うろ覚えの記憶が曖昧なまま作り出したごちゃまぜの風景。
それが夢だ。
だからこそ、昔見た鮮明な記憶であろうと夢で差異なくリプレイされることはない。
どんな記憶であろうと夢の中では余計な記憶も混ざり、そこに正確性は無くなるからだ。
『じゃあもう会えなくなっちゃうね』
『そんなことないよ』
ここはどこだろう。
夢の中で自分の姿を探す。けれど自分自身の姿は把握できない。
ただ、この場所は見覚えがあった。
たしかここは極楽院の養護施設だ。
その一角にある庭には二人の子供の姿があった。
『だって遠くへ行っちゃうんでしょ。
仲のいい子がいなくなったら私一人になっちゃう。
お父さんもお母さんもいないし』
幼い少女が寂しそうにしている。
その姿を困ったように見る少年。
なぜだろう。この少女は見覚えがやはりある。
そしてそれ以上にこの少年には異常な親近感がある。
『爺ちゃんや婆ちゃんがいるじゃない』
『その二人しかいないんだもん』
・・・・・・いつか、この会話をした記憶がある。
明確には覚えてないのだけれど、それでもデジャブを感じているのだ。
『うーん』
『じゃあいつかマキちゃんもおいでよ』
そうだ、彼女は確か極楽院の三大お婆ちゃんの孫。
名をマキといった。
マキ。
『へ?』
『婆ちゃん達が許してくれたら、うちにおいでよ。
一緒の家族になろう』
マキ。
家族。
恐らくもう俺は目が覚めるだろう。
その証拠に視界は不明瞭になり始めた。
今さっきまで目の前にいた子供たちは姿を消し、寺の風景も曖昧なものになった。
多分俺は今見た夢を起きたら忘れる。
ただ、俺は今確実に思い出した。
今まで忘れていた事を。
目が覚めた時にどうかこの事を忘れないように自分自身に祈った。
俺はこの思い出した約束を果たさないといけない。
「ん、んん~」
重たい瞼をゆっくりと開く。
同時に起きた時のクセのように部屋に置いた時計を見て時間を確認する。
時刻は朝八時。
休日にしてはまあまあの早起きだ。
ものぐさな気持ちを抱きながら上半身だけ起き上がらせる。
そして軽くあくび。
「何か、大切なことを忘れた気がする・・・・・・」
何だろう、この異常な胸騒ぎは。
思い出さなくてはならないのに思い出そうとすると頭の中に霞がかかって思い出せない。
ただ、思い出さなければならないことがある事だけは何となくわかった。
「ん? 何か布団の中に何かいる?」
気づいたのだけれど、俺の布団の中がやたらこんもりと盛り上がってる。
いや、下ネタじゃなくて真剣に。
一瞬何だろうと疑問を抱いたけれど、それも連鎖的に答えが出た。
あまり珍しいことじゃない。多分マキさんだ。
最近寒さが増してマキさんも外でねるのは厳しいらしく俺の部屋に深夜入り込むことが多くなった。
特に昨夜みたく強烈な寒さである日は人肌で既に温まっている俺のベッドに潜り込むことが多い。
寝ているのを起こさないように、ゆっくり慎重に布団をめくる。
いた。
「やっぱり」
布団の中で猫のように丸くなって寝ているマキさん。
微塵も警戒していないのだろう、無垢な顔でスヤスヤと寝ている。
起こすべきか迷ったが、ここはそのまま寝かしておいてあげよう。
もう受験も終わって彼女は学校に行く必要もなくなった。
その為最近は進学の準備している時以外は退屈そうにしている。
俺が学校から帰るとほぼ毎日俺の部屋で待っている。
そして俺のそばに来るやいなや、無理やり俺を捕まえて外に引っ張り出されているが、
どうも飼い主が仕事から帰ってくるのを待つ犬を持った気分だ。
「うん、ん~」
上げた布団の隙間から入る冷気に体が反応したらしく、体を更に丸めるマキさん。
猫みたいでちょっと可愛い。
しかしいつまでもこうしてマキさんを観察していてもいけない。
俺は休日の家事をするためにゆっくりとベッドから降りた。
幸いにしてマキさんは起きることはなかった。
そのまま抜き足差し足と音を立てず歩き、一回のキッチンへ向かう。
「くぁ~、ん。よく寝た」
ベッドの上で目を覚ます。
微睡んだ頭で取り敢えず現状を把握することにしよう。
「ダイは・・・・・・もう起きちゃってたか」
昨日の夜はいつも以上に寒かった。
その為寒さをしのげてかつ、安心できて寝心地もいい場所を探す羽目になった。
で、当然そんな場所はここ以上の所などあるはずもなく、お邪魔させてもらったわけだ。
もっとも、部屋主であるダイは眠っていたから起こさずに一緒に寝たのだが。
時計を見れば既に9時を回っていた。
まあ寝た時間が結構遅い深夜だったためむしろ早起きだといえる。
寝癖でボサボサになった髪を軽く手櫛で梳く。
別にくせ毛でもないし、長い髪でもないためある程度は寝癖もマシになった。
さて、どうするか。
このままここを立ち去るか、一度ダイに挨拶していくか。
考えるまでもない。
「降りるか」
多分ダイは下にいるだろう。
アイツの好きなコーヒーの匂いを僅かだが感じる。
ベッドから降りて自分はそのまま一階に向かった。
途中、扉を開けた際に気配を探る。
すると意外なことにダイの姉ちゃんはまだ寝ているようだった。
どうせ前日に深酒でもしたのだろう、あそこから妙に酒臭い匂いするし。
寝ている彼女を起こさぬよう足音と気配を消して階段を降りた。
そして目に入るリビングの扉。
妙に心が弾む。
原因は何か、簡単だ。
ダイと顔を合わせるからだろう。
妙に自分らしくないその気持ちに自笑しながら戸を開けた。
その音に反応したらしい。ダイはこちらを振り向いて優しく微笑む。
「や、マキさん。おはよう」
「あぁ。ワリィな、勝手にベッド借りてさ」
「借りるのは一向に構わないんだけど、できれば潜り込む際は俺を起こして欲しいなぁ」
ダイは全くこちらを責める気もないのだろう。
普段通りの柔らかい物腰でキッチンにたっている。
「そうしたらお前別の所で寝るじゃん」
「そりゃね、流石に愛さん意外と同衾するのは良くないし」
トントントンとまな板と包丁のぶつかり合う音。
見るに朝食の準備中なのだろう。
時々口をつけているのか、後ろのテーブルにコーヒーカップが置いてある。
「よく言うよ、お前乾の奴ともたまに一緒に寝てる癖に」
「・・・・・・いや、実際に俺が許可したのは入院中の一回だけであって、
それ以外は全部マキさんみたく不意打ちでして」
「対策しない上に本気で注意しないお前も悪い」
「おっしゃる通りで」
ダイは僅かに困ったような顔をする。
そのまま再びまな板や鍋に視線を移して料理を始めた。
匂いや具材を見るところどうやら今日の朝飯はあさり入りの味噌汁やほうれん草のおひたし、白米と言った和食らしい。
確か前にダイは朝コーヒーを飲みたがるから朝食は洋風に偏ってるって聞いたけど。
ああ、なるほど。
姉貴が二日酔いしてるかもしれないからか。
一人で勝手に答えを出した。
多分これで間違ってないだろう。
とはいえ、つまり今日の朝飯は自分の好みではないようだ。
「あ、マキさん。昨日の晩御飯の残りになるけど青椒肉絲食べる?
一応マキさん来るかもって肉多めにしてるけど」
「たべるー!」
さすがダイだ!
いつも私のことを忘れないでくれている!
機嫌よくした私はダイの邪魔にならないようにチェアに座る。
そのままつけっぱなしのテレビではなくダイの背中を見る。
その背中はとても暖かく、同時に思っていたより広かった。
何だろうな、包容力のある背中って感じだ。
何となくだが、あの乾ってのが惚れたのがこの部分な気がする。
いや、乾にかかわらず自分や辻堂の奴も惚れた一因がこれだろうけど。
「ま、マキさん」
「ん? どうした」
ダイが何やら少しソワソワした感じで顔をこちらに向けてきた。
「いや、ちょっと凄い視線を感じてやりづらいなって・・・・・・」
「あぁ、悪い」
余りに直視しすぎたようだ。
カタギのダイであっても視線を感じるくらいだ、よっぽどガン見してたんだろう。
大人しく視線を外す。
ダイも安心したのか、再び料理に取り掛かる。
「・・・・・・ふむ」
そしてもう一度ダイを見る。
今度は気配を消して見つめる。
これならば気付かれることもない。
「ん、ちょっと味薄いかな」
味噌汁の濃さを確かめている。
相変わらずやることなすこと主婦くさい。
そんな事を思っていると長谷家のインターホンが鳴る。
「私が出ようか?」
「お願いできる?」
「任せろ」
家主やその家族以外がでるのは非常識だとは思うが、まあ大丈夫だろう。
長谷家の誰かでないといけない用事ならそのまま変わればいいし、セールスとかの対処なら私のほうがダイより上手だ。
ダイは私を信用しているようで、特に心配そうな様子も見せず鍋をかき混ぜている。
その信用を何やらこそばゆく感じながら、取り敢えず玄関へ向かった。
早足でサンダルに履き替え、扉を開く。
するとそこには予想外の客がいた。
「うげ、梓か辻堂が出ると思ったらよりによってアンタかよ」
「ここは腰越さんちだ、長谷さんちはここから100キロ上空にある。それじゃ」
「まてや!」
早々にお帰り願おうとしたが、案外反応速度が早い。
恋奈のバカが凄いプリプリ怒りながら扉を掴んで閉めるのを妨害してきた。
力づくで閉めてもいいのだが、そうすると恋奈の手がその力で挟んでしまう。
へたすりゃちぎれるかもしれないため流石に躊躇する。
いや、こいつもしかしたら指ちぎれても生えてくる気がする。
やってみるか?
「何か凄い危ないこと考えてるでしょ?」
鋭いなこいつ。
「で、早く中に入れてくれない? いい加減寒いんだけど」
「あ~・・・・・・ん~」
正直悩む。
ダイならばきっと入れるだろう。
だが私はこいつが嫌いである。
故に私としては門前払いしたいところなのだけど。
「門前払いしたら長谷にチクるわよ」
「っち、わかったよ」
ダイの信用を裏切るのはあまりよろしくない。
仕方なく扉を開くことにした。
そして勝手知ったる人の家、恋奈は浮き足立ったように私を追い抜いてリビングへ歩いて行った。
「私も長谷の朝食の匂い嗅いでたらお腹がすいてきたわ、
朝食ご一緒してもいいかしらっ!」
「ダメ」
あつかましい奴め。
これは私とダイとその姉ちゃんの分だ。
こいつにやる分などない。
「ご一緒してもい・い・か・し・ら!」
「駄目に決まってんだろ。おめぇは江乃死魔のやつらとよろしくしてろよ」
「うがぁぁあ!」
切れた恋奈はやけくそに雄叫びを上げる。
大声出すな、姉ちゃんが起きるだろうが。
ふと、不意に恋奈の動きが止まった。
そしてもう一度私の目をみる。
「(ご一緒してもいいですか?)」
こいつ、直接脳内に・・・・・・っ。
「片瀬さんもいいじゃない」
「ダイがそう言うなら」
飯を作った本人であるダイが言うのなら私が拒否する権利もない。
最も、こいつのせいで私のおかずが減るのなら奪い取るけれども。
「え、いいの長谷?」
「いいもなにも何で俺にきかずにマキさんの許可を得ようとしてるの?」
「え、だってアンタこいつのメッシー・・・・・・」
「誰がメッシーや」
何だメッシーて?
よく分からないため話に割り込めない。
「・・・・・・ダイの姉ちゃん起きてこないな」
いい加減腹が減って仕方がない。
さっきから腹がグーグーと鳴って五月蝿い。
ダイもその音を聞いたのか、少し笑う。
「二人は先食べててよ。
特にマキさんの青椒肉絲は中華料理だけあって冷めると殺人的に不味いしさ」
確かに中華料理は油料理なため、冷めるとさらさらだった油が徐々に泥のような質感に変わっていき、
とてつもない不味さと食感に変わる。
「アンタは食べないの?」
「俺は姉ちゃんが起きてからね。
姉ちゃんもせっかくの休日なのにひとり飯は寂しいだろうしさ」
「・・・・・・シスコンめ」
「うっさいよ、シスコン菌移すぞ」
言われなれているのか、恋奈の言葉にもユニークな返し方をする。
「はい、それじゃあ手を合わせましょう。いただきます」
いつまでも食べ始めないこちらを気遣ったのだろう。
無理やりな感じに食事を促した。
そこまで食えと言われれば仕方ない。
こっちも美味いメシをわざわざ冷まして不味くするのも最悪な行為だ。
促される通りにする。
「長谷、悪いわねご馳走になって」
「いやいいよ。ちょっと多く作りすぎたと思ってたからむしろ片瀬さんが来てくれて助かった」
食器を片付けたダイと恋奈は手を拭きながら何やら別のことを始めた。
見れば食器棚から一度も見覚えのないマグカップを出している。
「なんだそれ。初めてみるな」
「あぁ、これは片瀬さんのマイカップだよ。
コーヒー・・・・・・いや、カフェオレ淹れるときはいつもこれを使ってるんだ」
「別にコーヒーでもいいわよ! アンタが毎回勝手にミルク大量にブチ込んでるんでしょうが!」
マイカップ・・・・・・私もってない。
何だろう、恋奈にボロ負けしたような気持ちになる。
何が負けたのかはわからないけれど、気持ち的に凄い悔しい。
「因みにこれは愛さんのマイカップ」
「あ、可愛いわね」
「でしょ、愛さんはこういうキュート系なのが好きなんだ」
辻堂に全然似合わないデフォルメされた猫のイラストが描かれたマグカップ。
アイツもマイカップをこの家に置いているのか。
え、じゃあなんだ。
もしかして。
「そして最後のこれが乾さんの」
更に食器棚からマグカップを取り出す。
今度のはなんてことはない、普通の無字のマグカップだ。
ただ何だろうか、シンプルなのにシックというか、素直にセンスがいいと思えるデザインだ。
実に乾らしい。
「うん、あの子らしいセンスね」
恋奈も認めているらしい。
「さて、それじゃあ淹れるからちょっと待っててね」
「はいはい。あ、今日はカフェオレじゃなくて長谷のと同じのにして」
「俺ブラックだよ?」
「・・・・・・ミルクと砂糖をカフェオレにならない程度に入れといて」
「承知いたしました」
そう言って手馴れた手つきで豆を取り出し始めた。
・・・・・・マイカップか。
私も今度持ってこよう。
どうせここくらいでしかカップなんか使うことはないし。
とはいえ今見せられた各々のカップを見るとどれも持ち主の嗜好が色濃く出ている。
恋奈はいやらしい程にお嬢様臭い高そうなものだし。
だとするなら私はどのようなものを買えばいいのか。
いや、深く考えないでおこう。
何気なく選んだものこそ自分らしさが現れるというもの。
これで選んだものをバカにされたらそいつをぶん殴ればいい話だ。
「マキさんも飲む?」
「いやいいよ。私苦いの好きじゃないし、だったら前に飲ませてくれた水出しとかいうのが良いな」
「残念、あれは昨日姉ちゃんにバカのみされて枯渇しました」
「じゃあいいや。私はコーラでも飲んでるよ」
そう言ってダイにアイコンタクトで冷蔵庫の開封許可を得る。
そのまま大きく開いて私のために買い置きしてくれているらしいコーラをいただく。
流石に口のみするまで厚かましくはなく、先ほど食事で使ったガラスカップに並々とついで一気に飲む。
炭酸特有の一気飲みしたさいの喉を焼くようなシュワシュワ感が否応なしに思考を紛れさせる。
涙目になりつつダイの方をみる。
既に自分の分はドリップし終わったらしい。
あと恋奈の分だけだ。
恋奈の方はそれを興味深そうに眺めている。
・・・・・・あまり見ないツーショットだ。
「そういえばさ、マキさん」
「ん」
流し目で見ていたのだが、気づかれたか?
一瞬そう思ったがどうやら違うようだ。
ダイは単純に何か私に質問したいことがあるらしい。
「俺達って昔会ったことあるよね?」
「―――――なに?」
想定外。
いや、想定外の想定外だ。
まさか・・・・・・え? まじで思い出したの?
やっと? ようやく?
「どうしてそう思ったのか聞いてもいいか?」
「何かね、夢で小さいマキさんが極楽院養護施設にいたんだ」
「小さい私ね、それが本当に私だと決めつけれる証拠はあるのか?
何より夢で見たものだ、ただのごちゃまぜになった記憶かもしれないじゃんか」
何故自分はあえて今肯定せずごまかすような事を言っているのか。
おそらくダイはもうギリギリまで思い出しそうになっているはずだ。
ならば私が肯定して軽く説明するだけで恐らく全て思い出す。
だというのに何故自分はこのようなはぐらかす真似を。
いや、理由などとうにわかってる。
既に思い出したところで遅いからだ。
もう、約束は果たせる事もないし今更思い出したところでお互い辛いだけだ。
だったらこのまま思い出さない方がダイのためだろう。
「ん~、そう言われるといまいち自信ないんだよね。
そもそも本当にそれしか覚えてないし、何か喋ってた気がするけど覚えてないし」
その言葉に私は何も言わない。
ただ、なぜだろう。
その思い出そうとしているダイに内心喜んでいる自分がいた。
「・・・・・・ただ、何かこの件だけは絶対に思い出さなきゃならない気がするんだよね」
そう言って今淹れ終わった恋奈の分のコーヒーにクリームや砂糖を入れていく。
顔は一切冗談気などなく真剣なものだった。
「腰越、アンタ」
「なんだよ」
恋奈がダイに気づかれないように小声で私を責めるように呟く。
「何でごまかしてんのよ」
そうか、こいつは私の本当の苗字を知っている。
そして恐らくダイの昔の境遇も調べ終わっているのだろう。
つまり恋奈は私とダイの昔の関係を知っているとまではいかなくとも、それに近い答えは知っている。
だからこそ教えなかった私を訝しげに見ている。
「何のことだ?」
あえてすっとぼける。
正直言って自分とダイの昔の約束を他の奴に勘ぐられるのは好きじゃない。
「・・・・・・まぁいいわ、私には関係ない事だし」
恋奈も私の本意に気づいたのだろう、深く問い詰めることはせず引いた。
「はい、片瀬さん」
「ありがと」
ダイの差し出したコーヒーを受け取る。
そのカップの中の泥色の液体を恋奈は香りを楽しむように嗅いだ。
「うん、インスタントとの違いがわからないわ」
「はは、正直でむしろ清々しいよ」
そんなもんだ。
実際余程のこだわりでもなければコーヒーの味や香りなどさして違いなどない。
結局のところ嗜好などどこまでもいっても自己満足の領域ってことだ。
だがダイもそれは理解しているらしく、恋奈の身も蓋もない言葉に腹を立てることもなく微笑みながら自分のコーヒーを飲む。
恋奈も続いて口を付ける。
が、やはり普段からコーヒーを飲んでいるわけでもない恋奈は味の違いがそれほどわからないらしい
首をかしげている。
「美味しいとは思うけど。ごめん、どこがどう美味しいのか説明できないわ」
「説明なんていいよ、美味しいって言葉だけで俺は満足してるし」
「・・・・・・なんかちょっと悪い気がする」
バツの悪そうな顔をしてカップを置く。
何をやってんのか。
私はコーラを飲みながら呆れる。
「ところでさ、こんな朝からどうしたの?」
「ん、ちょっとね」
恋奈は何か含みのある声で言いよどむ。
だが別に言えないことではないのか、直ぐに次の言葉を出す。
「ごめん長谷。今日用事があったのはアンタじゃなくて腰越なの」
そういって恋奈は私の方を睨む。
なるほどね、確かに私は頻繁にこの家に来ているし、泊まることだってある。
確か前に江乃死魔の馬鹿どもがダイに護衛をつけていると言ってたし、今日ここに私がいることも最初から知っていたってことか。
「腰越、うちの学園の卒業式はもう一週間を切った。
アンタは間もなく卒業してしまう」
「そうだな」
久しく学園にいってないけれど、確か今週末に卒業式があることだけは覚えている。
一応は出席をするつもりだ。
「だからその日の夜、アンタと最後の喧嘩をしたい」
本気のようだ。
目は今までに見たことがない程に決意を感じる。
絶対に勝つという覚悟も見れる。
つまりは本気という事か。
「江乃死魔の方はどういう状況なんだ?
ちゃんと私を満足させられる程度に駒は揃ってるんだろうな」
「当然よ、数はもう八百まで持ち直した。
既にこの湘南はアンタや辻堂以外掌握したようなものだわ」
大したものだ。
その人数をまとめあげる実力に素直に感心する。
「良い人数だ、実に踏み潰し甲斐がある。
いいぜ、その喧嘩買ってやるよ」
私のその言葉に恋奈は満足そうにうなづいた。
この期に及んで喧嘩を躱されてはもう次に私に挑む機会はないと見ていたのだろう。
「わかった。それじゃあ決闘場所は初めて私と辻堂や腰越が会った場所。
時刻は夜九時、それで構わない?」
「ああ。わかった」
懐かしいものだ。
こいつと出会ってまだそれ程経っていない。
二年も経過していないのだ。
だというのにあの日のことは未だ私の記憶から消えない。
辻堂だってそうだろうな。
「アンタの事だから絶対に逃げないでしょうけど、一応形式的に言っておくわ。
ビビって逃げんじゃないわよ?」
「はっ、誰にそんな口きいてやがる」
互いに減らず口を叩き合い、僅かに笑う。
この掛け合いももう間もなく終わる。
卒業、これを期に私は何かが変わるだろう。
大人になるわけではない、けれど子供のままでいられるわけもない。
いつまでも刹那的な生き方をしているわけにもいかず、いずれ責任という面倒なものが私に伸し掛る。
責任を負うのならそれはもう不良のままじゃいられない。
いずれ、近い将来私は今の生き方を変える時が来る。
この卒業もその一つのポイントだ。
ただ、それでもまだ私はヤンキーだ。
だからこそ、もうすぐ終わる今の生活を堪能する。
「なあダイ。やっぱ私にもコーヒー淹れてくれ」
「珍しいですね、わかりました」
私と恋奈の喧嘩の約束を聞いていて、それでも一度も口を開かなかったダイ。
彼は一体この約束をどう思っているのだろうか。
興味はあるが、聞くことはしない。
恋奈も私と同じ考えらしく、少しソワソワしながらチラチラと落ち着かないようにダイを見る。
「あ、長谷。私にもおかわりくれる?」
「うん。それじゃあカップ借りるね」
恋奈のカップと食器棚から私のカップを取り出してコーヒーを淹れ始める。
「あうあぁぁぁぁぁぁあああ~・・・・・・頭痛いぃぃぃ~」
びっくりした。
気配も音もなく不意にリビングの扉を開いてボサボサ髪な上に酷いやつれ顔の姉ちゃんが現れたのだ。
恋奈もぎょっとして驚いている。
「おはよ、酷い二日酔いみたいだね」
「あ~・・・・・・この痛みが誰かにワープすればいいのに」
なにげに怖いことを考える人だ。
「ちょっと待ってて、今朝食用意するから」
げんなりした顔で私のとなりに座る姉ちゃん。
うお、酒くせぇ。
っていうか私や恋奈がいることすら気づいてないのか、全然反応しない。
その相変わらずな姿に私は内心笑っていた。
こんな面白い風景を私はいつまで見ていることができるのだろうか。
「ん、ちゅ・・・・・・ぷはっ大ぃ」
「んむ、愛さん・・・・・・んん」
その夜。
俺と愛さんはベッドの上で抱きしめ合いキスをしていた。
どうも今日の愛さんはかなり積極的だった。
夕方頃にうちに来て、晩御飯を俺が振舞ったあとに俺の部屋で少し話した頃、愛さんが急に俺に抱きついてきたのだ。
俺と愛さんは互いの名前を囁きながら、息継ぎのために唇を放す。
そして愛さんはキスのさい閉じていた瞼を開き、トロンとした惚けた瞳で俺を甘く見つめる。
「今日は、大丈夫なのか?」
多分誰も来ないのかという確認なんだろう。
「うん、今日は絶対に誰も来ないはず・・・・・・姉ちゃんももう多分朝まで起きないと思うし」
片瀬さんやマキさんは今日一度来たし、この時間に来ないのだったらもう明日まで来ないだろう。
乾さんも今日は用事があるって前から言ってたし、姉ちゃんも二日酔いに耐え兼ねてもう寝た。
クラスメートもまさかこんな時間に来るとは思えないし、詰まるところこれから俺は愛さんとイチャイチャできるはず。
俺は手慣れた感じで愛さんのブラウスを脱がせる。
するとその下から見たことのない下着が目に入った。
「下着、新しいのだね」
「あ、あぁ。どうだ? 変じゃないかな?」
「変なわけがないよ、凄く似合ってて・・・・・・いやらしい」
普段の愛さんなら着けないタイプの下着だ。
もしかしてと思い俺は続けて愛さんのジーンズもゆっくりと下ろす。
その下にあるものを見て驚いた。
「う、ちょっとキツイか?」
「いや、想像以上にエロい」
何というか、もうスケスケだった。
上品なレースや模様が入った黒い下着。
だがやたらと透けている。
明らかにセックスアピールを意識しているレベルのものだ。
「あんまり見んな、その・・・・・・恥ずかしい」
恥ずかしがって手で局部と胸を隠す愛さん。
その仕草も今つけている下着のせいで無性に色っぽく見える。
この下着が前に乾さんや片瀬さんと買い物した時に買ったやつだろう。
どうみても乾さんがチョイスしたことがわかる。
乾さん、グッジョブ。
「愛さん、照れちゃ駄目だよ。
こんなに似合っていて、綺麗で、それでいて淫らな愛さんの姿を俺は目に焼き付けたい」
「淫らって・・・・・・うぅ、もうこんな下着買うんじゃなかったぁ~」
いやいや、素晴らしいじゃないか。
いつも清純そうなのを好んで穿いているぶん余計に今日のはエロく見える。
まさに普段のギャップ効果だ。
是非とも今後ともよろしくしたい。
「そんな照れている愛さんも可愛いよ。でもそのままじゃ何もできない。
ほら、手を動かして?」
「あう、うん」
覚悟を決めたらしい愛さん。
ゆっくりと腕をどけて、あとは俺に委ねるようにベッドに腰掛ける。
その俺以外に絶対見せない余りの無防備さに俺は嬉しさを覚える。
ゆっくりと、愛さんの肩を押してベッドに寝かせる。
俺は彼女の上に覆いかぶさり、完全に上から押し倒す体勢だ。
「大・・・・・・」
潤んだ瞳で俺を見つめる。
愛さんは何だかんだでセックスが好きだったりする。
勿論俺以外にはそんな事を許す筈もない。
だが、一度心を開いてくれればどこまでも俺を大切に思ってくれる。
だからこそか、愛さんと俺が二人きりになれば互いに愛し合って性欲も旺盛なためそういう空気になりやすい。
今日だって愛さんはどうやらこういう行為を期待してウチに来た感じらしい。
俺は優しく、ブラに包まれた胸に手を置く。
「ん・・・・・・」
僅かに反応する。
相変わらず感度が高い人だ。
実に前戯のしがいがある。
「大、もっと強く。直接でもいいから触って欲しい」
愛さんはじれったく感じたのか、催促をしてきた。
見れば足も最初は閉じていたのに、今では僅かだが開きつつある。
感度の高いせいか既に愛さんのパンツも汗ではないもので僅かに濡れている気すらする。
上だけでなくもう下の方も指を這わそうか。
「大ぃ、はやく。切ないんだ・・・・・・」
焦れったさにたまらなくなったのだろう。
腰をくねくねと揺らし、はやく気持ちよくして欲しいとおねだりをしてくる。
「わかった、それじゃあ」
そう言って俺の手を愛さんのパンツに入れようとした時――――――
「ダイー、今日もさみぃから押入れ借りるわ―――――げ」
「な、うわ!」
「・・・・・・あちゃー」
突如窓から入ってきたマキさんに俺たちの空気はぶち壊された。
ただ、マキさんの反応を考えるに今回は完全に本人も悪気なかったのだろう。
なら仕方ないけれど許せる。
「み、見るな! あわわあわっわわわわジーンズ、ジーンズどこ!?」
可哀想に、ライバルに一番無防備かつ恥ずかしい所を見られたのだ。
目をグルグルにしてもう慌てに慌てて愛さんは下着姿で俺が脱がしたジーンズを探す。
「これか?」
「お、おう」
マキさんも少しバツの悪そうな顔をしながら素直に愛さんにジーンズを手渡しした。
愛さんも怒りより羞恥心の方が勝っているらしく喧嘩を売るよりも急いでジーンズを履く。
そしてつづいてブラウスも来てようやく互いに状況を冷静に把握しだす。
「ごめん愛さん。俺がいい加減な事を言ったばかりに」
素直に俺から謝る。
今回一番悪いのはマキさんや愛さんでは決してなく、確証もないのに曖昧な判断だけで誰もこないと言った俺の迂闊さにある。
大体マキさんに来て欲しくないタイミングがあるなら窓の鍵を閉めておけばそれで問題なかったのだ。
そうすればマキさんだって窓を破壊してまで俺の部屋にはこないし、ちゃんとインターホンを鳴らしてくれる。
それすらしなかった自分を責める。
「いやいや、流石に今回は私が悪いだろ。悪かったな、ダイ」
俺が謝ったからだろう。
マキさんも珍しく俺に謝った。
「いや、でもちゃんと鍵かけなかった俺が一番悪いですし」
「いやいや、だったらノックすらせず入った私のほうが・・・・・・」
なんなんだろう今日のマキさんは。
異常に物分りというか常識的な対応だ。
マキさんらしくない。
「腰越、もういいからここから出て行ってくれよ」
愛さんが凄く火照った顔でマキさんに言う。
多分まだスイッチが入ったままなのだろう。
どう見てもこのままマキさんが帰ったら仕切り直しになる。
そんな愛さんをマキさんは少し渋い顔で見る。
普段のマキさんなら断るところだろうけど。
「やだ。お前とダイがそういう事するのはなんだかムカつく。
だからヤダ」
「な、なんだと」
子供みたいな言い分で愛さんの頼みをぶったぎった。
「ダイー、そんなことより今日はもう寝ようぜ。
ほら私の抱き枕になる権利やるから」
「うぷっ、ちょマキさん」
思い切り正面から抱きしめられてベッドに押し倒された。
そのまま頭をマキさんの豊かな胸に潰されて息ができない。
「腰越! 大から離れやがれ!」
「やなこった、悔しけりゃ奪い返してみろ」
「んだとこのやろう!」
喧嘩が始まったらしい寝っ転がるマキさんが抱きしめる俺を奪い返そうと愛さんが俺の背中を掴む。
そして引っ張ろうとするも、筋力では僅かに愛さんが劣っているのか俺を奪い返すには至らない。
「ぐ、くそ」
「はは、諦めろ。今日は大人しくねりゃいいんだよ」
そう言ってマキさんは目を閉じる。
まじでこのまま寝る気らしい。
俺は何か言おうにも胸に顔を挟まれてまともな事を喋れない。
愛さんもそんなマキさんに途方にくれたのだろう。
しばらく呆然と立ち尽くす。
だが時間が経って答えを出したらしい。
「腰越と大を二人にして帰れるかクソ。あ、アタシも一緒に寝るからな! いいな!」
「はいはい、勝手にしろよ」
マキさんは愛さんを拒否する事もせず、ただただ寝転がった。
愛さんはというと、俺をマキさんから引き剥がす事を諦めたらしく、それでも一緒に居させることを嫌がっている。
だからか、愛さんはマキさんの体を横にずらし、俺の背中を抱きしめた。
つまり前をマキさん、後ろを愛さんに抱きしめられるポジション。
なんだこれ、天国か。
「う~、やっぱ腰越お前後ろのほうに行くか消えろ。アタシが大を正面から抱いて寝たい」
「うっせぇな。さっさと寝ろよ」
酸欠で薄れゆく意識の中、地味に仲の良さそうな声が耳に残った。