セキエイ高原はポケモンスタジアム内にあるトレーナー用ホテルロビー、待合用のソファーで待っていると、約束の時間10分前に彼は現れた。
チャンピオンロードを踏破したばかりだというのに、くたびれた様子も見せず快活に歩いてくる。元気な姿とあどけない顔立ちは歳相応だが対面のソファーにすわりこちらを見る目は落ち着いていて余裕がある。
「すいません、取材を受けるなんて初めてなもので。ちょっと緊張しています」
そう言ってはにかんで笑う姿には、どこか少女のような魅力すら感じてしまう。しかし彼の胸に光る8つのバッジは、彼が今まで対戦してきた記録と映像を見る限り決して不釣り合いではない。
今回ポケモンリーグに挑むトレーナーの中で最年少の少年、マサラタウンのレッド。挑戦から勝負後まで勝ち負けの関係ない密着取材に、彼は快く応じてくれた。
「これで一戦目で負けたらかっこ悪いですね」
からりと笑うと場の雰囲気が一気に柔らかくなる。
かつては愛想が悪く人前で話すのも苦手だと聞いていたが、今の君からはとてもじゃないが想像できないことだ。そう言うと、
「出会ってきたポケモンと、トレーナーの方々のおかげですよ」
彼は笑顔のまま腰のモンスターボールをなでた。彼の小さい手は今までなにを掴み、なにをこれから手繰り寄せようとしているのか。
――初めてのポケモンリーグ、緊張してる?
「そりゃあもう。7万人を収容する大スタジアムで行われるなんて、初めて聞いた時は冗談かと思った。過去のリーグもテレビで見てきたけど、いつもバトルに夢中で……。トレーナーの方やスタジアムがどんな雰囲気かなんて、想像もできない。だけど、いざバトルになれば大丈夫だと思います。ポケモンの皆がいるから。
初めてニビジムに挑戦しにいったときも、緊張して夜遅くまでトレーニングしてたんです。いざジムに入ったら観客の方がたくさんいて、凄いところに来てしまったと緊張しきりでした。でも、バトルが始まったら関係なかった。いつも以上の力を出せたし、逆にポケモンに引っ張ってもらった。それ以降は、他のジムでの戦いでも大丈夫でした」
――ポケモンが一緒にいると緊張がほぐれる?
「間違いないですね」
――ポケモンリーグを意識し始めたのはいつだった?
「……いつだろう。思い返してみれば、これといったきっかけはなかったかもしれません。最初はとにかく勝ちたい相手がいて、次はジムを順々に巡っていこうと思っていたのは間違いないけど、リーグを意識したのは……クチバジムあたりかな」
彼の旅はマサラタウンからスタートしている。彼が訪れたときトキワジムは休業中だったため、クチバジムはバッジ3つ目のジムになった。
――クチバジムは特別な戦いだった?
「ジム戦はいつでも特別ですね。だけど、うん、確かにあれは特別だった。ジムの観客席に町で知り合った年下の子達がいたんですけど、彼らにバトルが楽しいってことを知ってもらいたくて。バトルが終わった後に、その子たちと約束したんです、俺はカントーで一番になって有名になるから、君たちもポケモントレーナーになって名を挙げて、そしてその時また会おうって」
――チャンピオンを目指すのはその子たちとの約束のため?
「ええ。でも他にも理由は……そうだな……。……勝てそうもない相手でも、ポケモンたちと力を合わせればなんとか勝つことができた。それが本当に嬉しかったし、素晴らしい相手とのバトルは楽しくて仕方がない。だから自然とここに来たんだと思います」
――戦いのスタイルについて聞きます。君の登録メンバー編成にはどんな意図が?
「強いて言うなら、一番信頼できる。お互いの呼吸と考えがわかっているし、いつも一緒にトレーニングしてきたメンバーを選びました。一応タイプ相性も考えてきたけど、皆付き合いが長い仲間達ですね。リーグが終わった後も、多分変わらない。ひこうタイプが多めなのは偶然ですけど、問題だとは思っていませんね。岩や電気があいてならガラガラで受けられるし、氷タイプは水との複合が多いからフシギバナでも五分に戦えるし、ギャラドスもそう。手持ちにないタイプについても、そこはポケモンたちの技である程度はカバーするようにしてます」
――実は君の過去の公式戦ビデオを集めた時、タマムシジムとトキワジムだけは手に入らなかった。書面の記録は残っているが、どんな戦いだったのか教えて欲しい。
「特段、変なことはなかったですよ。他のジム戦と同様、すさまじいギリギリの戦いでした。タマムシジムについては、俺のフシギソウとエリカさんのクサイハナとの一騎打ち。草タイプの扱い方についてはエリカさんの方が一枚も二枚も上手で、クサイハナは粉技ややどりぎ、メガドレインで優位に立ち、フシギソウは力押しするしかなかった。でも最後はソーラービームでなんとか……フシギソウ自身が頑張ってくれたことが大きいと思います。トキワジムについては、すいません。俺自身心のなかで整理がついてなくて。これについてはリーグが終わったら、話したいと思います」
――旅の中で、多くのポケモンとトレーナーに出会った。一番君を変えてくれたのは誰かな。
「タマムシジムでジムリーダーをしているエリカさんです。マサラタウンで初めてであった時にトレーナーとしての心得、フシギダネとの付き合い方を教わりました。彼女の凄いところは、ポケモンの持つポテンシャルを引き出すだけでなく、時に引き、時に激しく攻めるスイッチの切り替え方が抜群にうまい。あの日出会えたことは、本当に幸運でした」
――ありがとう。では最後に、リーグへの意気込みを聞かせてくれるかい。
「ありままの自分と仲間達で、立ち向かいたいと思います。楽しんで、そして勝ってきます」
笑顔で去る少年の纏う雰囲気に、悲壮感や作られた感情というものは一切感じられない。
自然体で正直な彼が、共に旅をしてきたポケモン達とどのような関係にあるか、わざわざここで書く必要もないだろう。
8つの胸のバッジが導いた扉の先で、彼はどんな戦いを見せてくれるのだろうか。
一つ言えることがある。彼はきっと、大舞台でほほ笑みを浮かべ、高らかに宣言するだろう。
「マサラタウンのポケモントレーナー、レッド!」
セキエイ高原ポケモンリーグスタジアム。
その一室、出場ポケモン用に設けられた最後のトレーニングスペースで、レッドは6体のポケモンを出して円を作るように佇んでいた。
メンバーはレッドの左からピジョット、ギャラドス、ラッタ、バタフリー、ガラガラ、そしてフシギバナ。
ここを出た先にはバトルスペースへ続く通路があるのみ。既に観客たちの歓声と高らかに興奮を煽る場内アナウンスが響いている。
レッドは直立不動のまま腕を組み目をつぶっていた。その心境は意外と静かだった。
(勝てばリーグチャンピオン。だけど、この緊張感のなさはなんだろう)
レッドは目を開けてポケモン達を見渡した。皆緊張しているようには感じられず、気性の荒いギャラドスですらリラックスした顔つき。
(勝ちたい。その願望はある。皆一緒の想いだろう。それなら、俺が最後に皆に伝えるべきなのは……)
「皆。俺達がここにこれたのは、皆の一つ一つの頑張りがあったからだ。うれしい時も苦しい時も皆で分かち合い、その結果輝く素晴らしい舞台に立つことができた。俺は、皆を誇りに思う」
レッドは笑顔で皆の顔を見渡す。
「いつも通り全てを出しきるだけだ。今日は目一杯楽しんで、勝とう。皆で一緒に」
レッドはピジョットの頭を撫で、ギャラドスの頬を撫で、ラッタとバタフリーの頭を撫でる。そしてガラガラと拳を突き合わせ、フシギバナと額を合わせた。
また皆を見渡せるように距離を取り、帽子をかぶり直す。
「行こう、皆!」
ポケモン達が一様にレッドに頷く。以心伝心の仲間達をモンスターボールに収め、レッドはトレーニングスペースを後にする。
通路から見えるバトルスペースの光、聞こえてくる歓声。
レッドは一歩一歩踏みしめながら、その輝く入り口に足を踏み入れた。
『御覧ください! 本日最後のリーグ挑戦者にして最年少トレーナー! その名もマサラタウンのレッド!!』
『わあああああああああああああ!!!!』
轟く歓声。煽るアナウンス。一面の紙吹雪と観客席からのフラッシュが彩るリーグスタジアム。
天井と観客席の間の超大型スクリーンには、画面を二分割してレッドと対戦するトレーナーの姿が映し出されている。
『そして初戦の相手はもちろんこの人、四天王が誇る凍てつく氷の女王! カンナ!』
レッドに相対する四天王のカンナ。女性的な魅力を存分に溢れさせていながらスラリとしているスタイル、襟を立てたノースリーブの黒地の服と紫色のタイトスカート。
オレンジ色の長髪をポニーテールにまとめ、知的さを感じる黒ぶちメガネをかけている姿はまさに大人の女性。
『それでは今一度、ポケモンリーグのルールをおさらいしておきましょう! ポケモンリーグは四天王と現チャンピオンとの5連戦! その全てに勝利することで、晴れて新たなるリーグチャンピオンが決定いたします! しかし今日のカンナは絶好調! ここまで全ての挑戦者をノックアウト! 本日最後の挑戦者もその憂き目にあってしまうのでしょうか!?』
「ポケモンリーグへようこそ! 私は四天王の一人カンナ。今日の挑戦者は私の氷のポケモン達によって皆氷漬け……。あなたも同じ目にあってもらうわ!」
カンナは見た目に似合わず中々勝ち気な女性のようだ。実績と実力も見合っているから、挑戦者にとっては大きなプレッシャーになるだろう。
しかしレッドは瞳をそらさず、真っ直ぐに宣言した。
「俺とポケモン達の熱い魂は、どんな状況であろうと決して諦めたりはしない。力を合わせ、この戦い全力で勝利をつかむ!」
カンナはレッドの言葉にキョトンとした後、
「……あははッ! じゃ覚悟はいいかしら! 四天王の一人、氷のカンナ!」
一笑してモンスターボールを構えた。レッドも応じる。
「マサラタウンのポケモントレーナー、レッド!」
『バトル開始ィ!!』
「行きなさい! ジュゴン! オーロラビーム!」
「行け! フシギバナ! はっぱカッター!」
レッドに去来する想い。感謝、友情、期待、勝利への渇望。
その全てが心の中で交じり合い、一つの道筋となって新しい光を射している。
『ジュゴン戦闘不能!』
「くっ! 行きなさいパルシェン!」
「まだやれるな、フシギバナ」
レッドの優しげな言葉に、フシギバナはこくりと頷く。
カンナは驚いた。先ほどまで強烈な戦意を持っていたレッドが、今優しさで包むような瞳と声でポケモンと接している。
そして、カンナとパルシェンを見据えるとすぐに戦士の顔に戻る。
(……マサラは特別なトレーナーを生むのかしら)
「だけど、簡単には負けないわ! パルシェン、とげキャノン!」
「ねむりごな!」
フシギバナは巨体を得る事で防御力と体力が大幅に上昇した。そのポテンシャルをレッドは存分に活かす。
ジュゴンとパルシェンの攻撃を耐えたフシギバナはねむりごなで相手を封じながら、メガドレインでとやどりぎのたねで回復する不沈艦と化す。
「はっぱカッター!」
『パルシェン、戦闘不能! すごい、すごいぞレッド! フシギバナだけでカンナのポケモンを2体も突破したあ!』
レッドはフシギバナの消耗を見てラッタと交代する。カンナが繰り出したのはヤドラン。
ラッタはいかりのまえばからのひっさつまえば、ヤドランは防御力をあげながら水技で対抗する。
「きあいだめ!」
レッドはヤドランの殻にこもる動作を見極めてラッタを強化する。そしてラッタの狙いすましたひっさつまえばは、ヤドランの防御力の上げようのない脇の下を捕らえた。
次いでカンナが繰り出したルージュラは、レッドのギャラドスとの壮絶な肉弾戦の末相打ち。
「ここまで追い詰められるなんて……! だけど、このポケモンで勝つわ! 行きなさいラプラス! ふぶき!」
レッドは再びのフシギバナ。ふぶきの一撃を受け、レッドは図鑑でフシギバナのHPを確認する。すると、ギリギリを示す赤いラインで止まった。
「はっぱカッター!!」
「ラ……プ……」
ラプラスの首にはっぱカッターが突き刺さり、頭たれて動かなくなる。
「……嘘……」
カンナの呟きをよそに、スタジアムは一際大きい歓声とアナウンスが響き渡った。
『なんとおおお!! 四天王カンナ敗れる! 勝ったのは挑戦者レッドだあ!』
しかしカンナはふっと表情を柔らかくし、レッドへ近づいてく。
「なんてことなの。一戦目でシャットアウトができなかったのは久しぶり。勝利の要因を聞かせてくれるかしら」
「フシギバナを信じてましたから。俺達が築き上げた友愛の力を持ってすれば、きっと耐えぬくことができると」
「友愛ね……。ただ四天王の力はこんなものではないわ。こんな言葉いらないかもしれないけど、気張っていきなさい」
「はい!」
カンナが差し出した手に応じしっかりと握手する。カンナはそのまま翻ってスマートに退場していくと、入れ替わりで今度は筋肉隆々の上半身を晒した格闘家のような男が姿をあらわす。
男はバトルスペースに立つと、マイク音声不要の大声を発した。
「俺の名はシバ! 人とポケモン、友愛を持ってここまでたどり着いたポケモントレーナーレッドよ! 俺と俺のポケモン達は生半可な力では突破できない不動の肉体、そして強烈な力を持ち合わせてる! 見事打ち破ってみせよ!」
「言われずとも。例えどんな障害、高き壁であろうとも、俺達の歩みは決して止まりはしない!」
レッドがポケモン達を回復させると、アナウンスがバトルスタートをコールする。
「ウー! ハーッ! 四天王の一人、闘のシバ!」
『バトル開始!』
「行け! イワーク!」
「行け! ガラガラ!」
ガラガラのホネこんぼうは抜群だった。イワークの固い体を打ち砕くと、次いで現れたエビワラーも正面から射ち合って相打ちに持ち込む。
「見事……だがまだ終わらん! 行け、サワムラー!」
「行くぞ! バタフリー!」
「フリィイイ!」
バタフリーの気合は一入だった。ここで活躍しなければ、レッドに選ばれ続けておきながら今まで足を引っ張ってしまった――少なくともバタフリーはそう思っていた――自分が許せない。
「バタフリー、サイコキネシス!!」
「ぬう!?」
シバの呻きは仕方がなかった。バタフリーの鬼気迫ったサイコキネシスはサワムラーを一撃で沈め、岩技で倒そうとして繰り出したもう一体のイワークも為すすべなくサイコキネシスの前に沈む。
「まだだ、カイリキー!!」
シバの最後のポケモン、カイリキー。しかしレッドとバタフリーは確信を持って技を放つ。
「今のお前なら、誰にも負けはしない。バタフリー、サイコキネシス!!」
バタフリーに飛びかかろうとしていたカイリキーをサイコキネシスで地に落とす。カイリキーはそのとき頭を強く打って目を回し、ついに立ち上がれなかった。
『バトル終了!! またしても勝者は挑戦者、レッドォ!!』
シバはレッドへ叫ぶ。
「どうしたことだ! ……俺が負けるとは! どうやってお前はその力を身につけた!」
「特別なことはなにもしていません。俺はバタフリーの力を最後まで信頼していたから、それだけですよ」
「信頼……負けちまったら俺の出番は終わりだ!くそッ!次にいってくれ!」
シバは背中を向けて吐き捨てるように言う。しかし最後にカメラが捕らえたシバの表情は、笑っていた。久方ぶりに感じた悔しさが意外に嬉しかったようだ。
シバが去ると、今度は四天王用の選手入場口から黒い霧が立ち込めてくる。
黒い霧はそのままバトルフィールドまで広がり、レッドの視界を奪う。静かな笑い声が聞こえてくると同時に霧は渦を巻いて拡散し、その中心に杖をついた老婆が現れた。
「ククク……。あたしは四天王のキクコ。あんたがオーキドのジジイが託した二人目のトレーナーかい。なんだか垢抜けないねえ」
「それはどうも。オーキド博士とお知り合いなんですか?」
「オーキド? はっ! 昔は強くていい男だったんだがね! 今じゃただの研究者に成り下がった。まあ、後進にはいいものを残したようだがね」
キクコがモンスターボールを手に取りニヤリと笑う。
「ポケモンは戦わせてこその存在さね。あんただってそう思うからこそ、ここに来たんだろう? 退屈しない戦いにしようじゃないか」
「戦わせてこその存在……それは、違うと思います」
「ほう?」
レッドは手にとったモンスターボールを見る。脳裏に浮かぶはポケモンだいすきクラブでの笑顔あふれる空間、シオンタウンでポケモンを保護しているフジ老人。
「確かにポケモンバトルはポケモンと心を通わせることのできる競技。だけど、例えバトルをせずともポケモンと強い絆を結んでいる人を俺は知っています」
「けっ。あんたもオーキドみたいな事を言う。ならあたしが改めて教えてあげるよ。ポケモンバトルの真髄をね! 四天王の一人、霊のキクコ!」
『バトル開始!!』
「行きな……ゲンガー!」
「行け! ガラガラ!」
激戦に湧くスタジアム。その映像を控室外の談話スペースで見ている人物がいる。
四天王最後の一人にして筆頭、ドラゴン使いのワタル。
精悍な顔つきで実に楽しそうにレッドの奮戦を見守っている。
「いいトレーナーだな。キクコにも勝つかもしれない。君は見なくていいのかい? 知り合いなんだろう?」
ワタルは談話スペースのソファーで寝そべっている人物へと声をかける。
今日はカンナが挑戦者を駆逐していたために、その人物は先程から待ちくたびれて雑誌をアイマスクに眠りこけている。
「あんたが負けたら起きるよ」
それだけ言ってまた寝息を立てはじめた。ワタルは苦笑してため息をつき、テレビへと視線を戻す。
(強すぎるのも問題だな。今のチャンピオンに肩を並べる事ができるトレーナー、そんな人物がいるならばここに挑戦に来る前に名を馳せているだろう。かつての大地のサカキのように……)
ワタルが抱いていた諦観は、今スタジアムで躍動するレッドを見て、期待へと変わりつつある。
(だが、マサラタウンのレッド。オーキド博士が託したもう一人のポケモントレーナー。彼ならばあるいは……)
ライバルのいない競技ほどつまらないものはない。そんな感情を抱いてしまった現チャンピオンを脅かす存在が、今の挑戦者かもしれない。
『なんて攻撃だあ! またもガラガラのホネこんぼうがアーボックに炸裂う! これで3枚抜きぃ!』
(まあ、負けてやる気はないがね)
そろそろポケモン達のウォームアップを始めなければならない。ワタルもまたテレビから目を離し、トレーニングスペースへと向かう。その顔は既に戦意に満ち満ちている。
「ゲンガー意地を見せな! ナイトヘッド!」
「ガラガラ! ホネブーメラン!」
ゲンガーが作り出した暗黒粒子とガラガラのホネブーメランが激突する。ナイトヘッドによって空間が歪み地面に亀裂が走るが、ホネブーメランはそれを突破してゲンガーの額を吹き飛ばした。
『ゲンガー戦闘不能! 勝者、挑戦者レッドオ!』
「はっ! 敗者が言うことはなにもないよ。次の戦いに備えるんだね!」
ゲンガーを戻したキクコは悔しげにバトルスペースを去っていく。
「キクコさん! ありがとうございました!」
「……ふん、いやなガキンチョだよ。オーキドに似てね、まったく」
立つ鳥跡を濁さずと言っていいのか、キクコは堂々と入場口へ歩いて退場していく。
すると今度は入場口から翼を広げた影が飛び出す。飛び出したのはトレーナーを肩に掴んだプテラ。そのまま観客席の前を飛び回ると、より一層の歓声がスタジアムに響く。
『さあ現れたのはついにこの人、四天王筆頭! ドラゴン使い!』
アナウンサーが一呼吸おくと、プテラとワタルがマントを広げながらバトルスペースへ降り立つ。
「俺は四天王の大将、ワタルだ。歓迎しよう、マサラタウンのレッド!」
ワタルとレッドの名乗り、そしてワタルのギャラドスとレッドのフシギバナの激突。
スタジアム全体のボルテージが上がり続ける中で、待合スペースのソファーで眠りこけていた人物の顔に被っていた雑誌がずれて地面に落ちた。
グリーンの眼は開いている。しかし近くのテレビから流れてくる映像を見ているわけでもく、また実況に耳を傾けているわけでもなかった。
グリーンは努力を知らない。というのも、努力に内包されている苦しみを知らないというべきか。
オーキド博士の孫という血筋、なにより兼ねてから物事をそつなくこなす事ができる自分の才能に自信を持っていたし、同郷のレッドと比較すればその思いはますます強くなっていった。
しかしその確信はポケモンとの出会いで脆くも崩れさる。トキワタウンでのレッドとの二戦目、ニビジムでのタケシとの初対決。二度の敗北でプライドが崩れ去り、現実を受け止めるにはある程度の時間を要した。グリーンもまたレッドと同年代の子供にすぎない。
グリーンの中で本当の才能があるとすれば、敗北の責任を他者に押し付けないというただ一点に尽きるだろう。レッドに敗北したオニスズメ、タケシに敗北したヒトカゲ、いずれの時もグリーンは自分自身の不甲斐なさに憤怒し、そして奮起した。そんなグリーンにポケモン達が信頼を寄せるのも時間がかからない。
ただ時にグリーンの向上心が苛烈過ぎて他人にとっては恐怖の対象になることもあったが、グリーンはその機微を感じ取れないし、また興味もない。
あるのはただ、勝ち続けたいという思いだけ。その果てがリーグチャンピオンという地位だったし、グリーン自身戴冠の時は一定の満足感も得られた。
しかし、満足感は一時だった。遥かなる頂きには自分と自分のポケモン達しかいない。リーグチャンピオンという枠組みの中で、グリーンの隣にはライバルの存在がすっぽり抜けている。
かつてはレッドがいたその場所が――。
「ギャラドス、はかいこうせん!」
「フシギバナ、ソーラービームゥ!」
ワタルのギャラドスの口腔、そしてレッドのフシギバナの花弁から発射される特大の光線。両者に向かって伸びる光線は中間で激突し、光溜まりを作ってフィールドを揺さぶる。
「はっぱカッター!!」
ソーラービームを放つ花弁を囲む大葉、その大葉から無数のはっぱカッターがギャラドスの顔へと向かい、ギャラドスの目元に命中する。
たまらずギャラドスは悲鳴を上げ、はかいこうせんの放出が止む。その瞬間ギャラドスはソーラービームに吹き飛ばされ、受け身も取れずにフィールドに倒れ伏した。
『ギャラドス、戦闘不能!』
「行け、ハクリュー!」
「戻れ、フシギバナ。行けギャラドス!」
(ドラゴンタイプに小手先の技は通用しない。ならば、圧倒的な力で勝るのみ!)
レッドの対ドラゴンタイプ作戦は至ってシンプルだった。
「ギャラドス、れいとうビーム!」
「ぬう!? ギャラドスにれいとうビームだと!?」
ハクリューの体が氷で覆われ、ついに凍りづけになって動けなくなる。本来ワタルは氷タイプあいてにはギャラドスで対抗している。レッドの手持ちを見て力押しできると判断したのが甘かった。
続くワタルのハクリュー、プテラもギャラドスのれいとうビームで凍りづけにされてしまう。
(カンナ、シバ、キクコをほとんど一方的に屠った相手、俺も及ばないか……)
「だが、ただでは終わらん! 行け、カイリュー!」
降り立ったカイリュー、ひこうタイプとドラゴンタイプを合わせ持つため、れいとうビームを喰らえばひとたまりもない。
だが四天王筆頭としての挟持、ただで終わる訳にはいかない。カイリューは幼少よりワタルに付き従った相棒。
「ギャラドス、れいとうビーム!」
「カイリュー!」
カイリューが歯を食いしばり、ギャラドスのれいとうビームに真っ向から耐える。羽や腕が氷付き、顔もだんだんと青ざめていくが、決して膝は屈さない。
『おおっと!! カイリュー耐えたあ! 4倍の威力と化したれいとうビームを耐えるとは、なんて頑強さだあ!』
「カイリュー! はかいこうせん!!」
「グオオオオ!!」
カイリューの口から発したはかいこうせんがギャラドスを飲み込む。獅子奮迅の活躍を見せたギャラドスも、れいとうビームを耐える程の気概を見せたカイリューのはかいこうせんを耐えるには至らなかった。
「よくやったギャラドス、行けラッタ! でんこうせっか!」
ミリ単位で残ったカイリューのHPを、ラッタが素早く刈り取った。
「……見事だ!」
『勝者、挑戦者レッドオオオ!! チャンピオン挑戦権獲得ううううう!!!』
その歓声と共に、グリーンは待合スペースのソファーから立ち上がった。
決着とともに、ワタルはレッドの元へ歩いてくる。その顔は晴れやかだった。
「おめでとうレッド君。君は四天王を寄せ付けない程の力を持ったトレーナーだ。こんなトレーナーが、短期間で二人も現れるとは思いもしなかったよ」
「こちらこそ、対戦ありがとうございました。……二人、ですね」
レッドの呟きに、ワタルも頷く。
「四天王を突破した先が、最後の決勝戦だ。ポケモンリーグディフェンディングチャンピオンとの戦い。私が退場したら程なく始まるだろう。今のうちにポケモンを回復しておくといい」
「……はい」
(ディフェンディングチャンピオン)
レッドの人生、走り続けてきたその道筋、いつも一歩先を行く人物がいる。
(やっと追いついたな)
こうなることは、あるいはあの日ポケモンを受け取った時に決まっていたのかもしれない。
(いや、違うな。決まっていたんじゃない。ジムトレーナーやポケモン、エリカさんとの出会い、フシギダネとの出会い、そして、泣き虫だった俺自身。そのいずれかが欠けていても、この舞台に俺は辿りつけなかった)
ワタルが退場しスタジアムの全ての照明が落ちる。歓声が一際沸きチャンピオンを出迎える。
演出は一切ない。ただ入場口から歩き、散歩しているところに知り合いにあったような軽快さで、グリーンは笑顔で片腕を上げた。
「ようレッド! お前も来たのかよ! ははっ、やっぱりお前が来ないと、張り合いがねえよな!」