達也たちは結局、午後三時に四葉本家へ到着した。出迎えた使用人に、夕歌は津久葉家がいつも使っている離れへ案内され、達也と深雪は母屋の客間へ通された。
水波は使用人として扱われているが、達也は深雪の兄という扱いなのが引っ掛かりはしたが、誰かを捕まえて尋ねることも無く、達也は大人しくしていた。
「失礼します」
そう言って襖を開けたのは、長袖の黒ワンピースに白いエプロンを着けた水波だった。
「達也様、深雪様」
「水波、ここではその言い方を止めた方が良いんじゃないか?」
「いえ、白川夫人からご伝言を預かっております」
白川夫人というのは、この四葉本家の家政婦を統括する女性の事で、分かりやすい言葉を使えば「メイド長」に当たる。
「達也様と深雪様は七時になりましたら奥の食堂へお越しください。奥様がお待ちです。とのことです」
抑揚に欠ける口調でそう告げる水波。「達也様」「深雪様」という呼び名と順番は、白川夫人が口にしたものをそのまま真似ているのだろう。
「奥の食堂? 叔母様がお待ちになっている? 本当にそう仰ったの?」
「はい」
「……事前に話があるのだろうな」
達也は急いで真夜の意図に思いを巡らせた。奥の食堂というのは、真夜が私的な会食を開く場所だ。彼女のプライベートなダイニングルームではなく、特に重要な客を招く場所、あるいは食事をしながらきわめて秘密性の高い会議を開く場所。このタイミングで深雪を「奥の食堂」に招く理由としては、明日の件に関係することしか考えられない。
「水波、文弥と亜夜子は既に到着しているのだろう? 夕歌さんと勝成さんも招かれているんじゃないか?」
「文弥様と亜夜子様は昨日よりご滞在になっているそうです。夕歌様と勝成様については存じません」
「そうか」
「お兄様、事前のお話しというのは、もしかして明日の……」
「ああ。恐らく、次期当主候補を集めてあらかじめ明日の話をしておくのだろう。自分が指名されなかったことで取り乱すような人はいないはずだが、形だけでも言い含めておく必要を叔母上は感じているのだろうな」
「夕歌さんは辞退すると仰っていましたが、勝成さんは次期当主の座を望んでいらっしゃるのではありませんか?」
自ら妨害役を買って出るほどなのだ。勝成は明日、深雪が当主に指名されることを阻止する事で、自分に当主の座が巡ってくる芽を残しておきたかったのではないか。深雪はそう思ってたのだ。
「いや、それは無いだろう。もし当主の地位を望んでいるのだったら、自分の手を汚すような真似はしないはずだ」
しかし達也の考えは逆だった。あのような暴挙に及んだのは、当主の座を諦めたからではないか、というのが彼の推察だった。
「とはいえ、どう転ぶかはその時になってみないと分からないな。ところで水波、その会食には俺も呼ばれているのか?」
白川夫人から預かった伝言には、達也と深雪の二人とも奥の食堂へくるようにという指示が含まれていた。達也はこの屋敷で、深雪以外の誰かと一緒に食事したことが無く、過去食堂に呼ばれたことも無かった。
「はい。達也様も深雪様とご一緒に御出で願います」
「分かった」
「御用がお有りの時は、そちらの呼び鈴をお使いください。すぐに参ります」
水波はこれで用が終わったとばかりに立ち上がったが、達也が彼女を呼び止めた。
「水波」
「はい」
「黒羽殿のご都合を伺ってきてほしい。出来ればすぐに、二人だけでお目に掛かりたいと伝えてくれ」
「畏まりました」
今度こそ水波が襖の向こうへ姿を消す。それを見送って、深雪が兄へ訝しげな目を向ける。
「お兄様、黒羽の叔父様にどのようなご用事なのでしょうか」
「大したことじゃないよ。聞きたいことがあるだけだ」
「それは、今回の私たちが妨害を受けたことに関わるものですか」
「多分ね。それを含めて確かめに行くんだ」
「何故二人だけなのです?」
「その方が良いと思うからだ。直感的なものだが」
深雪が瞳に躊躇を浮かべ目を逸らし問いかけると、達也も確信が無いようで、瞳には迷いが見えた。
「私がご一緒してはいけないのでしょうか?」
「多分黒羽さんは、深雪の前では本当の事を話してくれないだろう」
「……分かりました。黒羽の叔父様とのお話合いは、お兄様にお任せします。その代わり、お兄様がお差支えにないと判断なさる範囲で結構ですから、聞き出した内容を私にも教えてください」
「分かった。ただし、明日の慶春会が終わってからだ。今はお前の心を煩わせたくない」
「……はい」
『達也様、よろしいでしょうか』
「ああ、入ってくれ」
兄妹の間で話が付いたタイミングで、襖の向こうから水波が声を掛ける。
「黒羽様が、今からお会いになると仰っています。場所はあちら様の離れです」
「分かった。お招きに応じよう」
「では、私がご案内いたします」
水波が立ち上がり、達也もそれに続いた。
離れのそばまで水波に案内され、離れに入る際には離れを担当する家政婦に案内され、達也は応接室で貢を待っていた。
「待たせてすまない」
「大丈夫です。それほど待ってはいません」
「それで、私と話したいと言う事だが、何の用だろうか?」
貢の言葉に、達也は目を丸くして見せた。
「お約束を頂戴していたはずですが」
「約束? 私とかね」
「ええ。五日前、FLTでお目に掛かった際に『期限内に到着したら理由を答える』という約束でした」
貢が舌打ちを漏らす。彼は己の迂闊さを悔いているようだが、達也に貢の心情を思いやって要求を取り下げるつもりは無かった。
「聞けば後悔するぞ」
「聞かずに後悔するつもりはありません」
「良いだろう。だが質問は受け付けない。質問されても、私には答えられないからな」
そう言って、貢は目を逸らした。いや、目は達也の方へ向いているが、目の焦点は何処か遠く、ここではない何処か、否何時かに結ばれていた。そして貢の、長い回想が始まった。
長い回想は、なるべくカットする方向で……