西暦二〇九六年四月十日。新入生にとっては入学三日目の昼休み。達也は生徒会室で香澄と泉美に向かい合っていた。といっても、彼一人で相対しているのではなく、生徒会役員の一人として同席しているという意味だ。
彼にとっては既視感を刺激されるシチュエーションだった。去年の春、同じく入学三日目で達也はこの部屋に呼び出された。無論彼だけが招かれたのではなく、主賓でもなかったが。
あの時達也と深雪を招いたのは真由美だった。そして今、真由美の妹たちを招いた生徒会の一員に達也はなっている。因果は巡るということか、と達也は少しずれた事を考えていた。
「それでは、私たちのどちらかを生徒会役員としてとりたててくださるということですか?」
本題に触れた泉美の発言で、達也はこの場に意識を引き戻した。彼の正面では、香澄がどこか居心地が悪そうにそわそわしているのも、達也が現実逃避をしていた理由の一つだった。
「深雪先輩とご一緒にお仕事出来ますなんて……夢のようです」
頬に手を当ててうっとりとため息を吐く泉美の正面では、深雪が何を感じているのかまるで読み取らせない鉄壁の愛想笑いを浮かべていた。乙女全開の香澄と煩悩剥き出しの泉美、あずさも五十里もほのかも二人の異様な態度にすっかり気を呑まれてしまっている。
その結果、二人と交渉する役目は煩悩を向けられている深雪か、香澄を乙女にしてしまっている達也にゆだねられてしまった。
「やる気があるなら二人一緒でも構わない」
ターゲットとなっている人間に交渉役を任せるのは間違っている気がしたが、妹ばかり矢面に立たせるわけにはいかない。そう思って達也はテーブルに復帰したのだが、香澄は口をパクパクさせるだけで、何も答えようとしなかった。
「香澄ちゃん? さっきからどうしたんですか。そわそわしたりパクパクしたり……」
「な、何でもないよ! 私は生徒会役員には興味ありません」
「そう、残念ですね。では泉美さん、生徒会に入っていただけますか?」
深雪にとって、香澄は達也に好意を持っているとハッキリ分かる相手だ。姉の真由美同様、深雪にとっては油断ならない相手、だから香澄が生徒会入りを断った事は深雪にとって嬉しい事だった。だが代わりに、自分に煩悩剥き出しで接してくる泉美が生徒会に入る事こそ、深雪には残念だと思えたのだった。
しかしそんな気持ちはおくびにも出さず、泉美の事を敬遠したいと考えている本音もまるで見せず、深雪は朗らかに問いかけた。
「はい、喜んで!」
自分を見詰める泉美の、ますます熱っぽさが増した眼差しにも、深雪は完璧な淑女の笑みは揺らがなかった。
放課後、香澄は暫く図書室で時間を潰した後、一人でカフェに来ていた。早速生徒会室へ向かった泉美と待ち合わせた時間まで、まだ三十分ほどある。一人で待つには少々長い時間だ。待ちくたびれたら先に帰って良いと泉美は行っていたし、どうしようか、と香澄がボンヤリ悩んでいると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
『ですから、それは自分の仕事では無く小野先生の仕事ですよね』
『だからって、君みたいに優秀な人員を探せと言われても、私には無理よ』
「(司波先輩と……誰?)」
視線の先には、生徒会室で仕事をしているはずの達也と、パンツスーツの若い職員の姿があった。
『生徒会の仕事も早々に終わったんなら、やっぱり風紀委員に戻ってくれない?』
『職員室推薦枠で、俺が風紀委員に入るのは不可能でしょ。魔工科に転科したとはいえ、俺は実技の成績は下から数えた方が早いんですから』
『君の実績なら、文句無しで風紀委員に戻れるわよ』
『別に俺に拘る必要は無いでしょ。優秀な人材なら、そこで盗み聞きしている七草先輩の妹さんでも良いわけですし』
「っ!?」
まさか自分に気づいているとは思っていなかった香澄は、心臓を掴まれたような錯覚に陥った。それくらい驚いたのだが、達也の会話相手は特に驚いた様子も無く香澄に視線を向けていた。
「あれが七草さんの妹さんだったのね。誰かに見られてるとは思ってたけど、よく識別出来たわね」
「俺は七草さんとは面識がありますから。と、言うわけだが香澄、風紀委員にならないか?」
当たり前のように会話をしてくる達也に対し、香澄はまだ現実に復帰できていなかった。
「司波君、驚かせ過ぎじゃないかしら?」
「別に驚かせたつもりは無かったんですがね。そもそも香澄だってバレてると分かってたんじゃないのか?」
香澄の目の前で手を上下に振る達也を見て、遥は呆れたようにため息を吐いた。
「誰もが貴方のように優秀じゃないんだけど?」
「俺は、自分が優秀だとは思ってませんし、成績を見れば俺が優秀ではない、と言う事は全ての教師が証言すると思いますけど」
「……君の場合は、成績に表れないところで優秀だから。えっと、七草香澄さん? 第一高校カウンセリング部所属の小野遥です」
「えっと……七草香澄です」
遥の自己紹介を受けて、漸く香澄は言葉を発する事が出来た。驚きは抜け切って無いが、なにも出来なくなる程のショックからは抜け出せたのだった。
「さっき司波君が言ったように、職員室推薦枠ってのが有ってね……あっ、当校の風紀委員の仕組みは分かる?」
「はい、姉から聞いてます……」
「そう、じゃあ話が早いわね。貴女、やってくれないかしら?」
「ここで決めちゃって良いんですか?」
「貴女がやると言うなら、誰も文句は言わないわよ。それに、司波君も推薦してるようだし」
遥のイタズラっぽい笑みを受け、香澄は視線を達也の方にずらした。
「泉美は事務作業が向いてるだろうが、香澄はこっちの方が良いと思っただけだ。別に他意は無い」
「そうですか。じゃあやります」
「分かったわ。風紀委員には私から連絡を入れておくわ」
そう言って遥は香澄の返事を得て職員室へと戻っていってしまった。
「そう言わけだから、香澄は明日にでも風紀委員会本部に行ってくれ。場所は分かるな?」
「は、はい……大丈夫です」
達也も確認だけ済ませてさっさと戻っていってしまった。一人取り残された香澄は、風紀委員とかよりも何故自分が盗み聞きしてるのがバレたのかが気になっていたのだった。
達也にライバル心を燃やさないので、香澄を風紀委員に入れる為だけに達也と遥を絡ませました……