辻堂さんの冬休み   作:ららばい

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注:この話は17話の梓視点となります。


18話:幸せな奴ら

夢を見ている。

 

『梓ちゃん、梓ちゃんは将来叶えたい夢ってある?』

 

何故か自分を呼ぶ呼称が普段と違う長谷センパイ。

だが夢の中の虚ろな頭ではその事に引っかかるほど注意力がない。

 

『俺はね、そうだな。

 誰よりも美しい君とこのまま人生を過ごしたいという夢がある。

 それを考えれば既に夢は叶っているんだ、だから将来の夢なんてないよ』

 

普段のセンパイなら絶対に言わないクサイ台詞だ。

なんだこのB旧映画のような恥ずかしい言い回しは。

 

・・・・・・恥ずかしい事だけどそれに胸を弾ませている自分がいた。

 

『あ、あずも同じ夢っす』

 

あずがそう言うと長谷センパイは嬉しそうに笑った。

 

『そう、じゃあ俺達は互いに夢のない若者って事になるね。

 でもそれじゃあいけない、だから俺に考えがあるんだ』

『それは、なんっすか?』

 

センパイがあずの腰に手を回して至近距離で見つめ合う。

明らかにいつものセンパイにはない積極さだ。

 

『いずれ近い将来に叶えられる夢を抱こう。

 梓ちゃん、卒業したら俺と結婚してくれ』

『え、えぇ!?』

 

そんな馬鹿な。

こんな嬉しい事があるはずがない。

だってセンパイは辻堂センパイと結婚する約束を既にしていて、

だから自分の入る余地はわずかしかなくて

 

そうだ夢だ。

きっとこれは夢に違いない。

 

だったら確かめなくては。

夢の確認の仕方なんて昔から決まっている。

自分の頬をつねるのだ。

 

決心して右手で自分の右頬をつまむ。

願わくば夢でありませんように。

その願望の強さと同等の力で指に力を入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

余りの激痛に跳ね起きる。

そして自分の頬を掴む右手を降ろして大きくため息をつく。

 

「夢だった・・・・・・」

 

そりゃそうだ。

こんな都合のいい展開なんてあるはずがない。

 

自嘲気味に笑って、せめて気分を変えようと時刻を確認する。

愛用している携帯電話には時刻五時と出ている。

タイマーよりもはやく起きたようだ。

 

取り敢えずそのタイマーをオフにして当初の予定通りに行動を起こす。

 

予定といっても些細なことだが、日課としている事だ。

眠気を噛み殺しながらベッドから出る。

 

「うぅ、寒いっすぅ」

 

冬真っ只中のこの一月。

しかも早朝のこの時刻、暖房をオフにしたこの病室の温度は洒落にならないレベルで冷えていた。

 

だがこの寒さも慣れたものだ。

相変わらず辛いことは辛いけれど、我慢できないことはない。

 

目的を達成するために行動に移す。

 

まず来ているパジャマを全て脱ぎ捨てる。

もちろん丁寧に畳む、センパイにそうすると褒めてもらえるからだ。

 

ここで更に寒さが増す。

だがまだへこたれない。

更に下着を脱ぎ、ベッドの上に置く。

 

ここの注意点だが、必ずセンパイがあずのベッドを見たときに下着まで見えてしまう位置に置くのがポイントだ。

 

「ささささ寒い」

 

洒落にならない寒さだ。

そりゃ全裸でこんな冷蔵庫みたいに寒い所にいたら寒いに決まっている。

 

最後にやるべきことに手早く取り掛かる。

そう、最後にやることとは。

 

「失礼しまーす」

 

自分とセンパイの間にある邪魔くさいカーテンを全開にしてその先にいるセンパイのベッドに潜り込む。

既にセンパイの体温で暖められていたベッドの中はとても気持ちいい温もりを帯びていた。

 

更に暖まろうとあずに気づかず未だ寝続けている無防備なセンパイを胸に抱き寄せる。

 

「あったかいっす長谷センパイ」

 

全裸であるために彼の体温がダイレクトに伝わる。

その心地よさを感じながら彼が起きない程度に抱く力を強くする。

 

「ん・・・・・・んん・・・・・・」

 

僅かに唸るもののやはり起きる気配はない

 

センパイのそのぬくもりをしばらく堪能し、次の日課に移る。

 

長谷センパイの肋骨の確認だ。

この骨は実の所自分が折ったようなものだ。

一時は治りかけていたのだが、自分の不始末のせいでセンパイが再びそこを再度骨折することになった。

 

それに対しての申し訳なさが自分には大きくあった。

センパイは優しいからこのケガの事は一切自分には語らないし、意識させないようにしている。

 

だが自分は知っている。

恐らくこの箇所の骨折が最も苦痛を与えていることに。

 

時折センパイは会話しているときや、咳やくしゃみ。

いや、ただ単に呼吸をした時すら顔をしかめる時がある。

 

肺の膨張に合わせて折れた肋骨が酷く痛むのだろう。

 

彼の寝巻きを巻くりあげてそこを確認する。

見ればそこは手術で切開された後が生々しく残っていた。

その傷を見てどうしようもないほど胸が締め付けられる。

 

自分のせいで負った傷なのだ。

他人事と切り捨てることなんてできない。

ましてやあの長谷センパイが抱えることになった怪我なのだから。

 

傷口をなぞる様に指を這わす。

 

「ん、うぅ・・・・・・」

 

僅かに痛むらしい、起きはしないものの唸るセンパイ。

 

申し訳ない。

ごめんなさい。

許してください。

 

心の中で何度も謝り続ける。

それが毎日の課題だった。

 

せめて体を冷やして痛みがぶり返さないようにと長谷センパイを抱きしめる。

寒い朝方に怪我は響く。

だから暖かく目覚められるように添い寝する。

 

無論、裸である必要はない。

これはただのセンパイを魅了するためのオプション的なものだが。

ともあれ、センパイを少しでも温めようという大義名分のもと全裸でセンパイを抱きしめ、二度寝する事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――いさんっ」

 

何やら声がする。

それもかなり近い距離で。

 

「乾さん、いい加減――――ってば」

 

その声で少々薄かった眠りが覚醒していく。

はて、そういえば自分は二度寝をしたのだった。

ならば今現在自分が寝ている場所はセンパイのとなりだろう。

 

なるほど、多分センパイは目が覚めたら全裸の自分が毎度の事いた為起きるに起きれずこうして声をかけていると。

 

「はいはい、あずは起きましたよ~」

 

若干気だるい眠気を残しているため、間延びした声が出る。

 

「起きましたじゃなくて、いい加減自分のベッドで寝なさいって」

 

何度同じことを言われてもやめる気はない。

もはやこれはライフワークなのだ、退院する日までやめない。

 

「別にいいじゃないっすか~、

 センパイだって朝あずと一緒に寝てると気持ちいいとかあるんじゃないっすか?」

「そ、それは確かにあるけど。

 あったかいし柔らかいし・・・・・・」

 

おや、思ったより素直である。

ドモるセンパイ可愛い。

 

「でも流石にこれはまずいって。ほら、いい加減自分のベッドに戻って」

「あん、センパイのいけず」

 

毎度のようにシーツを押し付けてくる。

それを渋々うけとって大人しく自分のベッドに戻ることにする。

 

もう少しセンパイをいじっても良いのだけど今日はあずとセンパイの客人が両方来ることになっている。

そのため準備はできるだけ早めにしておきたいのだ。

 

「前しか隠れてないよ、お尻丸見えだから」

「ありゃ、センパイのエッチ」

「・・・・・・ほほう、今俺をエッチと申したか」

 

急にセンパイの態度が変わった。

何やらセンパイを焚付け過ぎたのかもしれない。

わざと前部分だけシーツで隠して目の前をおしり丸出しで通ったのだが、

最近のセンパイは時々積極的になる。

 

今回もその時っぽかった。

 

「いいかい乾さん。君は思春期の男子の事を何もわかっちゃいない」

 

シーツ一枚の自分に語りだすセンパイ。

この後に期待してあずはセンパイに近づくためにベッドに座ることにする。

 

「例えば、このけしからん大きな胸。

 全くもってけしからん、モラルハザードしすぎてる」

「意味わかんないっすよぅ、あう」

 

不意に腕を伸ばしてあずの胸に手を置く。

だがその手はギプスを間に置いているためセンパイの体温を感じることはできない。

センパイも勿論あずの胸の感触なんて感じないだろう。

 

「暴走した男子はきっとこの胸をこねくり回すだろう。

 君が嫌と拒んだって無駄だ、男子が暴走するともはや性獣を相手にするようなものなんだから」

「拒むもなにもセンパイならいつでも・・・・・・」

 

勿論センパイ以外が触ろうとするなら腕一本犠牲にしてもらうけれど。

 

「えぇいまた惑わせるようなことを・・・・・・そういえば乾さんって結構モテてるよね」

 

あずの胸をギプスで何度もつつきながらセンパイは質問してきた。

 

「え、ええ。一応結構告られてるしナンパもよくされるっすよ」

 

先日の初詣の時だって男子共がしつこく食い下がってきたし。

一応モテている自覚はある。

 

「でも、別に男に興味ないんでまだ誰とも付き合った事ないっすけど」

 

江乃死魔にいた頃は男より金の方が欲しかった。

そのため言い寄る男は鬱陶しい存在でしかない。

まぁ、処女をはやく捨てたいとは思っていたが痛いのは嫌だし興味もない男にあげるのも癪だったため未だ処女だ。

 

今思えばこの瞬間まで処女を守っていて良かったと心から思う。

 

「あ、もしかして自分の処女性確かめてます?

 大丈夫っすよ、あずはセンパイ一筋っすから」

 

男は『遊びで付き合うのなら非処女、結婚するなら自分と付き合うまで処女だった女性』

という思考をしていると友人に聞いた。

 

それにそういう打算抜きでセンパイにこそあずの処女をもらってもらいたい。

処女は捨てるのではなく捧げるものという考えが今の自分にはあった。

 

「いや、そうじゃなくて」

 

歯切れが悪くセンパイは言いよどんでいる。

 

「初詣の時さ、俺のこと彼氏って言わなかった?」

 

どうやら聞かれていたらしい。

自分も頭に血が上って言った事なのであまり指摘されると恥ずかしい所だ。

 

「す、すいません。勝手なことをいって」

「いや、それは光栄なことだからいいんだけど」

 

光栄。

脈アリ?

 

「それを噂されたら拙くない?

 ほら、乾さんだって冴えない俺とカップルなんて噂されちゃ困るでしょ?」

「いえ全然全く」

「即答なのね」

「だって、そうあって欲しいんですもん。

 むしろそういう噂が流れたら困るのは長谷センパイっすよ」

「・・・・・・何故?」

 

自分の言葉に思い当たることがなかったらしい。

別に教えてあげなくとも自分には何ら問題はないのだが、結果としてセンパイが困ることになるのは嫌だ。

教えることにしておく。

 

「もしあずとセンパイが付き合ってるって噂がヤンキーとかの間でも流れた場合

 辻堂センパイとか勘違いするんじゃないっすか?」

 

それもセンパイがあずに本気になって、辻堂センパイとあずに二股を黙ってかけていたという具合に。

勿論その程度の誤解で別れる二人だとは思わないが、ちょっとした喧嘩にはなりかねない話題だ。

 

「そ、それは拙いね」

 

本当に困ったように冷や汗をかいている。

 

「大丈夫っすよ、もうその件はメールで誤解といてます。

 ちゃんと男たちの誘い断るためのでまかせって事になってるっすよ」

 

こういった手回しは得意分野である。

後にセンパイに迷惑がかかるような展開になりかねない可能性は潰しておくに越したことはない。

 

「でもあずは本気でセンパイと付き合いたいとは思ってるんで、そこの所は覚えておいてくださいね」

 

念を入れて伝えておく。

毎日好意をぶつけているのだけれどイマイチ伝わっている気がしない。

だからこうして言葉にしないと不安になってくるのだ。

 

その念押しにセンパイは少し困ったようにした後、僅かにはにかんだ。

 

「ありがとう乾さん。でも、俺は愛さんとずっと一緒にいるから」

 

毎回そういって断られる。

だから自分も毎回言う返答を用意していた。

 

「では愛人という事で。

 自分はそれで一向に構わないっすから」

「あ~・・・・・・」

 

これを言うとセンパイは毎回凄く複雑な表情をする。

断るにしてもあずを傷つけそうで気が引けるといった所か。

そもそもセンパイもあずの事を憎からず思っているフシがある。

それこそ辻堂センパイがいなければスグにでも付き合い始めてもおかしくない程に。

 

だからこそ色々な事を考えて毎度のこの言葉に言い返す言葉がないのだろう。

 

「じゃ、センパイ。あずは着替えますんで」

「ちゃんとお尻隠してね」

「わかりました、仕方ないっすね」

 

 

 

 

 

 

 

「久々に顔を合わせたと思ったら何でそんなケガをしてるのヒロシ」

「しかも両手両足とかこれどういう経緯でそんな事になったのか気になるタイ」

「いやぁ、はは。ちょっと怖い人たちに襲われてね」

 

11時頃になったら事前に約束していたらしいセンパイの友人が四人ほど訪れた。

どうやら男性二人と女性二人だ。

一応センパイと異性である自分が同室している事は伏せる事になったため自分はカーテンを閉めて静かにする事にした。

 

「でも長谷君が襲われる理由がわからないんだけど」

「そういえばマイ、あたし達も前に襲われかけた事あるよね」

「う、あれは思い出させないで。辻堂さん来なかったら本気でやばかったんだから」

「だよねぇ。今思い返しても危ないところだったよね」

 

女子の方は見覚えがある。

こっそりと顔を覗いてみたが、あの二人は夏の稲村の学園祭でライブをした二人だ。

特に片方の胸の大きい方の名前はよく覚えている。

未唯と言ったはず。

 

「けどどうなのヒロシ、新学期とか学校これんの?」

「長谷君来ないと辻堂さんが寂しがっちゃうよ」

 

美唯さん、いや唯センパイと背のあまり高くない方の男子がセンパイに尋ねる。

確かセンパイはそろそろ退院の筈だ。

新学期も普通に学校行くはずだけど。

 

「そこは問題ないよ。治るのはまだ三週間くらいかかるけど学校いくのは大丈夫そう」

「それだと通学とかどうするタイ?」

「そうそう、その足と腕じゃあ一人で通学できなくない?」

「大丈夫だって、姉ちゃんが送り迎えしてくれるらしいし」

 

あのセンパイを溺愛するお姉さんならむしろ率先してしたがるだろう。

っていうか唯センパイの方じゃない方のセンパイって確か恋奈様の友人だっけか。

イマイチライブの事以外に記憶に薄い。

 

「大分不便そうだね、学校始まったら」

「そうだね。ノートもとれないから最初はただ見てるだけになるよ。

 烏丸さんの言う通りかなり不便する事になると思う」

 

・・・・・・正直この会話を聞くのをそろそろやめようと思う。

センパイがケガをする事になったきっかけは自分にある。

だからこれ以上センパイが怪我のせいで不便していることを聴き続けるのも結構きつかった。

 

「ところでヒロシ、一つ質問があるんだけど」

 

何の脈略もなく男子のひとりが話を変えた。

 

「隣のベッドって誰か使ってるの?」

 

本人はヒソヒソ声で話しているようだけど、あいにく耳が良いため普通に聞き取れる。

 

「うん、使ってるよ」

 

あっさりと答えるセンパイ。

だが誰が使っているかは伏せている。

 

「今もカーテンの向こうにいるタイ?」

「ああ、寝てるんだと思う」

 

実際は寝てはいないのだけど。

 

「そうなんだ。じゃああんまり騒ぐと迷惑だね」

「今更すぎるよマイ。もうあたし達結構騒いだ後だよ」

 

中々常識を弁えている人たちである。

自分が前にいた江乃死魔は恋奈様やリョウセンパイ以外全員常識知らずばかりなため苦労した記憶がある。

 

「しかし、その怪我だとヒロシは合コン行けそうにないなぁ」

「合コン?」

「そうタイ。この冬休みの間に僕らがひそかに進行していた合コンセッティングがあったタイ」

 

何やら面白そうな話が始まった。

更に耳を澄ます。

 

「相手の子は全員由比浜学園の子達だ。きっと美人ばかりだぞ」

「想像するだけでワクワクするタイ」

 

・・・・・・嫌な予感がする。

 

「そもそも長谷君を誘う意味がわかんないよ」

「そうそう、長谷君には辻堂さんいるから行くわけないじゃん」

「だね。この怪我だから当たり前だけど俺は行かないって事で―――――」

 

センパイが断りを入れている瞬間、病室に大音量で着メロが流れる。

長谷センパイやその友人のモノじゃない。

間違いなくあずのケータイからだ。

 

全員がぎょっとして口を噤む。

だがそれも僅かなことですぐに全員が自分のベッドに視線を向ける気配を感じた。

 

「や、やばいっす」

 

慌ててケータイの着信コールを止めて留守状態にする。

今頃相手は不在着信のテンプレートな音声を聞いているところだろう。

 

嫌な予感は的中した。

多分合コンの誘いだろう。

前にそんな事を言っていた友人からの着信だった。

 

「今の着うたって女の人がよく設定する曲だよね」

 

耳ざとい唯センパイが言う。

 

「べ、別に男の人が使うことだってあるかもしれないよ」

 

慌ててセンパイが誤魔化そうとするものの、以前としてかわらず視線を感じる。

 

「え~、俺だったらあんな曲恥ずかしくて設定できないけどな」

「僕も少しひくタイ」

 

一応こちらに聞こえないように言っているみたいだが丸ぎこえだ。

何だろう、少し苛々してきた。

何故自分がこんなコソコソしなければならないのか。

 

そんな事を考えていると、また着信が来た。

再び響く着信音。

マナーにしてなかった自分も迂闊だが、さっき非通知だったのに即座にかけ直す友人の方にも苛立つ。

 

もういいやメンドクセェ。

 

「はいもしもし、なんっすか?」

 

当たり前のようにケータイをとって電話を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「へぇ、じゃあ冬休みの初めから長谷君とずっと一緒にいたんだ」

「はい、唯センパイ」

「未唯なんですけど」

 

結局バラしたために、長谷センパイは男二人に連れ去られてった。

色々根掘り葉掘り聞かれているのが想像つく。

少し申し訳ない気がするが、どうせ隠したところで不自然な流れだったのだ。

むしろあっさりバラしたほうが信頼に傷がつかないだろう。

 

「でもさ、何で女性と男性が同室になってるの?

 普通こういうのって同性じゃないと絶対におかしいよね」

 

当然の反応だ。

 

「恋奈様の采配っすよ。

 理由は言えませんけどちゃんと意味があって長谷センパイと同じ部屋になったわけっす」

「へぇ、恋奈ちゃんが関係することなんだ」

 

どうやらこっちのセンパイはやはり恋奈様と関係があるらしい。

多分以前辻堂センパイのスパイに使っていた人だろう。

適度に垢抜けていて自分と話が合いそうな感じではある。

 

「恋奈様ってのが誰かよくわかんないけど、察するにもしかして乾さんって不良な人?」

「乾さんなんて堅苦しい言い方しないで、あずにゃんでいいっすよぅ唯センパイ」

「未唯なんですけど」

 

なんと答えるべきか。

自分はもうヤンキーをやめる気なのだが、立場上そういかなくなった。

そのため一応ヤンキーの部類なのだろう。

 

「察しの通り自分は不良っすよ。

 でも別に喧嘩大好きとかそういうんじゃないんで安心してください」

「そ、そう」

 

どうやら唯センパイの方は不良に苦手意識があるらしい。

そもそも不良に苦手意識のない一般人なんてそういないのだけれど。

 

「で、さっきの電話の会話聞こえちゃったんだけど。

 あの電話ってうちの男子二人が設定した合コンの誘いなんでしょ?」

「そうっすね」

 

タイミングを測ったように来た電話はやはり合コンの誘いだった。

どうやら人数が集まらないらしく、自分に来て欲しいとの事だ。

 

「あずにゃんは行くの?」

「行きませんよ唯センパイ」

「未唯だっつーに」

 

長谷センパイが行くのなら自分も参加するけれど、当然センパイが来るとは思えない。

だったら自分が参加する理由もない。

他の男なんて微塵も興味ないし、興味のない男にキャラ作るのも面倒だ。

 

「そういえばお二人にはお願いがあるんっすよ」

 

合コンの話は一旦切り上げて、別の会話に移る。

 

二人は何だろうと首をかしげてこちらを見る。

 

「新学期始まったら長谷センパイの事、よろしくお願いします」

 

誠意が伝わるように頭を下げる。

 

「センパイ、特に以前と変わらないように見えるけど実はかなり無理して明るく振舞ってます。

 怪我だってまだ結構痛むハズなんですよ」

 

今日だってお見舞いに来た人達は気づいてなかったようだけど、不自然なタイミングで言葉につまることがあった。

間違いなく肋骨が痛むのだろう。

 

「ですから出来るだけセンパイのケガを気にしないようにしつつ支えてあげてください、お願いします」

 

自分は学園が全く違うため新学期が始まったら彼に献身することができない。

だから人に頼らざるを得ない。

 

「大丈夫だよ、長谷君って人気者だもん」

「そうそう。別に乾さんがお願いしなくてもみんな長谷君の事を支えてあげるって」

 

・・・・・・センパイは自分が思っている以上に人望があったらしい。

あずが頭を下げるまでもなかったようだ。

 

「ところでさ、今の言葉聞いて思ったんだけど」

 

何やら嫌な笑みを浮かべて舞香センパイが詰め寄ってくる。

 

「もしかして乾さんって長谷君の事好きなの?」

 

なんだそんなことか。

 

「そうっすよ。じゃないと誰かの為に頭なんて下げませんって」

「お、おおう。はっきり言うね」

「別に隠す事でもありませんし、辻堂センパイも知ってることっすから」

 

今更すぎる話題だ。

 

「へぇ、じゃああずにゃんは辻堂さんから長谷君を奪おうとしてるの?」

「ストレートな質問っすね、唯センパイ」

「未唯だっつーに」

 

別に辻堂センパイから長谷センパイを奪い取れるとは思っていない。

今更あずがどうかしたところで二人の関係に亀裂が出来るとは思えないし、

長谷センパイに迷惑をかけることは絶対にしたくない。

 

「あずは別にセンパイの近くにいれるだけでいいっす。

 辻堂センパイや長谷センパイの交際の邪魔をするつもりはないっすよ」

「・・・・・・既に何かあたし達とは別次元の恋愛観を持ってるよこの子」

「あずにゃん大人っぽい」

「それほどでもないっすよぅ唯センパイ」

「未唯だっつーてんだろ」

 

 

 

 

 

 

 

「遅れました、申し訳ありません先輩」

「遅れたって、予定時間よりまだ大分早いっしょ」

 

センパイの友人たちが帰って、入れ違いにナハが来た。

多分自分たちの会話を邪魔しないために入るタイミングを見計らっていたのだろう。

ナハはそういう気遣いのできる人間だ。

 

「先輩、怪我の調子は?」

「見ての通りと言いたいところっすけど、流石辻堂センパイっすね。

 一見怪我はしてないように見えるけど全身が動かすだけで軋む感じっす」

「・・・・・・先輩を侮辱するわけではないですが、流石というべきですね」

 

言葉を選んで口を開く。

別にそこまでナイーブな話題でもないから気を使う必要はないのだけれど。

 

「それは辻堂センパイが? それともあずがっすか?」

「どちらもです」

 

ナハは何やら誇らしげに頷く。

 

「先輩をそこまで痛めつけられる辻堂愛も賞賛に値する。

 対して先輩もあの途方もない強さを誇る辻堂愛と真っ向から挑み、かなりの善戦をしたと聞きました。

 その喧嘩を見れなかったのが残念で仕方ありません」

「そっか、あの時はナハはもう川神の方行ってたんだっけ」

「えぇ。いい経験になりました」

 

何やら前見たときよりも精悍な顔つきになっているきがする。

女が精悍な顔つきになるのが果たして良い事なのかわからないけど。

 

「世の中は広い、まだまだ我は未熟でした。

 あ、これ川神のお土産です」

「どもっす」

 

ビニール袋には大量の瓶が。

何だろうとラベルと見てみればそこには川神水という名前が書かれている。

これが噂の水なのに何故か酔った気になる不思議な液体なのだろう。

ナハにしてはかなり気が利いている。

実はこの川神水めちゃくちゃ欲しかったものなのだ。

 

「それでは先輩。そろそろ本題に移ります」

 

ナハはポケットから手帳を取り出した。

恐らく暴走王国の件だ。

 

「先輩が辻堂愛に敗れてからの暴走王国の動きですが。

 我と先輩を除く全員が既に地元の方に帰りました」

「え? でもあずはまだ十人くらい手を出してないっすけど」

 

おかしい。

確かに不自然だったのだ。

自分と辻堂センパイの喧嘩をみて自分たちや長谷センパイに関わる危険性を見せつけた。

だからといってあの自意識過剰な連中がそこまで素直にしっぽを巻いて故郷に帰るとは思っていない。

そのため自分は常にセンパイの周囲を警戒しているし、恋奈様も再びあずを長谷センパイと同室に入院させたのだ。

 

「その件ですが、どうやら二人の決闘の後まだ敵意を残している暴走王国の与太者は辻堂愛が直々に潰して回ったそうです。

 恐らく片瀬恋奈が暴走王国のメンバーを特定し、辻堂愛がその者を始末した手順でしょう」

「決闘の後って、それっていつからっすか?」

「我の調べでは先輩とその辻堂愛が喧嘩をした当日からとなっています」

 

驚いた。

あの喧嘩のあとから間もなく、迅速に残った不安の種を潰し回ったらしい。

自分はあれでまともに動けないレベルの痛手を負ったのに、辻堂センパイの方は更に動いていたとは。

・・・・・・全くもって格好いい人だった。

自分が辻堂軍団の一員だということを誇らしく感じるほどに。

 

「じゃあ既にあずや長谷センパイに敵意ある奴はもういないって事っすね」

「断言はできませんが、少なくともそこの寝ている男に対する危険性は極めて薄いと言えます」

 

ちらりと長谷センパイのベッドを見る。

 

そこには辛そうな顔をして寝ているセンパイがいた。

どうやら友人達と話している時からかなり肋骨の痛みがあったらしい。

自分に気づかれないように友人が帰った後に強めの痛み止めを飲んでいるのを見た。

その薬の副作用で寝ているみたいだ。

 

「そっか。おつかれナハ、調査ご苦労っす」

「力になれたようで光栄です」

 

こっちが感謝しているというのに何故か逆に頭を下げるナハ。

相変わらずなその性格に少し面白いものを感じる。

 

「それでナハはこの後どうすんの。

 もう年も越したしそろそろ沖縄に戻るとかしないんっすか?」

 

自分のその問いにナハは少し考える。

まだ本人も決めていなかった事らしい。

だが思考時間は僅かで、すぐにナハは答えを出した。

 

「まだ、しばらくここにいます。

 一撃でも辻堂愛にこの拳を叩き込めるまでは」

 

相変わらず武闘派な後輩だ。

以前までの自分ならその暑苦しさを鬱陶しく思っていただろうが、今は少し違った。

 

「そっすか。まぁ頑張れ」

「はい、先輩」

 

何かにひたむきに頑張るその姿勢は決してバカにしていいものじゃない。

その事をこの冬休みで学んだ。

だからこそこのナハの姿勢は宙ぶらりんな自分からみたら格好良く見えるし応援したくなる。

 

「もっとも、それはあずに一撃叩き込めるレベルにならないと無理っすけど。

 今年度中に達成できる事っすかねぇ・・・・・・」

「・・・・・・」

 

夢は大きいほど良いとはよく言うけれども、程度がある。

ナハを傷つけたくないから口には出さないけれど、正直無理だろう。

ナハの格闘技のセンスは中々の物だけれど相手が悪すぎる。

 

「できます、してみます」

 

断言した。

それだけのやる気があるのだろう。

既に何度か辻堂センパイとやりあってそう断言できるのはすごいことだと思う。

少し応援してやるか。

 

「この怪我が治ったら久しぶりにあずと少し稽古してみません?」

 

本気でやるつもりはない。

でも少しばかり強い奴とやらないと練習にならないだろう。

 

「いいのですか、先輩」

「良いも何も稽古の誘いごときに何重く受け取ってるんっすか」

「・・・・・・では、ありがたくお受けさせていただきます」

 

ガラじゃないけれど、人の夢の応援をたまにはしてみよう。

最も、それでもナハの夢は達成が難しいものだけれど。

やはりその姿勢はどういうわけか自分にとって眩しい物だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「っは!?」

 

あれ。ここはどこだ。

ナハと別れてからの記憶がない。

 

「あ、乾さんやっと起きたんだ」

「センパイ。自分寝てたんっすか?」

「・・・・・・覚えてないんだ」

 

露骨に微妙そうな顔をするセンパイ。

拙い、どうやら自分の記憶が飛んでいるのは何か変な事をしたからっぽい。

深呼吸して頭を冷静にし、思い出すことにする。

 

確かナハと別れたあと自分はお土産で貰った川神水を手にとった筈。

元々あれはセンパイに飲ませるために欲しかったものだ。

 

以前長谷センパイのお姉さんに聞いたことだけど、長谷センパイ飲むと強烈にエロくなるらしい。

けどまさか自分が真正面から酒を進めた所で飲んでもらえるとは思えない。

だからこの合法的にあずもセンパイも飲むことのできる川神水を求めたのだけど。

 

現状の結果を考えるに、自分だけで飲んだのだろうか。

 

ちらりと自分のテーブルを見ると空の瓶が一本。

明らかにあず一人で一本飲んでた。

対してセンパイのテーブルにはコップもビンもない。

 

多分センパイが起きる前に自分は味見半分で一人で飲んでみたのだろう。

それで想像以上に美味しかったからつい飲みすぎて酔っ払ったと。

 

「・・・・・・ん?」

「ど、どうしたの乾さん」

 

なんか発端を思い出したら芋蔓式に全部思い出し始めてきた。

 

確かその後自分は寝ている先輩の両手両足をロープで固定して――――――

 

「思い出したっす!」

 

その後殆ど逆レイプ紛いなことを仕掛けたのだ。

センパイのパジャマや下着を脱がして、アレを掴んだ記憶もある。

・・・・・・今更になって羞恥心がこみ上げてきた。

 

「す、すいませんでした。自分酔っ払って大変なことしてしまったみたいっすね」

「いや、うん。気にしないで」

 

途中お見舞いに来た辻堂センパイにどつかれて気絶した所まで思い出した。

互いに恥ずかしい所を見せてしまったことに気まずい空気が流れる。

 

「そ、それよりセンパイ。自分が寝てる間に何かあったんですか?」

「どうしてそう思ったの?」

「いえ、何か寝る前と違って凄い機嫌良さそうですから」

 

両手両足を骨折してからのセンパイはいつもどことなく影があった。

無論最近は大分治ったらしい不良への恐怖心も薄れてきたらしいし、

普段のセンパイは明るい。

でも時々何か落ち込んでいる雰囲気があったのだ。

 

けれど今のセンパイは今までに見たことないほど晴れやかな表情だった。

 

「あ~、そうだね。ちょっとさっきまで愛さんと外出しててね。

 多分それでだと思うよ」

 

ふむ。どうやらその辻堂センパイとの外出中に何かあったらしい。

自分がセンパイの悩みを解決出来なかったことに僅かな不満はある。

けれどそんな嫉妬心はセンパイの心労と比べればゴミみたいなものだ。

 

「そっすか。何はともあれ元気になったようで何よりっす」

 

動けないセンパイのベッドに歩み寄って座る。

川神水で酔ったらしいけれど原材料にそもそもアルコールが入っていないため二日酔いの症状はない。

 

「センパイ、あず寝すぎてもう眠くないっす」

「じゃあ眠くなるまで何かしようか」

 

こういう我侭に嫌な顔一つせず付き合ってくれる優しさが好きだ。

 

「それじゃあしばらくお話しましょうよ。

 もうすぐセンパイもあずも退院して、もう今みたいに二人きりで夜を過ごせることは無くなるんですから」

 

幸せというものは失ってから気づくものだ。

これは小説とかでよく使われる言葉だ。

でも、それは必ず当てはまるわけじゃない。

 

少なくともあずは今この瞬間に幸せを感じている。

そしてこの幸せが少なくともあと三日程度で終わることも知っている。

失うことがわかっているからこそ今この瞬間の幸せを満喫したい。

 

「そんなことはないよ」

 

あずの心境を読んだかのようにセンパイは優しい声色で口を開く。

 

「乾さんが望むのならいつだってウチに泊まりに来てくれていい。

 だから俺達が今みたいに二人になれる事がなくなるなんて、そんな事はない」

 

愛さんや姉ちゃんが許してくれればだけど、と付け足すセンパイ。

その相変わらずさにクスリと笑いがこみ上げる。

 

「長谷センパイ。センパイは幸せってなんだと思います?」

「いきなりな質問だね」

 

脈絡のない問いにセンパイは少し悩んでいる。

少し抽象的な質問だったか。

 

センパイは答えを出せないらしくしばらく本気で悩む。

 

「じゃああずから答えます」

 

自分はもう答えを出している。

 

「あずにとっての幸せは好きな事をしている時っす」

「そりゃまた分かりやすい形だね」

「ええ、ですけどそれは簡単な事じゃないっすよ」

 

目先だけの幸せを求めていたら後で必ず辛い事が待っている。

今がよければそれでいい。その目先の幸せを求めた考えが最も自分の身を滅ぼすことを学んだ。

 

「後で辛いことが待ってるからこそ見つかる幸せもあると思うっす」

 

それが自分の答えだ。

今自分はセンパイが大好きだからひたすらにアプローチしてる。

けれど将来の事を考えればそれは危険なことかもしれない。

 

リアルかもしれないけれど、このまま自分の思いは空回りし続け

いつか大人になったとき、センパイとの関係は今と同じまま一切の進展がないまま縁が切れる可能性もあるのだ。

 

勿論結婚などをしていれば多少の喧嘩ていどで縁が切れるわけがない。

しかし自分はセンパイの愛人になろうとしている。

だからこそ縁は薄い。

一度の喧嘩で二度と顔を合わせなくなる可能性すらあるのだ。

 

今、先輩が好きだから一緒にいるという幸せを満喫している。

だからこそ後に待っているかもしれない辛さから目を背けている。

幸せとはそういう未来の犠牲を払って手に入れるものなのだと思う。

 

センパイは自分の考えを聞いて何やら頷いた。

 

「乾さんのその答えで俺も別のを見つけたよ」

「聞かせてもらえます?」

「ああ。けれどその前に少し本題に外れた事を話そう」

 

もったいぶって教えてくれない。

意地悪だ。

 

「乾さんはさ、辛いって漢字と幸せって漢字が似ていると思ったことはない?」

 

どうだろう。

あまり国語は得意ではないためそもそも漢字自体を見ることが少ない。

だから思ったことはないと思う。

 

しかし言われてみれば似ている。

 

「実はこの漢字の成り立ちは結構暗いものでね、

 幸せって漢字は刑罰用の手枷の形と『逃』という漢字が合わさった形のもの。

 そして辛いってのは刑罰用の針の形を示したものなんだ」

 

なるほど。

 

「つまり刑罰から逃れるから『幸せ』。刑罰用に針に体を彫られるから『辛い』という成り立ちがある」

「へぇ、それじゃああまり良い言葉じゃない感じがするっすね」

「まあね。でもそんな語源はどうでもいいんだ」

 

ばっさりと切って捨てる。

今のは完全な余談だったようだ。

 

「俺にとっての幸せはね。辛い事を乗り越えた先にある何かだと思う」

 

その何かは場合によるのだろう。

 

「辛いという文字に一を足せば幸せとなるでしょ。

 それは辛い時にもう一踏ん張りすればきっと幸せになるって事だと俺は考える」

 

随分ロマンチックな考え方だと思う。

しかし、それは自分にとってあまり好きな答えじゃない。

 

「でも、辛いことに頑張って向き合ったとしても成功するとは限らないっす」

 

あずの答えは必ず幸せが最初に来る。

けどセンパイのは違う。

必ず来る苦痛を超えてあるかもわからない曖昧な幸せを手に入れるようなものだ。

 

「そうだね。けど、頑張ってる人はみんな俺のその答えと同じな筈なんだ」

 

どういうことだろう。

よくわからない。

 

「夢を追って努力する。辛い事に一踏ん張りして幸せをつかもうとする。

 それは同じ事なんだ、勿論両方とも確実に成功する保証なんてどこにもないけれど」

 

ここでようやくセンパイの言いたいことがわかった。

 

「本当に要領のいい人は好きな事をしてそれでいてその好きな分野で大成功を納めるだろうね。

 けど十人並みな俺は違う。努力して幸せを見つけるしかないんだ」

「じゃあセンパイは今幸せじゃないんっすか?」

 

少なくともあずの目にはセンパイの日常は輝いて見える。

ちょっと怖いけど凄く格好よくて美人な恋人がいて、友人にも恵まれて

それでいて家族関係も良好だ。

 

「幸せだよ。でもそれはやっぱり辛さを越えたからこそ手に入れたものだ。

 前にも言ったかもしれないけど、俺はもらわれっ子なんだ」

 

そういえば長谷センパイからは聞いたことないけど噂では聞いたことがあった。

 

「親に放置されて寺に預けられてね。

 一時はその事にやたら繊細になってた事もあった」

 

まるで今は気にしていないようにセンパイは続きの言葉を口にする。

 

「でも、そんな過程があったからこそ今の俺がある。

 愛さんに会えて、姉ちゃんと家族になって、皆と友達になって

 そして乾さんとこんなにも仲良くなれた」

 

真っ直ぐにあずの目を見て言い切るセンパイ。

不覚にもその言葉にドキっとしてしまった。

 

「センパイ、少しクサすぎっすよ」

 

照れ隠しに軽く悪態をつく。

だがセンパイは特に気にした様子もなく少し照れたように笑った。

だが何だろう。

 

自分の幸せの形を全否定されたというのにどういうわけかそれほど嫌な気にならなかった。

それは何故なのだろう。

いや、何となくだけど心当たりがある。

 

今日のナハの件だってそうだ。

自分は夢を追いかけるナハを見て眩しくおもった。

ならそれが答えなのだ。

 

自分は既に考え方が変わりつつあるということだ。

目先の幸せよりも未来の幸せ。

 

その自分らしくない綺麗事のような答え。

 

「センパイは相変わらず自分を悩ませてくれますね」

 

嫌な気分じゃない。

流石センパイだ、いつも自分の考えを正してくれる。

 

「さて、それじゃあ互いに答えを出したところでこの話題は終わりっす。

 次のお題は長谷センパイが出してください」

「はいはい、じゃあ今考えるからちょっと待ってね」

 

こうして、あずとセンパイは眠くなる時間まで二人で他愛のない会話を楽しんだ。

間違いなくこの瞬間は幸せだった。

 

今の幸せの代償として未来に辛い事があったとしても、

センパイの言葉通りならそれを乗り越えた先にきっとまた新しい幸せは待っているのだ。

幸せの代償に辛さがくるのでも、辛さを乗り越えた先に幸せがあるのでもない。

 

自分が今新しく見つけた答えは、幸せと辛さは交互に来るというものだった。

今幸せでもきっと未来には何かしらハプニングが起きる。

そのハプニングを乗り越えた先により大きな幸せがある。

 

まさに人生は波のようだ。

不良をやめるといって抜け出せていない自分にこれほど合った答えはない。

 

「センパイ」

「ん、どうしたの?」

「あずは今すっごい幸せっす」

「うん、俺もだよ」

 

 


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