辻堂さんの冬休み   作:ららばい

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12話:不良だから

「はっはー、久しぶりじゃねえか長谷。

 恋奈様から聞いたぜ、梓の件では随分と世話になったらしいじゃんよ」

 

ガタガタガタと体が大震災状態。

 

病室で一人ボケっとしていたら何故か珍しい客が訪れたのだ。

一条さんやめてください、今あなたを見てもプレッシャーしか感じないのです。

 

「大丈夫かシ? 何か顔色悪いシ」

「ハナさんは相変わらず可愛らしいね」

「何か俺っちの時と反応違いすぎる気がするっての」

 

どうもハナさんだけは俺にとって不良のイメージが薄いらしい。

臆せず対応することができた。

腕が動かないのが残念だ、頭を撫でてやりたいのだが。

 

「今日はどういった要件で?」

 

突然来られてこちらは何も用意していない。

まあ今の体調じゃ分かっていても心の準備くらいしかできないのだが。

 

「あぁ、今日から長谷の護衛に江乃死魔の奴がつくことになったんだシ」

「勿論辻堂も同意済みだっての」

「何故に!? 俺の同意は必要ないの!?」

 

そういうのって愛さんよりも先に俺に言う方が正しいんじゃないのか。

まさかの今の俺に不良の護衛て、一体どうしたいのか。

というより何故江乃死魔が俺にそんな護衛を付けてなんのメリットがあるのか。

 

「安心しなって。今回は説明で俺っち達が直接顔出したけど次回からは長谷に姿は見せねえっての」

 

一条さんはいつものように豪快に笑っているが、問題はそこじゃない。

 

「江乃死魔に迷惑はかけられないよ。悪いけど護衛の件は遠慮させて欲しいなって」

「駄目だシ」

 

ばっさりである。

 

「どうせあたしらの護衛外しても辻堂軍団の護衛が代わりにつくだけだシ」

 

確かに。

今回の俺の迂闊さを考えれば最早愛さんや片瀬さんに信用してくれといっても無理があるだろう。

とはいえそれでも俺なんかのために護衛をする人が可哀想すぎる。

護衛しているあいだは暇だろうし、時間がもったいないだろう。

 

「それでも、護衛してくれる人には悪いよ」

「と、思うだろ?」

 

俺の言葉に待ってましたと言わんばかりに反応する。

 

「一時間長谷の監視するだけで恋奈様から特別にお駄賃で時給にして3000円でるんだよ。

 これほど美味しいバイトはそうないっての」

 

・・・・・・え?

 

「今江乃死魔では長谷の監視役したがる奴めちゃ多いシ。

 そういうあたしらも今日はギリギリまでここにいて稼がせてもらう算段だシ」

 

何それ。

そのバイト俺がしたいくらいなんですけど。

っていうか稼ぎたいからってここにずっといられても正直迷惑なんですけど。

 

「それじゃあ暇だし早速ゲームでもすっかい。

 ほれ、トランプやジェンガ。選り取りみどりだっての」

 

そう言って持ってきたリュックから俺のベッドの上に色々なパーティーゲームの道具を出す。

当然だが両手がふさがっている俺にできるゲームはない。

人生ゲームならできないこともないが、自分でルーレット回せないのじゃ楽しさも半減だ。

 

俺が渋い顔をしているを見て一条さんもそれに気づいたのだろう。

凄い気まずい空気が流れる。

 

「何してんの、早くやりたいゲーム選ぶシ?」

 

選べと言われましても。

困ったようにひっくり返されている道具を見る。

俺でも出来そうなゲームといえば将棋やチェスなどなら口で言えばいいが、でも一条さんとか苦手そうだし。

やるなら全員が有利不利のない運に左右されるゲームにしたい。

 

何やらポッキーが入っているのが気になる。

これって明らかにパーティでよくやるあのゲームを考えてのことか?

あのゲームなら確かに手は使わなくてもいいけれど。

 

「そのポッキー気になるシ?」

「いえ、全然まったく」

「懸命な判断だっての」

 

案の定だったらしい。

 

「俺ができそうなのは無いですね」

「まぁそうなるわな」

「両腕使えないのは不便極まりないシ」

 

一応俺を気遣ってくれるらしい、無理強いはしてこない。

だがこうなれば本当にすることがなくなる。

何時間ここで粘る気なのかはわからないが、空気が悪くなるのは避けたいところだ。

 

などと、そんなヘタレな事を考えているうちにコンコンと控えめに扉をノックする音が響いた。

 

「はい、誰ですか?」

「あずです。長谷センパイ、入っていいっすか?」

 

ここでハナさんや一条さんを見る。

そういえば乾さんが江乃死魔を抜けてからこの三人が顔を合わせたことってあるのだろうか。

入っていきなり一触即発の展開とかは避けたいのだが。

 

少し、探るように二人を見る。

 

「何だよ、入れてやらないのかい?」

 

一条さんはいつも通り。

ハナさんの方を見てもやはり同じ感じ。

 

つまり、どうやら二人は乾さんに遺恨を持っていないようだ。

 

「どうぞ、入って」

「失礼しまぁす」

 

相変わらず軽い感じな声質で言って入ってくる。

 

「うげ、ティアラセンパイとハナちゃんセンパイ」

「久々にあったと思ったら、失礼なやつだっての」

「全くだシ」

 

乾さんの方はどうやら割り切れていないらしく、二人の顔を見た途端露骨な反応をする。

対してハナさんと一条さんの方は梓さんが江乃死魔を抜ける前の対応と何ら変わりない。

 

「じ、自分ちょっと用事思い出したんで・・・・・・」

「待てコラ」

「うひゃあ!?」

 

バックオーライしている所に一条さんが乾さんの襟を掴んで持ち上げた。

乾さんも宙に浮かされれば抵抗できないようで足をバタバタさせるもののどうしようもない様子だ。

 

そのまま一条さんは乾さんを俺の隣の誰も使っていないベッドへ置く。

 

降ろされると同時に乾さんはビクビクと怯えるように縮こまった。

流石に江乃死魔を裏切った罪悪感があるのだろう。

いい事だ。

罪悪感があるということは自分の罪を意識しているということだ。

乾さんは以前とは違うということがわかって俺も嬉しい。

 

「やめてください、あずに乱暴するつもりでしょう!? エロ同人みたいに!」

 

ただあまりにテンパってるのかめちゃくちゃである。

もう借りてきた猫みたいだ。

これにはハナさんや一条さんも困っていた。

 

「聞いたぜ梓、江乃死魔での一件。俺っち達を裏切ってた挙句恋奈様に手を出したらしいじゃねぇの」

 

ギクリと硬直する乾さん。

いきなり触れて欲しくない話をだされたようだ。

 

「しかもその後腰越に一方的に潰されて病院送りだったって聞いたシ」

「その話、勘弁してほしいっすぅ・・・・・・」

 

本当に精神的にきているらしく、既に怯え通り越して体が小さくなって見えてきた。

 

「ざまぁないっての」

「ざまぁないシ」

「ひ、ひっでぇ」

 

容赦ない二人の言葉に乾さんはとうとう半泣きだ。

よく見れば目尻に涙が溜まっている。

どうやら責めるのは好きでも責められるのは苦手らしい。

面白い光景なので俺は放置する。

 

「で、どうだい。江乃死魔に戻る気は無いのかい?」

「へ?」

 

思わぬ言葉に乾さんは言葉につまる。

俺としても予想外な言葉だった。

 

「あたしら揃わないとなんか寂しいシ」

 

ハナさんも乾さんがいなくなってから少ししっくりこないものがあったらしく、むしろ乾さんの再入には賛成の方向のようだ。

同じく一条さんもやはり同じ意見だろう。

 

「二人の誘いは嬉しいですけど、恋奈様が二人と同じ意見とは思えませんし・・・・・・」

 

悪事を暴かれた際、逆ギレして自分のグループのリーダーである片瀬さんに牙を向いたのだ。

そりゃ二人に誘われたからはい戻りますとはいかないのだろう。

 

「れんにゃなら別に戻りたいのなら歓迎してあげるって言ってたよ?」

「はぁ!?」

 

これまた意外だ。

いや、むしろ片瀬さんの身内に甘い性格を考えれば当然の流れなのか?

とはいえ、まさかあんなことをした乾さんを両手広げていらっしゃいとは思えないのだけど。

 

「ただし、江乃死魔の最下層。奴隷ランクからスタートって言ってたけど」

「お断りです」

 

だと思った。

 

「なんすか奴隷って! 自分も江乃死魔いたけど聞いたことないポジションじゃないっすか!」

「俺っちにいわれてもな」

「あたしも聞いたことないシ」

 

幹部が知らないってことは急遽つくった位置づけではないのだろうか。

奴隷・・・・・・ちょっと如何わしい響きがするのはなんでだろう。

頭文字に肉とかつけたらもうそれは成人指定をくらいかねない程の。

 

「そんなん嫌です。あず絶対戻らないっす」

 

流石に奴隷は嫌なのだろう。

断固として断る。

乾さんの気持ちはわからなくもない。

あれだけの事をしでかしたのだ、奴隷云々なくとも戻りづらいものはあるのだろう。

 

「まぁ本人が戻らないって言ってるのなら無理強いはしないけどよ。

 少しは考えといてくれっての」

「あたしらも梓いないと寂しいのは本当のことだシ」

「むむむ、そんなキュンと来ること言われると心動かされるものが・・・・・・」

 

もうひと押しかよ。

案外軽いなおい。

 

「で、でも駄目っす! あずは不良抜けることを決めたんですから!」

 

二人のトランペットを欲しがる子供のような目を振り切って言い放つ。

確かに江乃死魔に戻ったらそれはすなわち不良継続となるだろう。

俺の知らない所で乾さんは過去の清算を色々していることを愛さんから結構聞かされている。

そこまでしているのに不良継続したのじゃ何の為に今頑張っているのかわからなくなるのだろう。

 

「梓が不良やめるっての?」

「それ本気だシ?」

「本気と書いてマジっす」

「「本気で私に?」」

「恋しなさいっす!」

 

何を言っているのか俺にはわからないが、三人には何か通じるものがあったらしい。

凄い楽しそうにドヤ顔で俺を見てくる。

俺にどういう反応を求めているのだろうか。

 

「冗談は置いといて。不良やめて何かしたい事でもあるんかい?」

 

前に乾さんは不良を続けるメリットが無いと俺に言っていた記憶がある。

それを一条さん達に説明するのかと思ったが、乾さんは少し困ったようにしていた。

そして口を開かずチラチラと俺を見る。

何だろうか。

 

「どうしたの乾さん?」

「あ~、いえ」

 

この反応で何となく察するものがあった。

もしかして、不良を続けている一条さん達に不良のメリットデメリットを言うのが躊躇われるのだろうか。

確かに、不良をしている理由なんて人それぞれだ。

故に迂闊な言葉を選べばそれは相手の矜持すら否定しかねない。

 

野球が好きだから続ける高校球児に、自分が野球をやめる際に説明として野球を続けてもメリットなどないと言われればそれは傷がつく。

なにげに人の反応を気にする乾さんだからこそ、そこを気にしているのだろう。

 

「別に言いたくないなら無理しなくてもいいシ」

「もしかして不良じゃない彼氏でもできたとかかい?」

「うぇ!?」

 

ギクリとする乾さん。

その分かりやすい反応に二人はなるほどとニヤニヤしだす。

・・・・・・ってか乾さんに彼氏か。

 

なにやら胸にざわついた感じがする。

 

「因みに、相手は誰だい? 俺っちの知ってる奴?」

「いやいやいや! まだ付き合ってない上にこっちの片思いですし!」

「梓が片思いで踏みとどまってるとかありえないシ」

「確かに、梓は惚れた男にはガンガン行ってそのまま既成事実作りそうなタイプだっての」

「自分そんな肉食系にみえてたんすか・・・・・・」

 

地味にショックだったらしい。

申し訳ないが俺も乾さんは肉食系だと思ってたので口を挟まない。

 

「で、相手は誰だシ?」

 

容赦ない追求に言いよどむ。

これは助け舟を出したほうが良いか。

 

「そ、そのぉ」

 

乾さんもやはり助けて欲しいみたいだ。

仕方ない、と口を開こうとした瞬間。

 

「なに長谷をジロジロ見てるんだっての」

 

一条さんのその言葉に言うタイミングを被せられた。

 

「ん~? そういやれんにゃがやたら梓を長谷と近づけたがってるって噂が江乃死魔にあるシ」

 

物は言いようなのだろう。

近づけるとは俺と乾さんの病室を一緒にした件のことだと思う。

あれは互いに監視や抑止力的な目的があってしたのであって片瀬さんが乾さんのキューピッド役をしているわけじゃない。

 

「もしかしてその意中の男って・・・・・・マジで?」

「違う・・・・・・とは言えないですけどぉ」

 

え、いや。え?

マジで?

確かに前から俺に好意的な事をしてきてたとは思うし、皆で鍋をした夜でも告白に近いことを言ってきた記憶はあるが。

 

「おいこら長谷」

 

一条さんが凄まじい怒り顔で俺に詰め寄る。

言いたいことはわかってる。

 

「二股とはいい度胸じゃねぇの」

「違うんです」

 

本当に違うんです。

だから俺の胸ぐら掴むのやめてくださいお願いします。

 

「違うんですよ、まだあずとセンパイは付き合ってないっす」

「まだって事はいずれ付き合う予定って事だシ?」

「女をキープするってどういうつもりだっての!」

 

火に油を注ぐ行為やめてください。

 

「俺は愛さん一筋です」

「じゃあ梓とは遊びって事かい?」

「センパイ酷いっす・・・・・・」

 

よよよと泣き崩れる乾さん。

あれ、もしかして俺途中からはめられてる?

乾さんを見てみたら他二人に見えない所で俺に舌をだす。

 

間違いない、見事に二人のターゲットを俺に移しやがった。

恐るべし、乾梓。腹黒いなオイ。

 

「乙女の純情をコノヤロウ! 乙女の純情をコノヤロウ!」

「長谷は女の敵だシ。れんにゃに報告も辞さないし」

 

ああもう、何なのこれ。

 

ヤンキー恐怖症になった俺に対しての強烈なリハビリはそのまま数時間にもわたって続くことになった。

 

 

 

 

 

 

 

「相変わらずでしたね、ティアラセンパイもハナちゃんセンパイも」

 

二人が病室を出て行った後、乾さんはここに残っていた。

あの二人がいると話しづらい内容なんだろう。

 

「顔を合わせた時も乾さんだけ慌てて、二人は特に動じてもなかったしね」

「あずが気にしすぎだっただけなんすかねぇ」

「どうだろう。二人が大雑把すぎるのもあるんじゃないかな」

 

違いないですね、と笑う乾さん。

俺も釣られて笑ってしまう。

 

実際、乾さんは江乃死魔のメンバーに罪悪感があったらしく今日まで頑なに自分から一条さんとかに会いには行ってなかったらしい。

当然だろう。

誰だって自分のした事を糾弾などされたくない。

罪の意識があるからこそそれは余計に辛い事なのだ。

 

だが、今日。かつての仲間は彼女を責めたりはしなかった。

無論多少きつい言葉はあったもののそんなのは説教にも届かないきつさだ。

 

「自分、まさか江乃死魔に戻ってこいなんて言われると思ってもみませんでした」

 

あれだけの事をしておきながら、多少の条件があるとは言え再勧誘されるなど。

それは乾さんにとってとても嬉しい事だったのだ。

さっきから彼女の頬は緩みっぱなしだった。

 

「戻らないの?」

「戻りません」

 

きっぱりと言い放つ。

 

「次の喧嘩であずはもう不良をやめます」

 

どうやらもうすぐ大きな区切りが彼女のもとに訪れるらしい。

だが、その喧嘩という響きに気になるものがあった。

 

「誰かやばい人と喧嘩するの?」

 

あまり彼女には無茶をしてほしくない。

この親心とも違う感情に押されて俺は聞かざるをえなかった。

乾さんは俺の質問に少し困ったように笑う。

 

「そうですね、相手は湘南最強の不良ですからこれ以上ないほどヤバイ相手っす」

「湘南最強って・・・・・・マキさん?」

 

とぼけているつもりはない。

ただ、俺の中で愛さんと乾さんが喧嘩をする理由が見つからないのだ。

 

「昨日、辻堂センパイに言われたんですよ。

 あずが三大天の誰かと決闘すれば長谷センパイがもう危険な目に合う事は殆どなくなるって」

 

言わんとしていることはわかる。

確かに、人の実力を示すには戦ってこそだ。

それが愛さんやマキさん、乾さんが戦えばかなり高い次元の内容となるだろう。

 

それを見れば大抵の不良は自分にはどうにもならないレベルだと認識して関わろうともしなくなる。

乾さんが今後悪事をしなければそのまま時間が彼女への恨みを薄れさせてくれるだろう。

 

「それは本気でするの?」

「勿論です。そもそも三大天の誰もが本気じゃないと相手してくれるとは思えませんし」

「でも、それじゃあどちらかが無事では済まないかもしれないじゃないか」

 

次元の高い殴り合い。

それは同時に手酷い怪我を負う可能性も高いものだ。

マキさんや愛さんなんかは容易にコンクリートすら砕く。

そんな攻撃を喰らえば片瀬さんほど打たれ強いわけでもない乾さんにはひとたまりもない筈。

 

「だからいいんですよ。

 できるだけ派手に、それでいて痛々しい喧嘩であればあるほどその喧嘩に意味があるんです」

 

もしかして俺は何か勘違いをしているんじゃないだろうか。

今の乾さんの言葉は明らかに俺が思っているのと違う。

 

「あずを恨む奴の気を晴らさせるにはあずが痛めつけられればいいんです。

 だから相手は三大天レベルが理想的なんですよ」

 

それは俺にとって最も嫌な選択だった。

 

「ワザと負ける喧嘩をするの?」

「勿論本気で抵抗はします。そうすればするほど相手した方のハクがつきますから」

 

そうじゃない。

俺が聞きたいのはそういう事ではなく。

 

「そんな喧嘩は嫌いだな。

 自分が傷つくことで問題を解決するなんて、それじゃあ君が余りにも辛すぎる」

 

恨みを晴らさせるために自分の体を危険にさらす。

しかも確実に自分が痛めつけられる事が確定している。

それは乾さん自身が不幸すぎる。

 

「いいんですよ、相応の悪いことをしてきた自覚はあるんですから」

 

俺が意気地になっているのがわかったのだろう。

乾さんは駄々をこねる子供をあやす様に話しかけてくる。

 

本人がそれでいいというのなら、それは仕方がないのだろう。

俺が止める理由がない。

しかしだからといって納得はできるはずもない。

それだけ俺にとって乾さんは何時の間にか大きな存在になっていたのだ。

 

「センパイ、今センパイはあずが余りにも辛すぎると言いましたよね?」

 

頷く。

その返事に彼女は少し嬉しそうに微笑んだ。

 

「でも、あずにとってもっと辛い事があるんですよ?

 それも自分が傷つくよりも、もっともっと辛い事が」

 

俺は、そこでようやく彼女が何故この選択をしたのか理解した。

その理由は詰まるところ、俺のせいじゃないのか。

 

「長谷センパイ。あずのせいでセンパイが怪我するのは嫌っす。

 だから不良もやめるし、こんなけじめの付け方だってする」

 

以前彼女が折った俺の骨の部分を乾さんは労わるようにさする。

 

「長谷センパイと関わらなければこんな手段選ぶ必要はないかもしれない。

 ですけど自分はこれからもセンパイの近くにいたいんですよ。

 これが不良である自分の最後の我侭です。

 それ以上にやりたいことなんてありません」

 

その言葉に俺は何も言い返せない。

彼女は妥協や諦めなどという感情でこの選択をしているわけではない。

明確な理由と思いがあって納得している。

 

だったら納得するしかない。

 

「・・・・・・そっか、我侭を通したいなら仕方ないね」

「そっす。仕方ないんです」

 

動けない俺の胸に顔を猫のように擦り付ける乾さん。

その甘えん坊のような仕草に俺は困ってしまう。

腕は動かないから何もできないし、かといって嫌でもない。

 

「怪我をする事が前提なようなものなんだよね?」

「はい、多分今の長谷センパイ程じゃないにしろ近い状態になるまでやり続けます」

 

それだけしないと人の恨みなんて薄れさせる事はできないのだろう。

 

「怖くないの?」

「怖いに決まってるじゃないですか。

 こんな負ける前提の喧嘩なんてあずの大嫌いなタイプです」

 

それでも、自分の我侭を通すには仕方ない。

そう割り切るしかない。

 

包帯越しだから気づかなかったけれど乾さんの体は少し震えていた。

武者震いなんてする性格でもない事は今までの付き合いで理解してる。

 

「センパイは、センパイはあずを好いてくれますか?」

 

突然何を、と言いかける。

 

「・・・・・・そうだね、好きだと思う」

「でも、それは異性としてではないんですよね」

 

少し、悲しそうに眉を寄せる乾さん。

 

もし、もしも俺が愛さんと会っていなかったら。

その前提があれば俺はもう乾さんに惚れていただろう。

勿論ありえない前提だ。

愛さんと関わらなければそもそも乾さんとは会うきっかけすらない。

故に意味のない仮定だ。

 

乾さんは返答しない俺を寂しげな瞳で見つめる。

俺はその目を直視することができず目を背けた。

 

「センパイ、目を背けないでこっち向いてください」

 

そう言われて俺は少しためらいながらも彼女の方へ顔を向けた。

その瞬間、乾さんは俺の頬をつかみ以前のように奪う形で俺にキスをする。

 

しかし今回は前回のように長いキスではなく、ぶつけるような物だった。

唇を無理やり合わせて、すぐに顔を離す。

 

「センパイ、提案が・・・・・・いえ、お願いがあるんです」

 

瞳を潤ませて囁くように俺の耳元に口を寄せてくる。

その潤んだ瞳は情欲に彩られていて、男の煩悩を刺激する。

 

「あずと付き合ってくれませんか?」

「それはできない。俺は愛さんの事が好きなんだ」

「そんなことは、痛いほどわかってます」

 

だから、と付け足す。

 

「あずと辻堂センパイに二股かけませんか?」

 

なるほど。

そう来るのか。

 

「勿論辻堂センパイにはばれないように気を付けます。

 だから辻堂センパイに向ける半分でもいいから、あずを愛してほしいんです」

 

どこまで本気なのだろうか。

耳元に顔があるせいで彼女の表情はうかがい知れない。

しかし俺の首に回した腕は僅かだが震えている。

 

「センパイが望むならいつ何処でだって喜んで体を差し出します。

 あずのこの体を好きにしていいんですよ?」

 

余りにもわかりやすい色仕掛けだ。

……愛さんと付き合っていなければ簡単に俺も転んでいただろう。

それほど彼女は魅力的だしその提案もやはり男の餌として極上だろう。

けれど

 

「愛さんを裏切る事はできない」

 

僅かな後腐れも無いように、互いにしこりが残らないようにはっきりと答える。

乾さんは俺のその返答を聞いた瞬間、ビクリと体を硬直させた。

 

そしてそのままゆっくりと俺から体を離した。

そこでようやく彼女の顔を見ることができた。

 

「な、なーんて。冗談っすよ冗談」

 

その明らかな強がりを吐く彼女は、やはり無理をした笑顔だった。

 

「乾さん」

「ちょ、そんなマジな顔しないでくださいよ。

 軽い色仕掛けで引っかかるか試しただけですよ」

 

テンパっているのだろう。

言葉は軽いが、ボロが出ている。

 

そんな涙を流して冗談など言えるはずがない。

 

「い、いやぁショックっすね。

 これでもスタイルとか顔は自信あったんですけど」

 

自分では気づいていないのか、変わらず強がりを吐く。

 

「乾さん。俺は――――」

「聞きたくないです!」

 

俺が彼女へ言いたいことを言おうとした瞬間、乾さんは叫ぶ。

自分でも驚いたのだろう、自身の口を抑えて戸惑っている。

 

「すいませんでした、変な事言って。

 今日の事は忘れて下さい、また明日からいつも通りの関係に戻りましょう」

 

それだけ言って、俺の言葉を待つことなく無理に笑って走って部屋から出て行った。

俺はその背中を追おうとするものの、体が全く動かない。

ベッドから降りようとするだけで気絶しそうなほどの痛みが体の至る所から襲ってくるのだ。

 

ただ、それでも彼女には伝えたいことがあった。

恐らく乾さんはここにもう来ないかもしれない。

しかし必ず、何かがあってまた彼女はここに来ざるをえないだろう。

そんな確信があった。

その時に伝えたかった事を彼女に言おう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今までにないほどに必死で走った。

長谷大の言葉から逃げるように、彼の姿を振り切るように。

 

目的もなく、ただ必死に走り続けているうちに気がつけば乾梓は江ノ島へ続く大きな橋の上に立っていた。

何か目的があったわけではない。

ただ、ここなら一人でいられると無意識に思った故の行動だったのだろう。

 

「う・・・・・・うぅ・・・・・・っ」

 

病室から出てから涙が一向に止まらない。

 

分かっていたはずだったのだ。

大の心は既に辻堂愛に占められている。

だから一片たりとて自分にその愛情が向けられることなどないと。

 

分かっていたのに恋をした。

分かっていたのに彼に近づいた。

その行為を振られた今でも後悔なんてしていない。

 

していないからこそ、諦めきれないからこそ、そのどうしようもない現状に悲しさが付きまとう。

 

ふと、乾梓は背後に気配を感じた。

 

「きょーおもかえーでさんは」

 

誰も人通りのない筈の橋なのに、何故か凄まじい程の気の抜ける歌を口ずさむ誰かが梓の後ろを通る。

何だろうと振り向けば

 

「「げ」」

 

涙すら一瞬止まって梓はその人物を見て硬直した。

対して歌っていた人物も誰かがいる事に気づかなかったのか、

恥ずかしい所を見られた事に筆舌しづらい恥ずかしさを感じた。

 

互いに顔を見合わせて固まるが、歌っていた人物、城宮楓保健医はコホンと咳払いする。

 

「や、やぁ。お前はあの時の便秘娘じゃないか」

「その呼び方最悪っす、やめてください」

 

本気で人前でそんな事を言いだしたら拳で黙らせる事にも抵抗がないだろう。

 

「ふむ、だが今日は肌質が良い。食生活は改めているようだな」

「病院生活してましたから」

「あぁ、なるほど」

 

先ほどの楓の歌で少し気が抜けたのか、梓の涙は止まっていた。

楓は目の腫れている梓に気づき、少し気にかけるように海を見る梓の隣に立った。

 

「おやおや、何やら肌質は良いようだが心の方が荒れているようじゃないか」

「・・・・・・人ごとでしょう、放っておいてください」

 

明らかに拒絶の意を示す梓に楓は少し笑った。

 

「私は稲村の保健医であると同時にメンタルカンセラーでもあるかもしれん。

 どれ、少し私に相談してみる気はないか?」

「かもしれないって、何かおかしくないっすか?」

「細かいことだ、そういう所を気にするようでは大人になれんぞ」

 

おせっかいをしてくる楓に梓は困る。

だが今日の件で完全にネガティブになっていた梓は少し誰かに相談をしたいと思っていたのも事実。

彼女は全部は話さないものの、部分的に自分はどうしたかを教える事にした。

 

 

 

 

 

 

「彼女持ちに告白して断られる。

 思春期のガキ共にありがちな玉砕パターンだな」

 

名前を伏せた説明を聞いて、全く言葉を選んでいないのかと疑うほど苛烈な感想を吐く楓。

梓も意見を聞く相手を間違えたかと後悔する。

 

「誰かはしらんがお前のエロくて男にとって都合のいい誘いをよく断ったものだ。

 お前は内面どす黒そうだけど顔は良いしな」

「自分もうどっか行っていいっすか?」

「まてまて、少し歯に衣を着せるべきだったな。すまんすまん」

 

いい加減キレそうになった梓を全く悪そうにしていない顔で引き止める。

そして一度咳払いをして視線を海にむけ、楓は口を開く。

 

「さてそれじゃあ本題に入ろうか、その男が断ったのは何でだと思う?」

 

突然の問題に梓は対応できずに言葉を詰まらせた。

何故、どうして。そういえば考えてなかった。

 

「自分より彼女の方が魅力的だったからとか」

「それも場合によっては正解になるだろうが、今回はそうじゃないだろうな」

 

お前にもその彼女に負けないくらいの魅力はあるだろう、と付け足す。

その自然な言い方にお世辞でなく本心から言ったことがわかって梓は少し照れた。

 

「彼氏は単純にお前の事を好いてはいるが、彼女の事もやはりそれ以上に愛している。

 愛しているからこそ彼女を裏切る行為などできない。などだろう」

 

少なくとも、大は梓を愛している気持ち以上に愛の事を愛しているのだろう。

端折りが目立つ梓の話でも楓それをわかっていた。

 

「では逆の仮定をしてみよう。

 もしお前がその彼氏君と、今の彼女さんより先に出会って付き合っていて、

 後からまだ彼氏と付き合っていない遅れた彼女の方が告白したらどうなるか」

 

大と梓が付き合っていて、大に後から惚れた愛が告白したらどうなるか。

 

やはり大はそれに揺らぐだろう。

しかし自分を裏切って愛に走る姿は想像できなかった。

 

「答えとしてはそうだな……お前は単純にスタートが遅すぎただけだろう。

 だからその恋は実らないし、その気持ちが強ければ強いほどお前自身が不幸になる」

 

余りにも的確な容赦のない指摘に梓は黙る。

恐らく本当のことだろう、だからこそ言い返せないし、言い訳もできない。

 

全く口を開けない梓を楓は酷く困った顔で見る。

そして何を思ったのかヤレヤレと呟いてポケットから煙草を取り出して一服し始める。

 

「おいヤンキー娘。お前も吸うか?」

「教員が学生に煙草勧めるんすか、自分は吸いません」

「そうか、健康的で良い事だ」

 

断られたのに心底面白がって楓は笑う。

 

「煙草は本当に害悪だからな。

 身体には数え切れない程の害を与えるくせに良い所なんて全くない」

 

そんなことは吸っていない梓だって知っている事だった。

だが口を挟まず聞き入る。

 

「しかし、そんな害あるものだからこそ吸う人間の中には逆に気を使う者もいる。

 煙草を吸っている分、せめてそこ以外は健康な生活を心がけようとな」

 

そのおかげで愛煙家であるにもかかわらず吸わない一般人より健康体な人間も希にいる。

勿論それは希な例で大半の愛煙家はやはり体のタメージばかり重ねて健康の事は気にしない。

 

「まぁ私は酒も煙草も大好き不健康まっしぐらなタイプだが」

 

はっはっはと笑う。

 

「酒はともかく、そんなに害があるなら煙草なんてやめればいいじゃいいじゃないですか」

 

梓は今笑える気分じゃない。

少し冷たいようだが、付き放つような言葉を選んだ。

しかし楓はその返答も既に人生上何度も言われた言葉なのだろう

 

「好きだからやめられないんだ。例え害があったとしてもだ」

 

シンプルな答えだった。

 

「話を少し変えてみるか。

 お前は昔、ハマっていたものとかあるか?」

「別に・・・・・・特にないです」

 

相変わらず淡白な態度に楓も笑って首を竦める。

 

「人間というのは大変移り気な性格をしていてな。簡単な事例を述べてやる。

 誰でも子供の頃は何か人形などにこだわる時期があるだろう?」

 

子供なら普通そうだろう。

 

「しかし、男の子は人形で遊んでいるうちに一定の年齢を重ねると嗜好がかわる。

 人形よりもゲームが良い、もしくはスポーツの方がいいと」

 

当たり前のことだ。

子供の頃から大人になるまでずっと嗜好が変わらない人間など殆どいない。

 

「そしてしばらくすると更に変化する。

 野球をしていた奴が突然女にモテたいがためにしたこともないギターを始める、なんてな」

 

よくある話だ。

梓もそういった人種の奴らは知っている。

 

「そして結婚して家庭をもって、更に好きなことが変わる。

 長い人生、熱くなれる事なんていくつもあるんだ。一つの事に囚われる人間など少ない」

 

そして話を一拍置いて不意に楓は梓を見る。

 

「さて問題だ。大人になって、家族を持って。

 その時にその人間は昔一番最初に好きになった、熱中したものを見たときどう思うだろう?」

 

自分はまだ大人と言われる年ではない。

でもその答えは何となくわかった。

 

「何とも思わない、ですか?」

「正解だ」

 

何度も趣味を変えて、気がつけば最初にハマったものなんて忘れている。

忘れた頃に、そんな最初にハマったものを見たところで心は既にソレに向けられてはいないのだ。

子供の頃に好きだったはずの人形はもう古い汚れた人形程度の価値しかなくなっている。

 

「だが例外というものもある。例えばこの煙草だ」

 

そう言って真新しい煙草を一本取り出して梓に渡す。

 

「私も同じように生まれてから今まで何度も嗜好はブレた。

 だが煙草だけはどんなに嗜好が変わろうと、年を重ねようと好きなままだ」

「それは煙草に依存性があるからじゃ」

 

煙草に中毒性があるなど有名な話である。

 

「そう、煙草には中毒性がある。それに私はまんまと囚われているわけだ」

 

予測済みの答えだったのか、梓の指摘にもあらかじめ答えを用意していたかのようにスラスラと反応した。

 

「じゃあそろそろ本題に戻るか。

 聞くにお前の恋は本物のようだったじゃないか。それに中毒性がないと言い切れるか?」

 

そんな、まるで恋愛の感情を煙草と同列に扱うような言い方に梓はむっとくる。

 

「愛だの恋だの。アレは害悪そのものだ。よく言うだろう、恋は盲目と。

 恋は人を前後不覚にするし、身を滅ぼす事だって普通にある。

 これに煙草と何の違いがある?」

「でも、確実に害悪になる煙草とは違って恋愛は人を幸せにしてくれる事だってあります」

「ほう、実に若者らしいスイーツ脳だ」

 

その人を小馬鹿にした言い方にカチンとくる。

 

「煙草を吸っている瞬間は幸せなものだぞ。

 これを知らんお前に害悪しかないと断定されたくはないな」

 

確かに、中毒性のある煙草だ。

吸っている瞬間はその依存性が満たされて幸せな気持ちにはなるだろう。

 

「話がそれたな。そろそろまとめに入ろうか」

 

梓もそれに頷く。

 

「人の恋なんて一種の熱病と同じだ、これは有名な例え話だろう。

 そして熱病など死なない限り時間が経てば冷めるものだ」

「つまり、誰かを好きになった気持ちなんて時間が経てばどうでも良くなると?」

「そうだ」

 

その言葉に一瞬激昂しそうになる。

お前に何がわかると怒鳴り散らしそうになった。

 

「だが何事にも例外はある。恋しては冷め、また別の男に恋しては冷める。

 嗜好も恋もそこは同じものだ、しかし冷めることのない嗜好だってある」

 

そう言って楓は梓に渡した煙草に視線を送る。

そこで、ようやく梓は楓の言わんとしている事に気づく。

 

「中毒性のある程の恋だと自分で思うのなら、他を顧みず突き進むのも一つの選択じゃないか?

 例え自分に害しかなくとも、好きだったらそれでいいのではないかと私は考えるが」

「でも、それじゃあ相手に迷惑が―――――」

「そんなのは些細なことだ。こっちは毒を飲んでいるのだぞ?

 相手や後の事を考えて毒など飲み込めるか」

 

余りにもその答えは自分勝手で。

それでいて先が見えなくなった自分を惑わすものだった。

 

「振られて尚嫌いになれないのだろう? 彼のために体を張る覚悟があるのだろう?

 そこに自分に害しかないのに依存性のある煙草と何の違いがある。

 後先など考えて喫煙や恋愛など出来るか。そんなのは虚しさしか残らんぞ」

 

それはつまり、例え相手に彼女がいても、一度振られても尚好きだと言い張れというのか。

それこそ一番自分が傷ついて、相手にも迷惑がかかる選択に他ならない。

 

でもその答えは乾梓にとって何よりも染み込むものだった。

 

好きな事をしたいから、嫌な事から目を背けたいから、今を楽しみたいから自分は不良になった。

今楓が言った答えは余りにもその理由と当てはまりすぎた。

 

「それを踏まえてだ。どうだ、お前の恋愛は一度振られた程度で終わりそうか?」

 

答えなどわかりきっているのだろう。

質問するもののその顔はむしろ確認をするものだった。

 

梓はその顔を見て、胸を張る。

 

「終わるわけないじゃないっすか。まだあずの気持ちは全然冷めないんですから」

 

一度振られたからその恋に立ち止まる。

そんな選択肢はもうありえない。

振られて尚好きなのだ。

だったらもう振り向かない、先へ進み続ける。

 

彼女がいるなど知ったことか。

好きだから相手に好きと伝えて何が悪い。

自分はヤンキーなのだ、相手の意思など知ったことではない。

 

「そうか、悩みが解決したようで良かった。

 それでは私はそろそろ失礼するよ」

 

その答えを聞いて安心したのだろう。

楓は既に短くなった煙草の吸殻を携帯灰皿へしまって梓に背を向けた。

その背中に梓は体を向けた。

 

「相談に乗っていただいてありがとうございました」

 

敬意を込めて礼をする。

その感謝の意に楓は振り向くことなく、軽く片手を上げる程度でそのまま立ち去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

その後、乾梓はそのままの足で辻堂愛のいるであろう場所へ向かった。

稲村学園、屋上である。

 

冬休みとはいえ部活や補習で学校自体は開放されている。

故に学園に入り込むのは容易だった。

 

一度長谷大を拉致しに来た際に通ったルートをなぞって真っ直ぐそこへ向かう。

 

重厚な扉を開けばやはり、改造制服を着た学園最強の番長の姿があった。

 

「おせぇぞ」

「サーセンっす。ちょっと思うところがありまして」

 

特に約束をしていたわけではない。

ただ、互いに今日ここで顔を合わせるつもりだったのだ。

 

「そうか、それじゃあ答えを聞かせてもらおうか」

 

敵意も、殺意もない。

ただ相手の意思を聞く辻堂愛に乾梓は普段通りの様子で近づく。

 

圧倒的なカリスマと実力を持った愛へ、真正面から向かい合って口を開く。

そこに僅かな恐怖も無かった。

その選択に欠片のためらいもなかった。

 

「稲村学園番長、喧嘩狼の辻堂愛。

 明日、江ノ島の海岸で自分と決闘してください」

 

自分は、振り返らず前に進む事に決めたのだ。


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