辻堂さんの冬休み   作:ららばい

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8話:大のためなら

「暇だなぁ」

 

大きく背伸びをする。

今日は本当にすることがない。

 

昨夜から乾さんは何か張り切っていて、朝に携帯電話に何か連絡が来たかと思ったら直ぐに出て行った。

そして愛さんは昨日乾さんから写真を貰ってからどうも暗くなっていた。

軽く話はしたもののどこか上の空で、結局今日来るかは聞いていないし、俺の方から尋ねるのも催促しているみたいで躊躇う。

 

もしかすれば他にも誰かが来るのかもしれないが、さてどうしたものか。

いや、待てよ。

 

そもそもなぜ俺がここで一日を過ごす必要がある。

別段誰とも約束をしていないのならむしろ俺はここに縛られる理由もない。

いつの間にか布団の虫と化していた自分に驚いた。

 

・・・・・・出かけてみるかな。

今日はあまり怪我の痛みもなくて調子が良い。

空も快晴で気温も暖かい。

絶好の散歩日よりだ。

 

俺は今日一日、自分の好きなように過ごすことを決めた。

 

 

 

 

 

「あらあら、自分を相手するにはちょっと関節が外れ過ぎてるんじゃないすかねぇ?」

「あ・・・・・・うぁ・・・・・・」

 

乾梓は人気のない裏路地で一人の人間の関節を外しまくっていた。

見れば相手している喧嘩屋は両足の股関節が既に外されていて倒れ込んでいる。

それだけならまだしも両腕も肘と肩両方まで見たところ関節が繋がっていない。

明らかにやりすぎている。

 

「女だからって油断してました? それとも怪我人だから手加減してました?」

 

既に唖然として身動き取れない相手の腹に足を置く。

そして急所の位置に思い切り力を入れた

 

「あ、ぎゃああああああああ!」

「良い声っすねぇ。デカいのは威勢だけかと思ったら叫び声も大きいじゃないですか」

 

相手がどれだけ悶絶しようが一切足の力を緩めない。

それどころかどれだけ力をこめれば相手が気絶するかを試している節すらある。

 

「許して欲しいですよねぇ? じゃああずが条件をあげます」

 

そういって僅かに足から力を抜く。

そして底意地悪く微笑みながら言う。

 

「二度と江ノ島の土を踏むな。それが守れるなら見逃してやるよ」

 

明らかに見下した声質だ。

だが満身創痍の相手には願ってもいない提案だった。

 

「わかった! 二度アンタの前には現れねぇ! だから――――ぐああああ!?」

 

言葉の途中で再び急所に蹴りを入れられて悶え苦しむ。

梓はその喧嘩屋をゴミを見るような目で吐き捨てた。

 

「ちゃんと聞いてなかったですか? 二度と『江ノ島』の土を踏むなっていったんですよ?」

「分かりましたっ、二度とここには来ません! ですから!」

「よろしい、それじゃあご褒美に外した骨を繋げてあげましょう」

「は? うげ!」

 

梓の要求を飲んだ喧嘩屋は即座に外された骨を矢継ぎ早にはめられてその痛みに失神した。

梓が故意に外した関節を特別痛くするようにしてつなげたのだ。

その余りにも悲惨な光景を少し離れた所で見る人物がいた。

 

「これで5人目です。残り、25人。どうなされますか?」

 

我那覇葉である。

彼女は未だ高ぶっている梓に質問をする。

 

「う~ん。まだあずが暴走王国メンバー潰しまわってる噂が出回らないうちにもっと減らしたい所かな」

「承知です。では次の者を引き連れてきます」

 

武勇伝を持つ喧嘩屋を既に午前中で5人ほど潰した梓はまだ足りないと次を催促する。

我那覇も今日の梓はやたら気がノッていてまるで負ける姿が想像することできないでいた。

もし疲労を感じていたり、途中に一度でも喧嘩屋に反撃を貰っていたら梓を止めるつもりでいた。

だがこの調子ならば更に5人ほど片付けることもできそうだ。

 

彼女の能力を信じて彼女の要求を聞く。

我那覇は再び次のターゲットに連絡を送ろうと携帯電話を取り出す。

 

「あ~、その。ナハ」

「なんでしょう、先輩」

 

珍しく歯切れが悪い感じで我那覇を呼び止める。

我那覇もどうしたのかと彼女に振り向く。

 

「その、さんきゅっす」

 

若干のテレを含ませながら礼を言った梓。

それに我那覇は僅かな間愕然とする。

 

「その、先輩。我は・・・・・・」

 

我那覇も梓の普段との明らかな変わりように戸惑った。

明らかに昨日別れた時と性格が違う。

いや、喧嘩相手に対してのやりすぎなまでのサディストさはむしろ以前以上だったが。

 

「そっちまで照れないでよ、恥ずかしいっしょ」

 

そういってシッシと手を払って我那覇にさっさとするように指示する。

我那覇も未だ思考が纏まらないものの尊敬する先輩の命令に従い路地裏を出た。

 

それを確認した梓は一息つくように地べたに座った。

二日目からは残りの奴らも今日の事を察知して部下を連れたり徒党組んだりするだろうし、早めに全員潰さないといけない。

そう考えて今日中に我那覇にはあと5人は呼んでもらうつもりだ。

 

最初は自分でも体力的に無理ではないかと思ったが、実際に喧嘩を始めて見れば尋常じゃなく気分や身体がノッていた。

自分の体がまるで重くなく、集中力も冴え渡っている。

おかげで未だ無傷だ。

 

なぜここまで調子がいいのかと考える。

そして即座に答えは出た。

 

昨日の大のマッサージだ。

あれの御蔭かやたら体の調子が良い。

だが、はて。だったらなぜ気分までここまで良いのだろう。

そりゃ体の調子がいいと気分も良いだろうが、だからといって今程機嫌がいい事も今までなかった。

まるでパラダイムシフトを起こしたようだ。

 

その事に答えは見つからず、首をひねる。

だから取り敢えず

 

「長谷センパイのせいっすね」

 

身近な自分の癒しを理由付ける事にした。

そしてそれが正しい答えであることを彼女は心の奥底では気付いていた。

 

昨日の夜から自分の心は火照りっぱなしだ。

この感情がなんなのかはまだ把握できないが、少なくとも嫌な気持ちではない。

むしろ最高の気分だ。

 

「先輩、あと15分程で来るそうです」

「ご苦労さん」

 

自分のことや長谷大の事を考えていると、我那覇が既に連絡を終えたようで帰ってきた。

 

「その、先輩。先ほどの事ですが・・・・・・」

「いや、掘り起こさないでよ恥ずかしいな」

「しかし」

「やめなさいって」

 

今日は何故か自分を慕う後輩がとても可愛く見える。

見た目はアレだけど、それでも不思議と我那覇を可愛がりたくなった。

だから礼をいったのだが。

どうやら律儀な我那覇は先ほどの礼に対しての説明を求めるようで梓は困り果てた。

 

仲間の意味がわかってきた気がする。

 

 

 

同時刻

 

 

 

乾梓がいる路地裏から近いところに二人の姿があった。

愛と冴子である。

 

二人は、いや、愛は特に困ったように互いに江ノ島の喫茶店で話し合っていた。

 

「で、もう一度いってくれるかしら。先生よく聞こえなかったの」

 

心なしか冴子の方は言葉に若干刺がある。

その刺は鋭く愛にダメージを与えた。

 

「だから、大の写真とか持ってたら分けてくれないかなって・・・・・・」

 

言葉尻がどんどん窄んでいっている。

だが冴子は今度こそちゃんと聞こえたようで、疑問気な顔をした。

 

「何で、と聞くのはヤボのようね。まあ彼氏の昔の姿とか興味あるでしょうし」

「はい、そういう事です」

 

なぜ今更になって写真が欲しくなったのか。

答えは単純なもので、昨日梓に渡された写真が原因である。

 

梓を見逃す代わりに渡された写真には入院中の大が写っていた。

特にどうということはない、パジャマでスヤスヤと寝ているだけの画像である。

だが愛にとってはそれは凄まじい価値あるもので、その賄賂を受け取ってしまった。

 

この写真には愛の悩みであったあるものを解消するアイテムとなったのだ。

まぁ、悩みとは大に見てもらっていないと自慰行為で感じることができないというものだが。

写真を眺めながらしてみたら問題が解決しまくりました、マル。

そんな事を冴子にいう訳もいかず、理由だけは聞いて欲しくなかった。

 

というより、別にソッチの目的だけでなく普通に彼氏の写真が欲しいというのもある。

 

大のお姉さん兼幼馴染であるよい子や冴子の知る大を知りたい。

しかも最近になってはマキですら何やら昔の大を知っている素振りすら見せ始めていた。

まさか腰越マキに大について知っている事の量で絶対に負けたくない。

そのため今こうして将来義理の姉になうであろう人物に頭を下げている。

 

「あるわよ、写真。私の部屋にアルバムとしてしまっているわ」

 

疲れた時に即座に開いて彼女の癒しになっている一冊である。

 

「けれどそれを渡して私に何かメリットはあるのかしら」

「・・・・・・思いつかない」

 

でしょうねとため息をつく。

 

「まあ欲しいのなら分けてあげてもいいわ、どうせパソコンの方にもスキャンしてるし」

「まじっすか! っしゃす!」

「そんな不良みたいな感謝の仕方はおやめなさい」

「へ、お高くとまりやがって」

 

途中から互いに何を言っているのかわからなくなったが、とりあえずは交渉成功だ。

愛はほっとして次に喜びに震える。

 

しかしそんな愛に冴子は教師の顔で一言。

 

「辻堂さん、前から言っておきたかったんだけど。

 あなたやヒロはまだ高校生よ。あまり不純な行為をするのは関心しないわ」

 

会話の脈絡もない。

いきなりの説教に驚く。

 

「アタシは大と不純な行為をしているつもりはない」

「辻堂さんがどう思うかはここでは二の次なの。

 周りがあなた達を不純異性行為していると言えばそれは事実になってしまう」

 

事実だ。

本人たちが結婚を前提に付き合って、そしてそういった性行為をしていたとしても周りから見ればただカップルが性行為しているだけである。

それは揺るぎない事実だし、言い訳のしようもない。

そして高校とは昔からそういう行為には重大な罰則が設けられるのが常だ。

稲村学園もやはり例外ではない。

 

「もし辻堂さんが高校生活中に妊娠でもしたらどうするの?」

「アタシは、学校やめてでも産む」

「姉からすればそれだけヒロとその子を思っていてくれての嬉しい答えかもしれないけど、先生からすれば最悪の答えだわ」

 

愛も何がいけないかは分かる。

 

「あなたが辞めてもヒロの罪が消えるワケじゃない。

 だから異性行為はするなとは言わないけれど、そこのところは常に注意しておきなさい」

 

そして、何かあっても私はヒロの味方だけどと付け足す。

 

「・・・・・・わかったよ」

 

冴子の言っている事は紛れもなく正しい。

さらに言えばその言っている事は愛や大を想っての忠告だ。

これに反発することなどできるはずもなく、愛は素直に頷いた。

 

「良い子ね、それじゃあウチいきましょうか」

 

つまりは写真を分けてくれるということだろう。

待ってましたと愛が立ち上がった瞬間、彼女のポケットから大の写真が落ちる。

それを冴子は目ざとく見つけて拾った。

 

「これは」

 

そして固まる。

 

「・・・・・・見たところ今入院している大の写真ね。

 これ、誰が撮ったのか聞いていいかしら?」

 

声自体はとても透き通っていて冷静だが、何故か彼女の雰囲気は愛の母親を彷彿とさせるものだった。

 

「大と相部屋になってる奴」

「そう、ちょっと用事思い出したので写真はまた今度ね」

「え、ちょっと」

 

何が彼女の琴線に触れたのかわからないが、写真を握り締めたまま凄まじい速度で何処かへ走っていった。

ん? 握ったまま?

 

「うわあああああ! 私の大がああああああ!」

 

あの様子じゃ写真はぐしゃぐしゃだろう。

お気に入りの一枚を破壊されて泣きそうになる。

 

ただ、喫茶店の代金は全額置かれている。

つまりここは彼女のおごりなのか。

愛は複雑な感情のまま結局ワリカンで支払いを済ませて喫茶店を出た。

余ったお釣りは今度返すつもりである。

 

さて、予定もなくなったし大に会いに病院行こうかと江ノ島から出ようと思ったとき、不意にとある方向に気になる気配を感じた。

 

 

 

 

 

腰越マキは江乃死魔の拠点の上にある橋で黄昏ていた。

元々そんな大人しくしている性分ではないが、それでも黄昏ていたい気分だったのだ。

 

「・・・・・・はぁ」

 

これで本日何度目のため息だろう。

少なくとも20は超えている。

 

マキは右手に一枚の写真を持って佇んでいた。

その写真には子供の頃の自分と他にも歳の近い3人の少年少女が写っている。

以前実家に仕方なく戻った時に祖母に渡された写真である。

 

あの頃の弱くて奥手な自分は写真の端で居心地悪そうに視線を逸らしている。

しかしそんなのは自分だけで、他3人はそれぞれ笑顔だ。

 

写っている子供は間違いなく冴子、良子、そして大だ。

 

冴子はセンターに立って満面の笑みで大を抱きかかえながらピースをしている。

良子はその隣で控えめに立っているだけだ。

大は大で多少苦しそうにはしているもののやはり姉同様笑顔。

 

自分だけが笑っていない。

 

その写真を眺めてため息を吐く。

 

あの頃の自分がどんなだったかなんてまるで覚えていない。

けれど、未だおぼろげだが思い出してきている。

子供の頃の、綺麗な心でかわした綺麗な約束すら今はもう思い出した。

 

だが、どうやら大はそれを完全に忘れてしまっているようで。

約束を果たすことはできなさそうだ。

いや、例え彼がその約束を思い出した所で今大が付き合っているのは自分ではなく辻堂愛だ。

ならばもう彼とこの約束を果たすことは永遠にないのかもしれない。

 

心に、冬の風より冷たい風が通り抜ける。

 

「何やってんだお前」

 

海を眺めていると不意に背後から声がかかった。

誰かと振り向けば複雑な顔をした辻堂愛だ。

 

「何もしてねぇよ。みりゃわかんだろ」

 

今は誰とも話したい気分じゃない。

直ぐに愛から視線を外して海を見る。

 

「卒業前のアンニュイな気分に浸ってんのか」

 

無視する。

だが愛も無視されたまま引き下がる性格ではない。

愛はマキに並ぶように立った。

 

マキは愛に気づかれないように写真をポケットにしまう。

幸い愛はそれに気づきはしなかったようだ。

 

「そんな性格してねぇよ。っていうかこっちは腹減ってイライラしてんだ、さっさと失せろ」

「こっちだって最近まともに大と二人になれなくて苛々してんだよ、苛立ってるのはテメェだけと思うな」

 

その愛の一言に僅かな苛立ちを感じた。

 

「ひろしひろしって、お前はどれだけダイに依存してんだよ」

 

元々言うつもりは無かった言葉だ。

言ったマキ自身後悔した。

 

依存しているのは自分だって同じなのだ。

いや、自分の場合依存というよりは執着か。

 

「ああ、アタシは大に依存してるよ。だがそれがどうした、アタシ達は付き合っているんだ。

 ならそれは普通の事じゃないのか?」

 

その通りだ。

愛も大も互いに依存しあっている。

けれどけしてどちらも付き合う以前より不抜けていない。

愛は喧嘩最強の肩書きを背負いながらも大の影響で家事や勉学にも成長が見られるようになった。

大は大で以前以上に精神面が成熟し、人間性が明らかに大きくなっている。

 

それを間近で見ているマキが知らぬわけもない。

だが、だからこそ苛立つ。

しかしそれは紛れもない八つ当たりだ。お気に入りの大、将来の約束をしたあの少年。

どちらも同じ存在で、その存在は既に愛のものとなっている。

 

既に手を伸ばしてもとうに間に合わなくなっていて。

後悔ばかりが後に来て。

なぜもっと早く思い出せなかった、そう思いつめる。

 

「・・・・・・っち」

 

口論すらまともにできそうにない。

喧嘩もする気にならない。

もはや自分を見失いそうになったマキは愛から逃げるようにその場を後にしようとする。

 

「ん? 何か落としたぞ」

 

ポケットからこぼれ落ちた1枚の古ぼけた写真を愛は拾った。

その写真の映像を見て愛は息を飲んだ。

 

「これは――――――」

「それに触んじゃねえッ!」

 

奪い取るようにして愛の手から写真を取る。

愛もそれに抵抗せず大人しく返す。

 

「その写真は・・・・・・」

 

愛の問いにマキは答えない。

 

「お前が私の知らないダイを知っているように、私もお前の知らないダイを知っているだけだ。

 お前だけがダイの特別と思うな」

 

そう吐き捨ててマキはその場を後にした。

 

その場に残された愛はあの写真の映像を思い浮かべる。

 

「明らかに、腰越と大だよな」

 

あと二人の姿は少ししか見れなかったためいまいち思い出せないが、目の前にいた人間と愛おしい大の顔までわからない愛ではない。

間違いなく、二人は過去に会っている。

その事実に愛は不安を覚えた。

 

まるで、既に大の隣を得ていたのが自分だけではなかったという不安が頭によぎる。

 

「あれ、辻堂センパイじゃないっすか」

「ん?」

 

声の方を見れば乾梓がこの寒い中汗びっしょりで立っていた。

その隣には我那覇がいるが、彼女は軽く会釈するだけでその場を去っていった。

 

「このクソ寒い日になんでお前はそんなに汗臭くしてるんだよ」

「臭くないっすよ! ・・・・・・ないっすよね?」

 

ちょっと自信がないのだろう。

自分の体を犬のように嗅いで確認する。

 

「自分の体臭なんて自分自身じゃ臭いかどうかわからないですよね」

 

即座に諦めた。

 

「それより、えらく落ち込んでいるようですけど長谷センパイと何かあったとか?」

「何でここで大が出てくる」

 

とはいえ当たらずとも遠からず。

 

「だって辻堂センパイって基本クールですけど長谷センパイ絡むとやたら表情豊かで繊細になっちゃいますし」

「人を観察してんじゃねぇよ」

 

鳥肌を立てて抗議する。

梓も別に悪気はないのでスイマセンと笑って謝った。

 

「まぁ辻堂センパイと長谷センパイが前みたく別れたとかになったら覚悟はしといたほうがいいっすよ。

 あの頃とは周りの長谷センパイを見る目が皆違いますから」

 

どういう意味だと言いそうになる。

だが、そんな事は自分も理解していた。

 

「勿論、自分も見逃す気はないっすよ。

 皆殺しセンパイ同様自分も長谷センパイのこと気に入ってますし」

 

えっへんと豊かな胸を張る梓。

 

「アタシと大が別れるなんて、もう二度とねぇよ。

 嫌な事思い出させるな」

 

あの時の事は思い出したくない。

自分の元を離れていく大の姿は余りにも愛にとってもう思い浮かべたくもないものだった。

 

「そうですね、だけど二人が付き合っていたとしても周りの人間が諦めるとは限りませんよ?」

 

含みのある笑みを落とす梓。

明らかに愛を挑発している。

いや、果たしてそうだろうか?

 

確かに梓は挑発をしているのだろう。けれどこれは忠告でもある。

 

大は愛が思っている以上に魅力的な男性だ。

その人柄に愛は勿論、冴子やマキも彼を想っている。

そして彼女もまた、やはり大に興味を持ってしまった。

 

「長谷センパイを気に入っているからこそ言えることがあります。

 自分だけが長谷大の心の中を占領できると思わない事です」

 

憮然として言い放つ。

 

「やりたい事をやって、他人の迷惑を顧みない奴が不良だ。

 皆殺し先輩はヌルイんっすよ、長谷センパイに遠慮して身を引くなんて大馬鹿っす」

 

まるで愛をコケにするように邪悪な笑みを浮かべた。

 

「けど自分は違いますよ。さぼりたい、遊びたい、面倒なことはしたくない、自分の欲求だけを優先する単純な不良っす。

 他人を顧みて自分のしたいことを諦めるなんてバカバカしい」

 

そうだ。

むしろ愛のような何か筋を通す不良こそ珍しい。

大半の不良は他人を顧みず、規則を蔑ろにし、罪を認めない。

単純に大きいだけの子供なのだ。

そして乾梓もその例に漏れず、そのタチの悪い不良だ。

 

「せいぜい長谷センパイに愛想つかされないようにしてください。

 あずはチャンスさえあれば辻堂センパイを出し抜く事も―――おっと」

 

言い切る前に愛が梓に拳を振るう。

だが調子が良い梓は並みの不良なら反応すらできない喧嘩狼のジャブを容易く掴んだ。

 

「ウザイんだよ。アタシが大を愛しているのと同じように大もアタシを愛してくれている自信がある。

 テメェみたいな尻軽そうなバカ女に大は靡かねえよ」

「へぇ、言ってくれるじゃないっすか」

「何よりテメェみたいな女と付き合った男は例外なく破滅しそうだ。

 そんな奴に大は任せれない」

 

それはつまり、梓が男をダメにする女だと皮肉をいっているのだ。

梓もその意味に気づいて目尻を上げる。

 

「残念っす、彼女なのに辻堂センパイは長谷センパイの性質をまるで理解していないんですね」

 

言い返すように言葉を吐く梓。

 

「誰かが長谷センパイをダメにするのではなく、長谷センパイがパートナーを成功させるのが正解でしょう。

 彼に敵対すれば例外なく失敗するけれど、それは逆に言えば彼自身が成功を引き寄せる体質とでも言いましょうか」

 

確かに、江乃死魔は彼に関わるたびにロクな目に遭わず上手くいったためしがない。

だが自分は大に何か手伝ってもらえば総じて上手く行く。

勉強だって、人間関係だって。

 

梓も大のその本質に気づいているのだろう。

 

「つまり、自分が成功したいから大が欲しいってことか」

 

吐き気がする。

そんな大を利用することしか考えていない女などに断じて大は渡さない。

そもそも大は自分と結婚するところまで既に予約済なのだ。

 

梓は愛の吐き捨てるような言葉に憤慨する。

 

「成功とかそんなのどうでもいいよ。あずはただ単純に長谷センパイが好きなだけっす。

 この気持ちはまさしく愛だと言ったところでしょうか」

「はぁ!?」

 

余りにもストレートな言葉に愛は呆気にとたれた。

だが梓はどこ吹く風、頬を赤らめながら先日の夜を思い出した。

 

「長谷センパイ・・・・・・こんな自分を仲間と思ってくれてるんですよ」

 

その言葉にどれだけの思いが込められているのか。

少なくとも愛が押し知れるものではない。

 

「自分も長谷センパイのためなら体張れます。長谷センパイのためなら辻堂センパイや皆殺しセンパイに喧嘩だって売れます」

 

一切の不純なものがない、真っ直ぐな目で喧嘩を売られた愛。

 

「やってみろよ。おら、この掴んだままの手をどうかしてみるか?」

 

未だ愛の手を掴んでいる梓を強気で挑発し返す。

だが梓は何かするわけでもなく、変わらず真っ直ぐな目で彼女を睨む。

 

「今はやりませんよ。今辻堂センパイとやりあったところで勝目ないし、例え勝っても長谷センパイが手に入るわけでもない。

 それどころか辻堂センパイに怪我でもさせたら逆に長谷センパイに嫌われそうですし、それは嫌っす」

 

そう言って愛の手を離す。

愛も戦意の無い相手を殴るのは主義に反する。

だが互いに敵意は緩めないため凄まじいプレッシャーが間に広がった。

 

だが、梓は時間が来たのか不意に腕時計を見てため息をついた。

 

「時間切れですね、自分そろそろ行くところあるんで」

 

目を伏せて再び路地裏に戻ろうとする梓。

だが歩いている途中に何か思い出したのか、再び愛の方を振り向いた。

 

「ムカつくけど今現在長谷センパイに一番愛されているのは辻堂センパイっす。

 けど、自分は諦める気なんて欠片もないですから」

 

愛はその言葉に言い返せない。

 

「せいぜい長谷センパイに愛想尽かされてください、そうすれば自分が長谷センパイと幸せになりやすいんで」

 

つまり、梓も大を狙うと公言したのだ。

もう一度喧嘩別れしてみろ、次は自分がいただくぞと。

 

愛は梓のその大胆不敵な宣言に真っ向から立ち向かう。

 

「テメェらの入る隙間なんてこれっぽっちもねぇよ。

 今も、これまでも、これからも変わりなくアタシ達は幸せなんだ」

 

愛の乙女な回答に梓は一瞬呆気にとられたあと、クスリと笑った。

嘲笑ではなく単純に面白いという笑いだ。

 

「なら分かる筈です。どれだけ、あずが長谷センパイと幸せになりたいと思っているか」

 

心の底から惚れた男と幸せになりたい。

乾梓が今抱く欲しいものはソレだった。

その思いを略奪愛だと侮辱する事もできるだろう。

だが愛にはそれができなかった。

 

そうだ、ただ遅かっただけなのだ。

梓が惚れた相手は既に彼女持ちだった。

単純に乗り遅れたのだ。

 

もしかすれば自分もこうなっていたかもしれない。

 

一番最初に別れを告げたあの嵐の日。

もし大があのまま愛を諦めていたら、大はもしかすれば別の女と付き合っていたかもしれない。

それこそ腰越マキが放っては置かなかっただろう。

だからこそ今の乾梓を軽蔑できない。

 

好きな相手が既に彼女持ちで、自分を見てくれることは無いと思い知らされて

それでも好きだと、思いを貫けるかなんて。

 

「・・・・・・テメェ、名前は?」

 

実の所、愛は彼女の名前を覚えていなかった。

元江乃死魔幹部とは言え、まともに覚えているのはリーダーである恋奈、

そして例外としてハナ程度である。

 

「覚えてなかったんっすか、ショックっすね」

 

別に嫌味で言ったわけではない事は梓もわかっていた。

だから困ったように笑う。

 

「乾梓っす。二回は教えませんよ」

 

そう言って愛に背を向けて歩き始める。

その背中を見届けながら愛は大きく息を吸った。

 

「乾梓、テメェは今日からアタシの敵だ。

 絶対大に関わることだけは負けねえぞ」

 

明確な敵対宣言。

だがこれは今までのようなシンプルな喧嘩で解決する敵対関係ではない。

もしかすれば明確な勝利など無いのかもしれない。

だが愛には梓にこう言うしかなかった。

 

同じ男を好きになった同士だ、ただ自分が大分先んじていて

もしかすると自分はゴールした後かも知れない。

それでも負けじと追いかける梓は愛にとって尊敬すべき敵なのだ。

 

梓は愛の声に反応することなく歩みを止めない。

けれど伝わったはずだ、自分がどれだけ大を大切に思っているか。

 

梓は振り向かない。

だが勿論愛の言葉は届いた。

だが、それでも梓は折れなかった。

自分の欲しいものを手に入れる。その欲求を今回ばかりは諦められないのだ。

 

 

 

その夜、愛は江ノ島から離れて自宅へ帰っていた。

途中大の病室へ訪ねようかと思ったが、時間が大分遅れていたため仕方なく諦めた。

家に帰ったあと電話することに決めたため急ぎ足で帰っていたのだが、

ふと、自宅の前で立っている人物がいる事に気づく。

 

一瞬誰だろうと目を凝らしたが、すぐさま理解した。

 

「大、なんでこんな所に!?」

「あ、こんばんは愛さん」

 

大急ぎで大と合流する。

だが大は既に長時間待っていたようで体が冷え切っているのかガタガタと震えている。

勿論本人は気づかれないように気丈に振舞っているが、それが余計に愛の母性を刺激した。

 

「なんで、連絡してくれればすぐ帰ったのに」

 

そう言いながら直ぐに自宅に連れ込んでリビングに上げた。

現在愛の両親は旅行なため誰もいないのである。

 

「いやぁ、愛さんドッキリさせようと思ったら想像以上に遅くなって」

 

大慌てでお湯を沸かしてお茶を淹れた。

それをすぐさま大に渡す。

 

「焦った意味でドッキリしたよ。

 風邪ひいても知らないからな」

 

などと冷たいことをいうが、内心未だ大慌てである。

このまま泊まって行って欲しいがやはり彼を病院に送り返さないと拙い。

恋奈が言ったように自分の我侭でウザイ婦長に大が怒られるのは絶対にダメだ。

 

「大丈夫だよ。それに愛さんの顔を見たら元気出た」

 

屈託なく笑う大。

愛はその眩しい笑顔を向けられて顔を赤くする。

 

「それ飲んだら病院へ戻るぞ、送ってやるから」

「外はもう寒いしそれは悪いよ」

 

やんわりと断ろうとする。

だが愛はそれを許さない。

 

「ダメだ。あれだけ言ったのにそんな怪我をした大をもう信用しない」

「う、痛いところを」

 

耳にタコができるほど普段から気をつけろ、ヤンキーの厄介事に首を突っ込むなと言い聞かせているのに見事に突っ込んだのだ。

大に言い逃れができる要素もなく、必然的に愛の提案は通ることになる。

 

「しかしこの長谷大、茶を一杯飲むだけの行為に数時間かけるのも吝かではない」

「クソ迷惑だ、さっさと飲んで帰るぞ」

「愛さん冷たーい」

 

いつものような馬鹿らしくもそれでも心が満たされるほど楽しい会話をしながら今日の事を振り返る。

 

腰越マキや乾梓はやはり大の事を異性として意識している。

マキに至っては過去に何かしら大とつながりがあるのだろう。

自分の知らない長谷大を知るマキ。

 

「なあ大、お前って小さい頃に腰越と会ったことあるのか?」

「ん? どうしたのいきなり」

「いいから、答えてくれ」

 

そう言われてもと大は首をひねる。

そして一分ほど考えるも思い出せないようで

 

「思い出せないね。マキさんくらいキャラクターが濃いのなら忘れる筈もないと思うけど」

 

その言葉に安心するも、引っかかったものを感じる。

そういえば、あの写真で写っていた腰越マキの姿は明らかに今と異なる。

 

容姿は当然として、引っかかったのはその表情の方だ。

 

今のように高圧的な感じは一切なく、多少引っ込み思案な雰囲気をしていたあの少女。

間違いなくあれは腰越マキの小さい頃だ。

ならば、あの写真を大が見れば・・・・・・

 

得体のしれない腰越マキと大のつながりを感じて愛は焦りを覚えた。

 

「大、アタシはどんな事があってもお前の事を愛し続ける」

「え、あ。いきなりどうしたの」

 

何の脈絡もない突然の告白に大は慌てる。

だが愛は既に内心穏やかではない。

自分がどれほど大の事を愛しているのか、本人にいくら伝えてもまだ足りないだろう。

けれどそれでも伝えずにはいられなかった。

 

「ヤンキーやめれなくて、嫉妬ばかりして、きっと何年経っても大に似合う普通の女にはなれないと思う。

 でも、それでも大の事が好きだ」

 

不安を払うように思いの丈をやけくそにぶつける。

 

「どうしたの愛さん。好きって言ってくれるのは嬉しいけど、

 何かいつもと違うよ」

 

余りにも余裕のない愛に気づいた大は優しく宥めるように愛を抱きしめる。

愛もそれに逆らわず子供のように強く抱きしめ返す。

 

「アタシは、アタシは・・・・・・」

「もういいよ。充分に愛さんの気持ちは伝わってる」

 

抱きしめられて尚想いを伝えようとする愛を諭す。

 

互いに沈黙となり数分が経過した頃、長谷大は決心したように愛につぶやいた。

 

「俺、今日は帰りたくないな」

「それ、男の大がいう台詞じゃないと思う」

 

即座にツッコミを入れる愛。

そしてその息の合った掛け合いに二人はクスりと笑った。

 

「でも今のは本気だよ。今日は愛さんとずっと一緒にいたい」

 

真剣な目で愛を見つめる。

愛自身もそんな凛々しい顔で見つめられればそれだけでたまらなくなる。

そもそも大のお願いを愛が断れる筈もなく、

 

「病院はどうするんだよ」

「俺の方から電話するよ」

「婦長に嫌味言われるぞ」

「愛さんと一日二人きりでいられるなら小さい代償さ」

 

あらゆると問いに即座に返答する大。

追い詰められる愛。

 

「・・・・・・愛さんは嫌?」

 

不安がるように愛の反応を伺う大。

 

「嫌なわけあるかよ。怪我が心配なだけだ」

 

そんな大に苦笑して優しく大を押し倒した。

 

「だから今日はアタシがしてやる」

 

 

 

 

 

そのころ病室では

 

「お姉さま! 長谷センパイをあずにください!」

「私が欲しいわちくしょーーーーーーー!」

 

梓の長谷大盗撮ファイルを押収した冴子が絶叫していた。

 

「ちょ、あんまり大声出さないでくださいよー。あ、婦長きちゃう! 隠れて!」

「何で私じゃいけないのおぉぉぉぉ・・・・・・ヒロのばかぁーーーー」

「話聞いてくださいよ!」

 

酔ったように泣きながら大のベッドをクンカクンカする冴子に困り果てる梓がいた。


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