辻堂さんの冬休み   作:ららばい

20 / 36
20話:アットホームな奴ら

「ででんでんででん、ででんでんででん!」

 

乾梓は現在、長谷大宅にて一人でいた。

 

大のベッドに腰掛けてご機嫌な様子で足をプラプラさせながら鼻歌を唄う。

何やら未来からアイルビーバックしてきそうなメロディだ。

 

何故彼女が一人でここにいるのか。

それはある理由があった。

 

本日は一月の二十二日。

平日の火曜日なのだが、つまりただの平日なのだが

梓は授業どころか学校自体を休んでいた。

 

相応の理由はある。

 

「へっくし! うぅ、ティッシュティッシュ」

 

風邪を引いたのだ。

最近流行っているインフルエンザやノロウィルスというほど厄介なものではなく

ただの不摂生が祟って感染した一般的な風邪だ。

 

今梓に出ている症状としては鼻詰まり、発熱、喉の痛みなどだろうか。

因みにこの風邪は既に二日目である。

 

「もうお昼時っすかぁ」

 

先日、風邪を引いて一人で自分の部屋にいたのだが

病気をひいた時の特有の心細さに襲われた梓は僅かに遠慮しながらも大に電話した。

別に電話自体に内容はなかった。

ただ単に人の声を聴きたかったのだ。

 

だが世話焼きな大は梓を心配し、一人にするのも可哀想なのでこっちに招待した。

一応現在は大も冴子も学園にいるが、その日の朝は大と冴子が直々に車で迎えに来て長谷家に連行された。

そのまま両腕と両足がある程度完治して、ギプスをとった大が栄養たっぷりの雑炊を作り置きしている。

 

冷蔵庫にもポクエリアスといった風邪や熱を出している時に吸収効率の良い飲み物がたくさんだ。

前日に大と冴子がコンビニで買い置きしておいたらしい。

 

余りの長谷家の優しさに梓は逆に困るくらいだった。

まさか看病を催促したつもりなどはない。

 

「・・・・・・せめて掃除くらいしといたほうがいいかな」

 

その為僅かに居心地の悪いものはある。

けれどそれ以上に大や冴子が自分を気にしていてくれる現状が嬉しかった。

ただ、それでも恩は恩だ。

何かで返したい。

 

取り敢えずまだキッチンの鍋に残っている雑炊を食べて、その後恩返しに家事でもしておこうかと梓は腰を上げた。

 

 

 

 

 

 

 

「何で皆殺しセンパイがここにいるんっすか」

「だって暇だもん」

 

ふらつく足取りで階段を下りて、リビングに向かったらそこには既に腰越マキの姿があった。

まるで家主のように普段は大が座っているチェアに腰掛けるその姿はふてぶてしい。

 

「それに今日はダイに頼まれてここにいるんだ」

「何を頼まれたのか聞かせてほしいっす」

 

確かマキは前の日曜日にセンター試験があったはず。

そして学校自体は既に来ても来なくてもいい自習日程になっているためマキは時間を持て余していた。

とはいえ大学の本試験はまだなため、勉強はしなくてはならないのだが。

 

「お前の面倒見るように頼まれたんだよ。

 感謝しろ、この私が手厚く看病してやる」

「うわああぁぁぁぁぁああ! あんまりだぁぁぁぁああ!!」

 

一瞬で絶望する梓。

 

「はっ? まさか!?」

 

嫌な予感がして慌ててキッチンに向かう。

そして祈りながらそこにある鍋の蓋を取ると

 

「にゃー!? やっぱりない!?」

 

大が自分のために作ってくれた愛情たっぷりな雑炊はすっからかんだった。

まだ一口も食べてないのに。

 

「それ美味かったぜ。今度またダイに作ってもらおっと」

「これはあずのだったんですよ!

 なに全部食べてくれやがるんっすか!」

「うっせぇなぁ。別に良いだろ食欲ないみたいだし」

 

そりゃあ風邪をひいているからあまりものを食べたいとは思わない。

思わないけれどこれは酷過ぎだった。

梓は余りの不条理さに鍋を抱えて泣いた。

 

それを見たマキは少し申し訳なさそうにする。

 

「悪かったよ、私が別の作ってやるから泣くなって」

「お断りします、皆殺しセンパイがまともなの作れるとは思えないっす」

「失礼な奴だな君は」

 

とはいえ悪いことをした自覚はある。

そのためマキは梓の失言を聞き流しながら長谷家のキッチンを確認した。

 

「お、道具一式あるじゃん。なんか見たことない調理器具も沢山あるし

 このウチすげぇな」

 

棚を見れば何に使うのかわからない道具も沢山ある。

それらは無視し、マキは目的の調理器具を取り出した。

 

「伸ばし棒なんて取り出して何作るんですか?」

「病人でも食えるものだよ。少し時間かかるからお前は寝てろ。

 完成したら持って行ってやる」

 

そう言ってマキはしっしと手をヒラヒラさせて梓に出て行くように促した。

梓も少し嫌な予感がするものの言われた通りにリビングをあとにする。

二階から一階に降りるだけで結構疲れる。

一階から二階にあがれば更に疲れるだろう。

 

大の部屋に戻った梓は倒れるようにベッドに転がり込んだ。

 

「あふぅ、だるいっすぅ」

 

明らかに体力が落ちている。

一度ベッドに倒れたら何やら眠気まで出てきた。

 

「ん~・・・・・・長谷センパイの匂い~・・・・・・」

 

何やらゆっくりと意識も遠くなってきた。

そのまま梓はその眠気に逆らわず、瞼を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

熱い。

全身から気持ち悪い汗が出ているのがわかる。

 

寝付いたものの少ししたらゾクゾクとした寒気と、寒いのに止まらない汗が出だした。

この眠いのに最悪の寝心地が風邪の特徴だ。

 

余りの気分の悪さにゆっくりと瞼が開く。

そのまま半分寝ている頭で周りを見渡す。

 

「まだセンパイは帰ってないか」

 

目が覚めた時に近くに誰もいないのは慣れている。

元々自分の家族とは仲が悪いためむしろ一人の方が心地良い。

けれど今は違った。

無性に人が恋しい。

 

得体の知れない焦燥感に駆られて起き上がると自分の額から何か落ちた。

 

「濡れタオル?」

 

手にとってみるとひんやりとして気持ち良い。

どうやら交換したばかりなのだろう、まだ温くなっていない。

 

だれがこれを置いてくれたのか。

答えは簡単だ、マキしかいない。

 

まさか彼女がそんな事を自分にしてくれるとは思わなかった。

何やら温かい感情を抱く。

 

その時、不意に大の部屋の扉が開いた。

勿論あけたのはマキだ。

氷を入れた桶を持って入ってきたマキは起きている梓を確認する。

 

「やっと起きたか、メシできてんぞ。温め直してくるからちょっと待ってろ」

 

そう言ってマキは桶を床に置いたあと再び階段を降りていった。

そして数分後、マキは再び大の部屋に戻ってきた。

 

何を作ってきたのか梓は疑問げにマキの持ってきたトレーを見る。

 

「うどんっすか」

「ああ、味は保証するから冷める前にさっさと食え」

 

意外だった。

もっと地獄の釜みたいなものがでるのかと危惧していたのだが

蓋を開けてみればそこには鰹ダシの香りがする美味しそうなうどん。

ごくりと生唾を飲む。

 

遠慮する理由はない。

これは自分のために作ってくれたものだ。

梓は意を決して割り箸を片手に丼を掴む。

 

そのままやたらとコシのある麺を掴み取り、ゆっくりと口の中に運んで味わうように噛む。

口の中では濃厚なダシの効いた汁の味と冷凍麺では出せない反発力のある麺の感触があった。

 

「美味しい・・・・・・」

 

無意識に出た言葉だった。

 

「当然だ、汁はもとより麺まで手打ちだからな」

「え、麺までっすか?」

「ああ、私の数少ない得意料理だからな」

 

梓の感想に気分を良くしたマキは大にしか見せたことのないような笑顔で答える。

以前にマキは大にうどんを作ったことがある。

だがその時は麺を湯がく際に塩を入れ忘れ凄まじいコシのある麺となった。

まるでゾウの尻のような。

 

「まさか皆殺しセンパイに料理作ってもらえる日が来るなんて思ってもみなかったっす」

 

呟く梓。

確かに冬休みのあいだでは二度もマキに病院送りにされたし、それ以前でもやはり江乃死魔にいたため敵対し続けていた。

もっともマキは梓の事など眼中にもなかったが。

 

「今日だってダイの頼みじゃなかったらお前の面倒なんて見ないっての。

 余計な事喋ってないでさっさと食ってさっさと寝ろ」

 

相変わらず大以外にはそっけないマキである。

以前までの梓ならそのマキの態度に僅かながら苛立ちを感じていた梓だが、今日は少し違った。

何というか、飼い主以外には絶対になつかない猛獣を見ている感じだ。

 

普段はおとなしいが、少しでも怒らせれば手がつけれないほど恐ろしいベヒーモスみたいな獣だが、

飼い主にだけは我侭な事はするものの絶対に噛み付かないし、言うこともある程度聞いてくれるような。

 

そんな風にマキを見てしまった梓は苦笑する。

 

「これまじでウマイっすね」

「気に入ったのならおかわりしていいぜ、久々に張り切ったら作りすぎたし」

「因みにどれくらい作ったんですか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「作りすぎでしょ」

「だよなぁ」

 

何で帰ってきたらこんなにうどんの麺が山盛りになってるんだ。

これざるうどんにしても5人前はあるぞ。

 

「マキさん食べないの?」

 

普段ならどんなに作りすぎようと、

このそれ程大きくもない体のどこに入っているのか不思議なほど美味しく頂いてくれるのだが。

今回はそうではなかった。

 

「あー、自分で作ったメシってあんまり美味しく感じないんだよな」

「ちょっとわかるかも」

 

自分で作った食事はどうも同じ料理でも食べた印象が違う。

悪い所を探しながら食べているとでもいうのだろうか、素直に美味しく食べれない時がある。

それに作っている間に食材の香りやらでお腹が膨れた気になるというのもあるかもしれない。

 

マキさんも今回はそうなのだろう。

 

「所で乾さんはどう? やっぱり長引きそうな風邪かな」

「いや、あれは今夜あたり高熱出して明日の昼にはスッキリ治ってるパターンの奴だ。

 メシ食ってよく寝てりゃすぐ治るんじゃね」

「流石マキさん、こういう病気とかにもなんとなく詳しい気がしてたんだ」

 

別にマキさんが病気に詳しいとは思っていない。

ただ、シンプルに悪い病気かどうかを判断するのに限っては

野生の直感みたいなのを持ってるマキさんほど信用できる人はいない。

 

「受験生に病人の看病させるってどういう神経してんだよお前」

 

その点は本当に悪いと思っている。

ただ、こんな恐ろしく寒い湘南で野宿とかで普通に過ごせてる人だからなぁ。

風邪もひいたことないって言ってたし。

もしこれで風邪ひかせたのなら死んで詫びる覚悟もある。

 

「そういえばさ、まだ聞いてなかったけどセンター試験の方はどうだったの?」

 

マキさんが俺の志望している大学を受験すると聞いてから凄い気になっていた。

 

「あー、思ったよりは出来たんじゃねえの」

「随分他人事みたいですね」

「うっせぇな。じゃあ結構いい点ですよって言えば満足なのかよ」

 

俺の食い付きが鬱陶しかったらしい。

少し苦い顔をして吐き捨てるマキさん。

だが俺はその言葉を聞いて飛び上がりそうなほど嬉しかった。

 

「大満足ですね。さあ今からお祝いの準備しないと」

「はぁ? お祝いって何だよ」

「何って、そりゃマキさんがセンター通ったんだよ?

 お祝いするに決まってるでしょ常識的に考えてくださいよ」

 

学校も終わって、後で指示されているリハビリもしないといけない。

ただこのリハビリが結構きつく、したその日は一日中体が動かなくなる。

実際に俺の筋力は衰えきっており、ただ歩くだけでもしんどい。

腕だって前にならえの姿勢をとると全然持たない。

 

だからこそ一日の間にどこで体力を使うか、その配分が重要である。

 

そして今日の配分はマキさんのお祝いと乾さんの看病だ。

乾さんは既に明日も休みを取っているらしく、俺も同じように明日は姉ちゃんに頼んで休ませてもらうようにした。

こういう時に姉が教員で助かる。

 

「バカかお前、まだ本試験通ってないのにお祝いなんてしてどうすんだよ」

「おっしゃるとおりだね。じゃあ言い方を変えようか。

 マキさんがセンター通って嬉しい俺は今日の晩御飯を奮発したい」

 

そう言って帰り道に買ってきたモノを取り出す。

 

「今日はこの分厚くてお高い肉でステーキを焼こう。

 マキさんも一緒に食べます?」

「食べる! 是非とも盛大に祝ってくれ!」

 

肉を見た途端大喜びするマキさん。

うん、奮発したかいがあったというものだ。

 

マキさんはしばらくニコニコとしていたが、不意に表情を変える。

その顔は恥ずかしいような、けれど嬉しそうなものだった。

 

「なんっつーか、私の受験なのにお前が一喜一憂するなんてさ。

 まるでダイが私の家族みたいだな」

 

確かに、姉ちゃんも俺が受験合格したときは今の俺みたいに本人以上に喜んでいた気がする。

 

―――――家族?

 

そのフレーズが異様に引っかかった。

何か大切なことを忘れているような。

所々昔何かあったような、寺にいた頃の記憶が僅かにフラッシュバックする。

 

けれど思い出そうとしてもまるでサルベージできない。

 

「ダイ、何してんだ。はやくメシにしようぜ」

「あ、はい」

 

結局考えてもまるで思い出せない。

仕方なく俺はその記憶の掘り出しを中断し、釈然としない頭で晩御飯の用意に取り掛かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うえぇー・・・・・・風邪ひいてる時に焼いた肉の匂いってキツイっすぅー・・・・・・」

「俺はうどんしか食ってない」

「モギュモギュウマー!」

 

時刻は6時。

少々早いが晩飯をすることになった。

 

姉ちゃんは愛さんのお母さんと飲みに行ったらしい。

 

「うっぷ、ちょっと吐き気が」

「おわああああ! ちょっと桶持ってくるから持ちこたえて!」

 

女の子の吐瀉物なんて姉ので見慣れているが、流石に見たいものではない。

箸を放り捨てて慌てて風呂桶を持ってくる。

 

だが戻ってきた頃には吐き気も収まったらしい、

乾さんが少し苦しそうな顔をしながらテーブルに突っ伏していた。

 

「おかわり!」

「あ、はい」

 

念の為に少し多めに肉を買っておいてよかった、

俺はうどんの処理で忙しいため余るかと思ったがむしろ食べてくれて助かる。

因みにうどんも凄く美味しいし、むしろ俺としてはステーキより好みの味だ。

ただ、病気の乾さんはそうはいかなかったようで

 

「お前食わねえのソレ」

「はい、とてもじゃないっすけど肉なんて食う気になれないっす・・・・・・

 よければ代わりに食べてもらえます?」

「マジか! お前いい奴だな!」

 

なにげに餌付けしている乾さん。

マキさんもたらふく肉が食えて嬉しそうだ。

 

「マキさん、俺のも食べます?」

「たべるたべるー!」

「長谷センパイここで何かかっこいいことを」

「飢えた犬は肉しか信じないbyチェーホフ」

 

いや、適当に言ったもののかなり無茶振りだろこれ。

 

「でも飼い犬は違いますよね、

 よくニュースとかでも飼い主を飢え死にするまで待ち続けるのとかありますし」

「そうだね、ていうか吐き気はどうしたのさ」

 

見ればケロッとした顔でお茶を啜っている。

さっきまで青い顔をしていたのが嘘みたいだ。

しかし俺のその言葉を聞いたとたん再び眉を寄せた。

 

「う、思い出したらぶり返してきた・・・・・・トイレ借ります」

「どうぞ」

 

そのままよたよたと歩いてトイレまで向かっていった。

心配になったので俺もついていくことにする。

 

だが乾さんは後ろに続く俺をみて困ったような顔をした。

 

「長谷センパイ、自分センパイに裸は見られても良いっすけど吐いてるところ見られるのはちょっと・・・・・・」

 

確かに、彼女も年頃の女の子だ。

そりゃ吐いてるところなんて見られたくはないだろう。

 

「ゴメン、無神経だったね」

「いえ、お気持ちは嬉しいっす」

 

軽く頭を下げたあと俺は踵を返してリビングへ戻った。

乾さんもその足でトイレに向かったのだろう。

 

数分後、女の子が出す声じゃないエグい音がトイレから大音量で流れた。

うん、吐いてる時の声なんて男女の差ないよね。

 

「モグモグウマー!」

「この音聞いても食欲失せないマキさんはすごいよ」

 

俺はもううどんすら食う気がしない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハァ、ハァ・・・・・・うぅん」

 

その夜。いや、日を跨いで深夜か。

時刻は深夜三時、乾さんの熱が一気に上がった。

 

よくある寝たあとに急に発熱するタイプだったのだろう。

 

「うぅ、熱いっすぅ・・・・・・」

「今タオル変えるからね」

 

額に汗をにじませている乾さん。

俺はそれを体温でぬるくなったタオルで拭いたあと、再び氷水に浸けて冷やす。

完全にタオルが冷え切ったのを確認して再び額においた。

それで幾分か気持ちよさそうな顔をする。

 

やはり今日無理にでも乾さんをウチに招待しておいてよかった。

熱も39度以上あるし、こんな状態で一人にしておくのは気がかりすぎる。

 

「う、うぅん」

 

額だけ冷やしてもまだ熱いのだろう。

氷水を触りすぎて濡れタオル以上に冷えている俺の手を彼女の頬に当てる。

 

「すぐには下がらないか」

 

触ってみればすごく熱い。

熱発しているだけあってこっちの手の体温の方が先に上がる勢いだ。

 

「・・・・・・センパイの手、気持ちいいっす」

「ごめん、起きちゃったか」

 

虚ろな目でこちらを見る乾さん。

半分まだ寝ているのだろう、目にいつもの強い意志力を感じない。

 

俺は子供をあやす様に彼女の頭を撫でたあと、

今彼女の額に置いてあるぬるくなったタオルと予め氷水に浸けておいたタオルを再び交換した。

そのタオルの冷たさを感じて心地よさそうに表情を柔らかくする乾さん。

 

「センパイ、ごめんなさい。こんな迷惑かけて」

「謝ることはないよ。誰だって熱は出すものなんだから」

 

病気になって弱気になっているのだろう。

その弱々しい言葉に俺は少しでも元気が出るような答えを返す。

乾さんも幾分か嬉しそうな顔を見せてくれた。

 

「センパイの手がすごく冷たい気がしますけど、これってあずの体温が高いからっすかね」

「うん。そうだね、熱出してる時は平熱の人の手ですら冷たく感じるものだよ」

 

嘘を付く。

実際俺の手は完全に冷たくなっている。

そりゃ氷水なんかに手を浸してたら体温なんて失われるさ。

だがそんな事を乾さんに伝える必要はない。

 

彼女は今俺の事よりも自分のことだけを心配していればいいのだ。

 

「嘘が下手っすよ、センパイ」

 

少し悲しそうな顔をする。

やはりばれたか。

 

「手が冷えたのならあずの額に手を置いて温めてください。

 こっちは気持ちいいし、センパイも温まりますし」

「はは、それはいいね」

 

お言葉に甘えて彼女の額のタオルを水桶に入れて代わりに手を置く。

 

「あふぅ、タオルよりこっちの方が気持いっす」

「それじゃあ俺の手が冷たい間はこうしておこうか」

「はい、お願いします」

 

そう言って乾さんは再び瞼を閉じた。

どうやら気が休まって眠気が増したらしい。

俺ももう少しで寝つきそうな彼女にはもう話しかけない。

 

それからしばらく経って、乾さんの落ち着いた寝息だけが聞こえる。

さっき起きる前までの寝息よりは若干整った感じだ。

少しは楽になったのだろう。

 

「随分そいつ気にしてるんだな」

 

俺が熱くなった手をのけて濡れタオルをおいたとき、ずっとここで勉強していたマキさんが呟く。

どうやら区切りがいいところまで進んだのだろう。

マキさんが勉強をしているところを初めて見たが、凄い集中力だった。

だから一度も声をかけなかったのだが、

 

「乾さんは俺にとって大切な人だからね。

 こういう時こそ力になってあげたいんだ」

「相変わらず他人にとって都合のいい奴だなお前は」

「乾さんは他人じゃありません」

 

俺は別に誰にでもこんなおせっかいをするわけではない。

そりゃ求められれば力になってあげたいが、それでも俺が押し売りのおせっかいをするのは一部の人だけだ。

 

見れば乾さんはやはり苦しげに荒い呼吸をしている。

こんな姿の彼女を見て放置しておくなど俺にとって有り得ない事だ。

 

「じゃあ聞くけどお前にとって乾はどんな存在なんだ。

 聞けば随分お前は乾との関係を曖昧にさせてんじゃねーか」

 

答えにくい、いや、あまり触れて欲しくなった話題に踏み込んできた。

 

「こいつがお前に好意を寄せて、どれだけ好きだといってもお前は頷かない。

 かといって完全に突き放すわけでもない、

 そんな曖昧な態度でこいつがどうも思ってないと思ってんのかよ」

 

思っているわけがない。

俺のこの優柔不断な態度がどれだけ愛さんや乾さんを傷つけているか、

知らないわけがない。

 

「俺は乾さんの事好きですよ。

 もし愛さんと付き合っていなければそれこそ俺の方から愛の告白をしているくらいに」

「でも現実にダイは辻堂と付き合っている」

 

そうだ。

だからこそ彼女の気持ちに応える事はできない。

 

「マキさん、人を大切にするにはその人と付き合っていないといけないんですか?」

 

そんなはずはないだろう。

人が人に親切にする理由はそんなシンプルなものじゃない。

 

「俺にとって乾さんは家族なんです。

 彼女が苦しんでいるなら俺は何だってしてあげたい、

 その気持ちは付き合っていないと抱いてはいけない気持ちなんですか」

 

乾さんとの関係はきっといつかはっきりさせなければならない時がくるだろう。

それが原因で愛さんや乾さんとの関係に亀裂が入る可能性もあるかもしれない。

けれど今ここでそれを気にする必要はない。

 

今の俺にとって一番考えなければならない事は乾さんの看病だけだ。

 

「家族、か」

 

マキさんは俺の言葉に何か思うことがあるのだろう。

言い返してきたりはせず、ただ意味深げにつぶやいただけだった。

 

「そうだな、家族なら仕方ないか」

 

まただ、また何か引っかかるものを感じる。

 

何なんだ。

マキさんが家族と言う言葉をいうだけで何故か異様に胸がざわつく。

 

「マキさん。俺達って昔どこかであったことあります?」

 

ずっと気になっていたことだ。

最初の頃はマキさんとは夏に初めて交流をもったものと思っていた。

だが最近になって、その考えが本当なのか疑問に感じ始めた。

 

「どうしてそう思う?」

 

マキさんは否定も肯定もせずただ憮然とした態度で質問を返してきた。

 

「いえ、マキさんと一緒にいると時々なにかフラッシュバックするんですよ。

 それがなんなのかわからないんですけど」

 

何か昔のシーンが一瞬見えて、けれど一瞬で記憶から消える。

何か思い出しそうなのにそれでも記憶のサルベージが成功しないもどかしさ。

 

「・・・・・・完全に忘れてるわけじゃないのな」

「何か言いました?」

「いや、何も言ってねぇよ」

 

そうは言うものの今確かに口が動いていた。

だがそれを詮索する厚かましさは俺にはない。

 

「お前の質問だけど、それはお前自身が考えろ。

 勘違いだろうが本当だろうが自分なりのやり方で思い出せ」

 

確かに、昔会っていたとして今まで忘れていたのならそれはマキさんに対して凄い失礼をしたことになる。

だからこそ本当に会っていたかどうかは俺自身が答えをだしてこその礼儀だろう。

合っていないのならそれでいい。

もし合っていたのだとしたら俺は―――――

 

「あ、うぅ。熱いっすぅ・・・・・・」

「ん、今タオル変えるからね」

 

苦しそうな息を吐く乾さんの声で慌てて我に返る。

そうだ、今重要なのは昔のことじゃない。

今目の前にいる彼女だ。

 

俺は結局次に彼女が目覚めるまで。

朝八時頃まで黙々と彼女のタオルを変えたり汗を拭い続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん、うぅん・・・・・・」

 

唐突に目が覚める。

途中一度目が覚めたがセンパイと少し話しただけで再び寝た記憶がある。

 

「うあ、汗でビショビショっす」

 

ベッドから上半身だけ起こすと汗で濡れたパジャマの気持ち悪さを最初に感じた。

これほどびしょびしょになるくらいだから相当の汗をかいたのだろう。

 

しかし、目が覚めた今は別にそんな汗をかくほど体温が高くない気はする。

少し頭がまだふらつくものの、体調自体は寝る前よりむしろ良かった。

どうやら高熱が出た分病原菌もそこで死滅しまくったみたいだ。

 

そういえば、今起き上がった際に何か自分の額から落ちた気がする。

何だろうと自分の膝上を見てみるとそこにはタオルがあった。

それを触ってみるとひんやりと冷たくて気持ちがいい。

 

室温や自分の体温にもなっていないあたり先ほど交換したばかりのものらしい。

 

誰が交換してくれたのか。

考えるまでもない。センパイしかいない。

途中起きた時にうろ覚えではあるもののセンパイが自分の手やタオルであずの頭を冷やしていてくれていた。

 

「ん、起きたのか」

「何で押入れから出てくるんですか」

 

センパイの姿を探していたらクローゼットの中から皆殺しセンパイが出てきた。

今まで気づかなかったけどどうやら長谷センパイは皆殺しセンパイ用に押入れを改造しているらしい。

某金曜日事に新しいオーパーツを惜しげもなく現代にもたらす害獣の寝床みたいになってる。

 

一段目に物を入れて二段目はフカフカの布団と枕という明らかに寝る目的の仕様だ。

 

「ここって夏は冷房直撃で寒いんだけど、冬は暖房がやっぱ直撃で蒸し暑いくらいなんだよな。

 まぁ外で寝るより百倍快適なんだけどさ」

 

この家出少女は時々こうやって長谷センパイの家に泊まっていることは有名な話だ。

だがまさか押入れで寝てるとは思わなかった。

てっきりセンパイと同じベッドで寝ているものかと

 

「やっぱダイと一緒に寝るのが一番寝心地いいや。

 次からそうしよ」

 

同じベッドで寝てたんかい。

・・・・・・何とかして始末できないかなこの人。

 

「所で長谷センパイは?」

 

恐らくリビングに行っているのだろうけど、そこで何をしているのかまではわからない。

 

「お前が起きる直前にタオル変えてメシ作りに行ったよ」

 

目が覚めた時にセンパイの姿が見えなかったのは寂しいものがあった。

だがまぁ皆殺しセンパイがいたため人恋しさは前日ほどではない。

 

ふと、皆殺しセンパイがあずの顔をジロジロと見つめる。

 

「ふーん、大体治ったみたいじゃん。

 ダイに礼言っとけよ、アイツお前の面倒みてて一日中起きてたんだから」

 

その言葉に驚きはない。

きっとお節介焼きで優しいセンパイならそのくらいするだろう。

その事実は想像できていたことだが、やはり実際にそれを知ると胸が温かくなる。

 

こうしてはいられないと慌ててベッドから降りる。

しかし少し張り切りすぎたせいか、立ち上がった瞬間立ち眩みがした。

 

「おっと危ねぇな、気をつけろ」

「あ、アザっす」

 

意外なことに倒れ込みそうになった自分を慌てたように押入れから一瞬でこちらに来て支えてくれた。

 

「もしかして皆殺しセンパイあずの事心配してくれました?」

「あぁ?」

 

自分のその問いに少しカチンときたらしい、若干顔つきが怖くなる。

だがまさか病気の自分に本気でキレたりしないだろう。

 

その予測は当たったらしく、皆殺しセンパイは一瞬目を瞑りため息をつく。

 

「図に乗んな」

「痛いっす」

 

とてつもない痛さのチョップを額にくらった。

勿論本人は軽くツッコミ程度でしたのだろうけど如何せん素の馬力が違う。

ツッコミすら常人のレベルではない。

 

これ以上この人に関わっていたらまた入院させられそうだ。

余計なことは言わずにさっさと下に降りる事にする。

 

「それじゃあ自分行きますね」

「ああ、私はまだ眠いから二度寝するってダイに言っといてくれ」

「了解っす」

 

まだ痛む額を撫でながら愛しのセンパイの元へ向かった。

だが、扉を開ける際に後ろから視線を感じて振り向くと皆殺しセンパイが押し入れに戻らず

少し考えるようにこちらを見ていた。

 

無視してもよかったのだが、けれどやはり気になった。

 

「なんすか?」

 

少し強めの語気で聞く。

そうじゃないとはぐらかされそうだからだ。

 

だが皆殺しセンパイは何か聞きづらいことがあるらしく、

少し口を開けば何も言わずまた閉じるを数回繰り返す。

けどそれも数回で、途中覚悟を決めたようにようやく話しだした。

 

「お前さ、ダイの事どういう風に思ってんの?」

 

一瞬その質問の意味を理解出来なかった。

自分が長谷センパイを好いているのは周知の事実だろう。

まさか彼女が知らないとは思えないのだけれども。

 

「私から見ればダイのお前を見る目は女を見るモノじゃない。

 どっちかって言うと・・・・・・そうだな、妹とかそういうのを見る目だ」

 

そういう事か。

言ってくれてようやく理解した。

 

「知ってますよそんなの。

 センパイは明らかに自分を家族とかそういうポジションの扱いしてます」

 

無条件、一切の見返りを求めない優しさをくれ、甘えればいつだってそれを許してくれる。

我侭をいったって、子供のような癇癪を起こしたって絶対にあずを嫌いになったりも見捨てたりもせず

ただただ言葉を聞いてくれて真摯にその答えを返してくれる。

 

それでいて自分を女としてそれ程意識していない。

 

「だからどうだっていうんすか?」

 

そんなのは些細な事だ。

 

「相手があずをどう思うかなんて、そんなのはどうでもいいっす。

 あずが長谷センパイを好いてるんです」

 

辻堂センパイと喧嘩した時にそんな悩みは解決している。

自分は自分のしたいようにして生きる。

だから長谷センパイに迷惑がかかってもセンパイにアピールすることはやめない。

自分の感情に素直になる事を選んだのだから。

 

「ただ、やりすぎて長谷センパイに嫌われたらそれこそ本末転倒ですけどね。

 でもまぁ長谷センパイはもうあずの事嫌いになるなんて余程の事をしないとなさそうっすけど」

 

それこそまたカツアゲやらをしなければだろう。

 

「自分の席がないのなら自分で作ればいい、場合によっては既に座っている奴を蹴り出すことも考えます。

 皆殺しセンパイはそうしないんっすか?」

 

自分にとって汚い手段であろうが目標を達成するにはそれは必要な手段だ。

勿論それをして長谷センパイに迷惑がかかるのならそれは愚策。

行動するに値しないものになる。

 

「・・・・・・何だろうな、ヤンキー結構長い間やってたつもりだけど

 お前の方がヤンキーっぽい気がしてきたよ」

「それは褒め言葉として受け取っておきます」

 

実際は皮肉も混じっているのだろう。

そりゃそうだ。自分は正々堂々より裏でコソコソやる卑怯な事のほうが好みだ。

それをしたいからこそ不良やっているのだ。

 

「じゃあ卒業間近の皆殺しセンパイに後輩のあずから一つアドバイスっす」

 

辻堂センパイも皆殺しセンパイも一つ勘違いしていることがある。

長谷センパイはどうやら気づいているみたいだけど敢えて彼女たちに伝えていない言葉がある。

 

「皆殺しセンパイは後悔しない生き方なんてあると思います?」

 

皆殺しセンパイは清廉潔白な辻堂センパイとくらべればかなりアウトローだ。

けれどしたい事をして生きているあたり自分に近いものはある。

 

「知るかよ。辻堂あたりならそういう生き方を意識してんじゃねーの」

 

そうだろう。

けれど果たしてそんな生き方なんて有り得るわけがない。

 

「後悔しない生き方なんてあるわけねーっす。

 自分からすればそんな事を考えるのはバカじゃねーのって感じっすね」

「随分とひねくれた考え方するんだな」

 

辻堂センパイをある程度尊敬はしているが、その点だけは絶対に相容れない。

 

「自分が正しいことをしたから自分に関わる全員が正しい行いをするわけがない。

 特に辻堂センパイほど影響力ある人は否応なしに周りに何かしらアクションを起こさせるでしょう」

 

自分は汚い真似を美としない恋奈様の傍にいた時でさえ彼女を裏切っていた。

 

「もしもの話をしましょうか。

 ある日辻堂センパイが猫を虐めていた不良を叩きのめしたとします。

 流石辻堂センパイっす、その行いは人として正しいものっすね」

 

皆殺しセンパイはしゃべるあずの邪魔をせず聞き入る。

 

「辻堂センパイにやられた不良は行き先のない苛立ちを抱えることになります。

 当然ソイツは不良なんで喧嘩や他の他人に迷惑をかける方向で発散しようとするでしょう」

 

個人の正義は他人の正義にはなり得ない。

それは当然のことなのだ。

自分と辻堂センパイの正義は明らかに違う。

あずはあず自身のために正しい事を行う際、汚い行為も辞さない。

 

「その不良の暴力の矛先はどこに向かうんっすかね。

 辻堂センパイの関係ない人かもしれないし、その不良がバカなら辻堂センパイに復讐しようとして

 辻堂センパイの身の回りの人間を襲うかもしれません」

 

正しすぎる人間はコースアウトしかかっている人間を迫害する傾向にある。

当然その迫害された人間は一気に転落し、手段を選ばない害悪になる事だってあるだろう。

 

「一見後悔のない生き方をしても、辻堂センパイなら身の回りの人が傷つけば悲しむでしょう。

 果たしてその時に辻堂センパイは後悔しないんっすかね?」

 

後悔しない生き方というのは自分の正しいと思う生き方をする事だ。

けれど物事の価値は一か零かではない。

どんなことにも価値がある。

例えるなら自分にとって長谷センパイか学校の友人。

どちらも命の危険にあったとして、しかし片方しか助けられないのだとしたら迷わず自分はセンパイの命を助ける。

 

その行為に自分は絶対に後悔しないだろう。

だけど失った友人とだって自分には思い出があった。価値はあったのだ。

長い人生を考えれば、いつかふとしたきっかけで友人を見捨てた選択を後悔するかもしれない。

見捨てた友人の家族とかから恨まれるかもしれない。

恨んだ家族があずに何か復讐をするかもしれない。

 

将来は何が起こるかわからないのだ。

だからこそ後悔しない生き方をしているからといって後悔しない未来があるはずがないのだ。

もしかしたらあの時二人共助けられる手段があったんじゃないかと、そう後悔するかもしれない。

 

「辻堂なら後悔しないさ。アイツはそういう奴だ」

「断言するんっすね」

 

自分のその考えを否定するように皆殺しセンパイは言い切った。

 

「辻堂はもしそうなったとしてもそれを受け止める奴だ。

 自分のした事をちゃんと受け止められるからこそ、後悔しない生き方になるんだよ」

 

自分の行為が巡り巡って、最後に自分への害悪となって帰ってきたとしても

それを受け止められる生き方が後悔のない生き方ということか。

 

「後でどんなツケが回ってくることがあっても『それでもあの時の自分は間違っていなかった』

 それこそ死ぬ瞬間にでも言える生き方こそが後悔しない生き方っていうんだよ」

 

なるほど。

興味深い話だった。

でも、それだって限度がある。

 

「でももし辻堂センパイの正しいと思ったことが原因で長谷センパイが死んだりしたら

 それこそ辻堂センパイは後悔するんじゃないっすか?」

「それで後悔するなら辻堂の意思が弱かったって事だ」

 

つまり後悔しない生き方というのは自分を貫き通す生き方ということだろう。

 

さて、そろそろいいところまで話が進んだ。

もともと自分にとってこの話はどうでもいいのだ。

 

いい加減に終わらせる。

 

「それでは聞きますけど、皆殺しセンパイは後悔のない生き方をしてます?」

「・・・・・・そうきたか」

 

自分の問いに口ごもる。

だが表情だけで彼女が何を考えているのかは想像ついた。

 

「ウジウジと何を悩んでいるのかは知ってますけど正直うざいっす。

 今の話を聞いたらアンタの本心なんて決まってんじゃないっすか」

 

後悔のしない生き方をここまで断言するくらいだ。

ならばつい最近までそうやって生きていたつもりだったのだろう。

 

「あずは後悔しない生き方なんて有り得ないと思ってます。

 だから好きなことをして好きなように生きるのが一番じゃねーっすか。

 でもそっちはどうなんっすかね」

 

グジグジウダウダと見ていて鬱陶しい。

好意を捨てきれず、しかし貫き通せず。

そんなものを抱えてよく後悔しない生き方などとご高説できるものだ。

 

「後悔しない生き方をして妥協や諦めたりするよりも、

 好きなことをして玉砕したほうが後で逆に後悔しないってこともあるでしょう。

 そんなこともわからないんっすか?」

 

何時までも答えを出せず、悩み続けててくすぶってる奴ほど目障りなものはない。

しかし自分のその言葉に何か思ったらしい皆殺しセンパイは不意に真面目な顔をしてこちらを見た。

 

「寝る」

「は?」

 

いきなり何の脈絡もないセリフに唖然とする。

 

皆殺しセンパイはそのままスタスタと押し入れに向かい、段差に足をかけた。

 

「お前の言う通り今の私はウザイな。

 だが今ので何かわかった気がする」

 

そういって押し入れの中に引っ込んだ。

一体何がわかったのか知らないけれど、押し入れを閉める瞬間にみせたあの表情は先ほどの問は全く違っていた。

 

もしかすると自分は辻堂センパイや自分自身に余計な敵を作ったのかもしれない。

別に焚きつけるつもりはなかったのだけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一階に降りてまず感じたのは匂いだ。

なんと言えばいいのだろうか、醤油だしの匂いと野菜が煮えている匂いが混ざった奴だ。

 

多分センパイが料理しているのだろう。

浮き足立ってリビングの戸を開く。

するとその中のキッチンにはやはりセンパイの背中があった。

 

「・・・・・・」

 

何だろう。

その背中を見た途端何やら胸がキュンときた。

愛する妻が朝自分のために食事を作ってくれている姿を見た時の心境ってこんな感じなのかもしれない。

 

センパイはどうやら自分に気づいてないらしく、こちらを振り向くこともせず野菜を切っている。

見た感じ先日と同じく雑炊らしい。

昨日は皆殺しセンパイに全部たべられてしまった。

だからこそ今度こそ味わって食べたいところだ。

 

「せーんぱい」

「ん?」

 

少し離れた所から声をかける。

するとようやく気付いたセンパイがこちらを見る。

 

センパイの顔を見た瞬間少し驚いた。

なんてことはない、かなり疲労の濃い顔をしていたからだ。

 

それも仕方ない。

自分が寝込んでいるのをずっと看病していたのだ。

つまり先日の朝から丸一日寝ていない事になる。

疲れるに決まっているだろう。

 

しかしあずの顔を見た途端センパイの顔色がよくなる。

 

「大分回復したみたいだね。よかった」

 

本心からの言葉だろう。

その言葉は恐ろしく優しかった。

 

「はい、センパイのおかげっすよ」

 

そう言って近づいてセンパイの手を握る。

勿論包丁を持っていない方の手をだ。

 

「あ、これは」

 

センパイが少し慌てたような顔をする。

だがもう遅い、見てしまった。

 

「・・・・・・やっぱりこうなりますよね」

 

手はもう氷のように冷え切っている。

さらには一晩中氷水に手をつけていたから肌がガサガサだ。

多分昼頃には皮膚が裂け始めるだろう。

 

そんな手にしてしまったことに罪悪感が湧く。

 

少しでも温めようとその手を抱きしめる。

 

「乾さん、そんなことしちゃ体が冷えるよ」

「冷え切ってるセンパイに言われたくないっす」

 

どれだけ体温で温めても温度の上がらない手。

それだけ芯まで冷え切っているという事だろう。

 

「そうだ、さっきお風呂沸かしたからさ入っておいでよ。

 深夜にかなり汗かいてたから洗い流したいでしょ」

 

どこまでも気が利いている人だ。

どうしてここまで人に尽くせるのか。

 

「ダメです。センパイから先に入ってください」

「いや、でも俺はこっちを先にしないと」

 

そう言ってまな板の大根を見る。

 

「じゃあこっちもあずが手伝います。

 ささっと終わらせてはやくお風呂入りましょう」

 

手を濡らす仕事はこれ以上センパイにさせたくない。

包丁を奪い取ろうと手を伸ばすが、センパイはひらりとそれをかわした。

 

「ダメだよ。病人に水仕事はやらせたくない、乾さんは鍋を見ててくれるだけでいいから」

 

そうは言うものの、あまりに体を冷やしすぎていてこのままじゃ自分の風邪がセンパイに移るのではないかと思う。

しかしセンパイは頑固だからきっとどれだけいっても代わってくれないだろう。

だったらいつまでも喋ってるよりは行動に移したほうがいい。

 

「わかりました。それじゃあさっさと終わらせましょう」

「うん」

 

そういって互いの分担をこなし始める。

 

トントンと小気味よい包丁がまな板を叩く音が響き

グツグツと煮える音がそれに合わせる。

 

「センパイ」

「何かな?」

 

どちらも顔は動かさず口だけ動かした。

 

「看病してくれてありがとうございました。本当に感謝してます」

「感謝って、別にそんな大したことをしたわけじゃ」

 

本人にとってはそうかもしれないけれど、それでも自分は彼に感謝している。

 

「家族とかに思い入れって無いんすけど、

 センパイみたいな人が兄弟にいたらきっと幸せだったんじゃないかと思うっす」

「はは、過大評価だよ」

 

でも間違いなく今この瞬間は幸せだ。

 

「センパイ、大好きっすよ」

「うん。ありがとう」

「そこは俺もだよって答えてくださいよぅ」

「俺彼女持ちですし」

 

結局、朝食が出来上がるまでこの心地いい時間を堪能した。

 

センパイがあずを女として見なくてもいい。

例え家族兄弟みたいな関係だったとしても、それでも彼の隣にいれるならそれは幸せな事だ。

勿論いつか肉体関係まで強行する予定はあるが。

 

ともあれ自分は好きなことをして好きなように生きよう。

それこそが自分にとって後悔しない生き方なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

●寸劇

 

 

 

「ふぅ~、あったかい。体の芯まであったまる」

 

やはり冬のお風呂はいいなぁ。

 

「センパーイ、お背中流すっすー♪」

「どわああああああ全裸侍! さっき乾さんお風呂入ったばかりでしょ!

 そんなことしなくていいから!」

「あん、センパイの見えちゃってるっすよぅ」

「この長谷大、見られて困る体ではない。

 てか丸出しの乾さんに言われたくないよ!」

 

まさか全裸で入ってくるとは思わなかった。

スッポンポンだ、もう全部見えちゃってる。

 

「ダイー、風呂借りるぞー」

「「は?」」

 

続けて入ってくるマキさん。

スッポンポンだ。しかもダイナマイトバディー。

 

「ちょ、何でマキさんまでー!」

「おっと、風呂入ってたからダイの匂い落ちてて気づかなったわ。わりぃわりぃ」

「そう言いながら入ってくるんすね。つかチチでけー」

「何で私が出ていかないといけないんだよ」

 

じゃあ俺が出ていきますよ。

そういってタオルを腰に巻いて出ていこうとすると、がしっと二人に方を掴まれた。

 

「看病してくれたお礼がまだっす。ご奉公させてもらうっすよー」

「丁度いいや、私も美味いステーキ食わせてくれたカリをここで返してやる」

「え、ちょ」

 

タオルを二人に引き剥がされて再び湯船にぶち込まれた。

何されるんでしょう僕。

泡タイムは凄かったとだけ言い残す。

 

 

 

 

この後、愛さんも学校を休んだらしくウチに来た。

そこで体を如何わしい手法で洗われている死にそうな顔をした俺を発見した愛さんは今までにない程切れてマキさんと殴り合いを始めた。

 

乾さんはわざとらしく咳をして自分弱ってますアピールをしたため難を逃れたらしい。

ぶっちゃけ幸せなお風呂タイムだったけれど、次は無いといいなぁ。

 

 

 

 




こんにちは、あとがきです。
今回はちょっと最後に寸劇を書いてみました。
はじめは台本形式だったのですが、やっぱり書きづらいので普通の形式に。
寸劇とかだと語尾に♪とかつけられるしある程度キャラ崩壊させても違和感薄いのがいいですね。

っていうかこれ寸劇じゃなくてただのオチじゃね。っていうツッコミはご愛嬌。

今回ちょっと影の薄い愛さんでしたが愛さん好きはどうかお許し下さい。

最後に、自分のSSも20話程まできましたね、週一ペースで書いててようやくか・・・・・・
見直せば誤字や呼称の間違いも沢山。
このような私のSSを見ていただいて本当にありがとうございます。
これからも見ていただけると誠に嬉しい限りです。
それでは。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。