一年E組の二時限目の授業は実技だった。授業と言っても相変わらず教師はいない。壁面のモニターに示されるガイダンスに従って、生徒が勝手にCADと測定器を操作するだけだ。生徒たちも既に慣れたもので、監督の目が無い気楽さを享受する余裕も生まれている。それは自らの境遇に対する諦めと表裏一体のものだったが、それが何時裏返るのか、それとも表を向いたままなのか、それは一人一人の資質によるだろう。多分この男などは、ずっと表を向いたままに違いない。
あまり大きな声で言えない用事を済ませる為、実習室に遅れてやってきたレオは、キョロキョロと左右を見回し、幹比古、エリカ、美月の姿を認めて彼らの許へ悠然と歩みよった。
「……遅刻だよ、レオ」
「かてえこと言うなよ。……ん? 達也は?」
「お客様みたいですよ?」
「客? 学校に?」
「そんな事よりさっさと終わらせましょ」
「そうだね。今日の課題はちょっと苦労しそうだし」
幹比古がそう言ってCADのセッティングに取りかかる。普段は達也がしてくれるのだが、彼は客が来たのを知っていたので、早々に課題をクリアしてこの場から移動してしまっているのだ。達也個人のセッティングでは、他のメンバーには扱いにくいのだ。
一方達也は不機嫌風味のポーカーフェイスで応接室のソファに腰を下ろしていた。向かい側には高級スーツ姿の、見掛けだけは紳士的な壮年の男性。こちらは本格的に不機嫌な顔をしていた。
「青木さん、そろそろ用件をお聞かせ願えませんか。自分は授業中ですので、ご用が無ければ失礼させていただきますが」
「待ちたまえ」
演技とはいえ苛立ちを見せ、最後通牒を付き付けた達也に、青木は渋々ではあったが漸く口を開いた。
「君は先日、3H-P94を購入しているな」
「正確には一昨日ですが」
「それを奥様が欲していらっしゃる。君が支払った金額の倍額出すから、すぐに引き渡したまえ」
達也は素早い身のこなしで立ちあがり、目を凝らして盗聴や盗撮が行われていないかどうか確かめた。魔法的な力の使用を観測する機器が常に作動している魔法科高校の校内で気軽に「眼」を使うわけにはいかなかったが、肉眼もそれなりに鍛え上げている。とりあえず今の話を見聞きされた兆候は無かった。
達也は内ポケットから携帯端末を取り出してケーブルを繋ぎ、そのもう一方の端を青木の目の前に突き出した。良く考えなくても礼を失している振る舞いだが、達也の有無を言わさぬ眼光に、青木は眉を顰めながらも自分の端末を取り出してケーブルを繋いだ。
『青木さん、熱でもあるんですか』
最初に送信されたメッセージがいきなりこれだった。青木は反射的に達也を怒鳴りつけようとしたが、向かい側から放射されているただならぬプレッシャーによって、図らずとも自制した。
『今日は土曜日です。あと四時間もすれば人目に付かない所へ自分を呼び出す事も出来たはずだ。何故学校の応接室で、家の用事を話すようなリスクを冒すんですか。家との繋がりを覚られるような真似は慎むよう、叔母上から命じられている事はご存知のはずです』
青木の、冷静を装う仮面に大きなヒビが入った。唇の端が細かく震えている。顔色もやや青ざめていた。青木がこんな不用意な真似をした魂胆は分かっている。深雪のいるところを避け、四葉家の序列を盾に横車を押し通そうとしたのだろう。
『私は早急にという奥様のご意向に従おうとしただけだ。そんな事よりも、今すぐ3Hを引き渡したまえ。そうすれば私はすぐにお暇する』
『そんな事が出来るはずもないでしょう。所有権が自分に移転しても一高に対する貸借契約の効力は存続したままです。自分が3H-P94を買い取ったのは第三者に持ち去られるのを防ぐためです。あの3Hは自分が責任を持って管理します。叔母上にはそうお伝えください』
青木の顔色が、蒼から赤に変化した。彼は何時もの調子で怒鳴りつけようとしていた。
「言いつけに背くつもりですか」
達也から浴びせられた言葉と視線に、青木の怒気と気力はみるみる萎んでいった。これ以上引き止められる事は無いと判断して、達也は立ち上がった。
「待ちたまえ。いや、待ってくれ。非礼な真似をした事は謝る。この通りだ」
「頭を上げて下さい。青木さん」
「達也君、いや、達也殿。君の言い分はもっともだ。貸借契約が存続する事を前提条件に購入したのであれば、勝手に持ち去る事は出来ないのが道理。無理を言ってすまなかった」
「いえ」
「ただこの事は分かってほしい。奥様も好き心で君の3Hを求めたのではない。何か研究の為に必要だとお考えだったのだろう」
「理解出来ます」
「もう無理強いをするつもりは無い。君もまた、アレを手元に置く必要は感じているのだろう。だがもし君があの3Hを手放しても良いと考えた時は、奥様に譲ってはもらえないだろうか。もちろんその場合には相応しい対価を用意する」
青木が提示した条件に、達也は頷いて返事をした。
「ご存知の通り、俺は未成年ですが」
「お父上にはこちらで手を回しておく」
「分かりました。その程度なら構いません」
面倒事は全て青木が引き受けてくれるという事で、達也は青木の出した条件を呑んだのだった。
青木を昇降口まで送り出し、実習室へと足を向ける。既に半分を過ぎているが授業はまだ続いているのだ。
「リーナ」
「タツヤ」
随分とやつれた感じのする留学生を見つけ声を掛ける。彼女の方も疲れているとはいえ反応が遅れるなどというベタな事はしなかった。
「話は聞いた?」
「ああ。誰だか分かったか?」
「いいえ」
「そうか、残念だったな」
「まあね。でも今回はいいわ」
言葉を切って、リーナは達也へ挑みかかるような目を向けた。強い眼光。殺し合いを演じたあの夜よりも、強い意志が込められた眼差し。
「タツヤ、ワタシは馴れ合わないわよ」
「分かっている。所詮俺たちは住む世界が違う」
達也があえて誤解されやすいセリフ回しを選んだのは、盗み聞きしている者がいた場合に備えての事だ。見ればリーナは罵倒しかけた言葉を呑みこんでいた。僅かなタイムラグで達也の意図に気づいたらしいが、リーナの顔に血の気は上ったままだった。顔を染め上げる意味が直前とは別のものになっているように、達也は感じた。
「バッカじゃないの!」
完全に恥ずかしそうなのを隠し切れてなかったリーナが踵を返しながら吐き捨てた言葉は、照れ隠し以外の何ものでも無かった。
リーナの照れ度、原作の五割増しくらいですかね