辻堂さんの冬休み   作:ららばい

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35話:三つの『あい』でI love 愛(後編)

「はぁ。もう本当に、この半年で俺は何回入退院を繰り返しているのやら」

 

夜八時、一人ぼやきながら帰路を辿る。

結局俺は昼の間だけ点滴や精密検査を受け、問題なしとされ帰宅許可がでた。

先生ももう俺を見るのは三度目だ、既に顔見知りのように気さくに話しかけてくれた。

 

それが良い事なのか悪いことなのかはわからないけれど。

 

閑話休題だ。

 

ともかく、俺は今日中にやらなければならない事がある。

だがさてどうしたものだろう。

やることはあるのだけれど、それが必ずしもやりたいことであるとは限らない。

 

宿題や課題、家事、仕事等等。やるにはある程度のモチベーションや動機、及び勇気が必要な事もある。

 

恐る恐る携帯を取り出して時間を見る。

やはり八時だ。二十四時的に考えれば二十時というわけだ。

 

「よ、よし。明日にしよう」

 

そうだ。

流石にこんな夜間に愛さんや乾さんを呼び出す。もしくは会いにいこうとするなんて相手に迷惑に違いない。

今日は色々あって仕方ないんだ。

うん、日が悪い。そして間も悪い。ただそれだけだったんだ。

よし、明日にしよう。びびってる訳じゃない。

 

びびってる訳じゃ無いんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お帰りヒロ。辻堂さんと梓ちゃん来てるわよ」

 

現実は常に逆境を押し付けてくる。

などとポエム臭い事を考えた。

 

そんな事を考えている状況ではないというのに。

 

「ただいま姉ちゃん。心配かけてごめんね」

「・・・・・・心配かけてる事を自覚してるのはいいんだけど、反省はしてないんでしょうね」

 

姉ちゃんは少し俺を責めるような、珍しく皮肉げな言い回しをする。

勿論本人に悪気はないと思う。

 

俺は図星を突かれている。

その為否定も肯定もできない。

ただただ沈黙を守るのみ。

 

姉ちゃんはなにも言わずうつむく俺を少し困ったように見る。

 

「あのね、ヒロ。お姉ちゃんは別に責めてるわけじゃないの。

 むしろ褒めてあげたいとすら思う」

 

一体どういう事なのか。

俺は黙って続きの言葉を待つ。

 

「彼女のためにあれだけのハードな仕事をこなせるのは凄いことよ。

 姉として鼻が高いわ――――――自分の体を蔑ろにしてなければね」

「そ、それは」

「ヒロ自身はそういうつもりは無いと言うつもりなんでしょ?

 でも事実としてヒロは過労で倒れた。違う?」

 

違わない。

一理どころではない。姉に百理ある。

最早俺が何を言ったところで言い訳にしかならないのだ。

 

姉ちゃんは再び黙り、うつむく俺を見つめる。

 

その目を見ることは出来ない。

申し訳なさで姉に合わせる顔がないとはこの事だ。

 

「ごめん」

 

顔は合わせれないけれど、せめて詫びようと謝罪の言葉を言う。

口だけの謝罪のつもりはない。

気持ちを込めた。

 

「・・・・・・ヒロ」

 

それを姉ちゃんは感じ取ってくれたらしい。

僅かに抑揚のある声で俺の名を呼んだ。

 

「ヒロ、お姉ちゃんは貴方に心配させないでなんて言わないわ。

 だって、ヒロが心配させる事をしなくともいつだって私が勝手に心配してるんだから」

 

まるで拗ねた子供に言い聞かせる母親のような、

反抗心すら抱かせない柔らかな物腰だ。

 

いつもの姉ちゃんらしくない。当然か、本心を言っているのだから。

 

「だからお姉ちゃんを思うのなら無茶だけはしないで。

 ヒロが危険な目にあったり、体調を崩したりするのだけは本当に嫌なの」

 

本当に、全くもって俺には過ぎた姉ちゃんである。

 

俺は下げていた頭を持ち上げ、真っ直ぐ姉の目を見た。

 

「姉ちゃん、それは約束は出来ない」

 

本当に心配してくれたのだろう。

僅かに潤んでいる瞳が俺を写していた。

 

その姉の言葉を俺は真っ向から拒否した。

 

「俺にとって姉ちゃんや愛さん達は俺の命より大切なんだ」

 

口先だけの言葉だけで姉の言葉にうなづく事もアリだっただろう。

しかし俺はそれだけはしたくない。

 

「もし姉ちゃんが危険な目に合いそうなら、俺が代わりに危険な目に遭うことでそれを免れるのなら俺は喜んで飛び込む。

 だから・・・・・・ごめん、約束は出来ない」

 

誰にでも自己犠牲の精神を持っているわけではない。

それこそ見ず知らずの他人のために危険を肩代わりしようだなんて思わない。

 

しかし姉ちゃんや愛さん達は別だ。

俺が死ぬことで彼女達が死を免れるのなら喜んで死ねる。

この瞬間、日常の中で突然その選択が現れたとしても、

どれほど未練があっても彼女達の不幸を肩代わり出来るのなら喜んで身を差し出せる。

 

「この姉不幸もの」

 

潤んだままの瞳で姉ちゃんは俺を睨んで言った。

 

「言い返す言葉もないよ」

 

姉ちゃんは少し拗ねた顔をしながらも、俺に寄り俺を抱きしめてきた。

それに抵抗はせず、姉に身を任せる。

 

なんだろう。

久々に姉ちゃんのやわらかさを感じた気がする。

その優しい匂いと柔らかさに俺は子供のように安心感を感じた。

 

「心配かけてごめん、姉ちゃん」

「心配はいつもしてるって言ったばかりでしょ」

「そうだったね・・・・・・ありがとう」

 

姉ちゃんは俺の首筋に顔を埋める。

姉ちゃんの呼吸を感じる。

 

「本当にヒロは・・・・・・お姉ちゃんがいないとダメなんだから」

 

俺は一生姉ちゃん離れできないだろうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「随分と仲のいい姉弟なんだな」

「冷やかさないでよ愛さん」

「悪い、皮肉とかで言ったわけじゃないんだ。むしろ羨ましいなと思ってさ」

 

俺はあの後、すぐに自室には戻らずリビングで姉ちゃんの晩御飯を用意した。

 

どうにも姉ちゃんは俺が心配で仕方なかったらしく、なにも食べずにずっと座って待っていたらしい。

そのせいで昼食すら採ってなかった。

 

二階で待たせた二人にはもしわけないけれど、俺は二人が許してくれる事を信じた。

そして姉ちゃんと超大盛りのナポリタンを食べたあと、洗い物は水につけたまま二階に急いで上がった。

当然目場所は俺の部屋。

まだ客人の姿は見ていないけれど、誰がいるのかは姉ちゃんが事前に教えてくれていた。

 

「でも、長谷センパイとお姉さんの仲の良さは少し普通の姉弟とは違うような」

「仲良し姉弟ですから」

「いや、答えになってねーっすから」

 

部屋に入れば乾さんと愛さんは俺を差し置いて勉強会を始めていた。

 

二人共不良なのに勉強会って、などと思わなくもない。

というか俺と姉ちゃんの会話を聞き耳立てていたあたり多分勉強会を始めたのはついさっきだろう。

 

「所で大、やっぱり倒れたんだな。言い訳はあるか?」

「ありません。過労で倒れたと診断受けました。調子こきすぎました」

「お~、恐妻家みたいっすね」

 

部屋に入るなり俺は速攻二人に土下座した。

何だか最近土下座することに抵抗感が無くなった気がする。

代わりにいかにして土下座スタイルをよりスタイリッシュに決めるかなどを気にし始めた。

 

こう、体を地に落とす瞬間に膝から着地するのだが。

その際のしゃがみ方の脱力加減をうんたらかんたら。

 

「理由を言え」

「え?」

「理由を言えって言ってんだ。何であんな無茶なバイトを二ヶ月も続けた?」

 

愛さんがシャーペンを置き、腕を組んで俺を問い詰める。

愛さんが基本的に俺の行動を探ることはない。

だからこそ今回はそれだけ愛さんが怒っているという事だろう。

 

「学力面で成績が下がってないのは流石だと思うけど、体を壊しちゃ本末転倒だろうが。

 お前鏡みてるか? 明らかにバイトし始める前より痩せたぞ」

 

本当にそうだろうか。

鏡は毎日身だしなみで見ているが痩せたかどうかは気にしたことはなかった。

 

一度言われれば気になるもので、俺は自室の手鏡をとって顔を映す。

 

・・・・・・あまり判らないが、確かに頬の肉とかが少し減った気がする。

何より隈がやばい。

明らかに俺の顔に生気が満ちていない。

 

「長谷センパイ、正直自分も気になってるんですよね。

 本当に何でバイトしてたんっすか?」

 

乾さんは最初一ヶ月のバイトではなく、二ヶ月目のバイトの事を言っているのだろう。

二ヶ月目のバイトの動機は片瀬さんと姉ちゃんしかしらない。

そして片瀬さんにそれを教えたのは今日だった。

だから乾さんでも調べてもわからなかったようだ。

 

どうする。ここで今渡すか?

 

座ってうつむき、考える。

まだ渡すシチュエーション、場所等を一切考えていなかった。

ただ、ある意味これほど渡しやすい状況もないだろう。

 

「わかった、説明するよ」

 

俺は自分の鞄を手元に持ってくる。

だがまだ中身は出さない。

 

「まず最初の一ヶ月のバイトの理由を話すよ」

 

何故一ヶ月目と二ヶ月目を区切る必要があるのか。

事情を知っている乾さんはともかく、愛さんは疑問げな顔をしている。

 

「俺と愛さんが喧嘩して、最初のあたりは一切口もきけなかったよね」

「あれは、悪かったと思ってる」

「いや、責める気は毛頭ないんだ。俺も悪かったし、前に言ったように全面的に愛さんの方が正しいんだから」

 

どうにも話の入り方が悪かったか。

 

「それで、どうにか愛さんと話をする為にと考えた結果がバイトだったんだ」

「どうしてアタシと話するのにバイトする必要があるんだ」

 

これも言い方が悪かった。

愛さんからしたらちんぷんかんぷんだろうし、乾さんも俺の下手くそな語りに苦笑している。

 

「バイトは手段であって目的じゃないんだ。

 愛さんと話すためにはきっかけから作らないといけない。だからきっかけを作るものを買うためにバイトしたって事」

 

そう言って俺は鞄の中にある二つの箱のうちの一つを取り出す。

ソレはおしゃれな柄の描かれた上品な小箱。

ひと目で安物が入っているわけではないとわかる。

 

「別にきっかけを作るためだけが目的じゃない。

 今までろくに愛さんに贈り物を渡せてなかった俺が単純にそれを叶えるためってのもあるんだ」

 

愛さんは俺が何故バイトしたのか、その箱を見て理解したらしい。

 

驚きの表情のまま固まっている。

心なしか緊張の汗をかいているようだ。俺もだが。

 

「愛さん。これが今の俺が愛さんに贈れる精一杯のプレゼントです。

 受け取って欲しい」

 

右の手のひらを上にし、そこに箱を乗せる。

 

精一杯の強がりの笑みを浮かべ、男らしく堂々と俺は愛さんにその小箱を差し出した。

 

「・・・・・・あ、アタシ。そんな、いきなりそんな風に渡されても困る」

 

珍しい。愛さんが凄まじい程にテンパっている。

俺も正直いっぱいいっぱいな為、ここで受け取るの断られたら立ち直れなくなりそうなんだけど。

 

「大体、アタシにこんな高そうなもの貰う理由なんか―――――」

「俺は愛さんの事が大好きなんだ。これ以上の理由なんかいらないよ」

 

愛さんに理由がなくとも俺には理由がある。

 

嘘も脚色も一切ない。生の感情を伝える。

真摯さを出すには必死さが必要な事もあるのだ。

 

「愛さん。これが俺の気持ちの全てじゃない、けれどこれはその一端なんだ。

 俺の事を想うのなら受け取ってください」

 

愛さんの戸惑う目を俺は冷静に見る。

勿論内心穏やかではない。

緊張だってしまくっている。

 

ただ、それでも驚く程頭の中は澄んでいた。

 

「―――――ッッ! ずるいぞその言い方は!」

 

ずるくて結構。

俺にとって今一番キツイのはこれを受け取ってもらえない事だ。

それを回避するためなら口八丁並べまくってやる。

 

しかし俺はもう言いたいことはいった。

あとは愛さんの気持ち次第。

 

黙って小箱を愛さんに差し出す。

 

愛さんはその箱に手を伸ばす。

けれど触れるか触れないかの距離になったとたん手を引っ込める。

 

それを数回繰り返す。

 

「・・・・・・忘れてたよ、愛さん」

「え?」

 

じれったい。余りにもじれったすぎる。

牛歩もたまにはいいと思うけど、流石に今回はそんなのはパスだ。

 

俺は愛さんの少し伸ばしている手を無理やり掴んだ。

男に手を引っ張られたら無条件で殴り倒しそうな愛さんだが、俺は例外だったらしい。

そのままその手を俺の右手の小箱にかぶせる。

 

「男には強引さも必要だった。真摯さだけじゃ熱意は伝わらないよね」

 

その手を握り、無理やり小箱を掴ませる。

 

「ちょ、ちょっと待て」

「待たない。この小箱から俺は手を離すよ。

 そこで愛さんがこれをいらないというのなら手の力を入れないままでいい」

 

そうすれば俺が小箱を手放した瞬間小箱は床に落下する。

そうなれば俺の自尊心など木っ端微塵。

立ち直れるかも怪しい。

 

しかしいつまでもこんな押して引いてを繰り返していられない。

 

「それじゃ、愛さん。俺は手を離すよ」

「あ、待て!」

 

待たない。

俺はゆっくりと小箱を乗せた右手を小箱から離す。

同時に愛さんの手を握る左手も開放した。

 

僅かに緊張が走る。

 

けれど、俺が手を離した所で小箱が落ちる音はしなかった。

愛さんがその手で小箱を握り締めたからだ。

 

そのまま愛さんは慌てて空いている手でも箱を掴み、両手でソレを胸まで持っていった。

 

「受け取ってくれてありがとう」

「バカ、礼をいうのはアタシの方だろう」

 

俺が半ば押し付けたものだから愛さんが礼を言う必要はないのだけれど。

 

「中、見ても良いか?」

「どうぞ。ソレは愛さんの為に買ったんだ、好みに合ってれば良いのだけれど」

 

愛さんは緊張した面持ちで慎重に小箱の蓋を開ける。

 

その中身を見た瞬間、愛さんは頬を緩ませた。

 

「綺麗」

 

その言葉を聞いた瞬間、一ヶ月の苦労が報われた気がした。

いや、気がしたなどという曖昧なものではない。確実に報われた。

 

中に丁重に設置されているシルバーリングを丁寧な手つきで取る。

その手で彼女は自分の薬指にはめた。

 

「サイズも丁度だ・・・・・・」

「うん、乾さんに教えてもらったんだ。愛さんの指のサイズ」

「そっか、ありがとな梓」

 

感極まった顔で愛さんは乾さんを見た。

 

「・・・・・・別に、いいっすよ」

 

どこかすねたような態度の乾さん。

やはり目の前で愛さんへのプレゼントを渡したためだろう。

 

愛さんは喜びの感情で乾さんのその態度に気づかず、再びリングに目を戻す。

 

「猫が模様が掘られてるんだな」

 

その模様を嬉しそうに見つめる。

 

俺も乾さんも愛さんに話しかけない。

俺の想像以上に喜んでくれた。

それだけで俺はお腹いっぱいだ。

 

「大、これ高かっただろ」

「そうだね、安くはなかったかな」

 

嘘は言わない、しかし細かい値段などプレゼントを渡した女性に言うべきものでもない。

ここは日本語の便利さを利用させてもらった。

因みに値段は死ぬ気で働いたバイト一ヶ月分、二十五万也。

 

「ありがとう。ずっと、死ぬまで大事にするよ」

 

限りない本心からの言葉のようだ。

本当に、慈愛に満ちた目で俺とリングを見ている。

俺はそれに照れてしまった。

 

「婚約指輪はまだ渡せないけれど、当面はそれで許して欲しい。

 これが俺の精一杯の気持ちです」

 

いつか、俺がもっと稼げるようになった時にもっと綺麗で本格的な指輪を婚約の証として贈ろう。

 

「嬉しい。本当に嬉しいよ」

 

瞳を潤ませながら俺にほほ笑みかけてくれる。

 

俺は頑張ってよかった。

そう思った。

 

「自分、今日はちょっと失礼します」

 

俺と愛さんが感極まっている時、部屋の片隅で乾さんの声が響いた。

ポジティブな俺たちとは対照的にネガティブな声質な乾さんの言葉。

 

俺は慌てて引き止める。

 

「ストップ。乾さん、帰っちゃう前にちょっとこっち来て」

「・・・・・・なんすか?」

 

大分拗ねているようで、目つきも悪い。

 

やはり用意しておいてよかった。

隣に座る乾さんから視線を外して再び鞄をあさった。

 

「乾さんにもプレゼントがあるんだ。これなんだけど」

 

愛さんの贈ったリングを買った店とは別の所で買ったピアス。

同じく何やらブランドのロゴなどが入った重厚な箱を乾さんに差し出した。

 

「え、え?」

 

慌てふためいている。

どうやら自分にまでプレゼントを贈られるとは思っていなかったらしい。

 

「俺が一ヶ月バイトした理由は愛さんへあのリングをプレゼントする為だ。

 そして二ヶ月目の理由は・・・・・・分かってくれたかな」

 

乾さんも俺の説明を聞いて理解したらしい。

目を見開いて俺の顔とプレゼントの間を何度も視線を移している。

 

だが俺はこのプレゼントを渡す前に伝えることがある。

 

「ごめん愛さん。彼女の目の前で別の女性にプレゼントを渡すなんて非常識だと自覚してる。

 許して欲しい」

 

顔を愛さんに向け、頭を下げる。

呆れられただろうか、不実だと責められるだろうか。

俺はせめて誠意を見せようと、このピアスは愛さんの前で渡そうと決めていた。

 

「良いよ。梓なら、許す」

 

愛さんの、その柔らかな言葉に俺と乾さんは言葉を失った。

 

まさかここまであっさりと許してくれるとは思わなかった。

乾さんもそれに驚いているらしく、余計にテンパリ始めている。

 

「ありがとう。大好きだ愛さん」

「ああ、アタシもだ」

 

互いに微笑み合う。

本当に俺には過ぎた女性だと思う。

一生をかけて俺は愛さんに見合う男になるために頑張ろう。

 

「そういう訳です。乾さん、これを受け取ってくれるかな?」

「えっと、その」

 

未だ状況が把握できていないのだろう。

 

俺が愛さんにプレゼントを渡して、孤独感で拗ねた乾さんは帰ろうとした。

それを引き止めて俺が乾さんにもプレゼント。

しかも愛さんの許しも出た。

この流れに追いつけてないらしい。

 

「中身は、なんでしょう?」

「それは乾さんの手で開けて確認して欲しい」

 

愛さんの時と同じく箱を手の上に乗せ、差し出す。

 

「・・・・・・本当に、自分なんかにいいんすか?」

「良いに決まってる。じゃなきゃ倒れるまでバイトなんかできないよ」

「ぐ、格好いいっす」

 

乾さんは恐る恐るといった感じで小箱を受け取った。

 

でもすぐには開けない。

受け取る勇気はあっても中身を見る勇気は持てない様子だ。

 

「何で、どうして辻堂センパイだけじゃなくあずにまでこんな高そうなものを用意してくれたんですか」

 

まだ中身を見てもいないのに乾さんはこれを高そうなものと決めつけた。

いや、確かに高い買い物だった。実質愛さんへのリングの値段と大差ない値段だったし。

 

「乾さんが俺にとって大切な人だからだよ」

 

彼女のためなら愛さん同様に死ねる。

乾さんのためならどんな労力だって惜しくないし、何だってできる。

 

だから俺は愛さんへ尽くす事に疑問を持たないように、乾さんのために頑張る事も疑問はなかった。

 

「――――ッ。嬉しいっす」

 

乾さんは精一杯の笑顔を見せてくれた。

 

実際に喜んでくれているのだろう。

顔は紅潮し、頬を緩ませている。

先ほどの拗ねていた面影は一切ない。

 

「喜んでくれるのはうれしいけれど、中身も見てほしいな。

 一応バイト先の先輩方にも相談したんだけど、乾さんの趣味には合っているか自信ないんだ」

 

片瀬さんにも乾さんの好みとは少し違うと言われた。

その為本当に自信がない。

穏やかではない内心を隠しながら極めて冷静な態度で乾さんに小箱の開帳を促した。

 

乾さんも俺に急かされたからか、息を飲んで小箱の蓋を掴み開ける。

 

その中をゆっくりと彼女は確認した。

 

「わぁ・・・・・・」

 

そのリアクションは果たしてどっちの意味なのだろうか。

失望的な意味の方だったら割と傷つく。

十割傷つく。

 

けどその不安は杞憂だった様子。

 

乾さんは慎重に小箱の中のピアス二つを取り出し、手のひらの上に乗せた。

そして嬉しそうに見つめている。

 

「へぇ。おとなしめだけど綺麗だな」

 

愛さんがそのピアスを見ながら感想を言った。

 

確かに、改めて見ると本当におとなしめだ。

悪く言えば地味といった所だろうか。

 

「いえ、こういうのは上品で大人っぽいって言うんすよ」

 

ものは言いようだ。

だが一理ある。

 

過度な装飾もなく、プラチナとダイヤモンドでシックなデザインだ。

一見大人しいデザインなのだが、明らかに見れば安物の雰囲気はない。

 

「これ、つけてみてもいいですか?」

「うん。実用して欲しいから買ったんだし、時々でいいから付けてくれると嬉しいな」

「ふふ、だったら毎日つけますよ」

 

乾さんは現在付けているピアスを外し、アクセサリーを入れているボックスにしまう。

 

そのまま俺の贈ったピアスを手にとって慣れた手つきでピアスを着けた。

流石にピアスを着けた自分の姿を普通には見ることはできないので、俺は手鏡を渡す。

多分乾さんは自身の手鏡を持っていたのだろうからいらぬ気遣いだったのかもしれないけれど。

 

「ど、どうっすか。似合ってます?」

「似合ってるかって、そういうのはお前自身が一番わかってるんじゃないのか?」

「自分とか他人より長谷センパイの評価が気になってるんですよ」

 

そう言って照れ笑いしながら俺を見つめてくる。

 

正直照れる。

だが一度咳払いして乾さんの姿を改めて見てみる。

 

さて、あながち俺のセンスも捨てたものではなかったようだ。

少し派手目の乾さんだが、少し地味ながら上品なピアスが意外としっくりきている。

多分ピアス自身が持つ高級感とでも言うのだろうか、地味なはずなのに不思議な存在感が乾さんの魅力を引き立てている。

 

もっとも、これはあくまでも贈った側の贔屓目目線かもしれない。

知識をひけらかして凡百の言葉を述べるより、はっきりと一つの言葉を伝えたほうが良いのだろう。

 

「似合ってる。綺麗だよ、乾さん」

「・・・・・・ッッ!!」

 

ボンっと顔が赤くなった。

すごい、たまに愛さんも同じようなリアクションするけど乾さんがここまで照れたのは初めて見た。

 

そういえば、俺がこんなふうにストレートに好意を示したのは初めてかもしれない。

だからだろうか。

 

「そ、そっすか。嬉しいっす・・・・・・」

 

しきりに耳たぶ、というかピアスを指で揉みながら照れ隠しをしている。

普段は少し巻いている髪をいじっている癖が少し変わったようだ。

 

「所でさ、もう一つのピアス穴開けていなくて使えないピアスはどうするんだ。

 もう一つ穴を開けるのか?」

 

愛さんが俺と同じ疑問を口にした。

 

因みに愛さんはというと俺の贈った指輪をしきりに気にしている。

話しているとき以外はニマーっとした顔で指輪を見ていたり。

 

「え、開けませんよ」

「じゃあその未使用の方はどうするんだ」

 

開けないのか。

 

「大切にしまっておきます」

「お前それ御蔵入りってことじゃ・・・・・・」

「いいえ、観賞用っす。

 実用するのは今付けているもの。そして未使用のままいつまでも綺麗なままで飾っておくのがこれ」

 

飾る。ピアスをか。

 

っていうか観賞用って、流石にそこまでされると贈った俺の方が照れるのだけれど。

 

「所で長谷センパイ、自分結構ピアス集めしてるんで何となくわかるんですけど

 これかなり高かったんじゃ」

 

完全に愛さんの時と同じ流れだ。

またか、また苦しい言い逃れをする羽目になるのか。

 

「内緒。プレゼントしたものに値段を聞かないのはマナーだよ」

「あはは、そうでした」

 

総額十八万円くらいした。買ったとき悶絶した。

 

購入を考えて初めて知ったのだが、ピアスは実の所宝石を使った装飾品の割に特別高いジャンルではない。

それこそダイヤモンドを使って五万円いかないのがザラにある。

むしろ十万円を越えるものが少ないくらいだ。

 

それで、値段を敢えて見ずに乾さんに似合うのを直感で探した結果これを手にとった。

どうせバイト代を残す気もそれほどなかったため迷いなくそれを購入したわけだ。

 

一応まだ結構バイト代は残っているため、今度何かに使おう。

 

「あの、乾さん。何をしてるのかな」

 

プレゼントを二つとも無事渡せた上に喜んでもらえてめでたしめでたし。

とは行かなかった。

 

何やら乾さんがピアスを耳たぶにあるピアスを指でいじりながら俺に擦り寄ってきた。

 

「何って、お返しっすよ」

 

何で返すつもりなのか。

俺は意図が判らず対応に困る。

 

戸惑う俺をよそに乾さんはしなだれかかってき、その手で俺の服を脱がそうとしてきた。

突然の行為に慌てふためく。

 

「ちょ、お返しってそういう事!?」

 

急いで距離を置こうとする。

だが立ち上がる瞬間、足の裏を地につけたタイミングで乾さんに足を払われ空中に一瞬浮く。

現状を整理できない俺はこのまま受身すらできず尻から着地するのだろうかと思っていると、

乾さんが宙に浮く俺を正面から抱きかかえ、ベッドに投げ飛ばした。

 

「ぐっは」

 

痛くはない。

ただベッドの反発力で一瞬苦しかっただけだ。

 

急いで体制を立て直そうとする。

しかしそれより早く乾さんが仰向けで倒れている俺に覆いかぶさってきた。

 

「辻堂センパイ、今日こそいいっすよね」

 

何がいいのか。

俺は押し倒されて、見事に身動き取れない状態にされてから救いを求めるように愛さんを見る。

 

愛さんはというと、なにやら指のリングを見つめながら深く考えている様子。

 

「た、助け―――――んむっ!?」

「ん、ちゅ・・・・・・ぷぁ。ふふ、長谷センパイは今は喋っちゃだめっすよ」

 

愛さんに助けを求めた瞬間、俺の口を塞ぐためにキスされた。

 

「辻堂センパイ、早く決めてください。もっとも、イエスでもノーでももう止まる気はないですけど」

 

やばい。

このままモタモタしていると何やら人生が大きく変わりそうな気がする。

予感ではなく最早確信に近い。

 

だが助けを求めようにもしゃべると乾さんに黙らされる。

つまりこの状況は実質愛さんの決断次第。

 

俺は黙って愛さんの言葉を待った。

 

愛さんは考える。

そして十秒ほど思考した後、決意を秘めた目で言った。

 

「わかった。そうだな、梓の好きにしろ」

「・・・・・・やっと、この時を待ってたっす!」

 

え、え。

何それ。ちょっと待ってよ。

 

「ふふ、それじゃあ長谷センパイ。今日こそ自分の初めてを貰ってください。

 ピアスのお返しとかそういうんじゃないですけど、あずを好きにしちゃってどうぞ」

 

どうぞと言われても対応に困る。

そもそも俺はそんな事をする気など無かったわけで、いきなり色っぽい雰囲気にはいられても

 

「大、覚悟を決めろ。梓だって勇気出した末の行動だ、男なら汲み取ってやってくれ」

 

愛さんがベッドで押し倒されている俺の隣に座る。

 

そのまま、腕を塞がれた俺の服に手をかけゆっくりとずらしていく。

見れば愛さんも既に上着を脱いでいて、ほとんど下着姿だ。

 

「でも愛さん、本当にいいの?」

 

それだけを確認する。

 

俺は不誠実な人間かもしれない。

だが女性の体を傷つけることを美とはしない。

 

つまり、乾さんを抱くというのなら俺は乾さんが俺を拒否する日まで、彼女も愛さんと同様の存在になるわけだ。

ほとんどソレは二股に近い。

いわゆるクズと呼ばれる人種だろう。

だから俺は愛さんに確認する。

本当にいいのか、後悔しないのか。

 

彼女はその真意を理解しているのだろう。

 

指輪を大事そうに握り締め、凛々しい表情で頷いた。

 

「・・・・・・わかった。愛さん」

 

それが愛さんの決断ならば俺は引き止めない。

 

「乾さん、もう抵抗しないから自由にさせて貰えるかな?」

「はい、もちろんっす。自分が長谷センパイを襲うより、長谷センパイに抱かれる方が理想なんで」

 

俺の上から降りた乾さんはそのまま自然な動作で服を脱ぎ始める。

 

スカートを下ろし、黒いストッキングと黒い下着が見える。

 

「随分派手なもの着けてんだな」

 

愛さんがぎょっとした顔で言う。

けれど乾さんは何を今更と言わんばかりの表情だ。

 

「自分、長谷センパイと会う日はいつでも恥ずかしくないように勝負下着つけてましたよ?」

 

マジかよ。

 

乾さんは流れる手つきでシャツも脱ぎ、丁寧に畳む。

上も同じく黒で扇情的な所々透けているデザインだ。

いわゆる男性に性行為をイメージさせるセックスアピール力の高い下着というところか。

 

そしてその下着の効果は絶大だ。

正直恥ずかしいのだが興奮する。

 

「ほら、長谷センパイ。あずの裸なんてもうすぐ見れますから、長谷センパイも準備してください」

「え、と」

 

これから俺は乾さんを抱く。

 

それは愛さんも同意の上だ。

抱いたあとの事も勿論考えている。

体だけの関係ではなく、本当に俺達三人はそれぞれ誰かが離れる事を考えるまで切ってもきれない関係になる。

 

「大、愛してる。ずっと一緒だ」

 

愛さんは下着すら全て脱ぎ、一糸まとわぬ姿で俺を抱きしめる。

ダイレクトに伝わる彼女の肌の感触と暖かさ。

 

「でもそのずっと一緒の場所に梓も入る。

 多分アタシは事あるごとに梓に嫉妬することもあるだろうけど、それでも梓も一緒にいても構わない」

 

二人きりの人生ではなく、三人で歩む人生を愛さんは選んだ。

二人がどれほど仲がいいのか俺は正直なところ把握しきれていない。

しかし愛さんが気に入らない、もしくは悪い人間を自分の隣に置くとは思えない。

 

「ただ、どんな事があってもアタシが大の一番だ。それだけを忘れなきゃ、梓を抱いても構わない」

 

一番とか二番とか、人に格付けするのは俺の望むところではない。

その言葉に頷きかねる。

愛さんも俺の考えを理解してくれている。

すぐに続きの言葉を紡ぐ。

 

「言い方がわるかったな。じゃあ言葉を変えるよ。

 大、ずっとアタシを愛してくれ。アタシはそれだけでいい」

「うん。どんな事があっても俺は愛さんの事が大好きだ、これからもずっとそうだ」

「・・・・・・なら良い。ほら、梓」

 

愛さんは俺を離し、一度頬にキスをしてから乾さんを呼んだ。

 

俺は彼女の姿を確認する。

 

「うぅ、やっぱ最初って痛いんですよね。緊張してきたっすぅ・・・・・・」

 

下着姿の乾さんは僅かに震えながら自分の体を抱きしめていた。

やはり初体験は怖いらしい。

性行為ではなく、その行為で味わうであろう痛みへの恐怖だろうが。

 

「大丈夫だって。アタシも手伝ってやるからさ。

 ほら、来いよ。じゃねーとアタシから始めるぞ」

「う、それはダメ! 今日の一番目は自分からじゃないとその・・・・・・嫌っす」

 

必死に愛さんを食い止めつつ乾さんは俺に抱きついてきた。

 

彼女の柔らかさと甘い匂いが俺の意識を興奮の感情で灼く。

既に俺のモノは準備できていた。

それほど現状に性的興奮を覚えていた。

 

「長谷センパイ。自分の事、好きですか?」

 

甘えるように、けれど縋るように聞いてきた。

 

俺はこの言葉に今までどのような返答をしてきただろうか。

明確に好きと答えた記憶はない。

されど好意的な感情を示していた記憶はある。

 

でも今日は違う。

俺も、愛さんも覚悟を決めた。

 

本来あるはずだった人生を変える、その決断をした。

 

「うん。梓ちゃん、君が好きだ」

 

初めて下の名前で呼んだ。

 

梓ちゃんも呼称が変わったことに気づいたのだろう。

一気に表情を変える。

 

その表情は一言では表せないものだ。

ただ間違いなく、喜びというベクトルにある種類の表情であることだけはわかった。

 

「センパイ。センパイになら思い切り痛くされてもいいです。

 長谷センパイの好きにあずを抱いてください」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●寸劇

 

 

 

「あの、辻堂さん。その指輪は?」

「ん、これか? 大に貰ったんだ」

 

後日、アタシが教室で指輪を見つめていると委員長が話しかけてきた。

 

どうにもこの指輪を貰ってからというもの、時間があればこれを見つめてニヤける癖ができた。

母さんに気持ち悪いからやめなさいと注意されたものの、無意識の事なので改善が難しい事この上ない。

 

「これはまた、学生が付けるには高そうですね

 ・・・・・・見た所戦闘力二十五万くらいでしょうか」

「なんで値段まで把握しかけてんだよ」

 

どういう鑑定眼を持っているのだこの委員長は。

 

そしてその目は見事に本物で、これはどうやら大が一ヶ月死に物狂いで働いた給料の値段とイコールしている。

 

「なぁ委員長。今度さ、指輪の磨き方とか教えてくれないか?

 これ、一生大事にしたいからさ」

「ふふ、勿論ですとも。

 いいですねぇ、ラブラブですねぇ」

 

いつもの委員長の言葉だ。

アタシと大が仲良くしているといつも嬉しそうにしてくれる。

その掛け値ない良い人ぶりにアタシは何度甘えたことか。

 

「ラブラブだもの」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねーねーあずにゃん。そのピアスどしたの?」

「これ? 好きな人から貰ったんだ」

 

片耳しかつけていないピアス。

 

そのピアスを指で触る癖がどうやら自分にできたらしい。

今日授業中に注意された上に、ピアスを没収されそうになったので謝り倒してそれだけは勘弁してもらった。

この後反省文も書く羽目になっているが仕方ない。

むしろそのくらいで済んで良かったと思うべきか。

 

「へ~、彼氏?」

 

今まで、彼氏はいるかと聞かれればノーと答えていた。

毎回自分はそのあとに好きな人はいると補足していた。

 

でも昨日の夜からは違う。

もう自分の片思いじゃない。

勿論普通の付き合いでもない。

 

だってそうだろう。

好きな男性には既に将来の約束をした女性がいる。

 

だけど、自分の席もそこにできた。

 

自分がセンパイと結婚できるかはわからない。

いや、そもそも日本の法律的に考えれば不可能だろう。

問題は山積みだ。

しかもその問題は解決できないものかもしれない。

 

それでも。けれども―――――

 

「うん。彼氏だよ♪」

 

もう一人ぼっちでも、片思いでもない。

長谷センパイの隣にいられる事ができる。

それだけで自分は幸せだった。

 

 

 

 

 

 

 

 


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