辻堂さんの冬休み   作:ららばい

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11話:悪意

辻堂愛は僅かに積もった雪の上を一人歩いていた。

向かう先は恋人である大の所ではなく、三大天である自分や恋奈、マキが集まりやすいところだ。

 

詰まるところ、彼女が向かった場所は江乃死魔の拠点である。

 

 

「遅いわよ、辻堂」

「仕方ねえだろ、こっちはこっちで用事があったんだよ」

 

今日もやはり人数が少ない。

梓の引き起こした騒動で江乃死魔のメンバーは激減した。

現在その数は300人にぎりぎり到達するかどうかである。

もっとも、その人数でも既に湘南最大の組織なのだが。

 

「怖いねぇ、そんなにダイが心配なのか江乃死魔総長は」

「アンタは黙ってろ!」

 

江乃死魔拠点の椅子に既に腰掛けていたマキは恋奈をはやし立てる。

恋奈もその挑発に露骨に苛立ち、売り言葉に買い言葉と良くない空気が出始めた。

 

「やめろお前ら。喧嘩するんだったらアタシ帰るぞ」

「・・・・・・ふん、わかったわ。さっさと今回の要件を話すわよ」

 

愛が本気で帰るつもりなのを察して、本題に移る。

 

今回三大天が集まったのはある理由がある。

元々この愛、マキ、恋奈の3人は全員がヤンキーをしている理由、目的、そして各々の考え方が明らかに違う。

故に互いにソリが合う訳もなく、出会うたびに喧嘩が始まってもおかしくはない。

だというのにその面子が揃って話し合うということはそれだけ重要な事があるのだ。

 

「昨日、辻堂に言われた通り長谷の家の周りに監視を置いてみてわかった事があるわ」

「あぁ。アレお前の所の奴か、てっきり私は――――」

「長谷を狙っている奴らと思った。だろ」

 

マキの言葉を先取りしてかぶせる恋奈。

そしてそれがマキの言おうとしていた事と一致している。

 

「腰越の言おうとしたことは間違ってないわ。

 長谷や梓を狙ってる奴がいないか確認するために昨日は監視を置いたんだし。

 多分腰越が見た奴らの中には実際に長谷を狙ってた奴もいたでしょうね」

 

今日、その結果を知らせるために全員が集まった。

 

「結果としては最悪だわ。案の定長谷を狙っている奴は私の想像以上にいるみたい」

 

監視結果では大の家の周囲をうろつく不良が結構な人数存在した。

今日の朝には捉えた一部の不良を尋問した結果、

どうやらその数は既に手に負えない数にまで達していることがわかったのだ。

 

「梓の件で江乃死魔を追放された奴ら、そして暴走王国関係の奴ら。

 両方が長谷を狙っているのはまず間違いないわ」

 

何故ここで狙われるのが大であって、元凶となった梓ではないのか。

単純なことだ。大には人質としての価値が余りにもあり過ぎた。

 

梓本人はおろか三大天全員と懇意にしている男。

その彼を人質にすればそれは強力なコマを手に入れるのと同意になる。

彼を餌に愛達を倒す事も可能かもしれない。

逆に人質として愛達を共倒れさせることだって可能である。

 

つまり、現在湘南の不良勢力を握るには三大天を直接倒すのではなく大を手に入れることが近道なのだ。

 

「そうか、それでその捕まえた奴らは他に何か知っていたか?」

「いえ、現在長谷を狙っているのはどこのグループにも所属できないはぐれ不良ばかり。

 情報どころか各々が勝手に行動しているだけ、ただの烏合の衆よ。

 暴走王国の奴らだって梓から身を守るための人間と思ってるくらいでしょうね」

 

つまり互いにつながりがない為、何時どこで行動を起こすかわからない。

形のない組織ということになる。

 

「どうする辻堂。

 長谷は私の仲間でもあるわ、アンタが良いなら私は護衛を付けるつもりだけど」

 

恋奈は既に手を回している。

後は彼女の同意を得るだけだが

 

「メンドくせぇな。

 そういうのはお前らだけでやってくれ、私は別の事をさせてもらうぜ」

 

ここでマキが口を挟む。

 

「用はそれだけか。なら私は帰るぞ」

「ちょ、待ちなさいよ」

 

聞く耳持たず、マキは恋奈の静止を無視して江乃死魔の拠点から立ち去った。

残った愛や恋奈もそれに呆気にとられた。

 

「ったく、アイツは。アンタはどうなのかしら、辻堂」

「アタシは・・・・・・」

 

珍しく愛が深刻な面持ちで答えを出せないでいる。

恋奈もその答えを急かすことはなく、黙して待った。

 

「いや、考える事はないか。頼む、恋奈」

 

頭は下げないが、それでも恋奈の提案は受け入れた。

ここで彼女の力を借りれば愛の面子は僅かだが傷つくだろう。

しかしそれ以上に、自身の面子などより大切なものがある。

 

「意外ね、てっきり断るものかと思ってたけど」

 

恋奈は愛の性格上絶対に自身の手助けを受けないと思っていた。

しかしそれは裏切られ、愛はその手を受け取った。

 

「面子ばかりに気を取られて、もし大が本当に怪我でもしたらアタシは多分一生後悔する。

 だからお前にはアタシに言って欲しいことがあるんだ」

 

愛の試すような笑みに恋奈は少し困る。

だが僅かに考え彼女が何を求めているのか理解した。

 

「貸しにしとくわ。いつか返しなさいよ」

「ああ、その台詞が聞きたかった」

 

満足げに頷く。

助ける、庇う、手をつなぐ

そんなのは三大天には必要のない概念だ。

互いに嫌いあって、互いに憎み合っているのならその関係に似合う言葉は一つ。

貸し借り。

 

人情のない言葉かもしれないが、それでも今の二人にはその言葉こそ何よりも性分にあったものだった。

 

「それじゃあ、今日たった今から長谷には江乃死魔から護衛を付けるわ。

 アンタの方はどうするわけ?」

「アタシは今まで通りだ。今から大の所へいって、いつも通り過ごす」

「そう、まぁ辻堂が傍にいれば馬鹿共も襲ったりはしないだろうけど。

 今日長谷は外出しないって言ってたわよね?」

「あぁ、確か久しぶりに家でゆっくりしたいとか言ってた」

 

ここで恋奈は一つの懸念を抱いた。

確認はしたものの確証がない。

つまり今、この瞬間長谷大が一人で外出している可能性はゼロではない、と。

いや、そもそも自分たちや梓を狙う不良どもがどれほどの数なのかわからない。

その中で更に大を狙うものの数となると恋奈でも把握できない。

 

だが、恐らくは少なくない筈。

三大天や梓は既にはぐれ不良ごときでは相手にならないほど力がある。

故にその四人への恨みを晴らす、もしくは弱みを握るには大を狙うのが最も効果的だ。

 

不良共は相手の弱みを握ることにかけては素早い。

確実に大は現在危険な段階となっている。

 

「辻堂、アンタ長谷の携帯にコールしてくれない? 少し嫌な予感がする」

「・・・・・・ああ、アタシも何か思うところができた」

 

互いに同じ事を思ったのだろう。

愛は大の携帯電話に即座にコールする。

自分の携帯に耳をあてて相手を呼び出す電子音を聴き続ける。

しかしどれだけ待てども相手は出てこない。

 

「クソ、出ない!」

「落ち着きなさい、単純にマナーにしてるか忘れて外出しているだけかもしれないじゃない」

 

愛を宥めながらも恋奈自信焦り始める。

 

「アンタ達、今すぐ街中に出て長谷大を捜しなさい! 私たちも動くわ!」

 

恋奈は迅速に部下へ指示をだし、江乃死魔全員を動かす。

 

「アタシも大が行きそうな所片っ端から行ってくる、見つけたらすぐに連絡を頼む!」

 

愛は一人で湘南の住宅街へ駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

視線を感じる。

それも、一人ではない。

それこそ片手では足りると思えない程の眼の数だ。

昨日は浮かれていて気づかなかったが、多分退院した日からずっと俺に向けられていたのだろう。

 

「・・・・・・気持ち悪い」

 

明らかに敵意を持っている質だ。

恐らく、人気のない所へ行けばそのまま襲いかかられるかもしれない。

 

入院前とは余りにも違う現状に思考が追いつかない。

 

現在俺は愛さんの家に向かっていた。

先日の集まりでどうやら彼女は財布を忘れていた。

だから贈りにいっているのだが、明らかに選択肢を間違えた。

 

今からでも愛さんに連絡して少しでも早く合流すべきか。

そう考えて携帯をポケットから取り出そうとするも、そこにはなにもない。

 

なるほど、つまり忘れたということか。

自分の馬鹿さ加減に呆れ果てる。

 

振り向いて周囲を確認すればやはり一般人の姿しかない。

しかし間違いなく俺に視線を向ける人がいる。

 

焦る。

よく見る殺人鬼に追われる映画の主人公ってこんな気分だったのかもしれない。

 

どうするか。

このまま自分の家に戻る、どこかの店に入る、愛さんの家に進むの選択が俺にはある。

最も安全なのは店に身を置くことだろう。

だがそれは時間が経つにつれて逆に危険になる。

 

携帯が無い今、店で無為に時間を潰して夜にでもなってしまえばそれこそ危ない。

かといって戻ろうにも距離的には愛さんの家に行くのと大差ない距離だ。

つまり袋小路、既に俺は選択を誤っていたということだろう。

 

だったらせめて少し遠回りになっても人通りの多い道を進むしかない。

俺は覚悟決めて愛さんの家へ向かう事にした。

 

 

 

 

 

その結果、愛さんの家には誰もいなかった。

どうやら彼女の両親も未だ旅行から帰ってきていないらしい。

 

「・・・・・・拙いな」

 

ゴクリと生唾を飲む。

感じる視線は先ほどより気配が濃い。

 

俺が明らかに警戒しているのが伝わっているのだろう。

つまり、いつ強攻策でこられてもおかしくない状況だ。

どうする。

 

ここで時間を潰せばいずれ愛さんが帰ってくるだろう。

しかし、それはここに愛さんがいないと言っているのと同じ意味だ。

余計に彼らを焚きつける行為になりかねない。

 

実際のところ俺にはもう選択肢がなかった。

冬の寒さのせいで外には余り人がいない。

時間はまだ暗くなるまで余裕があるものの、行く場所がない。

 

よって距離や時間を考えれば俺はもう家に帰るしかない。

 

 

 

 

 

 

そして俺は案の定襲われた。

それはあっけない事だった。

人通りが途切れた場所に入ったとたん数人の不良に取り囲まれ、そのまま―――

 

 

 

 

 

 

 

息が切れるほど走った。

いや、今なお走り続けている。

スタミナには自身がある。だが全力で走り続ければどんな超人であっても長くは続かない。

 

冬の冷たい風を口から一気に吸い込んで、更に探す。

心当たりのあるところは大方回ったが彼の姿はない。

大の家にも行ったがやはり外出中とのことだ。

 

「クソっ、どこに行ったんだ大のやつ!」

 

焦りが収まらない。

恋奈や自分が想像したイメージはあくまでもイメージだ。

実際に起きる可能性はそれほど高くない。

だが、現状を鑑みれば一笑に伏すことができるわけなかった。

 

殆ど調べ尽くした愛はここに来てふと思い出す。

自分は今日江乃死魔に向かう時に気づいたが、財布を大の家に忘れていた。

それに大が気づいたのなら恐らく彼は自分の家に持ってくるのではないか?

 

「調べてみるか」

 

息切れして、休憩を求める身体にムチをうって再び足を動かした。

 

そのまま凄まじい速度でまずは大の家に戻る。

そこから彼が通るであろう道をなぞって走った。

 

愛が走ればそこから自宅まで戻るのにさして時間は必要とせずあっけなく大を見つけれないまま目的地へつく。

しかし家の前にも彼の姿がない。

だったらと別の仮定をする。

 

もし彼が途中自分をつける不良に気づいていたら?

 

間違いなく喧嘩できないのなら人気の多い道を選んで通るだろう。

けどそれでもすべての道に人通りがあるわけはない。

どこかでやはり人目のない道を通ることになる。

 

つまり、遠回りする感じでここから大の家に向かえばいいのかもしれない。

 

そもそも大がここに来たのかすらも定かではないが、片っ端から探していない箇所を潰していくしかないのだ。

 

再び全力で比較的人通りの多い道を選んで大の家に向かう。

商店街や大通り、視界の良い道。

そして見つけた、人通りのない道。

 

近場には公園のある住宅地だ。

冬の住宅地は想像以上に人通りが少ない。

昼には大人は仕事に出かけているし、子供や主婦は寒いため家で生活することが主だ。

 

ここで全力で気配を探る。

マキのように野生のカンや鼻の良さはないが、それでも人の気配を察知する程度はできる。

 

「―――――声が聞こえる、あっちか!?」

 

少し遠いところから何やら威勢の良い声が聞こえる。

まるで喧嘩でテンションが上がった時の不良の声のようだ。

 

まさか、いや。そんな。

 

嫌な予感に頭が真っ白になりながらもその声のした場所に走った。

 

僅かな時間で目的の場所へ到着し視線を動かす。

そこは明らかに子供すら使わない程人目につかない場所にある日陰の小さな公園。

不良が狡い事をするのに都合のいい場所だった。

 

「・・・・・・・・・」

 

愕然として立ち止まる。

遅かった。

予感はあたってしまったのだ。

 

そこには、地に伏せたままピクリとも動かない大をなお痛めつける不良の姿があった。

 

「何を、している」

 

酷く冷めた声が口から出る。

 

「あぁ?」

 

その声に気づいた数人の不良は威嚇するような目で愛を見た。

そして愛を見た瞬間、全員が硬直した。

 

愛は感情のこもらない瞳で倒れている大を見る。

見ればその姿は悲惨で、頭からは大量の血が流れ、腕はありえない方向へ曲がっている。

幸いにして顔は守っていたのかそこだけ怪我はほとんどない。

しかし、程度など関係ない。

彼がリンチを受けたという事実しか今は愛の頭には無かった。

 

「や、やべぇ! 逃げろ!」

 

不良たちは顔を真っ青に染めて一斉に散りはじめる。

だがこの公園は本当に不良たちにとって都合のいい場所だった。

獲物が逃げられないように一箇所しかない出入り口以外は全て高いフェンスで覆われているのだ。

つまりどうあがいても愛の横を通らざるを得ない。

 

愛は慌て逃げる小物共を見る。

大を一方的に袋叩きにして、自分が傷つくのは嫌なのだろう。

 

「――――殺す」

 

生まれて初めて、相手に明確な殺意を抱いた。

手加減などする気はない。

いや、それどころか相手がどうなろうと殴るのをやめるつもりはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

辻堂愛は大の入院している病院のロビーで立ち往生していた。

彼女は現在凄まじいほどの剣幕で立っている。

 

「・・・・・・畜生っ」

 

自分を殺したいとすら思う。

悠長に江乃死魔の手を借りている場合ではなかった。

 

そんな事をしているあいだに長谷大は自分の家の近くで襲われたのだ。

 

治しかけの骨は再び折れ、頭からは血を流し、一方的に悪意を向けられている彼の姿があった。

それを見た愛は完全に逆上し、彼を襲った不良を殺しかねないほどに痛めつけた。

いや、途中恋奈が来なければ死ぬまで殴り続けたかもしれない。

 

その不良は現在べつの病院で大以上の酷い怪我で入院している。

恐らく後遺症が残る程だろう。

死んでいないのが奇跡なレベルの怪我だったらしい。

 

恋奈や自分の見通しが甘かった。

大は三大天と仲のいい程度の繋がりならば恐らく今回の奴らに襲われなかった。

けれど梓とも懇意にしているというのが決め手になったのだ。

 

梓を逆恨みする奴は余りにも多い。

江乃死魔にいた時から彼女は敵対する相手には必要以上の制裁を与えていた。

また、子飼いにしていた者達にも暴虐な命令を繰り返していた。

江乃死魔を抜けさせられた今彼女に服従する理由もなく、それどころか追放された原因となった梓に恨みを持つものは多い。

 

更に最近の暴走王国の件。

今や梓を恨む不良は江乃死魔の100人はくだらないレベルだ。

 

今回の奴らもそうだった。

梓への当てつけとして大を痛めつけたらしい。

馬鹿なやつらだ、三大天ともつながりのある大を襲って自分の身が無事で済むとでも勘違いした結果の行動だろう。

 

「少しは冷静になったかしら、辻堂」

 

彼女の傍に恋奈の姿があった。

相手を殺すつもりで殴り続けた愛を止めたのが他でもない恋奈だった。

流石の恋奈でも殺人を犯した罪までなかった事にするのは厳しい。

 

できるのなら自分の手で大を襲った馬鹿共をなぶり殺しにしたいところだが、その気持ちすら抑えて必死に愛を止めた。

数度暴走した愛に殴り飛ばされたが、幸い異常にタフな体質のおかげで何度も立ちはだかることができたのだ。

 

「止めてくれて助かった、あのままだとあのクズ共を殺してた」

「アイツ等には相応以上の報いを与えるわ。

 だから今はアイツ等のことより長谷の事を考えなさい」

 

恋奈も愛も基本は冷静な性格である。

だからこそ怒りも飲み込むことができる。

そんな怒りよりももっと大きな感情がある。

 

「大の様子はどうだった、意識は戻ったのか?」

 

そう聞きながら胸が落ち着かない。

もし、大がこのまま目を覚まさなかったら

もし、後遺症が残って一生苦しむことになったら

自分は冷静でいられる気がしない。

 

「安心なさい。目は既に覚ましてるし、精密検査でも骨折や打ち身が酷いだけで障害が残るような怪我はしてないと診断されたわ」

 

その言葉に心から安堵する。

ひどいのは見た目だけで程度はそれ程でもなかったらしい。

 

「それよりももっと別の所が酷い事になっていたけれど・・・・・・」

 

沈痛な面持ちでつぶやいた。

別のところとは何なのだ、愛は訳も分からず恋奈の次の言葉を待つ。

しかしいくら待てども彼女は口を開かない。

 

「辻堂、先に言っておくけど今長谷と会うのはやめておいたほうがいいわ。

 どちらも傷つくだけかもしれない」

「どういう意味だよ。詳しく説明してくれ」

「・・・・・・ああいうタチの悪い不良に襲われたのは初めてなんでしょうね。

 今の長谷はそのトラウマで私たち不良のことを―――――」

 

 

 

 

 

 

「大、アタシだ。入っていいか?」

 

恋奈に最後に言われた事を否定するように愛は急いで大の病室へ向かった。

 

ノックや声をかけても返事がない。

この中にいることは間違いないはずなのに、何故か居留守を使っているかのように応答がない。

 

「・・・・・・どうぞ、入って」

 

かなりの時間が経って聞こえてきたのは間違いなく大の声だった。

だが、こんな力のない声をした大の声は愛にとって初めて聞いたものだ。

 

音を立てないようにゆっくり扉を開いて入室する。

そして大の様態を見ようと彼に視線を送るが、大は布団にくるまってベッドの上に座っていた。

そのせいで顔以外は怪我の程度がわからない。

それどころか包帯まみれの顔も伏せられていて顔色すら把握できないのだ。

 

「ったく、心配させやがって」

 

空気を和ませようと軽口を叩きながら彼のベッドへ腰掛ける。

 

「恋奈から聞いた、後遺症とか残る心配はないんだってさ」

「そう」

 

彼を安心させるために言葉を選んだ。

けれど彼は変わらず陰鬱としたまま反応が薄い。

 

「怪我の方はどうだ、やっぱ痛いだろ?」

「別に、麻酔がきいてるからそれほどでもないよ」

 

普段の愛へ向ける反応ではない。

愛もこの拒絶するかのような淡白な対応をする大に心を騒がせる。

明らかに自分を避けているかのようなモノだ。

 

「大、どうしたんだよ。何かいつもと違うぞ」

 

怪我人に言う言葉ではないだろう。

けれど余りにも大らしくないその態度に愛は問わずにはいられなかった。

 

目も合わさず、相手の対応は雑で普段の大なら絶対にしない態度なのだ。

 

「・・・・・・ごめん」

 

何に謝っているのか。

それすら定かではない大の返答に愛は余計に懸念を抱く。

だったら目で彼の内心をさぐろうと彼に近づいて、未だ一度もこちらを向かない顔に手を伸ばす。

 

「な、何を?」

「大、怪我してるのにちょっと乱暴かもしれないけどゴメン」

 

僅かに大は抵抗するものの、愛が首を傷めない程度の力で無理やり顔を合わせた。

この瞬間悟ったものがある。

 

「大、お前」

 

即座に手を離す。

ようやくここで理解した。

大は自分を拒絶しているわけでもなく、適当な態度をとっているわけでもなかった。

 

単純に、怯えていたのだ。

 

愛と目を合わせたとたん大の目は、

何も知らない一般人が愛を見るその目と同じものになった。

つまり、怯え、恐怖。そういった質のものになった。

 

「おかしいよね、俺。なんで愛さんにまで怖がってるんだろう」

 

顔を合わせた瞬間から大の体はまるで病気のようにガタガタと震えだす。

両手で自分の体を抱きしめて落ち着かせようとするものの一向に収まらない。

それどころか余計にひどくなるばかり。

 

ようやく恋奈が言ったことを理解した。

大は確かに別の所に大きな後遺症を残している。

明確な人の悪意によって心に深い傷をつけられた。

 

愛はその事に深く傷ついた。

大が愛にとって他のどうでもいい人間のように自分を恐れた目で見た事。

大が自分に恐怖していること。

間違いなく不良である愛は大にとって心を追い詰める存在にしかならないという事実に。

 

しかし、それでも愛は構わずそのまま大を抱きしめた。

 

「ごめん、大。無神経な事した」

 

せめて体温の暖かさが伝わるようにと、シーツ越しではあるが体を密着させる。

依然として大の体の震えは止まらない。

大に負荷を与えないために顔を合わせることもしない。

ただ、温まるようにと抱きしめる。

 

「ごめん愛さん、俺」

「大が謝る必要なんてないよ。お前はただ巻き込まれただけなんだ。

 アタシ達ヤンキーの馬鹿みたいな事情に」

 

大は抱きしめ返そうとするも両腕が折れていて動かない。

否、例え折れていなくとも恐らく大は腕を上げることはできなかった。

 

「約束するよ大。もう絶対にアタシはお前を傷つけさせない。

 ゴメンな大。全部アタシ達の不始末のせいだ」

「違う、違うんだ愛さん」

 

愛は二度と大が不良に襲われぬようにすることを誓った。

しばらくは自分たちも少し時間をおいたほうがいいかもしれない。

それは愛自身にはとても辛いことだが、大のストレスにはなりたくない。

 

だが、大は愛が決定的に勘違いしている事を伝える。

 

「俺が襲われた事を愛さんが気にする必要はないんだ。

 愛さんやマキさん達のような湘南最強の不良と関わっていれば俺はいずれ怪我をする。

 そういったのは愛さんだったじゃないか。

 それを知って尚俺は愛さんと付き合うことを決めたんだ」

 

だから俺のために愛が傷つく必要は無い。

 

「俺が襲われたのはある意味必然だった。

 なのに俺はそれになんの備えもしてこなかった。

 ただ愛さんに甘えていただけで、俺自身が何も積み重ねていなかった」

 

今回の件だってそうだ。

携帯電話を忘れなければ視線に気づいた時点で愛に連絡を付けることができた。

そもそも一人で外出するような無用心な真似をしなければよかった。

 

考えればいくらでも対処のやりようはあったはずだったんだ。

だというのに平和ボケした自分はそれを何一つ考えていなかった。

 

「俺が今愛さんに怯えているのも、俺が単純に臆病なだけで愛さんが自分を卑下する必要なんてない」

 

目を合わさなければ何とか怯えずに口は動く。

 

「だから何も愛さんは悪くない。

 悪いのは俺一人で、むしろ愛さんが俺を責めるべきなんだ」

「・・・・・・やめてくれ」

 

 

愛は大の言葉を静止させる。

 

「それでも、お前が襲われる原因はアタシ達不良なんだよ。

 不良が勝手に恨みを買って、不良が勝手にお前に八つ当たりしたのが全てなんだ」

 

愛は大を引き離し、真っ直ぐ目を見て言う。

大はその目を僅かにそらす。

その余りにも大らしくない行為に余計に胸を痛めた。

大をこんなに傷つけて、心まで抉ったのは忌々しい不良だ。

そして愛自身もやはりその不良なのだ。

 

「その結果大はそんな目にあった。

 お前が何か悪いことしたか? お前が誰かを傷つけたか?」

 

その問いに大は答えることができるはずもない。

 

「恨むヤツの大切な人間を狙うような狡い真似をするのが不良だ。

 そんなクズを擁護なんてするんじゃねぇ。

 何も悪いことしていないお前が謝る必要なんてないんだ」

「それでも愛さんはそんな不良じゃない」

 

互いに平行線だった。

 

「愛さんはいつも筋が通っている事しかしない。

 愛さんは不良かもしれないけど、それでも俺には今愛さんが言った不良なんかと一緒くたにできるわけがない」

 

愛と関わる前までは不良なんて単純に暴走した若者程度の考えしかなかった。

やりたいことをやって、嫌な事から逃げ続ける存在。

でも、愛はそんな不良と同列にしていい人間ではない。

 

不良に怯え激しく拍動する心臓。

ブレる思考能力。

落ち着かない精神状態。

相手を見れない瞳。

 

そんな情けない自分を焚きつけて、自分に逆らうように愛の目を睨むように見る。

 

「愛さんには不良全体を悪く言うのはやめてほしい。

 俺にとって不良の象徴は君なんだ、筋を通して、自分の意思を貫く。

 そんな不良の愛さんに俺は惚れたんだ」

「大、何を言って――――」

「余りにも俺は愛さんに関わりすぎたんだろうね。

 気がつけば不良の危険さを意識しなくなって、どんな不良にだって分かり合える所があると慢心してた」

 

そう勘違いするほどに美しい在り方を示す不良である愛を見すぎていた。

 

「でも、分かり合う事もできない人もいる。

 俺はそこを失念してた。愛さん、もし今回の事に諸悪の根源があるのだとすればそれは」

 

間違いなく。

 

「悪意を向けることのできる現状なんだ。

 悪事を律する為に法律がある。規律を作るために規則がある。

 今の湘南にはそういうのが無いのだと思う」

 

人でもなく、物でもなく。悪いのは規則の壊れている現状。

そんな、形のない物大は悪だと言った。

 

「なんでそんな目にあってんのに、アタシ達不良を責めないんだよ・・・・・・」

 

声が震える。

目を背けたのは今度は愛の方だった。

 

「不良全体が怖くなったから、お前は今アタシにすら怯えてるんだろうが

 あれだけ殴られて、また病院送りにされて。

 なのに何でそこまで平和主義を貫けるんだよ。ワケわかんねぇよ」

 

不良なんて嫌いだと行ってくれた方が愛はありがたかった。

これで心おきなく不良らしく大を傷つけた不良どもを片っ端から潰すことができる。

それでより愛は大に嫌われるかもしれないが、大が安全に暮らせるならそれは納得できた。

 

けれど思惑とは外れて大は襲った相手にすら恨み言を口にしない。

 

「不良は好きじゃないよ。これは今も前もずっと変わらない。

 でも、それでも俺は不良の中に愛さんみたいな人がいる事を知っている。

 だから不良全体を嫌いになることなんてできないよ」

 

弱いものを虐げ、強いものに媚びるのが不良だろう。

でも愛はそもそも媚びる必要がないほど圧倒的に強い。

その強さは肉体的なものばかりではなく、その人としての在り方が強かった。

 

故に大は愛に憧れているし、惚れ抜いている。

 

「愛さん。俺は愛さんの事が大好きだ。

 不良を大好きになったから、そのせいで俺はこんな目にあったと君は言うのかもしれない。

 でも、こんな目にあったからこそ俺がやっと自信をもって言える事がある」

 

既に我慢の限界は来ている。

冷や汗は止まらず、心臓も張り裂けそうなほど鼓動する。

 

「どんな目にあったって俺は愛さんの事を愛し続けれる自信がある。

 だからこれからも俺の彼女でいてほしい」

 

愛が初めて別れを切り出したあの日。

あの日からずっと大は思っていたのだ。

もし本当に愛が恐れていた事が起きればどうなるのかと。

 

そしてそれが今だ。

悪意をもった不良に襲われて病院送りにあった。

未だ全身は痛みを訴え、心は挫けている。

それでもまだ愛への恋心は微塵も消沈する気配などない。

 

「愛さんの恐れていた現状がコレだ。

 そしてこうなって尚俺は愛さんのことが大好きなんだ」

 

一種の病気なのではないかと苦笑する。

なるほど、恋の病は想像以上の大病のようだ。

 

「馬鹿、そんな情けない様で何言ってんだ・・・・・・」

 

口ではいつものような憎まれ口を叩くが、それでもやはり声質は震えていた。

彼が不良へトラウマを持ったとき、別れることを覚悟した。

いや、愛は常に思っていたのだ。

 

もし、大が不良に襲われて間に合わなかったら自分たちの関係はどうなるのだろうと。

 

けれど実際に起きても自分たちの関係は何も変わらず

大は不良である自分に変わらず愛情を向け続けてくれる。

 

これほどの嬉しさを感じたのはいつ以来だろうか。

感動すると噂の映画を見てもなんとも思わなかった。

有名な小説を読んだって心が震えることはなかった。

だが、今は間違いなく心が満たされるほどに暖かい。

悲しみの種別ではなく、嬉しさの感情からでる涙が止まらない。

 

愛はもう一度顔を上げて大を見た。

大は変わらず真っ直ぐな目でこちらを見ているものの、既に一杯なのか顔つきが険しい。

無茶しているのが丸分かりだ。

 

愛はそんな大に母性を刺激されたのか、たまらない気持ちになって

もういいと胸に優しく大の頭を抱き入れた。

 

「あ、愛さん?」

「そんな体で無茶すんな。大がアタシの事大好きなのは伝わったから大人しく今日はもう休め」

 

そのまま優しく大の頭を膝に移し、俗に言う膝枕をする。

 

「そっか、伝わったんならいいや」

「ああ、充分に伝わった」

 

大は大人しく瞼を閉じて、体を伸ばす。

両腕が使い物にならないため恐らくしばらくは日常生活に苦労するだろう。

その腕を見ただけで愛は胸にチクリとした痛みが走る。

 

だが大が気にすることはないと言った。

勿論そんな簡単に整理できる程の気分じゃない。

でも、大が願ったように間に合わなかった自分を責めるのはやめようと思った。

 

それから一分経たずして大の寝息が聞こえ始める。

麻酔の効果だろうか、それともトラウマで寝れなかったからだろうか。

両方かもしれない。

ともあれ彼が眠れたのならそれでいい。

 

寝癖でボサボサになった大の髪を愛は指で梳く。

それにくすぐったそうに身をよじる。

そんな子供のような彼氏の姿を見れば、彼に会うまであったぶつけようのない怒りや憎しみが小さい物のようにすら思えた。

 

 

 

 

 

 

 

病室に冴子が来たのと入れ替わりに愛は病院を後にした。

今後は両腕の使えない彼の為に冴子と自分ができるだけ傍にいる予定である。

 

流石に病院にまで来て彼を襲う馬鹿はいないだろう。

けれど用心として江乃死魔の誰かが病院を監視することにもなった。

まぁ愛自身も辻堂軍団の誰かが常に監視するように命令はしている。

 

病院から出た足は両親の帰ってこない自宅ではなく長谷大の家へ向かっていた。

会いたい人物がいるからだ。

 

そして長谷大の家が視界に入った頃、想像通りにそこに目的の人物の姿があった。

 

「よう」

「あ、辻堂センパイ。どもっす」

 

長谷家の門の前で梓は寒そうに座っていた。

彼女は愛に気づくと愛嬌のある笑顔で挨拶する。

多分今回の件など知る由もないなのだろう。

 

「長谷センパイならいないっすよ」

 

空をみれば朝はやんでいた雪がポツポツと降り始めていた。

梓はその雪をあいかわらず物珍しそうに見ながら言う。

 

「知ってる」

「そっすか」

 

愛はそのまま梓の横に立って同じく空を見上げた。

 

「長谷センパイ遅いっすね。自分もうここに来て一時間位経ちますよ」

 

何も知らない梓に愛は大の件を伝えるか迷う。

だが隠したところですぐにバレることだ。

 

「大ならまた病院送りにされたよ」

「・・・・・・冗談っすよね?」

「冗談ならどれだけ良かったか」

 

途端に梓が愛に食いかかった。

 

「何があったんですか!? 長谷センパイは今どこなんですか!?」

 

今にも掴みかかりかねない雰囲気だ。

梓自身自分が思っている以上に焦っているのか、冷静さがいきなり消え失せた。

 

「大はテメェに恨みを持った奴らに襲われたんだよ」

「―――――なっ?」

 

これは間違いない情報だ。

恋奈の調べでは今回の奴らは以前梓に潰された事のある顔ばかりで、普段から梓への恨み言を口にしていると噂があったらしい。

 

梓は愛のその情報に口を開けなくなった。

嘘だとは言えるはずもない。

自分が相応に恨みを持たれていることは自覚している。

だが、まさか関係のない長谷大まで被害が及ぶなどとは思っても見なかったのだ。

 

「以前までのお前なら考えなかったか? アタシの弱みを突くのに大を。

 大の弱みを突くのにその家族を狙おうとか」

 

言い返す言葉もない。

その通りだ。自分は以前そういう手段を考えたことがある。

 

「今回はそれが行き過ぎた結果だ。

 お前が憎いが恐ろしくて手が出せない、

 だから大を代わりに殴ってお前への当てつけにしようとしたんだ」

 

改めて人の悪意の醜悪さに吐き気がする愛だった。

 

「・・・・・・長谷センパイは無事なんですか?」

 

縋るように見てくる。

 

「残念だが、助けるのが遅すぎた。

 両腕はへし折れて、胸の骨折もまた砕けた。

 頭も何度か殴られたようだが、後遺症はないようだ。

 これを無事と取るかどうかはお前次第だが」

「無事なわけ、ないじゃないですかっ!」

 

愛の挑発に梓は爆発する。

 

「何で、何で長谷センパイが痛い目みないといけないんですか!?

 これはあずの問題で、こんな事にならないためにあずは不良を抜けようと今頑張ってたのに!」

 

思考が纏まっていないのに口を開くからか支離滅裂になっている。

それでも何を言いたいかはわかった。

 

「それだけお前が今までしたことは人の恨みを買う行為だったってわけだ」

 

正論に梓は何も言い返せない。

 

「例え大が退院したとしてもまた同じことが起こるだろうな。

 アタシや恋奈がそうはさせないけど、安心はできない」

「じゃああずにどうしろって言うんですか。

 ヤンキーやめようが続けようが長谷センパイに迷惑かけるんじゃどうしようもないじゃないですか」

「いや、お前に恨みを持つ奴らを黙らせるのにいい方法はある。

 そしてそれはアタシら三大天に手を出させなくする手段でもある」

 

ここまで言って、梓は薄々と気づく。

その方法とは恐らく

 

「乾梓、それを実行するかはお前が決めろ。

 そうじゃなきゃ意味がない」

 

愛はそれだけ言ってその場を立ち去った。

 

梓は愛の背中を見て足が完全に動かなくなった。

愛が提案したその方法は『乾梓が三大天の誰かと決闘する』ということなのだろう。

これで梓が叩きのめされれば、梓に恨みを持つ奴はある程度納得できる。

更に勝負が激烈であればあるほど、もしくは一方的であればあるほど三大天の影響力も強くなる。

二度と三大天に関わりたくないと思わせるほどの喧嘩をすればいいのだ。

 

負けるのがわかった喧嘩をしなければならない。

それも、立ち上がることができなくなるほど体力の限界まで戦うのがいい。

 

そんな決闘、今までした事がなかった。

 

「・・・・・・答えなんて、もう決まってますよ」

 

恐怖なんてどうでもいい。

今自分にとって重要なのは二度と長谷大に危害が及ばないようにするという事だけだ。

自分の身は確かに可愛い。

けれどそんな我が身可愛さで大を見捨てるなんて選択肢はない。

 

梓は覚悟しなければならない。

自分を変える必要があるその事実に一人考え続けた。

 


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