第二章三話、完成しました
花粉なんて大っ嫌いだ
2024年 12月
「で?」
「うん? でって?」
「いやいや、色々状況整理したいから村に移動して話そうっつったのはお前らだろーが。茶ァ飲みながらゆったりまったりしてないで、話をしろっての。特に朔と望が分離してる辺りを入念且つ詳細に」
「あぁ、そんなことも言ったわね、確かに」
「アイナちゃん、もしかして忘れてたの? ボクはてっきりご飯食べてから話そうとしてるんだと思ってたんだけど……」
「イヤだわ、望。ただちょっと、望とまったりできる一時の素晴らしさを噛みしめていた所為でうっかり頭の片隅に追いやってしまっただけよ」
「……人はそれを忘れたって言うんじゃねーのか?」
「そんな細かいこと一々気にしないわ」
「ほんま、相変わらずせっかちなやっちゃなぁ」
歩くこと十分足らず、近くの村落――名前は知らん――にやって来た俺たちは、とりあえず適当な飲食店に入って話をする…………はずだったんだが、何時の間にやら単に飯食ってるだけになっている現状にツッコミを入れてみた。
効果は殆ど無ぇみてぇだけどな。
「ウッセェ、朔。テメェには言われたくねぇっての。つか、アイナも惚気んならALOの概要やら状況その他諸々、全部説明終わった後、他所でやれ。独り身に見せつけてんのか」
「ご、ごめんね、ハセヲお兄ちゃん。アイナちゃんも悪気が有った訳じゃ……」
「そうね、確かに、望とイチャイチャするなら二人っきりの時の方が良いものね」
ちっとも悪びれた様子も無く更に惚気てみせるアイナ。前から思ってたが、コイツ昔と性格だいぶ変わってねぇか? アイツが見たら下手すりゃ卒倒モンだぞ、色んな意味で。いや、その前に望の命が無ぇか。
「というか、私たちに言うのならともかく、独り身の男性にしてみれば日頃の貴方の方こそって感じよ?」
「は? どーゆーことだよ?」
「「はぁ……」」
「なんでそこで二人して溜め息ついてんだ」
俺の返しは完全にスルーしてサッと後ろを向いてコソコソと話し始める三人。
「う~ん、今の発言はちょっと……」
「ハッキリ言ってあげた方が良いわよ、相変わらず鈍感だって」
「二年寝たくらいじゃ治らへんかたってことやな。死ぬまで治らんとちゃう?」
「そうね、貴女も苦労するわね、朔」
「な、何ゆーとんねん、藪から棒に!」
「はぁ、貴女もそういう所、昔から変わらないわね」
「うっさいわ!!」
「ア、アハハ…………」
意味判んねぇ。
なんかアイナと朔が揉め出したんだが、なんなんだ一体。
てか、さっさと収拾つけねぇと何時まで経っても話が始まらねぇな。
「オイ、そろそろいいか? 一応時間は有限だろ?」
「あら、ごめんなさい。それじゃあ、始めようかしら」
朔との口論――まぁ、朔が一方的に怒鳴り散らしていたのをアイナが軽くあしらっていただけだが――を、朔をゴスロリスカートのポケットの中にぶち込むという暴挙――朔の文句は当然無視――で終わらせたアイナが向き直る。
苦笑しながら様子を見ていた望も同じように姿勢を正した。
「では、そうね。まず貴方から、何か聞きたいことはあるかしら?」
「そうだな……んじゃ、取り敢えず調査云々には関係ねぇけど。さっきも聞いたが、何でこいつらは別々に存在してて、朔はそんなちっこくなってんだ?」
望と、どうにかアイナのゴスロリ衣装から脱出して望の頭の上で不機嫌丸出しで座っている朔を交互に指さす。ぶっちゃけ、目下最大の謎だ。俺含め、アバターの容姿がThe Worldの時のモノと似通っていること以上に気になる。
こいつ等、朔と望は、対外的――つってもネットの中だけだが――には双子の姉弟ということになってるが、実際は望こと中西伊織の中に存在する二つの人格、所謂二重人格というヤツで、朔こと中西桜は伊織の中の一人格だ。小難しい言い方をすれば、解離性性同一性障害ってやつだが、それは取り敢えず置いておく。問題なのは、そういう理由で、こいつ等が同時にその人格を表に出すってのは有り得ないことなわけで。
「ちっこい言うな、ボケ!」
「もう、朔。一々ツッコんでたら何時までも話が進まないでしょう?」
「せやけどな――」
「だから――」
「うーん、二人は置いておいて、ボク達にも理由は判らないんだ。一応、朔のことは《プライベートピクシー》ってことにしてるんだけど」
「《プライベートピクシー》?」
再び口論を始めた二人をスルーして話を進める俺と望。望の成長をかなりどうでもいいことで感じる。
「うん。《プライベートピクシー》っていうのは、プレオープンの販促キャンペーンで抽選配布された……なんて言うんだろう、サポートナビ、かな? みたいなものなんだけど」
「まあ、確かに《
「実際、《プライベートピクシー》に当選はしたんだ。ただ、その後アカウントを作ってログインしてみたら……」
「その《プライベートピクシー》の中身が朔になっていた、と」
「うん」
「なるほどな」
完全に
「
「ん?」
「いや、なんでもねーよ。判んねぇもんは仕方ねぇ、次だ。お前らのそのアバターエディットは故意か?」
現状、特に支障が有る訳でもない――騒音的なことを考えれば大いに有ると言えなくはないが――ので、いったん保留し、次いで気になっていることを聞く。つっても、多分コレも……
「ううん。お兄ちゃんも知ってると思うけど、ALOのアバターエディットはランダムなんだ。無数にあるパーツから、ログインした時自動的に選択、構成される仕組みで、変える方法も殆どない」
「無くはないのか?」
「うん。ただ、有るって言っても、課金してもう一度再エディットするってだけだから、100%自分好みにっていうのはやっぱり無理。そもそもボクもアイナちゃんも一回もしてないし、朔に至っては、多分システム的に導入されてないと思う。ボク達のアバターが“前”のに似てるのは、本当に偶々としか言いようがないんだ」
「偶々、ねぇ。偶々、偶然、俺やお前らのアバターが“前”と似てるって……んなことあるか?」
「それはボクに言われても……」
「だよな、悪い」
言いつつ肩を竦める。やっぱ、コレについても碌なことは判らない。
「まぁ、どっちも拓海の奴に調べてこいって言われてたことに関係無ぇし、今は考えないことにしとくか」
「そうだね」
「それでは、本題かしら?」
朔との口論を再度終わらせたアイナが望の腕を抱きかかえる。声音からは若干の不機嫌さが覗えなくもない。
「あ、アイナちゃん? お話しするのに腕を組む必要はないんじゃないかな?」
「むぅ。だって、さっきからハセヲさんと話してばかりで私のことスルーしてたじゃない」
「そ、そうは言っても……」
「あーもーいいから、本題入るぞ? 話が進まねぇ」
頬を膨らませながら構ってちゃんオーラ全開のアイナはこの際無視だ。抱き着かせときゃ大人しく話すんならもうそれでいい。いーかげんダリぃ。
「そうは言っても、殆ど何も判ってないんでしょう? そもそも調べて何か判るかどうかも。現状判明してるのは、このALOに未帰還者の接続先が移されてたってだけ」
「せやな。調べるゆーても、何から手ぇつけたらええんか何も判らへんやん」
「このまま調べるっていうのは、難しいよね。どうしよう」
「いや、もう一つ、判ってることがある。つーか、ついさっき判ったことだけどな」
「はぁ? 自分インしてからまだ一時間も経ってへんやん。何が判ったちゅーねん」
「これ、見てみろ」
朔の言うことはもっともだが、論より証拠だ。メニューをコール、ステータス欄を開き可視モードに切り替えて三人に見せる。
怪訝と困惑が驚愕へ変わった。
「なんや、ただのステータスやん。コレのどこが……って」
「……なによ、これ。ステータス値とスキル値があべこべじゃない」
「それに所持金も、有り得ないくらいの額だよ? 各部族の首都の地価でもお城立てられるんじゃないかな」
「どういうこと? 貴方がインしたのは今日が初めてのはずでしょ?」
「正真正銘、俺がインしたのはついさっき、数十分前が最初だ。それから特に経験値を稼ぐようなことはしてないわけだから、これが俺の初期ステってことになる。有り得ねぇけどな。ただ、俺はこのステータスに見覚えが有んだよ」
「見覚えって?」
「コイツは、SAOの
「……待って。それじゃあ、まさか、ALOとSAOは……」
「……同じフォーマットを使ってる、ってことだよね。信じられないけど」
「正気かいな。あんなことあったゲームのデータそのまま移植せぇへんやろ、普通」
「あ、じゃあ、お兄ちゃんがインプ領の首都じゃなくてあそこにいたのは……」
「中途半端にデータが連動してた所為だろうな。詳しくは何とも言えねぇが」
俺が言わんとしていたことに気が付いたようだ。
嫌悪感を隠そうともしない。ま、それが普通の反応だよな。
「正気の沙汰じゃねぇのは確かだ。ただ逆に、こんだけのことをしてる以上、ALOの中で何かしている、乃至何かを隠している可能性はゼロじゃねぇ」
「何から手を付ければ良いかは判らないけれど、叩けば出てくる埃は有りそうね」
「結局、基本は手当たり次第ってことになるがな。でだ。俺が持ってるALOに関しての情報はほぼゼロつっても過言じゃねえ。だから、ヤマ勘でも何でもいいからどこを探せばよさそうか、調査するにあたって何が必要そうか教えてくれ」
三人顔を見合わせて考えること暫し。
そうね、と初めに口を開いたのはアイナだ。
「何はともあれ、まずは貴方が飛べるようになることかしら」
「そうだね。街中はともかく、ALOでのフィールド移動は基本的に飛行が主だから」
「できるなら随意飛行ね。コントローラーを使うよりよっぽど速いし」
「ふむ」
飛行、ねぇ。ALOが人気を博している一番の理由でもあるらしいが。確かに障害物の多いフィールドを走って抜けるより、上空を飛んだ方が速いだろう。移動手段の利便性的にも、自らの翅で空を飛ぶという現実では不可能なことをしたいという願望的にも、随意飛行は覚えたいところだが。
如何せん……
「経験が無ぇからなんとも言えねぇな」
SAOでも有り得ない高さまで跳躍したり、走り幅跳びの要領で屋根伝いに移動してみたりはしたが。流石に飛行なんて言うふざけたスキルは無かったからな。つか、有ったら有ったでゲーム性が崩壊しただろうが。
まぁ、あとは《
「それじゃあ、今日は飛行訓練ってことにしましょうか」
「そうだね」
「しゃーないなぁ。どーしてもっちゅーなら、教えたるわ」
「……ああ、宜しく頼むわ、望、アイナ」
「こぉんのバカヲ! 人が折角親切に教えたるゆーとんのに、なんやその態度は!!」
何故か知らんが、無駄に尊大な態度をとっているちんまいのをスルーして望とアイナに頼む。当然の如く絡んでくるがスルーだ。
さて、そんじゃ、人生初の空中遊泳へと行こうかね。
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2025年 1月
「触らないで」
私の頬に触れようと伸ばしてきた男の手を払う。
呪い殺したい程の殺意と憎しみを込めて、目の前の男、《妖精王》オベイロン、否、須郷伸之を睨みつけるが、須郷の下卑た笑みが崩れることはなかった。
婚約者だ、と数年前に両親から紹介された男。勝手に婚約を決められていたことに対する反発か、それともその瞳に孕んでいた野心を感じ取っていたからか、会ったその時から嫌悪感を抱いていた男。その男への嫌悪感が、今では忌々しい存在への憎悪に変わっていた。
「つれないなぁ、ティターニア。でも、前にも言った通り、僕は強引に君を手にかけるつもりはないさ。いずれ、君の方から僕を求めるようになる」
「残念ね、須郷さん。有り得ないわ」
「はぁ……何度も言っているだろう? この世界では、僕は妖精王オベイロン。君は王女ティターニアだ。そんな興の醒めることを言わないで欲しいな」
「私も何度も言っているはずよ。私の名前はアスナ。そんな設定に従う趣味も義理も無いって」
「フフフ、どこまでも強気だね、君は。そんな君の表情も素敵だ……凍らせて留めておきたい程に」
「貴方に相応しい下種な趣味ね、須藤さん」
耳に障る厭らしい高い声で嗤いを漏らしながら揚々と言葉を紡ぐ男に、精一杯の嫌味を返す。例え籠の鳥の様に囚われていても、心だけは屈しないように。
黄昏の空の下、崩壊する幻想の中。彼と抱き合い、その暖かさを感じながら意識が光に包まれた後。私は、気付けばこの籠の中にいた。彼より先に
『目覚めたかい、明日奈君。いや、僕のティターニア』
あれから、どれくらいの月日が経っているのか、正確な時間は判らない。
でも、増大し続けている憎しみと、摩耗し衰弱している自分の心から、ある程度長い時間囚われているのは判る。
それでも、どれだけ弱くなっても、心が折れないのは、屈しないのは、彼への愛しさと信頼のおかげだ。必ず、彼が迎えに来てくれる、助けに来てくれる。そう信じられるから、心が耐えられる。
「あぁ、そういえば」
ふと、何かを思い出したように声を上げ、嗤いだす須郷。
醜く歪んだその顔を見るだけで怖気が走る。
「桐ヶ谷和人、だったけなぁ」
その言葉に、心臓を鷲掴みにされたような衝撃が、私の中を駆け巡った。
なぜ? なぜこの男が彼の名前を知っている?
目を見開いて自身を見る目に動揺をでも見つけたのか、須郷はその笑みを更に深めた。
「ここに来る前にねぇ、会ったんだよ、あのガキと。君の病室でね。彼だろう? 君の心に住み着いている害虫は」
彼が、キリト君が。私の所に来てくれた?
「数日前に、彼のことは君の父上から聞いていてね。まさか会うことになるとは思わなかったが」
キリト君が、私を見つけてくれていた。
「どうやら君のナイト気取りのようだったから、近々君と式を挙げることを伝えてやったのさ。いやぁ、君にも見せてあげたかったなぁ、あのガキの情けない顔! アハハハ!」
キリト君は、まだ私のことを愛してくれている。
「……ふふ」
顔を歪めて嗤っていた須郷が、私の口から洩れた声が聞こえたのか、その嗤いを止めた。
「何がおかしいんだい、ティターニア」
何がおかしいのかって?
「貴方は、私の心を折ろうと思って話したんでしょうけど」
でもね?
「逆効果だったわね」
彼が、キリト君が私のことを想ってくれている。それだけで、弱っていた心が力を取り戻していくのを感じられる。
「君があのガキに何を期待してるのかは判らないが、あんな力も何もないような奴に、何かが出来るとは思えないけどね? 僕の言葉で彼も諦めたように見えたし」
「彼は、貴方が思うような弱い人じゃないわ。どれだけ傷付いても、立ち上がって歩き出せる」
「…………チッ」
忌々しそうに舌打ちをして出ていく須郷の姿は、もう私の意識には無かった。
有るのは、彼への想いだけ。
私は、まだ大丈夫。まだ心は折れてないよ、キリト君。
「キリト君……私は、キミを待ってるから……」
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『君がゲームの中でこの娘と何を約束したかは知らないが、金輪際、ここには来ないでもらえるかな。結城家との接触も遠慮願いたい』
あの男、須郷の言葉と嗤いが頭を離れない。
ふざけるなと、諦められるかと、貴様の方こそアスナに近づくなと、そう言いたかった。
この手に剣が有れば、首を切り落としてやれるのにと思った。
だが、実際にそんなことが言えるはずがない。出来るはずがない。
どんなに
許せなかった。
アスナの気持ちを踏みにじる須郷が。
どうしようもない理不尽に満ちた現実が。
何より、何も言い返せず、何の力も持っていない、不甲斐無い自分が。殺してやりたい程に。
「きゃっ!」
ドロドロとした真っ黒な感情に押しつぶされていた所為か、前を良く見ていなかった俺は、急に視界に入った人影を避けるため慌てて自転車のハンドルを切った。
無茶な運転の所為で、車体はバランスを崩して倒れる。その勢いに乗って俺の身体も地面に転がった。
「だ、大丈夫ですか!?」
危うく轢きかけた女性が、心配そうな顔でこちらに近づいてくる。どうやら何とか避けられたようだ。
「……大丈夫です。すいませんでした」
「……あ、あの」
「?」
頭を下げて立ち去ろうとする俺の手首を掴んで、女性が引き止めるように声を上げた。
きちんと謝罪しろとでも言われるのかと振り向けば、女性の浮かべている表情は苦笑。続いて掛けられた言葉は俺の想像の斜め上だった。
「わたしの家そこなんですけど、ちょっと寄って行きませんか?」
「………………はい?」
「ああ、いえ、変な意味じゃないんですよ? 腕とか顔とか怪我してるみたいだし、治療しなくちゃって」
「いや、このくらい大丈夫ですから」
「そんなことないです。怪我は甘く見ると怖いんですから」
それから謎の押し問答の末、折れた俺は大人しく彼女の家に上がることとなった。
救急箱を取り出して俺の怪我を消毒して絆創膏を貼っていく過程は、何となく慣れを感じさせた。そんな俺の視線に気付いたのか、再び苦笑を浮かべた。
「わたし結構ドジで、昔っから変な所で転んだりしてよく怪我してたんです」
「はぁ……」
それっきりまた会話が無くなる。とても何かを話す気分にはなれないから必然だろうが。
「ごめんなさい」
「え?」
擦りむいたところ全てに絆創膏を貼り終えたところで、突然彼女が頭を下げた。
一体何を謝られているのか判らない俺は混乱するしかない。
「強引に連れ込んじゃったから。でも、ちょっとほっとけなくて」
「怪我が、ですか?」
「うん、それもありますけど、何より、あなた自身が。昔のわたしと同じ顔でしたから」
「同じ?」
「そう、同じ。何も信じられなくて。何よりも自分を信じられなくて。そして世界に絶望してる。そんな顔です」
「っ!」
未だ俺の中で渦巻いている感情を言い当てられて絶句する。
「俺、は……」
「言わなくていいですよ。あなたが今抱えている悩みは、あなただけのものですから。きっと誰かと共有できるものじゃないです。わたしもそうでしたし。ただ、これだけ伝えたかったんです。
『涙で目を曇らせるな。耳を塞いで、都合悪いことから逃げるな。自分勝手な思い込みで、自分を縛り付けるな。しっかり目を開いて、耳を澄まし、思考しろ。深呼吸して、一歩でも多く歩け』」
「一歩でも、多く……」
「わたしがわたし自身を許せなくて、どうしたらいいのか判らなくて、全てに絶望してしまいそうになったとき、ある人から言われた言葉です。わたしが抱えていたものと、あなたが今抱えているものは違うものです。でも、逃げちゃダメなんです。立ち止まっても、また歩き出すことを止めちゃダメなんです。ゆっくり、一歩ずつでもいいから歩いて行かないと」
『強くなんてねぇよ。ただ、立ち止まらないってだけだ 』
彼女の言葉を聞いて、アイツのことを思い出した。
そうだ、決めたじゃないか。いつか、あの背中に追いついて見せるって。
言われたじゃないか。何に変えてもアスナを守れって。
また忘れていたのか、俺は。
「ごめんなさい。偽善だっていうのは判っているんです、でも……」
「いえ、ありがとうございます。おかげで、思い出せました。大事なこと」
「そうですか……なら良かったです」
『がんばれは言いません。あなたは充分がんばっていますから。がんばっているからこそ、辛いんだと思うから』
そう言って見送ってくれた彼女にもう一度礼を言い、自転車を走らせる。
グルグルと渦巻いていたものが全てとは言わないが、殆ど消え去っていた。
残った分は、家に帰ってから、涙と一緒に吐き出してしまおう。そうして全て吐き出したら、また歩き始めよう。もう一度、アスナと会うために。
アスナと最後に見た黄昏と同じ色をした空の下帰宅した俺は、その日が完全に沈み切るまで、そして沈み切ってからも、声を上げることなく、けれど心の中で思い切り叫んで、泣いた。
憎しみも、悲しみも、何もかも吐き出してしまうために。
「お兄ちゃん、お風呂空いたよ」
どうやら泣き疲れて眠ってしまっていたようだ。すっかり夜の帳が落ちている中、スグがドア越しに呼ぶ声で目が覚めた。
「お兄ちゃん?」
返事がないことを不審に思ったのか、スグがドアを開けて入ってきた。
「あ、ごめんね、寝てるのかと思って……」
「いや、いいよ。実際寝ちゃってたし。スグが声かけてくれなかったら風邪ひいてたかもしれないな。サンキュ」
完全に体が冷え切っちまってる。冗談抜きで風邪ひいてたかもだから、スグには感謝だな。
電気を点けてスグに礼を言うと、何故か心配そうな顔をされた。
「……ねぇ、お兄ちゃん。何か、あった?」
「え?」
「眼真っ赤だし、腫れてるし……泣いてたのかなって」
「あー……」
泣き疲れて眠っちまったんじゃ、そりゃそうか。
しまった、どうするか……
どうやって誤魔化そうかと考えていると、不意に前から抱きしめられた。
「え? す、スグ?」
「……アスナさんのこと?」
「あ、ああ」
我が義妹ながら勘が鋭い。てか、つい返事しちまったけど、もう完全に誤魔化せないじゃん。
「何が有ったのかは、言いたくないなら聞かない。でも、好きになった人のことは、絶対に手放しちゃ、ダメだよ」
言いながら抱きしめる力を強くするスグ。
本当、今日は誰かに心配されてばっかりだな。
二年前までは碌に会話しなかったスグが、こんなにも俺のことを気遣ってくれる。そんな彼女に強い愛しさを感じて、抱きしめ返した。
「ありがとうな、スグ。でも、大丈夫だよ。俺はまだ、頑張れるから」
「……うん、そっか」
現実に戻ってからコッチ、本当にスグには助けられてる。俺には出来過ぎたこの義妹を、より一層大事にしようと決めた。
数分間、そうやって抱き合っていただろうか。もぞもぞと動きを感じてスグの顔を見ると、そこには見事な完熟トマトが。
「あ、悪い悪い。そんないつまでも抱き着かれてたら苦しいか」
「う、ううん! だ、抱き着いたのは私からだし! あ、あの、えっと、その……げ、元気ならいいんだよ! うん! じゃ、じゃあお兄ちゃん、お風呂入って温まってね! それじゃっ、お休み!!」
ぱっと離れてから、真っ赤なままドタドタと騒がしく部屋に戻っていくスグ。
しくじったなぁ、そりゃ、年頃の女の子が兄貴にいつまでも抱きしめられてたら恥ずかしいよなぁ。今度埋め合わせしてやんないとな、礼も込めて。
そんなことを考えつつ、風呂の準備をして階段を降りていく。
そこでハッと思い出した。
「そういや、あの人の名前も聞いてなかったな」
家にまで上がらせてもらったのに、表札さえ確認し忘れるなんて……ほとほと呆れるほど、余裕がなかったのが判る。幸い、彼女の家までの道は覚えてるから、色々片が付いたら、もう一度礼を言いに行こう。
そして、明けて翌日。
「これは、まさか……アスナ……なのか?」
それは、エギルこと、アンドリュー・ギルバート・ミルズから送られてきたメールに添付されていた一枚の画像データだった。
元々かなり小さかったものを無理やり拡大したのか、かなり画質の荒くなったものだったが、そこに映る長い茶髪の女性は、確かにアスナに見えた。
アインクラッドが崩壊し、事件が解決してもなお、目を覚ましていない彼女の手掛かりだった。
菊岡に、SAO事件の顛末を詳細に話すことを条件に、対価として受け取った仲間たちの個人情報。アスナの入院している病院は勿論、エギルやクライン、リズ、シリカ、アルゴ達の本名と現住所も把握していた。エギルやクラインとは既に連絡も取りあっている。
しかしながら、菊岡の立場を使っても目覚めたかどうかが確認できなかったのが二人。アスナとハセヲだ。
アスナの情報自体は判明したが目覚めておらず、ハセヲに至ってはNABの調査員か、もしくはかなりの権力を持った者の圧力でかは不明だが、個人情報どころか生死さえも確認できなかったらしい。そんなこと有り得るのかと菊岡を問い詰めてはみたが、結局帰って来たのは、中間管理職の自分に出来るのはここまでだ、という返事だけだった。
何も判っていなかったアスナの手掛かりを掴んだ俺は、居ても立ってもいられずエギルに電話をかけ、彼の店まで足を運んだ。
そこでエギルから教えられたのが、あの画像のソースが《アルヴヘイムオンライン》というVRMMOだということだ。
『死んでもいいゲームなんて、ヌル過ぎるぜ』
そう啖呵を切って、エギルからALOのソフトを譲り受けた俺は、家に帰るなり早速数か月ぶりのフルダイブを敢行した。
そして俺は、再びその手に剣を執る。無力なガキから、鍍金の勇者になる為に。
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「……SAOのフォーマットデータの流用か。買収した企業の技術を自社製品に用いるのは一般的な事ではあるが、あれだけの事件を起こしたモノだ。普通はおいそれと採用したりしない」
「しかも、SAOは茅場が殆ど一人で作り上げたモンらしいから、アーガスの技術って言えるかどうかも怪しいしな。技術流用ってよか、もはや盗作だろうよ」
「解析できないブラックボックスをそのまま組み込んだ、という訳か。どこかで聞いたことのある話だとは思わんかね?」
「まぁな」
苦笑の様な、嘲笑の様な、なんとも言えない微妙な笑いの声音で問うた拓海に、肩を竦めて返す。
調査開始から数週間。新年を迎えてから半月ほど経過した今日、俺は再び拓海と顔を合わせている。無論、理由は調査報告の為だ。
とは言え、先月から調査を続けてはいるものの有力な情報は初日に掴めたもの以外は何一つ手に入っていないのだが。報告したこと以外に、もう一つ、感じ取っていることは有るには有るんだけどな。
「ハロルド・ヒューイックに茅場晶彦。天才の作り上げるモノには似たものが宿る、ということか」
「さぁな。天才の考えることは凡人には判んねぇよ。傍迷惑だってこと以外はな」
愛した女性、エマ・ウィーラントの遺した叙事詩を仮想世界に創り上げた男、ハロルド・ヒューイック。
自らが想い描いた世界を、ハロルドと同じように仮想世界に創り上げた男、茅場晶彦。
二人の天才が創造したモノは、その経緯はどうあれよく似た境遇にある。MMORPGに使われていること然り。その死後もなお、それを解析できず流用する者がいること然り。
その両者が残したブラックボックスに振り回されている
「ま、色々と調べ回ってはみたが、判ったのはそんだけだ」
「ふむ、疑いは濃くなったが、核心にはまだ一歩及ばず、と言ったところか。継続して調査を頼んでも?」
「ああ。一応、まだ一番怪しそうなとこは調べてねぇから、ぼちぼち探ってみる予定だ」
確証は無い。が、第六感とでも言うべきものがその場所が当たりだと知らせているような気がする。こんな不確かなこと、拓海に言う気になれないけどな。
「そうか、頼む。しかし、中西君にも悪いことをしてしまったな。彼も今年受験だというのに」
「まぁ良いんじゃねぇの? 本人も良い息抜きになるって言ってたしな。よく判んねぇことになっちゃいるが、それはそれで楽しんでるみたいだしな、二人とも」
「……中西君と愛奈君が、かね?」
「いや、あの二人もそうだけど、伊織と桜がな」
「よく判らないことと言うのは?」
「ああ、あの二人、なんでか判んねぇけど、ALOでは分離してそれぞれ存在してんだよ。それこそホントの双子みたいにな」
「…………」
調査の話からただの雑談に移ろうとしていた流れで伊織と桜のことを話すと、徐々に拓海の表情が再び真剣なモノに戻っていく。
そんな気になる内容だったか? いや、確かに気になることではあるが、そこまで躍起になって考えることでも……俺も割と追及したか。あの三人と一緒にいる間に慣れちまって疑問に思わなくなっただけだな。
「すまないが、亮。その話、詳しく聞かせてはもらえないだろうか」
「あ、ああ、構わねぇけど」
詳細を求めてきた拓海に若干気圧されたものの、共に考察する相手が欲しかったのは確かなので、判っていることを話した。
話し終えた所で、暫し拓海が思案すること数分。
「これはあくまで推測にすぎないのだが……《
「は?」
唐突にそう切り出してきた。今の話から一体どうしたらそんな方向に話が飛ぶのか全く分からなかった俺は素っ頓狂な声を上げる他なかった。
「なんだってんだいきなり。話飛び過ぎだっての。今の話からその結論に至った過程を話せ過程を」
「ああ、すまない。気が高ぶっていたようだ……ふむ。では、私の考察を順を追って話そう」
軽く深呼吸をする拓海。かなり珍しい光景だが、それだけの内容だってことか、拓海の中では。
「まず初めに、君が
「興味深い……スケィスのことか?」
「ああ、そうだ」
やっぱりなと一つ頷く。今の流れで出てくるのはそこだろう。
夕暮れの聖堂で守護者と呼ぶべき朱い双剣士を斃し手に入れた
「七年前のあの日、クビアを斃し、同時に我々から失われていたはずの《碑文》が君の下に戻ったと聞いて、私は随分と驚いたのを覚えているよ」
「そりゃな」
「その反存在との対消滅により散逸したはずの碑文。本来ならば、この時点で碑文は完全に消滅しているはずなのだ。膨大なネットの海に流れ出た訳でもない。そんなものが果たして、君の下に戻るなどと言うことが本当に有り得るのか。そもそも、The WorldでもないMMOにおいて、碑文がその力を顕現し得るのか」
「けど、俺の手にした力は本物だった」
「無論、君の言葉を疑う訳ではない。
「それが、碑文……憑神は俺たちから失われていないかもってことか?」
「ああ、そうだ」
渇いた喉を潤すべく、紅茶を一口含む拓海。
別に俺が喋っていたわけでもないのに、何故か渇きを覚えた俺も同様に紅茶を飲む。
知らず知らず拳を握りこんでいたようで、カップを持つその手はじっとりと汗を掻いていた。
「話を続けよう。では、我々から碑文が失われていないとすれば、それはどこに在るのか」
「どこって……」
碑文、つまり電子データの塊が、人体に残留できる場所なんてそれこそ一つしかないだろう。とても信じられるような話じゃないが。
「脳……しかないだろ、どう考えても。でも、それこそまさかって話だ」
「確かに、些か信じ難いことではある。しかし、人体における脳と言う器官は、現代医学でも未だにブラックボックスの塊だ。真っ向から否定することは出来んよ。第一、碑文やAIDAが脳に関係ないというのなら、我々《碑文遣い》がThe Worldで感じていた五感の説明もつかない」
「……確かにな」
俺たちがThe Worldをプレイする為に使っていた
「そしてそれならば、再び君の下に碑文の力が戻ったこともある程度納得できる」
「与えられたモンじゃなくて、元々俺の中で眠ってたモンを起こしただけだから、か」
「勿論、何故The WorldではないSAOと言う場で顕現できたのかは不明だがね」
「なら、伊織と桜は?」
「恐らく、彼らの中の碑文も、君同様、再び目覚めかけているのだろう。こちらも理由は判らないがね。彼らの裡に宿る碑文は、第五相《策謀家 ゴレ》だ。かの碑文は二つの人格を持つ波、つまりは双子だ。何かを別つ力を持っていても不思議ではない。その力が、本来伊織君の一人格である桜君をプライベートピクシーという器に別つことで同時に存在することを可能にしているのだろう。今後完全に目覚めるのか、再び眠りにつくのか、それとも現在の状態を保ち続けるのかは不明だし、そもそも、この推測が正解かどうかも判らない。恐らく検証も不可能だろう。方法すら思いつかんよ」
「……もしかしたら、あいつ等の碑文が目覚めかけてんのは、ALOって環境の所為かもしれねぇな」
ふと、思いついたことを口にしてみる。
もし、拓海の推測が真実で、俺が感じとった気配を理性ではなく本能で理解するのなら、この思いつきも間違いではないかもしれない。
目で先を促してくる拓海に頷いて言葉を続ける。
「SAOという環境は、俺の中の
あの戦いでヒースクリフ、茅場が俺のことを『七年前の立役者、世界の救世主の一人』と言っていたことが関係しているのかもしれないが、今は良いだろう。このことは既に拓海や智成には話してあるしな。
「けど、それが出来たというのは事実だ。そして、ALOは、そのSAOのブラックボックスをそのまま使っている。それなら伊織と桜が俺と同じように碑文を目覚めさせることが出来たと言えるかもしれない」
それに、と続けて。先は、確証がないので伝えなかった言葉を。
「俺はALOにINする度に、欠けた半身に惹かれる様な感覚を覚える」
「なに?」
12月のあの日、初めてALOにダイブしてからずっと感じている欠けた半身の気配。
何故SAOで埋まったはずの半身が再び欠けたのかは判らないが、確かに感じる気配は間違いなく
「ふむ。もしかしたらだが、君の感じるその気配こそが、未だに残る未帰還者を解放するための鍵になるやもしれんな」
その言葉に、深く頷き、同意する。
「ああ、俺がさっき怪しいって言った場所、あんだろ。そこなんだよ。一番強く、アイツの気配を感じる場所がよ」
その場所は、央都アルンに
未だにクリアされていない、妖精王オベイロンのいるとされるグランドクエストの地。
最新話の読了ありがとうございます。
いやぁ、活動報告でも書きましたが本当に遅れて申し訳ないです。
新歓やら花粉症やらなんやらで今回は遅れに遅れました。
なんか微妙にスランプ気味で、特に最後の方、結構難産でした。
所々変な所があるかもですが許してください(涙)
後々話を変えない形でいじる可能性大ですね、主に地の文。
感想、意見のほど、いつもながらよろしくお願いします。結構元気でます。いや、ホントに。
最後に一言
杉も檜も大っ嫌い、花粉なんて無くなってしまえ!!
では、また次回にノシ