穂波が司波家で生活し始めて数日、第一高校生徒会室に衝撃が走った。作業の為に学校に来ていたほのかと雫、部活動で来ていて偶々遊びに来たエリカが、達也に恋人がいた事を聞かされたからだ。
「達也さん、自分には彼女なんていないって言ってたのに……」
「お兄様は嘘は言っていないわよ。彼女では無く婚約者ですもの」
「それ、彼女より大分上だよね? 達也君と深雪ってそんなに上流階級の家だったの?」
「一応FLT幹部の子供だから、上流階級といえばそうなのかもしれないけど……」
それよりもっと重大な事を、深雪は隠しているし、教えるわけにはいかない。自分たちが四葉の縁者で、達也がその四葉を裏切らないように婚約者と銘打っていると……
「それで、達也さんの婚約者ってどんな人なの?」
一番冷静な雰囲気を纏っている雫だが、彼女もかなり動揺しているようだ。先ほどから小刻みに震えている。
「水波ちゃんのお姉さんみたいな人よ。血縁上は姪と叔母になってるけど、それ程年も離れて無いし、私も昔からお世話になってる人なの」
「水波ちゃんって、達也君と深雪の従妹よね? その人も達也君たちの血縁なんだ」
「そうね……母方の血縁になるわね。でも、それがどうかした?」
「いや、従妹なら結婚出来るけど、その叔母って事は血縁的に大丈夫なのかなと思っただけよ」
「気にしてなかったから問題無いんじゃない? 万が一問題がある場合は、お兄様も何か仰るでしょうし……」
その時がチャンス、とこの場にいる全員が思ったが、それを口にする程性格の悪い女子はいなかった。もっとも、深雪はそんな勘違いをするはずもなく、達也と穂波はこのまま行けば間違いなく結婚するだろうと思っているのだった。
達也たちが学校に行っている間、穂波は暇を持て余していた。掃除や洗濯は出掛ける前に深雪と水波が済ませているし、達也もそれ程散らかす方では無いので、部屋は常に綺麗なのだ。買い出しもする必要は無いし、出掛けるにしてもこの辺りの土地勘が穂波には無いのだ。
「暇ねぇ……達也君、早く帰って来ないかしら」
暇を持て余していた穂波の許に、一本の電話が掛かってきて、その相手を確認した途端、だらけていた穂波の身体に最高レベルの緊張感が走った。
『穂波さん、たっくんとの甘い生活は満喫してるかしら?』
「真夜様……達也君がそう言う事をするとお思いですか?」
『私たちにならしないでしょうけども、穂波さんは別じゃ無くて? 幼少期からたっくんの心を掴んでいた穂波さんなら』
真夜の口調は明らかに嫉妬が見えるものだったが、ただうらみ節を言うだけで四葉家当主が自分に電話を掛けてくるはずは無いと穂波は理解していた。
「何かあったのでしょうか?」
『九校戦にちょっかい出してきていた連中が、無事に処分出来たのでその報告よ。貴女からたっくんに教えてあげてちょうだい。まぁ、たっくんなら四葉以外の情報網で既に知ってるかもしれないけど』
「かしこまりました。報告は以上でしょうか?」
『たっくんの子供が出来たら、私にも抱かせてね』
「……随分気が早いように思えますが」
まだ見ぬ孫(正確には孫では無いが)を夢想してるのか、真夜からの返事は無かった。
真夜からの連絡からまたしばらくしたある日、穂波は達也と二人っきりで出掛ける事になった。本当は深雪や水波も一緒のはずだったのだが、深雪はエリカたちに誘われ、水波はその付き添いとして同行している。まだ本格的なガーディアンとしては認められていない水波だが、場数を踏ませる為に達也と穂波が同行を提案したのだった。
「水波の使命感の高さは立派だと思いますよ」
「でも、あれだけ緊張してたらねぇ……いざという時動けないわよ?」
「エリカと一緒ということは、ほのかや雫もいるでしょうし、いざとなったら彼女たちも戦えますよ」
「達也君が女の子を名前で呼び捨てにするなんて珍しいわね。もしかして深い仲だったの?」
「懇願されました……深雪と区別を付ける為に名前で良いと言ったのが原因らしいですが、数ヶ月は苗字で呼んでたんですけどね」
エリカの事は早々に名前呼びに変えていたが、そんな事はおくびにも出さずに達也は言いのける。また、穂波にもそれが嘘か真か調べる術が無いので、とりあえず達也に疑いの目を向けるのを止めた。
「私も達也君に呼び捨てにされてみたいなー」
「俺と穂波さんとでは、年の差があります」
「女性に年の話はあんまりしない方が良いわよ。でもまぁ、確かに十歳近く離れてるものね。難しいかしら……」
「別に呼べなくは無いですが、昔からさん付けの相手を呼び捨てにするのはちょっと」
「じゃあ何時か呼んでくれる?」
「もちろんですよ。叔母上公認の婚約者なんですから」
真夜が穂波との婚約を認めた理由を、達也は正確に知っている。自分を四葉の敵に回さない為であり、本音では深雪と婚約させたいという事も理解している。だが達也の心には昔から穂波が存在しており、いくら真夜でも人の心は操れない。それこそ、精神干渉魔法が得意であった深夜でもいない限りは……
真夜の本意を理解していても、穂波との婚約は達也にとってありがたい事であり、四葉家を裏切らなくて済むのなら、深雪や黒羽姉弟を悲しませる事も無くなる。元々居心地さえ良ければ、達也にとって四葉の名前はどうでも良いものなのだから。
「深雪さんのガーディアンから解放されたら、その時は沢山したい事をしましょうね」
「したい事? 例えばなんです?」
「そうねぇ……初体験とか、かしら。この年でまだ、って言うのはちょっと恥ずかしいけどね」
「フリーセックスの時代は終わったんですから、別に良いとは思いますけどね」
往来の場できわどい会話を続ける二人だが、護衛対象がいない今、達也は穂波しか興味が無いし、穂波も達也にしか興味が無い。周りに聞かれていようがなんだろうが気にしない二人なので、こんな会話も堂々と出来るのかもしれない。
「それじゃあ、改めてよろしくね、達也君」
「ええ、改めてお願いします、穂波」
少し視線を逸らしながら穂波の事を呼び捨てにする達也。そんな達也の姿に穂波が満足そうに頷きながら抱きついた。くどいようだが往来の場所で……
この二人のこの感じ、結構好きです