対向車線の大型車のタイヤがパンクしたようで、火花を上げて道路を削っている。現代のハイウェイは車線毎に独立しており、その間には強固なガード壁がある為に、対向車線の事故など、若者にとっては対岸の火事でしか無かったのだ。
花音の悲鳴に一瞬驚きに満ちた車内も、今は興奮で満ち溢れている。だが興奮はすぐに恐怖へと変わっていった。
タイヤがパンクした事で制御出来なくなっていたのか、大型車はスピンしてガード壁へとぶつかる――と思われたが、何の因果か残っていたタイヤが跳ね上がり、あろう事かガード壁を飛び越えて此方の車線に大型車が飛んできたのだ。
急ブレーキがかかり全員がつんのめる。何人かが悲鳴を上げたが、注意事項を無視してシートベルトをしてなかったからだ。
バスは止まり直撃は避けたが、大型車は炎上して此方に向かってきているのだ。
「吹っ飛べ!」
「消えろ!」
「止まって!」
「っ!」
パニックを起こさなかったのは褒められる事かもしれなかったが、今回に限りそれが善しとは言い切れなかった。
無秩序に発動された魔法が無秩序な事象改変を同一の対象物に働きかけ、結果的に全ての魔法が相克を起こし事故回避を妨げた。
「馬鹿、止めろ!」
摩利の忠告に耳を傾ける余裕があるのなら、元々このような事態にはならなかっただろう。このバスに居るのは、魔法師を嘱望されたひな鳥たちなのだ。強力な魔法は一瞬で現実を変える。それを止めるにはより強力な魔法が必要となる。摩利自身ではこの状況に太刀打ち出来ない。
「十文字!」
この状況を打破出来る可能性のある同級生の名前を叫んだ。真由美は寝ていて使い物にならないと初めから分かっていたし、この状況に真由美の魔法はあまり適していないのだ。
克人は既に魔法発動の体制に入っていた。ただし彼の顔には滅多に見れない焦りが確かにあった。摩利は納得と共に絶望に打ちひしがれた。
キャスト・ジャミングに似たこの状況下では、いくら克人でも火と衝突の二つを防ぐ事は無理なのだと……
「私が火を!」
その中で一年生が立ち上がり、克人に声を掛ける。確かに彼女の魔法なら火を消す事は可能だろう。しかし一年生がこの状況下で正確に魔法を発動出来るのだろうか?
そんな事を考えていた摩利だったが、次の瞬間にはそれ以上の衝撃が彼女を襲った為にその疑問は霧散した。
自分の感覚がおかしくなったのではないかと思うくらいの勢いで、無秩序に発動されていた魔法式が全てかき消されたのだ。
そしてその現象が起こるのを予期していたようなタイミングで深雪の魔法が発動する。その見事な手際に摩利は感嘆の声を上げる。それと同時に深雪が行った魔法改変が分かった摩利の認識が正常である事に、摩利自身が少し戸惑いを覚えた。
「(私の感性が正常なら、さっきのあれはいったい……)」
克人が大型車を受け止める事になんら心配してなかった摩利は、無秩序に発動されていた魔法式を吹き飛ばしたあの現象の事を考えていた。深雪はあの現象の正体を知っている可能性が高いと思ったのだが、何故だか聞いてはいけない気がした。
「皆大丈夫? 危なかったけどもう大丈夫よ。十文字君と深雪さんのおかげで大惨事は避けられたから。怪我した人はシートベルトの重要性を覚えておいてね」
ウインクでも付きそうなテンションで真由美に注意され、バスの中は安心と平穏を取り戻した。
「それにしても十文字君、さすがだったわね」
「いや、消火が迅速だったから俺は衝撃に備えるだけで済んだからな。ところで無秩序に展開されていた魔法式を吹き飛ばしたのは七草か?」
克人に質問を向けられ、真由美はばつが悪そうに視線を逸らす……
「私はその現象が起こる少し前まで寝てたから……」
そう言えばそうだったと克人も思い、眉を一度上下するだけで追求はしてこなかった。一高幹部で一番の人格者は間違えなく克人だろう。
「深雪さんも素晴らしかったわ! あんな状況で正確に魔法を展開出来るなんて、私たち三年生でも難しいわ」
「ありがとうございます。でも冷静で居られたのは市原先輩がバスを止めてくれたからです。もしバスが止まっていなかったらどんな無茶をした事か……市原先輩、ありがとうございます」
深雪に礼を言われ、鈴音も無言で会釈を返した。この場に居る誰もが気付かなかったほどの小さな魔法。だが正確に事象改変を行い、バス停止の補助をした鈴音の魔法。それに気付いた深雪はかなりの才能を持っているのだろうと摩利は思った。
「それに比べてお前は!」
「痛ッ! 何するんですか摩利さん」
「五月蝿い! 文句を言える立場か、花音。森崎や北山が慌てて魔法を放って事態を悪化させたのは、まあしょうがない。アイツらは一年だからな。だが二年のお前が真っ先に魔法を放って状況を引っ掻き回して如何する!」
「私が一番最初に気がついたんですよ。まさか他の人が重ね掛けしてくるなんて思わなかったんですよぅ……」
花音の言い訳に森崎と雫が下を向いた。その他にもいたたまれない気持ちになっている人は見受けられた。
「早ければ良いって訳じゃないだろ。ああ言う場合は声を掛け合って相克を避けるのが基本じゃないか。もし相克が起こってしまったらすぐさま魔法解除しなくてはいけない。それが出来なかったのは冷静さを失っていた証拠じゃないか」
「……スミマセンでした」
花音に叱った摩利だったが、本来ならあの現場で冷静な対応が出来るにはそれ相応の経験が必要だと言う事も理解している。だから深雪があのように冷静な対応が出来た事の方が摩利にとっては不思議なのだ。今もバスが走り出すのを冷静に待っている佇まいを見せている深雪を見て、それに相応しい経験値を積んできたのだろうと理解させられた。
「ところで司波」
「はい、何でしょう?」
基本的に摩利は苗字を呼び捨てにする。真由美や花音、風紀委員メンバーのように近しい相手の事は名前で呼ぶが、それ以外は苗字を呼び捨てなのだ。
だが達也は例外的で、妙な親近感を覚えているのか名前呼びで更には敬称付きなのだ。
「あの魔法式を……いや、何でも無い。見事だった」
「はい? ありがとうございます」
摩利は「あの魔法式を吹き飛ばした対抗魔法を使ったのが誰だか知っているのか?」と聞くつもりだったのだが、さっき思ったようにそれを聞く事はいけないような気がして途中で切り止めた。深雪も不思議そうな顔をしていたが得に追求はしてこなかった。
何故聞くのを躊躇ったのか自分でも分からない摩利は、視線をバスの外――運転手救出の為にバスから降りた技術スタッフに向けた。その中に現状保存の為かビデオを回している一年生の姿を凝視していたのに気付いた摩利は、慌てて視線を逸らした。
「(まさかな……)」
自分の中に芽生えた感情を押し殺し、バス出発までの間休んでおこうと席に座り目を閉じたのだった。
次回久しぶりに彼女たちを登場させます