辻堂さんの冬休み   作:ららばい

5 / 36
5話:意地

色あせたセピア色の思い出。それは誰にでもある物だろう。

起きている時は意識すらしないため、そんな古ぼけた物を思い出すこともない。

けれど、何かふとしたきっかけで思い出す事があり、それを懐かしいと感じる。

 

記憶の引き出しの奥にしまった思い出。

それは何よりも大切な思い出なはずなのに、気がつけば忘れていた記憶。

 

『じゃあもう会えなくなっちゃうね』

『そんなことないよ』

 

以前まで住んでいた、腰越マキの実家である寺には二人の幼い子供の姿があった。

 

『だって遠くへ行っちゃうんでしょ。

 仲のいい子がいなくなったら私一人になっちゃう。

 お父さんもお母さんもいないし』

 

この二人は誰なのだろうと考える。

だが夢の中の曖昧な意識では思考がまとまらない。

 

『爺ちゃんや婆ちゃんがいるじゃない』

『その二人しかいないんだもん』

 

だというのに、夢の中だというのに何故だろう。

 

『うーん』

『じゃあいつかマキちゃんもおいでよ』

 

この二人の会話は何よりも自分の胸に痛みと懐かしさを押し付ける。

 

『へ?』

『婆ちゃん達が許してくれたら、うちにおいでよ。

 一緒の家族になろう』

 

美しい思い出は、やはり色褪せていて。

なのにどんな現実よりも自分の心に問いかけるものだった。

 

私は、腰越マキはどう進めばいいのだろうか。

二人の子供は、未来にどんな形を見たのか。

このマキという女の子はこの後どうあろうとしたのか。

 

自分の事のはずなのに、何も教えてはくれなかった。

 

 

 

 

 

 

「ダイ。お前は子供の頃の夢って見るタイプ?」

 

恒例行事となった朝食の時間。

今日の朝も元気いっぱいなマキさんにはたくさんのおにぎりを食べてもらってた。

自分もその中から少しつまんで食べるが、朝一にそれほどの食欲はない。

取りすぎるとマキさん怒るし。

 

「どうでしょうね。

 もしかしたら見てるのかもしれないけど、夢を覚えていないタイプなんですよ、俺」

 

悪夢とかのように心に刻み込むような強烈な夢なら目覚めた瞬間は断片的に覚えてる。

だけど立ち上がって背伸びでもしたらやはり一瞬で記憶から消える。

殆どの人がそうだろう。

 

「ふーん。つまんねぇの」

「そういうマキさんはどうなんです」

 

そういうからには自分は覚えているのかと聞いてみるが、マキさんはそれを無視して色々な中身のおにぎりをガツガツ食べる。

手抜きかと少し心配したがいらぬ考えだったようで一安心だ。

 

それから数分たって殆どを腹の中に納めたマキさんは米粒のついた指をペロリと舐める。

最初の頃は行儀が悪いと注意したものの、その度に知らんぷりされるので途中からはもう注意しなくなった。

何よりこういうワイルドさもマキさんらしい。

 

「私は普通だよ。覚えてるものもあれば、忘れる事だってある」

 

へぇ。

マキさんが見る夢ってどんなのだろう。

 

「今日とかも夢とか見たんですか?」

「まあな」

 

空になった皿の横に置いた暖かい緑茶をズズっと啜るマキさん。

その仕草は妙に洗練されたもので、時折マキさんはこんな感じで育ちの良さを見せることがある。

実は家出した良家のお嬢様なんじゃないかと疑ってしまうものだ。

 

 

「どんな夢みたんですか?」

「教えない」

 

ばっさりと切り捨てられた。

 

だがなんだろう、今日のマキさんは正直いつもと違う感じがあった。

夢見が悪かったのだろうか?

いつもより少し弱々しいというか、大人しい感じだ。

それでもワイルドだけど。

 

 

 

 

 

「ダイ、どっか行くの?」

「ええ、ちょっと病院の方へ知人に会いに」

 

今日は珍しく愛さんとは会わない日だ。

どうもお父さんが出張から帰ってきたらしく久々の家族水いらずでお出かけをするらしい。

一応一緒に来ないかと誘われたけど、流石に家族旅行にまで一緒に行くと愛さんの両親にも迷惑だろう。

丁重にお断りした。

 

だから今日は1日江乃死魔の問題について立ち回ることにする。

 

「江乃死魔の奴か」

「えぇ。そういえば聞きましたよマキさん。

 一昨日一人で江乃死魔を半分壊滅させたらしいじゃないですか」

 

通りでお風呂借りに来たとき血まみれだったはずだ。

 

「嫌味かよ」

「別にそんなつもりで言ったわけじゃ」

 

俺の喧嘩嫌いを察してマキさんは少しイラついたように吐き捨てた。

だが俺自身はそんなつもりで言ったわけじゃない。

 

「しょうがねえだろ。最近の江乃死魔は余りにも目障りすぎた。

 だから問題の奴を潰そうとした、文句あるかよ」

 

気に入らないから700人を超える族を潰そうとした。

そしてそれを実現する実力がマキさんにはある。

その人間離れしたスケールに笑いがこみ上げる。

 

「ありませんよ。むしろマキさんがそうしてなかったら昨日愛さんが同じことをしてました」

「汚れ役を請け負ってくれて有難うってか?」

 

今日のマキさんはやたら意地悪だ。

 

「違います。結果は変わらなかったと言いたかっただけですよ」

 

そのせいでティアラさんや乾さん、見ず知らずの不良達は殆どが病院送りになった。

だけどこれは江乃死魔が撒いた種である。

今回マキさんが切れたのだってやはりカツアゲによるものだろう。

 

知人が病院送りにされたのは正直笑えない。

しかし不良をやるのならそういうリスクもあるんだ。

いつ喧嘩で怪我するかわかったものではない。

今回がいい例だった。

 

「で、誰に会いにいくわけ。あのデッカイの?」

「いえ、乾さんです」

「乾? 誰だそれ」

 

相変わらず興味のない人間の名前は覚えないらしい。

そんなマキさんに苦笑しながら説明する。

 

「ほら、あの足の早くて江乃死魔の幹部の――――」

「ダイ」

 

言いかけたところでマキさんが急に声色を変えた。

一体どうしたのかと顔色を伺うと、マキさんは凄むような目つきで俺を睨む。

 

「アイツに関わるのはやめとけ。アレはお前には合わない」

 

珍しくマキさんが人の交友関係に口を出した。

普段は誰がどうしようと無関心なはずなのに。

 

「もしかしてマキさん、乾さんが今どんな立ち位置か知ってる?」

 

俺の問いにマキさんはやはり表情を緩めず頷く。

 

「あの調子にのったカス共の親玉だろ」

 

マキさんは時折今回みたく異常に鋭い所がある。

もしかすれば恋奈さんが乾さんを特定するより先に気づいていたのかもしれない。

 

「アイツはお前が思っている以上に不良だ。それもタチの悪い方の」

 

そりゃそうだろう。

恐喝を煽動するような人種だ。

悪くないはずがない。

 

「アイツに関わるとダイ、確実にお前は痛い目を見ることになるぞ。

 はっきり言う、アイツには関わるな」

 

ここまでマキさんに言わせるとは。

 

「聞けません、俺は片瀬さんと約束したんです。

 俺は今日乾さんに会います」

 

今更臆して逃げるなんて選択肢は俺にはない。

結果どんな事があっても受け止める覚悟はある。

そんな俺の気持ちを察したのかマキさんは大きくため息をつく。

 

「まあ私も言ったところで聞くとは思ってなかったけど」

 

そう言ってからもう一度俺の目を真っ直ぐ見た。

 

「何で私が一昨日中途半端に江乃死魔を壊滅させたか知ってるか?」

 

マキさんは気分屋だ、途中で戦意の薄い片瀬さんに白けたからかと考えるがそれも違う気がする。

考えてもどれも正しい答えとは思えず、口をつぐんでいるとマキさんは答えを教えてくれた。

 

「そもそも考え方が違う。

 私は江乃死魔を潰しに行ったわけじゃない」

「え、でも実際にマキさんは江乃死魔を」

 

半分潰したようなものじゃと言う前に

 

「乾ってのを捕まえて潰すまでに巻き込んだ人数が江乃死魔の半数だったって事だ」

 

それはつまり。

 

マキさんは周囲を巻き込みながら喧嘩するタイプだ。

倒れたモノや人を武器にしたりもするし、踏み台に使ったりする。

けれどそもそもそれは大多数と喧嘩することになった際の事だ。

 

マキさんが倒す相手を一人に絞ったのならその圧倒的なステータスの高さで一瞬で他に被害を出すことなく勝負を一撃で終わらせるだろう。

それほどまでに理不尽な強さをマキさんは持っている。

だというのに、そのマキさんがそれだけの時間や被害を出さないと倒せなかったレベルだということか。

 

「アイツは私や辻堂ほどじゃない。だが久々だったよ、恋奈や辻堂以外で私をワクワクさせたのは」

 

よほど乾さんとの喧嘩が楽しかったらしい。

それくらいマキさんを満足させた乾さん。

自分はとんでもない危険な人に会いにいくのだと否応なしに意識せざるを得なかった。

 

「まあ余りにも目についたから相応の落とし前はつけさせたがな。

 これでしばらくデカイ動きはできないだろう」

 

成程、それで乾さんのわざと片腕を折ったのか。

だけど引っかかるものがあった。

自分も不良の世界には多少理解してきた気がする。

 

もしかすると乾さんは

 

「アイツはダイが考えている以上に調子に乗ったことをしすぎた。

 怪我をした今こそ相応の報いが下る時かもな」

 

今マキさんが言ったように現状最も危険な状態なんじゃないかという不安が残った。

 

「アイツの事なんか知ったことじゃないけど。ダイ、お前は無茶な事するなよ」

「わかってます。自分の出来る範囲の事しかしませんよ」

 

乾さんと俺の扱いの違いに少し笑いながらマキさんに大丈夫だと告げる。

マキさんも俺の答えに多少満足したのか軽く微笑んで立ち上がった。

 

「私のメシ作ってくれるお前が病院送りなんてなったら困るからな。

 そんじゃまた夜な」

「ええ」

 

いつもの軽口を叩いてから部屋の窓から外へ出るマキさん。

その後ろ姿を確認してから俺も病院へいく準備をする。

 

マキさんが言うにはどうやら俺の想像以上に厄介な人みたいだ。

少し気が重くなるが、しっかりしろと自分の頬を叩いた。

 

 

 

 

 

大と別れた後、マキは即座に大の家の屋根上に登った。

 

「ったく。何で私がこんな面倒なことを」

 

何ということはない、彼女は今日の目的を果たすために一旦大と別れただけで結局目的そのものは大だった。

正確に言えば大の護衛となるが。

 

そもそも今日彼女がそのような似合わない行為をしているのか。

それにはちゃんとした理由があった。

 

昨夜、愛は大と別れたあと自宅に帰る前にマキに会いに行った。

マキは家出をしているため正確な住処がなく、愛も彼女を見つけるのはかなり手間取ったが。

取り敢えずは夜遅くなるまでには遭遇することができたのだ。

 

そして訝しがるマキに向かい愛はこういった。

 

『アタシがいない間、大を守ってやって欲しい。頼む』

 

そう言って愛はマキに頭を下げた。

プライドの高い愛が同族嫌悪を抱くマキに頭を下げたのである。

マキの知る限り辻堂愛がこのような事をしたのは初見である。

 

無論、マキは辻堂愛は互いに生理的に嫌いあっている。

大がマキや愛と波長が合うのとは対照的に二人は恐ろしく合わないのだ。

 

だからこそ、その愛が自分に頭を下げることの重さをよく理解できる。

マキは珍しく困ったように逡巡する。

 

『勿論礼はする。旅行先の美味い名物沢山買ってくる』

 

人が珍しく真面目に考えているのにコレである。

まあ、悪くないというか良い条件だが。

 

とりあえずはマキは結果として愛の願いを聞き入れた。

もともと大はお気に入りである。

守ってやること自体は吝かでもない。

お土産も欲しいし、時間も持て余している。

良い暇つぶしになるだろうと実の所乗り気でもあるのだ。

 

そんなこんなでボーっとしていると護衛対象である大が玄関から出てきた。

このまま病院へ向かうのだろうか。

いや、気の利く大の事だ、恐らく乾梓のお見舞いとして何か商店街で買い物をしていくかもしれない。

 

大のこれからする事を想像して、何だかんだで楽しんでいる腰越マキであった。

 

 

 

 

お見舞いの品として商店街でケーキを買ってきた。

本来なら果物を持っていくのがセオリーなのだが、乾さんは別に病気しているわけじゃない。

それに彼女は見た目も性格も今時の女の子だ。

だったら形式にこだわらず人気店のケーキの方が喜ばれるだろう。

 

病院の受付の女性に面会の許可をとって古ぼけたエレベーターに乗る。

目的の階につくとエレベーターは停止し、ゆっくりと重厚なドアを開く。

 

あまり来ることのない病院だが、別段複雑な構造でもなく乾さんのいるであろう病室はあっさりわかった。

 

「えぇと。うん、この部屋で間違いないな」

 

受付で教えてもらった番号と部屋のプレートに書かれた番号を照らし合わせる。

番号は完全に一致し、それではと扉をノックしようとすると、既に中に誰かいたのか複数の声が聞こえた。

 

『最悪だよ! お前らが皆殺しセンパイに目をつけられやがるから!』

『すいません・・・・・・』

『あーもー、最悪な展開だよっ!』

 

怒鳴り散らす乾さんの声と、それに怯えたように謝る聞き覚えのない男性の声。

どう見ても穏やかな雰囲気じゃない。

 

『もういい、テメェら帰れよ。二度とあずの前に顔みせるな。

 江乃死魔から抜けろ』

『そ、そんな!?』

『本当ならぶっ殺したいくらいなんだけどね。そんなことしちゃ恋奈様に気づかれかねないし

 江乃死魔抜けて他のグループにでも潰されればいいよ』

 

・・・・・・どうしたものか。

 

『聞いてんのテメェら。さっさとあずの前から消えろっていってんだよ!』

 

完全に切れている様子だ。

物にもあたっているのだろう、さっきから物を投げ散らかす騒音が酷い。

 

同時にこちらに向かう足音が。

慌てて扉から離れて距離を置く。

そして様子を伺っていると、乾さんのいる病室から顔を包帯まみれにした不良が3人程出てきた。

会話の流れを聞くに彼らがマキさんにカツアゲしているところを見つかり、江乃死魔が半壊する原因となった人たちだろう。

 

三人は何かに怯えるかのように縮こまり、エレベーターへ乗り込んでいった。

 

俺はそれを確認したあともう一度乾さんの病室の前に立つ。

そしてノック。

 

『だれっすか』

 

先ほどの怒りが抜けていない。

今の声だけでも明らかに苛立ちの質がある。

 

だが俺が怯える理由もない。

 

「長谷大です。乾さん、入ってもいいかな?」

『・・・・・・どうぞ』

 

許可が取れたのでさっそくドアノブを回し扉を空けた。

 

「・・・・・・」

 

酷いな。

まず目に映ったのは入口の前の割れた花瓶。

そして次に映ったのはぐしゃぐしゃに潰れた林檎だった。

 

まるで大地震が起きたあとのように部屋の中のものは全て壊れた状態で床に散乱していた。

 

「何の用っすか」

 

部屋の窓際にはパイプベッドが置かれており、その上で乾さんは不貞腐れて座っていた。

 

「今の人達は?」

「詮索しないで欲しいですね。長谷センパイには関係ないことっすよ」

 

いつものような軽い感じは一切なく、今の彼女からは誰彼構わず威嚇するようなタチの悪い不良の雰囲気が漂っている。

 

「関係あるよ。だって、俺は江乃死魔のカツアゲを扇動してる主犯を見つける約束を片瀬さんとしてるし」

「・・・・・・はぁ?」

 

ここでようやく乾さんはこちらを見た。

だがそれは明らかに敵意と警戒を持った質の目つきだ。

 

「だからこうして俺は今日ここに来た」

「つまり、長谷センパイは自分のこと疑ってるって事っすか」

「有り体に言うとそういう事になるね」

 

先ほどの3人の不良のやり取りが決定的だった。

片瀬さんの想像通りやはり乾さんが主犯格だったのだろう。

正直な所、あのやり取りをそのまま片瀬さんに伝えて俺は乾さんと会わず帰っても良かった。

 

だが、それでも出来うる限り片瀬さんにも乾さんにもダメージが少なく、遺恨の残らない形で今回の問題に決着をつけたかったのだ。

 

「盗み聞きしたようで申し訳ないけど、さっきの話も聞かせてもらったよ。

 本当に残念で最悪な気分だ」

 

元々彼女が危険な性格をしている事は今までの体験で薄々気付いていた。

けれどまさかここまで悪どい事をするほどの性格だったとは思ってもいなかった。

 

「乾さん。せめて自分の口で片瀬さんに謝って欲しい」

 

俺の言葉に乾さんは苛立ったのか、殺意の篭った目で射抜いてくる。

だがそれも一瞬のことで、突然乾さんはこちらを馬鹿にするかの様な態度で鼻で笑った。

 

「どういう風にあやまれば恋奈様が許してくれるんですか?」

「許す許さないじゃない。俺は片瀬さんの信頼を裏切ったことを謝って欲しいんだ」

 

まるでこちらの意思が伝わっていない。

 

「許されないのなら謝ったって無駄じゃないっすか」

 

この子はここまで曲がった性根をしていたのか。

苛立ちがこちらにまで伝染し、徐々に俺まで感情的になってくる。

 

「君のしたことがどれだけ片瀬さんを悩ませたのかわかってるのか?

 彼女は自分から江乃死魔を潰されても良いとまで言うほど追い詰められていたんだぞ!?」

「へぇ、恋奈様がそんな事を」

 

乾さんは僅かに驚いたようだが、それも少しだけ。

すぐにまた薄い笑みを浮かべて挑発的にこちらを見る。

 

「だからどうだっていうんですか?

 何か勘違いしているようだから言いますけどね、自分らは不良なんっすよ。

 したいことだけをして、やりたくないことからは逃げる。

 そんな人間に何を求めてるんっすか?」

 

頭に血が上る。

これほどまでに他人に怒りを覚えたのは初めてかもしれない。

彼女は全く反省などしておらず、それどころか開き直っている。

 

ダメだ。これ以上彼女と話しているとこっちまで何か価値観を歪まされてしまいそうだ。

もう話すことはないと俺は彼女に背を向ける。

 

「そう、だったらもういいよ。

 今回の件は俺の口から片瀬さんには伝えておく」

「ちょ、ちょっと待ってください。それは困るっすよ」

 

だったらどうしたいのか。

自分から謝るのも、他人の口から自分の悪事がばらされるのもだめ。

余りにも我侭なその態度に次第に我慢の限界が来そうになる。

 

「簡単に解決できる選択あるじゃないっすか。

 先輩が恋奈様の代行できたのならこう報告すればいい、あずは無実だったって」

「いい加減にしろ!」

 

もうダメだ。

我慢の限界だ。

 

「君は罪の意識をもつ気すらないのか!?」

 

怒りに身を任せて彼女に詰め寄る。

俺は別にフェミニストでもない。

女性を怒鳴る事に罪悪感はあるものの自分の怒りをぶつけれない男じゃない。

 

「君のやった行為は俺にとって絶対に許せない事だ。

 不条理に人を傷つけ、信頼している仲間を裏切り、その罪から目をそらす」

 

吐き気がする程の気分だ。

頭に上った自分の血でフラフラする。

 

「だから絶対に見逃すことはできない」

 

はっきりと強い意思を込めて乾さんの目を睨む。

どれだけ言っても彼女には届かないだろう。

それほどまでに俺と彼女は相容れない。

 

だが言わずにはいられなかった。

 

「はぁ。見てくださいよセンパイ、このだっさいギプス」

 

彼女は先程までずっとシーツにくるんでいた左腕を見せた。

その細い腕には明らかに不釣合いな無骨なギプスがあった。

これがマキさんに折られた腕なのだろう。

 

「こんな状態で今自分が江乃死魔から追い出されたらどうなると思います?」

 

・・・・・・成程。

次はこういう手でくるのか。

 

「察しの通りっすよ。多分あずは恨み持った奴らにここぞとばかりに襲われるんじゃないっすかね」

「だからどうしたというんだ」

「いえ、特に意味はないっすよ? 

 ただ長谷センパイはそういうの平気な人なのかなって思っただけっす」

 

どこまで彼女は人を侮辱すれば気が済むのか。

 

「マキさんから聞いたよ。君、実はかなり強いんだってね。

 そんな君なら片手でも自分の身くらい余裕で守れるだろう」

「そうかもしれないっすね。でも、もしかしたらもあるかもしれない」

 

試すような声色で俺に囁く。

もういい。もう沢山だ。

 

「あぁそうだ。自分、今日の夜に退院する予定なんっすよ」

 

つまり、今日の夜。俺の答えを聞きたいというわけだろう。

 

「・・・・・・」

 

俺はこれ以上彼女と言葉を交わす気もない。

その言葉を無視して病室から出て行った。

 

 

 

 

 

そしてその夜。

俺は片瀬さんに全てを伝えた。

といっても別に彼女が何をしたとかそういう詳細ではない。

単純に、やはり乾さんが主犯格だったという事だけを言った。

 

それを聞いた片瀬さんは一瞬、酷く悲しそうな顔をしたあと即座に切り替えた。

そして、互いに集会の時間まで声を一度も交わすことなく、その時間を迎えた。

 

集まったのはやはり本来の江乃死魔の人数の半数。

一条さんはハナさんをかばった傷がまだ癒えず入院中らしい。

つまり今日ここにいる幹部は良子さんと乾さんだけということになる。

 

ふと、視線を感じる。

誰かと周りを見渡すと乾さんと目があった。

おそらくは俺が片瀬さんに何か言ったのか気になるのだろう。

その視線は焦りや怒りに近く、嫌な汗が背中を伝う。

 

「長谷大。随分顔色が悪いようだが」

「あ、リョウさん。お久しぶりです」

 

乾さんの視線を遮るようにリョウさんが隣に来た。

それがわざとなのか偶然なのかはわからないが何にせよ助かる。

 

「今回の件、お前には手間をかけた。嫌な思いをさせてすまなかったな」

 

そう言って俺の横から動かないリョウさん。

 

「いえ、俺が自分からしたいと言った事ですし」

「本来ならば俺達がすべき行動だった。

 だが、身内の不祥事は身内が摘発するよりも関係のない人間が言ったほうが意外性が高い」

 

だから今まで何もできなかったのだろう。

 

何よりも既に今の江乃死魔は誰が味方で誰が裏切り者かもわかったものじゃない。

恐らくリョウさんが自分で動いても誰かがその行為を乾さんに漏らしていたはずだ。

 

「結果は、やはり・・・・・・だったか?」

「はい。既に片瀬さんに伝えた後です」

「そうか」

 

リョウさんも大方想像は付いていたのだろう。

結果を聞いても特に同様の色はなかった。

 

「乾さんどうなるんでしょう」

「間違いなく恋奈に江乃死魔を抜けるようにいわれるだろうな」

 

それは間違いないだろう。

だが、俺が心配しているのはそのことじゃない。

 

「抜けたあとは、そうだな」

 

俺の質問の本意も分かっていたのか、続く答えが出てくる。

 

「今までに立場や恐怖で従えていた江乃死魔の奴ら、その他のグループに襲われるのは確実だ。

 アイツは以前から必要以上に他人を痛めつけるクセもあったしな」

 

一度湘南の頂点をとったリョウさんが言うのならそれは確実なことなのだろう。

 

「だが、少し引っかかる事があってな」

「何がです?」

「お前は暴走王国というグループを知っているか?」

 

確認するように聞かれる。

だが申し訳ないことに聞いたことない名前だ。

素直に首を振る。

 

「今年の秋頃から湘南の小さいグループに喧嘩をふっかけては勝利し、

 その度に金品を奪っていくグループだ」

「それがどうしたんですか?」

「不自然なんだ。奴らは毎回江乃死魔のターゲットであるグループを毎回先回りして潰して回る。

 まるでこちらの情報があっちに漏れているかのような動きをしている」

 

成程。

つまりリョウさんはこう言いたいわけか。

乾さんがその暴走王国の一員なのではないかと。

 

「その暴走王国のメンバーとかは知っているの?」

「ああ。リーダーもそのメンバーもある程度特定できている」

 

つまり、今日乾さんが江乃死魔を追放されて暴走王国に戻る可能性が高い。

そして今まで江乃死魔の影に隠れていた暴走王国がこれを気にどう動くのかが想像つかないのがリョウさんの悩んでいる点だろう。

 

「その暴走王国のリーダーってどんな人?」

 

俺のその質問にリョウさんは少し悩む素振りを見せた。

教えるべきか迷っているのだろう。

 

「我那覇葉」

「え?」

 

名前だけつぶやき再び口を閉じるリョウさん。

 

我那覇さん?

そんな馬鹿な。彼女は不良というより武闘家のはずだ。

実際話した事も何度かある、とても相手が不良とは言え倒した相手から金品を奪う人だとは思えない。

 

そんな人がそのグループのリーダー? 馬鹿な。

 

「な、何かの間違いじゃ?」

「確かな情報だ」

 

それでも疑わしい。

何より言っているリョウさん自身も釈然としていない顔だ。

 

「・・・・・・始まるぞ」

 

この話は時間切れだ。

片瀬さんがいつもの拠点の最奥に立つ。

そして、大きく息を吸い込んだ。

 

「今日は残念な知らせがあるわ」

「・・・・・・っ」

 

片瀬さんのそのセリフだけで俺がどういう答えを出したのか理解したらしい。

リョウさんが間にいるはずなのに乾さんの敵意を持った視線を感じる。

 

「怯えることはない。お前は正しい決断をした」

 

だがリョウさんはまるで俺を支えるように俺の肩に手を置く。

まるで怯える弟を励ます姉のような。

 

「はい」

 

その行為に勇気をもらった俺は胸を張った。

 

「お前達も心当たりがあるはず。

 私の定めた規則を破った奴がこの中にいる」

 

既に彼女は誰が破って誰が守ったのか把握しているらしい。

リストに載っていた人間だけを順に睨んでいく。

あるものはそれに慌てる人もいて、逆に睨み返す人だっていた。

 

「無論、規則を破った馬鹿には相応の罰を与えるわ。

 だけど、その馬鹿共にも今回だけチャンスをあげる」

 

片瀬さんはそのまま目を瞑り。

ひと呼吸置く。

 

「この江乃死魔に組みした後、一度でもカツアゲをした奴は今すぐ一歩前へ出ろ。

 相応の罰は与えるけどそれで江乃死魔から追放するのだけは許してやる」

 

そこでようやくここに残る江乃死魔の約350名ほどの大群が大きく揺れる。

今この江乃死魔に残っているのは、先日のマキさんから逃げて怪我を負わなかった連中が殆どだ。

言い換えれば規則を守った人ほど果敢にマキさんに立ち向かったらしく、その人たちは例外なく一条さんのように病院送りとなった。

 

だが今日、俺が乾さんへ面会しに行ったのと同様片瀬さんはその勇敢なメンバーには一人一人見舞いに行ったらしい。

 

「・・・・・・出てきたのは半数以下か」

 

横のリョウさんが苛立つように呟く。

片瀬さんに言われて前に出たのは350人中おおよそ120人ちょい

・・・・・・明らかに大半が出ていない。

何より――――――

 

「乾さん」

 

彼女も前に出なかった。

 

「いい子ね。今前に出た奴はここに名前を書いて今すぐここから離れなさい。

 後日直々に私がヤキ入れするけどこの江乃死魔に残ることは許してやる」

 

例え自分から名乗り出たとはいえ規則を破った行為への罰からは逃れられない。

そこを見逃してしまうと規則にはなんの重みもなくなる。

むしろグループから追放されないこと自体が甘すぎる処置かもしれないが。

 

二十分ほどで先ほど名乗り出たメンバーの署名は終わった。

そしてここに残ったのは結局230人のメンバー。

 

そのほとんどが苦い顔をしてうつむいている。

恐らく殆どが規則を破った人間だろう。

 

そのメンバーを片瀬さんは睨みつけるように見渡す。

 

「本来なら今ので話は終わりだった。だけど私の想像以上に腐ってる馬鹿が沢山いるわね」

 

俺とリョウさんは初めから疑われる事もないため、片瀬さんには一度も睨まれていない。

だが、実際に彼女に睨まれた人達は殆どが顔を真っ青にしている。

後悔しているのだろう、さっき前にでて名乗り出ればよかったと。

 

「そうね、それじゃあ最後のチャンスをあげるわ。

 お前たちが今後どちらにつくか。見ものね」

 

何を言うつもりなのか。

 

「この中にお前達をそそのかした裏切り者の扇動者がいるわ。

 そいつの名前をこの紙に書いたやつだけ、さっきの馬鹿共と同じ処置にしてやる」

 

そこで更にざわつき出す周囲。

まさかこの取引を出してくるとは思わなかったのだろう。

ほぼ全員が慌て始める。

 

「上手いな。これならば例え沈黙を決め込む奴がいても自ずとその空気で誰が諸悪の根源か分かる」

 

リョウさんの言うことがわからず、どういうことなのかと首をひねったが、少ししてから気づいた。

残っている人間が明らかに共同不審になり始めたのだ。

その全員がビクビクしながら乾さんをチラチラと見る。

乾さんを裏切ったらどうなるのか恐怖を抱いているのだろう。

 

だがそのせいで乾さんが主犯格だということが丸分かりだった。

 

乾さんもそれに苛立ったたのか周りに聞こえるように大きく舌打ちする。

 

「っち、誰も名乗り出ないか・・・・・・まあいいわ」

 

三分ほど片瀬さんは待っていたが、誰も前には出てこなかった。

だというのに何かに怯え続ける不良達の姿に片瀬さんは嫌悪感を覚えていた。

 

「もういいわ。二度もチャンスを逃す馬鹿は江乃死魔に必要ない。

 一度でもカツアゲしたことある奴は今すぐここから消えろ、二度とその面を見せるな」

 

それだけを言い放ち片瀬さんは専用の椅子へ腰掛ける。

 

「嘘をついて残っても無駄よ。既に顔は割れてるもの。

 それを承知で厚かましくも残った奴はただじゃ置かない」

 

片瀬さんがそう言うと俺の横にいたリョウさんが前に進む。

 

「お呼びのようだ」

 

つまりリョウさんや片瀬さんが直々に罰を与えるということか。

リョウさんの姿に怯えた裏切り者たちは次々に慌てるようにしてこの場から立ち去っていった。

 

 

 

 

騒ぎがおとなしくなり、数分たった後。その場には最初350人いたメンバーが30人程度まで減っていた。

そして今残っているこの中にもまだ嘘つきがいるのだろう。

いや、実際に残っているのだ。

 

「梓・・・・・・」

 

ふてぶてしくも腕を組み、片瀬さんを見る乾さん。

だが本人ももう片瀬さんにバレている自覚はあるはずだ。

ここにきて残ってどうしようというのか。

 

「あ~あ、やられましたね。

 流石に夏から始めて冬までの時間があれば誰が裏切り者かくらい特定できるっすよね」

 

むしろ開き直った態度で、ゆっくり片瀬さんに近づく乾さん。

 

「今更隠しても意味ないからはっきり言いますね。

 あずが今回のカツアゲを大半のメンバーに強制させてた首謀者っす」

「そんなことはずっと前から気づいてたわ」

「へぇ、気づいてたのに泳がしてたってわけっすか」

 

薄い笑みを浮かべる乾さん。

リョウさんは片瀬さんを庇うように彼女の横に立って木刀を軽く構える。

 

「まぁそんなことはもうどうでもいいっす。

 それよりどうするんですか恋奈様?

 裏切り者の自分、ここに残っちゃってますけど?」

「・・・・・・そういえばそうね」

 

そういって椅子から立ち上がる片瀬さん。

そのまま乾さんの眼前まで歩み寄りメンチを切る。

 

どちらかがいきなり殴ってもおかしくない。

 

「前々から気に入らなかったんっすよね。

 不良にカツアゲするな? ムカつくやつの家族を狙うな? バッカじゃねぇの」

 

吐き捨てるように本性を徐々に顕にする乾さん。

 

「自分ら不良ですよ。世間体とか将来性を犠牲にしてるんすよ。

 そんな奴らに一々綺麗な事ばかり強制させてどうするんだよ」

 

おそらくこれまででフラストレーションが溜まっていたのか、病室の時よりも語気が鋭い。

 

「好きなことをやりたいから、面倒な事から逃げたいから自分ら不良やってんだよ。

 何かヤンキーを勘違いしてるんじゃないっすか恋奈様?」

 

まくし立てるように片瀬さんを糾弾する。

だが片瀬さんはその言葉を真っ向から受けても眉一つ動かさない。

 

「勘違いしてるのはテメェだろうが。

 江乃死魔は私は作った組織だ、だったら規則は私が決める。

 テメェもそれを承知でここに入ったんじゃねぇのか」

 

そうだ。

江乃死魔は結成当初から今と変わらない規則があった。

ならば明らかに乾さんの言い分は通らない。

 

「金絡みの問題は余計な恨みを買いやすいし組織を腐らせる。

 現に今こうしてアンタの裏切りで江乃死魔は半壊した。

 だから私はこの規則を敷いた」

 

病院送りにされた人間の中にもまだ裏切り者はいるだろう。

 

「それに従わない犬は私には必要ない。

 結成初期からの付き合いだ、今出て行くのなら手出しはしないわ。さっさと失せろ」

 

片瀬さんにとってもそれは辛い選択なのだろう。

だが、その言葉を聞いて乾さんは今までにないほどの凶悪な顔を浮かべた。

 

「手出しはしない? バッカじゃないっすか?」

「何を――――――うぁ!?」

 

そして不意打ちのように乾さんは片瀬さんの腹部に拳を振るった。

臨戦状態だったのがよかったのか片瀬さんは食らっても然程ダメージはなく、吹き飛ばされはしたものの直ぐに立ち上がる。

 

「大体さっきからずっと疑問だったんですけど、誰があずを手出しできるんっすか?」

 

一気に片瀬さんに肉薄し、手刀の形をを作る。

まずい、あの抜き手は人の肌を容易に切り裂くほどの鋭さだ。

 

慌てて片瀬さんの間に入ろうとするが乾さんの早さが凄まじくとても間に合う気がしない。

片瀬さんも梓さんの本気を見るのは初めてなのだろう、唖然としたまま動けない。

 

迫る凶器、動けない標的。

最悪なイメージを頭が通り抜けたとき

 

「そこまでだ。図に乗るな」

 

乾さんの横腹に思い切り蹴りをリョウさんが入れた。

走った勢いがそのまま吹き飛ぶエネルギーとなり、乾さんは受身を降りながら吹っ飛ぶ。

 

だが見た目は派手だったが実質ダメージは無かったらしく、乱れた髪を流しながら乾さんは何事もなかったかのように仕切り直した。

 

「総災天センパイっすか。存在感薄くて忘れてましたよ」

 

とはいえ無視できない相手であることは理解しているのか、一旦片瀬さんから視線を外し標的をリョウさんに変える。

リョウさんは普段通り落ち着いた雰囲気で乾さんを睨む。

 

「っふ!」

 

そしてタイミングを計ったように一気に踏み出して殴りかかる乾さん。

それを的確に木刀で迎撃するリョウさん。

互いにクリーンヒットは一度もなく互角のように見える。

 

だが、攻撃と迎撃を重ねる事にゆっくりと実力差が目に付き始める。

 

「・・・・・・片手でこれ程とはな」

 

リョウさんの攻撃は一向に乾さんにかすることもない。

だが乾さんの攻撃は徐々に彼女に触れるようになってきた。

 

「弱いっすねー。総災天センパイ」

 

リョウさんは本気で相手をしているが、乾さんはまるで遊んでいるかのように動く。

だが振るう拳にリョウさんは対処できず、ついに始めて直撃をもらう。

 

「っぐ、かは!」

 

吹き飛ばされ、受身をとって転倒はしなかったものの余程強烈な一撃だったのか悶絶する。

それを馬鹿にするかのように眺める乾梓。

 

「あらら、片手でしかもこーんなブサイクな重しまでつけてて。

 本気も出してないあずに一撃も加えられないんだ」

 

左手のギプスをポンポンと手で遊びながらゆっくりと歩いてリョウさんとの距離を詰める。

止めをさすつもりなのか。

 

「もう江乃死魔なんてどうでもいいや。

 今日ここで恋奈様を潰しておしまい」

 

そういって同じく小馬鹿にするように片瀬さんを見る。

リョウさんの邪魔をしないように距離を置いていた片瀬さんは歯噛みする。

 

「身内の裏切りで自分の組織潰れるってどんな気持ちなんっすかねー」

 

そしてついにリョウさんの前に到着する。

リョウさんは未だダメージが抜けないのか目は乾さんを見ているものの腕が上がっていない。

その姿に俺は、頭が真っ白になった。

 

「くたばりやがれ」

 

そういって手刀をリョウさんの胸に突き出した。

だが俺はその二人の間に今度こそ飛び込むことができた。

 

「っぐあ!」

「んなっ?」

 

洒落にならない痛みが走る。

明らかに肋骨が数本まとめて粉砕された。

現に乾さんの抜き手が俺の胸にめり込んでいる。

 

「ヒロ君!」

 

灼けるような痛みに耐え兼ねてその場で崩れ落ちる。

 

だが、まだだ。

リョウさんを庇えたのはよかったがまた危機は過ぎ去っていない。

一撃回避したたでけ未だリョウさんは動けない筈だ。

 

ならばもう一度と立ち上がろうとするが、折れた骨から尋常ではない痛みが発せられ否応なしに体の動きを妨げる。

 

「へぇ、長谷センパイも案外根性あるじゃん」

 

一瞬驚きこそしたものの、結果の惨状をみて乾さんはケラケラと笑う。

そして俺への興味を失ったらしく再びリョウさんへ向き直る。

 

「長谷センパイには同情するっすよ。

 使えない仲間は自分の足を引っ張ることしかしないんだから」

 

それだけ言って、先ほどと同じように拳を振り上げた。

だが、その瞬間。足元で蹲ってたリョウさんが一気に立ち上がる。

 

その勢いのまま乾さんの振り下ろす手刀をギリギリ躱し、勢いカウンターのようにおお振りでリョウさんが乾さんの顔に拳を叩き込んだ。

想定外の一撃に乾さんは対処できず、転倒する。

 

「よくも、よくも私の大切な――――っ!」

 

いつもの冷静なリョウさんはそこにはいなく、息を切らし、凄まじい殺意を撒く総災天がいた。

愛用している木刀すらその場に投げ捨て、好機を逃すまいと未だ立ち上がれない乾さんへ一気に走る。

 

だが乾さんも何時までも大人しくなっている筈もなかった。

リョウさんの気配を察し、直様体勢を立て直す。

だがカウンターでもらったダメージはかなりのものだったのだろう、足元がふらついている。

 

「やってくれるじゃねぇか!」

 

完全に切れた乾さんはそのまま迫り来るリョウさんの拳を尽く片手で弾き落とす。

すごい。

足が動かず、さらには片手にはギプスをはめているのにここまでリョウさんを翻弄するなんて。

 

片っ端からリョウさんの攻撃を防ぐ。

だがリョウさんも同じ事を繰り返すつもりもなく、徐々にペースを上げていく。

 

しかしクリーンヒットはいつまでたってもせず、乾さんのダメージも徐々に回復しはじめた。

そしてそれがしばらく続き完全に立て直した乾さんは再び足を使い始めた。

 

リョウさんが1度攻撃するたびに乾さんが二発の蹴りと打撃を入れる。

 

既に玉砕戦法に切り替えていたリョウさんはそれを中途半端にしか防ぐことができず、一撃は喰らうようになっていた。

 

「しつこいっすね。そんなキャラでもないでしょうに!」

 

だが一向に倒れないリョウさんに苛立ったのか再び振りの大きい攻撃を狙う。

リョウさんはそれを的確に躱し再びカウンターを乾さんの腹に入れる。

 

「っぐぅ!」

 

明らかに今のリョウさんはダメージを感じていなかった。

 

ダメージの総合量では圧倒的にリョウさんがくらっている。

だが疲弊しているのはリョウさんではなく乾さんだった。

 

カウンターをもらった乾さんは僅かに顔を歪めるものの足を止めることなくリョウさんへ攻撃を続ける。

 

しかしリョウさんは先ほどと同じように攻撃を喰らいながらも乾さんのトドメを狙う攻撃にだけは尽くカウンターを入れる。

それを数回繰り返したごろ、突如として乾さんが不自然なタイミングで距離を置いた。

 

余りにもダメージをくらいすぎたリョウさんはそれに追いつくことができない。

 

「もういいよ。いい加減うざい」

 

乾さんはそう言って大きく息を吸う。

完全に、乾さんの空気がかわった。

 

「本気、見せてやるよ」

 

そして一気に踏み出した。

瞬間、乾さんの姿を目で追うことができなくなった。

余りにも早すぎたのだ。

 

リョウさんも反応できなかったのか、明らかに動きの変わった乾さんの攻撃が直撃する。

凄まじい速度の突きがモロに鳩尾に入った。

 

「ぐぁ、かはっ」

 

急所を打ち抜かれたリョウさんは崩れるようにしゃがむ。

乾さんは既にリョウさんを侮るつもりもない。

即座に終わらせようと乾さんは一切口を開かず再び腕を構え、手刀の形を作る。

 

元々最初のクリーンヒットでリョウさんの体力は限界だった。

ここまで耐えた事が彼女の根性の凄まじさを物語っている。

既に体力は限界を迎え、負けるのは確定しているといのに、トドメをさそうとする乾さんを射抜くその目はやはり鋭かった。

 

そのまま最初と同じ光景でリョウさんが仕留められる瞬間

 

「おいおいリョウ。お前らしくない喧嘩だったじゃん」

 

乾さんの手がその場にいなかったはずの人物によって握り止められた。

普段よりもより濃度の高い殺意を出すマキさんによって。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。