停学期間四日目の放課後。
Fクラス担任の西村宗一こと鉄人は、自分のクラスの生徒が停学期間中きちんと課題をこなしているかを確かめるため、昨日から各家庭を回っていた。
まあ懸念していた通り流石Fクラス、ほぼ全ての生徒が出された課題をうっちゃらかして、ゲームだの漫画だのR-18指定雑誌だのにうつつを抜かしていやがったので、鉄拳制裁という名の指導を施しておいた。少しでも課題に取り組んでいたのは今のところ僅か三名。
まず一人目はFクラスの良心こと木下秀吉。彼(?)は演劇に熱を入れるあまり勉学が疎かになっていただけで、割と真面目な生徒であったので鉄人もある程度予想していた。まあ疎かになっているだけあって、課題の解答はお察しだったが。
鉄人(だいたいあいつは、なんであの言葉遣いで古典が苦手なんだ……)
帰り際にちょうど双子の姉の優子が帰宅してきたので、これ幸いとばかりに弟の勉学を見てあげるように頼んでおいた。何故だか秀吉が半泣きになっていたのは見間違いだということにしておこう。木下家から離れるときに聞こえた悲鳴のような声もきっと気のせいに違いない。
鉄人(まあ木下はある程度予想していたとして……まさか一番の頭痛の種であるあの二人が課題に向き合っていたとはな……)
そう。残りの二人はFクラスきっての問題児コンビ、教師公認ブラックリストの吉井明久と坂本雄二。あまりに異常な光景に、何を企んでいるのかと鉄人も追求したが、返ってきた答えは全く同じ。
もうすぐ解禁される試召戦争のためだと言う。どんな理由であれ勉学に真面目に取り組む姿勢は、教師として評価するべきだと鉄人は珍しく感心した。……まあ明久の課題は日本史分野を除いて珍解答の百貨店状態であったが。
鉄人(そこまで試召戦争のために成績を上げたいと思っているなら、俺もあいつらのためを思って停学明けに特別補習を追加してやるべきだな、うむ)
鉄人にとっては100%善意からの思い付きであったが、二人がこれを聞けば全力を振り絞って逃走すること間違いなしであろう。つくづくやることなすことが裏目に出てしまう二人であった。
鉄人(さて、次は……柊か………………ハァ……)
思わず飛び出る憂鬱な溜め息。
次に回る家は我等がアウトドア娯楽主義者、Fクラス最強の矛にしてナチュラル・ボーン・サディストこと柊和真の家。とはいえ鉄人の懸念は和真ではない。色々とアレな部分はあるものの、和真はFクラスの中ではかなりマトモな感性を持っている。それに成績優秀かつ意外と真面目な性分のため、課題はとうに終わらせているだろう。
それより問題なのは……
そんなことを考えている内に和真の自宅に到着した。世界有数のセレブである蒼介や飛鳥ほどではないにしても、余裕で富裕層に位置する柊家なのだが、家の構造は3LDKの一軒家。一般庶民からすれば充分豪邸にあたるものの、度肝を抜く程のものではない。和真の両親は不必要な贅沢を好まないため、このような作りをしていると以前聞いたことがある。ただ、普通の家と比べて扉の全長が二メートル以上というように、家全体がやや高めに作られている。この理由に関しては事情を知らない人にも、住んでいる住人を一目見ればすぐに理解できるだろう。
いつまでも二の足を踏んでいるわけにはいかないので、鉄人は覚悟を決めてチャイムを鳴らすと、少し間を置いてからドアが開き、
猛獣のような大男が玄関から這い出てきた。
やや短めの深紅の髪。
軍隊として各国を渡り歩いてきたと説明されても違和感のない厳つい容姿。
普段から生徒達に化物だ人外だのと揶揄される鉄人でさえ驚愕するほどの、人間離れした体躯。
そして、188㎝の鉄人でさえも見上げるほどの巨体、
全長驚異の2mオーバー!
線の細い童顔で多くの女子に人気の和真とは似ても似つかぬこの男こそ、和真の父親『柊 守那(カミナ)』である。
カミナ「フハハハハハハハ!よう来た宗一!まずは一杯、飲もうじゃないか!」
鉄人「……折角ですが遠慮させてもらいますカミナさん。停学中のお子さんの様子を見に来ただけですし、この後も仕事が残っていますので」
カミナ「相変わらず堅い奴だなお前は!もう少し我が儘を言ったらどうだ!己の欲求にしたがってこその人生だろうが!」
鉄人「あなたはもう少し自制心を覚えてください……もういい年なんだから……」
そう、鉄人がこの家に来たくなかったのは、目の前で盃を自分に進めてくるこの男が原因である。
鉄人にとってカミナは母校のレスリング部のOBであり、現在趣味であるトライアスロンもこの人の薦めで参加した。
それ以外にも色々と世話になったことのある、紛れもない恩人である。
しかしこの男、秀介の同級生で高校生の息子を持つ、もう立派なおっさんであるにも関わらず、まるで自重するそぶりを見せない。行動を共にするたび何かしら騒ぎを起こし、鉄人はそのたびに尻拭いや迷惑をかけた相手への謝罪など東奔西走する羽目になる。わかりやすく言えば、和真から常識や空気を読む能力や世渡りの上手さなどのブレーキ要素を全て取り上げたような人格をしている。
幾度となく先輩と後輩の垣根を越えて指導(鉄拳制裁)してやろうかと思ったものの、この男見た目通り無駄に強い。鉄人が今まで出会った中で間違いなくぶっちぎりで最強。今まで何度も殴り合いの喧嘩に発展したものの、一度として勝てたことがない。鉄人は日頃自分を化物扱いするバカどもに上には上がいるものだと教えてやりたい気分である。
カミナ「倅なら部屋に篭って机に向かっているぞ、好きに見てくるがいい!今ワシが部屋に入ると喧嘩になってしまうのでな!」
鉄人「今度は何をやらかしたんですか……?」
カミナ「なに、大したことではない!遊びに来た倅の女友達に、軽い悪戯心でちょちょっと秘密を流しただけだ!」
鉄人「プライバシーの流出じゃないですかそれは……」
カミナ「それにしたって奴の仕返しは度を越しているぞ!『停学中暇だから親父に弁当でも作ってやるよ』とか珍しいことをのたまったと思ったら、いざ会社で弁当の蓋を開けてみたら中身が杏仁豆腐一色だったんだぞ!?しかも付属の食器はまさかの箸!食べづらくて仕方なかったわ!他にも…」
鉄人(あまりこういうことを思ってはいけないのだが……柊よくやった、もっとやれ)
自分も日頃からカミナには苦労させられっぱなしのため、和真の地味にクる嫌がらせの数々は、鉄人にとっても溜飲が下がる思いであったそうな。
鉄人「では、上がらせてもらいますね」
カミナ「好きにしろ!……ああそうだ宗一、お前に一つ言っておく!」
鉄人「何ですか?」
カミナ「手伝ってやれ、倅の担任ならな!」
わけのわからない忠告を不思議に思いつつも、鉄人は玄関をあがり和真の部屋に歩みを進める。何度か来たことがあるのでその足取りに迷いはない。
軽くノックをするものの反応はいつまでたってもない。不審に思うも埒が明かないので扉を少しだけ開け中を覗いてみると……
和真「………………」
一心不乱に机に向かってテキストに向かう和真の姿が。鉄人が部屋に入って近づいたものの、和真は気にするどころか気づくそぶりも見せない。よく見ると和真の机の周りには無造作に放られた膨大な量のテキストが散乱している。しかもそれらは出された停学期間用の課題ではなく、それどころかまだ授業ですら扱っていない範囲の物ばかり。そして現在和真が取り組んでいるテキストは、綾倉先生が教師用に製作している問題集『エキスパート・ラーニング』。この問題を苦もなく解けるような生徒は文月学園でも蒼介ただ一人だろう。和真もその例に漏れず、並外れた集中力とは裏腹に難航しているようだ。
和真「…………?……西村センセか」
鉄人「ようやく気づいたか、大した集中力だな」
シャー芯を補給しようとしたところで、和真はようやく鉄人の気配に気づいたようだ。鉄人は優れた集中力を称賛しつつも、どうしても気になっていたことを和真に訊ねる。
鉄人「しかし予習嫌いで400点以上を目指そうとかったお前が、どういう心境の変化があったんだ?」
和真「翔子を抜くと決めた以上、そんな枷をいつまでもはめてられねぇでしょ?それに…」
視線を現在取り組んでいるテキストに移しながら、和真はキッパリと答える。
和真「それはあくまで通過点だ。俺はソウスケと同じ境地、ランクアップを目指す」
鉄人「……それは生半可な努力では到達できないぞ」
和真「そんなことはわかっている」
たった一人で試召戦争のバランスを大きく狂わしかねない、絶対強者のみが持ち得る特権、『ランクアップ』。
それに至るには全教科500点以上というあまりにも高過ぎるハードルを越えなければならない。
点数無制限の文月学園のテストは、問題を解いていくにつれて難易度が上がっていく。中でも500点以降の問題は高校生レベルを完全に逸脱した超難問のオンパレード、担当教師でもないかぎりこのラインを越えるのは至難の技だ。ましてや全教科ともなると、看破できるのは三人の学年主任と補習担当の鉄人、そして“鳳”の跡継ぎとして幼少期より英才教育を受けてきた蒼介のたった5人のみである。
和真「だがよ、仕方ねぇんだよ。俺らがAクラス相手に勝利ってやつを手にするには、もうそれしか手は残ってねぇんだからな」
現在のFクラスの戦力で考えれば、姫路と翔子と和真が三人で蒼介一人を囲って腕輪能力のごり押しで、理論上は倒すことができる。
だがこれを現実にするのは不可能だと断定できる。ただでさえ絶望的なクラス間の自力の差を埋めるためにはこの三人はバラバラに行動しなければならない上、仮にこの三人を蒼介のもとに送り込めたとしても、蒼介が近衛兵を何人か配置するだけであっさりと対策されてしまう。
倒しうる武器とカウントしていた和真とムッツリーニの『オーバークロック』も先日の合宿でバレてしまった以上何かしら対策されてしまうだろう。
となると残った選択肢はただ一つ。
和真「Fクラスの誰かが蒼介と同じ境地にまで成績を引き上げることだけだ。こんな重労働、とても他人に押し付けるわけにはいかねぇよ」
鉄人「……お前らしい答えだな柊。なら、その後押しをしてやるのも教え子の俺の役目だな」
和真「マジでか。助かったぜ、あのクソ親父は文字通りクソの役にも立たないっすからねぇ」
鉄人「成績優秀なお前の父親なのにか?」
和真「覚えておいてください西村先生、俺の長所は全部母さんから受け継いだもので、俺の短所は全部クソ親父から受け継いだものだと」
鉄人「酷い言われようだな、カミナさんも……」
鉄人が和真の勉強を見ている頃、文月学園には一人の人間が侵入していた。
通称『ファントム』。
不気味な仮面を被っている上ボイスチェンジャーまであるため性別は不明。夏場だというのに黒いロングコートで体を覆い隠していることもあって、魑魅魍魎が跋扈する文月学園でも変質者というレッテルを貼られること間違いなしである。放課後だが自習や部活動のため生徒も何人か残っている上教師も巡回している中、こんな不振な人物が歩いていたら間違いなく大騒ぎになるはずである。
しかしファントムは悠然と校舎を歩いていた。途中で何人かの生徒や教師とすれ違ったが、大騒ぎどころか何のリアクションも取らない。
まるでそこに誰もいないかのように。
ファントムは校舎内を物色し、いくつかの場所に掌大の白い立方体を設置してから、そのまま誰にも邪魔されることなく文月学園を出ていった。
ファントム『……第一任務完了。さてと、近くに潜伏させてもらうとするか。ショータイムは明日行われる故』
蒼介「さて、また新キャラの登場だ。まあ本編に絡むことはほとんどないと思うが、試召戦争最強の綾倉先生に対し、リアルファイト最強の人物だとでも思っていてくれ」
梓「それしにても『ファントム』の奴は不気味やなぁ……というか、急にオカルトテイストが出てきたなぁ」
蒼介「『バカテス』世界ではオカルトはある前提ですからね。黒魔術云々も本物ですし、試験召喚システム自体『オカルトと科学でできたもの』です。それを踏襲して、これからオカルト分野も積極的に本編に絡んでくるかもしれませんね」