水波が淹れてくれたお茶を飲みながら、紗耶香は辺りをきょろきょろと見渡す。司波家の事情はある程度聞いているので、この家に両親と呼べる人がいない事も知っているが、三人で暮らすには少し広いのではないかと感じていたのだ。
「お金持ちって感じよね、こうしてみると……」
紗耶香の家はここまで広くも無ければ、インテリアにもさほどこだわっていないので、如何にも一般家庭という感じの家なので、余計にそう感じてしまうのかもしれない。
「しかし、桜井さんがいるとはいえ、普段はここに達也くんと深雪さんが一緒に住んでいるのよね……他の人が文句を言うのも分かるわね」
いくら広い家とはいっても、深雪は基本的に達也の側にいる事が多い。もちろん、研究の邪魔をすることはないので、達也が地下室に篭っている時は離れているが、その事情を知らない紗耶香は常に深雪がくっついている光景を思い浮かべ、沸々と怒りを覚えていた。
「お待たせしました。それで、何処か行きたい場所はありますか?」
「ここでいいわ。ゆっくりとお話もしたかったし」
「はぁ……」
荷解きを済ませまずリビングにやってきた達也が、紗耶香に希望を尋ね、その返事に首を傾げる。先ほどまでどこかに出かけたい雰囲気だったのに、この短時間で何があったのだろうかと考えたが、考えても答えは出なかった。
「達也さま、今お茶をご用意します」
「別に急がないからゆっくりしろ」
続いてリビングにやってきた水波が、達也のお茶を用意するために駆け足でキッチンに引っ込んだが、達也はそこまで喉が渇いていないので水波を落ち着かせるために声を掛ける。
その水波と入れ替わりでリビングにやってきた深雪は、紗耶香が達也の隣に腰を下ろしているのを見て目を見開いたが、すぐにいつも通りの雰囲気に戻った。もちろん、達也にはその事はバレているのだが、紗耶香にバレなければいいと考えているのかもしれないので、特に慌てる事は無かったのだ。
「それで、壬生先輩は達也様にどのようなご用件がお有りなのでしょうか? 壬生先輩だって、達也様が沖縄で遊んでいたわけではないという事はご理解されているはずですよね?」
棘のある物言いに、紗耶香は一瞬たじろいだが、すぐに剣士の顔つきになり深雪と対峙する。
「婚約者とお話がしたいだけよ。深雪さんだって同じ立場なのだから、そのくらいは分かると思いますが」
「でしたら日を改めていただけませんか? 達也様は先ほど沖縄から戻られたばかりですので。いくら達也様が常人とはかけ離れたお人でも、さすがに疲れないわけではありませんので」
「日を改めたところで、達也くんは忙しくて時間が取れないでしょ? だから、ちょっとかわいそうだけど帰京するタイミングを狙ったのよ」
互いに譲らないやり取りを眺めながら、達也は水波が持ってきた紅茶を口にする。同じように深雪の前にも紅茶が置かれたのだが、彼女はそれに手を付けることは無かった。
「だいたい、深雪さんは自分がどれだけ優遇されているか理解しているの? 同居は仕方ないにしても、一緒に沖縄旅行までして、あまつさえ部屋はテラスでつながっているだなんて、他の婚約者が聞いたら不満が爆発するわよ」
「私たちは遊びに行っていたわけではありません。それに、テラスでつながっているとはいえ部屋は別なのですから、さほど問題視する必要は無いと思いますが。それとも、他の方々は『万が一』があったとでもお考えなのでしょうか?」
激しい睨み合いが続く中、達也は水波に二、三話しかけてリビングから姿を消した。深雪も紗耶香も達也がいなくなったことには気づかずに言い争いを続けているのを見て、水波は思わずため息を溢したのだった。
「(同族嫌悪、という事でしょうか……)」
互いに達也を独占してみたいという考えを持っているのだろうと、水波は言い争いが収まるまで二人を眺めていたのだった。
キッチンから良い匂いが漂ってきたのを受けて、深雪は現実に復帰する。
「水波ちゃんに夕ご飯の支度を押し付けてしまった……わね?」
てっきり水波が用意しているものだとばかり思っていた深雪は、リビングの端に控えている水波を見つけ首を傾げた。
「水波ちゃんが用意しているんじゃないとしたら、いったい誰が?」
「達也さまです」
水波の答えに、深雪だけではなく紗耶香も驚きの表情を浮かべる。
「何故達也様がそのような事を?」
「お二人を落ち着かせるためと、仲直りさせるためだそうです」
淡々と答える水波ではあるが、彼女は内心二人を羨ましく思っている。自分は婚約者ではないので達也の手料理を食べる資格がないと考えているからだった。
「待たせたな。紗耶香さんもせっかくだから食べていってください」
「これ、達也くんが?」
「まぁ、深雪ほど美味くは無いでしょうが」
目の前に置かれた料理を見て、紗耶香は少なからずショックを受けていた。見た目だけなら自分が作るよりも美味しそうだったからだ。
「水波も座れ」
「私も食べてよろしいのでしょうか?」
「三人分作るのも四人分作るのもさほど手間は変わらない。それは水波の方が知っているだろ」
何時も料理している水波だからこそ理解出来ないはずもなく、水波は恐縮した顔で達也の料理に手を付ける。
「美味しいです」
「壬生先輩のお陰で、達也様の手料理を食べることが出来ました」
「私の方こそ、深雪さんのお陰でこんな美味しい思いが出来たわ」
三人が満足そうに笑っているのを見て、達也も自分の料理に手を付けるのだった。
IFが尽きたら番外編を作ればいいだけですがね……