辻堂さんの冬休み   作:ららばい

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冬休みのひと時
14話:惚れるワケ


春眠暁を覚えず。

誰もが聞いたことのある言葉だろう、俺も同様にやはりこの言葉を知っている。

意味は春の夜は余りにも眠り心地がいいために、朝が来たことにも気付かず寝過ごしてしまうという事だ。

時々、あまりに寒いため朝布団から出られないという風に解釈している人もいる。

 

さて、現在の季節は冬。

それももうすぐ新年を迎える程に師走の終盤だ。

 

その寒さは凄まじく、暖房を効かせていなければベッドから出るのが一種の苦行となるほどに。

入院生活の現在もそれは変わらず、経費削減とやらで深夜はエアコンを止められている。

いや、つけようと思えばつけられるのだが少し怖い婦長さんに皮肉を言われるのだ。

 

無用な説教は御免したいがために俺は言われた通り深夜はエアコンをつけない。

その為に朝目が覚めた時の室温がやばいことになっている。

寒いとかそういうレベルではない。

寒さがそのまま冷たさに変わり、冷たさが痛みに変わるくらいに寒い。

 

が、何故だろう。

現在俺は体も頭も全て布団の中に入れて寝ているのだが、妙にいつもより暖かい。

まだ半分夢心地なために何故か察するほど頭が回転しないが、いつもより心地よいその感じに幸せなものを感じる。

 

頭を少し動かすと何やら顔に柔らかい感触が伝わる。

プニプニしていて、それでいてスベスベで。

だというのにモチモチしていて。何よりも甘酸っぱくていい香りだ。

 

どこかで味わったことのある感触だが、思い出せない。

まぁいいや。まだ眠いし今はまだこの気持ちいい感触を味わおう。

 

顔をグリグリする。

 

「あ、ひゃぁん!」

 

何か上の方で声が聞こえた。

何だろうと一瞬考えたがやはり眠い頭ではわからん。

 

ん~、顔だけでなく手でも味わいたいな。

顔を埋めるソレをがしっと掴んでみる。

 

そしてこねくり回す。

おお、いい感触だ。

まるで粘土のように形を自在に変えるのにそれでいて粘土にはない手を押し返す反発力がある。

 

「ちょ、やめっ。それ以上は・・・・・・あんっ」

 

何やら上から悩ましげな声がする。

 

まあそんなことはどうでもいい。

今はこれを味わうのが先決だ。

 

顔をグリグリと暖かい谷間に埋めつつ、手でそれを揉みしだく。

あ~、あれだなこれ。

女性の胸の感触に似ている。

 

そういえば確かに、愛さんのに似ている。

愛さんのはもっと小さいけれど、これ以上の質感というか、ハリや細やかさがあって・・・・・・ん?

 

ようやく頭が冴えてきた。

 

「はぁ、はぁ。センパぁイ・・・・・・」

 

やばい。

ここでようやく気付いた。

これおっぱいだわ。

しかも夜忍び込んでくる姉の時とは違って今回の侵入者は服着ていない。

布団の中だから見えないけれど、服の感触がないのだ。

 

即座に顔を埋めていた箇所から離れる。

 

そして恐る恐る布団から顔を出してみれば。

 

「・・・・・・なにしてるのさ」

 

乾さんがやたら艶っぽい顔で息切れしていた。

 

「あ。おはざっす、長谷センパイ」

「お、おはよう」

 

挨拶も大切だけれども、それよりももっと話すべきことがあるだろう。

 

「どうして俺のベッドに?」

 

見たところ上も着ずに俺のベッドに潜り込む理由が見つからない。

 

「寒いんですもん、だから人肌であったかくしようかと思いまして」

 

一理ある。

寒いし、そういう時は体温で温まった布団こそが最高の逃げ場所になる。

が、それでもだ。

 

「何も男の布団に潜り込まなくても」

「いいじゃないっすか、長谷センパイも気持ちよかったでしょ?」

「・・・・・・はい」

 

暖かかったし、気持ちよかったです。

 

「って、そんなことより。早く服着なよ、風邪ひくよ」

「はぁい」

 

そう言って乾さんは首から下を布団から出す。

出した瞬間俺は飛び上がった。

 

「乾さん! 胸! 胸!」

 

そうだ、上を着ていないのだ。

一瞬見えた彼女の大きな胸と綺麗なピンク色の突起。

俺は即座にそれを忘れようと努力しつつ、自分の目を手で塞ぐ。

 

「ありゃ、隠すの忘れてました。

 ちょっとシーツ借りますね」

 

胸を隠すのに使うのだろう。

薄いシーツを手にとって乾さんは体に巻いた。

 

「因みに、今あずは下も穿いてませんよ」

「そんな報告いいから! っていうか何で全裸で男の布団入るのさ!」

 

痴女か。

 

「ふふん、そりゃぁお色気作戦に決まっているでしょう」

 

一応シーツをまいているのでもう裸ではない。

俺は手をどける。

 

それを確認した乾さんは自分のベッドの上に腰掛けて足を組む。

 

「センパイ、別に我慢する必要は無いんですよ?

 いつでもあずは受け入れる準備してますから」

「が、我慢なんてしてないさ」

 

いいから早くカーテンを閉めて着替えて欲しい。

だが乾さんは俺の心境を知ってか知らずか、一向に着替える素振りを見せない。

それどころか何やらニヤニヤと俺を見る。

 

「我慢してない? 嘘は良くないですよセンパイ」

 

凄くいやらしい笑みで俺を見る。

いや正確には俺というより俺の下腹部。

ん?

 

「いやん! 梓さんのエッチ!」

「そんな青狸のヒロインみたく言われましても」

 

見れば俺の下腹部には布団をかつて空を支え続けたというアトラスのように押し上げる愚直なマイサン。

真っ白で平行線のように平らなその布団には一本そびえ立つ白き巨塔。

その雄大さ広大さは見るものを魅了してやまない。

なわけがあるか。

 

「違うんだ、これは男子特有の生理現象であって。

 朝起きたら普通こうなるものなんだ」

「別の所が起き上がったという遠まわしなアピールっすか?」

「そんなつもりはないよ」

 

誰が上手いことを言おうとした。

 

「ともかく、これは若さの証明であって別にムラムラしたとかそういう意味じゃ・・・・・・」

「ないんですか?」

「無いとも言い切れませんが」

 

いや、まぁ朝おきたら少しムラムラする。若いし。

それに朝一番に乾さんの胸である。

そりゃ男なら興奮するだろうけど。

 

「と、ともかく今後そういう事はやめなさい」

「嫌です。寒いんですもん」

 

だめだこりゃ。

 

「いや、俺彼女いますしそういうのは良くないと思うんですよ」

「え? 辻堂センパイの許可ならもうありますよ」

 

え、何それ。

 

「好きにしろって言われてますし。

 一応その為の交換条件も呑みましたし」

「交換条件って?」

 

彼氏おいてけぼりで何を交渉したのだろうか。

 

「自分がしばらく辻堂軍団の一員になる代わりにその間だけ長谷センパイに何しても怒らない。

 そういう内容です」

 

それはつまり愛さんと乾さんが先日喧嘩をしたという事なのだろうか。

というか愛さん、随分思い切った約束をしたものだ。

しかもこれって俺が乾さんに誘惑されたら間違いなく俺が被害を被るパターンの奴ではないだろうか。

 

「辻堂軍団に入ってどうするのさ」

「さあ? あずも特に何するか言われてないっす」

 

一応怪我をした乾さんを庇護下に置くために引き入れたってのが愛さんの考えだろう。

つまり彼女が辻堂軍団に入れている間だけ愛さんが守ってやると。

ただ、それだと愛さんに何もメリットの無い交換条件な気がするが。

 

それは乾さんも自覚しているのか、少し申し訳なさそうな顔をしている。

 

「一応今日辻堂軍団に挨拶するつもりですけど、何か気をつける事とかありますかね?」

 

なにげにそこらへんはキチンとしている。

挨拶とか面倒だからしなさそうなイメージあったが認識を改めよう。

 

「ん~、基本愛さんを尊敬した人たちの集まりだから、

 愛さんを侮辱しなければ快く迎えてくれると思うよ」

 

自分も最初はヤンキーな彼らには驚いたが、話してみれば皆気のいい人たちだった。

今でも彼らの集まる教室には顔を出しているし、一緒に下校する事だってある。

 

「あ、でもクミちゃんには気をつけたほうがいいかも」

「クミ・・・・・・誰でしたっけ?」

 

結構酷い。

何度も顔を合わせている筈なんだけど。

 

「ほら、夏に俺とクミちゃんが一緒に帰ってる所に乾さんや一条さんが襲ってきたじゃない。

 その時に乾さんが海辺で俺の喉笛潰しながら関節外そうとした時に一緒にいた女の子」

「うぐ、微妙に根に持ってますね」

「いや別に根に持ってないって。一番思い出しやすそうなのがそのシチュエーションなだけだよ」

 

気まずそうな顔をする乾さん。

だがその説明でようやく思い出したのか、手をポンと叩く。

 

「あぁ、あのバカ女っすか」

「ひどい」

 

俺としては可愛げのある女の子なんだが。

乾さんからすれば勝ち目なく喧嘩を売りまくっている無鉄砲のイメージなんだろうな。

 

「うえぇ、あんなのをセンパイなんて呼びたくないっすよ」

「別に、同い年なんだしセンパイなんて付けなくともいいんじゃないかな」

 

言われてみれば乾さんは江乃死魔にいた頃も同い年な筈の恋奈さんやハナさん、一条さんにも先輩という敬称を使っていた。

どうやら先にその組織にいたから先輩といっているのだろう。

地味にそういう上下関係はきっちりしてるところが面白い。

 

「センパイも一緒に行きませんか? 正直あず一人じゃ心細いっす」

「あ~、それは良いけど俺動けないよ?」

「大丈夫っす。車椅子に乗れば問題ありません。

 自分が優しく押しますから」

 

お言葉に甘えるとしよう。

正直冬休みに入ってから殆ど病室で過ごしているため退屈で仕方がない。

辻堂集会なら愛さんも来るだろうし、俺としてはむしろ行きたい所だったのだ。

 

「じゃ、まだ早いですけど準備しましょうか」

 

そういってカーテンを閉めずに体に巻いていたシーツを脱ぎ出す乾さん。

 

「わあああああ! せめてこっちに背中向けてよ! 見える、見えちゃうから!」

 

いきなり脱ぎ出すから思い切り目を逸らし損ねた。

またもや思い切り彼女の胸を見てしまった。

・・・・・・でかかった。

 

「別にセンパイなら見ても良いんですよ?

 手を出してくれたってむしろウェルカムっす」

「良いから早く服着なさい、風邪ひくよ」

「はぁい」

 

寒いはずの部屋なのに異常に暑苦しくなった。

下半身なんてもはや沸点越えているようなレベルである。

 

 

 

 

 

 

 

「気にいらねぇ・・・・・・」

 

乾さんの顔をみた途端にそう零すクミちゃん。

現在俺と乾さんは補習が終わったらしい辻堂軍団の集まる教室にいる。

 

愛さんだけはちゃんと俺と一緒に勉強したから一教科も補習はない。

その為少しここに来るのが遅れているらしい。

 

「何で愛さんはテメェみたいな裏切り者を引き入れたんだよ」

 

ストレートすぎるその毒舌に乾さんは苛立った顔で舌打ちをする。

 

「ウザイっすね。上の人が言ったのならそれは絶対服従でしょうに。

 いちいち文句垂れてんじゃねぇよ」

「んだとこらぁ!」

「ちょ、ちょっと待ってよ二人共」

 

慌てて二人を仲裁する。

こうなることは何となく想像ついたが、いくらなんでも二人の相性悪すぎ。

 

「・・・・・・センパイが言うなら」

 

未だ頭に来ているみたいだが俺の言葉には大人しく従って引いてくれる乾さん。

何やら彼女の中では俺の言うことは絶対服従っぽいんだが、それはそれで戸惑う。

 

対してクミちゃんはまるで引く気がないらしく、

口は閉じたものの舌打ちしたりメンチ切ったりして乾さんに喧嘩をふっかけている。

乾さんも心底イラついているらしく、いつ殴りかかってもおかしくない。

 

「クミちゃん、そういうのよくないって」

「せやで、そこの乾はんを擁護するワケちゃうけど

 愛はんの命令ならそれに大人しく従ってこそのわいらやろうが」

 

俺の言葉に合わせてクミちゃんを窘めてくれる軍団員Bさん。

申し訳ないけど実は名前を知らないのだ。

 

「うっせぇな。オレだって愛さんのすることに文句いいたくねぇけど。

 でもコイツは気に食わねえんだよ」

 

そんな狂犬みたいな事を言われても。

どうしたものかと考える。

 

「(くちゃくちゃ)クミ、あんたどうせシーヒロが愛さん以外の女とベタベタしてんのが気に入らないんでしょ?」

 

相変わらずガムを噛みながらフランクにクミちゃんに絡む軍団員Dさん。

俺の呼称がおかしい気がするが突っ込ものは野暮なのだろう。

 

「ち、ちげぇよボケ!」

 

顔を真っ赤にして否定する。

まぁ確かにそれが普通だよな。

クミちゃんは愛さんに心酔している。

そんな人の彼氏が他の女性の影をちらつかせていていい気がするはずがない。

 

「ふぅん。そういうわけっすか」

「な、なんだよ」

 

弱みを見つけたとばかりにクミちゃんに絡む乾さん。

 

「別になんでもないっすよ。ただ、そんなに恨まれる理由はわかったっす」

「あぁ!? なにわかったような口きいてやがる!」

「お~お~怖い怖い。行動派なあずに嫉妬する奥手女から逃げるっす」

「だ、何言ってやがるテメェ!」

 

何やら二人が相性悪いのはわかったのだが乾さんはその相性が悪い原因に気づいたらしい。

俺にはよくわからないいじり方をしてクミちゃんで遊び始めた。

 

そんな彼女たちを見て俺は内心思う。

本当に乾さんが辻堂軍団に一時的とは言え入って大丈夫なのだろうかと。

 

突如俺のその心配を現実にするように、稲村学園の校庭に爆音が響く。

 

その音を聴いて全員が動きを止めた。

 

「この耳障りな音は・・・・・・!」

 

一番に反応したのがクミちゃんだった。

真っ先に教室の窓へ詰め寄って外を確認する。

 

それに習うように全員が彼女に続いて窓に詰め寄る。

 

「あ~、これ自分のせいですね」

 

乾さんが俺を気遣って車椅子を窓際に持って行ってくれた時に彼女のそのつぶやきの意味がわかった。

なるほど、この喧しい客はどうやら乾さんに用事があるようだ。

 

 

 

 

 

 

「わざわざこんな所まで来るとはどういう了見だクソ恋奈」

 

人気のない校庭で辻堂軍団と江乃死魔の精鋭五十人程度がにらみ合う。

その先頭にはクミちゃんと片瀬さんの姿があった。

 

「鬱陶しい顔みせないで頂戴。私の今日の目的はアンタ達じゃないの、そこをどきなさい」

「あぁ!?」

 

心底鬱陶しそうな顔をしながらクミちゃんを邪険にする片瀬さん。

そういえばこの二人は中学時代に確執があったのだった。

 

「ほら、隠れてないででてきなさい梓。いるんでしょ」

 

目前のクミちゃんを視界から外し、乾さんを呼び出す。

その声に辻堂軍団の最後尾にいた乾さんはびくりと反応する。

お呼びのようだが、何故か前に出ようとはしない。

 

「どうしたの? 片瀬さんが呼んでるよ」

「う~、立場上出づらいっす」

 

まぁ、気持ちはわかる。

元江乃死魔幹部で抜けたあとも一条さんや片瀬さんから再勧誘を受けていた。

なのに入ったグループは江乃死魔の目の上のたんこぶである辻堂軍団だ。

そりゃ出づらい。

 

「センパイ、このまま逃げません?」

 

そういって俺の車椅子を握って回れ右する。

 

「こらこら、せめて話だけでも聞いていかないと片瀬さんに申し訳ないよ」

「むぅ、正論すぎて耳が痛いっす」

 

とはいいながらも俺の言葉なら耳を貸してくれるらしい。

しぶしぶといった感じで江乃死魔の方へ歩き始める。

何故か俺も前に持って行かれているのが疑問だが、一人だと心細いのだろう。

 

 

 

辻堂軍団の人たちを掻き分けて先頭に立った俺達。

その姿をみて片瀬さんはジロリを睨む。

 

「聞いたわよ梓。アンタ、昨日辻堂に負けて舎弟になったそうじゃない」

「ええ、それが何か?」

 

乾さんの淡白な反応にため息をつく片瀬さん。

 

「それで、どうするの。マジで辻堂軍団に入ったわけ?」

 

それを確認するためにここへ来たのだろう。

真剣な表情で確認する。

 

「ええ、負けた自分が勝った辻堂センパイの命令に従うのは当然でしょう」

 

その筋の通った答えに片瀬さんはこめかみを抑える。

 

「いいの?」

「いいのとは何がっすか」

「アンタ、私達江乃死魔と敵対してもいいのかって聞いてるのよ」

 

その言葉に乾さんは苦笑する。

 

「別に、自分はそれほど辻堂軍団に肩入れするつもりはないですよ。

 勿論辻堂センパイや長谷センパイに江乃死魔とやりあうように命令されりゃ従いますけど。

 このバカ女達が勝手にやりあうのならどうぞご勝手にって感じっす」

 

乾さんは俺に対しては明らかに優しくなったが、他の人間に対しては相変わらず辛辣だった。

元から結構きついことを言う子だと思っていたが、改めてそれを確認した。

 

「随分中途半端なのね」

「ええ、ですからあずが自分から恋奈様達に喧嘩売ったりするわけではないので安心してください」

 

明らかに乾さんが片瀬さんを挑発しだした。

江乃死魔のメンバーも総長が舐められていると思って騒ぎ始めている。

その中から一人、背の高い筋骨隆々の女性が現れた。

 

「よ、梓。怪我の調子はどうだっての」

 

一条さんは乾さんが辻堂軍団に入ったことを特に怒ってはいないのか、普段通りに話しかける。

その敵意のない語りかけに乾さんは少し困った顔をする。

 

「良くはないっすね。自分ティアラさんのように回復力ないもんで」

「俺っち骨折も二日で治るからなぁ。ん、ティアラさん?」

 

一条さんは乾さんの自分への呼称に引っかかったらしい。

そこは俺も気になった。

 

「もう同じグループでもないんですしセンパイとつけるのもアレでしょう」

 

どぎつい悪どい顔でティアラさんに吐き捨てる。

どうしてここまで刺々しい態度を取る必要があるのだろうか。

 

「もういいでしょティアラ」

 

呆気にとられた一条さんの前に立つ片瀬さん。

そして人差し指を乾さんに向ける。

 

「それじゃあ梓。今日この瞬間からアンタは私の敵よ」

 

そう言いきった。

 

「元身内の奴が別のグループにいるなんて目障り以外のなにものでもない。

 今日ここで潰されてもまさか文句なんて言わないわよね?」

 

まずい。

この流れは。

 

慌てて静止の声をかけようとするも間に合わない。

 

「テメェら! やれ!」

 

片瀬さんのその掛け声一つで五十人の精鋭が一斉に辻堂軍団に襲いかかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちょ、どうするんでっかクミはん! 流石にこの人数差は無理やで!」

「うっせぇ! 愛さんが来るまで持ちこたえるしかねえだろ!]

 

喧嘩が始まってからは地獄絵図だった。

幸いにしてまだ倒された人はいないが、それでも徐々に人数の差で押され始める。

 

「おいテメェ! 少しは真面目にやりやがれ!」

 

クミちゃんが襲いかかる不良を必死によけながら遠く離れた箇所で逃げ続ける乾さんを怒号する。

 

「え~、だってメンドイですし」

「メンドイってテメェが挑発したからこうなったんだろうが!」

 

因みに俺の車椅子は乾さんが喧嘩開始直後に離れた所に持っていったので喧嘩の蚊帳の外の位置にいる。

というより距離を置く際にも江乃死魔の誰もが俺を狙わなかった。

多分片瀬さんが俺を狙わないように事前に指示していたのかもしれない。

相変わらず見えない所で優しさを見せる子だ。

 

「おいおい、まだ俺っちが出てないのにそのまま壊滅するんじゃないのかいコレ」

 

遠いところで呟く一条さん。

 

今日来ている幹部は一条さんと片瀬さんだけらしい。

その二人もまだ喧嘩の中に入っていないため辻堂軍団は凌いでいられた。

 

「ティアラ、もういいわ。アンタもいきなさい」

「あいよ、恋奈様」

 

だがいい加減にこんな掃討戦に飽きたのだろう。

片瀬さんはさっさと終わらせるために一条さんを投入する。

 

彼女が喧嘩の輪に入ったのをみて辻堂軍団のメンバーは慌てふためく。

 

「あらよっと!」

「うぎゃあーーーー!」

 

タックル一つで吹き飛ばされる辻堂軍団の一人。

無理もない、自動販売機を一撃でヘシ曲げる体当たりだ。

並みの不良が食らったのではひとたまりもない。

 

俺はその姿をみて胸にざわついたものを感じる。

それを不快に思いながら、いつでも俺を庇える位置にいた乾さんに声をかけた。

 

「乾さんはこの喧嘩に参加しないの?」

 

俺の問いに乾さんは笑って答える。

 

「はい。だって、痛いのヤですもん」

 

明確な答えだった。

 

「でも、この喧嘩の目的って乾さんを潰す事だから結局最後は君が狙われるんじゃ」

「その時はさっさと逃げ切ります。

 勿論センパイも一緒に連れて行きますんで安心してください」

 

そういうつもりだったのか。

・・・・・・あまり好きな所ではない彼女の一面を見た気がする。

 

「何を安心するのさ」

 

無意識のようにつぶやいてしまった。

目の前で知人が殴り倒されているのに安心して逃げるなんて俺にはできない。

できるなら割り込んで仲裁したい所だ。

 

「あ、あれ? センパイもしかして怒ってません?」

 

俺の僅かに陰った顔を見たのか、乾さんは焦ったように話しかけてくる。

 

「別に、怒ってないよ」

 

誰だって痛いのは嫌だ。

だから乾さんのその考えを否定するつもりはない。

ただいい気がしないだけだ。

 

「怒ってるじゃないっすか。なんでもしますから機嫌直してくださいよぉ」

「だから怒ってないって」

 

そんなに不貞腐れた顔をしていたのだろうか。

少し反省する。

 

だが乾さんはやたら俺にくっついてひたすらに甘え声で何やら言ってくる。

怒ってないのだから何もしてもらう必要はないのだが。

 

「そうだ、アイツら見捨てたのが駄目だったんっすね」

 

何やら一人で自己回答をしたらしい。

 

「じゃあ手を貸してきますからそれで許してくださいセンパイ」

 

そういって俺を現場から結構離れた箇所に置いて喧嘩の中に突っ込んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

そこからの展開は凄まじいものだった。

五十人の精鋭を乾さんは片っ端から叩きのめしていって、数分で壊滅させたのだ。

そりゃそうだ。

乾さんだって愛さんに準ずる実力者。

本気を出さなくてもこの程度の人数なら余裕なのだろう。

 

「あら、結局残ったのはティアラさんと恋奈様だけっすか」

 

以前として腕を組んで立つ片瀬さん。

現状としてはかなりピンチな筈なのに全然ひるんでいる様子はない。

 

「へへっ、そんじゃあ俺っちとタイマンしてみるかい?」

 

同じく一条さんも喧嘩好きの血が騒ぐのか怯えるどころかむしろ楽しんでいた。

 

「いいんすか? もう仲間でもなんでもないんだから手加減なんてしませんよ?」

「上等だっての!」

 

乾さんの挑発に乗った一条さんは一切のフェイントをせず、真っ直ぐ彼女に突っ込んだ。

そのタックルは速い上にとてつもなく重い。

当たれば大概の人間なら一撃でノックダウンするだろう。

 

しかし、相手が悪すぎた。

 

乾さんは冷めた顔で容易くその突進を躱し、すれ違いざまに何やら一条さんの足に触れた。

一体何をしたのかと思ったが、その答えは一瞬で出た。

 

勢いよく突進を空ぶった一条さんが乾さんとすれ違った瞬間大きく転倒したのだ。

 

「は? あれ!?」

 

何がおこったのか本人は理解できないのだろう。

慌てて立ち上がろうにも足に力が入らず立てない。

当然だ。

 

足の関節が繋がっていないのだから。

 

「ほら、これで勝負ついたっしょ。

 負けを認めるなら痛くないようにつなげますよ?」

 

立ち上がれない一条さんに嗜虐心顕にした顔で近づく乾さん。

だが一条さんは自分の足の関節が外された事に遅れて気がつく。

 

「ざけんな! 関節くらい自分でハメれるっての―――――!」

 

自分の外れた足を両手で掴む。

瞬間、ゴキッというとんでもなく鳥肌が立つほど痛々しい音が響いた。

なんて事はない、一条さんが自分で外れた足をつなげたのだ。

 

聞いた音だけでつなげるのを失敗したのだとわかる。

見てもなんか足の向きとか少しおかしくなってるのだ。

 

「っつうううううぅぅぅぅぅぅぅ・・・・・・」

 

本人もとてつもなく痛かったのだろう、涙をこぼしながら立ち上がれないでいる。

関節も変なはめ方をしたから動くかどうかも怪しい。

 

「あぁもう、そんな下手くそな繋げ方したら逆に関節痛めますよ」

 

何だかんだで一条さんを心配しているのか、慌てて悶絶している一条さんに近づく。

そしてそのまま一瞬で先ほど一条さんが自分でつなげた関節を外した。

 

「はめ方はこうっす」

 

そして流れるような手つきで一条さんの足をひねった。

今度は何やら軽い音が響く。

さっきの聞くだけで痛みがこっちにまで伝わりそうなのとは違って、気持ちいのいい音だった。

 

「お、おお! 全然痛くなくなったっての!」

 

痛みが一瞬で失せたのかすくっと立ち上がる。

足をストレッチ感覚で伸ばすがどうやら調子もいいようだ。

 

「今のはサービスしましたけど次は無いですよ。

 次外したらもうあずは繋げてあげません。

 自分で繋げるのならどうぞご勝手に、後遺症残っても知りませんので」

 

さっきのやり取りで乾さんの強さを味わったのだろう。

一条さんも渋い顔をする。

流石にもう今みたいに自分で関節を戻そうとは思わないだろう。

 

構えないティアラさんに乾さんはため息をつく。

 

「で、残るは恋奈様だけっすけど、どうするんですか」

 

乾さんに声を投げかけられて尚態度を崩さない片瀬さん。

明らかにピンチな筈なのにどうしてここまでブレないのか。

 

そう思った瞬間、更に遠くから喧しいバイクの音が響く。

しかもそれは明らかに稲村学園に近づいてきている。

 

「さて、それじゃあ第二幕と行きましょうか。

 今度は三百で相手してあげるわ」

 

なるほど。

そりゃあ強気でいられるわけだよ。

 

「うげ、想定外っす」

 

乾さんもゲンナリする。

そしてそのまま片瀬さんに背を向けて一瞬で俺の方へ向かってきた。

 

「逃げるぞテメェら! 覚えてやがれクソ恋奈!」

 

見れば乾さんの喧嘩をぽーっと眺めていた辻堂軍団も慌てて撤退準備を始めていた。

 

「あず達も逃げましょうセンパイ。流石に三百も相手してたら体力が持ちません」

 

スタミナはそれほどない乾さんは持久戦に弱い。

故にこの片瀬さんのとった数による暴力は対乾さんには有効なのだ。

乾さんもそれを自覚しているから即効俺の車椅子を持って稲村学園から撤退した。

 

 

 

 

 

 

 

気に食わない。

久美にとって乾梓への感情はその一言だった。

 

過去に自分たち辻堂軍団の障害となった存在。

それも忌々しい片瀬恋奈の作った江乃死魔の幹部。

反吐が出るほどに気に食わない。

 

圧倒的な運動神経を持ちながら、それを最近まで隠蔽していた事。

露見したとしても尚進んで戦おうとしないこと。

妬みと怒りが混じりあった不愉快な気分になる。

 

なんなのだアイツは。

 

「ここにいたのか、クミ」

 

江乃死魔から逃げて数時間経った現在。

本来ならば愛を迎えて今ごろ集会をしていたはずなのだ。

なのに恋奈のせいでその予定すら潰れた。

 

「愛さん。すいませんでした、呼び出したのは俺達だってのに」

 

久美は時間がある程度経過したのを見計らって一人で稲村学園に戻った。

まさか何時間も他校に恋奈もいられるはずもない。そういう目論見だ。

 

だがそこまで頭が回ったのは久美だけであり、

拠点としている教室には他にだれも戻ってこず、一人寂しく誰もいない学園の屋上で黄昏ていた。

 

「驚いたぞ。わざわざ呼び出されたから冬休みにここに来たのに、

 待っていたのはお前らじゃなくて恋奈達だったし」

 

まぁ掃除はしといたが、と付け足す愛。

年末の大掃除扱いで江乃死魔のメンバーはかたされたらしい。

それを想像して久美はくすりと笑う。

 

流石愛さんだ。

一人であの人数の敵をぶっ倒すことができる。

その強さに憧れるし、その凛々しくも美しい容姿に魅了される。

彼女の一挙一動にカリスマ性を感じ、慕う気持ちを抑えられない。

 

「で、どうすんだ今日。もう集まる予定ないのならアタシは帰るぞ」

「・・・・・・ヒロシの所行くんですか?」

 

帰ろうとする愛に問いかける。

 

「ああ。まだ今日は顔を合わせてないからな。

 一日会わないだけでどうも落ち着かない」

 

一度喧嘩別れをしてからというもの、ヨリを戻してからの愛は大への気持ちをあまり隠そうとしなくなった。

そのストレートな物言いには聞かされるこっちが恥ずかしくなるほどだ。

 

「愛さん。そんなにヒロシが好きならどうしてあの乾ってのを潰さないんすか?」

 

好きな男に別の女の姿がちらつくのが嬉しいわけない。

もし自分の好きな男にそんな事があったら自分はなりふり構わず喧嘩を売って叩きのめそうとするだろう。

しかし愛はそれをしようとせず、むしろ自分に乾梓を近づけるべく舎弟にした。

全く理解ができない。

 

「お前も昨日の喧嘩みたろ。ちゃんとアタシがこの手でアイツ殴り倒しただろうが」

 

そうじゃない。

あの喧嘩は確かにすごかった。

時々見るマキと愛の喧嘩とは別のベクトルにある、何か引き込まれるとてつもないぶつかり合いだった。

互いの気持ちを、意地をぶつけ合いながら

その意思の強さがそのまま喧嘩の実力に変換されたような。

 

言葉にするのは難しいけれど、自分の知る乾梓の喧嘩ではなかったのだ。

 

なりふり構わず殴りかかり、愛の攻撃を食らっても尚倒れないその姿。

その姿に自分は嫉妬したのではないだろうか。

 

「そうじゃないんです。愛さんは目障りじゃないんですか?

 ヒロシの隣にいつもあんな奴がいる事に」

 

大のことは久美も認めている。

腕っ節はてんで弱くて、容姿だって美しい愛に釣り合うとは到底思えない平々凡々を絵に書いたような男だ。

でも愛はいつか言った。

世界で一番悪い奴じゃないから好きになったと。

 

最初は意味がわからなかった。

しかし今となってはもうわかっているのだ。

 

他人のために体を張れて、人の悪い所ではなく良い所を見ようとする素直さ。

甘えればそれを許してくれそうな包容力。

挙げればキリがない程に長谷大の魅力を知っている。

 

だから愛と大が付き合う事にもう一切の反対はない。

 

だが乾梓と長谷大が近づくことに関しては絶対に許せない。

 

自分の認める長谷大が、あんな気に食わない女と一緒にいるところなど見たくはない。

昔、まだ長谷大を認めていなかった頃の気持ちがそのまま乾梓に向けられているのだ。

 

「目障りに決まってんだろ。今だってアイツが大の傍にいることが想像つく。

 それを拒めない大だって頭に浮かぶ。気に食わないことこの上ねぇよ」

 

だったら何でアイツを長谷大に近づけるなんて真似を、と言いかける。

だがそれを言い切る前に愛は続きの言葉をだした。

 

「それでも認めざるを得ないだろうが。

 あれだけ真っ直ぐにアタシに気持ちをぶつけてきたんだから」

 

先日の喧嘩のことだろう。

あの時に乾梓は長谷大の彼女である愛に長谷への思いの丈をぶつけた。

聞いているこっちが恥ずかしくなるほどの真っ直ぐな想いを吐き出した。

 

少なくともその気持ちは一切の迷いがなく、深いものだったことは久美にもわかったのだ。

 

「あの気持ちを潰す事はアタシにはできない。

 だから敢えてチャンスをやった」

 

好きにしろと。

それを認めた愛の気持ちはどうだったのだろうか。

 

「アタシが大に二度別れを持ち出したことがあるのは知ってるか?」

「はい、確か一回目は夏の三会が終わった辺りですよね」

「ああ、それであっている」

 

その最初の別れの切り出しの原因も知っている。

愛は自分が不良の番長だから、一般人の大に危険が及ぶ事を危惧して別れを切り出したのだと聞いた。

その選択は間違いなく正しいだろう。

現にこの冬休み中に長谷大は乾梓や三大天を恨む連中に襲われて重症を負った。

それを回避するために愛は自分の気持ちを諦めてまで別れようとした。

 

「もし、もしもだ。

 有り得ない例え話をするが、その時に大が振り返らずそのままアタシ達が別れたとする」

 

実際に口にしたくもない程嫌な仮定なのだろう。

愛の言葉に先程のような凛々しさがない。

 

「ヤンキーに好かれやすい大の事だ、

 別れた後に恋奈や腰越と何かしら関わりを持って付き合わないとも限らない。

 もしかすれば他の女と付き合う事だってあったかもしれない」

 

確かに、恋奈はわからないが腰越マキならば愛に振られて傷心している大を放ってはおかないだろう。

失恋をきっかけに始まる恋だってある。

 

「大がアタシではない別の女と付き合った時、アタシはどうするんだろうな」

 

愛は自分に問いかけるようにこぼした。

 

「少なくとも大への迷惑を考えて、番長の立場を気にして。

 乾のように自分の気持ちを出すことはなかったと思う」

 

自分の気持ちを押さえ込んで、大の幸せのために自分の失恋の痛さに耐え忍ぶ。

そんな何も得ることのない辛いだけの選択をしている姿が目に浮かぶ。

対して梓はその失恋の痛さを恐れ、愛することを諦めなかった。

 

「アタシとアイツの選んだ道、どっちが人として正しいのかと言われればアタシが正しいだろうな」

 

人の迷惑を考えてしたい事を諦める。

それは人の在り方としてこの上なく正しい。

 

「だが、自分の気持ちに素直になって他人を顧みず、ただやりたいことを貫き通す。

 不良としてどちらが正しいのかと聞かれれば間違いなくアイツの方だ」

 

他人の恋を応援などしていられない。

自分の気持ちを抑えるなど有り得ない。

そう考えたからこそ愛と対立した梓。

 

「正しい事をしている奴を邪魔するなんて曲がったことはアタシはできない」

 

それが愛の答えなのだろう。

どこまでも実直な彼女は人としてではなく、不良として、一人の女として真っ直ぐ進もうとする梓に応援こそしないものの

ある程度の寛容さを持っていた。

 

「・・・・・・そっすか」

 

その答えを聞いた久美は少し不貞腐れたように屋上から街を見下ろす。

 

納得はできない。

だが、愛や乾梓の気持ちが半端ではない事はわかった。

そうじゃなきゃ梓は愛に喧嘩など売れるわけないし、愛も梓が大に近づいてそれで落ち着いていられるなど有り得ない。

 

「まぁ、大はもうアタシと結婚する事が決まってるしな。アタシの将来は薔薇色です、まる」

「いきなり惚気けないでくださいよ。空気が台無しですって」

 

梓のその生き方は同じく不良の久美にとって学ぶべきものだった。

腹が立つ事この上ないが、愛の話を聞いた久美は少しだけ、本当に少しだけだが乾梓の事を認めつつあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「センパイ、ほらあーん」

「いいって、俺はウィダー的なゼリーだけでいいから」

 

そう言って乾さんがスプーンに掬ったカレーを遠慮しつつ両腕にあるギプスで某ゼリーパックを挟んでチューチューする。

全然これお腹太らないのが難点だ。

エネルギー摂取しても腹が満たされなかったらあまり意味がない気がするんだよな。

 

「センパイ、照れないでちゃんと食べてくださいっす。

 それじゃあ怪我の治りも遅くなりますよ」

 

真剣な顔で怒られた。

 

江乃死魔から逃げた俺達は時間を持て余し、お昼の食事を外で摂ることになった。

とはいえこんな車椅子状態では飲食店でも人目について江乃死魔のメンバーに見つかりそうなので

人通りが少ない風景の良い海辺まで来たのだが。

寒い。

風が吹きすさぶ。

 

乾さんは大型カレーチェーン店で二人分のカレーを買ってきた。

そして冷める前に先に自分の分をささっと食べて、余ったもう一つのを手の使えない俺に食べさせてくれるのだが。

いかんせん彼女である愛さん以外にそれをやられるのはこっぱずかしい。

 

今までは病院食を断ってギプスで挟んで食べれるパンなどで食事を済ませていたのだが

今日の朝それを知った乾さんは俺を怒った。

そういうわけで俺の食事介護をしてくれるらしいが。

 

「いいって、流石に乾さんにそんな事させるのは悪いよ」

 

やはり申し訳ないのだ。

遠慮して断る。

 

「・・・・・・長谷センパイ。そういう我侭いうのでしたら自分にも考えがあるっす」

「え?」

 

何を思ったのか、さっきまで俺に向けていたスプーンを自分の口に運んだ。

そしてそれを飲み込まず、口に含めたままガシっと俺の両頬を掴む。

あ、これってもしかして。

 

「んむっ!」

「ンがァっ!」

 

思い切り強い力で頭を引っ張られて強制的にキスされる。

同時に乾さんの柔らかい舌が俺の唇を割って入り込み、唇を否応なく開かせた。

 

「んん・・・・・・ちゅ・・・・・・」

 

そして流れ込むカレー。

まさかの口移し。

 

その移されたカレーの味を確かめることなく俺は飲み込んだ。

味などわかるはずもない。

 

「っぷはぁ! 何すんのさ乾さん!」

 

息をするために唇を離す。

慌てて問いただそうとする。

しかし乾さんはどうやら惚けていて俺の声が聞こえてないようだった。

自分からしておいて惚けるのか。

 

「はっ、センパイどうかしました?」

 

突如として覚醒。

慌てて表情を元通りにするも、何やらニコニコしている。

それを自覚して手で直そうとするもどうやら上手くいかないようだ。

 

「どうしたって、俺が聞きたいんだけど」

 

いきなりの行為に驚いた。

まさか口移しなどされるとは思わなかったのだ。

 

「あ~、それはセンパイが我侭いって食事をしようとしないからっす。

 大人しく言う通りにしていればもっとソフトにキスしてあげたんですよ?」

 

ですよ? じゃないよ。

結局キスするつもりだったんかい。

 

「はぁ、乾さん。ちょっとお説教するよ」

「はいっす。それじゃあ正座しましょうか?」

「いや、そこまでは・・・・・・」

 

どうも思うのだが、昨日の喧嘩の件から乾さんが余りにも俺に従順になっているフシがある。

それも誰にでもというわけではなく、俺だけに。

 

「乾さん。俺は女持ちなんだ」

「知ったことじゃないっす」

 

はい終わった。

この時点で何を言っても駄目っぽい。

 

若干諦めに近いものを抱きつつ取り敢えずもう少し話してみる事にする。

 

「乾さん。聞かせて欲しい事があるんだ」

「センパイの質問ならなんでも答えますよ。

 何ならあずのスリーサイズとか知りたくありません?」

「いいです」

 

詳細は知らないが、見ただけでスタイルが凄い事はわかる。

 

というか今はそんな事を考えている場合ではない。

 

「乾さんって俺のことがその・・・・・・好き、なんだよね?」

 

先日、顔を合わせたとたん告白された。

結局それに対して返事はしていないが、そもそも頷く事ができる筈もない。

 

「勿論。ベタ惚れっすよ」

 

胸を張って答える乾さん。

その隠すつもりもない好意に、言われた俺の方が照れてしまう。

 

「それだよ、俺が気になるのは」

 

何故ここまで俺が彼女に好かれるのか。

そこがずっと疑問だった。

 

「俺は乾さんに対して何か好かれるような事をした記憶がない。

 ただ同じ空間で数日一緒に過ごしただけだ。

 だというのに何故ここまで君に好かれるのか、理由がわからないんだ」

 

別に彼女のために何か行動を起こした記憶はない。

一度我が身を盾にして不良の暴力から庇おうとした事はあるが、

あれは普通にそんなことしなくても乾さんが自力でどうにかなったことだった。

 

「知りたいですか? 何で自分がセンパイの事好いてるか」

 

黙って頷く。

俺の素直な反応に乾さんは優しく笑った。

 

「そうですね、敢えて言うのならセンパイのその雰囲気です」

 

雰囲気か。

自分の纏う雰囲気などよくわからないのだが。

 

「よく言われません? センパイって無害な人種とか、いい人だとか」

 

言われた事はある。

自覚はないけれど。

 

「そんな雰囲気だから好きになったの?」

「そうっす」

 

そんな、そんな理由で愛さんに喧嘩を売るほど他人を好きになれるものなのか?

 

「センパイは少しロマンチストすぎるんですよ」

 

俺の内心を察したのだろう、乾さんは少し困ったように俺に語りかける。

 

「誰かが自分に何かをしてくれたから、だからその人を好きになる。

 それこそ漫画のように危険から身を呈して助けてくれたりする話なんて劇的ですね」

 

確かに、そういうシチュエーションの漫画はよくある。

むしろそういう過程があったからこそ、そこから生まれる愛は深くなるのではないかと俺は思っていたが。

 

「それもやっぱり人を好きになる理由にはなるでしょう。

 でも、あずはそうじゃない。

 ただ単純に、ユルくてヌルい日常の中で長谷大という人を好きになったんです」

 

彼女は自分の胸に手を当てて思い出すように呟く。

 

「何かをしてくれたとか、何かをしてあげたからとか。そんなのはどうでもいいんです。

 長谷センパイのその優しさ、包容力。そこにあずはただ惹かれただけなんですから」

 

その余りにも簡潔な答えに俺は何も言い返せなかった。

 

「だからセンパイがあずに何かしようとか考えなくていいっす。

 そのままの長谷センパイが好きですから。

 勿論あずを好いてくれるのならそれが一番嬉しいんですけど」

 

少し寂しげに微笑む彼女。

 

人が人を好きになるのには明確なきっかけなど必要ないという。

確かに、女性が男性を好きになるのには容姿、財力、性格などの要素があるが彼女は単純にそこの性格を選んだ。

 

「大きなきっかけがなくとも、自分は気がついたらセンパイの事が好きになっていた。

 それが全てっす。これ以上の表現はありません」

 

それだけでここまで人を好きになれるのだろうか。

彼女のその愛の深さに俺は正直戸惑う。

しかし現実は小説より奇なり、現に乾さんは自分の身を傷つけてまでも俺の事を愛してくれている。

 

そして俺はまた言葉に詰まった。

それでも、それだけ愛されていても俺にはそれに応える事はできない。

 

「因みにですけど、実は辻堂センパイには一つ許可がでてるんですよね」

 

悩む俺に乾さんは突然話を変えた。

 

「何を?」

「知りたいっすか?」

 

嫌な予感がしながらも頷く。

それを確認した乾さんはニマーっと笑った。

 

「センパイとえっちぃ事する許可っす」

「はぁ!!!!?」

 

いや待て、愛さんがそこまで許可するとは到底思えない。

マジで有り得ない。

ウソウソ嘘だと言ってよ。

 

「まぁ、する時は辻堂センパイも同席するって条件ですけど・・・・・・」

 

何それ、3Pか、桃源郷か。

若干ワケがわからん内容で愛さんと色々約束事をしているらしい乾さん。

まだまだ俺の知らない事があるようだと冷や汗をかく。

 

「でも、軽い気持ちで君とそういう事をする気はないよ」

 

俺を真剣に好いてくれているからこそ、不幸にはなってほしくない。

できるなら彼女には幸せになって欲しい。

中途半端な気持ちで彼女を抱いてしまったらそれこそ彼女はもちろん愛さんすら裏切る行為だ。

 

「はい。あずもセンパイがそんなに早く手を出すとは思ってません」

 

穏やかな顔で微笑む乾さん。

その優しげな雰囲気に俺は少しときめいたものを感じた。

 

「そんなセンパイだから好きになったんですから」


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