ここ最近の達也の生活は、夜に八雲の寺で新魔法の実戦的開発、起床後早朝鍛錬、その後平日であれば学校、休日であれば新魔法の理論的開発というパターンになっている。今日、九月三十日は日曜日。達也はこの日も朝食の後、地下の研究室にこもり新魔法の問題点洗い出しに取り組んでいた。
「……バリオンを取り出すプロセスに問題は無い。元々分解するだけなら出来ていた事だし、スピードと均一性も必要な水準が確保出来ている。次の移動系術式もシミュレーション上は問題無い。ガスの移動と本質的には同じだからな。リーナのようにローレンツ力を使うという手もあるが、FAEの性質を考えれば魔法で直接動かす方が早いだろう」
意図的に呟かれた独り言。こうして声に出さなければアイデアを纏められないほど、今の達也は行き詰っていた。
「やはり鍵となるのはFAEが意味を持つ時間内に移動系魔法を発動し終える為の仕組みか」
魔法式を出力するだけならフラッシュキャストを持つ彼は、一般の魔法師に比べむしろアドバンテージを持つが、魔法を完成させる為には干渉力が必要なのだ。本来「分解」用と「再成」用の干渉力しかもたない達也にとって、これは難問だった。
気分転換の必要を感じ、お昼時だと言う事もあり一階に上がることへした達也は、階段を上り終えてすぐ異常を察知した。
「(化成体? いや、人造精霊か?)」
達也は家の中から壁越しに、人造精霊へ「眼」を向けた。構造情報を解析し、想子のみで構成されている孤立情報体である事が判明。これならば魔法式と同様に完全に分解出来ると判断した達也は、人造精霊へ右手を伸ばした。その手にはCADは無い。
CADから出力される起動式の代わりとなる魔法式の構築手順が、達也の魔法演算領域データセクターから迸り実行セクターへ送り込まれ、不可視の閃光が弾けた。
人造精霊を完全に分解した達也がリビングの扉を開けた途端、彼は妹に詰め寄られた。
「お兄様、今のはいったい?」
「今のが分かったのか?」
「分かったと言えるほどはっきり知覚したわけではありませんが……お兄様が『分解』をお使いになったような気がして」
「ああ。人造精霊が家の中を窺っていた。おそらく先日受けた仕事が理由だろう」
自分から教えるつもりは無かったが隠すつもりもなかった達也は、妹の言葉に頷き、水波の表情を見て事情を説明した。
「周公瑾、とかいう者の仕業ですか?」
「部下か、あるいはそいつを匿っている一味の仕業だろうな。……文弥たちがつけられたか」
「まさか……亜夜子ちゃんがいながら尾行を許すなんて」
深雪の驚きは達也の推測が完全に正しいと信じ込んだ上でのものだが、水波もそこに疑問を覚える余裕は無いようだった。
「真の目的は分からないが、俺を囮に使って相手をおびき出すのが目的なんだろうな。最終的に傷を負わされることの無い俺を矢面に立たせるのは、戦術的に見れば間違って無い」
四葉の考えを肯定した達也に、深雪と水波が食って掛った。
「ご自分の身を疎かにするような事を仰らないでください! 死ななければ良い、傷が残らなければ良いと言うものではないと、ご自分でもお分かりのはずです!」
「そうですよ、達也兄さま! 達也兄さまが傷を負われたという事実を前に、深雪姉さまと私――もっといえば亜夜子様や真夜様がどんな気持ちになるかをお考えください!」
水波の言葉に、達也は少しだけ反論したかったが、泣きそうな妹と従妹を前に、達也は素直に白旗を上げた。
「悪かったな。お前たちに余計な心労を与えないように気を付けるようにしよう」
例え達也でも、泣きそうな少女の懇願に逆らえるほど自分の意見が正しいと思っていないので、深雪と水波の頭を軽く撫でてダイニングへ移動したのだった。
達也が人造精霊=式神を分解した丁度その時、司波家から五百メートルほど離れた小さな公園で、ベンチに腰を下ろした三十前後の男性が突如驚愕の声を上げた。
「うをっ!?」
隣に座っていた男が慌てて左右を見まわした。彼が展開している認識阻害の結界は正常に機能している。彼らの姿が誰の意識にも映らず彼らの声が誰かの記憶に留まらないと分かっていながらも、声を潜めて尋ねる。
「どうした」
「式神が消された……」
「消された? 返されたのでも奪われたのでもなく?」
「どちらでも無い、と思う……式神の手応えが急に消えたのだ」
訳が分からないと言わんばかりに何度も首を左右に振る男に、もう一人の男が可能性を上げる。
「あの家の者が解呪法を使ったのか?」
「違う! ……いや、分からん。術が放たれた気配は感じなかった。それはお前も同じだろう?」
「それはまぁ、そうだが……だが術法による干渉無く式神が自然に消滅する事はあり得ないだろう? お前が式神の制御をしくじるとも思えない」
「当たり前だ! しかし……」
困惑の表情を浮かべながら男が俯き加減に首を振る。その地面に向けた視線の先に、突如影が落ちた。驚愕に顔を上げる男二人。その驚きは人を寄せ付けない結界を展開しているにも拘わらず、明らかに自分たちを意識して近づいてきた人影に対するものだったが、相手の姿を認めて驚きは警戒に変わった。
彼らの前に立った人物は僧形を取っていた。網代笠を被り袈裟を着け片手に金剛鈴を持っている。司波兄妹と九重寺が友好的な関係にあるのを知っていた男たちは、一瞬視線を合わせ攻撃では無く逃走を選んだ。九重八雲の雷名は、今回の任務に就く以前から彼らの心に深く刻み込まれているのだ。
彼らが腰を浮かせようとしたその瞬間、まるでそれを見計らっていたかのように、二人の前に立つ僧侶が金剛鈴を鳴らした。済んだ音色が二人の三方から響く。
ハッとした表情を浮かべ、右に座った男が右を、左に座った男が左を見た。正面の僧と瓜二つの格好をした僧侶が、同じように金剛鈴を振っている。立ち上がろうとしていた二人の足から力が抜け、術中に落ちたと二人が覚った時には既に、意識の大半が闇に閉ざされていたのだった。
これが深雪や水波の着替えを覗いていたら……式神じゃなく術者が消えてたかも……