一通りの不満を吐き出して満足したのか、紅音の眼差しから険が取れた。最もその代わりに、値踏みするような視線が向けられる事になった。親戚が連れてきた「赤の他人」の客に対してではなく、達也に対して。
「ところで、ほのかちゃんの片思いの君というのは貴方なのかしら?」
適当な理由をつけて紅音の前から去ろうとした達也だったが、紅音に先に口火を切られてしまいそれは出来なかった。最も、紅音にしてみればこれからが本番であり、どんな理由があろうと達也を逃がすつもりは無かった。
「名称はともかく、そのような者ではあります」
紅音が使った「片思いの君」というのは、達也が「そうです」と頷くには少なからず抵抗のある名称だった。つまらない拘りかもしれないが、達也にとっては譲れない自己主張である。
「慌てないのね。頼もしいわ」
だがそのいうズレたところも、紅音にとっては加点ポイントだったらしい。あるいは、誤魔化そうとしなかったところが高得点だったのだろうか。紅音の笑顔が形式的・儀礼的なものから急に友好的なものとなった。
「でも、何でオーケーしなかったの? 貴方の妹さん程じゃないけど、ほのかちゃん、可愛いじゃない?」
友好的と言っても、愛玩的な意味合いの方かもしれなかった。ハムスターホイールの中を懸命に疾走する小動物を眺めて楽しむ思考に近いだろうか。初手を上手く凌いだ達也が空回りし始めるのを期待している様な目つきだった。
「可愛いと思いますよ。容姿だけでなく性格も」
「あらあら……でもそれだとますます分からないわね。顔も身体も性格も花丸なのに、告白を断っちゃうなんて。それに、ほのかちゃんは役に立つわよ。忠実に仕えてくれるわ」
それはまさしく爆弾発言と呼ぶべきものだった。娘の同級生をからかうにしては不適当に重すぎる一言だった。魔法師が魔法師に向ける言葉としては、不穏当で不謹慎なものだった。
普通の魔法科高校生には紅音が何を言っているのか分からなかっただろう。もし彼女のセリフの意味を理解できて、十六、七歳の少年として当たり前の感性を持っていたなら、不快感を隠しきれなかっただろう。
だが達也は、紅音の顔を無表情に見返しただけだった。紅音が笑顔を崩さなかったのは、さすがに大企業家の奥方と言うべきだろうか。
「……なるほど、知っていてそんな顔が出来るのね、君は」
ただ、多少声が固くなるのは避けられなかったようだ。
「知らないふりをするつもりはありません」
「そう……エレメンツの力も利用価値も分かっていて、受け入れず突き放さずの態度を取っているのね。もしかして、計算尽くなのかしら?」
「ほのかを利用しているつもりはありませんが」
何を、とも、何が、とも紅音は言わなかったが、相手の謂わんとしているところを達也は正確に把握していたし、そこに非難と誹謗が込められているのも理解していた。だからといって達也は畏れ入ったりしなかったし、自分へ向けられた中傷に対してムキになって反論したりもしなかった。
「でも、吸血鬼退治には付き合わせているでしょう」
「仲間外れにする理由もありませんから」
紅音はもしかしたら、惚けられた、と感じたのかもしれない。彼女の声には苛立ちが混ざり始めていた。いくら揺さぶっても逆上する気配の無い達也に、紅音は話の方向性を変える事にした。
「……ほのかちゃんは雫にとって姉妹みたいな子よ。私たち夫婦はあの子の事を、娘同然に思っているわ。それに雫も君の事を気に入っている、雫の君に対する信頼は単なる友人に対する域を超えている」
だから何が言いたいのだ、という目で達也が紅音の顔を見返す。達也の中から「雫の母親だから」という遠慮は既に消え失せていた。
「だから、君の事を調べさせてもらったわ。司波達也君」
「愉快な事ではありませんが、理解出来ます」
「君、何者なの? 北山の……『企業連合』の情報網を使ってもパーソナルデータが出て来ないなんて」
「何かの間違いだと思いますが。そもそもPDが無ければ高校にも入学出来ません」
「大人を舐めない方が良いわよ。確かに君のPDは、最低限必要なものが揃ってる。適度に余分な情報と適度にネガティブな評価が混ざっていて、キレイ過ぎるということもない。あの子から君の事を聞いていなかったら、私も特に疑問は覚えなかったでしょうね」
「何か不審な点でがあるのですか?」
「いいえ、何も。だからおかしいのよ。あの子から話を聞いた限りでも、君は異才……いえ、鬼才と呼ぶべき才能と能力を持っている。こうして差し向かいで話をしてみて『普通じゃない』という印象は強くなっていく一方よ。君のPDがあんなに『普通』であるはずがないわ」
「PDはあくまでもデータです。本人そのものではありません」
「……印象が違うのは当然、って言いたいわけ?」
「自分が何者なのか。氏名や経歴を訊かれているのでしたら、PDに登録されているとおりです。印象について訊かれているのでしたら、見ての通りです。それ以上に自分で語る事の出来るものではありません」
「惚けるつもり!?」
声量こそ抑えているが、彼女の口調は大分荒っぽいものになっていた。上流階級の人間は、一部の例外を除き自分と同格以上の相手が見せる感情の動きに鋭敏に感じる傾向がある。パーティーの主催者夫人が客と言い争ってる姿は参加者の注目を引き始めていた。
「紅音、少し落ち着きなさい。司波君、妻が失礼したね」
「いえ、自分の方こそ、色々と生意気な事を申し上げました。何分未熟な若輩者の申す事故、ご容赦いただければ幸いです」
潮に頭を下げられて、達也も丁寧に謝罪を返した。言っている事は大分人を食ったセリフだったが。
「よろしければ、いったん御前を失礼させていただきたいのですが」
「ああ、そうだね。娘も君と話したいだろうし」
良いきっかけだと思った達也が、紅音では無く潮へ向けてそう言うと、潮も紅音にはクールダウンの時間が必要だと考えたのだろう。達也が一礼して雫たちのいる方へ足を向けると、潮も紅音の背中を押して壁際の椅子まで移動を開始したのだった。
次回、ションボリする雫が……