辻堂さんの冬休み   作:ららばい

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9話:梓との約束

「朝帰りってどういうことっすか!? どういう事なんすか!?」

 

比較的早い朝、愛さんの家から帰ってきた俺はプリプリと怒る乾さんに問い詰められていた。

まさか愛さんとにゃんにゃんしてましたなどと言うわけにもいかず、乾いた笑いしか出ない。

彼女も俺の微妙な反応に何か気づいたのか俺の匂いを嗅ぐ。

 

「くんかっかー・・・・・・この匂いは辻堂センパイのもの。まさか!?」

「何で匂いだけでわかるの!?」

 

犬じゃあるまいし。

っていうか何でそんなに愛さんの匂いを知ってるんだよ。

愛さんの匂いは凄いいい香りだから俺は余裕でわかるけど。

 

そもそも帰る前に風呂を借りたし。

もちろん愛さんと一緒に入ったけど。

 

とにかく事実を見事に当てられて自分でも驚くほど動揺する。

乾さんはそんな俺を見て呆れたようにため息を吐いた。

 

「引っ掛けただけっすよ。まさか本当だったとは思わなかったですけど」

 

んな。

適当に言った事に釣られたのか。

我ながら情けない。

 

「でもまぁカップルなら普通の事ですし別にいいっす。

 それよりも隠し事できない長谷センパイちょっと好印象かも」

 

ニマニマと笑いながら擦り寄って来た。

ちょっと怖い。

日に日に乾さんは俺とくっつく距離が近くなってきている気がする。

 

居心地悪くする俺に乾さんは知ってか知らずか構わず密着する。

だがその時間はそれほど長くはならず、不意に彼女の携帯の着信コールが静かな病室に響いた。

 

「ちぇっ、今回はここまでですね」

 

残念そうに呟いて急いで電話を取る。

その後乾さんは軽く相槌をうつ程度で何か会話する事もなく電話を切った。

携帯をポケットにしまって俺に振り返って

 

「それじゃあ自分は用事があるんで失礼するっす」

 

そう言いながらかけていたセーターを着る。

 

「今日はあまりお洒落しないんだね」

「そっすね。会うのはどうでもいい奴らばかりなんで」

 

辛辣だ。

そんな事を言う相手って誰なんだろうと一瞬考えるが

しかし俺は乾さんのプライベートなんて全然知らないため閃くこともない。

 

「何しに行くか気になります?」

「詮索はしないよ」

 

まさか他人の行為を詮索するなんて無神経な真似をする気はない。

 

「気になるのなら一緒に行きます?」

 

何処へだよ。

というか俺が一緒に行って大丈夫な所なんだろうか。

 

「合コンとかかな?」

「自分合コンは基本行かないっす。ってか男連れて合コン行くってどんなですか」

 

遊んでそうなイメージがあるから合コンとか行きまくってそうだがどうやら違うらしい。

そもそもこんな朝から行くものでもないだろう。

 

「自分、そんなに遊んでそうな女に見えます?」

 

心を読まれたらしい。

ブスっとした顔で俺をジト目で睨んでくる。

そしてその内容を正確に当ててきたので困る。

頷くのは失礼だし、誤魔化したこところでバレるだろう。

 

「言っときますけどあずは処女っすよ。

 ここは誰にも見せたことが無い所っす」

 

何てことを言いながらスカートをゆっくりたくし上げる。

そのまま下着まで見せるのかと思ったが、ギリギリのラインから上には上げなかった。

ホッとしたような残念なような。

 

「でも、長谷センパイなら見せてあげても良いかも・・・・・・」

「俺は彼女持ちです」

 

相変わらず何を考えているのかわからない。

まさか彼女の誘いに乗るわけもなく即座に断るが。

 

「一途ですね、そういう所も長谷センパイの良い所です」

 

屈託なく笑う乾さん。

まるでヴァンのような言い方に俺も釣られて笑った。

 

「さて、それじゃあ行きましょうか長谷センパイ」

「え、俺行くなんて言った覚えはないんだけど」

「行きますよ、長谷センパイ」

 

つまり断る余地はないらしい。

変なところに連行されなければ良いが。

半ば諦めつつ俺も着替えることにした。

 

 

 

 

 

 

「ンダラアアァァァァアアアアアアア!?」

「オォン? ッダッシャラアアアアアアアア!」

 

凄い。

何かもう野生動物みたいな威嚇をする不良の群れ。

 

「ん~、もう情報が出回ってるみたいっすね。面倒だなぁ」

 

威嚇を向けられる乾さんはどこ吹く風で思案している。

というか何でこんな所に。

 

病院から連れ出された俺はそのまま江ノ島へ連行されて人気のない裏路地へ連れ込まれた。

そこには既に先客がいて、数人の不良と一人のやたら体格の良い大人の男性がいた。

乾さんがいうには喧嘩だけで生計を立てているいわゆる喧嘩屋らしい。

 

「テメェが昨日から俺のチームを襲ってるイカれた馬鹿女か」

 

その喧嘩屋らしい人だけはやたら落ち着いているようだ。

軽くストレッチをしながら乾さんに話しかけている。

 

「不意打ちじゃない上にそっちは複数なんですから負けても言い訳はできませんよ」

「いいねぇ。そういう気の強い女好みよ俺」

「あずはテメェみたいなチャラい男全然好みじゃないっすけどね」

 

何でこんなことになっているのか。

 

「長谷センパイ、絶対にあずから離れちゃダメですよ」

 

などと俺を気遣う乾さん。

ありがたい、でもこんな危険な所へ連れてきたのは君だよ。

 

「わかってる」

「ふふ、今の掛け合いって傍から見ればフォーリンラブってますよね」

 

こんな軽口を叩いているということは見た感じそこらの不良より強そうな彼らでも乾さんにとっては俺というハンデがいても勝てるレベルなのだろう。

だが、それでもちょっと心配だ。

喧嘩に巻き込まれるのはもう慣れているが、今の乾さんは負傷中だし安心して見れない。

 

そもそも何でこんな決闘まがいなことを乾さんがしているのか。

後で絶対に教えてもらう。

 

「そんじゃ始めましょうか」

 

乾さんはそう言ってトントンとステップを踏んだあと一気に取り巻きの不良に肉薄する。

 

「は? うげっ!」

 

相手はまだ臨戦態勢すらとっていなかった。

 

不意を突かれた不良は反応すら出来ずに鳩尾に抜き手をくらって昏倒。

しかし気絶まではできなかったようで苦痛に歪んだ顔を浮かべた。

明らかにワザとだ、リョウさんの時の喧嘩を見れば今ので相手を仕留めれない乾さんじゃない。

 

「て、テメェ! ぶっ潰す!」

 

残った不良や喧嘩屋も今ので乾さんが只者ではないのに気づいたのだろう、

ようやく本気の顔に変わった。

 

乾さんは即座に距離をとって俺の傍に戻る。

 

つまり俺を守りながら戦うつもりなのだろう。

 

「こんなことするのに何で俺を連れてきたの?」

 

聞かずにはいられなかった。

どう考えても足手纏いを連れてくる理由が思い浮かばない。

乾さんは俺に視線を移さず、そのまま答える。

 

「ちょっと体験したい事があるからっす。まぁ今は長谷センパイは自分の身の安全だけ考えてて下さい」

 

などと答えにならない回答だけ残して再び臨戦態勢を整える。

 

即座に取り囲むような形で陣形を作る不良。

俺ごと完全に取り囲んだ不良はそのまま攻撃のタイミングを伺う。

 

ならば乾さんから陣形を崩すように攻撃をするのがセオリーなのかもしれない。

しかし今彼女は俺というハンデがあるためここから動けない。

 

乾さんが動けない上に俺がまったく喧嘩できないのを相手も察してきたのか、

全員の視線が先程から何もしていない俺に向けられた。

 

「おいおい、一般人を巻き込んでんのかよ。

 まさか俺たちがソイツを狙わないなんて思ってないよな」

「どうぞご自由に。まぁアンタらはこういうハンデつけてようやく勝負になるんすよ」

 

喧嘩屋は周りの不良たちにアイコンタクトを送った。

恐らく俺を優先して狙えとの事だろう。

なるほど、これはただの喧嘩だ。だったら卑怯と罵れない。

立派な戦術だ。

 

流石に周りの敵意を向けられて俺も内心落ち着かない。

 

「早く来てくださいよ、それともビビってます?」

「顔はいいのに性格は強烈だなぁテメェ。おら、やっちまえ」

 

乾さんの分かり易い挑発に乗った喧嘩屋が指で指示を出す。

それに応答した不良の一人が背後から一気に俺に襲いかかってきた。

振りぬこうとしたバットが俺に届くことはなく、乾さんはそれに一瞬で反応して蹴りで吹っ飛ばす。

蹴りの入りは浅かったらしく僅かなダメージで戦闘不能にはならなかったものの、蹴られた相手はげぇげぇ言って蹲った。

これもやはりワザと苦しむように気絶させなかったのか。

 

今のが開始の合図となった。

一気に取り巻いていた不良が動いたのだ。

 

360度あらゆる角度から攻撃が来る。

乾さんはそれら全てに反応して丁寧に防御と反撃を繰り返す。

しかし流石に片手で足手纏い持ちだとやりづらいのか、思うように攻撃に移れず殴り返した敵も戦闘不能なまでのダメージを負った人はいない。

 

とはいえこちらもは一切攻撃は受けておらず、未だ乾さんも俺も無傷だ。

改めて確認したが、乾さんは強すぎる。

愛さんやマキさんに準ずる強さではないだろうか。

 

「ふふ~ん、長谷センパイ今あずに見惚れているっしょ?」

「な、こんな時に何をいってるのさ」

 

余程余裕があるのか、相手から視線を外して俺に話しかけてくる。

 

その態度に相手は露骨に舌打ちをする。

目に見えて舐められているのだ。

 

「調子に乗るのも大概にしとけクソアマ!」

 

ボス格が冷静さを失ったように飛び込んできて乾さんに拳を振るう。

それが彼女に当たることはなく、手を使うまでもないと容易に躱された。

しかしそれは彼にとって予想通りなのだろう、空振った勢いそのままに彼女の後ろにいる俺に肉薄する。

 

「死ねクソガキ!」

 

やばいと本能的に感じた俺は両腕で頭を庇う。

 

「死ぬのはテメェっすよ」

 

しかしその拳が俺に届くことはなく喧嘩屋の男は横から乾さんに殴り飛ばされる。

明らかに反応速度と対応を実行に移す動きの速さが異常だ。

喧嘩屋の行動を後出しのように対応して間に合うなんて、

常人の限界とされるスペックを容易く越えた身体能力じゃないのか。

 

そのまま勝負が着いたのかと思ったがどうやら彼もやるようでギリギリ防御したようだ。

いや、それどころか何か今ので閃いたのか下品な笑いすら浮かべている。

 

再び目で周りに合図を送る。

一体なんなのかは俺には想像つかない。

 

乾さんも今一把握しかねるのか先ほどよりは僅かに構えが硬い。

 

どちらも動かなくなったが、それも直ぐに終わった。

 

不良全員が四方から同時に襲いかかる。

ここでようやく彼らの狙いが読める。

 

本来乾さん一人なら、襲いかかる不良のどれかに突っ込んでそのまま円陣から飛び出せばこの陣形は一瞬で崩れる。

しかし今回は殆ど身動きの取れない俺がいる。

つまり俺を庇う乾さんも自動的に動けなくなり、一気に同時にくる攻撃を俺を守りながら防がなければならない。

更に付け加えるならさっきとは違い、相手は全員俺だけを狙うのだろう。

よって俺を間に置いた不良の攻撃まで彼女は防ぐことがない。

なぜならその不良ごと俺まで殴りかねないからだ。

 

流石に拙いかもしれない。

けれど俺の心配をよそに乾さんは依然として構えをとったまま動かない。

どうするのかもわからない。

 

「おせぇんだよ雑魚」

 

そう呟いて一気に乾さんの姿がぶれた。

 

「はぁ!?」

 

そう驚愕の声を上げたのは誰だったか。

喧嘩屋の男かもしれないし周りの不良かもしれない。俺なのかもしれない。

ともかく彼女の動きに全員がまるで理解できなかった。

 

一瞬で取り囲む敵が吹き飛ぶ。

単純に凄まじい速度で順番に不良を叩きのめしたのだ。

ただその攻撃が余りにも速くて場にいる誰もがまるで反応できなかった。

 

一気に壊滅した陣形を唖然として見る。

明らかにそこいらの喧嘩自慢より強い筈の喧嘩屋すらも反応できず、路上で無様に這い蹲っている。

 

そんな彼らを見ながら乾さんはトントンとステップを踏んで、その後一呼吸。

 

凄い、日頃から湘南最強の愛さんを見ているせいでどんな強い人にあってもそれを凄いとは思わなかった。

けれど乾さんは違った。

愛さんやマキさんのように、人の常識の壁を超えている強さに近いものを感じる。

 

「ん~、やっぱコレ邪魔っす」

 

鬱陶しそうな目で自分の左腕のギプスを睨む。

明らかに隙だらけだ。

 

そんな彼女に近寄る奴がいた。

最初に吹き飛ばされて倒れていた不良だ。

彼は金属製のバットを片手に背後から音が出ないように走りよる。

彼の本気で乾さんへ殺そうとする目を見てまずいと感じた俺は声を出しながら走った。

 

「死ねやオラァ!」

「危ない!」

 

殆どヤケクソで乾さんと不良の間に立ちふさがる。

南無三、流石にバットのフルスイングで殴られたらただでは済まないだろう。

また愛さんに怒られるかなぁなどと現実逃避しながら目を瞑って覚悟をする。

 

しかし振りかぶったバットは何時までも俺に振り下ろされず、痛みも来ない。

はてどうしたのだろうと恐る恐る瞼を開けると

 

「そうそうソレです! このシチュエーションを待ってたんですよ!」

 

なんて凄い笑顔で先程まで俺の背後にいた筈の乾さんが俺の前に立って不良を一撃で葬っていた。

少し離れた所で完全に気絶している。

その仕留めた不良には視線すら送らず、乾さんは俺にくっつく。

 

「ふふ、やっぱり長谷センパイってあずのピンチになったら助けてくれるんですねぇ~」

 

頬に両手をあててクネクネしている。

 

「もしかして今のをしたいから俺をここに?」

 

試されたのかと思い、ネガティブな感情が頭を上げる。

 

「だったら何が悪いっすか!?」

 

逆ギレである。

ワケわからん。

 

「だって仕方ないっしょ! 辻堂センパイや皆殺しセンパイにだって庇った事あるのに自分だけないって不公平ですもん!」

 

やだ、何を言っているのこの子。

頭が痛くなてきた。

 

「そういう事して・・・・・・狼少年になってもしらないよ」

 

少なくとも今後は俺は乾さんの事を疑うだろうし、次同じことがあったとしてまた俺が助けようとする事もないかもしれない。

いや。そもそも乾さんが喧嘩で俺を頼りにすることなんてないだろうけど。

 

「まぁまぁセンパイ怒らないで下さいよぉ~」

 

俺の腕を両手で掴んで胸に挟む乾さん。

で、でかい。

愛さんも同年代では凄いスタイルをしているが、乾さんは愛さん以上に胸に関してはあるかも。

まぁお尻から足にかけてのラインの美しさは愛さんが一番ですけど。

 

「センパイが望むならご褒美あげてもいいんですよ・・・・・・?」

「ご、ご褒美?」

 

悩ましげな上目遣いで俺と目を合わせる。

頬は心なしか赤らんでいる上に瞳は潤んで、眉は悩ましげに下げられて正直色っぽい。

ワザとだろうけどだからこそ純真な愛さんにはできない芸当だ。

 

「そうですよ、ご褒美」

 

そう言って腕を俺の首に巻きつけてくる。

やばい、これは男としてやばい。

 

ゆっくりとそのまま俺を前かがみにさせ、乾さんは背伸びをしていく。

そして互いの息を感じれるほど距離を近づけ、

 

「やっぱだめだよ!」

 

理性をギリギリ取り戻して彼女と距離をとった。

 

危ない、流石にここで断らなかったら間違いなく浮気になる。

ほっと一息ついて一体何故こんなことをと乾さんに問い詰めようと彼女に目を向けた瞬間

 

「隙あり!」

「んが!?」

 

一瞬で距離を詰めた彼女に無理やりキスされた。

ムードは既に崩れ去ったあとだが、それでも彼女は諦めなかったらしい。

 

リップクリーム特有のしっとりとした感触を帯びた唇の感触。

凄まじい柔らかさである女性の唇に俺は硬直した。

そのまま10秒ほどフリーズしていると、不意に彼女は距離を置いた。

 

人差し指を自分の唇にあてて照れたように微笑む乾さん。

 

「んふ~、長谷センパイにあずのファーストキス奪われました」

 

しかもどうやら彼女の中ではどういうわけか俺が奪ったことになったらしい。

 

 

 

 

 

 

「って事があったんですよ。どう思います?」

「良い話だったよ。実に処刑のしがいがある」

 

拳をポキポキと鳴らしながら近寄る愛さん。怖い怖い。

 

「いやぁ、隠すのもアレだから素直に言ったけど何にせよだったか」

 

乾いた笑いしかでない。

流石に愛さんを裏切ったような負い目があったから自分から正直に言ったのだが。

 

取り敢えずぶん殴られるのを覚悟して身構える。

しかし愛さんはフリだけだったらしく、少し怒った顔をしたままではあるが病室の椅子に座った。

 

「もしアタシがお前のダチに不意打ちとはいえキスされたらどうする?」

 

想像してみる。愛さんが俺の知り合いに無理やりキスされたとして

 

「君がッ、泣くまで! 殴るのをやめないッ!」

 

イメージした男をひたすらに頭の中でボコボコにする。

即友情断絶かつ俺の怒りを思い知らさねばおさまりがつかん。

殴り合いで友情が生まれるなんて嘘っぱちだ、感情に任せて相手をボコボコにしたくてたまらない。

泣いても許さん。

 

「まて大、今まで見たことないほどに顔が怒り狂ってて恐い」

「うわあああああああん! ごめんよ愛さん!」

 

改めて自分が愛さんを盛大に裏切った事実に自己嫌悪にかられる。

同時に今の愛さんの言った例え話を想像してしまって凄まじい負の感情が溢れ出した。

 

やけくそとばかりに愛さんに抱きつく。

突然だから躱されても仕方ないと思ったが、優しく受け止めてくれた。

 

「反省してるならいいよ」

「でも、本当にごめんね愛さん」

 

頭を優しく撫でる愛さん。

それに心地よさを感じる。

 

しばらくその感触を堪能していると、すぐ傍からきつい視線が来た。

 

「あのね、私も来ていることを忘れてない?」

「うっせぇな、空気読めよクソ恋奈」

「読んでたらずっとアンタら最後までその空気だろうが!」

 

ひたすらに仲の悪い二人である。

 

「待って待って、それで今日はどうしたの片瀬さん?」

「どうしたのって何がよ?」

「いや、一昨日も来てくれたし今日も何か俺に用事があるのかなって」

「・・・・・・ふん」

 

何やら地雷を踏んだらしい、目に見えて不機嫌になってしまった。

 

「用事がないとアンタの見舞いに来るのは許されないのかしら?」

 

おっと、これは間違いなく俺の言い方が悪かった。

 

「ごめん、そういう意味で言ったわけじゃないんだ。

 片瀬さんが用事なくても俺の見舞いに来てくれたというのなら、それは俺にとって凄く嬉しい」

 

間違いなくこれは俺の本音である。

用事がないのに来てくれるというのならそれは俺の事を少なくとも嫌ってはいないわけで。

片瀬さんに憎からず思われているのなら光栄な事だ。

 

「大げさに言い過ぎよ。アンタがどんな情けない様か見に来ただけ」

 

などといつもの様な憎まれ口を叩く。

 

「はいは~い、人の彼氏にツンデレしてんじゃねぇ」

「んなっ? どこがツンデレしてるのよ!?」

「黙れ、今のテメェはギルティだ」

「ちょ。やめ!」

 

愛さんにアイアンクローされる片瀬さん。

 

「あがががが! 痛いマジでドリアン握りつぶすような女のコレはやばい!」

「あんなクセぇもの二度と割らねぇよ」

 

妙なギャグキャラ補正さえなければ今頃湘南の頂点にいるのは彼女かもしれないのになぁ。

 

まあどうせいつものように愛さんにどつかれても一瞬で治るのだろうけど

流石に目の前で知り合いがボロ雑巾にされるのは見たくない。

 

「そうそう。二人共に話があるんだ」

 

愛さんにアイアンクローされたままの片瀬さんと愛さんが俺をちらりとみる。

離す気はないのね愛さん。

 

「俺、明日の朝には退院なんだ。もともと骨折ってそんなに長い間入院するものでもないしね」

 

走ったりするのはまだ厳しいが、日常生活はもう問題ないレベルだ。

今日の朝回診にきた先生にそう言うと手早く退院の手続きをとってくれた。

これでようやく味気ない食事と退屈な日常とはおさらばだ。

 

「マジか大、やったな!」

「・・・・・・ふぅん」

 

何やらまったく対照的な反応。

愛さんは本気で喜んでくれているらしく目を輝かせてくれている。

しかし対して片瀬さんは今にも舌打ちしそうな剣幕だ。

正直怖い。

 

「それ、梓知ってんの?」

「いや、まだ言ってないけど」

 

確か先生と話していた時は乾さんはコンビニへ行っていた筈だ。

 

「そう、じゃあ帰ってきたら教えてあげなさい」

 

何で、と一瞬思ったがなるほど。確かに同室で過ごした患者同士だ、そりゃ退院するのなら事前に伝えるのは礼儀である。

それに俺と乾さんも冬休み前より間違いなく仲良くなったはず。

だったら友人としても言っておかねばなるまい。

 

はて、友人にファーストキスなんて上げるものなのか?

乾さんは最近のギャルっぽい感じだからもしかすれば貞操観念などが薄いのかもしれない。

ってそんなわけがあるか。本当に薄いのなら俺とする以前から誰かとファーストキス済ませているだろう。

 

え、じゃあ何? もしかして乾さんって俺のこと・・・・・・

 

「どうせ私と同じ理由で梓も怒るでしょうけど」

 

少し落ちたトーンで囁く。

けれど何か閃いたのか、言っている途中で少し期待した目でこちらを見た。

 

「ねぇ、アンタ江乃死魔に入らない?」

「え、でも俺」

「良いじゃない、リョウだってアンタ気に入ってるみたいだし悪いようにはしないわよ」

 

甘言を囁いて俺に詰め寄る。

 

そもそも俺はヤンキーになるつもりはないし、どこかのグループに入るつもりもないんだが。

 

「もしかしてもう辻堂軍団に入ってたり?」

「辻堂軍団いうな」

 

愛さんが渋い顔で片瀬さんに言う。

 

「大はどこのグループにも入らねえよ。つうかアタシの目の前で彼氏を誘ってんじゃねえ」

 

たしなめる程度の声色である。

一応俺の意思を尊重するつもりなのだろう、別に片瀬さんの勧誘を本気で妨害している感じじゃない。

 

「愛さんの言うとおり俺はただの一般人だし、どこにも入る気はないよ」

 

別に江乃死魔が嫌いなわけでもなく、そもそも自分が不良の組織に入るというのが考えつかない。

片瀬さんには悪いけれどここは断らせてもらう。

 

俺のあっさりした答えに片瀬さんは困ったように眉を寄せた。

 

「そう、それじゃあ退院したらもう会う機会は殆どないわね・・・・・・」

 

心からそう思ってくれていたのだろう、声も本気で落ち込んでいる感じだ。

 

「そんな事はないよ。俺たちって用事とかきっかけがないと会えないような仲?」

 

俺はそう思わない。

これからも彼女と遊びたいし、また喫茶店とかで食事をしたい。

悩みがあれば聞いてあげたいし仲良くしていきたい。

 

「・・・・・・そうね、そうだったわ」

 

落ち込んで伏せていた瞳を上げて真っ直ぐ俺を見る。

 

「じゃあ今度アンタの家に行くから」

「何でそうなる!?」

 

愛さんが今のフレーズは聞き捨てならんと食いかかった。

けど片瀬さんは長い髪を手で払って見下すように言った。

 

「だって長谷が前に言ったもの、今度俺の家に来ないかって」

 

そういえば言った記憶がある。

コーヒーをご馳走したいという意味でなんだけど、言葉の意味が愛さんには間違って伝わっているんじゃないだろうか。

 

「それも濃いのをたっぷりといれてくれるのよね、長谷」

「濃いの!? 特盛!? ちょっと待て!」

 

そうだね、俺のオススメのを濃い目で淹れてあげるよ

だから少し待とうか。

 

「私、楽しみにしてるから・・・・・・」

 

頬を赤らめて俺にてれ気味に微笑む片瀬さん。

その仕草にはドキっとくるものがある。

二重の意味で。

 

「ひろしぃぃぃぃいいぃぃ! アタシというものがありながら、ありながらああぁぁぁあああ!」

「ちょ! ちがっ!?」

 

ドキっと来るね、命の危険的な意味で。

般若がおる、これは俺を殺す目だ。

 

「いやいやコーヒーだよコーヒー!?」

「でも私はミルク多めが良いかも」

「そんなに大のミルクが欲しいのか! このいやしんぼがっ!」

「片瀬さんストップストップ」

 

ダメだ、これはダメだ。

最早怒髪天を抜く。

愛さんの黒い髪が金色に染まって体からパチパチとしたオーラが漂い始めた。

 

俺の襟を掴んでガクガクと首が揺さぶられる。

痛い痛い、頭が飛ぶって。冗談じゃなくてマジで。

 

 

 

 

 

 

「今、なんて言いました?」

「明日の朝俺退院するよ」

 

時刻は午後19時。

俺と別れたあとも理由は知らないがどうやら不良達と喧嘩し続けてたらしい乾さんがシャワーを浴びて帰ってきた。

丁度いいと俺は片瀬さんに言われた通り退院の事を伝える。

 

「・・・・・・ワンモアプリーズ」

「俺、明日退院します」

「ガーン! 現実は非常に非情である!」

 

口でガーンと言った人を初めて見た。

 

「どどどどうしてっすか!? 自分何かしましたか!?」

「いやいや普通に健康に近づいたから退院するだけだって」

 

そもそも同室の人が嫌だから退院なんてあるわけないでしょうに。

けど乾さんは今までに見たことないほど慌てている。

 

「駄目です、長谷センパイは冬休み終わるまでここにいるべきっす」

 

何故に。

骨折程度で冬休み全て入院生活とか嫌すぎる。

 

「いやいや、入院費だって馬鹿にならないし俺としては早くでないと家族に迷惑かかるから」

「あれ、知らないんですか? ここの入院費は恋奈様が出してくれてるらしいっすよ」

「はぁ!?」

 

初耳だぞ!?

 

「長谷センパイは江乃死魔の問題に巻き込んだ詫びとしてでしょうね」

 

アレは俺が勝手にした事だから詫びとか必要ないんだが。

というより他人の金で入院生活してるならそれこそ早く退院しないと。

 

「っていうか今の口ぶりを考えるに君まで片瀬さんに入院費払ってもらってるの?」

「はい、自分の口座は全部恋奈様に押さえられて無一文なので入院費は仕方なく出してもらってます」

 

まあ、それは仕方ないか。

 

「なのでタダなんすよ。ね? 一緒に入院ライフ過ごしましょうよ~」

「駄目だ、今のを聞いて俺は明日絶対に退院する事を決めた」

「ヤブヘビ、余計な事言った・・・・・・」

 

明日退院したら入院費の明細もらって片瀬さんにお金を返して礼も言わないと。

 

「乾さんはもう少し入院続きそうなの?」

「ん? 自分も明日出ます」

 

さも当然のように言う。

 

「だって長谷センパイいないならここにいる意味ないですし」

「いや、怪我とか大丈夫なの? ほら、内出血とかしてたらしいし」

「そりゃまだ痛いですけど入院するほどじゃないっす」

「じゃあなんでここにいる」

 

つ、疲れる。

 

「そんなことより長谷センパイ、退院したら自分ら会う機会なくなるっすよ! ヤダー!」

 

片瀬さんの時と同じ流れである。

なるほど、あの時に彼女がつぶやいたのはこういう意味だったのか。

 

「そんな事ないよ。乾さんさえよければいつだってウチに来てくれていいし、歓迎する」

「・・・・・・おぉ~」

 

目をキラキラさせる乾さん。

そんなに今の言葉が嬉しかったのか。

 

「行くっす! 絶対行きますからね!」

 

ガシっと俺の手を握る。

初めて合わせた彼女の手は俺の想像以上に柔らかくて小さかった。

とても俺の肋骨をへし折った手とは思えない。

 

「うん。待ってる」

 

片手でしか俺の手を握れない乾さん。

だから俺は両の手でその右手を包み頷いた。

俺はもう乾さんの事を気に入っている。

 

マキさんは言った。彼女は俺には合わないと。

俺は思った。彼女と俺は絶対に相性が合わないと。

 

だがそれでも今は違った。

 

俺は乾さんの事は嫌いじゃない。

まだ彼女のしたことを許せないし、これからも彼女を肯定する事はないだろう。

けれど、だからといって彼女の全てが嫌いにはなれない。

 

俺をセンパイと慕い、江乃死魔を追い出されて尚片瀬さんを恋奈様と敬う彼女を俺は嫌いにはなれない。

 

悪事を働く人は相応の理由があるのは漫画やアニメの世界だけだ。

現実ではむしろ愉快犯、ただの興味本心など救えない動機が多い。

そして彼女もその救えない人種なのかもしれない。

 

しかしそれでも俺は。

 

「長谷センパイ、それじゃあ入院生活最後のお願いがあります。

 あずの退院祝いだと思って聞いてくれると嬉しいです」

 

顔を真っ赤にして、薄く照れ笑いを浮かべて

それで何か勇気を持ったような目で俺を真っ直ぐ見る。

 

「今日だけ、一緒のベッドで寝させてください」

 

俺は彼女を嫌いになれなかった。

 


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