ミーティングを終え、今日は食事を辞退した真由美を駅まで送る為、達也は彼女と二人で駅までの道を進んでいた。今日は雪の心配もないし、真由美と密着することも無いだろうと考えていた達也だったが、ふいに真由美の足が止まった事に意識を取られ、彼女の次の行動に備えるのが若干遅れた。
「あの、七草先輩?」
「さっきも言ったけど、いい加減その『先輩』って呼び方、止めてほしいな。これでも婚約者候補なんだし、香澄ちゃんは名前で呼んでもらってるのに、私だけ苗字で、しかも先輩呼びなのは、ね……」
香澄は年下で後輩なのだし、『七草』と呼ぶとどうしても真由美と被ってしまうし、今一高に七草は二人いる。そう言う観点から考えれば、達也が香澄の事を名前で呼んでいてもおかしくはないのだが、真由美の中では納得できないものがあるようだった。
「随分と見せつけてくれるわね」
「津久葉先輩!? 何故ここに」
「何故って、私も一応は達也さんの婚約者候補なのだから、会いに来てもおかしくはないでしょ?」
「いえ、そうではなくてですね……」
真由美が聞きたいのは、何故夕歌がミーティングの事を知っているのか、と言う事だった。親しい友人にも、あまり話していない事なので、自分から夕歌に情報が漏れたとは考えにくい。ましてや大学四年生である夕歌と一年生である真由美とでは、親しい間柄にはならないのだ。
「深雪さんから聞いたのよ。今日は達也さんはこっちに来るって」
「深雪さんと知り合いだったのですか?」
「一応OGだもの。学園との繋がりくらい持ってるわよ」
「夕歌さん、何時まで茶番を続けるつもりなんですか?」
「あら、達也さんにはお見通しだったわけね」
呆れてるのを隠そうともしない達也の言葉に、夕歌は被っていた猫の皮を脱ぎ捨て、楽しそうに笑った。
「七草さんは知ってると思ってたのだけど、意外と知られてないものね」
「……何がですか?」
「四葉家にはいくつかの分家が存在するの。その一つが私たち『津久葉』なのよ」
「つまり夕歌さんは四葉の縁者と言う事です。他言無用でお願いします」
同じ十師族である真由美にこの事を話すのはどうかとも思ったが、夕歌があっさりとばらしたのなら仕方ないと、達也は釘だけ刺す事にしたのだった。
「それで夕歌さん、何かご用件があるのではないですか?」
「用件ってほどじゃないけど、これを渡しにね。亜夜子ちゃんからも預かってるから、二つ」
「ありがとうございます」
「いいの、気にしないで。私たちがあげたいからあげるだけ。お礼を言われる事は何もしてないんだから」
大人の余裕、ではないのだろうが、真由美には夕歌の態度が羨ましかった。自分にはない、達也相手に余裕の笑みを浮かべられる夕歌を、尊敬のまなざしで見つめる。
「それと、七草さんだけ達也さんとべったり、というのが許せなかったってのもあるんだけどね」
「そんなにべったりしてるつもりはありませんが……」
真由美の言い訳に、夕歌は笑顔のまま真由美を睨みつける。
「傘を忘れて達也さんと一本の傘に入るなんて……血縁者の私だってしたことがないのよ? それを貴女はあっさりとやってのけた。これがべったりじゃなくて何だというのかしら?」
底知れぬ威圧感に、真由美は無意識に身体を達也に寄せる。自分の威圧感が原因で、再び密着されると理解した夕歌は、威圧感をしまい込み達也へ近づいた。
「何でしょうか?」
「最近ご無沙汰だったから、少し達也さん成分を補給しようと」
「母上みたいなことを言わないでくださいよ」
「しょうがないでしょ? この間の集まりで、私も歯止めが利かなくなっちゃったんだから」
真夜同様、夕歌も謎の達也成分が必須になったらしく、会えない時は写真で我慢していたのだ。そんな夕歌の前に、達也が現れたらもう、歯止めなど利くはずもない。思いっきり抱き着き、そして大きく息を吸った。
「達也さんの香り……これを毎日嗅いでいるとか、やはり深雪さんはズルいわね……ご当主様に進言して、同居を解除してもらうしか……」
「あの、津久葉先輩……私の事をどうこう言える立場にないと思うんですが……」
横から現れいきなり達也に抱き着いた夕歌に、自分の事を咎める権利があるとは思えなかった真由美が、夕歌の変態じみた行動を指摘する。
「何言ってるの。達也さん成分が無くなったら死んじゃうんだからね」
「えぇ!?」
「……冗談はそこまでにしていただけませんかね?」
「もうちょっとだけ」
さすがに死に至る事は無いが、真夜のこれまでの様子から発狂くらいはするだろうと達也も理解してるので、強引に引きはがす事はせずに夕歌が満足するまでもう少しこのままでいる事にしたのだった。
「ところで達也くん」
「何でしょうか?」
「津久葉先輩の事は名前で呼んでるのね」
「幼少期から面識がありますし」
「七草さんは達也さんに名前で呼んでもらいたいのかしら? というか、婚約者候補なのにまだ苗字で呼ばれてるのね」
達也成分を十分に補給した夕歌が、勝ち誇ったような笑みを浮かべる。無論演技だ。付き合いの長い達也はその事を理解しているが、真由美はその笑みに敵対心を燃やした。
「達也くん!」
「はい?」
「コレ、受け取って。香澄ちゃんからも預かってるから二つだけど」
「ありがとうございます」
「それと」
身長差があるので唇には出来なかったが、真由美は達也の手を取り、その甲に口づけをした。達也にとっては大したことではなったが、夕歌はその光景を見て絶句している。
「今度はちゃんとしようね?」
「何がしたかったんですか、先輩は……」
夕歌がショックを受けているのを見て、それほど衝撃的だったのだろうかと達也は首を傾げながら、真由美と夕歌の二人を駅まで送ることにしたのだった。
亜夜子はさすがに呼べないし、香澄は意外とヘタレっぽかったので、真由美に託しました