辻堂さんの冬休み   作:ららばい

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27話:先に進むために

「へっくしゅ! うえぇ~、鼻水鬱陶しくて息しづらいっすぅ~」

「この時期に風邪かよ。だらしねぇの」

「誰のせいだと思って・・・・・・っくっしゅん!」

 

大とマキが神隠しにあった数日後、平日の夕方に腰越マキと乾梓は二人で弁天橋にいた。

どちらが誘ったのか、それはマキの方だ。

日課となった我那覇葉との稽古を終えた梓を待ち構えてたかのように、マキは汗をかく梓の元に現れた。

その後、マキに少し話したいことがあると言われこの弁天橋までついてきた。

 

「皆殺しセンパイがこんなクソ寒い時期に海なんかに落とすからっへくしゅ!

 こんな最悪なコンディションにっくしゅん! なったんすよ!

 どんだけ今あずがしんどい思いしてるかわかります!?」

「知らねーよ。大体私風邪なんてひいたこともねーもん」

 

先日恋奈と共に海に投げ飛ばされた梓は盛大に風邪を引いた。

一度海から泳いで出たのはいいのだが、出た瞬間に入れ替わるように恋奈が海に投げ飛ばされ

再び寒中水泳をする事になったのが決め手だったらしい。

 

その日のうちに風邪を引き、こじらせにこじらせて未だ治っていない。

 

「しかもこの体調で稲村学園行ったらあそこの保険医に捕まってお尻にネギ入れられそうになるし・・・・・・

 もう最悪だよ!」

 

梓が大人しくマキについていったのは文句を言うためだったのだろう。

移動中も到着後も変わらずこの調子である。

 

「あーあーうっせーうっせー。

 だったらダイに看病して貰えばいいだろ、良い理由ができたんじゃねぇか」

「そ、それはそのぅ・・・・・・っくしゅん。

 げ、ティッシュ尽きた」

「ほれ、私のやるよ」

「あ、どもっす」

 

マキからポケットティッシュを貰い鼻をかむ梓。

数枚まとめて取り出して一気に使う。

 

そして僅かにスッキリした顔を見せたあと、マキの言葉に答える。

 

「長谷センパイに移しちゃ悪いじゃないっすか。

 せっかくの春休み、満喫してほしいですし」

「随分健気なこって」

 

こと長谷大にだけは献身的な梓である。

彼女はかなり彼に依存をしているのだが、彼に迷惑がかかるなら大体のことは我慢する。

今回も風邪を引いてからは長谷大とはメールや電話だけでまだ一度も顔を合わせていない。

 

「でもお前今日とか普通に外歩いてたけど、他の奴に移すのはいいのかよ」

「むしろはやく移して治したいっすね。

 他人にこの鬱陶しい症状押し付けてさっさと長谷センパイに会いたいですし。

 あ、皆殺しセンパイがこのクソ鬱陶しい病気引き受けてくれません?」

「お前病死すりゃいいのにな」

 

と、このように長谷大以外には辛辣というかかなりドギツイ本性を見せる。

一応他人の前でもある程度は猫をかぶるため、彼女のこの本性を知る者は限られているが。

 

マキはそんな梓を面白い奴として見ている。

 

「それで自分に何の用っすか?

 これからバイトあるんで手早くして欲しいんですけど」

「バイト? お前が?」

「なんすかその言い方・・・・・・自分だって普通に金貯めたりしますよ」

 

梓が以前カツアゲで金を手に入れていたことは最早江乃死魔の不良にとっては有名なことだ。

だがそれももうしていない。

今それをすれば確実に長谷大の信用を裏切ることになる。

金と彼の信用ならば天秤は圧倒的に長谷大の方に偏っているのだ。

 

無論、別に梓にとって金の価値が下がったわけではない。

依然として大半の人間の信頼よりも彼女は金に執着する。

 

単純に優先順位の頂点に長谷大がいるだけなのだ。

 

「で、何のバイトだよ」

「・・・・・・漁船っす」

「・・・・・・そうか」

 

余程金に困ってたらしい。

乗り物酔いすら我慢しなければならないほどお金に追い詰められている様にマキはガラにもなく同情した。

 

「それで、私がお前をここに連れてきてまで聞きたい話なんだが」

 

マキはこの微妙な空気を変えようと本題に入った。

 

「お前ってさ、どういう風にダイが好きなわけなんだ?」

 

マキのその問いに梓は僅かに顔をしかめる。

 

「それを聞きたくてここに?」

「ああ。それが聞きたくてここに」

 

当然のように頷くマキ。

梓はその様子に軽い頭痛を感じた。

 

「それを知ってどうするんですか?」

「どうもしねーよ。ただ、ダイがどんな理由で人から好かれてるのか知りたいだけだ。

 姉としてな」

 

マキのそのフレーズに反応する梓。

 

「姉? 皆殺しセンパイが長谷センパイの姉って事っすか?」

「そうだ。私とダイは家族だ、だったら年上の私はダイの姉って事になる」

 

一瞬梓はまるでおままごとみたいだと笑いそうになる。

だが何故だろう。

マキのその言葉は冗談には聞こえない。

まるで本当に家族のような、そんな感じが確かにマキの言葉にはあった。

 

「それで弟の周囲の調査ってわけですか。随分過保護なんすね」

「弟の骨へし折って入院生活させたお前になら尚更な」

「ぐ、人が負い目に感じてる所を・・・・・・」

 

流石に怯む梓。

あの時の事は今だに引きずってるし、ダイの傷跡を目にするたびに内心謝っているのだ。

そのため、それを口にされると本気で梓は気が滅入る。

 

「お前さ、ダイに気に入られるためにもう金とかに執着すんのやめたの?」

 

マキがストレートに聞いてきた。

その言葉に梓は大きく息をつく。

 

「どいつもこいつも今の自分を見たら金金金金と。人を守銭奴みたくいいやがって」

 

実際に彼女の本性をしる人間が今の梓を見た場合、決まって全員今のマキの問いをする。

梓としてはもううんざりするほど聞かれた内容だ。

だが、その問いに一度として明確な返答をしてはいなかった。

 

「別に今も前も金に執着してんのは変わりませんよ。

 ただ、今までの最優先だった金の上に長谷センパイが位置するだけです」

 

今だって梓は大、恋奈、愛という抑止力がなければカツアゲはせずとも、また別の金策をしていただろう。

しかし既にその三人は梓にとって優先順位の最上位に位置する。

そのため三人の信用を裏切らないように健全な金稼ぎを今する事になっている。

 

「金が何よりも信頼できるって考えは今もあります。

 まぁそれ以上に信頼できるのが長谷センパイって事っすね」

 

だから何よりも大に執着するし、彼を手に入れるために何だってする。

 

身も蓋もない言い方をすれば、梓は以前とさほど変わっていないのだ。

単純に価値の順位が変わったという変化のみ。

その変動によって他人の目からすれば彼女が大きく変わったような錯覚をしているだけである。

 

「・・・・・・随分ダイの事信頼してんのな、お前」

「何を今更」

 

梓は呆れた顔をしつつ、ポケットに手を入れる。

 

「ん? 電話、誰からだろ」

 

手を入れたタイミングと同時に誰からかのコールが梓の携帯電話に着信。

梓は特に普段と変わらない様子で呼び出し人の名前を確認する。

瞬間、その名前を見た途端花が咲いたような笑顔になる。

 

「はいあずです! こんな時間に電話なんてどうしたんすかセンパイ!」

「声でけーよ」

 

やたら元気に長谷大からの電話を受け取り、通話に入る。

 

マキは特にそれを邪魔することもなく、黙って通話が終わるのを待つ。

 

「え、あ。その、今日はちょっと用事があって・・・・・・え? 鼻声になってる?」

 

どうやら風邪をひいてから今日まで一度も大と顔を合わせてないため心配されたらしい。

日課だった勉強会もご無沙汰なため、大の方から電話をかけてきたようだが。

 

「花粉症っすよ。もう目とか痛いし最悪って感じで――――っくしゅん!」

 

大きくくしゃみがでた梓。

 

「ですから別に長谷センパイがあずの事心配する必要は・・・・・・え? 今からそっちに?

 え、え~と・・・・・・」

 

どうやら大に家に来ないか聞かれたらしい。

梓は自分から行こうとしなかった癖にいざ向こうから誘われると行きたそうにする。

モジモジと自分の髪をいじり、答えを決め兼ねる。

 

「お前、この後バイトとか言ってなかったか」

「・・・・・・い、行きます。すぐ行きますから待っててくださいね」

「行くのかよ」

 

梓はそう言って電話を切り、即座に別の所へコールする。

それをマキは興味深そうに眺める。

 

「すいません、乾梓っす。ちょっと風邪が悪化したようなので今日はちょっと休ませて頂いても・・・・・・」

 

バイト先の先輩に電話をかけたらしい。

ひたすら取引先に電話するサラリーマンのようにぺこぺこする梓。

なんだろうか、そのらしくない姿に思わず吹き出すマキ。

 

梓の話を聞いているとどうやらずる休みだが、目の前の梓を見るに正直休んだところでズルではない。

確かにここで漁などに出ても体を冷やして風邪を悪化させる可能性も高い。

 

「あざっす、それでは失礼します」

 

無事休みの了承を得た梓。

ほっとした顔をしながら相手が通話を切ったのを確認してから携帯をしまう。

 

「かしこまり過ぎだろ、どんな相手だよ」

 

まさかここまで梓が丁寧に応対するとは思わなかったマキが突っ込む。

そのマキの言葉にものすごく微妙な顔をする梓。

 

「・・・・・・辻堂センパイのお母さんっす」

「辻堂の奴の? へぇ、漁師なんだ」

 

辻堂愛の母親が過去湘南を制覇し、数々の悪名や伝説を轟かせた伝説の存在なのは有名な話だ。

けれどその辻堂真琴が現在どんな私生活を送っているのか、それはそれほど有名ではない。

その為若い不良が無謀にも真琴を伝説の稲村チェーンであること知らず喧嘩を売ってしまうことも少なくない。

その度に悲惨な末路をたどる者が増えるわけだが。

 

ともあれ、マキは辻堂愛の母親である真琴の伝説すらそれほど知らなかった。

しかし梓は稲村チェーンをよく知っているその為ひたすらに丁寧に接しているのだ。

 

「では自分は今から長谷センパイのお宅に行くんで失礼しますねっくしゅん!」

 

マキの返答すら聞かず浮き足立った様子でその場から走り去る梓。

その後ろ姿を眺めながらマキは次の目的地を目指した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何で私の所に来るのよ」

「いや、だって。お前もダイに興味あるんだろ?」

「・・・・・・まぁ否定はしないけど」

 

次に会った相手は片瀬恋奈。

場所は江乃死魔拠点。

 

集会中に突然のマキの来訪で恋奈やティアラを除く他のメンバーは遠目で怯えている。

無理もない、つい数日前に江乃死魔はマキ一人に手も足も出ず壊滅したのだ。

故にまともな神経である者は誰もがマキに威嚇すらしようとは思わない。

 

実質マキはこの江乃死魔落としで愛以上にこの湘南の頂点に近い存在となったのだ。

 

「え、恋奈さまって長谷にホの字なんかい?」

「うっさいわね、アンタはあっち行ってなさい」

「え~、でも気になるシ。

 れんにゃって最近やたらと物憂げな顔するようになってたけど、それ原因だシ?」

 

唯一マキにも怯えないメンバーである花とティアラがマキと恋奈の会話に割り込んでくる。

マキ自身は特に邪魔扱いもせず、追い払ったりはしない。

だが恋奈は大層邪魔に感じたようでさっきから追い払おうと必死だ。

 

「いいからアンタらはあっちいってなさいって!」

「ちぇ、れんにゃ冷たいシ」

「あ、俺っちはこれから用事あるからもう帰るっての」

 

そう言って二人は大人しくその場から離れた。

そして二人きりになったのを確認してから恋奈はマキを睨む。

 

「あのね、私はアンタにぶっ飛ばされて人数半分以下まで減った江乃死魔の立て直しに忙しいの。

 そういう私事なら私がフリーの時にしてくれない?」

 

恋奈自身次の年度で入ってくるルーキーや逆に卒業で不良を引退する者の把握。

さらに先日のマキとの決着で壊滅した江乃死魔の立て直しなどで途方もなく忙しい。

その為正直今マキと話している余裕はそれほどない。

 

ないのだが

 

「答えないのならここで暴れちゃうぞ」

「クソバカ畜生もうやだコイツ」

 

相変わらずのマキの暴虐さに涙ぐむ恋奈。

だがここで恋奈は閃く。

 

「アンタ、もう喧嘩はしないんじゃなかったの?」

 

鬼の首を取ったように鼻息荒く自慢げにいう恋奈。

これが通れば無事マキを追い出せるはずなのだが。

 

「できるだけしない方向にすると言っただけで、一切しないなどと申しておりません」

「まるで日本の政治家のようね・・・・・・」

 

悔しそうに歯噛みする恋奈。

だが元々それほど期待はしていなかったためダメージは少ない。

 

恋奈は諦めたようにうつむく。

 

「で、何が聞きたいのだったっけ。もう何でも答えてやるわよ」

 

諦めた恋奈にマキは再び同じことを尋ねる。

 

「お前はダイのどこを好きになったんだ?」

「あ~、そんな話だったわね。つぅか直球すぎんだろ」

 

恋奈は内心答えたくないため、僅かに顔をしかめる。

しかし答えなかったらいつまでもマキがここにいる上に、最悪暴れかねない。

恋奈はもはや自暴自棄になった。

 

「ア、アイツって意外と頼りになるし・・・・・・一緒にいて楽しいっていうか飽きないっていうか・・・・・・

 それにアイツ私のこと結構理解してくれてるし・・・・・・その・・・・・・」

 

モジモジと言う恋奈。

途切れ途切れな言葉だが、恋奈の言葉にマキは僅かに赤面する。

 

「あ~、やっぱいいわ。聞いてるこっちが恥ずかしくなる」

「だったら初めから言わせんなや!」

 

余りの青臭い言葉にマキは恋奈の独白を中断させる。

そんなマキにブチ切れる恋奈。

怒り狂った恋奈は怒り任せに無謀にもマキの胸ぐらに掴みかかった。

 

「お前意外とダイの事気に入ってるんだな」

「う、うっさい!」

 

マキは恋奈の手をどうこうする事もなく、ニヤニヤと笑いながら恋奈をいじる。

恋奈もその言葉に赤面し、照れ隠しに怒鳴る。

 

だが、不意にマキは表情に影を落とす。

 

「けどダイはもう辻堂の男だぜ。

 お前がどんなにダイの事意識したところで―――――」

「黙れ」

 

恋奈がマキの言葉を遮る。

明らかに先程までのゆるい空気ではない。

真剣な感情が恋奈から見て取れる。

 

「別に、私は長谷と付き合いたいわけじゃないわ。

 アイツと私はそんなものよりもっと価値がある関係よ」

 

それはどんな関係なのか。

マキはそれを聞こうとはしない。

 

「アイツと私の間には確かな信頼がある。

 だから私はそれだけで充分」

 

マキには恋奈のいっている事がさっぱりだった。

けれど、恋奈は今の大との関係に満足しているという。

 

「アイツはきっとどんな事があっても私の味方でいてくれる。

 私もどんな事があってもアイツを見捨てたりしない。

 私はその関係の方がいつ切れるかわからない男女の関係よりよっぽど好きよ」

 

ようやくここでマキは理解する。

なるほど。確かに恋奈は恋奈で独自の関係を長谷大との間に築いていた。

その大きな信頼は絶対に恋奈の勘違いではないだろう。

恋奈自身もそう思っているからこそ言い切ったのだ。

 

「まぁそれでも、アイツが付き合って欲しいと言うなら別にそれはそれで・・・・・・」

「お前も大概だな」

 

それでも一応恋心はある。

ただその恋心以上に信頼という感情が強いだけ。

信頼と恋心がイコールである梓とはまた別の考え方だった。

 

恋奈のその内心を察したマキは満足げに微笑む。

 

「それだけ教えてくれりゃ充分だ。邪魔したな」

「あ、こら腰越」

 

マキは未だ自身の胸ぐらを掴む恋奈の手を優しく解き、背を向ける。

そのまま恋奈の声に反応することもなく江乃死魔拠点を立ち去った。

 

急に現れて急にさったマキに振り回された恋奈は呆気にとられてしばし凍りつく。

 

「腰越の奴、何か考えてるみたいだったけれど」

 

目ざとい恋奈はマキの本心までは察せなかったが、何かを考えていたことは見抜いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前の方からアタシを誘うなんてな。

 何のつもりか知らねーけど、まどろっこしい事するじゃねぇか」

 

マキが最後に訪れた相手は辻堂愛だった。

 

夜、長谷大の家に向かおうとする愛の元に現れ、彼女を人気のない公園へと誘った。

無論これを断る愛ではなく、敵意をむき出しにしたまま愛はついていった。

 

「そう構えんなよ。別に今日はお前とやりあいたくて誘ったわけじゃない」

 

いつまでも刺々しい愛に頭をかきながら諭すマキ。

 

「じゃあなんの用だよ。人が折角大に会おうとしてるところ邪魔しやがって」

「やたら牙を剥いてる原因はそこかよ」

 

大の家にウキウキ気分で向かっていたところを邪魔された為、愛はマキに切れていた。

愛の言葉でようやくそこに気づきマキは若干呆れる。

 

「お前ら相変わらず仲いいのな」

「当然だ、ラブラブだもの」

「うっざ」

 

前触れなく惚気る愛に吐き捨てるマキ。

どうも大と付き合い始めてから硬派と軟派の入り混じる愛に扱いづらいものをマキは感じていた。

とはいえ愛が軟派になるのは大にのみなのだが。

 

「で、何の用だよ。手短に済ませろ」

「聞く奴聞く奴みんなそう言うんだよな。

 ちったぁ時間に余裕持てっての」

 

マキは愚痴る。

もっとも愛はそれを聞き取れはしなかったが。

取り敢えず毎回邪険にされてマキは地味に苛立っていた。

 

「お前さ、今ダイと付き合ってて不満とかあるか?」

「あるに決まってんだろ」

「・・・・・・へぇ、ちょっと言ってみろよ」

 

マキとしては意外だった。

大に関してのみ前後不覚になっている愛ならば即座に不満なんてあるはずないと言い返してくるものとばかり思っていた。

その為地味に興味がわいたのだ。

 

愛は僅かに言うべきか迷ったが、溜め込んでいたらしく誰かに吐き出したい気持ちはあった。

 

「冬休みから大の周りに女の影がちらつき過ぎなんだよ」

「あっそ」

 

殺意のこもった目で睨まれるマキ。

明らかにマキの事や梓のことである。

だがマキは軽く流す。

 

「人の良い大だから好かれるのは当たり前だし、大が梓みたいに積極的についてくる奴を邪険にできないのはわかってる。

 そんな性格だから好きになったんだし、これからも直せないだろうし直さなくていい」

 

ノロケを混ぜながらも不満を述べる愛。

 

「じゃあ何だ、お前はダイに対して不満はないということか」

「当然だ。自慢のカレシだからな」

 

胸を張って答える愛。

付き合ってる際の不満はあってもそれは大に対してではなく、ちらつく他の女の姿にのみだ。

それを跳ね除けることの出来無い大に僅かに不満はあっても、そこも愛が好きな所でもある。

だから大の行為自体に不満はない。

 

「優しくて頼りになって、アタシを大切にしてくれるし格好いい。家事だってできる。

 そんなカレシに不満なんてあるわけねーだろ。何言ってんのお前?」

「何だろうな、果てしなくムカつく」

 

梓の時以上にのろけてくる愛に殺意すら湧き始めるマキ。

 

「そう言えば腰越、お前江乃死魔とケリつけたんだってな」

 

愛が話を変えるように言う。

その急ともいえる話の変え方にマキは僅かに笑う。

 

「まぁな」

 

マキのその肯定の言葉を聞いた瞬間、愛は何故か胸の奥に寂しいものを感じた。

まるでいつも遊んでいた友人がある日突然引っ越したかのような、

明確な例えは閃かないけれども、ともかく愛にとって僅かな空虚感があった。

 

「もう卒業して進学を待つ身だ、色々とケリつけなきゃなんないだろ」

 

マキも愛と同じ気持ちなのだろう。

僅かに物憂気な雰囲気を出し、呟く。

 

「今まで見ないふりをしてきた実家の事、将来の事、挙げりゃキリがねぇ」

 

アウトローとして生きていたマキであろうともしがらみはある。

人の子である以上血縁者は存在し、過去や将来もある。

宙ぶらりんなままでも生きていけるかもしれないが、マキ自身が中途半端は酷く嫌う。

故にマキは進学が決まってから色々な事に目を向け、決着をつけてきた。

 

「もっとも、元々群れない主義だった私だから不良辞めるのに手間はないけどな」

 

仲間を作らないマキは彼女自身が引退したところで誰も悲しむ者がいない。

個人的なケリさえつければマキは自分の意思で好きなタイミングで不良をやめられるのだ。

 

「けど、まだ私はヤンキーをやめれてない」

 

マキは僅かに語気を変える。

 

「江乃死魔とケリつけてもまだ、私にはもう一つつけてない決着がある」

 

マキが言わんとすることを愛は理解した。

愛は敵意を含まない、何か得体の知れない感情をマキの瞳から見た。

 

「アタシとの因縁にケリを着けたいのか」

 

愛はマキの真意を完全にはわからない。

けれど何を自身に求めているのかはわかる。

江乃死魔とのケリをつけた今、最後の因縁に終止符を討とうとしているに違いないと。

 

だが、マキは愛の言葉を聞いて心底おかしそうに笑う。

 

「はっ、テメェの因縁なんてついでだよ。

 私は辻堂、お前をぶちのめして私自身の過去にケリをつけたいんだ」

 

マキの過去。

その言葉に愛は思考する。

 

「お前の過去って、昔した大との約束の事か?

 何でその約束に私が関係するんだよ、お前は大と何の約束をしたんだ?」

 

愛の問いかけにマキは目を伏せ何も答えない。

愛もマキが言いたくない事を察し、追求をしない。

しかし、明らかにその『約束』がマキにとって何よりも大きいしがらみである事はわかった。

 

「私が最後に残したしがらみがその約束だ。

 辻堂、それはお前と決着をつければケリがつく」

 

まっすぐ、何の濁りもない真摯な目で愛を睨むマキ。

その必死さすら伺えるマキの態度に愛は僅かにひるんだ。

 

「もしアタシがお前の喧嘩を買わなかった場合どうなるんだ」

「どうもしねぇよ。私が大学に行ってめでたくタイムリミットだ。

 私はこれからずっとその事を引きずるし、けれどどうしようもなくなるだけだ。

 お前に何もデメリットはない」

 

憮然として言い放つマキ。

 

「・・・・・・お前にとってアタシとの決着はそんなに重要な事なのかよ」

 

愛は僅かに戸惑う。

 

ここまで真っ直ぐにマキに挑まれたのは初めてなのだ。

誰かの思惑も入らず、ただシンプルにマキに決着をつけようと持ちかけられる。

 

むしろ愛かマキのどちらかがそうしなければ決着はつかなかっただろう。

けれど今の状況を一度も想像したことはなかった。

ただ漫然と、いつか決着を付ける。

そう思ってこの瞬間まで引き伸ばし続けていた。

 

いい加減、その因縁を終わらせなければならない。

 

「わかった。受けてやる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

青空はどこまで広く、どこまでも青く、子供心を抱かせる。

空の果てはどこにあるのか。

この空はどこまで広がっているのか。

 

きっとこの空は世界中を包んでいるのだろう。

 

そんな何一つ遮るもののない空虚な空。

真っ青な大空にひとつの白い線があった。

 

「マキさん、見てよ。

 飛行機雲がありますよ」

「ガキかよお前」

 

上を見て俺は年甲斐もなくはしゃぐ。

 

長く、長く長く続く飛行機雲。

真っ白なキャンパスに一本の白筆を滑らせたかのような。

 

「ダイ、お前に大切な話がある」

 

マキさんは真剣な声色で呟く。

 

「マキさん。

 飛行機雲ってさ、子供心をくすぐるよね」

 

俺は両手を挙げ、空を仰ぐ。

 

「どうして空は青いんだろう。どうして空はこんなにも昔の事を思い出させようとするんだろう」

「ダイ、聞いてくれ」

 

俺とマキさんは今、港にいた。

俺はマキさんを視界に入れず、ただ防波堤の前で寝転がり空を眺める。

その隣にマキさんは座っていた。

 

「海や空が青い理由はもう科学的に証明されている。

 けどさ、そんな根拠はどうだっていいんだ」

 

上げ続けている手を見つめる。

そしてその手を柔らかく握った。

 

「快晴の空を見たら気分が晴れやかになる。

 そこにある飛行機雲を見たら楽しかった子供の頃を思い出す。

 そこに理由はいらないんだ」

 

いつから空を見ることをやめたのだろう。

いつから天気予報で明日の天気を知るようになったのだろう。

 

明日は晴れるかなとワクワクしたあの頃の新鮮な気持ちはもう俺にはない。

だけど、あの頃は楽しかったと、そう思い返す気持ちは残っている。

 

「ダイ・・・・・・」

 

マキさんは俺を静かに責めるように囁く。

 

わかっている。

マキさんが俺に何を伝えたいのか。

 

「愛さんと決着をつけるんでしょ。知ってますよ、昨日愛さんから聞きました」

 

昨日、乾さんの風邪を看病していると愛さんもウチに来てくれた。

その時、愛さんが思いつめていたから話を聞き出した。

そこで知ったのだ。

 

「そうか、だったら話は早い」

 

不思議な感じだった。

その二人の関係の終わりの日が今日だ。

この後、間もなく二人は最後の喧嘩をし、そこで三大天は終わる。

 

本来ならばマキさんや愛さんが喧嘩をするのだから俺は慌てるべきなのだ。

なのに、何故か俺は異常なまでに冷静だった。

 

「私はもう少ししたら辻堂と約束した場所に行く。

 ダイはどうすんだ、一緒に行くか?」

 

ただ漠然とした懐かしさが胸の中にあった。

これは何なのだろう。

全く俺は答えを見つけることができない。

 

いつだってこの懐かしさがマキさんと一緒にいる時にはあった。

 

そして俺はもうその理由を思い出しつつある。

 

「ねぇ、マキちゃん」

「・・・・・・その呼び方は、思い出してたのか?」

 

マキさんは僅かに慌てたような声になる。

 

「俺達は昔会ってる、極楽院養護施設で」

 

それは間違いない。

 

「そこで俺達は一緒によく遊んだんだ。

 施設の皆が流行り病にかかってもマキちゃんだけケロっとしてたのも懐かしいね」

「・・・・・・」

 

マキさんは何も言わない。

空を眺める俺は彼女の顔色すら把握できない。

 

「色々な事を思い出した。

 あの時の辛かったことも、幸せだった事も全部思い出した」

 

まだ家族にもなっていなかった姉ちゃんに虐められ続けていた記憶もある。

その度によい子さんに優しく慰めてもらっていた事も思い出した。

 

「なのに、マキさんとの約束だけ思い出せない」

 

子供の頃に交わした約束なんて覚えている方が珍しいだろう。

けれど、それでも俺は思い出したかった。

絶対に思い出さなきゃならない約束なハズなんだ。

 

「ダイ、確かに私達はガキの頃に約束をしてる」

 

僅かに震えるような、何かに怯え、それでも何かに喜んでいるような抑揚でマキさんは語る。

 

「でも、それは思い出すな」

「それはどうして?」

 

俺は起き上がり、マキさんを見る。

その時、ようやく気づいた。

 

「お前も私も、そしてお前の大好きな辻堂も傷つくからだ」

 

マキさんは苦痛に耐えるような顔をしていた。

歯を僅かに食いしばり、目を伏せ、普段の自身に満ちたマキさんの姿とは全く違うその姿。

まるで昔、まだ小さかった頃の自信無さげなマキさんのようだったのだ。

 

「だから思い出さないと駄目なんだ。

 そんな辛い思い出をマキさんだけに押し付けるなんて俺にはできない」

 

きっと彼女が今こうして辛さに耐えているのならそれは俺に責任がある事なんだ。

それを知らんぷりしてのうのうと幸せになるなんて馬鹿げてる。

 

「やめろ、それ以上踏み込むんじゃねぇ。

 決意が鈍る」

 

マキさんのいう決意とは何なのか。

俺には計り知れない。

 

マキさんは俺から顔をそらし、立ち上がる。

 

「私はダイを家族だと思ってる。お前もどうせそう思ってんだろ?

 だったら私はそんな家族に嫌な思いをして欲しくない」

 

それだけ言ってマキさんは歩き始める。

時間なのだろう、目的地は愛さんとの約束の場所に違いない。

 

「どうしても知りたいのならお前自身の力で思い出せ。

 私はお前に幸せになって欲しいからどんな事があっても言わねーからな」

 

俺は離れていくその背中に何故か、愛さんに向けるものと同じ質の感情を抱いた。

そしてその激情にかられて口を開く。

 

「わかったよマキちゃん。絶対に、思い出すから」

「・・・・・・バカ」

 

振り向いて、俺に笑いかけるマキさん。

その顔は寂しげで、けれど何か嬉しそうな

まるで俺達が離れ離れになる瞬間に見せた彼女の顔と同じだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大と別れた後、マキは真っ直ぐに愛との約束の場所へ向かった。

 

「あ~あ、やっぱ向いてないわ」

 

まだ決めた時間まで余裕がある。

マキは少しゆっくり歩くことにした。

 

内心マキは今浮かれている。

理由は単純、大が殆ど記憶を思い出した事にだ。

自分との思い出を自らの手で掘り当て、もう間もなく約束の全てを思い出すだろう。

 

その事を何よりも喜んでいた。

 

「ダイの幸せ考えて大人しく引き下がるなんて私らしくない」

 

今日、梓や恋奈、愛の大への好意を聞き回った。

これは何のためだったのか、自分でもわかっていない。

ただ、聴き終わった今、意味はあった。

 

各々が独自の居場所を作っている。

梓も恋奈も大の彼女ではない。

けれど、それでも辻堂愛には位置できない『特別』を手に入れていた。

 

「好き勝手に暴れてやる」

 

けれどマキは自らその『特別』を作る気などなかった。

 

「ダイは、私のものだ。

 辻堂にくれてやるには惜しすぎる」

 

既に自分の場所はあったのだ。

なのに、その場所をマキも大も忘れ、気がつけばそこに愛がいた。

ならばマキがする事は何か。

 

単純な事だった。

 

奪い返す。

 

その暴力的な発想と行為にマキは至った。

 

もし大がまだ全然過去の事を思い出していないのだったらマキももう諦めていた。

けれど状況は変わった。

 

思い出しつつある大に心躍る。

諦めつつあった約束を果たして欲しいと欲が出るようになった。

その飢えにも近い感情が完全にマキを動かし始めた。

 

果たして辻堂愛との喧嘩を終えマキ自身に何の変化があるのか。

それはマキ自身にも判らない。

けれど確実に何か変化はあるはずなのだ。

 

恋敵に自分の怒りをぶつけ、憎しみを叩きつけ、殺意を向ける。

そこで何かしら自分は答えを見つけるだろう。

自分の本当の居場所、約束の結末を。

 

結果がどんな形になるかは想像つかない。

何も得ず、単純にただ殴り殴られるだけの不毛な喧嘩になるかもしれない。

でも、何もせず指をくわえて愛と大が幸せになるのを黙って見ている事などマキにはできなくなった。

 

全てを思い出しつつある大を見て、完全に気持ちが暴走する。

 

「ダイは・・・・・・絶対にやらねぇ」

 

梓とも違う、完全な独占欲をマキは持った。

愛などに決してくれてやるわけにはいかない。

大は自分のものであり、他の奴に渡さない。

 

モチベーションは完全に潤った。

どんな相手でろうと叩きのめす。

 

結果として誰が傷つこうが知ったことではない。

無論、大が傷つく事になったとしてもだ。

 

ふと、マキは思い出したように空を見た。

 

先程、大がいったように空は快晴で雲ひとつなかった。

 

星もなく、雲もなく、ただ海のように青い色と真っ直ぐ伸びる飛行機雲があった。

 

『どうして空は青いんだろう。どうして空はこんなにも昔の事を思い出させようとするんだろう』

 

大の言った言葉をリフレインする。

それを意識した瞬間、マキは胸が締め付けられる気持ちになる。

 

まるで前に進む事ができない。

いつまでも約束に縛られる自分。

そんな弱い自分を消し飛ばす為に愛に喧嘩を売ったのだ。

 

「・・・・・・畜生」

 

その言葉は何に向けたものなのか。

マキ自身にすらわからなかった。

 

 

 

 

 


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