婚約者としての立居振る舞いを身につける為、小姑である深雪と同居する事を決意したのだが、現実は思ってた以上に厳しかった。
「あちらの隅にほこりが残ってましたよ」
普段掃除はHARに任せているので、埃一つなく綺麗に掃除されているのだ。このような失敗は何度も犯してしまっても仕方ないと達也は思っていた。だが、深雪の婚約者いびりは、なかなか厳しく、僅かでも塵が残っていれば嫌味を言う感じだった。
「深雪さん、随分と私の事苛めてくれるわね。何かの仕返しなのかしら?」
「先輩が婚約者に決まったと聞かされた時、この世の終わりのような顔をしてましたからね」
「そうなの? 深雪さんには一条くんがいるじゃない」
「丁重に断ったようです」
「そうなんだ。魔法界の発展の為には、一条くんと深雪さんの婚約は歓迎されると思うんだけどな」
「本人の意思を無視すれば、ですけどね」
婚約者として達也と同じ部屋で生活する真由美に、深雪は嫉妬しているのだと達也は思っている。実際嫉妬以上に殺意も抱いているのだが、それを実行に移すほど深雪も愚かではない。そして何より、そのような事をしても自分が達也に嫌われるだけだと理解しているので、真由美も最後のところで安心しているのだった。
「四葉殿には認めてもらってるのに、深雪さんには認めてもらえないのよね」
「最終的に一人に絞るように言われて、先輩を選んだからじゃないですかね」
「政府も、最初は重婚でも構わないって言ってたのに、土壇場で掌を返したからね」
政府の決定に意見した一条家と七草家が原因で、達也の相手は一人だけとなり、その結果真由美が選ばれたのだ。
一条家としては、これで深雪を迎え入れる障害が無くなったと思っていたのだが、普通に将輝が深雪に振られてはこの横槍も意味をなさなかったのだ。
「ところで達也くん」
「何でしょうか」
「部屋に二人きりだっていうのに、何時まで『先輩』って呼ぶの? 婚約者なんだからさ、名前で呼んでよ」
「そんなに名前で呼んでもらいたいものなのですかね……俺には分からないです」
異性からは名前で呼ばれる事が多い達也としては、真由美の気持ちが理解出来なくても仕方ないのかもしれない。感情も希薄で、異性に意識を揺さぶられる事が無い事も考えれば仕方ないだろう。
「別に他の人に呼ばれても嬉しくないけど、達也くんに呼ばれたらきっと嬉しいわよ」
「そういうものですか?」
「間違いないわよ! だから……ね?」
上目遣いでお願いする真由美に、達也はやれやれと首を左右に振ってから真由美の顔に視線を固定する。
「真由美先輩」
「ん~……先輩はいらないかな? だって、達也くんが卒業したら夫婦になるわけだし」
「はぁ……真由美さん」
「もう一声!」
どうやら呼び捨てにされたいのだと、達也もさすがに理解した。年上の相手を呼び捨てにするのは、本人を目の前にしてやったことが無い達也は、少し躊躇いを見せる。もちろん演技だが、達也のそのような反応に、真由美は少し嬉しそうな表情を浮かべていた。
「どうしても駄目? 私は、達也くんともっと親密になりたいの」
「呼び方一つで親密になるとは思えませんが」
「そんな事ないわよ! 深雪さんだって達也くんの事を『お兄様』って呼ばないように努力してたでしょう? あれは、異性として親密になりたいって証拠よ!」
「只単に兄妹では無いと判明したから、呼び方を改めようとしただけなのでは?」
「達也くんには分からないかもしれないけど、女の子が男の子の呼び方を変えるのは、かなり難しい事なのよ」
「はぁ……そういうものですか」
女子の考え方を持ち出されては、達也もこのように答えるしか出来ない。そう言えば水波も最初の頃達也の事を呼びにくそうにしていたのを思い出し、それと同じなのかもしれないと納得したのだった。
実際、水波が呼びにくそうにしていたのは、主である達也を兄として扱わなければならなかったからで、深雪が呼びにくそうにしていたのとは全然理由が違う。だが、乙女心を理解出来ない達也にとって、その違いは理解出来るものではなかったのだった。
「それに、達也くんは卒業と共に四葉家の当主になるわけだし、私はその妻として達也くんを支えたいの。だから、私の事は下に見てもいいのよ?」
「そうは言われましても……親父は母さんの事をさん付けで呼んでいた記憶しかないので、それが普通なのかと思ってました」
「親父って、深雪さんのお父さんよね? 入り婿のような扱いだったのだから、それは仕方ないわよ。捨てられたら今の地位も無くなるかもって怯えてたんでしょうから」
「そういう理由だったのでしょうかね? 元々愛の無い結婚だったと聞かされてますから、仕方なかったのかもしれませんが」
「……ん? 達也くん、巧妙に話題を逸らそうとしないでよね」
「別に逸らしてるつもりはありませんが」
このまま有耶無耶になれば、それはそれで構わないと思っていた達也だが、真由美が本来の目的を思い出してしまったので、これ以上の抵抗は労力の無駄と判断した。
「別に呼び捨てにするのは構いませんが、どうなっても知りませんからね」
「大丈夫よ! これでもシミュレーションはしっかりしてるんだから」
なんのシミュレーションかはツッコまず、達也は一切前置きをせずに彼女の名前を呼んだ。
「真由美」
「っ! はい、達也くん」
身体に電気が走った錯覚に陥った真由美だったが、しっかりと返事をする。この呼び名が定着するまで、彼女は毎回のようにこの錯覚に陥り、その都度深雪に睨まれる事になるのだが、それでも彼女は幸せだった。
深雪のIFは、思いっきり甘くなりそうな予感がしてます……