……わかった」

 そんな二人に割って入るようにミニスカートの少女がレッドを指さす。

「ちょっとあんた! エリカさんに手を出したら承知しないわよ!」

「いやいや子供になに心配してんのよ……」

 大人のお姉さんが呆れたように言い、屈んでレッドに視線を合わせ、

「ありがとね坊や。私達のリーダーを助けてくれて……あら?」

 レッドはグラマラスな大人の女性の接近に、つい頬を紅潮させ顔を背けてしまう。

(む)

「……行きますよ、レッドさん」

 するとエリカが口を尖らせながらレッドの手を引き、そそくさとジムを後にする。背中にジムトレーナーの冷やかしやら暖かい視線を受けながら、エリカはレッドを伴って帰路についた。

 

 レッドが案内されたエリカ宅は、見たこともないような和の邸宅だった。庭だけでレッドの家の敷地の何倍あるかわからない。

 多くの使用人がレッドとエリカを出迎え、客室に案内されたレッドはそわそわと最初は落ち着かなかったが、部屋から見える庭でのんびりと過ごす草ポケモン達を見ていくらか和んだ。

 程なくエリカが部屋に来て、夕食をそのまま二人で馳走になった後、エリカから今日の話を切りだした。

「あのポケモントレーナー、サカキについてお話します。彼はかつて、カントー地方で"大地のサカキ"と恐れられた伝説のポケモントレーナーです。当時はカントー最強の呼び声高く、ポケモンリーグ優勝も時間の問題と言う人もいたほど。しかし彼は何の前触れもなく、表の世界から姿を消しました」

 レッドは戦慄したが、しかし驚きはなかった。あれほどの実力者が世に知られていないはずがない。

「私がロケットゲームコーナーの最深部に到着した時、彼と対戦になりました。……結果は、言うまでもありません」

「エリカさん……」

 エリカの顔は沈鬱だ。レッドは声をかけるが、あまり彼女を慰める有用な言葉が思いつかない。

 それでもエリカは顔を上げ、レッドへ笑顔を向ける。

「本当のタマムシの英雄はレッドさんです。サカキを退け、私を助けてくれました。あなたには、ジムリーダーが認めたこのバッジを……」

 レッドが信じられないような目をしながらエリカを止める。

「ま、待ってエリカさん。俺はまだ、エリカさんと直接バトルをしてない。気持ちは嬉しいけど、今まで正規の方法で手に入れてきたし、これじゃあ他のジムバッジを目指すトレーナーに申し訳が立たないよ……」

「しかし……」

 なおも渋るエリカに、今度はレッドが優しくエリカの手を取る。

「俺にとって一番のお礼は、エリカさんがまた元気な姿で元のジムリーダーに戻ることだよ。俺に協力できることがあったら、なんでもするから」

「あ…………」

 エリカはしばしポカンとしていたが、すぐに穏やかな笑みを作りレッドの手を優しく握り返す。

「本当に見違えました。あなたに教授した身として、恥ずかしい姿は見せられませんね。わかりました。このジムバッジは、また改めて」

「はい」

 あとは他愛無い雑談に変わり、夜も更けたためレッドは来客用の寝室に案内された。

「さて……寝るかな」

 レッドは厠から縁側を通って寝室に向かっていた。月が綺麗な夜空、庭にはポケモンの寝息が聞こえてくる。

(ん……エリカさん?)

 庭にエリカがクサイハナを伴って立っている。

(……え?)

 心配そうにエリカを見上げるクサイハナ、エリカはモンスターボールを握った手を、目を細め口を一文字に結んで見つめている。

 声をかけられるような雰囲気に見えない。レッドは寝室に戻ったあと目を瞑ったが、どうにも寝れなかった。

 庭で見たエリカの表情が、何故か忘れられない。

(なにか、心配事でもあったのだろうか)

 明日、機会があったら聞いてみようか。そんなことを考えていたが、レッドも昼間の緊張感が切れたのか、久々の暖かい布団の中で深い眠りについた。

 明くる日。

(ジム戦は休みか……)

「レッドさん、申し訳ありません……」

「そんな、むしろ当然だよ」

「そうですよー。ジムに来るのだって心配なのに」

 ミニスカートの少女がエリカをジト目で見る。ジムのスタッフ達の判断で、タマムシジムのジム戦はエリカの大事を取り今日も休みとなった。

 それでもなんとかエリカはスタッフに掛け合い、せめてトレーナーたちへの簡単な指導だけでもと譲らなかった。

 結局スタッフたちが折れたため、エリカはジムに残りレッドもそれを見守っている。

「今のタイミングを忘れないで。もう一度技を使ってみましょう」

「はい!」

 レッドよりも年下の少女が今エリカの指導を受けている。

「エリカさん! ちょっとお手本見せて」

「ええ、もちろん……」

 エリカが少女に変わり、ポケモンの前に立つ。すると……。

(エリカさん……?)

 レッドはすぐにエリカの異変に気づいた。エリカが声を出そうとした状態で呆然としたように固まっている。

「……は、はっぱカッター」

「わあ! エリカさん、ありがとう!」

 少女は自身のポケモンに駆け寄ってあやす。エリカのそばに寄ったレッドの顔はひどく心配そうだった。

「エリカさん、あなたは……」

「大丈夫です」

 エリカは振り向き、レッドへ微笑む。

「大丈夫」

 そう言われてしまっては、レッドはエリカを見ているしかない。

「エリカさーん! モンスターボールの投げ方教えて!」

 また別の少女が、エリカに羨望の眼差しを向けながらポケモンの捕獲方法を乞う。既に街中にエリカの功績が知れ渡っていたから、新しくジムに来る子供が大勢いた。

「ええ。まず相手を弱らせたあと、ボールを握って……」

 エリカが少女からモンスターボールを受け取る。しかし、なんでもないはずの動作の中で、エリカはボールを落とした。

 彼女の手が、震えている。

「ご、ごめんなさい。相手を弱らせた後に、ボールをこう握って投げます。ボールを当てる位置も気をつけて」

「はい!」

(……)

 レッドはその一部始終を見ていた。険しい顔になり、覚悟を決めた顔になる。

 エリカはジム戦の再開を明日にすることをジム関係者に告げ、レッドを伴い笑顔で帰路についた。

(明日はちゃんと、レッドさんとのジム戦を行わなければ……)

 夜半、エリカはまたもクサイハナを伴い邸宅の庭に立っている。

(せめて、せめてこの震えだけは……)

 エリカはモンスターボールを手にしている。しかし、今にも手から零れ落ちそうだった。エリカの顔が悲痛にそまる。

(どうして……!)

「エリカさん」

「!」

 エリカはすぐさまレッドに顔を向けたが、すぐに表情を崩した。

「まあレッドさん。こんな時間まで夜更かしなんて感心しませんよ」

 いつもの穏やかな笑みでことなげな事を言う。しかし、レッドの視線はエリカを貫いていた。

 エリカはその意思と闘志がこもったレッドの瞳に気づき、表情を引き締める。

「俺の夜更かしよりも、大事なことがあります」

「なんでしょう?」

「とぼけないで。あなたは今、ジム戦に復帰するべきじゃない」

「心配は嬉しい限りです。しかし、体はもう大丈夫。医師の許可もとっています」

「かもしれない。しかし、あなたのポケモンは敏感に気づいているはずだ。そこにいるクサイハナも……」

 その言葉で初めて、エリカの体がぴくりと震えた。

「私がポケモンバトルをこなせる状態ではないと、そう言いたいのですか」

 今エリカが言葉の刺を隠せないことが、なによりの証拠だった。

「あなたのポケモンに対する接し方に迷いがあった。あなたはサカキとの戦いで、深い傷を負ってしまったのではないのか?」

 レッドのその言葉で、エリカの目が見開かれる。心優しい少年と思っていた相手から信じられないような言葉を聞いて、エリカは感情のまま放つ。

「あなたにっ……あなたに何がわかるんですか! ポケモンとの絆も、努力も研鑽も! 負けてしまったら何の意味もない! あのゲームコーナーでは、多くのポケモン達が金儲けの道具にされ、各地に出荷されてしまった……。もう救うことができない! サカキも取り逃がして、私はなにも、することができなかった……!」

 レッドは、エリカの言葉を真正面から受け止める。

「サカキを倒さなければならなかった。あんなポケモンを金儲けの道具に使う人間を倒し、ポケモンとの信頼を築き、絆を得ることが正しい道だと、示さなければならなかった。私達ポケモントレーナーが進む道が正しいのだと……、でも私はできなかった。ポケモン達が蹂躙されるのを、見ているだけしか、できなかったんです……」

 エリカがどれほどの絶望を味わったのか。正しいと信じて進んできた道が、圧倒的な力によって破壊された。結局レッドもエリカもサカキの気まぐれによって平穏無事でいることを理解している。

 理解しながら、レッドは前を向いていた。

「勝てないならば、勝てるようになればいい」

 エリカはレッドの言葉に顔を背けて自嘲した。

「……勝ち目があると、本当にあなたは思っているのですか」

 レッドはあの日変わった。そしてあの日から、

「結果はこの世界の誰にもわかりはしない。大事なのは」

 レッドの気持ちは、変わっていない。

「勝ちたいという、意思があるかどうか」

(……!)

 エリカは目を見開く。その言葉は、かつてエリカがレッドを導いたときと同じ道。

「自分のポケモン達が傷つくのは、誰だって嫌だ。それでもバトルの道を選んだのは、ポケモンと共に得られる光があるからだ。何にも変えがたい絆の力があるからだ!」

 レッドはモンスターボールを放り、フシギソウを出現させる。フシギソウはレッドの意思を汲み取り、咆哮する。

「俺はあなたから学んだ。ポケモンとトレーナー二つの心を一つにすることを。仲間の力を! 正義の心を! 不屈の闘志を! あなたが道に迷い戸惑っているというのなら!」

 レッドは帽子をかぶり直し、フシギソウと共に熱い闘志を魅せつける。

「俺があなたを導く! 今まで旅をし、仲間と培ってきた全ての想いをのせて! 一人のポケモントレーナーとして!!」

 エリカはゆっくり顔を上げ、月を見た。クサイハナがエリカの裾を引く。

 このクサイハナは特別だ。エリカが幼少の頃にはじめて手に入れたポケモンナゾノクサ。このポケモンだけは家で大事に育て、レベルこそ上げたものの、荒事には程遠い生活をしてきた。

(それでも、あなたは……)

 クサイハナは全身で語っている。主の役に立ちたいと。エリカの中で縮み燻っているものを、今一度新しく芽吹かせたいと。

 そのために力になると。

 時計の鐘がなった。レッドとエリカの静寂の中、日を跨いだ。

「……!」

 レッドはプレッシャーを感じた。揺らぐようにエリカがクサイハナを携えて、レッドに向き直る。

 しかし、その瞳には戻っている。レッドを導いた光が。

 ポケモントレーナーの意思が。

 清廉なる戦士が、レッドの前で月を背に桜色の唇を開く。

「……草ポケモンを司るタマムシジムリーダー、エリカ」

「マサラタウンのレッド!」

 バトル開始。

 ジムリーダー。それは、栄光を目指すポケモントレーナー達の登竜門。

 あるときは高き壁として。あるときは次への踏み台として。またある時は良き友として、ポケモンとトレーナー達に戸を開けて栄光への道を示す。

(私はその職務を、全うしていると思っていました)

「フシギソウ、はっぱかったー!」

「クサイハナ、しびれごな」

 タマムシジムにエリカが赴任してから、その人柄とポケモントレーナーとしての強さを慕い多くのトレーナーがジムに集まってきた。

 ポケモンと過ごす日々に不満などあろうがはずがなかった。うまくいかない苦しみも絆ある仲間と共に立ち向かえば、心暖かな喜びへの途上に変わる。

(そう確信していた。だのに、圧倒的な力の前に積み上げてきた努力と絆が全て無力であったと証明された。タマムシの危機の前になにもできず、私の心は、泣き崩れていた……)

「クサイハナ、はなびらのまい」

「ひるむなフシギソウ! つるのムチ!」

 しびれて動きが鈍るフシギソウに、クサイハナが猛然と襲いかかる。エリカはまだ、戦うクサイハナを直視していない。

(手の震えは未だに止まらない。あの時、サカキの圧倒的な力の前に蹂躙される仲間の姿が瞼の裏に焼き付いて離れない。悲鳴が耳から離れない。私が戦う選択をしなければ、私のポケモン達が傷つくことはなかった!)

「よく耐えたぞ! やどりぎのタネ!」

「クサイハナ。すいとる」

(私のやり方は間違っていたのか。もしジムのトレーナー仲間たちがサカキと出会ったら、勇気を持って立ち向かう。だけどその結果……)

 傷つき倒れていく仲間が脳裏にフラッシュバックする。勇気でなく無謀。勇者でなく愚物。果ては諦念と悲劇の墓石。

 わかっている。わかっているはずなのに。

「クサイハナ、メガドレイン」

「フシ!?」

(私はどうして、まだ戦っているの?) 草ポケモンの扱い方の差は、段違いだった。クサイハナは闘いながら自ら回復して、戦うにつれて活力を増していく。

 対してフシギソウは、クサイハナの緩急つけた戦いに翻弄され、既に満身創痍。

 その姿が、かつて敗北した時のエリカのポケモン達に重なる。

「……もう、降参なさい。フシギソウに勝ち目はありません」

「まだだ……!」

「! ポケモンが傷ついている事がわからないのですか? 勝ち目のない戦いにポケモンを付きあわせても、それはトレーナーのエゴでしかありません!」

 エリカには闘志が戻り始めている。しかしその叱責には、涙が混じっていた。愚かな自分がたどった道を、前途有望な、大切なレッドに歩ませたくない。

 それでもレッドの闘気は、いや、レッドとフシギソウの闘気は、さらに輝きを増している。

「フシギソウが戦いたいと言っている。俺の魂が勝ちたいと叫んでいる。その心意気があれば、自分たちの限界を超えることができるっ」

「そんなこと……!!」

「俺があの時サカキに勝てたのは! あなたが思い出させてくれたからだ。俺の心に雨が降っていたあの日に傘をさして、光射す道を示してくれたからだ! 多くのポケモンとトレーナーと出会い、絆が形作る素晴らしい世界の扉を開いてくれたからだ!!」

「!!!!」

「俺達は決してあきらめない。ポケモンとトレーナーが織りなすこの世界で、真実の絆が、心震える真の強さを花開かせるまでは!!」

 フシギソウが傷ついたからだを揺り起こし、底なしの闘気を眼光に宿らせる。蕾が、光を放っている。

 そしてゆっくりと開花する。

「……戦っているさなかに、進化……!? っはなびらのまい!」

「これが、俺達の! 築いてきた絆の力だ!! ソーラー!、ビームウウウウウ!!!!」

 花から放たれた、夜を照らす太陽の光。それが完全に発射しきる前に、クサイハナが相手の花弁へ突撃する。

 しかし、その光は一切勢いを弱めることなく、輝きを増していく。

「行けえええええ!!」

「っ!!」

 激しい爆音と発光があたりを覆い、レッドとエリカは自分たちのポケモンを見失う。

 

『これが、私の初めてのポケモン……!』

『ナゾ~』

『私はエリカともうします。あなたとはいい関係を築きたいですわ』

『ナゾ?』

『ふふ、さあ共に頑張っていきましょう。これから一緒に。新しい世界に……』

 

 静寂と砂塵の先、光の中心だった場所に、2体のポケモンが倒れている。

 レッドとエリカがすぐに近づく。どちらも満身創痍、立てる状態ではないのがすぐわかった。だが……。

(こんな、満ち足りた顔が……)

 決して思い込みではない、2体のポケモンは最高の戦いができた喜びで、安らかな顔をしている。

 そして愛する主人に2体とも気づき、目を開けて鳴き声をもらす。

「よく頑張ったな、フシギソウ」

 レッドが抱えげ、回復を施す。

「! あっ……」

 フシギソウの蕾は閉じていた。あの時エリカには確かに開いたと思ったのだが……。

(いえ、開いたのでしょう。レッドさんの気持ちに応えて……)

「頑張りましたね、クサイハナ」

「ハナ……!」

 本来悪臭を放つはずのポケモン、しかし今は芳しく、花畑にいるかのような甘い匂いを放っている。それがクサイハナの今の気持ちを雄弁に物語っていた。

 エリカもクサイハナに回復を施す。

 熱い健闘。二人は相棒を誇りながら視線を交わす。

「エリカさん。ポケモンが戦いの経験で強くなるように、ポケモントレーナーもポケモントレーナーとの戦いで強くなれる。俺達はどこまでも、無限に高みへ行ける」

 レッドがエリカへ手を差し伸べる。

「生きとし生けるもの全てが持つ可能性……。私は、こんなに当然で大切なことを、一時の敗北で忘れてしまっていたのですね……」

 エリカがレッドの手を両手で包み、胸元に抱き寄せて、瞳から頬を伝った雫を落とす。

「俺の中の弱さを認め、一歩進む勇気を与えてくれたのはエリカさんだ。そのおかげで、俺はここまでこれた」

「レッドさん……!」

 エリカが涙を拭い、なんとか顔を引き締めて、レッドへジムバッジを差し出す。

「……どうか、どうかこれを、受け取っていただけますか。」

 差し出されたのは雨上がりにかかる光の架け橋の証、レインボーバッジ。

「はい。ありがたく、光栄に思います!」

 レッドはエリカの前でジムバッジを身につける。そこには既にグレー、ブルー、オレンジのバッジがレインボーバッジと共に輝きを放っている。

 それを見て、またエリカから涙があふれ、たまらず顔を下に向ける。

 あの日出会った少年が、こんなにも……。

(ああなんて)

「……レッドさん……。あの日、ひっく、あなたに会えた事は」

 エリカが顔を上げ、レッドへ向ける。くしゃくしゃの顔で、なんとか微笑みを作る。

「私が生きてきた中で、一番の、幸運です……!」

「エリ……!」

 エリカがレッドの腕の中に飛び込み、レッドの首へ腕を回して泣き声をあげた。

 レッドは戸惑い、顔を赤くしながらも、彼女の役に立てた喜びと嬉しさで顔を綻ばせ、彼女を優しく抱きしめる。

 そんな二人を、フシギソウとクサイハナは誇らしく見上げていた。

 

 翌日の昼下がり。

「おいしい水でいいの? エリカさん」

「ええ」

 ガコンと、タマムシデパート屋上の自動販売機はサイコソーダが入った缶ジュースとおいしい水が入った缶ジュースをはき出す。

 レッドとエリカ並んで二人ベンチに座り、缶ジュースを空けて口につけ、そして空を見上げた。

「今日は有難うエリカさん」

「いえいえ。私も楽しかったですから」

 エリカに案内されて多くの買い物をしたレッドのカバンはパンパンだった。後で整理しないといけないだろう。

 買い物の最中はいつも楽しく会話して時を忘れるほどだったが、今は二人沈黙している。しかし決して居づらくはない。お互いがそばにいる、それだけで安心できる時間。

 しかし、それももう長くはない。レッドの旅は、やっと折り返し地点に差し掛かったばかり。

 エリカはそれを十分に理解していた。名残惜しい気持ちを誤魔化さず、レッドへ言葉を紡ぐ。

「あなたがタマムシに来る前にタケシやカスミ、マチスさんから連絡が来た時は驚きました。熱くて面白いトレーナーが来たと。タケシにはあなたの差金かと冗談交じりに言われ、カスミには何故かライバル宣言されてしまいましたが……」

「そんなことが……。なんか、恥ずかしい」

「どうして?」

「いや、結構ギリギリの時のほうが多かったから。今思えば、もうちょっと皆の気持ちに応えられたかなって」

 レッドは腰のモンスターボールを軽く叩く。

「ジムバッジを得られたのだからもっと胸を張っていいんですよ。じゃないと、まるでバッジを託した私達が見る目がないみたいじゃないですか」

 エリカが目に見えて拗ねる。

「ごっごめんなさい!! そんなつもりは……!」

「ふふっ、冗談ですよ。あなたのもっと強くなりたいって想い。わかってますから」

「……はは、敵わないな」

 お互いが笑みをこぼし、ゆるやかに静寂が訪れる。

 寂しげな一陣の風。もう、行かなくてはならない。

 エリカは最後に、レッドに案内したいところがあると連れ出した。

 そこはタマムシの郊外にある人里はなれた場所。そこから一本道でとなり町のヤマブキに行けるが、エリカはさらに道を外れ樹木森林の間の小道に入る。

 エリカのクサイハナが先導し、レッドのフシギソウも後に続く。

 森を抜けると、そこには秘密の花園。エリカとその側近数名しか知らない、草ポケモン達のエデン。

 一面の極彩の花々、レッドも感動し息を呑む美しさだった。

「あなたを送り出すのは、ここしかないと決めていました。私とポケモン達にとってかけがえのない大切な場所。私がはじめてポケモンの手を取った、始まりの場所……」

 花畑の中、エリカはレッドと手をつなぎ見つめる。

「ここで私は、もう一度歩き出します。勝ちたいから。自分の中の弱い自分に、もう一度……」

「……応援しています。あなたならきっと、身につけることができる」

「ありがとう……レッドさん」

 二人の手が離れる。 

「それじゃあ、エリカさん」

「待って」

(今まで意識してなかったけど、カスミの言っていることは、こういうことだったのね……)

 弟のように思っていた。しかし今は、エリカを支え手をとってくれる、共にいて心温かくなるこの少年のことが……。

 エリカは自身の指を唇に長く当てる。レッドが何をするのかと疑問に思っていると、エリカはその指をレッドの口に優しく押し付ける。

 呆然としていたレッドだったが、その意味を悟ると途端に顔を赤くして口をパクパクとさせたあと下を向いてしまう。フシギソウがやれやれと首を振った。

 エリカも最初はそんなレッドを可愛く思っていたが、次第に大胆な事をしてしまったと自覚し始め、結局レッドと同じく顔を赤くして俯いてしまった。

 顔をあげると視線が重なりあい、お互い吹き出して軽く笑い合う。

「また、会いに来ます。必ず」

「はい。私もレッドさんと、また……」

 もう一度手を握り合う。名残惜しげに指先が少しずつ離れていく。

 だけど、もう大丈夫。

 エリカは祈りを込めて。レッドは元気な姿を見せて。

「ハナ~」

「フシ!」

「ご武運を。……行ってらっしゃい」

「はい!……行ってきます!」

 二人の道が交わる、その日まで。


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