大掃除。
それは一年の節目に行われるものである。
もちろん一人暮らしだったり、仕事に忙しい家庭などはしない事もある。
だが一般家庭ならば大体のところはするだろう。
もちろんこの俺、長谷家でも同じことだった。
ただ、今年はちょっと勝手が違う。
「・・・・・・どうしたものかな」
今日は12月の最終日。
夜には愛さんと初詣に行く約束をしている。
しかし昼の間は特に予定もないため家に帰る事にした。
無論自分の足ではまだ立てない為、姉ちゃんに迎えに来てもらったのだが。
「体が動かないヒロが無茶する必要ないわよ。
あとはこのお姉ちゃんに任せときなさい」
そう言っててきぱきと大掃除を勧める優秀な姉。
俺を迎えに来る前から朝からずっとしていたのだろう。
帰ってきた頃には結構掃除が終わっていた。
「でも、姉ちゃんの手が」
見れば水仕事で手が赤くなっていた。
雑巾などを冷水で洗っていたのだろう、姉の綺麗な筈の手が荒れつつあるのを見て心苦しいものを感じる。
「心配しないの。それに、ヒロの怪我と比べれば手荒れなんてどうってことないわよ」
何もできず座っている俺に優しい笑顔を向けてくれる姉ちゃん。
我ながら素晴らしい姉を持ったものだと思う。
「とはいえ、流石に今日中は厳しいわね。
二階の方はまた年を越してからでもいいかしら」
俺の体が治ればあとは全部俺がしたい。
そう言おうと口を開こうとしたとき、聞きなれたインターホンの音が家に響いた。
「二人共。自分の所優先したほうがいいんじゃ」
「ウチは両親が帰ってきてからするよ」
「あずは元々一人暮らしですから部屋広いわけでもないので、すぐ終わっちゃいました」
姉ちゃんが扉を開けるとそこには乾さんと愛さんがいた。
二人共各々の用事を済ませ、何故か合流予定時間も早めてウチに来たらしい。
愛さんはともかく、乾さんまで来るのは予定外だったが。
「ええと、ベッドの下とか拭かなくていいのか?」
そういってガシっと俺のベッドを持ち上げる愛さん。
めちゃくちゃ重いハズなんだけど、愛さんは鉄アレイを持ち上げるくらいに気楽にベッド持つんだよな。
「いや、そこまではいいよ。
っていうかそもそもウチの大掃除に付き合う必要ないって」
二人はウチに来るやいなや姉ちゃんが地道に一人で大掃除しているのを見て手伝うと言い出した。
「他人の家の掃除手伝うなんてまっぴらゴメンですけど、長谷センパイは別っす。
センパイが止めない限りピカピカにしますよ~」
愛さんがベッド持ち上げたのを確認して乾さんは素早く下に落ちたホコリを雑巾でぬぐい取る。
冷たいはずなんだが、乾さんは嫌な顔一つせず愛さんと同じく大掃除を手伝ってくれた。
「もうベッド降ろしてもいいか?」
「どぞっす」
二人は息の合った作業で動けない俺を構いつつ二回を素早く掃除していった。
基本力がいる作業は愛さんが担当し、それを乾さんがサポートしたりするかんじだ。
なんか、少し俺って今邪魔ではないかと自己嫌悪する。
掃除を手伝えないし、この体では飲み物を出すこともできない。
情けなくて嫌になってくる。
「なんて顔してんだよ」
愛さんがゴム手袋を外して俺に近寄ってきた。
どうやらそろそろ休憩するらしい、俺の部屋の掃除も大方終わったのだろう。
「ごめん。せっかく来てくれたのに他人の家の大掃除手伝わせることになって」
頭を下げる。
「ばか、謝るなって」
愛さんは困ったように首をかしげた。
「元々アタシは夏からずっと大の家に入り浸ってたし、だったら大掃除も手伝うのがスジってもんだろ。
だから大が謝る必要なんてないんだよ」
そう言って座っている俺と視線を高さを合わせるように愛さんはしゃがむ。
互いに目線を合わせて見つめあった。
「怪我をして掃除が手伝えないから気にしてるってのならそりゃ見当違いだ。
アタシは不器用だからこういう時くらいしか家事で手伝える事なんて無い
むしろやっと大の力になれて嬉しいんだよアタシは」
「・・・・・・愛さん」
じーんときた。
自己嫌悪にかられているときに人の優しさを感じるとここまで響くものなのか。
俺は優しい彼女を持って幸せだ。
「じー」
口で言いながら横から熱視線をおくる乾さんに気づく。
そういえばさっきから静かだったが、以前のように俺と愛さんがイチャイチャしていても妨害する事はしないみたいだ。
何か心境の変化でもあったのだろうか。
「乾さんもゴメンね。この恩は絶対に返すから」
俺が声をかけると乾さんは花が開いたようにパッと笑顔を見せた。
「恩とかそういうのはいいですよ。
あずはセンパイのお手伝い出来るだけで幸せっす」
ニコニコと笑いながらそう言う乾さん。
健気だ。
不覚にもドキっとした。
「っていうポイント稼ぎだろ?」
「失敬っすね」
愛さんの鋭いツッコミに反応する乾さん。
まぁ、したたかかな子だからそういうのもあるだろう。
それでも親切をしてくれたことには変わらない。
いつか二人には何か別の形で恩を返さねばと決めた俺だった。
「お前、昨日無茶したようじゃねぇか」
愛は梓と二人きりになったのを見計らって声をかけた。
大は現在下の階でキッチンにいる。
一階の掃除は既に姉の凄まじい効率の良さで終わったのだ。
ここは換気のため窓を開けているので寒い。
なので愛は早々に大を下に降ろした。
「我ながらちょっと無茶しすぎましたね。
体のふしぶしがまだ痛いっす」
そう言って軽く服を捲る梓。
その華奢な体には特に目立った痣はない。
梓は体のどこかを指で触る。
「つぅ・・・・・・触るだけでも辛いっすぅ~」
それだけで苦悶の表情を浮かべる。
「無茶すんな。痕にならないように、けれどまともに動けない程度に痛めつけたんだ。
あと数日はそのままだよ」
「器用な殴り方するんっすね」
「痣なんてつけたら大が気にするからな」
エヘンと胸を張る愛。
梓も女の子だ、痣ができるよりはダメージがでかいほうがいい。
そのため特に愛を責める気はない。
「少し休んでろ。あとはアタシがやっとくから」
愛はそれだけ言って再び雑巾を手にとった。
「悪いっすよ。あずも手伝います」
梓も服を元に戻して同じく雑巾を拾った。
「お前、そういう真面目なキャラだったか?
もっと手を抜けるところは人目につかない程度に手を抜く奴だと思ってたんだが」
愛の少し傷つくような問いに梓も渋い顔をする。
だが間違っていないので言い返す言葉はない。
そもそも今日だって愛おしい大の家だから大掃除を手伝ったのであって、他の人間の家の大掃除など絶対にしたくない。
もっとも、大の家なら手を抜くどころか褒めてもらうために本気で掃除するが。
「別に、長谷センパイ関わらない事なら今までどおりっすよ」
嫌いな奴は殴りたくなるし、嫌なことからは逃げ続けたい。
したい事をし続けていたいし、面倒事は関わりたくない。
大に不良をやめるといったのに愛の舎弟になったせいでそれすらままならない。
だったらそのままの自分でいこうと決めたのだ。
「それじゃさっさと―――――あぅ」
床を拭こうとしゃがんだ瞬間笑えない痛みが体の至るところに響く。
昨日の江乃死魔との喧嘩のせいだ。
ただでさえ痛かったのにアレのせいで余計に治りかけの傷を開いたらしい。
とはいえ、その喧嘩に後悔はない。
「大に好かれたいとはいえ無茶すんな」
昨日は怪我をきにして辻堂軍団を見捨てたら大に嫌われかけた。
大に嫌われるくらいならば自分の体を痛めつけたほうがマシだ。
故に今尚響く鎮痛も仕方がないものと思うが。
痛いものは痛い。
「お、お言葉に甘えるっす・・・・・・」
今まで掃除を手伝えたのもある意味根性の一種だ。
大には幸いにして気づかれなかったようだが、愛は見逃さなかったらしい。
実際のところ、愛は梓が大を気遣ってやせ我慢している事に気付いたから早々に大を一階に降ろした。
梓も愛がそういう気の効かせ方をしたのは気づいている。
だからこそ愛の好意に甘えることにした。
「オラァッ!」
「くたばれ!」
「これでトドメだあぁぁぁぁぁああ!」
物騒な声が長谷家の二階に響き渡る。
愛は掃除をする際に何か叫んだりするのがちょっとユニークなところだ。
実にチャーミング。
ラブリーチャーミーだ。
「・・・・・・うっさいすね」
愛に気づかれないように呟く。
まぁ、ちょっと賑やかではある。
下の階の二人はいつものことだと二階に上がりもしない。
梓は今まで思っていた辻堂愛のイメージが崩れていくのを感じた。
一応夏からは愛も大と付き合っていたため、彼とイチャイチャして普段の彼女とは違うところも見せていたが
それでもやはり梓の中では大と一緒にいるのろけた愛よりクールで怒らせると酷い目にあう喧嘩狼のイメージの方が強かったのだ。
それが何故だろう、先日の喧嘩から、いや冬休みに入ってから彼女の違う一面を見続けることになった。
スジを通し、本気でぶつかれば相応の態度をとってくれる。
かといって圧倒的なまでの力に溺れることもなく、不良らしい事もしない。
タバコは吸わないし、俗に言うカツアゲなどの分かりやすい悪事もしない。
自分が正しいと思うことをツッパリ通しているだけの人間なのだ。
その信条が原因で喧嘩をすることもあるし、強すぎるせいで挑戦者も多い。
それでもやっぱり不良っぽくないと思う。
髪だって不良らしかった目立つ金色から大の好みに合わせて黒く染めた。
「ねぇ、辻堂センパイ」
「あぁ? 何だ」
今手が塞がっているため、首だけこちらを向ける。
「センパイって辻堂軍団のことどう思ってるんっすか?」
「随分いきなりな質問だな」
愛は梓の問いに答えようと持っていたタンスを降ろす。
「別に、気がついてたら勝手について来てた連中だ」
ドギツイ金髪や誰にも服従しないその性格が原因で現在辻堂軍団にいるメンバーとは最低一度はぶつかっている。
もっとも誰も愛に勝てるはずはないのだが。
「辻堂軍団って名前をつけているくらいだからセンパイがリーダーなんですよね?」
「まぁな。アタシはその名前嫌だけど、定着しちまったもんはしょうがない」
「でも、辻堂センパイが辻堂軍団を率いて何かしてるところなんて見たこと殆どないっす」
基本的に愛は辻堂軍団には余り入り浸ったりしない。
そもそも辻堂軍団に入る条件が愛の日常生活を妨げない事が絶対条件だからだ。
詰まるところ、辻堂軍団とは愛のカリスマに惹かれた不良が集まって勝手に作ったグループなのである。
「久美センパイとかが勝手に喧嘩を売って返り討ちにあってるイメージが江乃死魔にはあるんですけど」
その言葉を聞いて愛は渋い顔をする。
「まぁ辻堂軍団は辻堂センパイのワンマンチームってのが常識だから、
他の人を倒したところで辻堂軍団倒したことにはならないっすよね」
辻堂軍団を倒したところで、そこに愛がいなければ普通の不良よりちょっと強い程度のヤンキーの集まりを潰した程度の評価だ。
「何が言いたい?」
ここで愛は梓が何か企んでいるのではと考える。
梓も愛が自分を疑っていることに気づいて少し笑う。
「逆に言えば辻堂センパイが手を貸せばそれは湘南最強のチームなのではと言うことっす」
今まで愛がどこかのグループを自ら潰しに行ったことは殆どない。
だが一人で江乃死魔を壊滅させるほどの強さをもつ皆殺しのマキと同格の強さなのだ。
おそらく愛がその気になれば・・・・・・
「アタシに何をさせたい」
「別に、何でそれをしないのかずっと疑問だっただけです」
もし、もしもだが。
梓が最初に江乃死魔に入らず辻堂軍団に入ったのなら愛を焚きつける方向で湘南制覇を狙っただろう。
もっとも今は愛も梓も無用な恨みを買いたくないのでそんな制覇など興味はないが。
「・・・・・・つまんねーんだよ」
愛は梓から視線を外して掃除の続きに取り掛かった。
「どいつもこいつも口先だけの威勢ばっかりで弱いし、喧嘩なんて退屈なだけだ」
「その気持ちはわかるっす。
でも、皆殺しセンパイなら辻堂センパイのお眼鏡に叶う筈じゃ?」
「それでもだ。喧嘩してる最中楽しめてもそれが終わればやっぱり何か白けた感じがあった」
大に合うまでは。
「アタシは自分がなめられなきゃ後はどうだっていい。
ハナっから湘南制覇って目的がないんだよ。恋奈と一緒にすんな」
ここで梓はようやく理解した。
愛と他の辻堂軍団の目的が圧倒的に違うことに。
「まぁ、アイツ等だけでどうにもならない事があったら手を貸すけど」
辻堂軍団だけは愛とは違って湘南制覇を夢見ている。
つまり愛は完全なお助けマン的な立ち位置なのだ。
随分無敵なお助けマンである。
「自分はどうすれば?」
梓も先日から辻堂軍団に入った。
故に自分の行うべき方針を聞く。
「知るか。好きにしろ、ただアタシの邪魔しなけりゃそれでいい」
そういって冷たくしてくるが、梓はわかっていた。
愛は自分の知る人間の中でもトップクラスに不器用ながらも暖かい優しさを持っていることに。
多分自分が怪我をさせられたら愛は激怒してソイツを半殺しにするだろう。
辻堂軍団だって不必要に痛めつけようものならやはり愛の怒りを買う。
だから江乃死魔はいつも辻堂軍団の逃亡を見逃す。
「辻堂センパイって恋奈様とは違うタイプのカリスマ持ちっすよね」
恋奈は組織を統率するのに長けたカリスマを持つ。
しかしそのメンバー全員を御しきれる程ではなく、必ず参謀を持つ必要があるのだ。
おそらく大衆を導くリーダーとしては彼女ほど適任な存在はそういない。
対して愛は恋奈とは違うベクトルのカリスマ性を持っていた。
「そんなもんねえよ」
「それは本人が否定する事ではなくて、第三者が決めることっす」
彼女の圧倒的な強さと、困ったときに必ず守りきってくれると信じられる頼りがい。
彼女がいるだけでどんな事も上手くいきそうだと思ってしまうほどに辻堂愛の存在は大きい。
同時にその嘘をつかないし裏切りもしないであろう一本気な性格。
普通にしていれば化粧なんてしなくとも美しい容姿。
「ふふ」
「何だよきもちわりぃ」
梓は愛のことを意識すればするほど彼女のことを好きになっていった。
「尊敬する人なんて恋奈様と長谷センパイくらいだったんですけど。
辻堂センパイもめでたくその仲間に入りました」
他人なんて信用できない。だから尊敬する人物だっていないのだが、
その圧倒的なカリスマを持つ恋奈と梓からすれば後光が見えるほど輝いて見える大は別だった。
大に至ってはもう彼のためならなんだってするレベルで尊敬している。
というより敬愛している。
そしてその尊敬する人物の中に愛は入った。
なるほど、愛のその真っ直ぐすぎる性格は梓にはない。
だからこそそれに眩しいものを感じる。
「ワケわかんねぇよ」
愛は若干テレたのか梓に顔を向けずプイっと背中を向けた。
その可愛らしい仕草に梓はキュンとする。
この喧嘩狼は格好よくて頼りがいがある上に女性らしい包容力や少女のような可愛らしさを重ね添えている。
自分も見習うべきところがあると梓は思った。
「辻堂センパイ可愛いっす」
「うっせぇばか!」
梓は愛の手を煩わせることを少しでも減らそうと、ある程度辻堂軍団に手を貸してもいいと思った。
「ほら、ヒロ。あーん」
「自分で食べれるって」
そう言って俺はトーストをかじりつく。
愛さん達が手伝ってくれたこともあって大掃除はあらかた終わった。
おかげで姉ちゃんも機嫌が良く、今日は料理も振舞ってくれた。
「大、口あけろ。あーん」
「う、うん。あーん」
愛さんに言われた通り口を開く。
その口に入れられた姉特製グラタンは寒い体を存分に温めてくれた。
「ざけんなざけんなざけんな辻堂さんならアリなのかよファックファックファック」
「お、お姉さん。落ち着いてくださいっす」
姉ちゃんが何か怖い。
そんな姉ちゃんにびびった乾さんは少し怯えた顔で落ち着かせようとしていた。
だがそれでは何の効果もないらしく、ギリギリとコップを握り潰さんとし、咥えたまんまのスプーンをガジガジと姉ちゃんは齧り続けていた。
「センパイも露骨なえこ贔屓よくないっすよ」
そう言って俺を嗜める乾さん。
もっとも怒っているというよりは良くないことをした子供を諭す程度のアクセントだ。
「うっせぇな。大とアタシは付き合ってるんだ、だったらイチャついて当たり前だろうが」
「・・・・・・長谷センパイ関わるとどうして辻堂センパイはここまで空気読めない人になるんっすかね」
ヤレヤレと乾さんは頭を抱える。
この中で唯一の常識人であるために彼女へ負担が全てのしかかっている。
彼女はそれを再確認してため息をついた。
「で、長谷センパイ。あと5時間くらいでもう年も明けますけど、今日のご予定とかあります?」
「俺はこの後愛さんと初詣にいくよ」
姉ちゃんはどうやら友達と飲み会があるらしい。
まぁ毎年姉と二人で新年を迎えていたのだが、今年くらいは仕方ないか。
「じゃああずもご一緒させていただきます」
「え~・・・・・・お前も来んの?」
「露骨に嫌な顔しないでくださいよ傷つくなぁ」
愛さんの分かりやすい拒否に乾さんは三白眼で抗議する。
だが愛さん自身も実の所乾さんを気に入っている節があるのか、
「まぁいいよ。それじゃあ三人でお参りいくか」
「やりぃっす!」
結局三人で行くことになった。
とはいえまだ行くにしては早い。
「いいわねぇ。私も行きたかったなぁ」
「来年一緒に行こうよ、だからそんな顔しないの」
寂しそうにする姉。
そのらしくない元気のない姿に俺は構ってあげざるを得ない。
俺が声をかければ現金なもので、すぐにパッと笑顔を見せる。
「お姉ちゃんがいないと寂しいのね。あ~、こんなシスコンの弟もってマジ辛いわ~。
いやほんとマジで辛いわ~。明けましてもシスコンおめでとう」
「このやろう」
ブチ殺すぞ。
「ん~、しかしこのグラタン本当に美味しいっすね」
「だな。なぁ長谷先生、これのつくり方とか教えてもらっていい?」
「ヤダ。断じて教えない」
即答である。
あまりに素早い返答に愛さんも言葉を詰まらせた。
「ただでさえヒロ取られて腹立つのにヒロの胃袋まで奪われてたまるかこんチクショー!」
魂の叫びだった。
子宮から声を出すという表現があるが、それを遥かに超えるインパクトのある怒号だった。
愛さんもその叫びに驚いて目を開いている。
「す、すいませんでした」
別に何も悪いことしていないのに取り敢えず謝る愛さん。
本人も何に謝っているのかは理解していないだろう。
「ところでさ、お姉ちゃんずっと疑問だったことがあるんだけど」
そう言って素の表情で俺を見る。
「この子誰? ヒロとどういう関係?」
乾さんにスプーンを向ける。
やめなさい、失礼だし行儀も悪いでしょうが。
というかそう言えば俺たちの関係を姉ちゃんに説明した記憶がない。
はて、どうやって説明すればいいのか。
乾さんは俺がその質問をされて答えられないのを察する。
そして姉ちゃんに聞こえないようにコソコソと俺に耳打ちをした。
「センパイ、言いにくいのでしたらあずの方から言いましょうか?」
本当にこの子は俺に対してはやたらいい子だな。
凄く俺が困っていることを察して手を差し伸べてくれる。
「いや、いいよ。俺の口から言う」
「はい、それじゃお任せするっす」
そう言って俺は訝しげな表情をする姉に向き直った。
「よぉしよしよしよしよしよし!」
「ちょ、痛いっす!」
説明を終える頃には乾さんは姉ちゃんに抱きしめられながら撫でまくられていた。
「わかるわぁアナタの気持ち。ほんとやってられないわよねぇ!」
「いやあの自分は別に納得してるんで・・・・・・」
「だというのにこいつ等は毎日毎日イチャコライチャコラざけんなってのよ! ボケ!」
どうやら俺に片思いしている乾さんを姉ちゃんは気に入ったらしい。
酒が入っているらしい姉に絡まれて乾さんは心底迷惑そうな顔をしている。
別に突き放しても構わないのだが、俺の姉という理由で冷たくできないのだろう。
つうか言葉がすぎるぞ今日の姉ちゃん。
「ヒロ!」
「はいはい、なんでしょうか」
突如の呼び出しに返事する。
「あなたも辻堂さんがいながら2号を作るってどういうつもり!
お姉ちゃんそんな不誠実なジゴロに育てた覚えありません!」
急にオカンみたいなことを言い出す姉。
こりゃだめだ。
何言っても怒られそう。
「いや、別に大と梓は付き合っているわけでは・・・・・・」
「辻堂さんは黙ってなさい!」
「はぁい」
愛さんも見かねて助け舟を出してくれたが、即座に切って捨てられた。
話を聞かなさすぎだろこの酔っ払い。
どう収拾つけるんだよこれ。
途方にくれる。
「小さい頃から逆光源氏計画を進めて、そろそろ収穫時期かと思ったらこのザマよ。
ヒロの精通だって私が手伝ってあげたというのに」
「おいまて教職員」
いま聞き捨てならないことを言った気がするぞ。
「ど、ドン引きっす」
「怖えぇ。大、お前の姉ってお前が思うより罪深いぞ」
酔いどれの姉ちゃんには何を言っても無意味らしい。
結局姉ちゃんは飲み会に出るまで乾さんにしがみついたままだったし、
俺はひたすらに怒られ続けた。
時間が来た。
そろそろ初詣に行く時間だ。
俺達三人はそれぞれ身支度をして家を出発する。
向かう先は俺が毎年行っている神社。
あそこは毎年沢山の参拝客が訪れて有所ある神社らしい。
故に人がごった返しているが。
「寒いっす」
俺の車椅子を押しながら乾さんはそう呟いた。
確かに今日は寒い。
更に付け加えるなら時間はもうすぐ12時となる時刻。
そりゃあ寒いだろう。
「ほら、俺のマフラー使いなよ」
「え、でもそしたらセンパイが寒いんじゃないっすか?」
俺は自分の首に巻いていたマフラーを外す。
「いや、俺は膝に毛布とかかけてるからそれ程寒くないんだ。
ほら、使って」
「じゃ、じゃあお言葉に甘えます」
少し躊躇したように俺のマフラーを手に取る。
それを慣れた手つきで自分の首に巻いて乾さんはほっと一息就く。
「長谷センパイの体温が残っててあったかいっす」
乾さんは幸せそうに呟いた。
そういう言い方をされるとこちらまで照れる。
「そのマフラー、前に大がまいてた長谷先生が編んだのとは別のか」
「うん。これは俺が去年編んだやつだね。
姉ちゃんのと比べれば色合いは地味だし網目も荒いけど」
それでもちゃんとマフラーとしての役割は果たせるレベルだ。
無論商品のレベルとは比べれるわけもないほど出来が悪いけれど。
「なあ大」
「ん、どうしたの愛さん」
愛さんは乾さんが首に巻いている俺のマフラーを見て何か思いついたように呟いた。
「来年さ、互いにマフラー編んで交換しないか?」
・・・・・・おお。
「いいね! 是非しよう!」
「お、おぉう。積極的だ」
素晴らしい。実に素晴らしい提案だ。
カップルっぽい。
「じゃ、じゃあアタシはハート柄なんて編んだりして・・・・・・」
「辻堂センパイ、それ少し古臭いです。
それにハート柄なんて男性には使いづらいっすよ」
「ぐ、確かにそうか」
乾さんのファインプレイで何とか危険は回避された。
確かに男の俺がハート柄はちょっと普段から使うにはキツイ。
いや俺は別に愛さんがくれるのなら何でも使うけれども。
「でもアタシまだ編み方なんてしらねぇし、結構早い段階から取り掛からないとな」
「俺が教えようか?」
「いいよ。委員長なら知ってるだろうし、アイツに教わる」
ここに来て委員長に嫉妬させられるとは。
俺が器用貧乏なのに対して委員長やヴァンは見事に万能だからなぁ。
確かに教わるのなら俺なんかより委員長の方が適任のはずだ。
「大、勘違いさせたくないから言っとくけど別にお前に教わるのが嫌なんじゃないぞ。
ただ、渡す時までどんなのが出来たかを知られたくないだけで」
つまり交換するマフラーの出来の確認はその時まで楽しみにとっておきたいということだろう。
「うん。それじゃあ俺も頑張って愛さんに似合うのを編むから」
「ああ。楽しみにしとく」
互いに笑い合って約束する。
1年近く未来にようやく果たされる約束。
それでも俺達はきっとそれを果たすだろう。
「ねぇ長谷センパイ」
少し遠慮がちに乾さんは俺たちの会話に割って入った。
「その。自分は――――」
「あぁ。大丈夫、乾さんの分もちゃんと編むから」
「いえ、それはいいんです」
どうやら乾さんの言おうとしたことを俺は何か勘違いしているようだ。
「来年にあずの分を編んでもらう必要はありません」
意外だった。
てっきり乾さんならほしがると思っていたのだが。
「辻堂センパイの分合わせて二つも編むのは手間でしょうし。
長谷センパイにそこまで迷惑をかけたくないっす」
そんな事はないよ、と言おうと口を開く。
しかし、俺がそういう前に乾さんの方が先に続きの言葉を出した。
「ですから、このマフラーをあずに頂けませんか?」
そう言って首に巻いているマフラーに大切そうに握り顔を埋めた。
「そんな俺の使い古しなんかより新しく編んだ方が良いんじゃ?」
「いえ、あずはコレがいいんっす」
そこまで言われたら俺もノーとは言えない。
「うん。それじゃあソレあげるよ」
俺がそう言うと乾さんは嬉しそうに微笑んだ。
「でも、そんなダサイマフラーなんて乾さんの趣味にあわないんじゃ」
「見栄えとかそんなのはどうでもいいっす。
あずはコレが気に入ってるんですから」
そこまで言われると俺も何だか嬉しい。
決して出来は良くないマフラーだ。
それに所々ほつれてるし、色合いも乾さんには似合わない地味さ。
「ふぅん、よかったじゃねぇか」
「はい。今年最後の宝物ゲットっす」
愛さんは少し微妙そうな顔をしているが、乾さんに喧嘩を売ったりはしない。
乾さんは俺のマフラーをまいたまま機嫌良さそうに歩く。
互いに交わす言葉もなくなり少し沈黙が続く。
俺は気まぐれに空を見上げる。そこには星空が広がっていた。
とても綺麗で、煌びやかな天体だ。
それは一年の終わりを迎えるには最適の天気。
俺はこの一年を振り返った。
多分、この一年は俺の人生にとって大きなターニングポイントだったのだろう。
恐らく今後も愛さんや乾さんとは人生単位で関わり続ける。
もしかすれば二人と関わらない人生もあったのかもしれない。
もしかすれば愛さん以外の女性と付き合う事もあったのかもしれない。
だが現実はそうはならず、俺は愛さんと付き合っている。
悪くない。
いや、むしろ素晴らしい一年だった。
まだ気が早いかもしれないけれど、俺は今年起きたことを一生の思い出とするだろう。
それほどまでに激動の一年だった。
得たものは沢山あって、失ったものは何もない。
そりゃ最後には怪我を繰り返して二度も入院したが、二人と仲良くなったことを考えれば圧倒的にプラスだ。
それを踏まえて俺は意識した。
本当に、今年は良い年だった。
長いようで、それでいてあっという間だった一年はもうすぐ終わる。